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小林(進)
委員 もう時間がありませんから……。
私は、実はきょうの
質問のメーンを、検察庁法第十四条のこの指揮権発動に中心を置いて、法務省、
法務大臣と検事
総長、検察庁との
関係を時間をかけて御
質問したかったのです。ですから、私は私なりに大変資料を集めてきたのです。残念ながら時間がありませんからこれは後日に譲りまするが、私の言いたいことは、このロッキード事件でも、稻葉
法務大臣といわゆる行政庁、法務省というものは君臨すれども統治せずだ。それは確かに君臨はしているが捜査は独自性があって、それに干渉したり、あるいは手を出したり、あるいはやれとかやらないとか、そういうようなことは絶対ない。だからロッキード事件に関しても、これは検事
総長を頂点にする検察庁が独自性を持ってやったことであって、
法務大臣以下法務省行政官は何らそれにはタッチしていないということをしばしば言われた。
私はそうかと思いまして、時間があれば
一つ一つお伺いしたのだけれども、明治年代からずっと調べてみた。まず日糖疑獄と指揮権発動、これは桂首相の時代。第二番目はシーメンス事件、第三番目が陸軍をめぐる汚職事件、第四番目は帝人事件、第五番目は天皇機関説に対するもの、これに一体当時の司法省、司法
大臣がどう
関係したかというと、みんな指揮権発動だ。第六番目は血盟団事件の井上日召の取り扱いについて。第七番目には、いよいよこれは終戦後へ入りますが
昭和電工事件。それから第八では政治と検察との争いの問題。それから第九番目はいわゆる造船疑獄と指揮権発動。
これまでずっと私は問題を整理してまいりましたが、私の
調査によりますると、君臨すれども統治せずというのは真っ赤なうそだ。あらゆるこういう大きな事件には時の総理
大臣、時の司法
大臣というものが実に大きな役割りを演じて、すべての問題の処理に非常に
関係しているということを私は明らかにして唖然としたわけです。司法
大臣というものの力は大変だわい、そう私は実は慄然としたのですよ。そして頭に浮かんだのは、
奥野さん、あなたなんだ。いや、とんでもない司法
大臣が出てきたぞと。この人の政治力をもってしたら検察の
独立などというものは
言葉だけで、たてまえだけで、これはあり得ないぞということを私は身にしみて感じたのです。そこで、この問題をそういうことのないようにあなたに歯どめをかける
意味においても、問題を
一つ一つ具体例を挙げて私はゆっくり
質問する構えで来たのです。残念ながらできませんが。そういうことについては、
奥野さん、あなたはお忘れになっているだろうけれども、私には経験があるのですよ。あなたに対して苦い経験が
一つあるのです。
ぼくは
昭和二十四年に初めて国
会議員に当選してきた。二十四年、二十五年、二十六年、その間にまだあなたは自治省にいられた。あなたはたしか財政
局長をおやりになっているときだ。次官になられる前だと私は思っている。
一つの問題で、予算づくりの問題で私はあなたのところへずいぶん懇切丁寧にお願いに伺った。けんもほろろにはねつけられた。この人は行政に対しては公平な人だと思った。冷たいが、しかし行政に対しては非常に厳正中立な人だと思った。ところが、同じ問題をいまは亡くなられた高知から出ている佐竹晴記という人、あなたはおわかりになりますでしょう。あなたは高知県で勤務されたこともある。その佐竹晴記代議士があなたのところにお願いに行ったら、一潟千里でさっとそれを許可されて想像以上に予算をたくさんつけていただいた。私はびっくりした。謹厳実直だが、この人は裏へ回れば何でもやる人だ、これぐらい幅のある人はないということをそのときに私は痛切に感じた。表面はあなたは実に謹厳りっぱだ。けれども、裏へ回れば、人によってそういう手のひらを返すようなこともやり得る人だということを痛感した。自来歳月を経ること三十有余年でありまするが、その経験はまだきのうの日のごとく私の胸の中にちゃんと残っておるのであります。
そこで私は、この指揮権の発動と検察の問題で非常におそれをなした。しかし、いま申し上げた問題を全部聞いているわけにはいきませんから、たった
一つの問題だけあなたに申し上げまして、
法務大臣としてのあなたの御意見と、検察庁を代表した検事
総長の御見解、ところがきょうはおいでになりませんから検察庁の御見解を
一つだけ聞いておきたい。
それはいわゆる
法務大臣と検察庁が激突した
一つの問題です。この問題について見解をお聞きいたしておきます。
それは
法務大臣が大橋武夫という人、これは
昭和二十四年に私と同じ国
会議員に出てきた人ですから私は非常に親しくしている人です。個人的には私の尊敬している人なんです。この大橋さんが
法務大臣のときです。こういう問題があったのです。
昭和二十六年三月六日、木内という最高検の次長が吉田
内閣のときに辞表を出された問題ですが、そのときの法務総裁、そのときは
法務大臣と言わないで法務総裁と言ったが、法務総裁が大橋武夫氏、検事
総長が
佐藤藤佐氏、それから木内次長、その時代なんです。そのときに検察庁法第二十五条の解釈の問題について
法務大臣と検察庁の意見が分かれた。それは検察庁法第二十五条に「検察官は、前三条の場合を除いては、その意思に反して、その官を失い、職務を停止され、又は俸給を減額されることはない。」と規定している。これは大橋さんが木内次長を転任させて札幌の高検の検事長にしようとしたときに検察陣が抵抗して争った問題なんです。
これに対して木内次長は、さらに同法が検察官とは検事
総長、次長検事、検事長、検事、副検事の五種類であると規定していることを重要な理論構成の基礎として、最高検次長から高等検察庁の検事長へ転任されることは次長検事という官を失うことである、検察庁法第二十五条に違反する、それだから大橋法務総裁の転勤命令に服するわけにいかない、動かない、こう言って抵抗した。
これに対して大橋法務総裁は、官とは検察官という
意味で、
総長、次長、検事長、検事、副検事というような個々の身分を指すものではない、だから検察官をやめろというのなら同意を要するが、次長から検事長への異動はその同意を必要とするものではない、だから司法
大臣の命令どおりおまえは札幌の検事長へ転出していけ、これが
佐藤藤佐検事
総長を頂点とする検察庁と司法省との争いの中心であった。
これは皆さん方も御存じだと思いますが、この見解はいまでも生きている。私は、特捜問題に絡んで、検事の異動がだんだん安易に行われているという昨今の
風潮は決して好ましいとは思っていない。検事もだんだん
司法行政官の下に出て、あなたの鼻毛を取るようになったら
検察行政はもう終わりですわ。そうなることを恐れている。だから、この問題はいまでも生きていると思いますが、これに対する
法務大臣の見解と検察庁の見解をひとつ承っておきたい。