○和田(耕)委員
大臣、御苦労さまでございます。
一昨日でございましたか、私、よく知っている学者とある雑誌で対談をしたのでありますけれ
ども、その学者は、日本の
憲法をしっかりと守って、そして非武装中立という姿勢が日本の生存にとって一番大事なことであるということをかねがね主張しておる、本気に主張しておる人なんですけれ
ども、この人との対談で私はこのように申したのでありました。私は、非武装中立という考え方には賛成ではありません、しかしながら、ある条件のもとでは日本においては有力な意見になり得るということを申しまして、その条件というのは、つまり、日本が侵略されるというときに、日本国民としてそういう侵略には屈服しない、そういう
精神状態をしっかりと持っておる、日ごろからそういうことを教えておる、むろん
学校の
教育でも
義務教育を中心としてそのような
教育が行われておる、そういうふうな条件があれば、日本の戦後のような国の状態から見れば、非武装中立という考え方も、
一つのりっぱな根拠を持った考え方だ、しかし残念ながら、その根拠が現在の日本ではないじゃないか、こういうふうな議論をしたことがありました。
その先生も、もしソビエトが入ってきたら、日本は国を挙げてゲリラ戦争、ゲリラ的な抵抗でもやってというようなことも口にしておりました。それは勇ましい
言葉だけれ
ども、そうであるなれば、平生からそういうふうな
教育をしておいて、ソビエトが不当に日本を侵略するということは、これは全くあり得ない状態ではないと私は思いますけれ
ども、そういうときに国、国民が挙げてゲリラの抵抗をするということがあれば、非武装中立という考え方はりっぱな
一つの政策であり得る、こういうことを申したわけでございます。
つまり、私がこういうふうに申し上げるのは、現在の日本の状態というのは、戦後、有史以来初めて戦争に負けて、いままでの国家ありて個人なし、ひたすら一億一心でもって国のためにということで軍国的な姿勢のもとにあった日本が、負けてしまうと一遍に
精神的におかしくなってしまったという状態があるわけでありまして、いまの戦後初めて出てきた新しい緊張した場面でそういう状態のままいけばどんなことになるのかということを心配するからであります。
憲法の中心である民主主義という考え方は、これを無制限に発展さしていきますと、無
政府主義的な考え方になる、これは
歴史の教えるところであります。戦後の日本でそのような
精神状態、つまり無
政府状態、国家権力に対して無視するかあるいは軽視するという状態、そういうふうな戦後の状態があったと思うのですけれ
ども、もしこういうふうな状態で、いまの国際的な状態が次第に緊迫していくという状況の中で国民の
精神状態がそういうふうなままで過ごしていけばどうなるかという問題なんですね。
この
一つの例になるのが第一次世界大戦でのドイツの状態、ワイマール
憲法下のドイツの状態だと思うのですけれ
ども、あそこでは独立国家としての構え、これは防衛の問題もありますし、その他の国民経済の立て方の問題もありますけれ
ども、それができてないので、結局ヒットラーが出てきて、ナチという強大な力の政治になってしまうということになる。つまり、国民は民主主義、自由を食っているわけではありません。他国の侵略に対して日本の国が守れるか、守れないとなれば、ナチであろうが何であろうが、それを求めていくということになる
一つの
歴史的な教訓。このナチとかファッショという政治は、自由とか民主主義ということを言わな過ぎたから起こったのではなくて、それを言い過ぎて無
政府的な状態になってきたからナチとかファッショが出てくるということは事実だと私は思う。
そういうようなことを考えておりまして、いまの日本の状態を考えると、いまの日本の状態では正しく国家という問題を位置づけて、そして民主的な平和な国を守る、国を大事にするという考え方を国民が持ってくるようにしていくということが、つまり、日本が全体主義的なナチやファッショにならないような状態にするための一番大事なことだと私は考えておるのです。
そういうふうな
意味で、現在、戦後忘れておった国家という問題について、これを正しく位置づけて正しく
理解するということから
教育の問題も見直してみる必要がある時期に来ている。これを正しく見直して、いまの当面しておる国民的な
一つの課題に対処することができなければ、自由、平和な状態とは逆の状態に陥っていくおそれがあるからであります。
そういう、私のいま申し上げたような主張をすると、世間ではよくあれは何か軍国主義、国家主義あるいはナチだファッショだというふうに短絡的に結びつける人があるのですけれ
ども、逆でありまして、必要なときに必要な主張が出てこないと、逆に国民はそれができるような形の間違った方向、つまり、ナチやファッショの方向をとるようになる。あのナチとかファッショとかいう運動は、たとえば日本のおかしな右翼がおって、これが国民を扇動してそのような運動が出てくるのではなくて、逆にこういうふうにならなければならぬなと思うことにこたえられない政治の状態というものがあると、まともな国民がファッショになりナチになる。これがドイツやイタリアの経験だと思うのです。何もわれらは気違いじゃない。まともな国民が、まともな民主主義者が、そういう条件のもとでナチになったりファッショになったりするというわけです。そういう瀬戸際の時期に来ているのが、現在の日本の状態だと思います。
自民党が絶対多数をとったということを契機にして
憲法改正という動きがでております。この動きは私は警戒しなければならぬと思います。私
どもは、党も私個人も
憲法は守っていかなければならないと考えております。そして
憲法を守るということを前提にして最小限度の自衛力が必要であり、特に不当な侵略、圧力に対しては屈服しないという
精神状態というものを、この
憲法を守っていくという体制のもとでしっかりとつくり上げていく必要がある、このように考えておるわけでありまして、そういう立場からきょうは御
質問をしたいと思うのです。
私は、いまの日本の
教育、特に
義務教育の中では、日本の独立国としての国家という問題をもっと強く正しく意識して
教育の場にのせていかなければならない、こういうふうに考えておるのですけれ
ども、
文部大臣はいかがにお考えになっておられるのか、
最初にお伺いをしたいと思います。