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金沢参考人 農政審の
答申の中で、いろいろな問題が盛られておりますけれども、時間の関係もありますので、主として構造問題ということにしぼってお話を申し上げたいと思います。
それで、
稲作面積七十五万ヘクタールというものが
転作の対象になっておるというふうに述べておりますけれども、これが一体
農業の荒廃ということにつながるのかつながらないのかということでありますが、これが
農業の荒廃につながるかつながらないかは、
一つは、
農政というものの発想がどんなふうに転換できるかということに大きくかかわってくる問題ではないかと私は思うのであります。最初にそのことについて申し上げたいと思います。
私は、本来一国の
農政というものは、大きく申しまして二つの柱があると考えております。
一つは、
需要と
供給ということにバランスをとりながら、
一定の
生産価格を保持し、必要なものを
供給していくような需給関係、需給調整という問題であります。もう
一つは、それを担当する
農業者というものをいかに安定化し強力化するかという問題であります。別の言葉で申しますならば、
一つは需給調整、
価格政策、もう
一つは、担当者の問題というのは構造
政策というふうに申し上げてもいいのではないかと思います。
こういうふうに、需給調整ということとそれから
農業の構造
政策というのは、まさに車の両輪のごとく、片一方に偏らないように真っすぐ走るということがはなはだ重要だと思うのでありますけれども、しかし、従来の
日本の
農政というものは、構造
政策ということは非常に背後に隠れた問題でありまして、需給調整ということがきわめて大きな柱でありまして、そこからいろいろな問題が発想されてくるというような筋書きになっておるかと思うのであります。
農業がこれから素直に育っていくか荒廃するかということは、
農業者がいかに安定的に、かつ場合によっては収益的に
農業を持続していけるかどうかということだと思うのであります。もとより需給
政策ということと構造
政策ということは関連はいたしておりますけれども、しかし、構造的に本当に
農業者のサイドから問題を打ち立てていくということが大変重要な
一つの視点でありまして、この需給
政策と相並んで
一つの柱のように打ち立てていくということが必要なのではないかと思うのであります。
しかし、私の見たところでは、
農業者をいかに強力、安定化するかというための構造
政策というのは、従来の
農政の中では最も不得意とするところ、不得手とするところでありまして、その問題が大変じみな内容を持っておるものでありますから、どうしても構造
政策ということが背後に隠れるような形になっておるのが実情だと思います。
したがいまして、たとえばこの
農政審の報告の構成を拝見いたしましても、第一章に
日本型食生活の形成と定着、二に
食糧の
安全保障、三に
需要の
動向に応じた
農業生産の展開、四に
農産物価格政策、五に構造
政策、こういうふうな順序で配列されております。つまり、大
前提に
食糧需給という問題があり、それをさらにかみ砕いて
生産の問題があり、さらにその問題をブレークダウンして、経営がどういうふうにそれを受け持つか、こういうふうな発想の順序になっておるわけであります。
これが、言ってみればいままでの
農政の発想の順序だと私は思いますけれども、しかし問題は、
農業の本当の発展のためには、構造問題ということが
一つ大きく柱として打ち立てられなければならぬわけでありまして、これにつきましては、
農政の非常に大きな発想の転換と申しますか、そういうようなことを必要とするものではないかなと思うのであります。
この
考え方というものは非常に重要なものを含んでおるわけでありまして、後でまた申し上げますけれども、こういう構造
政策ということを
一つ大きく表に出していくという思想がないと、
農業者は与えられた物を与えられただけつくっていくというふうな、きわめて自主性のない
農業に終わってしまうということだろうと思うのであります。
しかし、この報告を検討してまいりますと、従来の
農政はそういう点が特徴であり、この報告もある意味では同じ性質のものと思われますけれども、しかし、大変注目していい点は、従来のいろいろな報告書と比べまして、それなりに
農業経営の発展
方向ということを大変重要視しておることであります。恐らく、不十分ではありますけれども、いままでの報告書と比べずと、大きくその経営の重要性ということをうたっておる点は、その
一つの特徴ではないかと思います。
とにかく、いろいろな
農業経営のこれからのあり方ということを下敷きにしないと、これからの
農業政策というものはなかなかうまくいかないという自覚が内外ともに生じているということの証明でありましょうけれども、たとえば「八〇年代の
農政の
基本方向」の三十四ページには、その経営全体としての
農業のあり方、それから
土地の高度利用化、複合経営のあり方等々につきまして、それに対してこれからの
方向性ということを重要視してうたってある点は、私は、従来の報告書と比べると一歩進んだ評価をすることができるように思うわけであります。
そういうことで、本報告は、確かに従来になかった経営の問題を大きく取り上げているということは評価すべきことだというふうに思いますけれども、しかし、さらに突っ込んで申しますと問題がある。それは、いろいろな
日本のこれからの経営的な
方向ということを示唆しておりますけれども、それではそれによって一体どんな具体策を講じようとするのかという点になりますと、その問題を後に残しておるということだろうと思うのであります。
方向性のみを示して、具体的な対策というものはまだこれからの問題というふうに受け取られます。しかし、その高度利用ということがここでの大変な力点になっておるわけであります。
私も今後の
食糧問題等々を考えます場合に、少なくとも、
耕地の
拡大化ということよりは、まず高度利用ということを優先すべきであるという
考え方は持っております。高度利用をいかにして実現するか、これが
一つの大きな
問題点だと私は思うのでありますけれども、しかし、これは言うべくして実はそう簡単な話ではないのでありまして、個人が高度利用を志したから、次の日から高度利用ができるというような性質のものでは全くないわけであります。
まず、高度利用のためには、十分な
土地改良その他の施策が施されておらなければならないわけであります。そしてまた、いままでの
技術政策等等におきましても大きな反省を伴わないと、高度利用などということはできない問題がある。たとえば、いままで稲の増産ということで、試験場等等におきましてその品種のいろいろな
改善も行ってまいりました。栽培
技術のやり方もやってまいりました。機械化も進めてまいりました。しかし、いずれもそれは稲の最高収量をいかに実現するかという点に多くのポイントがありまして、そういう
稲作の
技術発展、開発
方向というものは、しばしば
土地の高度利用を排除する
方向に動いてきたということもこれは十分に反省しなければならぬところではないかと思うのであります。
こういうことで、高度利用ということは単なる作物の話ではなくて、
一つの
土地利用の体系として総合的に作物の組み合わせを考え、総合的に
価格政策を考え、総合的に市場
政策を考えるという対応でないと、いままでのように単に作物の
生産性を上げていくような
技術政策方向のみでは解決できない問題をたくさん含んでおりまして、何か水でも引っ張ってくればいい、用水でも設備すればあとは
農業者の自由な責任において高度利用を実現するべきだという発想はいささか違っておるわけでありまして、高度利用の実現のためには、なさなければならぬたくさんの施策が累積的にある、これを
一つ一つほぐしていかなければならぬ、こういうふうに思うわけであります。
そういう意味で、従来言っておりました
生産性の
向上というようなことも、もっと広い意味で、単なる労働の
生産性だけではなくて、
資本の
生産性というようなことも十分に考えていかなければならぬわけでありまして、一個の作物の話ではない、全体として
農業の収益を上げ、
生産力を高め、経営の安定化を図るための諸施策が、
一つ一つ政策的な措置を必要とするというものを持っておるだろうと思っております。大変そういう意味でじみな問題が多いわけであります。だからこれは、
政策対応としてなかなか取り上げにくいような問題、従来の
農政の
考え方としては大変取り上げられにくかったあるいは不得手だというような問題、いろいろな施策を施してもそれが実際に
農業経営の安定につながってこない問題が多いのではないかと思うのであります。
したがいまして、私がこれから考えます
一つの問題は、こういったじみな問題、そしてどこから手をつけたらいいかということが大変重要な問題でありまして、いろいろ
土地利用の高度化の施策をやっていくためにどこからでもいいというわけにはいかないのでありまして、ここから手をつけて、その次にこの点を改良して、その次にはこの点の整備をやってというふうな順序があるわけでございます。
そうすると、どうしてもこれは地域というものが主体的に
農政の中に入り込んで、地域が主体的にその地域の
農業を拡充していくという責任と計画性をもう少し与えなければ、国がいろいろ細かい気持ちを持って指示していただくことは、場合によっては大変
マイナスになって大きくは育たないという場合をしばしば生じている。こういうことで、私は、地域
農業計画というものについての地域の任務と自主性ということをこの際強調いたしたいのであります。
農地の流動化でありますけれども、たとえばこの間農地三法が国会を通りましたけれども、農地三法のごときも、法律ができれば農地は大いに流動化するという性質のものでは決してないのでありまして、自分たちのそういった地域計画ができ上がって、その中に流動化ということが位置を占めるわけでありまして、そういう意味での地域主体ということにこれからの
農政のポイントを、たとえば権限なり任務なりというものをもう少し県なりその他に移す面がないのかな、少なくとも構造問題に関しては。こういうふうに考えております。特に農協あたりの、この地域
農政に占める
農業サイドからの発言なり自主性なりというものはきわめて大きいと思うのであります。
と同時に、この際皆様方にぜひ申し上げておきたいのは普及事業の重要性であります。
われわれは、
農政ということでいろいろな事業を行い、
農家を
生産性を上げるために引っ張っていく、力で
引き上げていくということはいままでずいぶんやってまいったことでありますけれども、
農家のサイドに立って地域計画等々を進めていくためには、やはり普及事業のごとき非常にじみな仕事を評価しなければならぬわけでありまして、こういうものでじわじわ
農業を強くしていくというふうなことを考えませんと、一躍成果を早く求めるというふうなことではこの成果は上がらないのではないか、こういうことであります。
こういうことで、高度の
土地利用体系ということを考えてまいります場合に、単にこれは米減らしのための高度利用ということではなくて、かなりの安定性と収益性をもたらし得るからこそ高度の利用ということが主張されるということでなければならないと思うのであります。そうなりますと、まあいろいろな
補助金制度等々もありますけれども、
土地の高度利用のあり方に対しましては、かなり、先ほど申しました
技術政策なり市場
政策なりあるいは労働
政策なりというふうな対応の中で、
日本のこれからの、特に水田を
中心とした
農業の体系、収益的にも上げていくような体系というものが、それぞれの地域によってそれなりの形があり得るのではないかと思っております。
当然に
飼料米等々も問題になろうかと思いますが、
飼料米を
飼料米として評価するということになりますと、これはとても
価格や何かで問題にならないということがありますけれども、一体、
飼料米というものをその
土地の、水田なら水田の一年の利用体系の中にいかに上手にはめ込み得るかどうか、作付体系の弾力性ということからいって、
飼料米というものはどんなふうな性質を持っているかというふうなところまで検討しなければならぬと私は思います。
そういうことで、
日本の高度
土地利用ということにおきましては、未検討な問題が余りにも多いということ、かつ、その未検討な問題を
一つ一つ突き詰めていけば、それなりの可能性は地域によってまだまだあるのではないかというふうに私は考えております。
皆さん方の中にはこういう御
意見を持たれる方もあろうかと思うのであります。たとえば、こういうふうに
生産調整等々におきまして、やはりそれについての国の地域分担のような
考え方を明示しておくべきではないかというお考えもあろうかと思います。まあ、地域分担ということが明示できればそれにこしたことはないと私は思いますけれども、しかし、地域分担というのは、先ほど申しましたように、国が独自にその
生産調整の割り当てというようなものを地域の
農業に応じて、他の作物との関係も考慮するでありましょうけれども、国がいまの段階で地域分担を上から示すということには問題がたくさんあろうかと思うのであります。やはり国と地域の両方からの突き合わせが必要だと思うのであります。いずれにしても、こういった計画化が必要だと私は思いますけれども、県、地域からのそういう突き合わせということがなければならないのではないかということであります。
そういう意味で、私は、今後、県
農政というものが一体どういうふうな課題を持つのか、市町村
農政というものの積み上げとしての県
農政、地域
農政の締めくくりとしての県
農政というものが、もう少し
日本全体の
農政の上で検討されるべき問題が多いのではないか、問題は大変じみなところにあると思います。それから最後に、
中核農家ということであります。
中核農家の育成ということと、それがら多くの
兼業農家を含めて、一体
日本の
農業、
農政はどういうふうに担当
農家層を考えていくかというところに多少のジレンマがあるようでありますけれども、やはり私は、今後の
日本の
農業の担当者といたしましては、国が言う単なる
中核農家というだけの狭い範疇では解けないであろう、やはり多くの
農家層というものを
日本農業の戦力の中にそれなりに入れていかなければならないだろう、第二種
兼業農家の特殊な問題も含んでおりますけれども、これから地域の組織化ということが、そういう意味で非常に重要な問題になっていくのではないか、こういうふうに思います。
そういうことで、問題を構造問題にしぼりましたけれども、問題は大変じみだ、じみなところに手をつけないというようなところに実は多くの残された問題があって、形のいいものだけが先に進むようなところに実は多くの問題が残されてしまっているというふうに思います。
ちょっと時間を経過いたしましたけれども……。(拍手)