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1980-12-05 第93回国会 衆議院 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十五年十二月五日(金曜日)     午前九時一分開議  出席小委員    小委員長 山崎武三郎君       大原 一三君    熊川 次男君       笹山 登生君    平泉  渉君       平沼 赳夫君    藤井 勝志君       山本 幸雄君    佐藤 観樹君       沢田  広君    柴田  弘君       竹本 孫一君    簑輪 幸代君       柿澤 弘治君  小委員外出席者         大 蔵 委 員 渡部 一郎君         大蔵政務次官  保岡 興治君         大蔵大臣官房審         議官      小山 昭蔵君         大蔵大臣官房審         議官      吉田 正輝君         大蔵省銀行局調         査課長     土田 正顕君         参  考  人         (東京証券取引         所理事長)   谷村  裕君         参  考  人         (社団法人日本         証券業協会会         長)      北裏喜一郎君         参  考  人         (証券取引審議         会会長代理)  大月  高君         大蔵委員会調査         室長      葉林 勇樹君     ————————————— 十二月五日  小委員柿澤弘治君十一月十二日委員辞任につき、  その補欠として柿澤弘治君が委員長指名で小  委員に選任された。 同日  小委員熊川次男君十一月二十七日委員辞任につ  き、その補欠として熊川次男君が委員長指名  で小委員に選任された。 同日  小委員中村正三郎君及び川口大助君同日小委員  辞任につき、その補欠として藤井勝志君及び沢  田広君が委員長指名で小委員に選任された。 同日  小委員藤井勝志君及び沢田広君同日小委員辞任  につき、その補欠として中村正三郎君及び川口  大助君が委員長指名で小委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  金融及び証券に関する件      ————◇—————
  2. 山崎武三郎

    ○山崎小委員長 これより金融及び証券に関する小委員会を開会いたします。  金融及び証券に関する件について調査を進めます。  本日は、参考人として東京証券取引所理事長谷村裕君、日本証券業協会会長北裏喜一郎君、証券取引審議会会長代理大月高君、以上三名の方々の御出席をいただいております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位におかれましては、御多用中のところ本小委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。  銀行法等改正をめぐる諸問題等につきまして、参考人各位それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  なお、御意見の開陳は、小委員からの質疑にお答え願う形式で行いたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  それでは、参考人に対する質疑に入ります。佐藤観樹君。
  3. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 参考人方々、きょうは朝早くからお越しをいただきまして大変ありがとうございます。  御存じのように、銀行法改正窓販及びバンクディーリングという問題がどうも最大の問題として残っているような状態のようでございまして、その意味では、この問題は単なる銀行界証券界かきね争いというようなものではなくて、十年先、二十年先の金融構造にこたえて、一体日本金融制度、とりわけ直接金融間接金融というものをどうしていくべきか、五十年に一回と言われる銀行法改正ですが、この次のときには五十年では済まない、もっと早いと思いますけれども、私たちとしてもそれにこたえて、後顧に憂えのないような、誤りのないような銀行法改正にするために、きょうはそれぞれ長年の経験をお持ちの三参考人の方にお越しをいただいたわけでございます。私は主に実体面におけるバンクディーリング問題制度面法律面における問題についてお三人の権威ある方々にお伺いをしていきたいと思うのであります。  証券界もこの窓販及びバンクディーリングにつきましては大変強く反対をなさっていらっしゃいます。過日、銀行界の代表の方にお越しをいただきましていろいろと御意見を承ったわけでございますけれども証券界がどういう理由窓販及びバンクディーリング反対していらっしゃるのか、それは単なる証券界のエゴではなくて、国民経済的な立場から見るとどういうことになるのだろうか、まず、この点からお伺いをしたいと思うのであります。  北裏さんはお御足がよろしゅうございませんので、私たち聞こえますから、よければどうぞ座ったままで結構でございます。
  4. 北裏喜一郎

    北裏参考人 いま先生からお話がありましたように、途中で足のぐあいが悪くなりましたらあるいはちょっと失礼するかもしれませんので、あらかじめ御了承をお願い申し上げます。  いま先生からお話がございました点につきまして、私ども考えをちょっと説明さしていただきます。  結論から先に言いますと、証券界といたしましては、今回の銀行法改正につきまして、銀行窓販バンクディーリングを織り込むということは絶対反対するという立場をとっております。  その反対理由をあらかじめちょっと申し上げますと、第一には、今回の銀行法改正趣旨から見まして、銀行窓販ディーリング改正法に持ち込むことの必要性が認められない、こう思っております。それで今回の銀行法改正の動機でございますけれども、スタートを見ますと、昭和四十八年当時の狂乱物価がございまして、特に銀行金融機関などの批判がございました。そこで大企業に対する融資を改めるとか、中小企業に対してもっと融資せにゃいかぬとか、あるいは消費者金融をもっと拡充せにゃいかぬというようなところから始まっておるのでございます。  本来、バンクディーリング一つの柱であるかもしれません。しかし、主要問題ではなかったと思います。それは御承知のとおりでありまして、いまの銀行批判ということの中で、銀行の社会的な責任を最も重視した銀行業務のあり方をこの際はっきりする、そうして投資家預金者保護ということに徹する、あるいは裏返して言うと、銀行健全性をどうして確保するかということについて国の監督を強化するとか、あるいはディスクロージャーとか、融資規制とかいうようなものも規定するものだと了承しておりました。また了承しております。むしろ銀行窓販あるいはバンクディーリングを認めることによりまして、言い過ぎかもしれませんが、銀行経済社会に対します支配が一層強化される結果になる、それをこの際銀行法に盛ることは御趣旨ではないのではないか、こう考えておるわけでございます。  第二番目としましては、銀行窓販とかバンクディーリングはわれわれの資本市場に非常に大きな悪影響を及ぼす、こう考えておるわけでありまして、わが国の金融制度では、実は昭和二年の銀行法制定当時、いまより約五十何年前ごろから銀行証券との分離体制のもとに運営されていたのでございます。そういう歴史的な経緯がございます。この分離体制、あるいはまた私どもでは専業体制とも申しますが、これは直接金融間接金融相互に相携えて、あるいは相互に相競争して車の両輪のごとくする方が経済の円滑な運営ができるということにねらいがあったのではないかと思います。約半世紀以上の問題であります。銀行の方が一層力が強くなって経済社会に対しまして圧倒的な支配力を持つということになりますと、このような弊害が一層大きくなるのではないかということは、いまさら私が申し上げるまでもなく言えると思うのでありますが、分業体制によってそういう弊害に歯どめをかけるという意味を持っておると思うのでございます。現在の銀行証券分業体制は、いま申しましたように半世紀前からの一つ歴史的経緯でできたものであります。いまここで急に変えなければならぬという理由はないと私は思っておるわけです。  第三の理由といたしましては、いま先生お話にありましたように、銀行証券かきね争い的な議論がありますけれども、これは率直に言いますと、銀行証券本業に進出することを考えているのではないかという重要な問題を含んでおるように思います。今日、証券会社業務といたしましては、株式と公社債が二つの柱でございまして、公社債業務のうち、その七割は国債でございます。恐らくこの安定成長経済と言われるものの中にありましては、証券会社業務に占める公社債業務ウエートは非常に高くなると存じております。銀行窓販バンクディーリングということを行うことは、とりもなおさず銀行証券会社本業、しかもその主要な業務に進出する意図があるとわれわれは考えるわけであります。これはなかなか証券会社にとっては御承知のとおり死活の問題であろうかと存じております。  第四番目には、銀行窓版とかバンクディーリングを行うことはお客さんにとっては便利ではないかということをよく言われますが、これはきわめて表面的な理由でありまして、多くの弊害が生じて顧客利益が損なわれるおそれがあるのではないか、その公算の方が多いのではないかというように私どもは感じております。もともと銀行預金の受け入れあるいは貸し付けということが本業でございまして、仮に窓販バンクディーリングを行うということに仮定いたしましても、恐らく銀行としては自行の利益を優先することは、これは企業としては当然であろうと私は推測するのです。というのは、もっと具体的に言いますと、預金レートの方が低い、公社債レートの方がやや高いという点でありまして、まず預金を吸収することが先決になるだろうというのは企業として当然であろうと思います。したがって、銀行窓口販売個人消化に非常に役立つというふうに考えるのは少し早計ではないかと思います。  そのほかに、銀行と申しますのは、御承知のとおり、現在日本では国民各層、また企業を問わず個人を問わず非常に大きな影響力を持っておりまして、たとえばかつて批判されました歩積み建てのごときもそれでありましょうし、公社債の場合でもそういう形式企業などに押しつける、中小企業にも押しつけるということになりかねないおそれをわれわれは抱いておるわけであります。そういう意味では、顧客にとって便利であるというような観点からではなくて、非常に公正な取引が阻害されるであろうとわれわれは申しておるわけであります。  もともと大量に国債を保有して、しかも常に売り方に回るというのが銀行でございます。今日、みずから申されるとおり、銀行並びにその他の金融機関国債を保有している率が非常に多いのでありまして、その保有者である銀行は、どちらかというと常に売り方に回るというのが過去においては無論そうでございましたが、将来においても恐らくそうであろうと思うのでありまして、もともと証券会社というのは中立的な機能を持っておりまするいわばブローカー的な、われわれ証券会社が買うのは必ず第三者である購買者を求めていくわけでありまして、自分で持つということではないのであります。価格形成の場合も売り方と買い方の中に入るという仲介機関であるのがほとんどでありますが、売りを中心とする片一方にウエートを置いた銀行がそういう仲介機関になるということはあり得ないと考えておるわけです。  それははなはだ疑問に感ずる第四点でございまして、私は冒頭に、また後ほど細かい先生方の御質問にお答えしたいと思いますが、銀行による窓販バンクディーリングの問題は、これは一国の金融制度根幹にかかわる重大な制度の変換であると思いまして、単にかきね論争的な物のとらえ方は、私は、われわれ自身のような単に企業者としてはそういう面もあるということを言われるかもしれませんが、一国の金融制度根幹としてはこれは大きな変革になるわけでございます。これほどの重大な問題でございますので、現在のところ今後の八〇年代、九〇年代、二〇〇〇年代となった場合、いま先生の言われましたように、三十年の日本経済環境あるいは金融界がどうなるかという観点からいまそれを議論されまして、それに伴ってわれわれの国民生活がどうなるかという長期的な観点から本格的な論議を尽くすべきであると信じておるわけであります。  まずお答えいたします。
  5. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 いまお話しをいただいたのでございますけれども、まず単純に感ずることは、窓販銀行がやれば一体個人消化というのは進むんだろうかという単純な疑問がまず出てくるわけですね。  それで、確かに窓口が多くなるから、その意味では国民との接点が多くなるという点は私も否定しないのですけれども、過日のこの小委員会松沢参考人アメリカ金融資産との構成比を見ると、まだまだ有価証券の比率が日本ではふえるのではないだろうかということを言っていらっしゃいましたけれども、私もその傾向はあると思うのでありますが、やはり預金に来られる方と有価証券資産として持たれる方というのは、私は単純にそこが一緒ではないんじゃないだろうかと思うので、単純に窓口をふやせば個人消化が進むだろうかというと、まず起こるのは恐らく預金かわり国債を買ってもらうというような事態が起こるだろうし、もう一つは、当大蔵委員会でも長年のこと歩積み建てという問題をやってきたわけですね。いま北裏参考人お話にもございましたように、恐らく売れない、政府は大変金利の悪いのをかなり押しつける傾向がございますから、そういう売れないものになると、今度は融資をしてやるかわりに、歩積み建てではなくて、ひとつ国債を持ってくださいという、何というのですか、押し込み販売というんでしょうか、割り込み販売というんでしょうか、そういうことが恐らく今日までの歩積み建て問題の延長線として起こるんではないだろうかと私には考えられるのでありますが、果たして銀行というのは、バンクディーリングの問題は別としても、窓販をやれば個人消化というのは進むというふうに考えていらっしゃいますでしょうか。その点、北裏さんはどういうふうにごらんになっていらっしゃいますか。
  6. 北裏喜一郎

    北裏参考人 お答えいたします。  ただいま先生の申されたように、実はこれはなかなか予想の立てにくいことでございます。また、現に銀行窓販によってどのくらい個人消化が進むとか、販売が進むということは、私自身もなかなか予測を立てにくいし、また銀行でも具体的な数字を挙げておりません。ただ漠然と窓口の多い方がよかろうという意味であって、どのくらい消化するかということは、銀行側でも出しておりませんし、私どももなかなか予測難でございます。ですけれども個人消化というのはそう一挙に進むものではございません。またそれが多ければ多いほどいいというように皆さん考えかもしれませんが、やはりそうでもない、ある限界があるということは、その後の公社債市場国債市場という価格形成の面で、極端に言えば九割方個人消化したらいいとか、一〇〇%個人消化がいいという御意見はないと思います。おのずから限度があるということを申し上げたい。  個人金融資産は、御承知のとおり年々蓄積されていきますが、この中で徐々にそこで初めて安定保有、安定した個人自分資産選好上持とうとするという意味安定保有ということになると私は思うのであります。そうしたことを考えますと、これまたあるいは耳ざわりになるかもしれませんが、銀行の日ごろの行動を考え合わせますと、銀行窓販を行うことは、あるいは先生のような懸念があるのではないかと私どもも思います。したがって、国全体としては個人消化というものがそれほど大きく進むと考えるのは、これは即断でございます。そういうことはあり得ないと私は考えております。個人消化でございますよ。銀行は本来預金を集めることが本業でございまして、そして貸し付けてその利ざやを取るというのが本業でございます。これはもう申すまでもございませんが、銀行企業からいいますと非常に利益が少ない、手数料が少ない、そういう業務を、国債を一生懸命に販売するというようになると私には思えません。  また同時に、銀行は、私どもにない、証券業にない、言いかえれば力を持っている、強みを持っているということはいろいろな面で言えると思います。いまの問題に関連して言いますと、資金の所在、法人のみならず、法人金融、金繰り、資金需要というもののみならず、個人家計のやりくりということも十分わかってきておるのじゃないか、がっちりその資金ソースがわかっているというのが今日の銀行強みでございます。たとえば、法人のことは申すまでもございませんが、個人家計といいますとよくわれわれ月給取り給与振り込み口座というのがありますが、現在で二千二十七万口座がございます。個人が皆会社から銀行に振り込んでいます。二千二十七万口座でございます。これは六十年までには、銀行さんが申されておりますし皆さんも予想されますが、恐らく三千五百万口座、ほぼ世帯数に等しいだけのものが家計給与振り込みという形で行われる。そういう意味法人個人を問わず銀行がその資金ソースを握っているということは残念ながら言わざるを得ないと思います。それだけの非常に強みを持っています。  それから、きょう議論になっておりますマル優口座でございますが、現在金融機関全体では一億六千口座、約人口比に等しいだけの口座があるわけです。これは金融機関全体でございますけれども、特に銀行となりますと約七千六百万口座でございます。それに反しまして、われわれ証券界は、国債大量発行されました五十年以来見ますと、現在で七百八十六万口座でございまして、約十分の一でございます。今日としては銀行はこの強みを生かしまして自分預金を全部国債にすることは可能でありますけれども、そうしたのでは銀行が成り立ちませんから、預金をふやさずにどこへ出ていくかというと、恐らくまずはわれわれ証券会社が持っている、国債にはマル優とほかにマル特がございますが、そこへ出ていくのではないか。ということは、証券業者が営々と築いた中におけるそういうマル優マル特の七百八十六万口座の中に十倍近い銀行強みが入ってくるということを想定しておるわけでございます。その分だけは実は証券会社が扱っておりますけれども、そこに振りかえるだけでは個人消化がふえるということになるでしょうか。私どもはそのことを、預金を全部振りかえるというのはわかりますけれども、あるいは部分を振りかえるというのはわかりますけれども、むしろ預金はコストが安いからなるべく温存しておいて、国債をやるならば他業ないしは特に証券業のようやく七百数十万口座、その中に入ってくるのじゃないかという危惧を持っておるわけです。そういう意味では、全体としては個人消化がふえるという考え方は、全然ふえないというのは極論でございますけれども、そうたくさんふえないということはおわかりでございましょう。国全体ではそういう意味では大きくふえないと私は思っておるものでございます。
  7. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 これからの国債発行状況考えてみますと、六十年には御存じのように借りかえ債が建設国債のうちの六分の五、もう一回償還をして借りかえをしなければいかぬというのが発生をしてまいりますし、五十九年度までに赤字国債ゼロと言っても建設国債は残るわけでありますから、そういった意味で六十年からはさらに大量発行ということに事実上なっていくわけですね。なおかつ、確かに日本国債個人保有アメリカヨーロッパ並みになったとはいうものの、やはり基本的な安定保有として個人保有は進めていく方向で考えなければいかぬと思うのでありますが、この今後も発行されるであろう大量発行状況の中でどうやってなお一層個人消化を進めていくか、これはいわば発行条件実勢に合ったものにということに尽きるのではないかとも私は思いますけれども、その点については長いこと業界にいらして実務をやっていらっしゃる北裏さん、どういうふうに考えていらっしゃいますでしょうか。
  8. 北裏喜一郎

    北裏参考人 いまの先生お話でございますが、私は実務家でございますから、お答えいたしますのも主として実務面から実際には申していく以外にないと思いますが、実は昭和五十年から五十四年まで最も国債大量発行せざるを得ない時期でございますけれども、それはすでに発表しているとおり平均個人消化証券会社の扱い二〇%になっています。これは統計平均で出ております。もっと詳しく言いますと、都市銀行が三四%、その次が証券会社の二〇%、それからあと興長銀とか信託銀行、その他信用金庫とかございますけれども、二位がわれわれで二〇%売っているということを御銘記願いたい。  いまの御質問のように、今後の借りかえという問題を現在議論しておりますけれども、実はことしは特によく売れまして、平均二〇%というのは去年までの数字で五カ年の平均でございます。ことしは実は現在で約四〇%弱、三九%売っているわけでありまして、これはむろん証券界がトップであります。ことしのはまだ残っておりますから、これは御参考までに申し上げるわけでありますけれども、いま先生おっしゃられましたとおり、やはりわれわれはブローカーでありますから、国の非常に低利なあるいは御用金的なものではむずかしい、市場実勢に沿うという先生お話、これが一番基本でございますが、この発行条件市場実勢に沿うならば恐らく現在の個人消化——主として個人消化というのはほとんど大部分は実は統計上は個人等となっておりまして、二七・何%となっております。たしか二七・八%ぐらいだと思います。ですけれども、その中でまた分けますと、このマル優マル特と言いましたものは二二・五%でございます。あとは全部乗りかえるかどうかわかりませんが、これはマル優マル特は零細な五十万、百万、二百万という人が多いのでございまして、しかもこれは法律上御承知のとおりみんな証券会社に置いておかなければいけない、持って帰れない、名前も初めから出しておるということでございますので、これは一〇〇%というのは少し言い過ぎかもしれませんが、借りかえは可能でございます。  従来の社債、国債を含めまして借りかえ、乗りかえということについてわれわれは努力を証券会社の仕事として進めてまいりました経験から言いますと、ほぼ一〇〇%と言いたいが、それに近い数字マル優マル特のものの二二・五%は全く借りかえられる、その他の分につきましても証券会社の従来の乗りかえ経験から言いますと相当乗りかえられると思っております。そういう意味では、いまの先生の御質問借りかえについては、事証券会社に関する限りはそれほど心配しておりません。しかも、これが借りかえが終わった後の国債大量発行ということもお触れになりましたが、恐らく借りかえそのものによるものは新しい資金が要るわけじゃございませんけれども国債その他を含めまして恐らくもう少しどんどんふえてくるかもわかりません。  しかし、一面、また日本では個人金融資産が御承知のとおりどんどんふえておりますが、いまの日本貯蓄率は御承知のとおりでありますけれども、仮に半分になる、一割にしかならぬ、一〇%ぐらいに想定しましても恐らく三十兆ないしは四十兆ぐらい金融資産が年々ふえてくる。いまの貯蓄率の半分と仮定いたしましても、三十兆ないしは四十兆ふえるだろうと想定しておりまして、国債の増発、大量発行というものが借りかえプラスありましても、これはきわめて簡単にいけるのじゃないか、こう思っております。
  9. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 ディーリングに関する問題なんですけれども銀行界窓販及びバンクディーリングをやりたいと言っている主張の中には、いまの流通市場北裏さん御出身のところの野村証券も含めまして大手四社、そしてその下の中堅八社、ここにほとんど流通市場寡占状況になっている。したがって、価格形成自体が必ずしも公正ではないのじゃないか。したがって、新規参入者が入ることによって一番重要な価格形成の公正さというものを保ちたいのだというのが銀行界の主張のように思えるのであります。  ただ、北裏参考人も言われましたように、またわが党の堀委員も前の小委員会でも言われましたように、ディーラーたるものが最大の持ち手であるというのが果たして価格形成に入っていった場合どうなるかということも、私はわかるのでございますけれども、いずれにしろ、大手証券会社が事実上流通市場を寡占をしている、これが公正な価格形成になってないんだという銀行界からの批判に対しては、北裏さんはどういうふうに考えていらっしゃいますか。
  10. 北裏喜一郎

    北裏参考人 現に寡占の問題は今度の論議の中にもよく銀行ないしは世間で言われることであります。四社の売買シェアが高いことは事実であります。ですが、よく考えてみますと、国債大量発行され、個人に持たすというのは、五十年からわずか歴史が四、五年でございます。これを考えなければいかぬと思うのです。寡占の弊害はよけいあるということもありましょう、しかし、われわれは、基本的には価格形成が寡占によってゆがめられるのじゃないか、談合によって価格形成がゆがめられるのじゃないかというように理解しますと、実はそうでなくて、仮に四社あるいは総合証券でありましてもなかなか激しいのでありまして、公募債の商いというのは五銭ないし十銭くらいの差で、それは一銭高くとも一銭安くともおのおのが競争しておるわけです。価格形成の面では四社寡占ということは当たらぬ。  売買量の結果としての水準は、確かに量は四社が多いということは事実でございます。しかし、恐らく四、五年の歴史を見ますと、いまのように手数料が非常に薄いということから見ますと、一般の業界では必ずしもやってないという意見があると思いますけれども、これは今日ではほとんど全部やっておりますけれども、時をかせば、年月をかせば恐らく全業者の大きな柱になるということは信じて疑わない。これは過去にもそういう歴史がございました。国債でなくて社債とかあるいは割引債という金融債をやる場合にも、そういう傾向から始まっております。これについてはすべての業者がやっているのは事実でありますが、国債につきましても年月をかせばすべてやるということは当然であろうと思いますが、今日はまだ四、五年しかたってないので、まずはそういうところから始まっている。そういう意味では、量は確かに事実でありますけれども価格形成には寡占はございません。
  11. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 北裏参考人、どうぞお座りください。  私、この後、制度面、それから法律面の問題について谷村参考人大月参考人にちょっとお伺いをしておきたいと思うのであります。  と申しますのは、この問題が発生をしましてから私もいろいろ調べてみたのでございますが、証取法六十五条の第二項があって、国債についても、しかもディーリングまで銀行ができるんだという一つの根拠には、昭和二十三年の証取法六十五条第二項で穴があいているではないかというのがどうも法律的な基本的な根拠になっているようなんであります。ところが、いろいろ調べてみると、どうもそうはいかないのではないかという気がするので、そんな単純ではないんじゃないだろうか。銀行法第五条でいう付随業務とあわせてこれがバンクディーリングまでできるという御主張のようであります。  ところが、昭和二十三年にできた証取法の母法と言われるものがアメリカの一九三三年のグラス・スティーガル法、国法銀行法と言われるものでありますが、確かにこれによってアメリカではバンクディーリングをやっているわけですね。ところが、この前昭和五十二年に、当時GHQでこの問題を担当したトーマス・フランシス・モートン・アダムスという方が日本に見えて専修大学教授の志村先生と対談をやっておりますけれども、何分アダムス氏もお年でありますから、そう二十三年のごたごたした時期のことを細かく覚えておられませんですが、私がちょっとここで新しい発見をしたのは、この六十五条の第二項を入れたのは実はGHQではなくて、むしろ大蔵省の方から言ってきたんだということを言われているわけなんですね。これは志村先生が二度確認をして、そうだということをアダムス氏も言っている。もちろん大蔵省がそうするとグラス・スティーガル法の方を援用したのかもしれませんけれども、いずれにしろ、GHQの指令でアメリカ法をそのまま持ってきたという説は必ずしも正確ではないのじゃないだろうかということなんですね。  それからもう一つあわせて言えば、これは昭和二十二年にあった証取法が二十三年に、わずか一年で改正をされているわけですね。そのときの改正の大きな項目というのが、免許制の問題と銀行証券の分離ということが二十三年法で出てくるわけで、その意味では二十二年と二十三年、わずか一年の間に新しく入った銀行証券の分離というこの思想が一つ大きな要素となってくると思うのですね。昭和二十三年にこの証取法六十五条の第二項ができた背景の中で、私はこの点非常に重要な点だと思うのです。  これから当時直接御関係のあった谷村参考人大月参考人にお伺いするのでありますが、あわせて二十七年に長銀法ができて、この中ではっきりと第六条で国債の取得ということが法律上書かれるわけでありますし、もう一つ昭和二十七年に国民貯蓄債券法というのが、これは一年しか実際には運用されなかったようでありますけれどもできて、これは取り扱い機関が郵便局と相銀、信金、証券会社、農協。郵便局は売りさばきと償還、買い上げ、割り増し金の支払いまでできるが、相銀以下は売りさばきのみという法律だったようであります。何でここで市中銀行は入ってこないかというと、市中銀行はこれに反対をされたということのようでありまして、いずれにしろ二十三年に証取法六十五条第二項が入り、その前の二十二年で改正された銀行証券の分離の思想がさらに鮮明になり、二十七年には国債の売買という文字を書く、つまり長銀法ではっきり明記する、それから国民貯蓄債券法でもやはり売買、売りさばきだけでも法律にはっきり書かなければいけないんだということがここで出てきていると私は思うのですね。  そういった意味で、六十五条の二項でディーリングまでできるんだというのは少し拡大解釈じゃないだろうか。特に私がそのことにいわば確信的なものを持ったのは、この六十五条の二項というのは、先輩に釈迦に説法でございますけれども、単なる都銀だけではないのですね。長銀はもちろん信託会社、相銀、信金、農協、保険会社、それから労金まで、この六十五条の二項でいうところの政令で定める金融機関に入っているわけで、じゃそこまで、労金や農協までディーリングがやれるということをわざわざ書くということは、これは本当にそのつもりで書いたとしたらちょっとあり得ないのではないかと思うのですね。  そういうことを考えていきますと、ここでいう六十五条の二項というのは、私はいわゆる商品有価証券の売買をいうのでなくて、いま行われておりますような投資有価証券の売買のみを扱っても構いませんという観念でこの六十五条の二項というのは書かれていると見ざるを得ないんじゃないかというふうに私いろいろ考えてみたのでありますが、その点は御両人いかがでございましょうか。
  12. 大月高

    大月参考人 ただいま証券取引法第六十五条二項の解釈についていろいろ御質問ございました。  一つは、このできたいきさつがどうかということでございます。  これは、私も証券取引審議会の委員としまして、証取審の場でもこの問題、そう具体的にどうこうということじゃございませんけれども、証取法及び証取法の二十二年、二十三年法、それからそれに引き続いて四十三年法がございます。そういうようなことに絡みまして、銀行法との関係をどういうように解釈したらいいのかということについて当局において十分話を詰めてほしいということをいろいろ議論いたしまして、それは答申にも明確にしてあるわけでございます。それは解釈がいろいろあるというほかに、いきさつも明確でないという点があるのが原因でございます。  私もその点、歴史的にいろいろ調べてみました。大蔵省が出しております「昭和財政史」にもいまの関係の記述がございますし、それから志村先生、アダムス氏の会談の記録も私読んでみましたし、自分でも当時銀行局におりましたので、そういう関係でいろいろ調べてみたわけでございますが、二十二年法と二十三年法の違いのポイントは、おうしゃるように六十五条にあると思います。  二十二年法を制定いたしましたときには、司令部の担当官がブレントリンガーという人でございまして、この方は必ずしも証券業務には精通してなかったようであります。それが二十二年法ができまして未試行の段階で担当者がアダムス氏にかわった。アダムス氏は、ある程度証券のことにも精通しておられた。そういうことで、アメリカのグラス・スティーガル法というさっきお話がございました、銀行証券業務を禁止しておるあの条文はどうしても必要なんだということで導入されたというように私は承知しております。それが日本側の働きかけがあったのか、あるいはどの程度そういう意見の調整があったのかということはつまびらかにいたしませんし、残念ながらアダムス氏の示したという原本がいまどこにも見つからない。これはちょっと妙なことだと思うのでございますけれども、見つからなくて、それを翻訳したと称せられるメモというものが他に残っているだけであります。それから法制局の当時の担当者も、当時はやはり司令部一辺倒ということでございましたから、どの程度実質的な審議をやられたかということもつまびらかにいたしません。それから当然関係のある当時の証券取引委員会銀行局との間でどのくらい折衝があったのかということもつまびらかにいたしませんし、多分そういう意味の突き詰めた議論は余りなかったのではなかろうか、これは私の推測でございます。  そういう意味でできた条文でございますが、あの精神を読んでみますと、六十五条はいま二項問題が非常にやかましく言われておりますが、実は一項問題だと私は考えております。ということは、先ほど先生お話しになりましたように、あそこでも銀行、信託会社その他政令で定める金融機関証券業務をやってはいけない、こう書いてあるわけでございます。やってはいけないというからには、あらゆる金融機関をあの政令で指定しなければ、指定から外れた金融機関はやってもいいということになるわけでございますから、政府当局としてはあらゆる金融機関を網羅する意味で、あそこに全部指定してある。そういう意味で、二項はその禁止を解除するだけでございますから、それなるがゆえに全部をそれじゃやってもいいというところにはすぐにはいかない。それじゃその第二項、禁止の解除でございますから、それは国債、地方債その他政府保証債というような公共債だけについては禁止の解除がしてある。では次に、その禁止の解除があれば、すぐやれるか、そういうことになると思うのでございます。  ところが私が考えますのに、アダムス氏のつくりました現在の証券取引法は、要するに銀行法に規定すべき事項と証券取引法に規定すべき事項とが観念的に混淆しておるのじゃあるまいか。というのは、第二条に証券業とはという規定がありますが、そこに書いてございますのは、金融機関以外の者が左に掲げる行為をなす営業というように、金融機関を外してあるわけでございます。そうしますと、いま言われておる金融機関証券の仕事をすることは証券業務であるのかどうかという基本的な問題がございまして、これはフリーの分野というように野放しにしてある。金融機関については野放しにしてあるというか、逆に申せば免許の制度もない、免許することもできない、こういうことになっておるのだと思います。証券業をやろうとする人は免許を受けろというふうになっておりますから、それが外れておるということは免許もできないということになるんじゃないか。そういう意味で、そこらのところの調整がどういうような気持ちで立法されておるのかということは明確でない。  次に、銀行法の問題が絡んでくると思いますが、銀行法は先ほどお話がございましたように、じゃ、できるとすれば一体どこで読むのかという問題になります。銀行当局及び金融界では、これは付随業務として読めるということに主張しておられますが、この点については谷村参考人が非常に歴史的に詳しく御研究になっておられますので、お答えはむしろそちらの方からがいいかと思います。  結論的に申しますと、私は付随業務と読むのは無理だと考えております。というのは、銀行法そのものの精神が極端な専業主義をとっておりまして、はっきりこういうことはやってもいいということ以外のものはやらないという精神でございますが、証券業自体が一つの大きな分野をなしておるそのものを単に付随業務として読むということになりますと、ほかにもいろいろ読まなければいかぬ問題がある。むしろどんどん拡張解釈が行われる可能性があると思うわけでありまして、銀行法に書いております付随業務というのは、本当に付随しておるもの以外ではないというふうに私は考えます。  いろいろいきさつはございますし、また議論のあるところだと思いますけれども。そちらでいろいろな他業的なものを禁止しておるという精神と、先ほどの証券取引法の解釈と両方読み合わせますと、現状においてすぐできるかということは疑問だ。ただ、いま皆さんの御検討の対象になっております事項は立法問題でございますので、それはいまのような精神は精神でございますから、その精神を踏まえて疑問のないきれいな体系を皆さん御相談になっておつくりになるというのが最善であろうと考えております。
  13. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 あわせて、銀行法第五条の問題について、いま大月参考人からお話がございましたが、ちょっと谷村参考人にお伺いしておきたいのでございますけれども、どうもあの当時の、昭和二年に銀行法ができた帝国議会の審議の中身を読んでみますと、簡単に言えば、あそこで言っている国債の売買というのは、いわばいま流に誓えば投資有価証券の売買という意味であって、それ以上の商品有価証券の売買まで言っているんじゃないんだというふうに帝国議会の議事録というのは読めるんじゃないんだろうか。その基本にふるのは、基本と申しますか、状況のもとにあるのは、実は銀行証券分離というのは二十三年の証取法六十五条から発するんじゃなくて、歴史は銀行法昭和二年よりももっと古くその精神というのはあったわけですね。  もう釈迦に説法ですが、日興証券日本興業銀行から分かれたのは大正九年ですし、野村証券が大阪野村銀行から分かれたのが大正十四年、いまの山一証券、前の小池証券でありますが、これが小池銀行から分かれたのが昭和五年、大和証券昭和七年に藤本ビルブローカー銀行から分かれているわけですね。ですから、すでに昭和二年にできた銀行法改正のときから、状況としては金融恐慌もございましたので、銀行証券分離という思想は精神的に脈々とやはり流れていた。  銀行法第五条付随業務を読むときに、あるいは銀行局長の通牒第二千四百五十四号という中に書かれている有価証券の売買というものを読むときには、これはあくまで商品有価証券ではなくて投資有価証券だと読むべきではないだろうか、周りの状況からいってもやはりそう判断すべきではないんだろうかというふうに思うのでございますが、その点はいかがでございましょうか。
  14. 谷村裕

    谷村参考人 ただいまの御質問と、それから先ほど大月参考人が答えられました御質問についての私としての若干の補足と、二点について申し上げたいと思います。  まず、ただいまの御質問でありますが、昭和二年当時は銀行というのが一番大きな存在でありまして、証券業と称するようなものとか、あるいは公社債売買業と称するような業者というものはそれこそほとんどなかったと言ってよろしいかと思います。  そういう時点におきまして、なおかつ当時昭和二年、銀行法制定に当たりましていろいろ準備をいたしておりました段階では、初め公社債売買業務を兼営できるというような案もあったようでありますけれども、それを案から落として、公社債売買業というのは銀行としては他業として兼営できない、こういうことを立案の過程にも明らかにいたしておりますし、またいま御指摘のように、銀行法による銀行が売買をするという問題について考える限り、きわめて少数の例外を除いてはというふうなことを言って、お客から頼まれて取り次ぐこともあろうがなどとは言っておりますが、いわゆる資金の運用としての売買ということがあります。こういうことを申しておるのが私が調べた限り、当時の帝国議会の議事録に出ていることでありまして、そうして御指摘の銀行局長通牒の付随業務としてなし得るということの中に、保護預かり、代金の取り立て等々と並んで有価証券の売買というのが入っておりますけれども、これはいまお触れになったように、よく読んでみますと、やはり帝国議会での問答を受けて、運用としての証券の売買である。そうでなければ、たとえば株式なども有価証券でございますから入ってまいりますが、銀行は当然株式の売買も運用としてならできるわけでございます。それを指して言っているようだと思います。  そこで、実は現在では解釈が変わっておりまして、運用としての投資有価証券の売買というのは付随業務ではなくて、コールをとったりコールに出したりするのと同じような資金運用としての一つの、そのときそのときにおける銀行の事実行為であるという解釈にいま銀行法上はなっておりますけれども、当時の銀行局の国会  当時は帝国議会でありますが、答弁では、そういう事実行為としての、運用としての売買も付随業務であると考えておったような節があってああいう通牒になったのではないか。これは私がそう考えている点でございます。  いずれにいたしましても、佐藤委員は問題をいわゆる引き受けとか募集の取り扱いとかいう問題と、ディーリング、売買、特に不特定多数の人を相手にしてちょうど証券会社がやっていると同じような意味での売買をやることと二つに分けて御質問になっておられますから、まず売買の方だけについて言えば、銀行法の解釈として、商品有価証券として証券業者がやるような売買ということは、銀行のみならず他の金融機関法のどこにも現在規定されておりませんし、また精神からいってもそれは考えていないことだと私は思っております。  しかし、第一の先ほど大月参考人が答えました問題について若干私として補足いたしますと、確かに一般的に六十五条一項によって禁止の網をかぶせ、そして六十五条二項によってその禁止を公共債等について解いているわけでございますが、解くからには多少何がしかのことがそういった金融機関についてできるのかもしれないという気持ち、考え方があったと言われても無理もないと思います。それだからこそ当時の日本側は、やはりそれだけはいいことにしておいてもらわないと困るということも言ったと思いますし、またアメリカでもそういうふうになっているの、だからということを言ったかもしれません。  私が調べましたところによれば、二十七年に貯蓄債券を売り出しましたときに、その売り出しは特別に、そのときの法律によりまして相互銀行等については他の法令にかかわらず売りさばき業務をなすことができるというふうに規定いたしたわけでありますから、相互銀行等については本来はできないが、他の法令にかかわらずこれはできる、こう売りさばきのあれを設けたと思います。  銀行は、そのときには余り賛成しないという立場でありましたから実行はいたしませんでしたが、それでは銀行はどうだったかといいますと、法律上は銀行法には規定がございませんが、銀行昭和十八年の兼営法によって兼営しております。貯蓄銀行法国債の募集の取り扱いということが業務として認められております。その貯蓄銀行法上の業務銀行は当時兼営いたすことができておりましたから、たとえば六十五条二項で例外だと言われておりますのも、制度的に見ますと、国債の募集の取り扱いという今日は証券業務になっておりますものは、当時といえども銀行に許されていた法律上のものであったということも言えるのでありまして、全く例外がないというわけではない。  それからまた、募集の取り扱いだけでなくて、問題が引き受けということになりますと、私は佐藤委員のおっしゃったとおり売買というものについては問題があると思いますけれども、引き受けということになりますと、どうも当時まだ非常に漠然としておりました。それで銀行法をつくりましたときにも、法律上の定義がそこではっきりいたしませんが、引き受けというようなことが、特に社債については銀行等についてはあったわけでございますし、それは根拠は銀行法にはないにしても、あるいは商法じゃなかろうかと言われたり、当時ありました担保附社債信託法に基づいてそれを兼営するという形において銀行ができるといったような意味でのことがありましたから、社債についてできるのなら、あるいは公共債のうちでも政府関係機関についてもできる、地方債についてもできる、国債についてもできるというふうな考え方がなかったわけでもないと思います。そういうような意味で、引き受けとか売りさばきとかいう点については、六十五条二項をつくったときに、あるいはという解釈があったかもしれないと思いますが、御指摘のように売買ということについて言いますと、どうもそれほどできるというはっきりした観念はむしろなかった、またあったらおかしいんじゃないかというふうに私は思っておるわけでございます。  その他いろいろグラス・スティーガル法との関係とか御指摘がございましたが、長くなりますから、この辺でひとつ私としての答弁を申し上げます。
  15. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 ありがとうございます。  私のお伺いしているのは、むしろ当時の銀行局のOBとして、お二人ともそうでございますし、あるいは金融制度あるいは証取審の委員として学識経験者という形でお伺いをしているわけでございますけれども、いま谷村参考人お答えがございましたのの具体的な一つのあらわれというのが長期信用銀行法だと思うのですね。ここの第六条で言う業務の中に書かれている国債の引き受け、これはあくまで一つは引き受けというのを明文化しているということですね。したがって、本業としてこれは明文化しているわけでございますので、これをもって実は銀行もできるんだということには逆にならないだろう。二十三年、二十七年というわずか四年間の間、そのころの流れている精神というのはやはり明文化しなければそれ以上のことはできないんだという思想が流れていたんじゃないかと思うのです。この長銀法を読むと、引き受けまでは長銀についてはいいですよ、しかし売買、ディーリングまではこれでは読み切らぬというふうに私は思うのですが、いかがでございましょうか。
  16. 大月高

    大月参考人 ただいまの長期信用銀行法は、私、立案者でございますので、あるいはいまの御質問に比較的正確にお答えできるんじゃないかと思います。  実はその条文につきましては国会修正まではまいりませんでしたけれども大蔵委員会の御意向がありまして、私どものつくりました原案が修正されたといういきさつがございます。私どもが立案いたしましたときには、実は現在の長期信用銀行法の仕事をもう少し広い、どちらかといいますと性格的にももう少し違った投資銀行的なものにしようという感覚があったわけでございまして、そういう意味におきましてただいま証券業務として言われております社債の引き受け及び募集その他もやれるように、つまり金融界における長期金融証券界における長期金融の事業的直接金融、そういう問題の接点に立って両方の調整役をやらした方がいいんじゃなかろうかという感覚で立案したわけでございますが、党の方でも御了承を得まして、正式の法案として出すところへまいりましたら、やはり証券界の方の反対が非常に強うございまして、それまで長期信用銀行にやらすのは行き過ぎだということがございまして、事業債その他の面はそれをカットした、しかし公共債の方は六十五条の、解釈は別といたしまして精神もございますので残した、こういういきさつでございます。  したがいまして、長期信用銀行法で仮にできるからといって銀行法で認めるという精神ではないわけでございます。長期信用銀行という特別の性格を持った銀行に積極的にやらしたい、こういう感覚から出た発想でございますから、長期信用銀行法銀行法というふうに解釈するわけにいかないだろう、あれは特別法とわれわれは考えておるわけでございます。
  17. 谷村裕

    谷村参考人 大月参考人は立法に参画しておられますから当然そのように考えておられますし、私も大月参考人のすぐ次の後任者として仕事をした関係もございますし、さように考えておりますが、ここで補足させていただきますならば、銀行法による銀行本業というのは、為替取引を行うことというのを別にいたしますと、預金の受け入れと貸し付けまたは手形割引をあわせ行うことということでございます。そういう性格の銀行法による銀行というもの、したがって世間では、ときには社債を新発債を引き受けることもあるいは国債を買うことも、たとえ市中で買おうと新発で引き受けようと、金を貸すという相対の話であろうが投資有価証券として買うのであろうが、とにかく金を貸すとか与信行為というのと同じじゃないか、こういうような意見もあるようで、金融制度調査会の答申などを読んでみますと、資金の融通というようなことでそれをひっくくっているようなところもございますけれども、私は本質的に銀行のそういった証券類に対する運用は本業としての貸し付けまたは手形割引と違うというふうに考えておりまして、それが銀行としては非常に大事なポイントではなかろうかというふうに思っております。  なぜそんなことを申すかといいますと、長期信用銀行というのは、いま大月参考人が申しましたように長期資金を直接企業に対して提供する、あるいは場合によれば社債も引き取る、ただし売り出しの目的ではやらないというようにいまの法律では修正されてなっておりますけれども、そういう形の資金供給の仕方をするものだ、こういう考え方で、長期信用銀行銀行というものとの業態あるいは本質と申しますか、そこに差があると私も考えておりますがゆえに、長期信用銀行法においてそういう考え方があるから、したがって銀行法においてもそう考えるべきだ、あるいは将来の立法のときにもそういう考え方を入れてもいいのだというふうなことにはならない。これは私の考え方でございます。
  18. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 銀行側バンクディーリングができるという法的解釈、そして現実に生きているもの、というのはこの前松沢参考人も言われたのでありますが、国債の「募集取扱および引受契約」、「第一条 乙は、政府が次の各号により発行する本国債につき共同して募集を取扱い応募額が発行総額に達しない場合にはその残額を引き受け、」何月何日に「その払込金総額を甲に払い込む。」という銀行証券でつくった証書があるわけですね。この中に、たとえばこれは第三十一回の「募集取扱に関する引受団覚書」でありますけれども、「昭和五十五年十月より昭和五十五年十二月までの間に発行される利付国庫債券(十年)(第三十一回)の募集取扱に関しては、証券団を除く各員はこれを行なわないものとする。」ということになっていて、要するに「証券団を除く各員」、つまり銀行側はこれを行わないのであって、この覚書さえなければ行っても構わないのだということなんですね。ところが、これは募集取り扱いということでございますから、募集取り扱いというのは一体どこまでのことを募集取り扱いというのだろうか。いままでのお話をずっと総合してみると、要するに引き受け、売りさばき、ここまではまさに募集の範囲内なんじゃないだろうか。その先の返ってきた玉を仲介する、ディーリングまではこの募集取り扱いという範囲内に入らないのじゃないだろうかと思うのです。結ばれている各員がどういうふうに思っているかはわからないのでありますけれども、前後左右のいままでの法律解釈等々からいきますと、銀行が引き受け募集、その範囲内までは扱える。そうしたら、いま谷村参考人が言われましたように、これは長銀法だけに限ったものという解釈もあろうかと思いますけれども、この問題になっております「引受団覚書」に言う募集取り扱いというのは、専門家から見ますと、御本人たちがどういうふうに解釈して結んでいるかは別といたしましても、これはどういう解釈——つまり自分たちが自体をしなければディーリングまでできるという性格のものなのか、その点はどういうふうに解釈するのが正しいのでございましょうか。
  19. 大月高

    大月参考人 ただいまの国債の引き受け募集の関係は、協定と覚書と二本立てになっておるかと思います。協定は、申し上げましたような最後の需要者に接触するところまでできるということになっておって、覚書の方で、金融筋ではそれはやらない、こういうことになっておるわけでございますが、少なくとも御質問にございましたようなディトリングの問題はその中に全然入っておらないわけでございます。いま金融界証券界の方でその協定及び覚書をめぐって議論されておることは、いわゆる引き受けから募集の取り扱い、新発債をどういう窓口でさばいていくかということについて、一体金融界がやってもいいのかどうか、法律的に許されておるのかどうかという議論だというふうに私は承知しております。  そういう意味で、その解釈について金融界証券界の方で相対立する解釈があるわけでございますが、いろいろ先ほども申し上げましたような法律上の疑義がございますし、当時金融界の中に、自分たちは窓口のところまで出ていっていいのかどうかという点についてそう足並みもそろっておらなかったという具体的なこともあり、それから証券界の空気もあったと思いますから、そういうもののコンセンサスによっていまの覚書のところにとまっておる。それが法律的にも疑義のない範囲にとまっておるというように私は考えております。
  20. 谷村裕

    谷村参考人 いまの御質問に対して私としての意見を申し上げますと、いわゆるディーリングの問題について、あの日本銀行とシ団との間の契約及び販売自粛契約というものが、ディーリングすなわち既発債の売買の問題について何か根拠になったり、議論の的になったりしているとは思いません。ディーリングの問題は、また別個に、銀行は本来ディーリングもできるはずだというふうな根拠らしいものに基づいて言われていると思います。  しからば御指摘の日本銀行とシ団との間の募集の取り扱い及び残額引き受けの契約といういわゆるアンダーライティング契約と、それからシ団内部で証券団しか売らない、ほかのものは売りさばきは行わないのだというふうに自粛していると言われているあの覚書、これはどういうふうに見るかということでございますが、いま佐藤委員が御指摘のように、構成メンバーによっていろいろなこれについての考え方を持っていると思います。証券団の方は当然アンダーライティング契約だと思っておりますし、それから保険会社や信用金庫はたまたまメンバーとして入れてもらったのだけれども、本来いわゆるアンダーライティングができるとは思っていなくて、俗に言う応募引き受けができるという意味におけるものだと思っていたと思います。したがって、日銀との間の契約それ自身は、たまたまシ団の代表として都市銀行の方が名を連ねておられますけれども、中身として見れば、とにかく日本銀行がお出しになるものを一括そっくりシ団としては応募という形において、あるいはまた証券団として見れば一生懸命売りさばくという形において全体としてシ団がお受けします。こういうことになっておるものだと思いますし、その中で、たとえば販売を自粛していると言われるものが自粛だと思っている人もいれば、本来できないことはできないと思っている人、保険会社なんかそうでしょうが、いるのでありまして、その問題をどう考えるかということについて見ますならば、いま大月参考人が最後にいみじくも言われたように、全体としてああいう形にしておいたので一応問題のないかっこうにしているということではなかろうか、かように私も考えております。
  21. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 以上、当時直接御関係なさった方々やあるいは銀行局のOBとして、制度論あるいは法律論を含めてお伺いしたわけでございますけれども、私、この問題をずっとやっておりますと、昭和二年の状況銀行法がどうだったか、付随業務がどうだったか、あるいは二十三年の証取法がどういう状況でつくられたか、その前後がどうだったかという状況を研究するのも非常に重要でございますけれども、しかし、結論は、銀行側が言うように証取法六十五条の二項及び銀行法第五条で銀行バンクディーリングまで付随業務としてできるのだということはどうも無理なように思うのであります。もちろん、いやできるんだという御主張をなさる学者あるいは大学教授の方もいらっしゃいますけれども、いずれにしろ単なる過去の法律の解釈や精神だけでこの問題を律することは将来を誤るのじゃないだろうか。したがって大月参考人が言われましたように、六十五条第一項の基本的な精神及び第二項、そして銀行法第五条の継ぎ合わせだけで銀行側もこの問題をあたかも既得権であるがごとく考えて、そして証券界銀行界がぶつかり合うやり方ではこの問題の解決ができないというよりも、そういう観点で物を考えるべきじゃないのじゃないだろうか。大月参考人が先ほどのお話の中でいみじくも言われましたように、法律改正でございますから、日本の直接金融間接金融、このあり方を将来どうすべきかという観点に立って、片方が本業でやっているものに銀行が何らかの形で入っていくことが国民経済的にプラスになるのかマイナスなのか、こういう将来の金融構造のあり方を含めて考えるのが私たち立法府としての考え方の基本ではないかというふうに立ち至ったわけでございますが、その点について、最後にお三方の御意見を簡単で結構でございますがお聞かせいただきまして、私の質問を終わらしていただきたいと思います。
  22. 北裏喜一郎

    北裏参考人 先生の御質問の中でまず一番はっきりしたことは、実は先般松沢さんの個人的なお話がございましたが、シンジケート契約並びに覚書は、当時の富士銀行の副頭取である松沢さんと野村証券の副社長である私がつくったものでありますが、一番はっきりしておるわけであります。  その当時も実はいまのような議論がございましたけれども、本来分けるべきであるかもしれぬが、当時としては国債を初めて発行するのでやむを得ないということでつくったのでありまして、その後の昭和四十年の証券取引審議会の意見書に、こうはっきり書いております。  具体的に申し上げますと、引き受けシンジケート団は、募集引き受けを行うアンダーライターによって本来構成されるべきであると思う。現在においては応募引き受け  応募引き受けというのは、残額を含めて引き受けてもらって、一方不特定多数に売るということでございますが、応募引き受け者の参加もやむを得ないと思われるが、今後においては逐次本来のあり方に沿うように配慮すべきである、本来のアンダーライターがやるべきであるということを書いております。四十年当時としては、実はこれははっきりさせるべきだが、いまはやむを得ないということでこういうことにしたのであります。そのために、御承知のとおり現在のシンジケート団にはむろん銀行が入っておりますが、生命保険、損害保険、信用金庫、農林中金などその他入っているわけでありまして、この問題は法律論の前に、実はやむを得ず四十年当時そうした。本来は、今日でもわれわれはできるのだから、募集引き受けということはわれわれだけでやるべきだということを日銀に対しましても数十年来言うているわけでありますけれども、現状としては変わっておりません。まだ変わっておりませんが、実は現在はシンジケート契約には、われわれ、銀行並びに生命保険、損害保険、信用金庫、農林中金、全部入っているわけでございます。そういう事情でございまして、そのときの証取審が、ただいま申しましたように本来はそうであるべきではないと御答弁なさっておることを承知しております。  現在はそのようになっておりません。四十一年のままになっておりまして、現在の覚書の契約書を読み上げますと、「発行される利付国庫債券(十年)(第二十九回)」「以上の証として本覚書一通を作成し、各員の代表者がこれに記名押印の上」現在の主管者が、今日で言えば三菱銀行でございますけれども、「保有する。」こう書いてありますが、その中に「募集取扱に関しては、証券団を除く各員はこれを行なわないものとする。」とはっきり書いてあります。これが覚書の言葉であります。  以上でございます。
  23. 大月高

    大月参考人 いままで私が申し上げました問題は解釈論でございますので、いろいろ問題が残っておるということが結論だと思います。したがいまして、新立法に際してはいままであいまいになっている解釈論を全部吹っ切れるように明確に立法されることが望ましい。それではどういうスタンスでこれを割り切るかという問題でございますが、これは私の全くの私見でございますので、証取審の意見とは関係ございませんのであらかじめお断り申し上げます。  私は、銀行がいわゆるユニバーサルバンキング、証券銀行もやる方がいいのか、あるいはユニットバンキング、銀行業に専念した方がいいのかという問題、それから銀行の中でもうあらゆる金融業務を一括してやった方がいいのか、いまの日本のように長期信用銀行あるいは外国為替銀行、その他中小企業関係の銀行というように分離してやるのがいいのかということにつきましては、世界的に二つの流れがございますけれども、現在の日本制度の方がすぐれておるんじゃないかというように考えております。それは、いろいろ広い意味金融市場での役割りを持っておる金融機関が数グループございまして、その数グループがそれぞれ独立した姿において総合的な弾力性と総合性を持つというのがやはり金融という金の流れを扱う機関として適当であって、一つのところに集約してしまうことにはむしろ弊害があるんじゃないか。したがいまして、そういう感覚でまいりますと、現在の日本でとっております大筋は厳格に守った方がいい。  特に、金融法規をなぜ立法で規制するかという基本的な問題を考えてみますと、結局、預金者を持っておるということの一点に尽きるわけでございます。ほかの、たとえば商社とか製鉄会社考えてみましても、別に商社法もございませんし、製鉄法もございません。しかし世界的によく雄飛しておる。しかし、そういう会社が仮に傾きましても、過去に例がございましたように、それは専門的な金融機関が金を貸して損をするわけですから、別に一般大衆には影響がない。しかし、預金銀行的な性格を持っておるものが事を起こしますと、庶民に害を与えるほか、金融秩序に混乱を起こす。こういうことでございますので、そういうことがないように、預金を取る金融機関については厳重に健全金融というものを守るためにあらゆる規制がしてある。現在の銀行法につきましても、各条文ございますけれども、全部その精神に貫かれておるわけでございまして、免許制とか店舗の認可、検査、特に業務については兼業を許さない専業主義、それから役員についても専業、もっぱら健全金融銀行業務に専念しろというのがあらゆる条文に含まれておる精神でございますから、その精神を守るという意味からいきましても、証券業を兼業するということは適当でない。特に、危険のある業務ということと、金融力を使って証券業務をやることによる弊害、それは過去のアメリカにおける例がそうでございますが、あれだけのインフレを起こし後でデフレを起こしたのは、金融界証券業をやって、その他の株の引き受け、社債の引き受け、そういうものを通じてああいう大恐慌を引き起こしたという歴史的教訓によるものでございます。私は具体的に考えてみましても、昭和四十年の日本証券恐慌がございますが、あの場合に仮に兼業を許しておったならば、あれだけスムーズに収拾されなかったのじゃあるまいか、銀行もあの騒ぎに巻き込まれてしまって、救済者としての立場が守れなかったのじゃないかというように考えます。  それから、銀行法ができました昭和二年も、やはり恐慌の直後につくられたものでありまして、その恐慌の教訓からああいう厳重な法律ができておるわけでございます。それもやはり一つの歴史の教訓であろう。  それから世界的な教訓としましては、あの世界的な恐慌の中でいろいろな金融業の混乱を起こしたルートは、やはりユニバーサルバンキングをとっておった国でございます。オーストリアのクレディタンシュタルトという銀行から発端をいたしましたのがドイツに響き、それからアメリカに響いていった。それはいずれもユニバーサルバンキングの国でございまして、あのときの限界に立っておったのがイギリス、いわゆる商業銀行主義をとっておる国でございます。それからフランスあたりはむしろ被害が少なかったという歴史もございます。  それでは、ドイツあたりで最近議論がありまして、いままでどおりやっていこうじゃないかと言っておるのは、金融の機構というのは歴史的に積み上げられておるものであって、いままでやっておってそれを急激に変更するというのは、またなかなかほかの面の逆の弊害もある。それから、制度でございますから、プラスがあればマイナスもあるということでございます。そういうことをいろいろ私は考えますと、やはり従来の精神を厳守する。それじゃいま問題になっておる公共債はどうするかという問題は、そこは質の違うものであろう。つまり、銀行企業支配するとか、あるいは非常に危険であるとかいう要素がございませんから、当然私はやらしていいんじゃないか。ただ、やるにつきましては、本業との関係が一つと、それから証券業界に対するインパクトの問題がありますから、本業をおろそかにして証券界にのめり込むということはないような十分な規制、これは銀行法で規制すべきことだと思います。本業に支障がない範囲であるとか、あるいはその量としては何十%以内にするとか、いろいろこれは技術的な問題でございますが、要するにわき役としてやるのだという精神ははっきりしなくちゃいかぬ。それから証券界との関係では、監督行政は一本化して、証券をやる限りにおいてはやはり証券の中で公平にやる、そういう思想をその中に盛り込む必要があるのではないかと思います。そういう意味で、私は、証券取引法自体もいまのように金融界は野放しであるという思想ではなくて、全部金融界も含めて免許制度にして、そこで金融界銀行からも証券からも両方の面から見て認めていい分野、認めていい機関を限定いたしましてやらしていく、こういうことが、将来の姿としては分離主義を保ちながらこの問題を解決していく正しい方向ではなかろうかと考えております。
  24. 谷村裕

    谷村参考人 ただいまの御質問の点についてはおおむね大月参考人と基本的な考え方は同じでありますが、若干補足いたします。  佐藤委員おっしゃいましたとおり、私は、現在の解釈を踏まえます限り、すでに既得権であるからちょっと銀行法にこの際入れておけば、はっきりさせておけばいいのだろうという程度の問題ではない、新たな立法問題であるというふうに考えております。  その場合、一般に銀行証券業務というふうな物の言い方が使われておりますけれども、とかく業務という言葉は、何でもビジネスは業務という言葉で言っておりますために、コンピューター業務でありますとかあるいは営繕業務でありますとか、何でもかんでも業務にしてしまいますが、法律銀行業務という場合には、御承知のような意味における不特定多数の者を相手として反復継続してある業務を行うようなことを言うわけでありますから、ここで言う証券業務は、まさに現在証取法二条八項が列挙しております各号に入るものが証券業務でありまして、そういう意味で言えば、本来の銀行業務から言えば他業であると私は考えております。銀行が本来当然何らかの形でできるというものではない。その点は長期信用銀行法とも違って考えるべきだと私は考えております。  その場合、先ほど御指摘ありましたように、五十年に一度でありますか何年に一度でありますか、この際大きな意味での金融法規の改正でございます。この問題の発展してまいりましたいきさつが、たまたま大量発行国債を引き受けさせられて非常に苦境に立っておりました、そういう立場から、それが売れないものか、あるいはさらに一歩進んでいくと、どうせまた売ったり買ったりしなければならぬ、いやこの際いっそいわゆるバンクディーリング、これは英語を使っておりますからどういうことだかわかりませんが、とにかく証券会社と同じように、四社と同じように公社債市場にみずから乗り出していく、供給者、需要者としてではなしに、ある方は、ちゃんと証券取引所の会員になってやるのだとおっしゃった方もありますけれども、そういう証券会社、野村証券なら野村証券みたいなこともやるのだという話にまでなってしまったのですけれども、私は、銀行法の姿を考えるときに、たまたま国債大量発行というわれわれとしては本来望ましくない姿があることを前提としたような議論のもとに進められることに、大蔵省の先輩として非常に不満を覚えておりますということをつけ加えたいのが一点。  それから第二点としては、私はわきにおりますから何も申すあれはありませんけれども、仮に他業であるという考え方をとっていただくとするならば、いまの銀行というものは、御承知のように信託も兼営いたしております。世の中では信託銀行と言っておりまして別の銀行があるように思っておりますけれども、そうではなくて、あれは銀行が信託兼営法によって信託を兼営しております。しかもれっきとして信託業法は現存し、信託業法による信託業務を行うものとしては信託会社があるという業法がちゃんと残っております。しかし、実態は銀行が数行兼営しているという姿であります。  あるいはまた、こういうことで、信託業務のほかに銀行がやっておりますものに登録業務というのがございます。社債等登録法というのがございまして、社債を登録する仕事をある銀行は行えることになっております。これも、銀行法のどこにもそんな規定はございません。銀行法を目をさらのようにして見ましても、登録業務ができるということは書いてございません。これは他業として、社債等登録法の規定によってたまたまある種の銀行がしているということでございます。  それから、御承知の担保附社債信託法というものによりまして受託業務銀行はやっております。これも担保附社債信託法によって銀行が兼営をしているのだという姿で、法律法律で別途あります。業法もございます。ただし銀行法は、当時昭和二年につくりましたときには法律がありましたから、それを引っ張ってきまして、それと付随業務のほかは他業はいけないよ、こうしております。しかし、その後、信託なりあるいは社債等登録法なりというもので銀行の仕事というものをきちっとしております。  そういう意味で、証券取引法ができ、証券業務というものが確立され、そしてそれをやるのが——さっき大月参考人が言いましたように、ちょっとその辺の法律構成がおかしくなっておりますけれども、少なくとも証券会社というものが免許営業として昭和四十三年以降現存しておる。そして免許営業という特権的な立場に立つものはそれぞれのフィールドを持ってやっていこう、これが日本の行政の基本であると私は思いますが、そういうときにその銀行法改正に、しかもこの際、国債大量発行ということを前提としたような議論のもとに公共債問題だけを取り上げる。そのときに一体銀行法にどうするかという問題なのか、あるいはむしろ、いま大月参考人も言われましたが、証取法との関係で、他業としての証取法の問題との関連において考える問題なのか、こういったことも、まあ私は、ここまでいってしまうと、もう結構です。どうぞそういうふうにお進めくださいということになってしまいますから、もっぱら論理的な話としてだけ申し上げておきますが、そういうことも、やはり私は、仮に五十年に一度か何か知りませんが、立法という大事な問題を考えられるときには、全体として銀行の姿あるいは金融機関の姿、そしてまた証券業務、証券取引法の姿、そういうものを考えていただきたいということを大蔵のOBの一人として願っているところでございます。
  25. 佐藤観樹

    佐藤(観)小委員 お三方、大変貴重な御意見をありがとうございました。これで終わります。
  26. 山崎武三郎

    ○山崎小委員長 柴田弘君。
  27. 柴田弘

    ○柴田小委員 きょうは参考人の皆様方には大変お忙しいところをどうも御苦労さまでございます。  いまいろいろと銀行窓販の問題あるいはディーリングの問題、法律論から、微に入り細に入り議論があったところでございますが、私は、銀行窓口販売あるいはディーリングの問題は、ただ単に銀行証券とが、世上言われておりますところのいわゆる思想的な論争、まあかきね論争といった問題で片づけるのではなくて、先ほど来お話がありましたように、銀行証券がどう互いの業務の中でわが国の今後の経済の発展あるいは国民生活を守るかという立場からその位置づけについて考えていかなければならないというふうに実は私は考えるわけであります。  そこで、この問題についていろいろとお尋ねをしたいと思っておりましたが、いま大半きてしまいましたので、私はこの際、大月参考人からいま御答弁をいただきましたが、銀行にやらしてもいいんじゃないか、このような御発言があったわけであります。もしそういった形になりますと、一体、証券界はどうなるのだ。これはマスコミ等の報道によりますれば、銀行窓販ディーリングの問題は証券業界にとっては死活問題であるというふうにも報道されておるわけでありますが、この辺につきまして、何か積算されているものがあるかどうか、ひとつ具体的にお示しをいただければと思います。
  28. 北裏喜一郎

    北裏参考人 いまの先生の御質問にお答えいたします。  主として実際面からの話に終始すると思いますが、証券界にどういう影響があるかという問題であります。これは言葉ではそう言いますけれども、具体的におまえはどう思うかと言われるとなかなかはかり知れない、死活問題であるというようなことのようであります。これも余り正確とも言えませんが、どの程度影響があるのかということをわれわれ第一線その他いろいろの面で研究してみたのです。そうすると、答えは募集面、大衆に売る場合、国債で約七割、それからディーリングの面では五割縮減するだろう、こういうことを申す人もありました。第一線が皆そう言っておりますけれども、果たして七割であるかあるいは五割ディーリングが縮減するか、それは実は正確には申し上げられないと思います。そういう答えが返ってきたということを私は死活問題あるいは非常に重要な問題であるというように表現しておるわけですが、その具体的な数字につきましては、皆さんに正確に御認識いただけるということは必ずしも言えないと思います。しかし、それほどの影響があるということの一つの形容詞になると思います。そういう意味で私自身としては大きな重要な問題であり、証券業として、企業としても死活問題的な相当重要な岐路に立っておる、こういう認識でございます。  先ほど来の直接金融間接金融の両輪論と離れまして、そういうことを別にいたしまして仮に各企業別にしましても、いまのような影響があると思います。そういう意味で、今度の銀行法改正の中に盛ることを非常に反対している理由は実はそこがポイントでございまして、それを私どもはもっと別——ちょっと先生の御質問から外れるかもしれませんが、無論そのことだけを言うと、あるいはかきね論争に終始するという御意見があるか、そういう懸念があるかと思いますので申しますと、銀行法というものは都市銀行と地方銀行だけの法律であると言われますけれども、私の理解では金融関係法規の中核的な法律であると思うのであります。  そうしますと、法律をつくる場合に、いまのような証券業に相当重要な影響があり、死活問題になるというほどの問題を法律的に書くことにつきましては、現在やるやらぬにかかわらず、あるいは現在証券業はよくやっているということを申しましたが、そういうことにかかわらず、将来にわたって大きな金融制度の中でどちらがいいか、直接金融がいいか、あるいは長期的に同質的に両方やるのがいいかという問題と相関連する。来年度国会で、立法府において取り上げられるというならば、現在のものは無論でありますけれども、別の機関で長期的な日本金融市場あるいは金融構造というものをもう少し議論する場があってもいいじゃないか。たまたま私は審議会という言葉を使っておりますけれども、そういう日本の将来を画する金融立法の中心としてここで議論したらいいじゃないか、これが私がいま主張している審議会という議論でございます。  以上でございます。
  29. 柴田弘

    ○柴田小委員 重ねて北裏参考人にお伺いしたいわけでありますが、いま何か総合的な審議機関をつくって云々と、こういうお話がありました。この点につきましては、参考人が「八〇年代の証券銀行」ということで金融財政事情という雑誌の中でこのようにおっしゃっております。「ところが、現実の姿としては、金融制度に関しては金融制度調査会で銀行局を中心として検討を進めており、証券の関係では証券局を中心として証券取引審議会で、郵便貯金に関しては郵政審議会で、というように資金源は同じ個人金融資産から出ているものについて、それぞれが異なる場において審議されている。いうなれば、官と民とが、銀行証券とが、国民経済全体像のなかで今後どのような位置を占めるべきかといった観点からの整合的な議論がなされていないのではなかろうか。」こうおっしゃっております。さらに続けて「私は、これら各種審議会を包摂したような新しい場を設けて、「八〇年代の金融システムのあり方」について徹底的に議論を尽くしていくべきだと思う。」こういうふうにおっしゃっておるわけであります。  私も、先般実はこの金融小委員会におきまして、金融制度調査会の会長あるいは各金融機関の代表の方にたとえばいまの郵貯のシフトの問題について、片方は金融制度調査会、片や郵政審議会、こういう一つの金利体系の二元論というものもあるし、現在郵貯が個人預金に占めるシェアが三〇%、こういった状態の中でやはりもう一歩高い次元の上に立ってこういった金融制度のあり方というものを論ずるべきじゃないか、こういった質問に対して非常に共鳴を得たわけでありますが、そういったことで、私は、銀行、そして証券、この窓販ディーリングの問題に関してわが国日本経済の今後あるいは国民のニーズ、国民生活を守るということから総合的に論議を尽くして  一つの結論を得た方がいいじゃないか、このような実は考え方も持っておるわけでありますが、たまたまこういったことを公表なされておるわけでありますが、こういった点についてより一歩具体的に、ただ一つの提言ということでなくて、参考人としてはどうこの点について対応されていかれるかということをひとつお伺いをしておきたいし、それから、この問題につきまして私も大蔵当局といろいろ話をしたわけでありますが、実はこのディーリング等の問題については、すでに証券取引審議会、そして金融制度調査会、こういった中で一つの答申が出ておる、こういったものをまた新しく別のものをつくるということについてはこれは屋上屋を重ねるものである、その必要はない、来年の銀行法改正の中でこの問題は決着をしていかなければならないというふうに私は聞いたわけでありますが、こういったことについても参考人の御見解があればあわせてお尋ねをしておきたい、このように思います。
  30. 北裏喜一郎

    北裏参考人 いまの先生お話の中に個人方々個人金融資産と申しますけれども、それを郵便貯金にするか、銀行にするか、国債を買うかということでございますけれども、いま御指摘のように、郵便局については郵政審議会がございます。そして今回の問題で、大蔵省内でありますけれども銀行局を中心に金融制度調査会、証券局を中心に証券取引審議会というのが三つございまして、本当は金融問題としましては全体のことも考えなければいけませんことは当然でございますけれども、要は個人が蓄積された資金をどちらに回すかということは一本化すべきである、そういう議論が必要で、将来八〇年代、九〇年代を含めてどういうぐあいに日本金融市場が大きくなるのかあるいは小さくなるのかという議論をする場をもっと欲しい。  実は先ほどどなたか参考人が申されたように、銀行法改正につきましては、われわれ了承するところでは、四年ばかりやっておりますけれども、たまたま五十二年、五十三年という年を振り返ってみますと、国債大量発行せなければいかぬという事情がございまして、その国債窓販論議とかディーリングの問題が金融制度でも相当長く取り上げておると思いますけれども、実は本当は銀行法改正はそういうことではなくて、そういうことも大事でありますけれども、一番中心として議論さるべきは、いま先生の言われましたような、要すれば郵政審議会、金融制度調査会、証券取引審議会などが一本化されて、そこで次の金融構造金融市場を深く議論する場、討議する場が欲しい、その上で銀行法改正してもらいたい一そういうことを申しておるわけでありまして、その点は、金制の場合でも当然将来の金融構造について議論するということの諮問がございますけれども、実は一々私どもが勉強してみますと、その議論はなるほど先のことですから、非常に困難なところもありますということは十分承知いたしておりますけれども、非常に回数も少ないし年月も少ない。銀行法議論は四年かかっておるかもしれませんけれども、その一番大事な点については、議論がむずかしいだけに非常に少ない。事実、学識経験者が金融制度調査会の小委員会で発言していることを読みました。しかし回数は非常に少ない。実は、これに重点を置いてほしい、そのための審議会が欲しい、こう言うておるわけであります。これはいま先生のおっしゃるとおりだと私は思います。  以上でございます。
  31. 柴田弘

    ○柴田小委員 ありがとうございました。  続きまして、国債の消化について御意見を承りたいわけであります。  大蔵省の資料を見てまいりますと、証券界国債の消化に大変活躍をされているわけであります。五十三年度二兆六千七百三十六億円、二四・八%、五十四年度が一兆八千四十一億円、一三・二%であったわけでありますが、昭和五十五年度は、四月から十一月まですでに二兆八千七百五十一億円、三〇・八%の大きな消化状況となっておるわけであります。  この理由はいろいろあると思います。金利の先安感、あるいは国民資産選択の多様化の問題、あるいは先ほど申しました証券界の御努力、こういったものが相まって生み出された結果ではないかというふうに私は考えるわけであります。  それで、こういった事実を見まして、今後の国債消化、来年度は二兆円減額するにいたしましても、十二兆二千七百億円、こういうことになるわけでありますが、まだまだ大量発行の時代であります。借りかえ債の問題等もあるわけでありますが。今後の国債の管理政策やあるいは銀行法改正における窓販ディーリングの問題、こういったものを検討する重要な要素になり得るのではないか、こういうふうに私は考えるわけでありますが、この辺につきまして、ひとつまず北裏参考人の忌憚のない御意見を承っておきたい、こう思います。  それからいま一つ、あわせて北裏参考人にお伺いをしたいわけでありますが、いまも議論の中で借りかえ債の問題があります。昭和五十七年から中期債の償還期が参りまして、六十年以降には、いわゆる大量発行されました十年利付国債の償還が始まる。五十七年以降は新規発行債プラス借りかえ債というような形で国債発行のボリュームが飛躍的に増大をする。この借りかえ債について、何か具体的な御提案があればお聞かせをいただきたいし、また、今後の大量国債発行時代を迎えて、貯蓄国債という考え方、これも私はひとつ出てくるのではないか、こういうふうに思いますが、この貯蓄国債につきまして、証券界としてはどのような御意見をお持ちになっているのか、あわせてお尋ねをしていきたい、このように思うのであります。
  32. 北裏喜一郎

    北裏参考人 いまのあれが抜けておるかもしれませんから、抜けておれば御指摘願いたいと思います。  まずは当面の足元の五十六年度の国債消化についてどう思うかということだと思います。それから、次いでは借りかえ債の問題であろうと思います。  まず第一の足元のことから申しますと、五十六年は、先生のいまおっしゃったとおりに二兆減額がほぼ決まったということでございますれば、恐らく十二兆二千億ということであろうと思いますが、そのうち公募されますのはどのくらいだろうかという推定をいたしてみました。実はいままで多いときは、たしか五十三年が九兆二千億か、その次の年が九兆四千億だかあったが、いずれにしても九兆以上でございましたが、それは主として十年ものの長期国債でございました。これがいわゆるシンジケート団の対象になっているものでございます。  ところが二兆億減額しますと、恐らく二兆億減額のほかに、ことしの例を挙げますと、来年も同様であるということではなしにではございますけれども、ことし資金運用部、郵貯関係のものは七千億増額されまして、資金運用部が三兆二千億だと思います。二兆五千億プラス七千億。それが五十六年度になると、それ以下ではないということは言えると思うのです。それが何ほど増額されるかということは、皆様の方で議論され、また御当局の方でも議論されると思いますけれども、いまの郵貯の増額ぶりから見ると、私自身としては、ことしでも七千億増額したのだからそれ以上であろうと推測しているわけです。恐らく七千億が一兆億ないしもっと一兆五千億ぐらいまで郵貯が買われるのではないかという想像をいたしておるわけです。これは未知数であります。そうしますと、二兆減額して、公募そのものは従来でも九兆二千億あるいは四千億というようにあった時期よりも少なくとも減る。大胆に推測しますと、そこに幾分は運用部引き受けが上乗せされるということになりますと、ひょっとすると一番少ない場合で、少ない場合という言葉はおかしいのでありますけれども、六兆ぐらいが長期国債の公募、直接シンジケート、銀行などに行くものだといいますと、これは証券会社金融機関を含めて五十六年度は非常に負担が軽くなるということは言えると思うのです。少なくともことしは非常に負担が軽くなる。  しかも、そこへもってきてわれわれ業者が従来以上にやる。しかも国債の管理政策の中にだんだんと実現しているものがいろいろあります。御承知のとおり非常に短期的な二、三年のものも発行される、あるいは資金運用部がふやす、あるいはわれわれ業者の方では、この十二月からコールの取り入れが許されるということが、二百億ではありますけれども決まりました。それから、日本銀行証券会社に対する公社債融資枠がごく最近ふえました、というようなことを含めまして、個人消化がことし以上にふえると私は思っております。  したがって、いろいろ総合しまして、少なくともわれわれあるいは銀行金融機関などが扱う長期的な国債は非常に荷が軽くなる、こういうように考えております。  もう一つ借りかえの問題でございますが、これはまた一つの推測でありますけれども、先ほどちょっと触れましたように、借りかえは、個人にとりましては新発債と同様でございますけれども、国全体から見ますと新しい資金が要るわけでございません。あれば、それに追加する国債費その他のものが加わってくる場合も想像されて、恐らく国債の残高がふえると同時に発行量もふえるということは考えられますけれども、実はこれは現在のわれわれの観測する限りは、そんなにむずかしくないと思っておるのです。それは先ほど抽象的に、個人金融資産あるいは国の金融資産がふえるということを申しましたが、これは審議会などで議論してもらったらいいのでありますけれども、実は現在を申しますと、五年とは限りませんけれども、先行しておりました相当の国債販売ということがありました。本当はこの五年間に、現在四百万人、極端に言えば国債の得意先といいますか、消化層といいますか、そういうものがゼロから四百万になっているということが事実ございます。そして、それが主としてマル優マル特という零細な層でございます。これはよう考えまして、この調子で毎年毎年伸びるということは私は申しません。しかし、少なくとも漸次ふえてくるということははっきり明言できると思います。ですから、五十年−五十四年のこうした数字でも、実は四百万の新しい個人の投資層が、零細なる投資層がふえておる。恐らくあと二年、三年、五年すれば順次ふえてくるということは明らかでございまして、もともとゼロから始まった四百万人でございますから、これは非常に大きな進歩であるということを、今日も言えますが、これは証券会社の、われわれの多少手前みそになるかもしれませんが、孜々営々とした営業努力でございまして、われわれは政府にあるいは当局に対して国債の実績を言いますのも、これは御用金的なものでは困る、相手が投資家であるから、投資家に魅力ある国債をつくるべきであるということを言うておるわけでございまして、そういうことが実現されまして——年限も短くなるというものを含めまして、個人国債投資がだんだんふえてきているという事実を私は申し上げたい。  したがって、五十六年度の足元のことも、あるいは将来の借りかえにつきましても、実はわれわれとしては、われわれだけではありませんが、無論金融機関も含めてそれほど大きな負担になるということではございませんと私は信じております。ただ、きょう議論されている時期は、五十二年、三年の国債を非常に増発するという、常識的にいいますと、窓口が多ければ多々ますます個人消化ができるのではないかという当時議論がありまして、現在でも窓口の多い方がよけい個人消化ができるのだという意見と同じでありまして、実はそれがわれわれが、現在の四百万が漸増し、ふえてくるということによりまして、借りかえも、五十六年度もそれに次ぐ年もまず心配ない、こういうことを申し上げておるわけです。その点よろしゅうございますか。
  33. 柴田弘

    ○柴田小委員 貯蓄国債は……。
  34. 北裏喜一郎

    北裏参考人 日本の、個人に消化する場合にどういうぐあいに欧米諸国と違うかということをよく言われまして、日本は少ないじゃないかということをよく言われます。これは御承知のとおり、アメリカでは現在国民の貯蓄の中の国債というのは四・九、日本では二・六ということで見ますと、実は少ないように思います。日本はまだ余地があると言われます。けれども、実はアメリカ個人消化の中で、分析してみますと大部分が貯蓄国債でありまして、日本の郵便局でやっているようなものでありまして、実は市場性のない、値段の浮動しない、元値で買い戻しする国債が大半でありまして、浮動する有価証券的なものが入っていますが、それは主として皆さん承知の財務省証券のような、TBと申しますけれども、ごく短期的なものが入っておりまして、長期的なものあるいは市場性のある浮動するものとしては恐らく一%ぐらいではないかと私は思っております。  日本では、全部というてもいいぐらい個人消化が中で占める割合は、これは長期国債でございます、二・九%とか二・六%と言いますけれども、これはほとんど値動きがする、市場性のある長期国債でございます。その点はアメリカでは、そういうものはほとんど一%以下であると私は思います。もし個人国債をどうしても持たなければならぬということが将来起こると仮定すれば、そういうことは好みませんが、起これば、貯蓄国債で範囲を広げれば投資家が全然その損害をこうむらずにやれるということは言えると思います。そういう事態が起こることを希望いたしておりません。
  35. 柴田弘

    ○柴田小委員 それでは最後に一点、谷村参考人にお伺いしておきますが、オイルマネーの件につきまして、証券市場の国際化への対応という観点からお伺いしておきます。  大蔵省の資料を見てまいりましても、外人のわが国への投資、これは本年一月から九月まで、債券投資が五十八億二千万ドル、株式投資が五十四億五千万ドル、こういうふうに急激にふえておるわけであります。そのうち、オイルマネーの対日投資を見てまいりますと、債券で三十五億ドル、株式で三十五億ドル、こういうふうに両方で七十億ドル、外人投資の約七割近いものがオイルマネーである、こういうふうになっているわけであります。  そこで三点お尋ねしておきますが、一つは、こういったオイルマネーの対日投資についての基本的なお考え、あるいはまた今後どのようなところまで数字的にいくのかどうか、その辺の見通し。それから第二点につきましては、こういったオイルマネーを中心にしたいわゆる外資の大量流入というものが流通市場価格形成にどういっ影響を与えるかどうか。それから第三点は、これと関連をいたしまして、企業支配がされるのではないかという心配をする向きもあるわけでありますが、この辺の心配はないかどうか、あるいはまた、もしもそういった企業支配が行われた場合にどう対応していったらいいのかということでございます。  以上の三点でございますが、時間がありませんので、恐縮ですが、簡潔で結構でございますから、よろしくお願いいたします。
  36. 谷村裕

    谷村参考人 外国の資本あるいはその中でのオイルマネーと言われるものがわが国に志向してまいります原因にはいろいろあろうかと存じます。大きく分けて、たとえば目先円為替の問題等のものもございましょうし、あるいはカントリーリスク等の問題のこともございましょうが、基本的には、日本企業の力というものをどう見ているかというようなことにもあろうかと思います。今後の見通しというのは、これは一般の評論家でもなかなか言えないと思いますが、まして私、現場におります者としては、どうなるかということを申し上げるわけにはいきませんけれども、しかし基本的に日本のたとえば株式なりあるいは債券なり証券というものが世界全体の目から見ていい投資物件であるという見方がされていく限り、今後もあるかと思いますし、そのことについては、先般外為法等の改正も行われましたように、より門戸を開放していくという方向が政府によってとられていくものだと思いますし、それで結構だと私は思っております。  第二に、流通市場に対する影響といたしましては、確かに大量のものが狭いところで一度に動きますことは、これはいろいろのひずみを起こすことがあると思います。必ずしもこれは外資とは限りません。国内での動きでもそうかと思います。しかし、大量のものをどう処理していくかということは、これは確かに一つの大きな問題ではございますが、そちらの方の手当てをどう考えるかはまた別途いろいろ研究しておりますけれども、その方からいって、だから外資は何となくこわいとかいやだとか、そういうことにはならないと私は思います。別途、その問題は御指摘のように勉強しなければならぬと思っております。  第三番目に、企業支配という言葉の意味にもよりますが、当然、株式というものをたくさんに持てば、それなりに企業に対する関心はふえてくると思います。そしてまた、企業の経営についてもいろいろな注文なり意見を言うのも、これは当然公開企業である以上もっともなことであると私は思います。ただ、私の確信と言ってもいいくらいの気持ちから言えば、外国の方々日本企業の株をお買いになる、投資をなさる基本には、日本企業経営者のすぐれた素質、立場というものを評価して、そして見ていらっしゃるというふうに思いますので、自分たちの手で経営しようとか、自分たちが思うように経営しようという意味における企業支配というものは出てこない、むしろ日本の経営者を信頼し、しっかり頼むよ、こういう姿での投資という姿になると思っておりますので、事によっては一つ一ついろんな問題があるかもしれませんし、企業の株をたくさん取得したことをうまいこと利用して、あるいは俗に言う肩がわりみたいなことを言うてくるということがないとは言いませんけれども、これは国内でもよくあることなのでございますが、企業支配というようなことで外資というものを余り目くじらを立てて見る必要はない、かように私は考えております。
  37. 柴田弘

    ○柴田小委員 いろいろと参考意見をお伺いいたしまして、今後ともわれわれ法案審議に十分に生かしてまいりたいと思います。ありがとうございました。
  38. 山崎武三郎

    ○山崎小委員長 竹本孫一君。
  39. 竹本孫一

    ○竹本小委員 参考人の皆様、きょうは大変御苦労さまでございました。感謝をいたしております。  時間が非常にないようでございますから、私はお一人、お一人に簡単に御質問をいたしたいと思います。大体承っておりますと、お三人の方はそう意見が違うわけではないので、重複を避ける意味も含めまして、まず谷村さんからお伺いしたい。  先ほど来御議論がありますように、銀行法改正は五十年ぶりということでございます。私自身としては、五十年間も大蔵省は何を考えておったんだという意味で、問題意識が少し鈍くはないかということを従来言っておるわけです。そしてまた、いまお話をいろいろ聞いておりますと、大事な銀行法の運用の問題についてもいろいろと解釈がばらばらである、非常に複雑怪奇であるというような印象を受けております。これも非常に遺憾であると思います。そこで、まず谷村さんにお伺いしたいのでございますけれども、あなたの付随業務に関するいろいろの御意見法律的な解釈に関する御意見というものは非常に明快である、私も了承いたしておりますが、しかし、問題は大蔵省の従来における法の運用と申しますか、施策のあり方と申しますかがはなはだあいまいではないか。昭和三年の銀行局長の通牒ですか、そういうものから始まりまして、運用の面においては、銀行は絶対だめだというようになっていない、だからこそ今日銀行は、あるいは既得権と言い、あるいは今度の法改正を中心に大きく問題を取り上げていこうということで、自信を持ってやっておられる、そういうふうに銀行界が自信を持っておるということ自体が、いままでの運用があいまいであったというふうに私は思うのです。  そこで、もしまた、いま谷村さんが展開された法律理論を忠実に貫いていくと、極端な場合には、銀行がいままで国債を引き受けたやつも、あるいはその他のこともほとんど全部が銀行法違反になるということになるのかというふうにさえも考えられる、そういう点が一つ私としては疑問である。これは議論をやると時間がありませんから、ただ私がそう感ずるということだけ申し上げておきたい。  そこで、銀行法改正というのがいよいよ具体的な日程に上ってきておるわけでございますけれども、これも最初に問題を取り上げてからもう五年以上たっておる、もうこの辺で決着をつけなければならないと思うのですね。いまさらまた原点に返って議論を始めてみても始まらないので、問題は銀行法、もう五年以上論議をそれぞれやって、不十分だという御意見もあったようですけれども、やってきたわけだから、この辺で決着をつける、そうなれば、必要なことは見識と決断だと思うのです。  これは非常に失礼な言い方になってくるかもしれませんけれども、私は私なりに、この問題を解決するには三つの方法しかないと思っているのです。証券界銀行界との今日のトラブルを解決していくということについては三つしかない。  第一の考え方は、今度の法改正においては、先ほどの谷村理論を貫いて、銀行は公共債の消化についても御遠慮願うという行き方が一つ。  それから第二の行き方は、これと正反対に、銀行も、いままでは付随業務であったかもしらぬが、固有の証券業務を行うことができるのだということを明文化するということだと思うのです。  第三は、その中間でありまして、制度としてはそういうことも考えざるを得ない。特に、今後もまた五十年間法が改正されないのだとは言えませんけれども、これからの中期展望の中に立って、やはりここで制度としては一応銀行バンクディーリングその他をやることを認める。しかしながら、その運用の面ということについては非常に慎重に歯どめをかけるというか、慎重な対応を考えるというか、折衷案だ。この三つの方法についていかなる決断をするかということが今日われわれに問われている問題ではないかと思うのです。  そこで、そこまで言っては谷村さんにちょっと御無理を申すようなことになるかもしれませんけれども、もしお聞かせ願えるならば、二つのことを聞かせていただきたい。  一つは、仮に谷村理論で、銀行証券界の固有の業務にはタッチすべからずと言った場合に、先ほど来言われておるような、国債のこれからもなお相当大量の発行がある、借りかえ債の問題も出てくる、そういう問題に対してそういう強い証券業界の立場を貫いた場合に、国債の消化という重大な問題、借りかえ債も含めてその問題が円満にスムーズに解決できるというお考えであるかどうか、端的に聞きたいのです。  それからもう一つは、銀行にこれを認めた場合にはいかなる弊害が出るというお考えであるか、これも結論だけで結構です。余り長くなると小委員長からしかられますから、結論だけお聞かせを願えればありがたいと思います。
  40. 谷村裕

    谷村参考人 三点について申し上げます。  私も銀行局におりました者でございますので、おしかりを受ける資格がございますが、あいまいと言われた国債等の取り扱いについては、実は四十年の国債発行が行われるまで銀行一つも扱ったことはないわけでございます。減税国債というのを売りさばいた例はございます。しかし銀行局はおおむね、私の前任者である大月参考人を含めまして、銀行に対して、たとえばリース等周辺業務問題等につきましても、付随業務の扱いについては厳格な方針でやってまいったと私は思っております。  第二、固有の証券業務や何かというような問題でもありますけれども銀行が現在俗に言う引き受け業務をやっているということは、あるいは銀行法違反とおまえ思うのか、これはわしの意見だからおまえ答えぬでもいいというふうにおっしゃいましたけれども、やはりそこにちょっと触れさせていただくと、私は、現在、形の上でいろいろな契約はできておりますけれども、現実に銀行は売ることをいたしておりませんから、したがって、私の立場からしては、全体としては銀行は応募引き受けということをやっているのであって、アンダーライティングをやっているのではない、したがって銀行法違反の問題というのは起こっていないと私は考えております。  第三番目、先生のおっしゃった意味において三つの決断、選択しかない、それでうまくいくのかというふうなお話でございますけれども、これは主として政策の問題になってくると思いますけれども、たとえば、先ほど申しましたように、銀行も減税国債というのを売った——売りさばきだけでございますが、そういう例がありますし、あるいは相互銀行等が貯蓄債券というものを売った例もあるのでございまして、全く公共債の売買等について触れないという形のものではない。ただ、どういう触れ方をするのかという点になってまいりますと、さっきから御議論がありましたように、たとえばディーリングというふうな形で、おれは証券取引所の会員になって野村や何かと同じように価格形成をやるのだというような触れ方をすると、これは問題だ、問題の立場から言っておかしいじゃないか。そういうことがあるということで、物事は、私が答える前に恐らく大蔵省の方でそう考えると思いますが、絶対にとかいうような話ではない、どの程度にどういうふうにしてという問題があるのじゃないか、それに対応して制度というものを一体どういうふうにしておくかという問題だとするならば、私がさっきお答えいたしましたように、公共債というものについて現在六十五条二項というものがあり、そういう考え方というものがあるとした場合に、他方、単に銀行法の問題ではなくて、証取法でどう考えるかという問題も考えて、そしてこういう問題を取り扱っていただきたい。目先の国債借りかえができるかできないかとか、こういうことで改正しないと銀行が怒りゃしないかとか、そういうことじゃなしに制度というものを考えていただきたい、こういう気持ちを私は持っておるというふうに申し上げたいのです。
  41. 竹本孫一

    ○竹本小委員 谷村さんのお考えは大体わかりました。  次は、北裏さんに一つだけお伺いしたい。  今度の問題が起こりましてから、銀行界証券業界との間には相当激しい論戦が行われておるように見ておるわけでございますが、制度のあり方についてということは一応別にいたしまして、仮に銀行証券業務を——その範囲はいま谷村さんが言われたように非常にデリケートな問題が幾つかありますけれども、そういうことで銀行が出てくる、あるいはそれが法文の上で明確になったということになれば、証券業界としては死活に関する重大な問題であると言われておるように理解をしておるわけでございますが、その重大な影響を受けるのだ。先ほども一通りお話があったと思いますけれども、結論だけで結構ですけれども、今日証券業界も国債の消化その他を初めとして相当大規模にといいますか広範に御協力をいただいておるわけでございますが、人の面、あるいはコンピューターの面、あるいはその他の営業の内容の問題についても、どの程度に影響を受けるということで死活に関する重大な問題だと言っておられるのか。ちょうど外交問題で脅威、脅威というのがよくありますけれども、脅威の実体と同じで、証券業界がいま感じておられる脅威の実体、危機感の実体を具体的にできるだけ簡単に御説明いただければありがたい。  なおあわせて、これも先ほど話が出ましたけれども銀行がそうした業務に出てきて本格的にやるということになれば、金融市場の将来に、公社債市場の将来のあり方としてどういう点で矛盾が出てくるという御心配をなさっておるのか、将来のビジョンの問題とも兼ね合わせて御意見を承りたい、こう思います。
  42. 北裏喜一郎

    北裏参考人 簡単に申し上げます。  まず第一に、どういう危険があるかということでありますが、これは先ほどもちょっと言いましたが、将来は恐らく、証券業というのはもともと仲介機関でございますので、二つの柱として公債と株式と申しましたが、株式は別として、公債の面では、五割とか七割とかいうことは別として壊滅的な打撃を受ける重要な問題であるというのは間違いございません。これは、私、実際家として断言していいと思います。  それから先生のおっしゃいましたもう一つの問題、銀行が出た場合にどういう弊害があるかというのは、これも先ほど申しましたが、銀行は主として投資家という立場をとっておりまして、価格形成でまず出てくるでしょう。全部が売りだとも申せませんけれども、所有しておるわけですから、絶えずやはり売り方の方に重点がある。買うということよりも市場へ売るということが銀行の主たる態度であると思います。そうしますと、われわれでやる場合に、買えば必ずだれかに売れるということ、あるいは売り先を考えるということで、そこで価格形成ができるわけでありますけれども、一方的な売り一方であるということ——必ずしも、売り一方ということでは銀行の反論があるかもしれませんけれども、主として売り方に回るべき銀行が価格の中に参加するということは、価格形成の公正な確保はできないと私は思います。これはおわかり願えると思います。  以上、簡単でございますが、お答えといたしす。
  43. 竹本孫一

    ○竹本小委員 最後に大月さんにひとつお伺いしたいのですが、先ほど来いろいろの御経験も織りまぜて大変貴重な御意見を聞かせていただいて感謝いたしておりますが、今度の問題について一つの大きな判断の基準は、専業主義といいますか、これを貫くことがベターなのか、あるいはそれは改めるべき時期に来ておるというふうに判断するかということが一つのポイントではないかと思うのです。そういう意味で先ほども意見を聞かせていただいたと思うのですけれども、できれば最近における外国の動き等も、両方やっているではないかという意見もありますし、いや、両方やっていることにいろいろ矛盾も出ておる、あるいは少なくともいろいろ反省も取り上げられておるというような御意見もある。  そこで、公平な、あるいは大蔵省の先輩としてのいろいろの見識を持っておられる大月さんにお伺いしたいのは、特にわれわれ日本におきましては、ある意味において専業主義というものが非常に期待をされておる。それをいまここで改めるというところまで踏み切るかどうかが一つの大きな問題でありますが、仮に踏み切った場合に、従来のあり方と比較してそういう新しい考え方がどれだけ日本になじむのかというような問題を含めて、私自身は、考え方としては従来からやはり専業主義的な考え方が強いわけでございますけれども、それをいま改めていくことに、プラスの面、マイナスの面いろいろ考えてみなければならぬと思うのです。     〔小委員長退席、大原(一)小委員長代理着席〕 そういう意味で、大月さんから日本は従来専業主義で来ておるのではないか、この専業主義を改めることがどういう意味でプラスになるのか、また外国の例はどうなっておるのかという問題も含めて、ひとつ御意見を承れればありがたいと思います。
  44. 大月高

    大月参考人 非常にむずかしい問題でございまして、また非常に基本にかかる問題でございますので、私十分なお答えができるかどうか自信がございませんが、平生考えておりますことを簡単にお答え申し上げます。  私は、いま日本金融制度というものは分業主義によっておると思います。これは明治以来もう百年近い伝統であると思います。それは戦後におきましてもやはり同じように続いておるというように了解いたしております。また占領下においてアメリカ制度を一部、たとえば日本銀行制度改正証券取引法の改正その他を含めまして、やはりその制度は是認してきておるわけでございまして、一貫して分業主義をとっておる。それではこの分業主義を一体いわゆる総合主義と申しますか、ユニバーサルバンキングの方向へ持っていった方がいいのではないかということは、実はこの問題の発端にございまして、それは銀行界の中の都市銀行の一部にユニバーサルバンキングの思想が非常に根強いわけでございます。そのためにこの問題が起きたと言ってもいいと思います。  ただ、金融界として二つ、そのユニバーサルバンキングの主張がございまして、一つ証券業も一緒にやったらどうか、それからいま金融界の中でいろいろかきねがございます。これも全部取っ払ったらどうか、二つの面がございまして、そういう基調的な主張があるわけです。しかし現状からいってなかなかそれはむずかしい、さしあたり証券業務についての公共債にひとつ踏み込もうかということだと思います。現実論。それに対して証券界の方では、それは分業主義なんだから困る、この公共債で譲ればまた次に事業債、株式の方へも入ってこられる、そういうことで攻勢防御に出ておられる。私は、率直に言って業界の利害の問題そのものだというようにいまの問題は解釈しております。  しかし、基本的には、先ほどちょっと申し上げましたように、分業の中に全体としての総合があり、それがむしろ経済のこういうように動いておる段階においては変化に対応し得る弾力性を持っておる、それが一つ。それから第二の点におきましては、金融というものは何といっても大衆の預金保護、その精神がございますから、総合的なユニバーサルバンキングを行うことによってその面に非常に危険性が生ずる。それは貯蓄機構の整備、そちらの面から絶対に避けるべきではなかろうか、この二点が私の分業主義がいいだろうと思っておる基本的な考えでございます。  しかし、それならば外国に総合的なバンキングがあるじゃないか。たとえば具体的にはドイツの例でございますが、ドイツにもやはりいま、これは歴史的にずっと総合主義でございますけれども、分業主義の方がいいんじゃないかという議論もございまして、先般来、アペル委員会でございますか、総合バンキングをどうしようかといういろいろな議論が行われました。これはまさに、銀行が単なる公共債だけじゃなしに事業債、株式、そういう事業全部を含めての総合でございます。本当の意味の総合でございます。結論は、分業主義というものもあるけれども、総体としては総合主義の方がいいんだという結論を出して一応おさまっております。それは、こういう制度というものは紙の上に書くものではなくて歴史的に積み上げられてきたものであるということと、制度そのものには必ず利益があればまたマイナスもあるものでございますから、各国の伝統に従ってマイナス面をどう抑えながらプラス面を伸ばしていくか、こういうことで皆さん考えておられるゆえんだと私は思います。  そういう意味考えますと、証券金融の関係も分離主義がいい。ただ、それは事業債及び株式の関係でございまして、それが本論でございます。企業支配をするといっても公債を持ったから企業支配になるわけではございません。     〔大原(一)小委員長代理退席、小委員長着席〕 いま証券界が心配しておられるそういう公供債問題というのは、現実に銀行が強いというそのもとにおいてもし公共債に乗り込まれれば力関係で食われていくんじゃないかということ、それから、いま公共債のウエートというものは、私が数字的に見てみましたところでは、この九月決算で国債関係から入る収益でございますね、これは四社プラス八社の公債を扱っておられる中堅以上で約二〇%ございますから、そういう収益源がもろにいまの潜在的脅威にさらされる、そういうことだと思います。  具体的な動いている企業同士の話でございますから、そう激変を来すようなことはいけないので、もし——公共債問題というのはもう本質論じゃございません。私の感覚から言えば制度論から言えば傍論で、たまたま境界線上におって、アラブで言えばイラクとイランのあの川の幅の話だと私は了解いたすわけでございますが、それが重大問題でございますので、公平にイコールフッティングで競争ができるという条件を十分に運用上は考えていかないとこの問題はお互いに気分的に、意識的になかなか了解しないんじゃなかろうか。そのイコールフッティングという問題があって、しかも国債政策上必要な形、必要な限度というふうなことが確保できれば、十分に慎重に考えながらやって差し支えないことではなかろうか、こう考えております。
  45. 竹本孫一

    ○竹本小委員 いろいろ御意見を聞かせていただいてありがとうございましたが、結論的に、銀行法改正はもういよいよ結論を出すべき時期である、あるいは極端に言えばもう出ておるべき時期であるというふうに私は思いますから、いま大月さんのお話にありましたように、一つは、歴史的な経過を十分に踏まえること、二つは現実における力関係を十分に判断をし分析をすること、三つは、これからの中期展望を持つこと、この三つの点を十分総合勘案されて、ひとつ円満な結論を一日も早く出していただいて、この問題のためにいたずらに経済界にしこりが残らないように円満な解決を希望しておるということを申し上げまして、私は質問を終わります。ありがとうございました。
  46. 山崎武三郎

    ○山崎小委員長 簑輪幸代君。
  47. 簑輪幸代

    ○簑輪小委員 参考人皆さん方、お忙しいところ本当に御苦労さまでございます。  私は、まず最初に北裏参考人にお伺いしたいと思います。  大衆投資家の保護という観点ですけれども、近年、株式市場において個人投資家の減少ということが問題になっておるようです。その原因はいろいろあるでしょうし、その対策についてもそれぞれ取り組んでおられることと思いますけれども、私はきょう時間の関係で、その一つの原因として、大衆投資家を無視した証券会社の営業姿勢の問題ということでお尋ねをしたいと思います。  第一に、証券事故の多発という問題です。公表された数字だけを見ても、五十四年の九月期中だけで百八十二件も発生している。これが業界の社会的信用を損なうばかりではなしに、大衆投資家の株式離れというものを引き起こしていくというのも否定できない事実だろうというふうに思います。  それから第二に、これはある大手の証券会社のことですけれども、その会社の株式顧客約三十一万口座のうち実際に稼働している顧客数は五千州ら六千口座にすぎない、一部の客に売買が集中して、大衆投資家の意向を無視した過当な回転売買によって手数料収入を荒かせぎをするというような商法が行われているというふうに見ているわけですが、こういう中で大衆投資家に多額の損害を与えているということもあると思います。こういうのは特定の業者というだけじゃなしに四大証券に共通してあるのではないかというふうに見ておりますけれども、こういう営業姿勢の問題について昭和四十九年の十二月二日に証券局長から協会会長あてに通達も出されているということですが、残念ながら一向に改善されないどころか、むしろ悪化していると言ってもいいのではないかと思うわけです。こういう大衆投資家無視の利益本位の営業姿勢では大衆投資家が離れていくことを促進することになってしまうわけで、長期的に見れば、これが業界全体の衰退をも招くことになるのではないかというふうに思います。その点での早急な改善が必要ではないでしょうか。大衆投資家保護を目的として設置されている協会の会長としての参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
  48. 北裏喜一郎

    北裏参考人 先生の御意見に対してお答えいたします。  最近の新聞などにときどき出ます問題だけを見ておりますと、御同様にわれわれもはなはだ遺憾に存じます。ですけれども、これが先生言われるように営業体制あるいは構造的な営業姿勢から来るものであるというようには思っておりません。なるほど先生の御質問は、公債のみならず株式を含めて、特に株式を中心に言われたのではないかと思いますが、いま証券局長の通達のこともお触れになりましたが、まさにそのとおりでございます。そういう新聞面をにぎわすような事柄があるので、これはないとは言いません。はなはだ遺憾であるけれども、したがって、証券局長としては、そういうこともないようにさらに一層ということでありまして、それに従いまして、協会としましては、外務員の研修であるとか、あるいはいまのような事故の発生を事務的にもどう防止していくかということで、いろいろな施策を講じているのが実情でございます。それでもなおときどき新聞に現に出ると申されますが、そういう事故があるということは事実でありますけれども、それは構造的な問題あるいは証券会社の姿勢ではございません。  また、非常に利益をかせぐために回転売買が多いからとは思っておりません。そういう問題が起こる場合に、多くは回転が多いとか客が損をしたとかということ、あるいは逆に客の不正によるものであるとかという事件が先生のお耳に入っておると思います。けれども、それは証券界あるいは証券業界全体としては、何も大蔵省の局長の通達がなくとも非常に慎重にやっております。ましてや通達があるという点を踏まえまして、新しい研修の開設であるとか、あるいは諸規則の改正どもやっておりまして、検査なども証券業協会の立場におきまして大蔵省と別にやっておりまして、その点は、非常に改善の跡が顕著なものがあるということは私は申し上げられると思います。
  49. 簑輪幸代

    ○簑輪小委員 今後も一層の御努力をお願いしたい、事故のないようにお願いをしたいと思います。  次に、高木貞証券の問題、業界再編成の問題ということでお伺いしたいと思います。  高木貞証券の経営破綻という問題は、このところ中小証券の経営基盤の弱さというのを大きく露呈する事件ということになろうかと思います。こういう中で、証券会社の最低資本金の引き上げに関する大蔵省の通達というのが出されております。しかし、中小証券の経営問題については、経営陣の弱体、乱脈経営などということだけにとどまらない構造的な問題がこの背景にはあるのではないでしょうか。  一つは、株式取引の東京集中の問題であります。本年六月の全国売買高を見ても、東京証券取引所の占める割合は八五・九%に上っております。これは東証売買高の五割を占める四大証券がこれまで東京市場を優先してきたということによるものだと思います。このために、東京証券取引所に会員権を持たない地場証券は、東京市場で売買するためには大手証券と再委託契約を結んで、顧客から徴収した手数料の約二七%を支払ってその証券会社を通じて売買しなければならないというふうになっております。  高木貞証券の場合は、年間で資本金の約七倍、約二億円もの再委託手数料を支払っており、結局これが経営危機の一因にもなったと言えるのではないでしょうか。  第二は、大手証券の寡占化の進行の問題があると思います。大手証券の巨大なコンピューター化などによって情報の独占、公社債株式の引き受け業務の独占、全国ネットのオンラインコンピューター化など、大手と中小の格差が一層広がる一方だというふうに思います。日本証券経済研究所の五十二年度の調査によると、系列会社まで含めると総手数料で四大大手証券シェアは一二、三%程度上昇して、格差はさらに大きくなっているという状態です。  こうした状況の中で、地場証券、中小証券というのは四大証券を初めとする大手証券と対抗していくために比較的まとまった単位で注文を出してくれる投資グループとの信用取引でかせぐ方法がとられているようです。こういう投資グループに頼るというやり方でいきますと、投機性の強い売買が中心にならざるを得ないのではないでしょうか。こういう実態の中で大衆投資家の保護ということが問題になってくるのだと思います。  現在、業界再編成の一環として証券会社の最低資本金の引き上げが問題となっていますけれども、私は、この構造にメスを入れて、中小証券、労働者、大衆投資家、みんながともに生きていける方向での対策が今日必要ではないかというふうに思っておりますけれども、御意見をお伺いしたいと思っております。  そして最後に、北裏参考人にお尋ねするわけですけれども、本年六月十日、免許取り消しによって廃業に追い込まれた高木貞証券の問題については、現在会社の倒産、従業員解雇の放置と並行して、善良な大衆投資家の財産が問題になっているわけです。この中で、北裏参考人が協会会長として、高木貞証券の免許取り消しは不幸中の不幸である、善良な投資家の財産については業界として責任を持って全額返済したい、そのため補償基金などによって措置をするというふうに言明されております。協会の定款でも「会員の行う有価証券の売買、その他取引を公正かつ円滑ならしめ、投資家の保護に資し、あわせて証券業の健全な発展を図ることを目的とする。」というふうにうたわれておりますので、北裏参考人には、大衆投資家に対して今後責任を持って納得のいく措置がとられるように業界を指導していただきたいというふうに思うわけですが、その点もあわせてお答えをいただきたいと思います。
  50. 北裏喜一郎

    北裏参考人 基本的には、先生のおっしゃったように、証券業といいましても、投資家証券業自体並びに資金調達面で相関連するものの最も健全なる発展を要するということについては全く同感でございます。  ただし、個別的に見ますと、京都の高木貞証券のことに触れられましたが、これは現在大蔵省で言われ業界で問題にされます最低資本金の格上げとは直接何も関係ありません。全然高木貞証券問題から起こったことではございません。しかもきわめて円滑に最低資本金を上げるということは実際上できるというのが業界の意見であります。ある一定の期間内にやるとすればむしろ自主的にそうしようという考えが多いと思います。また、そのように配慮をされておるものであるということは、証券局長も談話では申されておりまして、無理に最低資本金を上げるということではなくとも恐らく円滑にいくでありましょう。この点は高木貞証券の問題とは全然関係ありません。  高木貞証券の問題につきまして触れますと、これは非会員でございますけれども、実は証券会社の信用を非常に害するという立場である。私どもで言いますと、先生も言われましたが、乱脈経営の結果として倒産したのだと思います。それに対しまして私どもが補償すると言われましたが、そういうことを申しておりません。ケース・バイ・・ケースによりまして善良なる投資家ないしは善良なる保護預かりなどには、証券界全体といたしまして、これははなはだ遺憾なことであるから、そのための準備基金、補償基金というようなものを積んでいるから、できればその分の範囲内で貸そう、融資をしようということでありまして、補償するわけではありません。融資でやる限りは返してもらうという前提で貸しているわけです。しかし、倒産しそうな会社に貸しているのはもともとおかしい、くだされになるのではないかという御意見であろうかと思いますが、現在は融資規程でありまして、補償ではありません。もっと率直に言いますと、証券会社が預かっている有価証券は現在三十七兆ありますが、補償基金たるものは高木貞証券の方に出しましたものですから、九億もないと思います。そのうちの半分以上を実はそういう意味証券界全体の信用保持のためにケース・バイ・ケースで出した、融資をしたという事実でございます。しかし、それは健全なる投資家を高木貞証券の場合になるべくその融資規程によって何とか済ませたい。世が世ならばあるいはほっておくという場合もあり得ますけれども、幸いにしてそういう場合を予想して補償基金を積んでおりますから、お貸しいたしましたという事情であります。それは実は完了いたしました。われわれが証券業界としてし得ることは完了いたしました。そう御了承願いたいと思います。  それから、そうなった理由は、どうも四社を中心に非常に集中しているのではないかということは、先ほど来他の先生方お話がございましたけれども、そういう事実はございません。むしろこの九月決算をお調べになるとよくわかりますが、公社債をやらない非会員ないしは中小業者というのが成績がいいのでありまして、−絶対量は別でございますよ。利益そのものは大手ほど、あるいはその次に次いでいる総合証券ほど実は低減しています。非常に激減しているところもあります。むしろファミリータイプである中小業者、ないしは非会員というのは大部分はファミリータイプであります。家族単位であります。そういうところの方が成績がいいという事実が数字的に出ております。  そういう意味で、これは必ずしも具体的な、先生の言うことと多少違うかもしれませんが、そういう意味からいいましても数字的に四社が、ないしはそれに次ぐ総合証券がよくやっているということは事実でありますけれども、これといえども実は数年、数十年前から比べると非常に激減してきているということを申し上げたい。五〇%ないし四〇%、だんだん、昔は七〇%とか六〇%あった時期がありました。恐らく、もし総合証券あるいは中小証券あるいは非会員の方々がよりやり得るならば、その四社あるいは総合証券などのシェアがだんだん低下してくるものと私は思います。また、そうありたいと思います。また、そういうように業界を指導していくために、振り返って高木貞証券などの投資家を何とかしたい、こういうことです。  投資家と申しましたが、個人投資家が減っているという事実はございます。けれども、これはいまのような点もありましょう。否定はしませんけれども、やはり日本では百二十万社以上に及ぶ、魚屋さんとか呉服屋さんまで株式会社の組織をとっているということは御存じであると思います。千万以上の会社でも実は二十三万社以上ありまして、取引所で上場しているのは全国で千七百社でございます。これを見ましても、やはり道筋は、これは御当局の方がおりますけれども、やはり分かれ道は多少税金のこともあるのじゃないかというように思っております。これは私の推測でございます。
  51. 簑輪幸代

    ○簑輪小委員 高木貞証券に関する善良な投資家について完了しているというようなお話しのようですけれども、一部まだ完了してない、救済されてない方がいるように伺っておりますので、その点ぜひ御指導をお願いしたいというふうに思います。  次に、谷村参考人にお伺いしたいと思いますが、一九七六年の十月、全国証券取引所監理官会議における当時の証券局長発言をきっかけに地方証券取引所の整理統合問題が表面化してきているわけです。現在、証券研究会などで証券取引所の全国一本化構想が東京証券取引所の完全コンピューター化、振替制度の推進を先行させながら具体化させられようとしている状態だと思います。しかし、この問題は、地方経済の発展と密接な関係を持つ中小証券、地場証券の再建ということではなく、むしろ整理合理化をもたらして、地場証券の生きる道を閉ざすものであるというふうに思うわけです。  この構想でいきますと、証券市場の国際化ということで、外国証券会社の会員権の取得という話が出て、その際には、大手証券の場合には外国の市場の会員権の取得ということも考えられるようです。しかし、一方、地場証券の場合、全国証券取引所への直接参加、会員権の取得というものが考えられているのでしょうか、お伺いしたいと思います。  それから、地場証券あるいは地方取引所の今後の発展の方向というものを一体どのように考えておられるのか、御意見をお聞かせいただきたいというふうに思います。
  52. 谷村裕

    谷村参考人 大変広範な問題で、私どもが二年以上かかって全国取引所理事長会議というようなのを開いて議論しておりますことを、簡潔にここ五分ぐらいでお答えするというのは非常にむずかしいのでございますが、できるだけのお答えをさせていただきたいと思います。  実は、私が二十年前に大蔵省で証券行政を担当いたしておりましたころから、すでに日本に数多くある証券取引所というものをいかに再編成すべきかということは課題となっておりました。ここ一、二年に、あるいは何とか会議の席上で急に出てきたというわけではございません。これは日本だけではなく、外国、先進国と言われるところでもすべてこの問題は起こってきておりまして、たとえばイギリスにおきましては、各地にありました証券取引所を全部統合して一本のものにいたしておる。ただし、証券取引所という建物あるいは立会場という場、これは各地にまだ残っている、こういうような姿があったりします。いろいろな形の問題がございます。  私どもも、いま、全国証券取引所とか一本化とかいうお言葉が出ましたけれども、これは口でそういうふうに言いますけれども、具体的な中身から言えば、世界各国ともいろいろな形における再編成、組み合わせの問題を考えております。私は、必ずしも東京を中心とし、東京だけを一本とした中央取引所というものだけを考えるという意味ではない言葉として全国証券取引所の再編成、こういう言葉で全体として皆さんと一緒に考えておるのが第一点でございます。  第二点は、これはもう端的な例で申し上げますと、たとえば銚子でとれましたお魚と焼津でとれましたお魚というものは、やはりお魚を目で見てみないと、いい魚か、どんな魚か、どういう値段にするかという取引は、その場その場でやる以外にございません。しかし、証券といったようなものにつきましては、これは均一の商品でありますし、たとえば会社についての判断、ディスクロージャーというような材料があります限り、日本国じゅう、あるいは世界国じゅうどこにおりましても、買おうという判断、売ろうという判断はできるもので、要は、情報関係がどの程度広がっていくかということと、現実の売買の処理というものがやはり進んでまいるということによりまして、人と人とが顔を突き合わせ、ネゴをして現物をやりとりしなければできないという性質のものではないというところに、情勢の進展とともに、証券というものの取引というものがその場、その取引所で、そのときそのときで行われるという姿から、全国的なネットワークとして行われるようになってきている。これは経済の論理としてそういうふうに進んできたと思います。  ただし、そういう中におきまして、それぞれの取引所がどういう役割りを持っていくか。たとえば東京という取引所も、実は世界の中における日本を代表する取引所であり、円建て債その他もたくさん上場いたしておりますけれども、また同時に、今度は日本の中で全国的な取引のある銘柄を扱う一種の中央取引所的な役割りも持っております。と同時に、東京周辺あるいは関東地区あるいは東北地区までを含めましたいわゆる新たに公開されていくような小さな企業のこのまたマーケットを形づくる、そういう役割りも持っておりまして、同じように大阪もあるいは名古屋も、あるいは福岡も、それぞれの地域で単独銘柄と言われるものも持っております。しかし、一方では、たとえば新日本製鉄というようなものは全国的に取引をされておる。たとえば京都セラミックという京都地場の企業もやはり全国的にあるいは世界的に取引されておる。こういう姿の中で、それぞれの取引所が現在施設を持ち、人も抱え、動いておる。全国千七百の上場会社を持っておりますが、これが将来どういう姿で発展していくか。一方また、御指摘のように、それぞれの地区にまたそれぞれの証券会社というものがございます。そしてそれが、あるものは会員会社取引所の会員にもなっております。あるものは会員でない非会員業者という姿で動いております。そして一方では、たとえば野村証券のごときは全国にわたって店舗網を敷いておる。たとえば東京の八十三社の中にも、東京だけにしか店のない東京だけの会員業者というのもございます。また、東京地区に非会員業者もございます。  こういったものの仕事のあり方、それを全部含めまして、取引所の再編成という問題を一方ではまた業者の将来のあり方という問題と絡めて考えなければならない。単におっしゃられるような意味で整理とか廃業とか、そういうことではなくて、やはり再編成というような形でいく。それをどういうふうに考えていくかというのが、白紙に書くように書ければ申し分ないのでございますけれども一つの歴史、沿革、実体がございます上に、新しく再構築していこうというわけでございますから、私どもだけで考えるということではなしに、みんなでこの問題を考えていこうじゃないかということでせっかくやっているわけでございまして、御指摘のように、これから私どもも立会場で二千人を超す人が毎日ああいうふうにしてわあわあやっておるような取引の仕方から、ある程度もう少し合理的な、機械も導入した方法になっていくということをおっしゃいましたが、そういうこともございます。アメリカでもナショナルマーケットシステムというようなことで、ニューヨークだけでなくサンフランシスコ等を通じての全国的な取引システムというものを考えておるようでございます。各国ともみんなこの問題を考えておりますが、簡単に進められないというのは、いろいろな利害関係もあるからでございまして、この話をいたし出しますと一日かかっても二日かかってもあれでございますが、時間の関係もございますので、ごくアウトラインだけ申し上げて、再編成という問題としてお答えを申し上げておきたいと思います。
  53. 簑輪幸代

    ○簑輪小委員 ほかに銀行国債窓口販売ディーリングの問題についてもお伺いしたいと思ったのですが、時間がありません。私は、国債管理政策との関連から言えば、大量国債発行の計画的な縮減こそが先決だというふうに思いますけれども、また別の機会にお尋ねすることにいたしまして、きょうは終わりたいと思います。ありがとうございました。
  54. 山崎武三郎

    ○山崎小委員長 柿澤弘治君。
  55. 柿澤弘治

    柿澤委員 きょうは谷村北裏大月参考人には長い間本当にありがとうございます。本来ならそろそろ終わる時間でございますが、いままで参考人を含めて熱心な御議論をいただきましたおかげで、もうしばらくお時間をいただかなければならないことになっておりますので、お許しをいただきたいと思います。  最後でございますから、私もいろいろ質問を用意してきたのですけれども、総括的に参考人方々に御意見をお伺いをした方がよろしいのではないかと思いますので、そうした趣旨でお伺いをさせていただきたいと思います。  まず、業界の立場でございますが、北裏参考人にお伺いをいたしますけれども、いま問題になっておりますのは、銀行法改正に絡んで公共債の取り扱いができるということを銀行法上明記するかどうかという問題だろうと思います。  この点については、先ほどから各参考人からもできるかできないかの議論の問題と、それから実体としての問題といいますか、できるようになったときに業界に与えるインパクトといいますか衝撃というか、その二つの議論が展開をされているわけでございますが、その点について業界としては、あくまでも銀行が取り扱うことに絶対反対だという姿勢でお臨みになるのか、それとも、銀行法上書くことはある程度認めても、それの実行上について何らかの縛りをしていけば、それでも衝撃は緩和できるとお考えになっているのか、その辺のお立場を明確に伺いたいと思います。  それから第二点でございますが、この問題については金融制度調査会その他で十分に議論が熟さないままに法改正が提案をされている。その点に関して金融制度調査会、証券取引審議会その他を含めたもう一つ別の場といいますか、総合的な立場で再検討してはどうかという御意見証券界の中にあるやに承っておりますけれども、その点について具体的なお考えがございましたらお伺いをいたしたいと思います。  まずその二点、北裏参考人にお伺いしたいと思います。
  56. 北裏喜一郎

    北裏参考人 簡単にいまの二点についてお答えいたします。  大体、私は実際家として、法律というのは書いておいてふたをする、銀行法で書いておいて後で証券取引法でやらさぬというような、そういうことはできるものかどうか。必要ならばどうしても窓販をやらなければいかぬという、そういう事態は異常事態であろうかと思いますが、仮に異常事態が起これば、特別立法なり時限立法でやる。また、範囲も銀行に指定されておる都市銀行、地方銀行窓口だけでなくて、あるいは相互銀行だとか信金とか信用組合とかあるいは農協とかいう場合もあり得るかと思います。そういうものは特別立法ないしは時限立法でできるんじゃないか。現在、銀行法で書いておいてふたをするというようなこともちょっと聞いておりますけれども、そういうようなやらさぬものを、五年、十年先のことはわからぬという意味で、そういう異常事態も起こり得るというならば、そのときに特別立法あるいは時限立法をつくればいいじゃないか、こういうぐあいに考えております。  先生の第二点の総合的な審議の場をつくるべきかつくらぬか、それは一の最初の御質問と関連があるのでありますけれども、私はいままでの経過を見まして、金融制度調査会で議論をやりまして、この点についての触れ方がはなはだ少ないように思います。そういう意味で、むしろ長期的な意味日本金融市場の構造というものを改めて議論する非常に重要な場が必要だ。それを仮に審議会なら審議会として、日本で言う最も高名な方、学識経験者などで審議してもらいたい。その上でどうしても書くなら書く、書かぬなら書かぬという結論を出すべきではないか。いま言われておりまする仮に三月が皆さんの国会で議論される銀行法であると仮定すれば時日は少ない。そういう意味では後でもいい、こう思っております。そういう意味では、やはり基本的な問題であるだけに別の審議会で、そこで議論すべきであって、金融制度調査会でもやり合いましたが、この議論は非常に少ない。国債窓販論議と国債ディーリングという議論はあります。けれども、いまのような総合的な議論の場はございません。そこへつけ加えれば、私は郵政審議会も一緒に入った方がいいという意味で申し上げておきます。  以上でございます。
  57. 柿澤弘治

    柿澤委員 もう一つだけ北裏参考人にお伺いをいたしたいと思いますが、この国債窓販もしくは銀行ディーリングの問題については、実は証券業界の中でも利害、関心を持っているのは大証券だけではないか。中小証券、地方の証券会社等ではほとんど国債は扱っていない。その意味で直接的な利害はないというようなことが時折言われるわけでございます。その意味で現在の中小証券は事実国債等の取り扱いは少ないと思いますけれども、その辺を今後改善して、業界全体として公共債の扱いを増大するという方策があり得るのかどうか。その点、野村証券の会長さんとしてでなく、証券業協会の会長さんとして業界全体を見ているお立場で、この問題は大証券限りの関心事であるのか、中小証券も含んだ問題として今後取り組まれるのか、その辺をちょっとお伺いしておきたいと思います。
  58. 北裏喜一郎

    北裏参考人 御指摘のように、きょう現在はやらないということもあるかもしれません。けれども、先ほど言ったかもしれませんが、五十年からが本当の問題で、非常に歴史が新しい。しかもこの一年半ぐらいをとってみますと、証券会社は、金利の上昇期、逆に言いますと、国債の価格の暴落期には実はそういうことを扱わない方がいいという意見もあります。しかし、それにしましても、そういうことを除きましても、歴史が四、五年である。きょう現在は恐らく全業者が扱っていると思います。けれども、量的には大したことはないかもしれません。そういう意味では、なお四社並びにそれに次いだものが多くをやっているということは事実でありますけれども、これは恐らく五年、三年先にはどこもやるものであるというふうになると思うのみならず、協会としては、そのためにいろいろの施策、たとえばパンフレットをつくったり、説明をしたりということで、のみならず各地でそういう中小業者にも説明会をしたり、研修会をしたりやっておりまして、公社債については実はまさにこの数年やっておるわけであります。なお今後とも引き続きやって、業界の中心的な柱になる株式はずいぶんやっておりますが、社公債についてももっと全体としては、お客様にもあるいは業者にもある意味では啓蒙しなければいかぬと思いますぐらい、まだその段階であります。しかし、これはますます進めていって、ますます業界の仕事として全部やる、決して四社並びにそれに次いだ寡占体制でやるという考えはございません。現在やっております。
  59. 柿澤弘治

    柿澤委員 ありがとうございました。  その趣旨で、ぜひ業界全体の問題として公共債の取り扱いを拡大するような御努力をお願いいたしたいと思います。  それでは、大月参考人谷村参考人に締めくくりでお伺いいたしますが、大月参考人は、ユニバーサルバンキングという世界の流れの中で、日本の専業主義のよさというものを先ほどもお話しになりました。私も、実は大蔵省におりますときから、どちらかといいますと、専業主義礼賛の方で、かきね構築論者でございましたが、どうもユニバーサルバンキングのとうとうたる波の中では少数派でございまして、その意味大月銀行行政の正統な継承者は私の方ではないかと思っているのですけれども、そうしたお考えに立って今度の銀行法改正の中に公共債の取り扱いを組み込むことが絶対に賛成できないというお立場なんでしょうか。それとも先ほどちょっとお話がありました、証取法も含めて全体を見直すという形で何らかの中間的な妥協案というのがあり得るとお考えでございましょうか。その場合には、銀行法改正についてはいま具体的な案というものができているわけですけれども、証取法については議論がまだなされていないわけでございますが、もし銀行法に公共債の取り扱い業務が挿入される場合に証券取引法の方でどういう手当てをしたらいいとお考えなのか、その辺をお伺いいたしたいと思います。  谷村参考人にも同じ点でお伺いしたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
  60. 大月高

    大月参考人 結論的にこの問題を申し上げますと、いわゆる専業主義は、いまの日本経済の現状においては正しいのではあるまいか、これが前提でございます。  次に、いま問題になっている公共債の問題でございますが、専業主義という場合に、こういうように分類しなければいかぬのじゃないか。つまり証券会社がございますが、その扱っておる仕事は二種類のものがある。一つは、いわゆる私企業に関連する有価証券でございまして、株式、いわゆる社債というようなもの、これが証券業界が扱う本来の仕事であって、これがますます発展することによっていわゆる直接金融の分野が正しく発展されていく。現状は残念ながらまだウエートから申しましても間接金融に対して直接金融の分野は非常に狭い。これは証券業界の責任ということではございませんし、各会社経営者の心構えによるところが非常に多いわけです。たとえば増資に対する物の考え方とか、あるいは金融を受けるについて、金を借りたらいいのか、あるいは事業債を発行したらいいのか、どちらかというと、事業会社サイドの発意に基づくものが相当ございますから、証券界の責任とは言えませんけれども証券界としても産業の資金調達についてもう少し直接金融をどうして促進していったらいいのかということに思いを及ぼすべきであるし、また実際面においても各制度その他大いに実践されるべきだと思います。  また、証券業界が扱っておられる仕事に公共債の分野、これは私は別の分野だと考えます。たとえば私企業に対する支配権がどうあるとか、力関係はどうあるとかということは全然ございませんで、むしろ政府対証券界、政府対国債保有者、こういう関係でございますから、これはまた別の角度で考えるべき証券業だと考えます。  それで、基本的に証券取引法六十五条の話、私、最初解釈論は申し上げましたが、それは法制上の欠陥がある、つまり法律技術上の欠陥があるだけでございまして、基本的理念というものは、二十三年法のとき以来三十数年そのまま続いておる。ただ運用上は公債の非募債主義ということがございまして、どういうように運用したらいいかということははっきりいたしておりませんし、法律上の難点があって、スムーズに動いてない、こういう問題がございますけれども、六十五条に立てられている精神、つまり第一項の一般証券業務は銀行その他の金融機関にはやらせないんだという大原則、及び、しかし公共債については別だという大原則、これはアメリカの恐慌のときの教訓にもよるし、日本における過去の金融制度の、最初に申し上げましたようないろいろな事例から見ましても、そういうことは正しいのではないか。そうすれば今度の問題をどう解決するかというのは、やはり銀行法の中には公共債がやれるということを正確に織り込む。しかし、これは主業でなく、従たる仕事になるわけですから、本業に差し支えない範囲で、あるいはどの程度どういうようにするかは別として、仕事の分量なんかは制限しても、公共債の仕事はやれる。それは国債管理政策にも関係する。それから証券業者との力関係その他もいろいろ考えられますけれども、何かのかっこうでやってもいい。それからやる仕事も、引き受けの方はやるけれども、たとえばディーリングはやらないとか、いろいろ現実論はあると思いますが、法律的にはやれるということにしておくのがスムーズでないか。それは、私のいままでの議論は、全部証券界が侵食されるとか、あるいは力関係が違うとか、そういう現実論でございますから、制度論を超えて、運用上慎重に、生きている業界を扱う者として慎重に考えるべきだ。しかし基本原則はまた基本原則で別にある。  最後に、そういうことを申し上げます基本的な考えとしまして、つまりいわゆるかきね論でございますが、いわゆるかきね論と言われると、かきねがあって絶対に入ってはいかぬ、つまり所有権が違った人の境界というように皆さん考えでございますが、社会的な制度にそんなものはこしらえてはいけないんじゃないかということであります。たとえば国内の金融制度、普通銀行あり、長期信用銀行あり、外国為替銀行あり、その他ございます。しかし、制度的にはいろいろ資金の調達源、それから融資あり方、長い短いというようなことが書いてございますけれども、それじゃ普通銀行は長期の金融をやってはいかぬかというと、どこにも禁止してはおりません。それから長一期信用銀行は債券によって資金を調達しますけれども、それじゃ預金をとってはいかぬかというと、これは債券の保有者その他の者の預金はとってもよろしいということでクッションが置いてある。それじゃ中小企業金融機関はどうかというと、御存じのように中小金融に集中はする。しかし、それじゃ都市銀行はやってはいかぬかということになると、それはやったって構わない。しかし、おのずから分野はそこに集中的に、専門的にやる機関とわき役的にやる機関とがあってしかるべきだ。それで外国為替銀行がありますけれども、一般の都市銀行その他も外国業務は大いにいまやっておられますけれどもウエートはおのずから違う、そういうことであります。そういう意味で、証券界銀行界かきねというものもその間に、先ほど申し上げました川があってもいいのじゃないか。つまりグレーゾーンというものがあってもいいのじゃないか。  私は、いまの日本金融制度一つの欠陥は、短期の証券市場が成長していないことだと思います。この短期の証券市場というものは、まさに金融界証券界が一緒に育てるべきものであって、たとえば政府短期証券、それからCD、CP、そういうようなものは銀行もやってもいい、証券もやってもいいという分野でなければうまく発展しない。そうすると、いまの証券取引法は、あるものを有価証券と指定しますと、それは証券業者だけしかやれないんで、ほかは全然やってはいけない、こういうことになっています。それで、たとえばCDの問題は大蔵省の行政指導でつくりましたけれども、あれは有価証券性は与えたいけれども有価証券だと言ってしまうと今度は銀行が扱えなくなります。いまは、しようがないから銀行だけやって、有価証券性を与えるわけにはいかない。これは制度の欠陥であって、そういうような、金融界もやってもいい、証券界もやってもいいというものは両方でやれるというようにやはり証券取引法で手当てをする。それから、最初に申し上げました、金融界がやるいわゆる証券業務は全然野放しということじゃなしに、証券業務は証券業務で証券取引法でちゃんと規制をし、それが公平にかつ取引者の権利の保護にも役に立つというように前向きに考えていくべき問題だ。これは私の申します専業主義とちっとも矛盾しないし、また、現状にも最も合った、日本経済のあり方として正しいものではなかろうかと考えております。
  61. 柿澤弘治

    柿澤委員 証取法について何か手当てをする必要があるかどうか……。
  62. 大月高

    大月参考人 私は、それはいまの金融機関以外のものがなす次の証券業務を証券業という、あれがそもそも間違いのもとであるわけでございますから、金融機関がやるにしても、ああいう仕事をやれば、これは証券業だと言い切らないとごたごたが起きるのじゃなかろうか。その手当てをいたします。したがって、六十五条もそれに応じて手当てをするということで、結局、もし仮に銀行証券業をやろうとすれば、証券局の方でこれはある特定の免許を与える、しかし、それに対する監督権を銀行局が持つかとなると、銀行行政の面で持てばいいわけでございますから、そういうようにして、野放しに勝手にやる、銀行銀行で勝手にやってもいいというような制度でないようにはすべきものだと考えております。
  63. 山崎武三郎

    ○山崎小委員長 時間がないのですが……。
  64. 柿澤弘治

    柿澤委員 時間が来ているのですが、いまのところはちょっと興味があるので。  そうすると、銀行法改正案を出すときには、やはり証取法なりもあわせて手当てをして同時に出さなきゃいかぬというお考えでございますね。
  65. 大月高

    大月参考人 そうしないと、いまの解釈論が非常に混淆しているのがそのまま残る可能性がある。したがって、その点は単なる法律技術の問題でございますから、実体は十分証券局、銀行局でお詰めになって、それに応じた法制を完備する、単にあいまいな解釈として残さないようにすべきだ。したがって、たとえば金融機関の範囲なんかも弾力的に、指定すれば入れられるし、いやもうやらしたくないというのは指定を外せるようなちゃんとした制度にしておくべきだと考えています。
  66. 谷村裕

    谷村参考人 簡潔にお答えいたします。  私は、現在の状況において、実体論として、銀行窓口販売をなさったり、あるいは銀行がいわゆるバンクディーリングということをしなければならないという状況ではないと思っております。これは私いろいろなところにも書きましたし、先ほども申しました。  第二に、制度論としてこの際何らか公共債等についての扱いを明らかにするということがあったとしたら、一体おまえはどう考えるかということになってまいりますと、私は先ほど竹本委員にもお答えいたしましたが、あるいは佐藤委員にもお答えしましたが、窓販をぜひやりたいとかバンクディーリングをやりたいから、だから、この際銀行法をせっかく直すのならいままでの既得権をちゃんと認めろとか、そういう立場考えられてははなはだ困る、問題が違う、こう申し上げたい。竹本委員さっき大体あなたの考えはわかりましたとおっしゃったけれども、本当にわかってくださったかどうか心配ですからまた申し上げますけれども、私は、本来やはり専業主義は崩すべきではない、かように考えておりますがゆえに、証券業というものが、あるいは証券業務というものが証取法上明らかにされております以上、公共債でありましても何でありましても、銀行が仮にそういうものの売買なりあるいは売りさばきなりをなさろうというのであれば、それは他業であると私は考えております。  その他業というものをどういう形で仮に書くのであるか、どういう意味で書くのであるかと言われれば、私は、いまの状況で、こんなに国債が出ているんだから、大変だからというようなことを、望ましくない現状を前提として百年の大計である銀行法改正すべきではないと申しましたように、いま大月参考人も触れましたけれども、将来たとえば大蔵省証券というようなものが市場に流通するようなものとして金融取引の媒体になるというようなことがあったときに、一体大蔵省証券というものをどうするんだというふうな議論が仮にあって、そういうときに、一体公共債、あれも国債でございますが、これは両方、どっちかが触れたらどっちかが触れないというようなものかというふうな議論があるのなら私はわかります。  あるいはまた、昭和二十七年のように貯蓄国債というようなものを出して、これをあらゆる機関を通じて売り出そうという話になったときに、これはどうするんだ、特別法をつくるのか、それはつくったらつくったでもいいのですが、つくらなくても済むように手当てをしておきたいんだ、これはどうお考えになっているかわかりませんよ、しかしそういうことがあるのなら、これは郵便貯金との問題で大変ですけれども、これも一つのあり得ることだと思います。だから、私は、窓阪のためにこの際はっきりしてくれ、入れてくれ、入れちゃいかぬというふうな話じゃなしならわかります。そういう意味において、私はやはり他業としての証券業務というものの中で国債、公共債というようなものをどういう立場からどう入れるんだという御議論をちゃんとしていただいてやるのであればそれなりの理解が私にはできるということをいままででも申しておるわけでございます。  なお、ついでに申しますと、さっき触れましたように、社債等登録法とか、あるいは信託の兼営でありますとか、すでに他業としてちゃんとあるものを銀行は取り込んでおります。そして銀行はその法律によって銀行法のどこにも明記されておりませんが、仕事をいたしております。担保附社債信託法による受託業務もしかりであります。証券業務に関する限り銀行法に何か明記しなければならぬのかどうか、これも実は問題であると私は思っております。そうして、私はディーリングなどとんでもないということを申しましたけれども、もし窓販といったようなことが問題になったときに、銀行法というだけの問題であるのかどうか。ということは、昭和二十七年の特別立法では相互銀行、信用金庫等にも売りさばきを認めているわけでございます。そういったようなことを踏まえないと全体としての法律の構成というものはできない、私はかように考えております。むしろ、いま大月参考人が申しましたように、銀行法の問題じゃなくて、証券業務というものが明確に規定されております証取法の方でいかにこの問題を考えるかということの方が重要であり、それを忘れて銀行法だけがちょろりとこの際何かする、そういうような性質のものではない、かように私は考えております。
  67. 柿澤弘治

    柿澤委員 それでは一言だけ確認をしておきますが、つまり銀行法の中に書き込むよりも、特別立法が必要なときには特別立法でやるべきだというお考え、そして証取法の手当てが必要だというお考えと認識してよろしゅうございますね。
  68. 谷村裕

    谷村参考人 何か特別のことを、国債が大量に発行されて何とかしなければということのためだったら、たとえば貯蓄国債を出すんだというようなことだったら特別立法も一つの手であろうと思います。  しかし、御質問がもし、制度として一体公共債の扱いというものを銀行証券を通じてどういう形で考えるのか、あるいは銀行だけじゃなくて、金融証券、たとえばいま大月参考人が触れられたように、将来における短期証券の問題というのを一体両制度の上でいかに位置づけるかといったような問題であるとすれば、これは証取法を考え直さなければいけない問題だというふうに私は思っておるということを申し上げるわけでございます。
  69. 柿澤弘治

    柿澤委員 どうもありがとうございました。
  70. 山崎武三郎

    ○山崎小委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、御多用中のところ御出席の上、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  本日は、これにて散会いたします。     午後零時三十一分散会