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鯨岡国務大臣 環境庁が生まれて来年で十年になるわけですが、
環境庁の発足の端緒になりましたものは、御
承知のとおり四日市におけるぜんそくのような病気が多発いたしまして、それは何が
原因だろうかということで、そうしたらあそこのコンビナートから出る排気ガス等そういうものが
原因であるということから、これは大変だ、こういうことになりまして、その被害者に対していまだに救済を続け、また認定患者の認定作業も進め、また一方において、そうやっているうちに水俣病だのイタイイタイ病だのということになりまして、悲惨な患者がまだいるわけでございます。
そういうことをずっと続けて今日までやっているのですが、再びそういうことが起こっては大変だということで、水に対する基準をつくったり、大気に対する基準をつくったり、いろいろそういう問題が起こらないようにということを、国会の方の御審議な
どもいただいて進めてまいったわけでありますが、そうやっているうちに、一方、一九七二年ですか三年ですか、ローマ・クラブ、
わが国からも大来佐武郎先住な
ども御出席になられたのですが、ローマ・クラブで、これから先行き地球はこのままでいると、人間は
対策はいろいろなことをやるでしょうから、だからそうなるとは一概に言えないけれ
ども、何にもしないでこのまま
経済が成長していくととんでもないことになるぞという警鐘を乱打いたしまして、それから
昭和四十七年、八年でしたか、国連で人間環境
会議というストックホルムの
会議がありまして、それで地球的にそういう問題を
心配する機運がどこの国でも盛んになりまして、もちろん国連でも盛んになりまして、
わが国でもそういうことを研究している学者
先生方はおられるわけでありますが、過般
総理大臣から私呼ばれまして、
日本でもこれだけの
経済が国民の力でできたのだから、やはり世界のそういう機運におくれないで、また世界的な
会議でもあったときには
日本が応分なノーハウを提供できるようにひとつ準備をしておく必要があるだろう、こういう御示唆もありまして、そこで、地球的規模の懇談会というようなものをつくりまして、それで
先ほど申し上げました大来佐武郎先生に座長になっていただいて、斯界の権威を集めて
会議を開くこときのうで三回でございます。ことしじゅうに一つの
目標をつくりたいと思っておるのです。これでことしじゅうに何か決めようなんて言ったってそれはできることじゃありませんから、そういう権威ある方々に、こういうときに
日本はどういうことを研究していくことが必要であるかというような道しるべをことしじゅうにつくっていただいて、その御
答申をいただいて、その御
答申の
内容によってわれわれは来年の
計画を立てていきたい、こういうふうに考えているわけであります。
いま地球には四十二億くらい人間が住んでいるのですが、紀元二〇〇〇年というときにはどのくらいになるだろうか、いろいろ予測があるようですが、どんな内輪に見積もっても六十億をちょっと超えるという、それ以下の人はいないのです。どんなに内輪に見積もっても六十億を超える。紀元二〇五〇年には百億になるであろう、こう言われておる。そうなりますと、一体水は大丈夫か、食べ物は大丈夫か、大気は大丈夫か、いろいろなことが
心配になります。
先ほども申し上げましたように、人間はいろいろ知恵がありますから、何かするでしょう。何かするでしょうから、そう破滅的なことを予測するわけではありませんが、もし何にもしないでこのまま
経済が五%ぐらいずつ進んでいったとすれば、紀元二〇〇〇年には、
日本の
経済だけとってみても倍になるわけですから、その倍の
経済をこの中でどうやったらやれるのか、そういう点も考えていかなければなりませんし、自然の
状態が崩れていくという問題についても考えていかなければなりません。当面の問題でないのでなかなか国民に理解をしていただけないのですが、私といたしましては、これほど重要な問題はない、そう考えて取り組んでいるわけでございます。