○田川
委員 大変率直にお答えいただいて、大平さんの遺志を継いであなたが万端やっておられたのですから、当然なことだと思いますが、ひとつこれはぜひ実行に移していただきたい。
それから、私は先ほどは申し上げませんでしたけれ
ども、実は民間がやっているのですよ。これまで民間が身銭を切って、あなたは御存じないかもしれませんけれ
ども、たとえば中国、特に旧満州、東北地帯から帰ってこられた方はみんな実際にそれを知っていますから、小さいグループ、会をつくっては、何とか残留者を早く帰したい、身寄りのない人の肉親を見つけたいということで、みんな小遣いをはたいてやっているのです。そして、そういう団体が日中孤児問題連合会という会をつくってやっているのです。それから、そういう団体ばかりでなく、われわれ
国会の内部でも、ごく少数ですけれ
ども、孤児問題議員懇談会、こういうものをつくって、何とかして早く、解決を少しでも促したいということでやっているわけです。また、ついせんだっては、日中
友好議員連盟、これは超党派で、あなたも役員をやっていらした
友好議員連盟の秘書団が中国の東北地区へ行って、この問題は何とか解決しなければならぬ、政務の間を縫って犠牲的にひとつやろうじゃないかということで、むしろ
政府よりも民間やわれわれ議員の有志の者が犠牲的にボランティアとしてやりつつあるわけです。それに比べると
政府の取り組み方がどうもなまぬるいということしか見えないのですね。
そこで、いままで私
どもがボランティアとしてこういう問題に取り組んでおりまして、ある程度成果はおさめているわけです。もちろん
外務省でも、最近は北京の
大使館が一生懸命やっておられるようです。北京の
大使館に、中国の残留者の中で、私は
日本人だ、親を捜してほしいと申し入れている人が千二百六十七人、そのうち四百三十人、約三割四分ぐらいが見つかっているのですよ。これは
政府がやっているし、あるいは民間の
人たちの協力でやられているのです。しかし実際は、中国に残っている孤児というのはもっと多いはずです。私の推定ではやはり一万人を下らないと思いますよ。最近、先ほど来たびたび申し上げましたように開放的になった。いままでは
日本人だ、あるいは
日本語を知っているというようなことを言うとにらまれた、いまはもうそういうことはなくなったということで、このところどっと
日本人として名のりを上げる人が多くなってきているわけです。
伊東さん、私だけでもこの三カ月間に、中国に残留している、中国人みたいになってしまった孤児から百三、四十通手紙をもらっているのです。御
承知のように、中国のいまの生活水準といったら、
日本のお金に直すと平均一万二千円ぐらいの収入でしょう。そういう生活の中で何がしかの小遣いを払って
日本へ航空便で綿々と、
自分は
日本人だ、親はこういう名前でどこ出身だ、どういうときに生まれたのだというようなことを言ってきている人が、私一人だけでここ数カ月の間に百三十人もいるのです。そのほか、こういう問題のボランティアになっている
人たちに来ているわけですが、非常に多い。
こういう帰国者の問題の中で解決しなければならぬ問題は、まず肉親を捜してやらなければならぬ。そのほか、わかった人で
日本へ帰ってくる
人たちの言葉の問題、就職の問題、いろいろある。ところが、もう数年前からこういう問題に取り組んでいまして、
政府の間がてんでんばらばらなんですよ。厚生省援護局あるいは文部省初中局、言葉の問題、
日本語教育の問題でも、
政府間の
連絡が譲り合いのような形でなかなかうまくいかない。それから民間の団体もたくさんありますからね。これはいま連合会ができておりますが、とにかくたくさんの団体が犠牲的な精神で運動をやっている。こういうことで能率がなかなか上がらない。
そこでひとつ
外務省が中心になって音頭をとってやってもらいたいことは、各省の
連絡をするような、これは機関ではなくていいのです。いま行政を簡素化する中ですから、役所をつくれということは言いません。
関係省庁、
外務省、厚生省、文部省あるいは労働省、この程度の役所の
連絡機関を
総理府かどこかへちゃんとつくって、そして肉親捜しの問題あるいは帰国した場合のいろいろな問題、こういうようなことをひとつぜひやってほしい。これはやらなければならない問題だと私は思いますし、そういう意見もずいぶん出ているわけです。むずかしい機構いじりをする必要は毛頭ありません。難民問題で
総理府にそれに近いような機関があるでしょう。事務局ができてますよね。そういう程度の調整機関というものをつくれないものですか、どうですか。