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1980-11-05 第93回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十五年十一月五日(水曜日)     午後一時三分開議  出席委員    委員長 坂田 道太君    理事 有馬 元治君 理事 椎名 素夫君    理事 三原 朝雄君 理事 箕輪  登君    理事 前川  旦君 理事 横路 孝弘君    理事 市川 雄一君 理事 吉田 之久君       後藤田正晴君    塩谷 一夫君       竹中 修一君    玉沢徳一郎君       辻  英雄君    原田昇左右君       堀之内久男君    石橋 政嗣君       嶋崎  譲君    矢山 有作君       西中  清君    永末 英一君       東中 光雄君    中馬 弘毅君  委員外出席者         参  考  人         (平和・安全保         障研究所理事         長)      猪木 正道君         参 考 人        (東京大学教授) 関  寛治君         安全保障特別委         員会調査室長代         理       麻生  茂君     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  国の安全保障に関する件(最近の国際情勢とわ  が国の安全保障問題)      ————◇—————
  2. 坂田道太

    坂田委員長 これより会議を開きます。  国の安全保障に関する件について調査を進めます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  最近の国際情勢とわが国の安全保障問題について、本日、参考人として平和・安全保障研究所理事長猪木正道君及び東京大学教授関寛治君に御出席を願い、御意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 坂田道太

    坂田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
  4. 坂田道太

    坂田委員長 この際、委員会を代表して、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  両参考人には、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  当委員会におきましては、国の安全保障に関する件について調査を行っておりますが、本日は、特に最近の国際情勢及びわが国安全保障問題について、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、御意見は初めにそれぞれ三十分ずつお述べいただき、次に委員からの質疑に対しお答えいただきたいと存じます。また、発言は着席のままで結構でございます。  なお、念のため申し上げますが、参考人からは委員に対する質疑はできないことになっておりますので、お含みおき願いたいと存じます。  それでは、順次御意見をお述べいただきます。  まず、猪木参考人からお願いいたします。
  5. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまの委員長のお話によりまして、現在の国際政治といいますか、国際情勢といいますか、それを私はどう見ておるかということをまず申し上げまして、それに関連して、わが国安全保障はどうあるべきか、現状についてどういう点を再考し検討する必要があるかということについてお話ししたいと思います。  まず第一番でございますけれども、私は、昨年十二月の例のアフガニスタン事件が起こりました後の国際情勢は確かに緊迫した感がございましたけれども、しかし、第三次世界大戦がそれによって起こるようなおそれはまずなかろうという意見をずっと抱いておりましたし、今日も抱いております。もちろんこれは、国際情勢のことでございますから予測しがたい要素がたくさんありまして、去る九月の十一日、十二日、十三日、十四日と四日間、ロンドンの国際戦略研究所が、イタリアのストレーサで「第三世界紛争世界安全保障」という題で研究会をやったのですけれども、その際も「予測が不可能である」という意見が大勢を占めまして、それが私は国際情勢とか国際政治とかいうものの本質だろうと思います。したがって、絶対に第三次世界大戦は起こらぬという保障はどこにもないのでありまして、ただ公算が非常に少ないというふうに私は考えております。  その根拠は、一ころヨーロッパ方面で、第一次世界大戦が勃発しました一九一四年の六月から七月にかけての情勢にそっくりであるとか、あるいは第二次世界大戦が勃発しました、これは日本ではいわゆる支那事変という形で、昭和十二年からほとんど全面的な戦争に突入しておったのですけれども、ヨーロッパの第二次世界大戦が起こりましたのは一九三九年でございますが、その前の一九三八年、一九三九年の情勢にそっくりであるというようなことを、評論家研究者のみならず、かなり責任のある政治家でさえもそういうことをはっきりおっしゃったり、あるいはほのめかしたりされたものですから、わが国にもそういう意見が伝えられておりましたが、私はそれは間違っておると思うのです。  というのは、第一次世界大戦が起こりました原因を振り返ってみますと、主要なパワー、つまり列強と申しますか、その列強の中の、特に開戦に関して重要な役割りを演じておりますところの帝政ロシアであるとか、あるいは帝政ドイツであるとかいう国々大変リーダーシップに欠けておった。  たとえば帝政ロシアで申しますと、皇帝のニコライ二世は大変弱体で、三年後にはとうとう革命で帝位を失うわけであります。史上まれに見る弱体な皇帝でありました。また軍部は、特に陸軍は皇帝政府の言うことを無視して、いろいろと謀略、陰謀のたぐいを繰り広げておりまして、御承知サラエボ事件も、その背後にはプリンツィプという青年オーストリアハンガリー帝国皇太子夫妻を暗殺しました。そのプリンツィプという青年背後には帝政ロシア参謀本部が動いておったということは、今日では疑う者がおりません。そういうようなまことに好ましからざる状況にあった。  帝政ドイツはどうかというと、皇帝ウィルヘルム二世の言うならば親政といいますか、親政といいます意味はみずから統治するという意味ですが、親政ということになっておったのですけれども、宰相はベートマン・ホルヴェークと申す非常に弱体な人で、そして皇帝は、重大な事態が起こりますと常に、首都ベルリンを避けてどこかに逃避するという妙なくせを持っておりまして、あの危機のときも、ノルウェーのフィヨルドあたりで難を避けられたといったような状況であった。  しかるに、今日の主要なパワーでありますところの、スーパーパワーと言った方がいいかもしれませんが、米ソ両国ともにそのようなことはない。アメリカの場合、皆さん御存じのとおり、ただいまレーガン候補が圧勝したようでありますが、どなたが大統領になられましても、アメリカ合衆国のリーダーシップというものは、弱体に見えることもあり、また事実弱体なこともありますけれども、しかし、意図せずして戦争にずるずると引き込まれていくといったようなおそれはございません。  また、ソ連は、私は十月八日から十八日までモスクワとキエフに滞在して、ソ連学術関係首脳部意見を交換してまいったのでございますが、そのときに受けました印象はまことに沈うつなものでございました。これは後でもちょっと申し上げますけれども、十数人の政治局員が合議してソ連対外政策を決めるという点において、大変慎重な面もございまして、アフガニスタンの侵攻にしても、いまから思えば失敗だったという判断をしているかもしれませんけれども、あのときは、しかしアメリカは立たないだろう、だからアフガニスタンというすでにソ連勢力圏に組み込まれた国に対して軍事介入しても、一時的には世界世論を敵に回すようなことがあるかもしれぬけれども、しかしながら第三次世界戦争にはならないという判断で行動したわけでありまして、その判断は少なくともその点に関しては当たっておったわけであります。そういう点で第一次世界大戦とは違う。  それから第二次世界大戦状況といいますと、ヒットラーという男が、これは戦争が勃発したのではなくて、戦争をみずから起こした。そういう意味で、スイスの歴史家のワルターホーファーという人はエントフェッセルンクという言葉を使っておりますけれども、これはつまり戦争をみずから起こしたという意味でございます。勃発といいますと、何らかのことで偶発したというような意味に読み取れますけれども、そうではなくて、意図的にヒットラーはあの戦争を起こしておる。そういうような指導者は、百六十ぐらいある国の中の小さな国々の中にはおるかもしれません。たとえば、もうすでに国を追われましたけれども、ウガンダのアミン大統領なんかは何かそれに近いような気がいたしますけれども、しかし主要な国のパワーズ、列強指導体制というものは非常に慎重であり、かつ、がっちりしておりますので、その意味において、第三次世界戦争が起こる公算は非常に少ない、このように観察しております。  ただし、二つの点において多少心配な点が出てまいりました。それは、アメリカソ連もともに、一九七五年くらいまではそれぞれの意味において自分の力に対して信頼を持っておりまして、その上においてデタントということも言われたわけですけれども、デタントという言葉意味米ソにおいて解釈が違ったことは皆さん御存じのとおりです。このことはいま繰り返しませんけれども、とにかくそれぞれの意味において自信を持っておった。ところが、アメリカで申しますと、あのゴールドウォーターがあれほど負けたのに、そのゴールドウォーターを支持した極右勢力に乗ったレーガン候補が今度のように圧勝したということは、アメリカの国定が、物価問題や失業問題その他の内政問題もございますけれども、対外政策の面でも、友邦の国民に対してこういう表現を使うことは私は避けたいのですけれども、あえて申し上げますと、ある意味において多少ヒステリックになっておるのじゃないか。そういう点において自信アメリカが喪失しておるということは、第三次世界大戦公算は少ないとはいえ、余りいい徴候とは言えないと思います。  もう一つのソ連でございますけれども、私は十日間滞在しておりました間にいろいろな人と意見を交換しましたが、中には政治家も含まれておりますけれども、副首相も含まれておりますけれども、全体として、すでに過去十年間に六回やりました会議に比べまして、ソ連側ではいま大変沈痛な顔をしております。これは沈痛な顔を装っておるのではなくて、本当に沈痛な顔をしております。  というのは、モスクワから見ればよくわかるのでございますけれども、日本から見ておりますと、ソ連軍隊はばかに強くて、とにかく軍事的に非常に自信を持っておるというふうに考察されがちなんですけれども、モスクワに身を置いて周りをながめますと、まことに八方ふさがりでございまして、内政面では、二億三千五百万トンとれるはずの穀物が一億八千万トンを割りそうだ、肉類も酪農品も不足しがちである、トイレットペーパーすらもなかなか一般の市民には手に入らぬ場合さえある。さらに、これはソ連側から聞いた話じゃないんですが、モスクワに長く住んでおります日本人から聞きました話ですけれども、ソ連高等学校に息子さんを進学させておるんですけれども、そのソ連高等学校の学生の雰囲気はどうかというと、大学進学に失敗すればアフガニスタンに送られるぞというので、怠けておられないといったような状況だそうです。つまり、アフガニスタン問題がなかなかソ連の思うようには解決しないので、ちょうど私がおりましたときにカルマルが来ましたけれども、それまでは、ソ連軍国境を固めておるので、国内のゲリラを討伐するのはもっぱらアフガニスタン政府軍であると言っておったのですけれども、その機会にソ連軍が戦っておるということを認めまして、そして、英雄的に戦っておる者に対して非常に感謝するといったようなこともソ連で発表しました。それからさらに、ソ連軍は当面のところ撤退できないということも言っております。そういう点から申しますと、アメリカ側の方では、まことに遺憾でございますけれども多少ヒステリーぎみのような症状が出ておるし、ソ連ソ連で、八方ふさがりということでまことにどうも沈うつである。  よくソ連クマにたとえられますけれども、クマの場合も手負いのクマが一番こわいんでございまして、恐怖心を持ったクマというのはなかなか凶暴性を発揮するわけでございます。そういう点から申しますと、いまのソ連というのは、私は、向こうに滞在中、ソ連首脳と一緒に、モスクワでもってサーカスを見に行きまして、クマの曲芸に感心したのですけれども、その中の一番大きなクマブレジネフ書記長にそっくりな顔をしておったものですから、(笑声)私は非常に感動深くながめたのですけれども、どうも米ソともに、大変被害妄想的と言ってもいいような状況に陥っているという点が多少心配でございます。  そこで、時間がどんどん経過してまいりますので、最も危険と思われます問題を、これは挙げていけばいろいろ六つも七つもあるんですけれども、時間がございませんので、一番重要な問題、ポーランドだけを一つ挙げてみたいと思います。  私は、数ある国際政治上のいまの問題の中でポーランド問題が一番重要であって、もし第三次世界戦争が起こるとすればこの問題をめぐって起こるだろうと私は考えております。もちろん中東問題も重要でございます。イラン・イラク戦争予想外に長引いておりますし、ホルムズ海峡の閉鎖といったような事態も起こらないという保証はございませんし、またその隣のアラブ・イスラエル紛争も、エルサレムの問題なんかでアメリカイスラエルに圧力を加えない限りなかなか解決しない、やっかいでございます。それからアフガニスタンへのソ連軍の進駐は、意図するところは、社会主義共同体の一員となったとソ連は言っておりますが、そのアフガニスタンが、ソ連の言い分によれば外部からの陰謀によって政府が倒れようとしておる、それを助けてやるのだということで入ったんだと言うのですけれども、結果としては、ソ連軍アフガニスタンの飛行場も使い、アフガニスタン国境まで進出したわけでございますから、意図はそういうものであっても、結果としてはソ連軍インド洋やあるいはペルシャ湾にますます近づいたということでございますので、危険は危険でございます。それから中ソ国境も決して安心できませんし、中国ベトナム国境も、これまた今後の状況の推移によっては再び中越戦争が起こり、そしてその結果、中ソがまた非常に熱い対立をするということも予想できないことではございません。また朝鮮半島も決して安心はできないと思いますが、それらの諸問題に比べまして数倍重要なのが、ポーランド問題だと私は思います。  と申しますのは、チェコスロバキア事件の場合は、難民はオーストリアという中立国へ逃げることができましたし、西独に逃げることも可能でございました。ところが、ポーランドの場合は、これは逃げるのはパルテック海に飛び込む以外にないんですね。したがって、アフガニスタン事件が続いております間は、ソ連両面作戦を好みませんからできるだけ介入は避けるでしょうけれども、しかし、遅かれ早かれソ連軍ポーランドに介入する事態が起こる公算は大きい。その場合に、チェコスロバキア人は一六〇〇年代の初めに武力でもって抵抗したことがあるのですけれども、それから三百七十年間もチェコスロバキア国民武力で立ち上がったことはないのです。そういうことを計算に入れて、一九六八年の八月二十日にソ連軍チェコスロバキアに入ったと思うのです。  ところが、ポーランドの場合には、御承知のとおり十九世紀だけをとりましても何度か暴動をしておりますし、非常に揮発性国民でございますししますので、このポーランドソ連軍が介入するということになりますと、絶望的な窮鼠ネコをかむような抵抗をポーランドは始めるおそれがある。そうしますと、ワルシャワ条約機構は吹っ飛んでしまうわけでございまして、アフガニスタンからならばソ連軍隊を撤退するということも可能です。これはソ連に好ましい結果が出たから撤退するというケースもございましょうし、どうにもならないので撤退するというケースもあると思います。どうにもならないで撤退した場合にはソ連はメンツを失いますけれども、いずれにしてもやわらかいわき腹の部分でございまして、心臓部からは遠いのでございます。ところが、ポーランドソ連心臓部モスクワやレニングラードに非常に近い。そういう点から申しますと、これは大変危険でございまして、ソ連ポーランドで致命的な時限爆弾を抱えておるということでございまして、この点を注目していく必要があるかと思います。  そこで、余すところの時間で日本安全保障に入るのでございますけれども、日本安全保障を考えます場合に、もちろん中東の事態で、日米安全保障条約によって日本を守るべき第七艦隊の主要な機動部隊が半恒久的にインド洋の西の方に出動しておるということのために、日本周辺に大きな穴があいた。そこでそれを埋めなければならぬという意味日本防衛努力が必要だということも、これは私はそのとおりだと思うのですけれども、しかしポーランドを中心としてヨーロッパにおいて重大な事態が起こった場合、それが、たとえば日本に対してソ連海峡自由通航を求めるといった、そういったような事態も想像されるわけでございまして、今後、日本としては、一番日本にとっては遠い国であり、かつ利害関係も余りないように思われますけれども、ポーランドに注意する必要があると思います。  そこで、御承知のとおり日本安全保障体制は一九五七年に定められました「国防の基本方針」に基づいてできておりまして、私は、基本的にはこの方針は正しかったというふうに考えております。日米安全保障体制は、最近の世論調査を見ましてもますます、日本においてもそうですけれども、特にアメリカにおいて日本に対する信頼感が高まっておる。これが逆だったら大変だと思うのですが、日本アメリカ信頼しているけれどもアメリカ日本信頼していないということになりますと、これは非常に憂うべき事態でございますけれども、幸いなことに、日本では、いざというときにアメリカが助けに来てくれるだろうかという不安感もときどき聞きますけれども、しかしながら、アメリカの方の日本に対する信頼感が高まっておるということは、これは日本を侵略するおそれのある国にとりましては大変重要な信号でございまして、これは日本に侵略した場合にはソ連としても、日本に侵略する力のある国というのはソ連しかありませんから、中国も北朝鮮も韓国日本に侵略する力はありませんから、それでソ連を例にとるのですけれども、私は、八〇年代にソ連日本に侵略する公算はきわめて少ないという意見の持ち主なんですけれども、ソ連日本に侵略した場合にはアメリカと正面から対決しなければならぬということになりますので、それが大変な抑止力になりまして日本の安全が守られる。  それで、日米安全保障条約の中で特に重要なのは、基地を提供し、そのかわり日本を守るというあの五条、六条ではなくて、前文並びに一条から四条までのところで、法の支配とか、自由な社会経済体制とか、開放した自由貿易体制とかを守っていくんだという、価値観を共有するというところに非常に重点があると私は考えております。  それで、その日米安全保障体制というものが、日本安全保障に重要なことは皆さんもよく御存じのとおりでございますので、次に内政面を見てみますと、日本内政は大変安定しておりまして、これは特に国外におりますと、国内では日本新聞はいろいろ書きますから、これはお書きになるのは新聞の務めですから当然ですけれども、何か不安定のように見える。しかしながら、外国から日本をながめておりますと、日本ほど内政が安定している国は少ないのじゃないか。今度のソ連との会議でも、会談の内容は申し上げられませんけれども、たびたびソ連の著名な社会科学者科学アカデミー会員の人々が、日本が、第一次石油危機から始まったあの石油危機に対して、資本主義国の中で最も迅速に、かつ有効に対応した、改めて日本経済力の底力の強さに感銘を感じておるというような意味のことを申しておりました。これは大変なものだというふうに私は思います。  そこで、問題は防衛力でございまして、私は、安全保障というのは外交内政防衛だと思うのです。外交は、日米安全保障条約が健在である限り、間接的にはオーストラリアやニュージーランドとも友好関係にあるし、韓国とも友好関係にある。もっとも韓国にはいろいろ問題がございますけれども。それからヨーロッパNATO諸国とも友好関係にある。カナダとも友好関係にある。大変味方が多くて敵が少ない。大東亜戦争に突入した往時の日本とはえらい違いでございまして、非常に結構なのですけれども、問題はその防衛力でございますが、この防衛力が、私の率直な感想を申し上げますと、一九六〇年度の予算から、これは五九年に岸内閣のもとで編成された最後の予算ですけれども、この一九六〇年度の予算から一般会計歳出の一〇%を防衛費が割りまして、それからどんどん低下いたしまして、今日では五・二%ぐらいに低下しております。先進工業国先進民主主義国の中で、防衛費一般会計歳出の一〇%を割っている国はめったにございません。予算の組み方その他いろいろございますけれども、いずれにしても、これは率直に申して、二十一年間の怠慢と言っても言い過ぎではないと思います。これは、何も政府とかあるいは国権の最高機関としての国会とかだけの怠慢を申し上げているのではないので、これは日本国民全体の責任だと思いますけれども、いずれにしても二十一年間怠慢を続けてきた。  その結果どういうことになったかと申しますと、わが自衛隊装備が大変陳腐化いたしまして、この陳腐化状況につきましては、皆さん方日本防衛」と題するあの防衛白書で、ことしの白書は大変正直に弱点を、陸・海・空自衛隊について列挙しておりますのでよく御存じのことでございますから私は省きますけれども、大変欠陥の多いものになっておる。これはひとえに予算の不足からくるのでございまして、その意味においてこれを何とかしなければいかぬ。私は、日本軍事大国には断じてなってはならないし、また、なれないし、いたずらに防衛費をふやして防衛力を強化することは、敵をふやし、味方を減らすことになるので好ましくないというふうに考えております。しかしながら、いまのように少なくては、これはことしの防衛予算二兆二千億円ぐらいございますけれども、その中で装備費はわずかに二〇%で、そうして研究開発費は二百二十五億円、研究開発費防衛予算の一%というのは、これはもう日本ぐらいのものでございまして、先進工業国はいずれも一〇%以上でございます。西ドイツが五%という例外がありますけれども、それでも日本の五倍であります。  そういうふうに考えていきますと、この研究開発費を十倍ぐらいにして、そうして装備費を倍ぐらいにすることは、これは決して他国に脅威を与えるという意味ではなしに、日本国民を安心させる、また周りの国をも安心させるという意味において、非常に必要なことだと私は考えておるのでございます。  御承知のとおり、いまの委員長防衛庁長官をしておられた一九七六年に、坂田長官のもとで「防衛計画基本大綱」というものが策定されまして、そして「基盤的防衛力」というものが整備されることになりました。私は率直に申して、これはその当時の状況では非常に意味が深かった、非常に有意義なものだったと思っております。  一例を挙げますと、海上自衛隊の場合、護衛艦が何十隻ありましても、オイラー、給油艦が当時一隻しかなかったのです。たった一隻しか給油艦がないと、護衛艦が出動する必要が生じた場合、たちまち油がなくなりますから、それぞれ母港へ帰って給油する必要がある。大変なロスでございます。ところが、昨年においてもう一隻就航しました。これは基盤的防衛力構想からきているのでございまして、そういうわりあいに金のかからない、目立たないところにお金を回す、そうすることによって小ぢんまりとしておっても意味のある、それなりにまとまった一つの防衛力をつくろうというのが、基盤的防衛力構想のねらいであったと思うのです。そのねらいは大変よかった。給油艦が二隻になりますと、極端に言いますと護衛艦防衛力は二倍に近くふえたと言っても過言ではないと思うのです。もう二隻くらい給油艦ができますと大変頼もしいことになるのではないか。正面、正面と皆さんおっしゃいますけれども、正面じゃない、そういう目立たないところに金を回すことが非常に必要ではなかろうか。そういう意味意味があったのですけれども、もうそれから四年たっておるのにまだ計画が実現してない。  問題の中期業務計画というものは一九八〇年から五年間の計画でございますけれども、それが完成しても基盤的防衛力は八割程度しか完成しないのですから、私はこれはよくないと思うのですね。これは率直に言って怠慢だと思います。したがって、アメリカがいろいろなことを言うのも無理はないのですけれども、特にレーガンになりますと一層いろいろなことを言ってくると思いますけれども、外国から言われて、同盟国から言われて何かするというのは、主権国家としてははなはだみっともないことでございまして、アメリカが何と言おうとも、日本としてはやはり、自衛に必要な最小限度の防衛力は備えていくという努力が必要だと思います。  どの辺のところまでふやせばいいのかという点に関しましては意見の分かれるところでございますけれども、私どもが伊東内閣総理大臣臨時代理に提出しましたレポートでは、GNPに対して一・〇七%までふやすということを提案したのですけれども、私自身の個人の見解を申し上げますと、その当時からそういう見解をずっと持っておるのですけれども、一・三%くらいにはする必要がある。それでも西ドイツやフランスや英国に比べますとずっと少のうございます。しかもその重点を防空力と対潜能力とそうして対艦船能力、つまり上陸のためにやってくる対艦船能力、そして後方支援能力に集中いたしますと、これはいかなる国に対しても脅威を与えません。防空力で侵略した国というのはないのでございます。対潜能力で侵略した国もございません。対艦船能力で侵略した国もございません。そういう意味においてこれはまことに防衛的なものでございまして、非常に意味が深いのではなかろうか。  それから、時間が参りましたのでやめますが、最後に、予算の問題を離れまして、三つのC、すなわちコマンド・コントロール・アンド・コミュニケーションと言われておりますところの指揮管制通信能力を強化して、それを統合化する、そして統合幕僚会議議長を昇格して国防会議の正式のメンバーにする、そういう努力をする必要があるのではなかろうか、そうしないとわが自衛隊はいつまでたっても訓練部隊であって、有事即応態勢がとれる体制にはならない、このように思うのでございます。  以上でございます。(拍手)
  6. 坂田道太

    坂田委員長 どうもありがとうございました。  次に、関参考人にお願いいたします。
  7. 関寛治

    ○関参考人 私は、第三次世界大戦危機がいま非常に少なくなったのではないかという猪木先生の判断に全く同感なのですが、第三次世界大戦危機がなくなったということは、今後そういう危機が再び出てこないということを意味するものではなく、さらに現実にそういう危機が起こり得るという可能性を持っていると考えます。したがって、日本安全保障政策の一番根底は、いかにしても第三次世界大戦を防ぐために全力を尽くすというのが基本にならなければいけない。同時に、第三次大戦といかないまでも、日本のみがたとえば核戦争の実験場に近いような状態になることをも防ぐために全力を尽くさなければならない、この二つの点が大前提になり得るのではないか。  これは理由を申し上げるまでもなく、核戦争日本の上で行われた場合に、日本安全保障が原理的に成り立たないということは、すべての人がほとんどコンセンサスとして持っていることではないかと言っていいと思います。これは単にコンセンサスだけではなくて、現実にそういう事態防衛庁の中で果たしてシミュレーション的に実験されたのかどうかということをまず聞いてみなければならないように思います。  いずれにしましても、安全保障は原理的には核戦争においては成り立たないんだということから出発する必要があると思うのです。  そこで、現在の第三次世界大戦危機に関するきわめて具体的な判断から入りたいと思いますが、ごく最近、ことしの初めに冷戦の再開というような事態が起こったわけであります。このような冷戦の再開という事態が、アフガニスタン問題をきっかけにしてアメリカの過剰反応というふうな、われわれがそういうふうに呼んでいいようなものとして始まったことは周知の事実であります。しかし、そのような過剰反応に対して、ヨーロッパを初め多くの国々で必ずしもアメリカの対ソ経済制裁措置にはついていかなかったという問題がありまして、ソ連との経済協力というのは、むしろアメリカの経済制裁措置が出た後にヨーロッパでは増大している、そういう事態があったわけです。日本の方がむしろその点では立ちおくれまして、ソ連との経済協力、最近になっていろいろと、立ちおくれたということから、始めようという事態になっております。まさにこのことが、ある意味では冷戦の再開の方向にチェックをかけた要因であると言っていいように思います。  それでは、なぜそういうふうな動きになったのかを、まず冷戦の再開という事態から若干御説明してみたいと思います。  この冷戦の再開は、単にアフガニスタン事件が起こったということで冷戦の再開になったわけではなく、その前からそういう国際政治の構造的な諸条件が次第に成熟していたと考えるのが、そのように分析するのが妥当であるかと思われます。  考えてみますと、六〇年代の初期には、ケネディ政権以降、米ソの間で緊張緩和の動きがいろいろなレベルで進んだわけであります。そのいろいろなレベルで進んだ最終段階として戦略兵器制限交渉、すなわちSALTI、IIというものがあったということは言うまでもありません。しかし、五〇年代、六〇年代を通じましてアメリカの相対的な力が非常に落ちてまいりまして、ベトナム戦争の最中にニクソン、キッシンジャーによるベトナム戦争の収拾工作と並行いたしまして、中国に対する接近が行われたわけです。このような中国に対する接近は、アメリカの地盤沈下を中国への接近で三極構造ないしは二・五極構造をつくり上げ、同時に、ヨーロッパ日本アメリカの極構造と協力させることによって、アメリカの勢力均衡、地球的な規模での勢力均衡の地位を高めようといったことから起こったことは言うまでもありません。このような勢力均衡政策が、実は、「浮上する平和構造」というふうにキッシンジャーが名づけたわけでありますけれども、浮上する平和構造であった期間は非常にわずかの期間に限られた。  それはなぜであるかと申しますと、軍事戦略の問題におけるグレーエリア、つまり灰色地帯というものを非常に拡大したということであります。軍事戦略の面で、アメリカの圧倒的優越の時代から米ソ・パリティーの時代というふうに七〇年代はほぼ移行してまいりました。もちろん、パリティーと申しましても、質的な面ではなお圧倒的にアメリカが優位であり、量的にはほぼ均等、場合によると、あるものではソ連の方が優越するという事態が起こりまして、量と質との間での米ソ間のギャップは非常に複雑な形をとったように思われる。しかし、にもかかわらず量的にソ連の全体的な軍事力が増強したことは、戦略体制そのものにも大きな変化をもたらしました。  そのようなソ連の基本的な戦略を引きずってきたものは何かと申しますと、これはやはりアメリカの核戦略をソ連が常に学習してきたということでありまして、これは反面、アメリカを教師として学習してきたために、タイムラグ、つまり時間のおくれを伴っていたというのが実情であるように思われます。つまり、アメリカは六〇年代の核戦略に移行したのに、ソ連は大体アメリカの五〇年代の核戦略をとり、アメリカは七〇年代に移行したのに、ソ連は六〇年代の核戦略をとっている。そういう時間のおくれがあったわけであります。  そこへさらにつけ加わった要因が、キッシンジャーの勢力均衡政策からする大きな変化であります。戦略核兵器制限交渉の中で問題とされたICBM等、戦略核兵器以外の非常に副次的な領域が軍事戦略的にはグレーエリア、つまり灰色地帯であることは言うまでもありませんが、勢力均衡政策が出てきたときには突如としてこのグレーエリアが拡大するわけです。たとえば米中軍事同盟ということが起こってまいりますと、ソ連にとっては、米ソの均衡から、アジアにおいては米中に対してソ連安全保障を確保しなければならないという、そういう要求へと変わるわけであります。  このようなことは十分予測可能なわけであって、ソ連の戦略は全くわけがわからぬというものではないわけです。もしソ連の戦略を立てる人が猪木教授であっても、全く同じ形の戦略を安全保障上考えざるを得ない。非常に了解可能なわけであります。したがって、勢力均衡政策が地球的な規模で展開されることによって、ソ連アメリカとの間のパリティー原則だけで問題を考えることが非常にむずかしくなったということであります。  似たようなことは、NATOとワルシャワ条約との関係において、西側においてまた痛感される問題となっております。つまり、アメリカとNATOとの軍事戦略を合わせたものは、ワルシャワ条約機構に対して十分パリティーであり得るわけです。にもかかわらず、NATOとワルシャワ条約だけを考えますと、ワルシャワ条約に関してはソ連が実際上深く中に入り込んでおりますために、NATOの方が非常に不利な立場に立つ。そこからNATOの軍拡が起こってくる。  同じことは日本についても言えるわけです。日米安保条約に中国をつけ加えたものでいった場合には、当然ソ連に対してパリティー以上で対抗できるはずです。しかし、地域的に考える、つまり地政学と最近言われている、そういうレベルで考えると、日本の周辺にソ連の艦隊がたくさん遊よくしているという話になる。そういう点から考えますと、グローバルなレベルでの勢力均衡政策は非常に危険な問題をもたらしていると言うことができるわけです。  数学的なゲームの理論の中で、N人ゲームの理論、つまり三人以上のゲームの理論がございますが、その中で安定した解答というのは、コア、つまりコアという概念が提出されて、その間で一種のパリティーみたいなものを考えると、均衡が考えられるというわけであります。  ところが、その均衡、普通われわれはパレート、最適と呼んでおりますが、そういう解答が三カ国、四カ国以上になると、どのような同盟の結成が可能になるかによって突如として変わるわけです。したがって安定性がない。このことはある意味では非常に危険なわけであります。  第三次世界大戦危機ということがいまもし過去の歴史的な比喩で考えられるといたしますと、私は第二次世界大戦前の状況よりは、第一次世界大戦前の状況にむしろ非常に近いのではないかと言っていいように思われるわけです。あのとき、第一次大戦前のときは、国際緊張が激化して、第一次大戦の危機が深まったと言われるようなバルカンの危機のときにはむしろ第一次世界大戦は起こらないで、どちらかと言えば、第一次大戦直前のときはむしろ全般的に戦争はないだろうという安心感があったわけです。そのとき突如として第一次世界大戦が起こったわけであります。  そのような点から考えますと、次に問題となるのはやはり、中東を中心にした非常に米ソの直接的な対決というよりは、米ソ勢力圏をめぐって争われる地域、あるいは先ほど猪木教授が言われたように、共産圏の中の非常に弱いスポットということになるかもしれません。全般的に見た場合に、私は、共産圏内部の問題がかなりの危機的な問題を含んでいることは事実だと思いますが、やはり中東の成り行きというものは依然としてより危険な問題を含んでいるように思われるわけです。これはグローバルなレベルの勢力均衡政策の領域とはちょっとずれております。つまり地域的レベルの勢力均衡の問題であります。  このような地域的勢力均衡を非常に強力に押し出したのが、今度は大統領選挙に敗れましたけれども、カーター政権内のブレジンスキーである。ブレジンスキーは、そういう意味ではグローバルなレベルで勢力均衡を考えた、キッシンジャーに対して小型キッシンジャーというふうに呼ばれておりまして、そういう小型キッシンジャーという点で、ブレジンスキーに対する非常に強い批判がアメリカ国内国際政治学者の中にもあったわけであります。  このブレジンスキーの勢力均衡政策は、もちろんキッシンジャーの勢力均衡政策を部分的には受け継いでいるわけです。たとえばインドシナ戦争、ベトナム戦争が終わった後に、アメリカが最も多く武器を輸出した国はイランでありたわけです。その次がサウジアラビアであった。そのような結果といたしまして、一九七七年にはイランが世界で一番の武器輸入国になったわけです。七八年には、イランの政変があったために、イラクが第一の武器輸入国になったわけです。そして現在イラン・イラク戦争が戦われておりますけれども、非常に不思議なことには、武器輸入の世界のトップ国同士が戦争をやっているという状態であるわけです。  このようなことは、グローバルなレベルの勢力均衡政策のレベルの、より下の地域的な勢力均衡政策が非常に危険な問題を生み出しているということを示すものであります。そして、この地域的なレベルの勢力均衡政策が主として戦われているのは、非常に貧しい第三世界、あるいは第四世界と言われるような地域であります。アフガニスタンの問題もまさに、われわれから見れば第四世界と言っていいような貧しいところで、ソ連の介入が起こったということであります。このような地域における米ソの影響力の争奪を、われわれは、米ソの立場で見るのではなくて、そういう地域から見る必要が大いにあるのではないかということであります。  ちょっとこれは古くなりますけれども、一ころ前に「グローバルリーチ」という有名な本をリチャード・バーネット教授が書かれた。この方はワシントンの政策研究所の所長をされているわけです。このリチャード・バーネット氏が非常に象徴的なことを言っていられるわけです。それを引用いたしますと、  もしこの世界が住民百人の地球村から成っていたら、そのうち六人がわずかアメリカ人でしかない。この六人が村全体の所得の半分以上を持っておって、残りの九十四人があとの半分の所得で命をやっとつないでいるんだ。この富める六人は、こうした隣人たちを抱え込んでどうして安穏に暮らせることができるのだろう。ほかの九十四人の攻撃に備えて武装せざるを得ないであろう。しかも九十四人の一人当たり所得の合計を上回る一人当たり軍事費を使って云々、 というようなことを書いている。これは非常に象徴的な言葉でして、現在のアメリカの地盤はもっと沈下しておりますけれども、西側諸国の所得を合計して考えた場合には、なお同じようなことが言われると言ってもいいのではないか。  そこで次に、日本安全保障論議で、いままで言われてきた基礎的な理論を再検討してみたいと思います。  第一の理論は、これは理論とまでは言われないのですが、比喩と申しますか、戸締まり論というのがあったわけですね。この戸締まり論は比喩として使われているわけですが、軍事力に関する限りは、これは国内とは非常に違うわけでして、国内の場合は戸締まり論で十分私は通ずると思いますが、これは制度全体がいろいろ保障をしていまして、戸締まりというのはほんのわずかの問題でしかないわけですから。     〔委員長退席、三原委員長代理着席〕 そういう場合には戸締まり論の比喩は成り立つと思うのですが、どうもこれを国際関係に持ち出すのは、理論としては根本的に間違いではないかというのが私の見方です。  と申しますのは、戸締まりとして軍事力を持つことは、安全保障を高めたように見えるけれども、実は回りめぐって自分の安全保障を低めるところにぐるっと回ってくるということなんです。こういった問題はリチャードソンの方程式という有名な方程式があるのですけれども、A国の軍事力を増大させると、A国の軍事力が一時的に増大することによって安全保障が増大するのです。ところが、相手のB国は、A国の軍事力が増大したことによって安全保障感覚が下がるわけです。     〔三原委員長代理退席、委員長着席〕 そこで、B国は、軍事力を増大することによってA国に対して相対的な安全保障力を高めようとするわけです。そうすると、今度はA国の安全保障がドロップいたしまして、循環過程が始まるわけですね。その相互の循環過程がどのような形で進むかということを示したのが有名なリチャードソンの方程式でして、これは一国の軍事費というのは相手国の軍事費の量に比例する、そして自国の軍事費の量が多くなると抑制力が働いてくる、なぜかというと、国内の福祉の問題とかいろいろな問題が出てくるので、抑制力が働く、そしてもう一つは、元来その国々が、AB両国間でどの程度の敵対関係であるのか、この三つの項を掛け合わせたものとして答が出てくる。この方程式は、大体大学の入学試験問題、数学の入学試験問題としては簡単に解けるわけでして、相手の軍事費にどの程度敏感に反応するかというそういうパラメーターの値は、AB両国について二つあるわけですが、それを掛け合わせたものが、自国の軍事費の増大に対してそれを制御する要因の二つを掛け合わせたものより大きいときは、この軍拡競争は無限に続いて最後に戦争に至る。逆に、相手の軍事費に対する敏感度が非常に小さくて、その積が非常に小さくて、そして、自国の内部で軍事費を増大させない圧力の積がより大きいときは、この軍拡競争は安定になる。これは数学の問題として解けるわけです。そういう関係にあるために、戸締まり論というのは、どうもその相互間の関係で安全保障を考えないという、非常に大きな欠陥があるわけです。  もう一つは、次に出てきたのは勢力均衡論であります。この勢力均衡論は非常に迷信でありまして、実は勢力均衡に近づけば近づくほど危ないわけです。理論的には、ポーランド出身のアメリカ国際政治学者ジョージ・モデルスキーがそのことを理論的に述べております。むしろ、圧倒的に力の差があるときは逆に戦争の危険性がないわけです。近づいてくると危ない。過去の一八六〇年代以来のあらゆるデータを使って研究いたしましたデービット・シンガー、これはミシガン大学の教授なんですが、この人は、過去の戦争のうちほぼ似た程度の力を持った国が対抗関係にあるときは、勢力が近づけば、つまり力の大きさが狭まれば狭まるほど戦争の危険性が高まる。そして、実際上十のうち七、つまり七〇%が結果的には戦争に終わった。  昨年モスクワ国際政治学会があった。この国際政治学会のときも、デービット・シンガー教授は、ソ連の学者に対して、その自分の研究の結果をコンピューターのアウトプットをもって示しまして、だからアメリカソ連は気をつけなければいけないんだと言ったわけです。そうしましたら、ソ連のアルバートフというアメリカ・ラテンアメリカ研究所長が、まさにそのとおりだと言って、二人で握手をして、何とかしましょうという話になった。  ところがその後でアフガニスタン事件が起こって、いまのような経過をたどったわけです。もちろん、そのアフガニスタン事件の直後は、アメリカの「ニューズウイーク」も「タイム」も、これは冷戦の再開であると大きく取り上げたわけです。この冷戦の再開の中で、冷戦の再開に対するいろいろなチェック、制御要因がヨーロッパでも働いてまいりましたし、そういうことは経済協力ということでもあらわれました。  しかし、その冷戦の再開という事態が、むしろNATOとワルシャワ条約における相互の戦略関係というものに非常に大きな問題を引き起こしました。御承知のように、SS20というソ連のミサイル体系とパーシングIIというアメリカ側の体系との取引の問題になって、そしてその取引がうまく片づいていないわけですが、ヨーロッパの小国であるデンマークとか、あるいはオランダ、ベルギーあたりで、そういうものを国内に配備することに対する反対運動が非常に高まったわけですね。特に小国の場合にそれが強かった。それからイギリスでも、最近はイギリスから核兵器を撤去しょうというイギリス労働党の一部の動きが非常に高まってきている。これらの動きがNATOとワルシャワ条約との間の緊張緩和の方向に貢献することが望ましいのですが、いまのところ、まだ政策レベルにまでそれが十分インプットとして入り込んでいなくて、運動レベルにとどまっている。運動の方も、何か政策レベルと無関係なところでどうも動いているというのが実情であります。  いずれにいたしましても、勢力均衡論がもたらす危険性は、先ほど申しましたように十分な安全保障というものをもたらすものではない、緊張緩和というのがあくまで前提条件であるということを申し上げなければならない。  それから最後に、核抑止論の問題に入るわけですが、核抑止論というものはずいぶん長い間信頼されてきたわけです。しかし、その核抑止論については、将来については非常に保証できないという問題が戦略家の中でも出てきている。  これは核抑止論を一番最初に唱えたアメリカの物理学者と非常に親しかった、いまは亡くなられたわけですが、朝永振一郎先生が、パグウォッシュ会議のときその方と話されたときに、自分の考えた核抑止論は、十年から二十年ぐらいしかもたないということをはっきりとインフォーマルには言っておられたわけですね。そのことを朝永先生ははっきり耳に残されておりまして、私どもにも、亡くなられる前、会われたときはしょっちゅうそういうことを話しておられました。だから、自分はもう核廃絶のための軍縮に非常に熱心になっているんだということを言われていたわけです。最近「平和研究」という雑誌の中に「朝永振一郎の平和運動」という論文をお書きになった方がございますので、それを参考に読んでいただければある程度おわかりになると存じます。  核抑止論の一番危険なのは、やはり数学的ゲームの理論のチキンゲームという中で示されると思います。チキンゲームというのはどういうのかと申しますと、暴走族ゲームと呼ばれておりますけれども、ある道路の両側から中心線に沿って、暴走族が車を物すごい勢いで走らせてやってくるわけです。その場合にもし避けると、日本では左側に避けるのがルールでありますが、アメリカでは右側に避ける。避ければ、避けた方が相手に負けて百万円支払うとか、五百万円支払うというゲームです。両方とも避けなかったら衝突して、これは完全におだぶつになる。一回ある人が暴走族ゲームをやってうまくいったとします。これは抑止力がきいた、相手が避けた。ところが、二回繰り返してやって、それがうまくいく保証があるのかということが一番原理的な問題なわけですね。  抑止論にもいろいろなタイプのものがございまして、第二撃抑止とかいろいろなことを言われておりますけれども、核抑止論が非常に不安定であるということは、最近の科学技術によって命中精度がだんだんよくなってくる。いまのところ、アメリカの第二撃力に対するソ連の命中精度がよくなって、アメリカの第二撃力をなくすということはちょっと考えられないが、にもかかわらず、科学技術の開発というものはまさにそういう方向をはっきりと指し示しているわけです。したがって、アメリカの方も十年先のことを非常に心配しているというようなことになります。  大体冷戦の再開に至りました基本的な前提条件としては、ソ連の核兵器の量というものがパリティーになって、しかもパリティーを超えるんではないかという危機感がある。質の問題についてはなおアメリカが有利なわけですけれども、そういう危機感というものが量の問題で起こったわけですが、やがて質の問題で将来いろいろの問題が起こってくるということが予想できるわけです。  そこで、いまのうちに早く新しい転換というものを考えておく。これはやはり時間との競争の問題です。そういう事態が起こる前に、日本の平和政策を体系的にどのように展開するのかという、これが日本安全保障政策の基幹にならなければいけない。その能力を日本が持っているか。五〇年代には持っていませんでした。日本のGNPは世界でもうほとんどとるに足らないものであった。いまや八〇年代においては、日本のGNPは世界を変える能力を持っている。そのGNPをいかに世界に上手に使うかによって、日本世界の平和秩序をつくり出すことのできる能力を持っている。その能力に対して不作為であるかどうかが、日本安全保障政策にとって根本的な問題であるということで、私の結論といたしたいと思います。  以上でございます。
  8. 坂田道太

    坂田委員長 以上で、参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  9. 坂田道太

    坂田委員長 この際、委員各位に申し上げます。  先ほどの理事会の協議により、本日の参考人に対する質疑は、最初に各党の代表が順次質疑を行い、次いで、各委員からの発言の申し出により、各会派の割り当て時間の範囲内で自由に質疑を行うことといたします。  それでは、参考人に対する質疑に入ります。玉沢徳一郎君。
  10. 玉沢徳一郎

    ○玉沢委員 両先生に質問させていただきます。  ただいまお二人の先生からそれぞれ意見をお伺いいたしたわけですが、共通点といたしましては、第三次世界大戦はなかなか起こり得ないという御認識を持っておられるようであります。確かに第三次世界大戦が起こり得る可能性というのはきわめて薄いという面も見られます。しかしながら、それは核戦争になれば全世界が滅亡するという意味でございます。しかし世界戦争は起こり得ないけれども、それがゆえに通常兵器によるそれぞれの紛争、こういうものが相当起こり得るのではないか。たとえばイラク・イラン戦争、いま地域均衡の理論ということでお話をされましたが、その背景にはたくさんの要素があると思うわけでございます。こうした事態は今後とも起こり得るのかどうか、この点につきましてはどういう御認識を持っておられるのかどうか、こういう点を両先生にお伺いいたします。
  11. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまの御質問でございますけれども、先ほど私がちょっと述べましたように、国際情勢の変化は予測不可能な要因が非常に多うございまして、私も、第三次世界戦争公算は少ないと申しましたけれども、決してないとは言わなかったつもりでございます。  イラン・イラク戦争に関しましてはいろんな人に、英米人はもとより、ドイツ人それからソ連人あるいは東ドイツの人にも「イラン・イラク戦争を予測したか」ということを私は聞きました。大変おもしろいんでございますけれども、その中で「予測した」と答えたのはソ連の東洋学研究所所長のプリマーコフという、これもアカデミシャンですけれども、それが得々として「自分の研究所では、」これはソ連の科学アカデミー付属の研究所で一番大きいのです、歴史も一番古いのです、「歴史研究と現代研究とを一緒にやっている強みで、御承知のとおりイランとイラクとは、アラブとペルシャの昔から、七世紀からの紛争がございますので、それと現在の状況とを一緒に研究しているその強みから、戦争があることを予測した」、「いつ予測したか」と聞きましたら「昨年予測した」と答えますから、「それではことしの九月に起こるということを予測したか」と聞きましたら、「いや、それはわからなかった」こう言うのですね。「それでは予測にならぬ。それはイランとイラクが仲が悪くて紛争が起こるかもしれぬということは皆知っておったので、問題はことしの九月に起こるということを予測しないとそれは予測にならないじゃないか」と言いましたら、「いや、そう言われてみれば確かに予測はしていない」ということでございまして、それがいい例で、ことしの六月の末に、九人くらいの日本の石油問題と安全保障問題の専門家と私、アメリカへ同行いたしまして、ワシントンの北にあるボルチモアのベルモント・ハウスというところで、泊まり込みで五日間にわたって、「ペルシャ湾岸地帯の政治的、社会的不安定と石油の供給」という題でやったのです。ところが不思議なことには、主たる問題になりましたのはサウジアラビアがいつぶっ倒れるか、五年後か、もっと早いか、あるいはサウジアラビアはイランと違って大丈夫だということばかり議論をしておりまして、イランとイラクがこの九月には戦争をおっ始めるぞということを言った人は一人もいないのですね。これはアメリカ側出席者の中にはアルバート・ウォールステッターというアメリカの核戦略理論の最高権威者もおりましたし、ランド・コーポレーションの会長をしておった、いまスタンフォードにおりますヘンリー・ローウエンさんもおりましたし、第一級の人が出ておって、それで予測できないのですね。  そういうことですから、簡単にお答えいたしますと、そのような状況、つまり核抑止力がまだ有効に働いておる、ところが、いま関教授のお話で、それ自身が非常に不安定化しておることも事実でございますけれども、逆に言えば、本当に朝永さんが期待しておられたように、核が完全に廃棄されたならば人類は平和を楽しめるかというと、私は、核がなかったら第三次世界戦争はとうに起こっていたと思うのです。核兵器のおかげで第三次世界戦争が抑止されているという面も見逃してはならぬ。私は決して核兵器を賛美するものじゃございませんし、これの残虐性から見てこれの廃棄には大賛成ですけれども、そういう面もあるということも申し上げて、そういう状況のもとでは、特に第三世界において、第三世界の中には朝鮮半島のように中進国といいますか、もう大分経済成長を遂げた国も入れまして、要するに先進工業民主主義国を第一世界と呼び、ソ連圏を第二世界と呼んだ場合に、それ以外の国を第三世界と申しますと、第三世界においては今後ますます地域的紛争が起こる公算が大きいと私は思います。  さらに第二世界ソ連圏の中にも、ポーランドの例に示しましたように、土着の要因から紛争が起こる危険性がかなり高い。しかもそれが、困ったことには米ソ両超大国の力の均衡にも影響してくるので困る、それが単に地域紛争としてとどまってくれればいいのですけれども、エスカレートする危険があるので困る、このように私は思っております。
  12. 関寛治

    ○関参考人 私もいわゆる第三世界、発展途上国が主として存在している地域においては、民族問題、宗教問題、土地制度問題、言語問題、教育問題というものが、現存の国境を越えて、またがって同じ民族や宗教がいるということがありますために、しかもその間でさまざまの集団の間の差別とかそういうものが働いているために、絶えず紛争になる状況が存在しているというふうに考えます。このような紛争状況が、ある紛争状況の中に閉じ込められて拡大しなければ、その地域の紛争として、問題は余りほかに影響しないと言っていいと思います。場合によると戦争にもならないで、常時紛争状態というような地域はあるわけでございます。  これを東南アジアで申しますと、フィリピンの治下のモロ解放民族戦線地区というのがございまして、これはマレーシアのサバの地域にまで影響を及ぼしており、常時フィリピンは半分戦争状態のようなことをやっているわけですが、その中で難民が出てきてサバの方に逃げるとかそういった問題がある。それに対してマレーシアの方は、ある地域の指導者は、それが同じイスラム教徒だというので支持して、場合によるとゲリラの訓練所までやっているというような例まであるわけです。こういった地域は、世界じゅうを見ますと非常にあっちこっちにあるわけです。これらの地域でもし紛争が拡大してくると戦争になる。  この紛争が拡大する条件というのは何かと申しますと、やはりいろいろの国がそこに利益関係を持ちまして、開発の過程が進むことによって、大国がそこに関与してくる、場合によると武器援助というようなものが行われるというようなことを通して、普通の規模の紛争がよりレベルの高い戦争になり得る。また、ざらにレベルの高い、幾つかの国が巻き込まれるような戦争になる。したがって、そういう紛争地域に対しては大国はいままでのアプローチ、いままでの外交政策を変えて、新しい開発政策というものを考え出さなければ非常に危険であるというふうに言っていいのではないか。  そういった新しい開発方式を考えるためにも、現在地球上で五千億ドルの軍事費が使われておる、その一部でも、もしそういう開発のために、新しい開発方式をつくるために変化させられれば、そちらの方に流用させれば問題状況は非常に新しい次元が出てくる。  もちろん、現在のところは部分的にいろいろな経済協力をやられておりますけれども、その経済協力のやり方とか、あるいは大国がそういう国々に対してどういう外交政策をとっているかということを見ると、これはきわめて不十分だと思う。日本の場合は、いままでどちらかというと軍事力を中心にしてアプローチをしなかったために、東南アジアでも非常に評判がよかったわけですけれども、そういった政策を一層次のレベル、つまり単純な経済協力政策ではなく、新しい経済協力政策へと移行させなければならないと思うのです。新しい経済協力政策はどういうものであるかということについては、非常にたくさんのいろいろな項目がございますので、私、いまここでとても列挙する余裕はないわけですけれども、とにかく新しい経済協力政策が必要であるということを申し上げたい。  そしてもう一つ、核抑止力で平和が守られているという考え方についてですが、戦後確かに核戦争というのはなかったのです。この点は私も全く認めるにやぶさかではないのですが、今後果たしてそうであるかということについては非常に疑いを持っているのです。  なぜかと申しますと、過去の戦争の統計を、科学技術の発達と同時に、数字的に研究した非常におもしろいグラフがあるのです。そのグラフの一部が、十月十五日の朝日新聞のCOSMOSという中の三十三で、カール・セーガンにより紹介されているのです。  これを見ますと、戦争の規模を地震と同じようにマグニチュード一、マグニチュード二と考えますと、マグニチュード三というのは十の三乗、千人の人が死ぬ戦争です。マグニチュード一〇というと百億人の人が死ぬ戦争ですね。これを過去の戦争だけで統計をとりますと、当然第二次世界大戦が一番規模が大きかったわけですから、せいぜいマグニチュード八よりちょっと以下ぐらいのところ、何千万程度のところでとまっているわけです。ところが過去の流れをずっと伸ばしていきますと、必ずマグニチュード一〇の戦争がある一定間隔で起こるはずです。それを縦軸にとりますと、マグニチュード零というのはせいぜい一人死ぬ。ですから、しょっちゅうどこかで、暴力ざたで紛争をやっていると一人ぐらいは死んでいる。マグニチュード一というのは十人死んで、どこかで暴力団がけんかをやると十人ぐらいは死んでいる。こういうものが世界じゅうで五分間くらい置きに起こっておるわけです。ところがマグニチュード一〇、つまり百億人が死ぬ戦争というのは、いままでの流れの傾向で見ますと、ほぼ千年ぐらいに一回起こるということになっているのです。ただ、核兵器ができた後の状況は、そのカーブを少し下へ下げて、大体あと百年くらいのうちに人類が絶滅するのではないか、あるいは二、三百年のうちに人類が絶滅するのではないかという推定をいろいろする人がある。しかし、このグラフはもちろんいままでのやり方どおりであって、すべてがいままでと科学技術の進歩の速度も同じであるということを前提にしたものです。  問題は、制度が変わればいい、構造が変わればいいということなんです。構造が変われば今度はカーブをぐっと逆に上へ向けまして、放物線よりはさらに双曲線に近いようなものへ持っていって、千年の先をもっと先にずっと伸ばすことが可能になる。ただし、それは人類の現在の制度で乗り切れるかどうかというと、一六四八年に原型ができた現在の主権国民国家から成っている制度、つまりウェスト・ファリア・システムというのは、これを乗り越えることが非常にむずかしいシステムであると考えたのです。勢力均衡論者は、ウェスト・ファリア・システムというのは勢力均衡が非常にうまく働いてきたと言うのです。これは、科学技術が発達しないときは非常に緩やかにいろいろな対応ができたために、フィードバックというものが非常にうまくいったわけです。それで、ウェスト・ファリア・システムは非常にうまく効いたシステムだと言うのは、これは永井陽之助氏の見解なんです。私は、科学技術の発達というものはそういう制度では対応し切れなくなっているというふうに考えるのです。ここに国連とかいろいろな問題が出てくるわけです。
  13. 坂田道太

    坂田委員長 参考人に申し上げますけれども、本日は限られた時間でございますので、なるたけ簡潔に御答弁願いたいと思います。
  14. 猪木正道

    猪木参考人 玉沢委員にお答えした中で、三十秒間で結構ですから補足させていただきます。  私、ちょっと失念いたしまして、土着の要因の中に、近代化ということ、つまり言葉をかえて言いますと工業化、都市化、世俗化、そういうものがこれからますます行われる。そうすると、それに対する反動として、ホメイニ革命のような非近代化革命が起こる。これは韓国事態なんかもややそれに共通な点があると思うのですけれども、高度経済成長がもたらす不安定、そういうものが第三世界紛争の原因になるということだけをちょっとつけ加えさせていただきたいと思います。
  15. 玉沢徳一郎

    ○玉沢委員 そこで、両先生とも、第三世界におきましてはいろいろな要素が重なり合っておりますので紛争になる状況にある、こういうふうな御判断をいただいておるようでありますが、話をもっと具体的に、日本安全保障という問題に掘り下げまして御質問申し上げます。  特に関先生に御質問申し上げますが、つまり第三世界紛争というものが拡大しなければ余り平和というものに影響しないということでございますが、しかし、今回のイラン・イラク戦争というものを見た場合に、この紛争というものの推移が、もしイランがイラクの戦略物資陸揚げを阻止するためにホルムズ海峡を封鎖するという挙に出た場合、これは仮定の問題でありますけれども、今後、国際化ということを想定した場合は当然こうした問題が起こり得る可能性があります。その場合、日本安全保障に最も重要な問題が出てくると思うのですね。そういう場合に、日本としましては、あそこの海峡がもし封鎖されますと、貨物船の八割が日本の船である、また石油の需要の五〇%が中近東から来ておるわけでございますが、経済協力をするだけでこうしたことを阻止することができるか、もしそういう状況に直面した場合には、GNPを利用されましてどういうような対応を考えておられるのか、お考えがございましたら一言お伺いしたいと思います。
  16. 関寛治

    ○関参考人 私は、短期的にいろいろの問題が起こったときにそれに対応できるかどうかというのは、場合によると非常にむずかしいことがあり得ると思うのです。したがって、たとえば石油の備蓄をやるとか、あるいは石油の供給先を多元化するとか、いろいろの努力が短期的にはなされるわけですが、それらの短期的な努力を超えるような大きな石油入手が不可能な状況が来た場合には、仮に軍事力でそういうものを抑えても、これは恐らく日本としては不可能だろう、その場合はもう不可能でお手上げであると言うしか、言いようがないのです。  しかし、長期的な政策として考えた場合には、これはいろいろな可能性が幾らでも開ける。一つは、もちろん新しい代替エネルギーの開発という科学技術の力に頼る問題がありますし、同時に、そういう紛争の起こる源を除いていくような新しい経済協力体制を日本世界のいろいろな地域に力を注いでいく。その力を注ぐにはずいぶんコストがかかる話です。広い意味安全保障のコストということだろうと思うのですが、そういうコストが必要である。それは単純に経済協力というんではなく、むしろそういう地域における紛争の原因を除去し、あるいは紛争が拡大しても戦争というものが大した戦争にならないような努力である。その一つは、たとえば武器輸出というようなものをいろいろな国が慎むようにするとか、あるいは緊張増大の原因を除いていくとか、あるいは紛争の直接的原因を徐々に除くためのいろいろの協力が考えられる。そういった協力の中核になるのは、日本の科学技術をどのように使うか、科学技術の使い方一つにかかっているんではないかというふうに思います。  いま考えてみますと、世界の科学者、技術者のうち、四人に一人は何らかの意味で軍事研究のために頭を一生懸命使っているわけです。同時に、それによってさまざまの研究費を受けて仕事をしている。アメリカソ連の場合は大体十人に六人は何らかの意味で軍事研究に従事している。日本は幸いに平和憲法がありまして軍事研究の方はほとんどやっていない状況なんですが、これは非常に大きなメリットなんであって、日本アメリカに比べて最近貿易の面でも何でもアメリカと摩擦が起こるくらいいろいろな力、経済力を増大させたのは、日本の科学技術がそういう軍事力でない部門に全力を割けたという非常に大きなメリットからきていると思う。このメリットは今後ますます生かしていって、そして世界の科学技術が日本の科学技術から学習する方向へ持っていかなければいけない。同時に、科学技術を取り巻くさまざまの条件を分析する協力体制をつくるための社会科学的研究、これを日本世界の社会科学のリーダーシップをとるようなところへ持っていかなければいけない。その中核として国連大学というものが、まだ始まったばかりですけれども、大きな機能を果たす可能性を持っている。したがって、安全保障を総合的に考えられる場合に、ぜひ国連大学というのをお忘れなくお願いしたいと思っております。
  17. 玉沢徳一郎

    ○玉沢委員 そこで、いま短期的には非常にお手上げである、長期的には科学技術その他の力を利用したらいいということでございましたが、ただ科学技術の場合にも、やはり発展をした平和的な科学技術でも、国家の意思によってそれを幾らでも軍事的なものに転用することができる、ここをどう抑制するかというのが非常に大きな問題点になるだろうと思うのですね。  先ほど先生の勢力均衡論をお聞きしまして、リチャードソンの方程式でございますが、それぞれの国におきまして軍事力を抑制しようという力が働いていくならば、これは非常に戦争抑止になるというお話でございました。  そこで、お伺いをするわけでございますが、われわれ議会制民主主義をとっておる民主主義国家におきましては、少数意見というのは非常に尊重されるということになっております。ですから、いろいろな形で運動することができるわけでございまして、抑制力というものが政策にインプットされるということも、これは可能であると思います。ただし、残念ながら、ソ連及び社会主義国家と称する国々は、やはり何と申しましても政治体制は一党独裁でありますから、そういうところで果たして抑制力というものがその国の政治体制、その政策を遂行しておる勢力に反対をして、抑制力というものを働かすことができるのかどうか。冷戦構造というのはアメリカの、つまり一つの軍事力増強というものをやろうという意図によってなされたと言っておりますけれども、六〇年代の前半から七〇年代にかけまして今日まで、ソ連が一貫して軍事的な増強を続けてきたというのも、これまた事実であります。七〇年代のデタントの時期であってさえも軍事力を増強してきた、こうした体制の中において、果たして民間の人々の平和を望もうとする意見が、抑制力としてインプットされる可能性があるのかどうか、ここをちょっとお伺いいたしたいと思うのですが、もしそれが可能であるならば、私は勢力均衡論というのはお互いの努力によってできると思うんですね。それからもう一つ、それに関連してお伺いしますが、中国ソ連の対立というものがございます。これは社会主義勢力を平和勢力だと断定をしますならば、これは根源はやはりマルクスが、「共産党宣言」に言っておりますように、社会主覇国家の間には国家と国家の対立はあり得ない、こう言ってきたわけですね。これは非常に搾取のない国々でありますから対立はあり得ないということでございますが、しかし、現実にあらわれてきた国際政治状況の中におきましては、私はやはり、中国ソ連は、かつてあれだけの友好国家であったものが、たとえば一九六二年の一年だけで五千回もの国境紛争をやっておる。六八年の珍宝島の事件でも連隊規模の戦いをやっておる。こういうような事象をどういうふうに受け取っておられるのですか。  以上の二点についてですね。
  18. 坂田道太

    坂田委員長 関参考人にお願いいたしますが、簡潔にひとつ。  それから、いまの玉沢君の質問に対して、猪木先生からもひとつお答えをいただきたいと思います。
  19. 関寛治

    ○関参考人 私は、ソ連中国の問題を、これは社会主義国と言われているわけですが、社会主義国として国家を見るのはむしろ付属的なものとして見なければいけないのじゃないかと思っています。つまり、ソ連中国も、一六四八年に原型のつくられた主権国民国家から成るウェスト・ファリア・システムのメンバーとして国家をつくったということなんです。  ただし、国家をつくったときの条件が非常に悪い条件でつくられた。これは悪い条件と申しますのは、御承知のようにソ連国家が生まれたのは、第一次世界大戦の最中に、その第一次世界大戦から離脱するという形の、反帝国主義革命という少なくとも表向きの理由をとったのです。つまり「帝国主義戦争を革命へ」というのが彼らのスローガンだったわけですね。内戦へということですね、それがスローガンだった。中国は、御承知のように第二次世界大戦中に国家づくりをやった。これは日本との戦争の中で毛沢東は人民戦争論をやり、そして国家をつくった。このことは何を意味しているかと申しますと、彼らの国づくりというのは、周辺の環境は常に戦争状態であるというところから行っておりますから、何らかの意味で軍事戦略的な側面が非常に強いわけです。  御承知のように、レーニンはクラウゼウィッツの理論の継承者であった。同時に、毛東沢は、もっと新しい日中戦争のときの経験が死ぬまで頭の中にこびりついて離れなかったわけです。したがって、アメリカが北爆をやり始めたときに毛沢東のとった戦略は何かと言えば、これはアメリカがひょっとしたら中国の南半分に入ってくるかもしれない、そのとき日中戦争と同じように戦う必要があるというので、文化大革命を発動する大決定をやったわけです。これが大きな後遺症を現在中国に残しておりまして、いまは中国の内部では、文化大革命はベトナム戦争とはどこか無関係な改革路線のような話を言っていますけれども、私は、毛沢東のような大戦略家は、国内の改革路線だけで文化大革命を発動したのだとは思っておりませんね。これはベトナム戦争の後でアメリカがひょっとしたら南半分に侵入してくるかもしれないということを前提にしてやっておる。これははっきり毛沢東自身が一九六六年に言っているわけですね。ここに共産党の方が来ていらっしゃるようですが、宮本さんに言っておるわけですよ。(笑声)  宮本書記長は、最近何か回顧録を出して、その中で一言言っておられる。こういう条件というのは、つくられた国家と国家戦略というのが、軍事力が弱い間は、何とかして武力革命をするいろいろのグループと連携を保ってそして安全保障を保とうという、そこに力点が置かれる。ソ連の場合には、共産党の総本山としていろいろな共産党をコミンフォルムの間に入れた。中国も初期はそういうことをインドネシアとかいろいろなところでやっていた。これは彼らの安全保障政策の一環だった。そういう伝統というものが実際上はだんだんうまくいかなくなってきたわけですね。世界がいろいろなところで落ちついてきて、そしてうまくいかなくなって、共産主義は全部分割してきた。  ただ、中国ソ連の関係については、これは大きな国家間対立を残したのも、ベトナム戦争のときのアメリカの北爆に対する中国の対応であった文化大革命の遺産というものが、つまり後遺症というものが国家間関係にひどく影響しているためだというふうに思っております。もちろんその前に、中ソの対立というものは基本的に出ているわけです。世界の共産党の主導権をめぐって闘われている。しかし、にもかかわらず決定的に悪くなったのは、文化大革命の終わるころから、終わるころというよりも最中からですね。何か六九年の武力紛争というのは、そのころはアメリカはほとんど撤兵し始めようとしている。アメリカが撤兵し始めようとしていますから、中国としてはもうアメリカへの恐れはなくなった。それで、アメリカは衰退する帝国主義国で、ソ連は社会帝国主義国で上昇する国だという見方、つまり修正社会主義から社会帝国主義論に変わってしまったわけですね。それが結果としてああいうことになった。  こういった問題は、基本的に見ますと、ウェスト・ファリア・システムにおける最悪事態学習というものに基づいて、この最悪事態学習は、歴史をさかのぼればずいぶんいろいろなところにあるのですけれども、ごく最近で言うと……
  20. 坂田道太

    坂田委員長 関参考人、簡潔にひとつお願いいたします。
  21. 関寛治

    ○関参考人 はい。アメリカは真珠湾攻撃に対して、今度はその真珠湾攻撃をソ連がやるかもしれぬというふうに問題が変わっていって、そうして、アメリカの戦略体制は五〇年代はソ連包囲ということにあった。ソ連の方も革命直後の武力干渉からさまざまの経験をして、そのときそのときの一番の仮想敵国を、学習のつまり反面教師にしてきた。  だから、今後ソ連を変えるためには、われわれとしては新しい戦略が必要である。ソ連は経済的に非常に弱いわけです。これも一つの軍拡に対する制御要因、それから自由化の問題が非常に危機的になる。そこで私は、やはりソ連に自由化の問題で余りちょっかいをかけないで、自由化の点で新しい、徐々に変わっていく文化交流というものをわれわれは発明する必要があるのじゃないかと思うんですね。いまのところ、ソ連との文化交流が非常に弱い。そこで、これから日本は、ソ連との文化交流で変えるということが必要であるというふうに思っております。
  22. 坂田道太

    坂田委員長 猪木先生、何かございましたらお答え願います。
  23. 猪木正道

    猪木参考人 玉沢委員の御質問について、ごく簡単に私から申し上げたいと思います。  一党独裁国家、これは形の上で一党じゃないところもございますけれども、実質的に一党独裁国家の場合には、御指摘のとおり抑制力は弱いと思います。もちろん、そうじゃない民主制国家の場合にも、集団ヒステリーが起こる可能性がないとは言えませんから、人間でございますから、人間というのはすべて努力すれば誤りを犯すので、しかし相対的に見ると、民主主義国家の方は抑制力が働き得る。  それからもう一つは、社会主義国家間の紛争は起こりやすいと思います。最近の紛争を見ましても、イラン・イラク戦争を除きますと、軍事紛争の大半が社会主義国と称しておる国の間に行われておることがその証拠でございまして、その理由について要約して簡単に結論を申し上げておきますと、それは彼らが歴史の発展法則を知っておる、社会の運動法則を知っておるとうぬぼれておる結果だと私は思います。(笑声)その点に危険性が非常にあるということでございます。
  24. 玉沢徳一郎

    ○玉沢委員 それで、私は世界の平和という点におきましてはもちろんでございますが、米ソ両方とも勢力の均衡で核均衡を続けておるのですが、ただ、どちらの方が戦争といいますか、紛争をもたらそうとしているかどうかという点につきましては、私は残念ながらソ連の方がより危険性がある、こう言わざるを得ないわけであります。  それから、同時にまた、両先生ともお触れになっておりませんけれども、たとえばソ連は、一九六三年の「プラウダ」に載っていますが、「われわれは資本主義の不可避的な滅亡を信じているだけではなく、さらに階級闘争によって一刻も早くこの滅亡が実現されるように全力を尽くしておる」と言っております。つまり、全世界を共産化するという意図を捨てておらない。たとえばベトナム戦争というものが行われましたけれども、やはりベトナムにおきましては、南ベトナムの民族解放だ、こう言われる。しかし、その後の経過を見ておりますと、この民族解放戦線というものはうたかたのごとく消えてしまいまして、その当時の閣僚がボートピープルとなって亡命しておるというような状況なんですね。つまり戦争というものも、一つの思想を輸出しまして革命によって全世界を共産化する、この意図を明確にもう少しわれわれは読み取らなければならぬのじゃないか、こう思うのです。  そういう点におきまして、たとえばいま関先生がおっしゃられましたけれども、文化交流だけで抑制力というものがもしソ連の中に生まれてくるならば、これは非常に平和追求にはなり得るだろうと思うのでありますけれども、しかしそういうものも非常に限られてくるし、国内の自由化というものも限られている。  そこで端的に御質問申し上げますが、このアフガニスタンの問題につきましてはいろいろと世間では言われておりますけれども、衆議院におきましても、あれはソ連の明確なる侵略である、こういうふうに断定をしまして決議をいたしておるわけでございます。それからまた、同時にポーランドにおきましても、これはやはり間接的にはソ連ポーランドの統治ではないか。やはりポーランドの人民が自分みずからの運命を切り開くという民族自決の精神でやるならば、彼らは独立するかもしれない。それと同じように、日本危機というものも、やはり自由主義と議会制民主主義というものが日本国憲法のたてまえであるならば、もし資本主義を倒すという目的によって直接、間接的に侵略するという意図を持っているならば、これは明白なる日本に対する脅威でなくて何であるか。私は明白な脅威だと思う。つまり、資本主義体制を倒す、そういう目的を持って国家の行動をしていくという国が隣に存在しておるのだ。そういう点におきまして、この点をいかにお考えになるかという点を最後に御質問させていただきます。
  25. 猪木正道

    猪木参考人 基本的には玉沢委員と私とはそう意見は違わぬと思います。  私は、ソ連は大変危険な国である。これは私の個人の意見じゃなくて、二年前に出ました国際戦略研究所のテーマが「ソ連世界の平和システムの中に組み入れられるか」ということを主題にしてやりましたのですけれども、結論としては「それはなかなかむずかしい、八〇年代を通じてソ連はインターナショナルシステムの中になかなかうまく入らない」という結論になりましたので、これは恐らくその方面の国際政治安全保障関係の専門家の大多数がそういう考え方を持っていると思います。  ただし、私は一言だけそこにつけ加えておきたいと思いますのは、しゃにむにすきあらば出ていこうという面をわれわれは一面に見るのですが、その反面に、私、今度キエフに参りまして、キエフは二年間独ソ戦争ヒットラーのドイツの軍隊に占領されておりまして、そしてその間に大変なヒューマントラジディーを経験したところなんですね。  御承知のとおり一九四一年七月の終わりに占領されて、二年間占領されておった。その間にたくさんのキエフ人並びにウクライナ人がドイツ軍に協力したのです。これは占領された場合にやむを得ぬことだと思いますが、そういう者はどうしても出ます。国民が一丸となって抵抗するということはあり得ません。その協力した者の中には、良心的に協力した人もおるでしょうし、生きるために協力した人もおるでしょうし、金のために協力した人もおるし、いろいろあるでしょう。その人たちが逃げましたり、あるいはまた、ドイツ軍にしょっ引いていかれたりしました。それから残った者もおります。ところが、残った者は通報されまして、ソ連の秘密警察機関によって殺されました。そういう非常な悲劇を経験しておるキエフに三日間おりまして、ソ連安全保障に関して一〇〇%の安全保障では満足しない、二〇〇%、三〇〇%の安全保障を考える政策を求めてくる。そうすると、ソ連は三〇〇%の安全保障で非常に安心かもしれませんが、周りの国はたまったものではありませんね。そこがソ連の問題点なんですが、ソ連をしてそういうふうな、つまり二〇〇%、三〇〇%の安全保障を求めるようなふうに追い込んだ要因もある。  極東に関しては、ソ連日本に対して中立条約を犯して侵攻したのですから、これは侵略者ですけれども、しかし、独ソ戦争に関しては明らかにヒットラーの方が侵略者で、ソ連の方がこれは防衛戦争ですから、だからスターリンが御承知のとおり「大祖国戦争」という名前でやったわけです。そういうことでようやく勝ち抜いた。その間における二千数百万の人命の損失、キエフはほとんど全滅に近い状況になった。その写真も私は見て、かつ友人に頼んで撮影してまいりましたけれども、そういうことを考えますと、決して私はソ連の立場に立って物を考えなければいかぬというふうには申しません、われわれは日本人ですから日本人の立場でいいと思うのですけれども、同時にソ連の立場に対しても理解する必要があるし、ソ連の正当な国益は尊重してやる必要があるし、ソ連人の愛国心というものに対してもやはり理解してやる必要がある、これだけつけ加えさせていただきます。
  26. 関寛治

    ○関参考人 私はやはり、ソ連の革命以後の歴史というものを見た場合に、常にソ連にとって一番危険な状態をもたらした国がソ連の次の政策を形づくる上に非常に大きく影響した、これが私が言う最悪事態学習というものです。つまりソ連革命が起こった後に、これは日本を含めて出兵したわけです。日本はシベリア出兵して惨たんたるもので失敗したわけですが、しかるに、その後のしばらくのソ連の政策というのは、そういうふうにソ連の革命のときに干渉した国というものを非常に危険視いたしましてソ連の政策がつくられ、そして第二次大戦のときにはナチスが一番相手方として危険なわけだったわけで、そういう意味で非常に両方とも、何か逆説的なんですけれども、相手方から学ぶという側面が非常にあった。ヒットラーのドイツというのはむしろ一種のソ連型国家社会主義というのを逆の極限でつくったわけですが、それがまたソ連に非常に影響しているということが言えるのではないか。そして、第二次大戦後になりますとやはりアメリカの核戦略が常にソ連の脅威の的だった。  考えてみますと、アメリカの核軍事基地はソ連をずっと取り巻いていた。いまパリティーということを言われていますけれども、本当のパリティーだと、ソフトウエアのパリティーというところまでいきますと、五〇年代の延長線上で考えると、今度は、あのパリティーなら、アメリカが依然としてソ連周りを取り巻いているなら、ソ連アメリカ周りを取り巻いてしまおうという考え方になるのですね。これがある意味では一番危険なんで、いまのところソ連は六〇年代の核戦略であるので、七〇年代までには行っていないのですが、今後の問題としては、やはりソ連に対して最悪学習をさせないというような方法がどうしても必要になるわけです。どこかの国が最悪学習をさせるようなことをやると非常にまずい。  もちろん最悪学習をさせなくても、自動的にソ連が変わるという見込みは、これはそうすぐには出てこない。というのは、国内的な要因、産軍結合体に相当するようなものがソ連の中であるのかないのか、あるとすればどの程度影響を及ぼしているのかという、これは当然問題になり得るわけです。しかし、それを一層悪化させる方向でソ連を考えるのは非常に危険である。  それからもう一つ、イデオロギーの面について申しますと、近ごろソ連の知識人というのは、公式に書いていることと本当に言うこととの間に物すごいギャップがあるんですね。  一つの例を申し上げますと、去年のモスクワ国際政治学会で、いろいろな部会があって、若い人がいろいろ出てきた。そうしますと、不思議なことに、若い人たちは大体いま一番いかれているのは何かというと、一九五〇年代のアメリカの政治学に一番いかれているわけです。それはどういうのかというと、コンピューターを使っていろいろ分析する学閥、それにもう完全にいかれていまして、それは五〇年代のアメリカと全く同じだと思うのです。大変なギャップがあると思うわけです。アメリカ人の学者の方がもうそれを卒業していまして、コンピューターでそんなことやったってうまくいくもんかということをいろいろな条件をつけて説明すると、やっとそれで納得している。アメリカ人が教師なわけです。  そういう面が私は全般的にあると思うのです。文化交流の少ないことがなおそういう進歩を促進させるのを妨げているというふうに私は考えます。やはり文化交流で周囲から変えていくよりしようがないと思っています。  もっとも、日本でもいろいろ問題がありまして、学者と官庁との間には大変なギャップがあるわけです。そしてソ連でも同じでして、学者が変わっても官庁がなかなか変わらないということはあり得るとは思います。しかし、徐々に変わるということは十分考えられると思います。
  27. 坂田道太

    坂田委員長 矢山有作君。
  28. 矢山有作

    ○矢山委員 私は少し具体的な問題でお伺いしたいのですけれども、最近わが国防衛力の整備というのは非常に急速に進められつつあるわけですが、その防衛力整備を進めていくのに、盛んにソ連の潜在的脅威ということを強調しているわけです。  たとえばアフガニスタンへのソ連軍による侵入、そしてまた、具体的な問題として挙げられておりますのが、特に極東のソ連の軍事力の増強ということが取り上げられておりまして、先般来内閣委員会等で論議しておりましても、たとえばミンスクの極東配備であるとかあるいはバックファイアの極東配備であるとか、あるいはSS20が極東配備になっておるとか、あるいはまた、ベトナムの基地をソ連の海・空軍が常時使用するような状態になった、だからわが国の海上輸送路に非常な危険がある等々、まあこういったぐあいで、いろいろな具体的事例を挙げて、ソ連の軍事力の強化、それに対応してアメリカの軍事力の比較的な低下、そういう中でソ連の潜在的脅威が非常に増大しておる、こういうことが言われておるのですが、一体ソ連の軍事能力というのか、そういったものをどういうふうに考えたらいいのか。また、ソ連の現在の軍事力増強なり極東の軍事力の強化といったものが一体どういう考え方、意図というか、どういう背景というか、そういうもとになされておるのだろうか、そういった点をお伺いしてみたいと思いますが、御両氏からお教えいただいたらと思います。
  29. 坂田道太

    坂田委員長 参考人に申し上げますけれども、大変恐縮でございますけれども、一回の質問答弁は三分以内に取りまとめていただくようにお願いを申し上げたいと思います。
  30. 関寛治

    ○関参考人 私は、実は先ほど三十分の話の中でその問題については若干触れたつもりなんですけれども、もう少しそれをはっきりさせるという形で申し上げますと、ソ連の最近の軍事力増強は、まず第一に、米ソ・パリティーという条件が七〇年代に出てきた場合に、単に軍事力のパリティーだけではなくて、つまり戦略というようなソフトウェアのパリティーまで考えると、五〇年代にはアメリカの艦隊がいっぱい太平洋を遊よくしていたから、それと同じような状態に持っていこうというような話になり得る潜在的な素因があると思う。これは五〇年代の核戦略を中心にして考えた場合ですね。  それからもう一つは、米中軍事同盟ということから、中国を非常に敵視しているという面があって、それとの絡み合いで出てきているという面がある。その部分が非常にアイデンティフィケーションがむずかしいというところに最大の問題があるわけです。  そういうことに対して日本全体がどういう姿勢をとるべきかということになると、これは大変むずかしい問いだと思うのです。  だけれども、私は、ヨーロッパで考えた場合に、ヨーロッパには非常に多様な国があるのです。日本は一つなわけですね。せいぜい隣に朝鮮半島があるのですけれども、しかし一つの国です。ヨーロッパは多様な国がありまして、かなりの分業体制がよくとられているんじゃないか。そのために、ある種の危険、つまり緊張増大を緩和させるいろいろな要因が周辺にある。  それを具体的な例で申し上げますと、ヨーロッパには北欧諸国のような中立諸国がある。それからフィンランドのように親ソ中立というようなところもあれば、しかしこれは明らかに西側の価値体系を持っているところだが、そこに対してソ連は余りちょっかいを出さない。これはなぜかというと、フィンランドのポリシーが、ソ連に脅威を与えることを避けるという政策をプリンシプルにしているためにです。西側のある意味では防衛を中心にする人たちは、それを称してフィンランダイゼーション、フィンランダイゼーションと言って大騒ぎしていますけれども、フィンランドの人に言わせると大変怒るわけです。自分の国は、西側の価値体系を持って、安全保障も新しい政策で守っているのであって、フィンランダイゼーションと言ってもらいたくない、言うと、事はかえって、いろいろな点でわれわれの安全保障に障害がある、ということをフィンランドの方は言われるわけですね。  それは別といたしまして、いろいろなそういう国があって、NATOだけが軍事力を仮に強化する場合があっても、それに対するいろいろの周辺的な国の動きがあって、全体として緊張を増大させないように働くわけです。  ところが、日本を取り巻く状況というのは、御存じのように朝鮮半島状況は、東西両独の条件に比べて非常に悪いわけですね。そして、日本の場合はフィンランダイゼーションというようなグループがいるかというと、これは国内にいろいろな勢力があるわけですが、それらが国をつくっているわけじゃないので、たとえば一つの県が独立してそれがフィンランドと同じような政策をとるというのなら、これはヨーロッパに近くなるわけですが、そういう状況じゃないのですね。  そうだとすると、日本の現在の外交政策あるいは防衛政策というものは、よほど新しい知恵を働かせなければいけない。その新しい知恵を働かせるというのは、ソ連の軍事力が仮にいま出ていても、今後は軍縮の方向の話し合いで、第三次SALTと言われるようなものに日本が積極的にかんでいく、あるいは日本海圏の平和構想というものを私は積極的につくらなければいけないと思うのです。日本海を日本の海にするぐらいの経済力は、日本はいまや持っているわけですから、そういう形で、日本海を安全なしかも共同開発の場所にしていく努力が、今後日本の政策として非常に必要だということを申し上げたいのです。  大平内閣は、環太平洋経済圏構想をおつくりになったのですが、その環太平洋に日本海が入っているんだかどうか余りはっきりしない。意識的に環日本海の平和圏構想というものを日本が何らかの意味でつくっていくことは可能であり、そのためにはもちろん朝鮮問題の解決が非常に必要なんですけれども、そういうことを外交政策のレベルで、安全保障委員会であろうとどこであろうと、知恵を出し合うことが必要な時期に来ているというふうに思います。
  31. 猪木正道

    猪木参考人 私は、ソ連の軍事能力はわが国では過大評価されていると思います。一週間に一冊のような割合で「ソ連軍日本に上陸す」とか、あるいは「一発も撃たないで日本軍が、自衛隊が降伏する」といったような、非常に戦闘的な書物が出ておりまして、私はこれはソ連のKGBの謀略ではなかろうかと思うほどであります。  ミンスクのごときも「空母」と訳したのが間違いなんで、あれはダーダネルス海峡を通るための名前ということでなくて、機能的に見て空母じゃございません。あれは半空母もしくは対潜巡洋艦と呼ぶのが正しいので、それを大騒ぎするから、ソ連の言うならばまんまと思うつぼにはまっておるんじゃないかと思うのです。  ソ連の「意図」に関しましては、わからぬというのが正しい答えだと思います。いろいろ推測されておりますけれども、たとえば国後、択捉、特に択捉島を中心としたソ連の軍事力の増強が行われておりますけれども、これは単冠湾が大変価値の高い基地とされている、オホーツク海全体がソ連の海軍基地でございますから、特に単冠湾というのは海流の関係で非常に条件に恵まれておりますので、ソ連にとっては今日ではなくてはならぬ海軍基地になっていると思うのです。それを守るという意図もあるのでしょうけれども、少なくとも日本と友好を求めようとすればインセンシティブであれということが言えると思うのです。今度ソ連へ行って私は一つ大きな発見をしたのですけれども、インセンシティブというロシア語はないのです。また、フェアプレーというロシア語もないのです。サービスというロシア語もないのです。私は、その辺にロシアという国を理解するかぎがあるのではないかという気がしたわけでございます。  そこで、日本防衛力増強というか整備に関して、増強といいましても、先ほど来申し上げておりますとおり、非常にじみな、非常に制約された増強を私は考えておるのでございますけれども、その場合に、ソ連の脅威をいたずらに喧伝することは有害であって無益である。そう言いますと、ソ連が何か脅威でなくなると日本はもう防衛力は要らなくなる、そういうような意見が出てくるかもしれぬが、そんなものじゃない、主権独立国としては最小限度の拒否力を備えていないと、今日の国際社会では全く主権独立国としての発言権がない。その意味で「防衛計画の大綱」で定められた程度のものは急速に整備して、なお一段と状況の変化によってそれを近代化していく必要がある、そういうふうに考えておりますので、私は、ソ連脅威説には賛成できません。
  32. 矢山有作

    ○矢山委員 猪木参考人からのお話ですが、どうもソ連の脅威というのは、最近余りにも強調し過ぎながら軍備強化のてこにしているのじゃないかという印象を、私は非常に強くしております。特に先般発表されました防衛白書なんか見てみますと、米ソの軍事力比較なんかで、たとえばソ連太平洋艦隊と第七艦隊との隻数やトン数を比較して、そうやりますと、隻数の上においても非常に大きな開きが出てくるわけです。トン数の上においても開きが出てくる。では、それだけのソ連太平洋艦隊の内実はどうなのかというと、その問題については一切触れられていない。ミンスクが配備されたといって大騒ぎするが、ではミンスクがどういうような能力を持っておるのかというのは一切言われていない。一般的に言われておるところは、ミンスクはエンタープライズぐらいな航空母艦じゃないか、そういうような受け取られ方をするような防衛白書の書き方がなされておる。これはおっしゃるように、全くソ連の潜在的脅威だ、潜在的脅威だと言って宣伝をしながら防衛力の拡大を図っていくというのは、日本安全保障を考える上にはきわめて危険な方向であるという点については、猪木参考人と私は全く同意見であります。そういった風潮がさらに促進されることのないように私どもは考えていかなければならぬ、こう思うわけです。  そこで、私は、日本安全保障の問題を考えます場合に、これは、日本安全保障というのは日米の安保体制に依拠するということになっているわけです。日米安保体制に依拠して日本安全保障を考えるということになると、やはり日本独自の立場から国際問題に対処するという姿勢がなくなってくるのではなかろうか、日米安保体制の枠内で物を考えるわけですから。したがって、ソ連以外の諸国に対する対応というのは、あくまでも日米安保体制というその枠に縛られた立場からしか考え方が出てこない、こういうふうなことになるのではないか。  したがって、米ソの軍事力の比較においてアメリカがどうも相対的に低下してきた、だから日本も軍事力を増強しなければだめなんだと言われると、そのままアメリカの要求に従って軍事力を拡大していく。日本独自の立場でそういう道を選ぶのがなくて、果たして日本安全保障になるのかどうかという、そういう点が欠落してしまっておるのではないかというふうに私は感ずるわけです。そういう形の中で軍事力を拡大していくということは、日本の安全にとっては一つもプラスにならない、むしろソ連との関係で言うなら緊張を激化させていくだけの話だ、日本にとっては不利この上もない、こういうふうに私は思うのですが、その点のお考えはどうでしょうか。これも両先生から……。
  33. 猪木正道

    猪木参考人 それでは私から先に申し上げます。  私は、日本独自の立場から日米安全保障体制というものを選択した、このように考えております。特に現状においては、もし日本日米安全保障体制をやめるというようなことになりますと、周りの国は皆腰を抜かすだろうと思うのです。日本という国はエレクトロニクス、半導体、コンピューター、大変な力を持っていますし、人口も一億二千万人近くあるし、GNPはソ連を追い抜いて世界第二位である。その国がアメリカとの関係を絶って走り出したとなったら、日本という国はエネルギーに満ちておりまして、しかも、ぶれの広い国なんですね。徳川時代には完全平和主義だったかと思うと、明治時代になると膨張主義になって、今度は終戦と同時に平和主義になる。またこれは膨張主義になるんじゃないかというので、フィリピンも韓国も北朝鮮も中国ソ連も、皆びっくりするだろうと思うのです。そういう点で、日本独自の立場から日米安全保障条約、これはなぜかといえば、先ほど申し上げたとおり価値観が共有でございますから、日本の平和と繁栄は開放された自由貿易体制というものがなければやっていけませんから、そういう点からいって、日米安全保障体制日本が守っている間は、オーストラリア、ニュージーランドを含めて周りの国は皆安心している、これは日本の座標軸である、このように私は考えております。
  34. 関寛治

    ○関参考人 日米安保条約に関しましては非常にむずかしい問題はあると思うのですが、やはり一つの軍事ブロックを西側においてつくった重要な体制である。そういう意味で、冷戦時代においてソ連外交政策というのは、日本プラスアメリカというものが常に日本に対しての政策としてあるわけです。したがって、日本は自分自身が全く独立でソ連がどうも理不尽だなと思っても、それはソ連の方はアメリカプラス日本に反応しているわけなんですね。  そういう意味で、まず第一に、そういうことが日本の国益と完全に合致してきたかというと、そうは必ずしも言えない。それから、冷戦が緩和いたしまして、大体七〇年代の中ごろは一番緩和してきたデタントの時期です。その時期には、日米安保条約が持っている危険性というものは非常に少なくなった。そこで安保条約が実際形骸化されたというふうに言われたのですが、事実、短期間はそうだった。ところが、また冷戦再開となりますと、グローバルにいろいろな面で、日本プラスアメリカというものがその対象になるので、ある意味では非常に危険だ。そこで、日米安保体制というものを軍事ブロック体制と理解する限りにおいては、人類の文明の歴史においては最終的にはこれは廃絶されるべきものだ、その廃絶するための方法が一番問題なんだというふうに考えておるわけです。  その方法というのは何かというと、世界の本当の平和秩序というものを日本がつくるためにどれだけ努力するか、その努力の成果として日米安保条約は廃棄されるべきものだ。その努力の成果というのは、現実に戦争の危険性がなくなればそんなものはなくてもいい。もっとも現実に戦争の危険性がなくなれば、そんなものはあっても大して影響しないということになるかもしれません。しかし、基本的にはやはり、国連を中心にした秩序というものに対して日本が一歩でも前進していく方向を考えるならば、日米安保体制の持っている危険性を除去し、廃棄する方向というものが長期的展望の中ではっきりと確立されてなければいけない。短期的には廃棄がいろいろの条件でできないかもしれない。これは現実にやってみよと言ったって、できっこないと思うのです。そこで長期的な展望として、そういう軍事ブロック体制のない秩序というものがどういうものかという未来像をはっきりとつくる必要がある。特に野党の場合にそういう未来像があるかというと、どの野党もそういう未来像は何も持っていらっしゃらない。(笑声)  最近の国際政治の新しい学問の中に「未来秩序構想」というのがある。ワールド・オブ・ザ・モデル・プロジェクトと言うのですが、このワールド・オブ・ザ・モデル・プロジェクトはアメリカに本拠があるのですけれども、これは世界の将来の、いまのブロックが解体されて、つまり日米安保条約も何もない未来秩序というものを考えているのですね。それについていろいろ議論しながら、一歩一歩近づけようという考え方です。実現可能な道でそういうことを考えているわけです。  日本の方はそういう点で非常におくれているということが言える。そのプロジェクトにたまたま入っていられる日本の代表者というのが、私の同僚の法学部の坂本義和教授ですけれども、これはちょっと御紹介申し上げておきます。
  35. 矢山有作

    ○矢山委員 いま猪木参考人がおっしゃった、日米安保条約がなくなってしまったら、日本はぶれの多い国だから、そこへ持ってきて工業技術水準も進んでおるし、どんどん防衛力、軍事力を拡大して、かえって周辺諸国に脅威を与えるだろうとおっしゃるのは、御存じのように、私ども社会党のとっている立場は非武装中立の立場ですから、そういった無謀な日本の軍事力を抑える、そういう立場を基本的にとっておりますので、日米軍事同盟を廃棄したからおっしゃるような軍備の拡大をやって周辺に脅威を与える、そういうことにはならぬと私は思うのです。  それはさておきまして、私は、日米安保条約に依存している日本安全保障というのは、こちらの単なる期待にしか過ぎないのじゃないか。つまり日米安保条約があれば、日本が他国から攻撃された場合にアメリカが救援に駆けつけてくれるんだ、それはこちら側の一方的な期待でして、駆けつけてくれるのかくれないのか、そんな保証はどこにもないと私は思うのです。  それよりもむしろ、この安保条約というものが、アメリカの軍事戦略に対して日本が利用されるというか、日本アメリカの軍事戦略の中で縛りつけられて、その軍事戦略のままに動かされていく、だから、アメリカ日本の意図に関係なく戦争を起こしたら、それに巻き込まれていくというそういう危険性の方が、日米安保については本質的なものであって、アメリカがいざというときに助けてくれるなんということは、余りにも期待感を持ち過ぎるのじゃないかと思っておるのですけれども、いかがですか。
  36. 猪木正道

    猪木参考人 お答えいたしましょう。  それは、永遠の愛を誓った新郎新婦が、数年前に私はきわめて盛大な結婚式に出ましたが、二カ月ほどして、そのときに一緒に出た人に「あの二人はどうしたか」と言ったら、「もう別れたよ」と言われて、びっくりしたことがあるのですけれども、人間の間でもそうなんですから、いわんや国家間の場合に、日本がどこかの国に襲われた場合にアメリカが一〇〇%確実に助けに来るという保証はどこにもございません。そんなものを期待したらこれはおかしいです。  だけれども、問題は、日本に侵略するかもしれない国、侵略しようとする国が、日本に侵略した場合にはアメリカが来るかもしれぬと思えば、それで十分なんでございます。抑止効果があるわけです。  そういう点から申しますと、たとえば大平総理が亡くなったときにカーターさんが見えたとか、世論調査を見れば、アメリカ日本に対する信頼がどんどん高まって、日本が襲われた場合にはアメリカの軍人の血を流しても助けに行かなければいかぬという主張がどんどん高まっている。要するに、最近では西ヨーロッパ並みになっておるということなんかは大変いい徴候でございまして、これがすなわち、日米安全保障体制が矢山委員の御指摘のとおり一〇〇%保証できるとは、人間の世界にも一〇〇%はありませんから、そういうことは私も考えておりませんけれども、しかし攻めてくる、侵略をするかもしらぬ国というのは非常に慎重に判断いたしますから、その場合に少なくともちゅうちょし、かつ、やめるという効果を持つことは疑いございません。その意味において私は大丈夫だと思う。  それから危険性の問題ですけれども、これは、アメリカが非常に積極的にオーバーコミットメントの状況でありましたベトナム戦争の中ごろまでは、言葉をかえて言いますと、一九六八年の三月三十一日に北爆の部分的停止を当時のジョンソン大統領が発表したころまでは、そういう危険性が絶対ないとは言えなかった。ところが、それからアメリカはむしろオーバーコミットメントからアンダーコミットメントの方にいっておりますので、そういう点において、日米安全保障条約の結果戦争に巻き込まれる危険というものは、今日の場合はいまから十二年前に比べますと急速にそれは低下しておって、そういう巻き込まれる危険なんということは、日本では現実の問題としては考えられないというのが私の意見でございます。
  37. 関寛治

    ○関参考人 私はやはり、巻き込まれる危険性がなくなったということは決して言えないと思うのです。  もう一つは、日米安保条約が持っている基本的な問題点は、日米安保条約があるがゆえに日本が積極的な平和外交を非常にとりにくいという問題がある。これは仮に安保条約があっても、そういう平和外交を積極的にやれるような条件を日本が積極的につくっていけるならば非常にいいと思うのですが、果たしてそれが可能かどうかということが私はいま一番問われている問題だと思うのですね。  私は、安保条約があった中でも、もしアメリカが余りオーバーコミットメントをやらないとか、中東の問題でもすぐ武力行使するというようなことを言わなければ、私は安心できると思うのです。イランの問題、これは実際に武力行使しなくてアメリカは本当に賢明だったと思うのですが、中には武力行使をしようと言った人がいるわけですね。そのことが逆にソ連側に影響して、アフガニスタンでのソ連の戦略的な思考方法に影響しているという面もあるのです。  そこで、今後もし日本が日米安保条約がある状況の中で、アメリカとパートナーとして行動するというのなら、パートナーとしてのアメリカの内部で、いわゆる軍事専門家でない、世界の平和のことを非常に真剣に考えている人たちがアメリカ人の中にもたくさんいるのですから、われわれの仲間、学者の中にもそういう人たちがいるのですから、そういう人たちとの交流を増大させていく、そしてアメリカ政府に影響を与えていく力を日本が持つことが必要なんです。これなら、私は、経済大国になった日本として可能性があると思う。それが積極的にやれるようになるならば、当分日米安保があっても、余りアメリカがむちゃなことをやらないように何とかチェックできる。むしろ、日米安保がある状況を上手に日本が使うだけの賢さを持っているかどうかの問題です。いままでははっきり言ってその賢さがないのですね。安保条約を持っていながら、日本が自立外交アメリカを引っ張って世界を変えていく努力をしたかというと、何もやっていないのです。  ヨーロッパの中では、たとえば西ドイツについて言いますと、中立国オーストリアを非常にてこ入れしているという面がある。それはなぜかというと、中立国が非常に重要だと考えているからです。日本は日米安保条約に入っていても、たとえばフィンランドからずっと長い中立の帯を強化するために、経済外交でそういう努力ができないだろうか。それができればいいと思うのですね。そのほかのいろんなところで、中立とか非同盟を強化していくことが世界の平和につながることは間違いないわけです。  ただ、現在は、第三世界の非同盟諸国は、口だけは非同盟を言っていても実際は自立経済の能力を持っていない。そこで、ソ連の方に援助を求めたり、アメリカに援助を求めて、結果としてはそっちの方に入り込んでしまう。アフガニスタンなんかその一番いい例で、非同盟として非常に弱い例ですね。実際に非同盟でなくなったわけです。したがって、われわれは、周辺にちょっとでもそういう自立経済力を持って新しい方向に動こうとしている国を見つけたら、日本はさっそくそれに援助すべきだと思う。  たとえば北朝鮮がそうです。いまやアメリカに対して、もしアメリカと平和協定が結べれば、ソ連との軍事同盟も中国との軍事協定も廃棄すると言っているわけです。これは非常にいい徴候でして、そういうところに日本は目を向けていかなければいけない。それによって、日本の平和外交というものが日本海においても本当に固まるのではないか。それは安保条約があっても、かえってあるがゆえに、ひょっとしたらできるかもしれない。  しかし、そのためには知恵がなければならないが、その知恵がないというのが私の現在の結論です。
  38. 坂田道太

    坂田委員長 市川雄一君。
  39. 市川雄一

    ○市川委員 一つは、安全保障特別委員会、内閣委員会の審議を通して、いま防衛力増強の是非をめぐって意見が闘わされてきた。そういう流れの中で、きょう猪木先生あるいは関先生においでいただいて御意見を承るわけでありますが、いま社会党の先生からもお話が出ましたけれども、一つはグローバルな意味での米ソの軍事バランスが相対的に米国が落ち込んだ、さらに極東におけるソ連の軍事的増強が著しい、そういうソ連の軍事能力の増強という事実を一方で突きつけながら、一方でアフガン侵攻という事件ソ連の意図として非常に危険な、ソ連というのは平和国家にすきがあればすぐ攻め込んでくるんだ、こういうふうにアフガン侵攻におけるソ連の意図というものを一方では定義づけながら、だから日本は、ある意味で私たちは性急だと思っておるのですが、防衛費を増額して防衛力を備えなければならない、こういう一貫した流れに対し、私たちは反対の立場で対応してきました。  もちろん、私たちは、短中期の考え方としては、日米安保条約や自衛隊を直ちになくしたりあるいは廃止せよというような主張は持っておりません。そういう立場でありますが、しかし何かソ連の脅威というものを非常に過剰に前面に出しながら、しかもアフガン侵攻をうまく使いながら、ソ連というものを非常に危険な国、しかもすぐにでも攻めてくるような国に仕立て上げながら、一挙に世論の地ならしをして、日本防衛力増強を図っていこうとするがごとき印象を強く持っているのですね。そういう前提でお伺いをするわけです。  そこで、いま防衛庁なりなんなりが言っているように、ソ連の潜在的脅威というものを、突き詰めて考えていくと、アフガン侵攻をどう見るのかというところにどうしても突き当たらざるを得ないわけでございます。ソ連のアフガン侵攻というものをどういうものとして見るべきなのか。  先ほど猪木先生は、陳述の中でいみじくも、ソ連はアフガンをわがソ連勢力圏だ、こういうふうに見ていた、その勢力圏に対する軍事介入だからアメリカは対応しないのではないかという見方をした、こういうおっしゃり方をされました。  関先生は、きょうのお話にはありませんでしたが、「世界」の論文の中で、アフガン侵攻というものは、「やはりアフガンはソ連勢力圏という見方が早くから西側諸国にはあって」ということを触れておられます。  どうでしょうか、大きく分けて、ソ連の南進膨張主義の一端という見方をされる方、あるいはイランの政変によるソ連領内のイスラム教徒への影響、そしてアフガンの政変、不安定というものから受けるソ連の領土内への影響というものを一つは防ぐ、あるいはせっかくつくった、しかも善隣友好条約を結んだ国、米ソとの関係で見れば、ソ連としては、善隣友好条約を結んだのですから、これはもう東欧諸国に準じたソ連圏ですよということをあえて世界に宣言した、そういう社会主義的政権の国が倒される、これを防ごうという立場で対応したのではないかという第二の見方、三つ目の見方として、ソ連のクレムリンの政治局の中でいわゆるハト派とタカ派の争いがあって、タカ派の意見が多数を占めたのではないか、大別してこういう見方が行われているわけでございますが、簡潔に言って、先生方は、ソ連のアフガン侵攻の動機というものを防衛的なものと見るのか、あるいは侵略的なものとごらんになっているのか、その辺をお聞かせいただきたいと思います。
  40. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまの市川理事の御質問でございますが、私は、動機においては防衛的、結果においては侵略的もしくは膨張的と考えております。  問題は、ソ連が、こんなことを申し上げるとあれですけれども、簡潔に申し上げると、マルクスが言っておるとおりに行動しておればああいうことはしないはずです。なぜかと言えば、生産力が生産関係の中でもう伸び得ないほど伸びた場合に、資本主義から社会主義へ移るということをマルクスは言っておるわけです。ところが、アフガニスタンをごらんになったらおわかりのとおり、生産力なんというのは部族国家的な水準にしか達していないのです。軍事顧問を入れたり、軍人をソ連で教育したり、いろいろな方法を使って、そして強引に人民民主党というものを盛り立てていった。もっともソ連は国王とも大変よかったのです。それを、国王を追い出してダウド政権をつくって、ダウド政権とも非常によかったのに、ダウド政権をぶっ倒して今度は人民民主党政権、つまり共産党政権をつくったのです。ところが、その人民民主党政権がハルクとパルチャムの両派に分かれて派閥闘争をして、そこへもってきて、何しろ条件が熟していないところで社会主義政策をやるものですから、イスラムのゲリラが全国のカブール以外の主要なところはほとんど抑えてしまいそうな状況になってきたので、これを放置しておいたのではソ連国内にもバックファイアしますから、そこでソ連は、慎重審議の上、政治局で何度も会議をやって、私と個人的にしゃべったときに、モースト・リラクタントリーということを言っておりました、「最も渋々ながら介入した」と言うのです。だから私は「それはわかった、それは慎重にかつモースト・リラクタントリーにやったことはわかったが、しかし結果は失敗だったんじゃないかということを言いましたら、黙っておりました。私は、どうも真相はそういうところにあるんじゃなかろうか、こう思うのでございます。  そこで、アフガン問題は動機とその結果とを両方に分けて考えなければいけないので、動機だけに重点を置くと何か防衛説になってしまうし、結果だけに重点を置くと、初めから温かい水を求めてスターリンの時代からインド洋、アラブ海に出ようとしてやっておったので、それをやっておるのだという地政学と称するインチキ学問——あんなものは学問ではありません。あれはハウスホーファーが考え出したインチキな一種の淫祠邪教のたぐいです。だからゲオポリティクというのは地政治と訳すべきであって、地政学なんというのはとんで、もない、学問の名に値しないものなんです。そういうもので何か「悪の論理」とかなんとかいって、もっともらしいことを言っている人がおりますけれども、そういうことは決してないということを申し上げて、私のあれを終わらしていただきます。
  41. 関寛治

    ○関参考人 いまの猪木先生のお話、私、全く同感なんで、意見が同じなんです。  ただ、この問題を見るに二つの角度があると思うのですね。つまり大国の政策として、アメリカとの関係でソ連のアフガン介入を見る場合と、それから第三世界に非常に大きな変化が起こりつつある、イスラム圏にも大きな変化が起こった、その変化の見地でソ連がそれにどう対応していくかというのを見るのと、二つの見地はかなり違うと思う。  そこで、まず米ソ関係で見た場合にどうなのかと申しますと、御承知のように中東は石油もあって、アメリカは戦略的に非常に重視していた。ベトナム戦争以降は、アメリカは、ベトナムに援助していたものをイランとサウジアラビアにほとんど移行さしたわけです。そういう意味でイランは、パーレビ体制というのはある意味ではアメリカの戦略的な一つの拠点に近かった。ところがそこがひっくり返ったわけですね。その結果、アメリカはイランに介入しようとして、とうとうできなかったという実情がある。アメリカがもし、ソ連アフガニスタンに介入しているようにイランに介入していたら、これはひどいことになったと思うのです。というのは、イランはアフガニスタンに比べると民度も高いし、大きな人口を持って、工業化もある程度進んでいるしということですから、大変なことになった。  ところが、イランの革命がイスラム問題としてアフガニスタンに波及いたしまして、そして波及した結果、大体六八年ごろから、初めは王制だったわけですけれども、いずれにしても、だんだんソ連勢力圏に近い状態を受け入れていったというのがアフガニスタンです。ですから、七〇年代には西側の人はだれも、アフガニスタンソ連勢力圏であるということで疑わなかった。アメリカでさえも、イランを確保しているということとの対応状態で、アフガニスタンをある程度ソ連の接壌地帯だと認めていた。ところが、アメリカがイランから突如として追い出されてしまって、それに介入できないでもたもたしているときに、アフガニスタンで問題が起こって、ソ連の方はそれに介入してしまったわけですから、アメリカとしてはこれはしてやられたということで、突如としてそのときに過剰反応を引き起こした。  これは、アメリカ側も、まさに戦略的な見地から見れば、ソ連にしてやられたという考え方を持つのはあたりまえなわけです、戦略的な考え方というものを自明の前提とする限りはですね。ソ連の方も、介入するときにその一つの契機としては、アメリカがイランにひょっとしたらさらに介入するかもしれない、こういう戦略的要因というものを一方で見ながら、いろいろ政策を決めたという側面があるのです。  しかしもう一つの側面、つまりイスラム世界の非常に大きな変化に対してソ連がどういう対応をとったかと言えば、イスラムのいろいろな影響力がアフガニスタンに入り込んでくる、そしてアフガニスタンに入り込んできたとき、アフガニスタンだけの問題ではなくて、ソ連の内部におけるイスラム教徒、はっきりしないのですけれども、三千五百万とか言われているイスラム教徒にそれが波及するのではないか、三つほど共和国がございますけれども、そこへ波及するのではないかということをソ連の一部が非常に恐れたということがある。それを何とかして防ぐためには、アフガニスタンから政治的影響力を失うのは何としても防がなければならないという気持ちがあった。  その二つの部分、つまり戦略的な部分と政治的な判断とが一致して、どちらかというと非常にディフェンシブな方向にウエートがある形で介入した。ただ、攻撃的な方の介入ということで言うと、アメリカに対する戦略的対応の方なのでして、こちらの方は、アメリカもできたらやりたかったものを、ソ連はやれたけれどもアメリカはやれなかった。アメリカの場合はイランの方なのですが、そういう似た側面が非常にあるわけです。  そこで、防衛的とは必ずしも言えない部分があるけれども、アメリカが介入できないのにソ連の方が介入してしまったということで、結果としてはどうも防衛的でない側面が非常に際立ったということだと思うのです。ただ、動機の面から見れば、恐らく非常に慎重に、どうしようもなくなって、最後にやったというのが実情であろうと私は解釈しております。
  42. 市川雄一

    ○市川委員 そういう意味では、アフガン侵攻に対してカーター政権が当時非常に過剰な反応をした。  東京外国語大学教授の中嶋嶺雄氏が、これは「世界」の論文ですが「新しい冷戦の国際学」の中で、いろいろな構想を挙げた中でおっしゃっていることですから、その部分だけを切り取って引用することは失礼なのですが「ソ連の軍事介入が招来される可能性は、権力を掌握した革命政権を外部もしくは内部の“反革命勢力”から防衛するといった、ソ連側からする大義名分もしくは使命観が在する場合に限られるのであって、今日のソ連が無限定的に軍事力を行使し、明日にでも平和国家を侵略するといったソ連脅威論はとうてい成り立たないことも明らかになる。」、こういうことを述べておられるわけですけれども。  私は、この一月以来の政治の世界での流れは、アフガン侵攻で、カーター政権が大統領選をにらんで、自分の地盤沈下を防ぐために非常に過度に反応した、その過度反応が日本にそのまま持ち込まれて、ソ連脅威論というものが出てきた、そのソ連脅威論が入り口になって防衛問題が議論される、これは非常に好ましくない議論の仕方ではないかと思いますが、そういう点についてはどうお考えでございますか。
  43. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまの議論で、私は過剰反応とは思わないのです。それまでカーターさんはいささかソ連を甘く見過ぎていたところがある。カーターさんという人は非常に信心深い人ですから、多少そういうふうな外観を呈した面もあるかもしれませんけれども、今度の場合はアメリカのみならず、イスラム諸国の会議でも満場一致でソ連を非難、弾劾しておりますし、それまでは国際政治ではアメリカが言うなれば公敵ナンバーワンのように扱われておったのが、あの事件を契機にして、国連やイスラム諸国会議においてもソ連が弾劾されるということですから、アメリカの穀物を売らぬとかオリンピックをボイコットするとかいう反応を過剰反応と言うのは、私は賛成できません。私は、日本がオリンピックをボイコットしたことも正しかったし、日本が経済制裁に加わったことも正しかったと思っております。  そしてまた、私が今度ソ連に十日間滞在しておったときの印象では、この経済制裁は非常に効果を上げておる。一部には経済制裁は効果がないというようなことを言っておる人もおりますけれども、それは自分で勝手にそういう想像をしておられるので、私の見たところでは経済制裁は相当な効果を上げておる。第十一次五カ年計画も手がつかないぐらいにソ連は困っておる。  そういう点から考えますと、やはりそういう動機はいろいろ理解してやらなければいかぬにしても、いやしくも国境線を越えて軍隊を派遣したということは間違いない事実ですから、これは私は大いに非難、弾劾すべきであって、また、アフガニスタンの人民は勇敢にいまなお抵抗しておるようでございます。そういうことによってソ連が罰せられる、軍事介入すれば相当の処罰を受けるということをソ連が知ることは、ソ連のためにもいいし、世界平和のためにもいい。これをアメリカが罰したのじゃ第三次世界大戦になりますから、アメリカは穀物を売らぬとか、オリンピックをボイコットするとかいう穏やかな方法で罰する。しかし、軍事的にはむしろアフガニスタンの人民自身がそれを罰する。そういうことによってソ連が、セルフパニッシュメントという言葉を私は使っているのですけれども、自分で自分を罰しておるということ、これは今後のソ連の政策に対しても大きな影響を与えるでしょうし、その意味において私は非常にいいことだと考えております。
  44. 関寛治

    ○関参考人 私は、ソ連アフガニスタン侵攻に対してイスラム圏諸国が反対するのは、むしろ当然のことだと思うのです。ただ、アメリカがそれを契機にしてもう一回大軍拡の方向に移り、そればかりではなくしてSALTIIの批准さえもどうも流す傾向が出てきたということは、明らかに望ましくない大きな変化、過剰反応の結果として出てきている。そういう意味で、たとえばNATOとワルシャワ条約間のSALTIIIの交渉はとにかく、IIの方が流れてもやるということは進んでいるようですけれども、にもかかわらず、やはりいろいろな関係から、SALTIIIの方向に進むべきスピードをおくらせたことは、何といっても危険な方向を選んだことだと思っています。  こういう変なことをカーターさんがもしやらなければ、今度の大統領選挙でも必ずしも負けなかったのじゃないかという感じもしているのです。もっと賢明な政策をとっていればですね。その点、私はやはり、そういうことがブレジンスキー氏の手によって行われたことが最大の失敗だと思っているのです。つまり、カーター政権の最大の失敗は、ブレジンスキーを非常に重く利用したということですねしブレジンスキーというのは、私はやはり最低の特別補佐官だったと考えております。(笑声)
  45. 市川雄一

    ○市川委員 私は、ソ連の脅威論から防衛問題に入ることはやはりやめるべきだという立場で申し上げたのです。それから、ソ連のアフガン侵攻は許せないという立場です。それから、ソ連に対してある程度けじめのある態度をとることは必要だということはもちろん認めます。  そこでデタントということなんですが、米ソの緊張緩和、このデタントというのは何かはっきりした定義がなく、ムード的に使われているきらいさえも感じるわけです。私は米ソデタントというものはそんなムード的なものではなくて、もっと根っこの深いもの、アフガン侵攻という事件は許せない不幸な事件であったけれども、そういうもので米ソデタントが緩むほどの、そんな根っこの浅いものではないと私は見ているわけです。  もともと米ソデタントというのは、信頼関係があってできたとか、米ソがお互いの善意を信じ合ってできたとかいう性質のものではないと私は思うのです。やはり核戦争、これは防ぎようがない、核攻撃というのはお互いにもう防げない、どちらかの国あるいは両方の国が壊滅的になる、したがって核戦争を防ぐのは核不戦、核で戦わないことだ、こういう一つの米ソ間の、キューバ危機を端緒にした合意というものが形成された。その核不戦を国際的に保障するためには、核を持った国を少なくさせるしかない、そういう考え方が部分核停条約を生み出し、核拡散防止条約を生み出した。しかも、核拡散防止条約では単なる条約で米ソデタントを約束し合ったのではなくて、米ソが東西の現状を力をもって変えない限り核は使わない、こういう条約交渉の中における米ソ間の了解があると私は思うのです。それは単なるペーパーの約束ではない。条項の中で脱退条項というものがあります。したがって、西独に配置されたアメリカの何千発の核が担保になっている。もし、第二次大戦後に確定した東西の現状をソ連が力で変えようとした場合、アメリカは核拡散防止条約から脱退して、西独に核防条約で禁止された核の管理権を渡す、いわゆる西独の核武装をするぞ、そういう了解というものがある。しかも、その了解があることは日本の外務省に米国からも説明しているわけですね。したがって、デタントというものはアフガン侵攻によって揺らぐような根っこの浅いものではないし、また米ソの利益から見て、アフガンで騒ぎ立てることが、アフガンとデタントを比べた場合ははるかにより重い比重をデタントの方が持っておる、こう私はいまの状況を見ておるわけでございますが、デタントということについて両先生のお考えを承りたいと思います。
  46. 坂田道太

    坂田委員長 市川先生の持ち時間が八分しかございませんので、簡潔に要領よくお答えいただきたいと思います。
  47. 猪木正道

    猪木参考人 はい、わかりました。  デタントに関する解釈が米ソで全く違っておりましたですね、その辺に問題があったと私は思うのです。だから、私はデタントという言葉は使わないで、むしろ平和共存と言った方がいいと思います。体制間の、国家の、超大国の平和共存と言った方がいいのじゃないか。なぜかといいますと、デタントと言いますと本当に緊張が緩和してだらっとするような気がするのですね。ところが、ソ連の方ではその間に階級闘争、体制間の闘争はやむことがない。したがって、ソ連はもうデタントであろうと、コールドウォーであろうと、お構いなしに軍備を増強していく。増強していきましても、総合的に見ますとまだアメリカの方が上だと私は思いますけれども、とにかくマージンが狭まってくる。そうなってまいりますと、アメリカの方がデタントでだまされたという気持ちを持つのも無理がないというふうに思うのです。ですから、デタントは西側諸国、特にアメリカを精神的に武装解除するための手段ではなかろうかというような疑いの念をアメリカ人の一部が、あるいは今度のレーガンの大勝利を見ますと一部ではなくて大部分かもしれませんが、持ったとしても、これは不思議でも何でもない。  しかし、市川理事御指摘のとおり、アフガニスタン事件にもかかわらず、世界の相互依存というものは動かし得ない事実でございますから、だからやがて何らかのけじめがアフガニスタン事件に関してつけられましたならば、米ソ間の話し合いのルートもだんだん、もうすでにマスキーとグロムイコの会談も行われておりますし、それから西独とフランスもブレジネフと会っておりますし、その間にまたポーランド事件というもっと大きな事件が起こったものですから、西独と東独との間の関係がおかしくなっていまちょっと停滞しておりますけれども、そういう意味において、アフガニスタンによって直ちに第三次世界戦争に突進していくというようなものでないことは私も同意見でございます。
  48. 関寛治

    ○関参考人 デタントの構造が相当強力に定着しているというふうにおっしゃったわけですが、戦略兵器制限交渉を専門でやってきたアメリカの推進者たちの間では、議会が批准しなかったことは非常に困ったことだと現実に思っているわけです。そういうので、そういうことをやっている人たちはいいのですが、政治的雰囲気としてはどうもアメリカはいま余り望ましくない方向に移ったと思う。  これに対して、ヨーロッパでも似たような雰囲気も出てきたのですけれども、どちらかといえば、ヨーロッパは、全体として見ますと、アメリカに比べてもっと第三勢力的な世論がむしろ政治的レベルにおいてかなり強い。そこで、一方ではNATOの体制をより強化する、ワルシャワ条約機構の体制に対抗して軍事的に強めようとする動きがあるけれども、他方で、最初の三十分のときにも申し上げましたように、ヨーロッパの小国が、パーシングIIの配備だとかそういう問題をめぐって、大分NATOから脱退しかねまじき態度を示している。また、イギリスの労働党の一部が核兵器の配置に反対する動きを強めている。そういったグループの勢力は全体としてはなお強くないけれども、連続的に影響力がやはり及んでいて、NATO体制を支えているヨーロッパ諸国自体の政治の動きとしては、デタントは絶対崩してはならないという気持ちが強いように思う。気分的には、専門家のレベルのいろいろな議論というものも、国の内部の政治的な零囲気とか、そういうものによって支配される面が非常に強いわけですが。  そういう点から見まして、これは日本についても同じなんですけれども、余り軍事力増強の方に世論が向かうことは、日本が今後平和外交を果たしていくことがますますむずかしくなっていくような、そういう政治的雰囲気をつくるのではないかということを非常に心配しております。  全体としては、そういう政治的雰囲気は昔の階級闘争論と申しますか、そういうものとは非常に違うレベルで進行しているのではないか。つまり、階級的には労働者階級に属している政党でもひどく軍事力増強に熱心になり得る場合もあり得るし、逆に非常に資産家階級に属している政党の中でも本当に平和のことを心配して努力する方もいらっしゃる。そういう点で、どうもこれからの世界というのは、軍拡を志向する動きと軍縮を志向する動き、これを仮に世界タカ派とか世界ハト派というふうに言うと、そういう連合の間でのイデオロギー的な論争、同時にイデオロギーを超えた具体的な方策についての論争が行われてくる。つまり、そういう階級闘争の形態というものは、どうもマルクス主義で議論されるレベルとは違った、つまり平和をつくるような動きとそうでない動きということが東西両方にまたがって出てくるのじゃないか。ソ連人の中でも非常にこの緊張緩和の方向に行く考え方の人とそうでない人、アメリカの中でもそういうふうに分かれてきている。  そうなってまいりますと、日本のように平和外交をしなければならないということを使命にしている国家の場合は、これはもう初めから日本はそういうことを使命にしていたわけですが、それが実際活動するための条件というものをもう少し客観的に見る必要がある。これは国際交流の形態とか、そういうものの中で、新しい方法をどういうふうに工夫したらいいかという政策論の問題になってくるだろうと思うわけです。  以上、非常に簡単にデタントの将来に関して申し上げたわけです。
  49. 坂田道太

    坂田委員長 永末英一君。
  50. 永末英一

    ○永末委員 国会の役割りというのは、日本国民がつくる経済童の中で、どの程度防衛力にそれを使えばわれわれの安全が保たれると国民判断するか、このことを判断することが重要な仕事だと私は思うのです。だが、これはいまのところ残念ながらどの程度かよくわからない。  そこで、先ほどの猪木先生のお話で、基盤的防衛力ということが考えられたのはその当時では意味があったと言うわけでありまして、「その当時では」と言われたのに私はきわめて意味があると思うのですが、その点に関してまず猪木先生に聞きたいと思うのです。  その基盤的防衛力というのに基づきまして「防衛計画の大綱」ができたのですが、それによりますと、防衛力を保有しているのは、一つには侵略を未然に防止すること、直接侵略があればこれを排除することと、この二つの役割りが書いてあるわけですね。防止するためには「日米安保体制と相まって」となっているわけです。もちろん「国を守る国民の気概」も加わっておりますが。  さて、問題は、もし未然に防止する力を「防止力」と名づけ、排除する力を「排除力」と名づけるといたしますと、この基盤的防衛力構想に基づく「防衛計画の大綱」は防止力、すなわちその背景には拒否能力理論ですね。これは先生の総合安全保障研究グループが先ほどおっしゃいました伊東総理大臣代理に出されました報告の中に、拒否能力の理論は正しい、拒否力でやることは正しい、これが最低限持つべき力だということをおっしゃっておられる。そして、その拒否能力としては既成事実が簡単につくられるのを防止する能力、こうしておられまして、それに「国家の独自の立場を守ろうとする気概の涵養」もつけ加えておられますが、さて、問題として考えられますのは、日米安保条約を絡めますと、われわれの持つ防衛力プラス日米安保条約というのは、核の面においては明らかに抑止力理論というものがございます。それを媒介にして、拒否力というものを納得させようという意図があるのではないかと思われてならないのです。  抑止力理論というのは、核兵器が相手方から来る核兵器を排除することはできない、ただ、排除することができないから、こっちが持っておればあっちもやられることをこわがって来ないだろうというだけのことであります。しかし、われわれがいま整備しようとする通常兵力による防衛力は、相手方から来る通常兵力を排除することはできるはずであります。したがって、そこへ核戦略理論などを持ち込んではならぬはずであります。つまり、通常兵力だけの理論としての防衛力の水準を考えようとする場合です。  そう考えてきますと、ここで「防衛計画の大綱」をつくった人は、相手方の通常兵力を排除する力をまじめに追求しなければならぬのに、拒否力理論なんて妙なことを持ち出して、拒否力というのは、いま読み上げましたように、相手方もやられるぞというふうに、相手方をこわがらせるわけです。相手がやったときにはこっちも既成事実がつくられるということで、相手方の軍事力増強とか攻撃というものを一応何とかとどめようというだけのことでございますから、そうしますと、そういう抑止力理論を導入してはならぬのに、これは明らかに、そういう機能をわれわれが持つ防衛力に持たせようと考えて、そういう拒否力理論なるものを導入したとしか考えられない。そうすると、その時点では防衛水準の算定はもうできなくなるのではないか。  これは猪木先生の文章ではございませんが、久保卓也君がそのころ書きました文章の中で「基盤的防衛力構想でやっていくと……目標防衛力の計算は必ずしも容易なものではない」と告白しておるのですね。結局そういうことになるわけです。  さて、猪木先生、この「防衛計画の大綱」は別表をつけておりますが、先生も先ほどまだ別表までに行っておらぬのだ、だからまず別表をと、こうおっしゃった。しかし、この別表まで持てば、考えられる侵攻する相手方の力を排除できるかということは、一つも書いておらないわけですね。だからこそ「限定的かつ小規模な侵略」というような妙なことを言っている。世界にそんなものはありはしませんよ。「限定的かつ小規模」でやってくださいと言っている国がありますか、そんなものありはしませんよ。空想の産物をやるものだから、今度でも何か、五十六年度の予算では別枠九・七%、いや軍事大国だ、いや右寄りだ、こうなるわけですね。  しかし、日本自衛隊の現状を一生懸命まじめに見詰めておりますと、来年度予算で五百億円、防衛庁の予算が他省のふえ方に比べてふえたからといって、それが軍事大国になったり、そんな右寄りになるわけはないのであって、私はもっと率直にわれわれの自衛隊の力の現状、それが排除力になり得ないものがたくさんありますから、それをもっと取り上げてやったらいいのじゃないか。それを拒否力なんという妙な概念を持ち込むものだから、わけがわからなくなって、自家撞着を起こして、客観的に国民にわかってもらえる水準を発見し得なくなっていると思わざるを得ないのですね。  猪木先生が総合安全保障研究グループを率いて書かれましたものを注意深く読んでみたのですが「拒否力の保有は明らかに最低限の必要である」という拒否力理論に立っておられますが、拒否力理論でわれわれの必要な防衛力の水準が決まりますか、ひとつお伺いいたしたい。
  51. 猪木正道

    猪木参考人 「拒否力」というのは京都大学の高坂教授が言い出されたことで、私も賛成したのです。それで、当時の坂田防衛庁長官、久保次官の時代にお取り上げになったのじゃないかと私は推測しておるのですが、その事実関係は私もよく知りませんです。(笑声)  拒否力というのは、まさに永末委員がおっしゃっておられる排除力なんです。しかも、日本に対しては、三十五年間核兵器が使われておらぬことでもわかるように、核攻撃は容易に日本には起こらない。仮に起こりそうな場合には、それは日米安全保障体制で対処するほかない。そこで、日本に侵略がもしあるとすれば、通常兵器による侵略だという前提に立って、それを排除する力ということでございますから、あの基盤的防衛力の付属表に出ておる数字で私は決して満足しているわけではございません。  私は久保さんとも意見が違いまして、その点は永末委員の方に近いのですけれども、およそ小規模にして限定的な侵略なんというものはあるはずはないと思うのです。私は北海道よりは東京の方が危ないと思っています。私が講演しましたら北海道の人が「大変危ないので困っているのだ」と言われますから、「冗談じゃないんだ、ロシアという国はもし入ってくる場合には心臓部をやっつけるので、北海道はラバウルになりますよ。むしろ私は北海道へ移住したいくらいだ」と言いましたら、北海道の人は大変安心しておられました。  そういう意味で、拒否力というのは排除力という意味なんです。その意味で、あの別表にあるものが、中期業務計画が達成されても、これは八〇年から八四年までの計画ですけれども、それを仮に一年間前倒しにしてみても、これは基盤的防衛力の八〇%にしかならないのですね。ということはどういうことかといいますと、いまの自衛隊の力というものが想像に絶するほど少ないということなんです。特にお金は御承知のとおり二兆二千三百億円使っておりますけれども、その大部分が人件費、糧食費関係に使われておりまして、装備費は四千六百九億円、二〇%にしかすぎぬ、こんな国はちょっとございません。したがって「日本防衛」に出てまいりますように、陸上自衛隊が使う大砲の主要なものは第二次大戦中に米軍が使ったものと同じ型であるとか、あるいは海上自衛隊護衛艦のうち三隻しか防空能力がないとか、航空自衛隊の持っておるナイキJはとてもいまの飛行機に対しては効果がないとか、こういうことをちゃんと正直に防衛白書は認めておるわけです。だからそういう方面にお金を回せば、それは五百億円じゃとても足りませんが、その五百億円の十倍ぐらいを使えば、これは日本の膨大な予算から見れば、社会保障費やその他の費用に犠牲を負わさなくても、捻出できる金だと思うのです。それをやれば、ということは、私の意見は、大体防衛費は二〇%ふやさなければいかぬ、九・何%というのは法外な数字で、あんなことじゃ話にならぬと私は思っているのです。  私はソ連の脅威とかなんとかということは申しません。それはもうソ連も思慮深い国ですから、なかなか容易なことじゃ入ってきませんし、アメリカとの間の安全保障条約に血が通っている限り大丈夫なんですけれども、しかし余りにも、日本のような経済超大国が第二次大戦型の大砲を装備しておったり、防空能力が護衛艦になかったり、地対空ミサイルが電子戦能力がなかったりするようでは、これは国際社会の安定、平和に貢献できない。  私は関教授と意見が同じなのは、軍縮か軍拡かと言われれば、軍縮に行かなければいかぬと思うのです。ところが、日本の場合は軍縮とか軍拡というようなものの計算に入らないのですね。もう話にならぬのです。地面にはいつくばっているような状況で、これは有事即応態勢がないどころか、全く防衛力としては不十分なものである。  そこで、これは中国あたりでも「日本、しっかりやってくれ」ということを最近は言っておりますが、それは中国がどう言ったって構わぬですけれども、そういう意味で、日本の場合はアームズコントロール、軍備管理という観点からも、年率二〇%くらいで今後数年間はふやしていかないと、これは国際社会の尊敬される一員にはなれないというのが私の結論なんです。
  52. 永末英一

    ○永末委員 いま猪木先生から、拒否力というのは排除力なんだということで、結構でございまして、そのように後輩によく教えていただきたい。あっちこっちで拒否能力とは防止力であるというような、違うことを書いておるものですからわからなくなりまして、わけのわからぬことに基づいてわが国政府が「防衛計画の大綱」などを決めますと、国民はわけがわからぬですよ。わからぬと世論が一致しない、国民合意が生まれない、こういうことになりますので、よろしくお願いいたします。  関先生にお願いしたいのですが、先ほど新しい国際秩序の形成に努力をする、その場合、国連を中心とするとおっしゃいました。  そこで、このごろいろいろ国連のことが問題になるのですが、わが国が国連の安全保障理事会の非常任理事国になりましたが、もしイラン・イラクの問題が停戦に到達する場合、私は当然国連が出てくると思います。安全保障理事会で停戦を決めていく。そうしますと、その停戦を監視する委員会をつくろうというときに、わが国は海外派兵はできませんから自衛隊はだめです、医療部隊なら出します、分担金は出します、というようなことをイランやイラクやほかの人々が聞いた場合に、日本という国は何じゃろうと思いやせぬかと心配しております。  そこで、国連を中心とする新秩序形成というのは、経済的な協力、発展途上国にいろいろなことを国連はやっておりますが、それは当然やらねばなりませんが、安全保障理事会で非常任理事国としての立場の日本が、ペルシャ湾の油にあれだけ日本の経済が依存している場合に、そういうような決議があり、よその国がその停戦監視委員会等で武装部隊を送っておるときに、日本はいやじゃと国際的に言い得るかどうか、御見解のほどをお伺いしたいと思います。
  53. 関寛治

    ○関参考人 私は、国連平和維持軍という、いわゆるPKOといわれるものに対する日本の協力は、いろいろ計画的に考えていい段階だと思うのです。  ただ、私の考え方を申しますと、いままでのPKOとして出動しているのは原則的に全部中立国である。日本は、日米安保条約によって結ばれていると原則的には中立国ではないということなんですね。もちろん当該紛争に対して中立である場合には、余り日米安保条約が関係しないようなところだったら、当該紛争に対して中立なら出られるという考え方はあり得るかもしれません。しかし全般的に見ますと、PKOに対して最も熱心な国はスウェーデンとかフィンランドとか、デンマークなんかも若干そういうことはやっておりますけれども、概して余り強く両方の国にコミットしてないわけです。日本の場合は、日米安保条約に強くコミットし過ぎているということは、原理的に見て、それに対する強力な欠格条件だと私は思っている。ですから、日本が本当に平和のために努力をするなら、日米安保条約を続けている限りは、そういうことに対しては余り考えられない状態ではないかと思う。私は、これが日本の将来の選択にとって大きなジレンマになると思うのです。  さらに、PKOが活動して平和をつくる条件というのは、すでに起こった紛争を分離によって解決するだけなんです。分離によって解決するだけでは、基本的にこれは非常に大きな欠陥がある。やはり分離を超えて新しい統合のための努力、あるいは紛争の起こる前のいろいろの条件づくりの協力ということが非常に大切なんで、そういう意味では、現在のところは、PKOに非常にたくさん金を出すぐらいなら、国連大学に大量の金を出して、国連大学でそういう問題をどうするかという研究プロジェクトを推進する方が優先順位としては高い。もちろん、PKOということに対しては、先ほど申しましたように、当該紛争に対して中立という最低条件を満たす場合には協力し得る場合があり得るということを申し上げたい。  それからもう一つは、国連軍の非常に異常な形態が朝鮮半島に対してまだ存在しているわけです。PKOはそういった国連軍とカテゴリーが非常に違うわけですから、そういう意味で、朝鮮半島の問題の解決に対して新しいアイデアを日本はつくって、それをもし解決できるならば、私は、PKOも含めて日本は全体的に世界にもっと貢献できるようになると思うのですね。一番早い手近なところというのは、朝鮮半島を早く解決しなさいということなんです。私はその条件はもう成熟していると思うのです。日中の国交、米中の国交が回復した後に、なぜ朝鮮半島の問題が解決できないのか、不思議でしょうがないのです。これは日本の努力が足らないということ以外の何物でもない。  それからもう一つ申し上げますが、このPKOの問題と自衛隊の問題で、これは憲法に関係しているのですが、私は、長期計画としましては、自衛隊というのは全部国連平和維持軍に改組すべきだと思うのです。これが将来の計画として唯一の日本の平和外交の長期展望としてあり得る問題だと思う。ただし、その問題についてはまだ時期尚早であって、議論しない方がまだいいと思います。しかし、長期計画としてはそこまで考えておくべきだと思います。
  54. 永末英一

    ○永末委員 猪木先生は防衛大学校の校長をやっておられましたので、自衛隊の幹部の気持ちも十分御存じだろうと思います。  いま、われわれの国会で公務員の定年六十歳でというような法案が現実に出ているのですが、自衛隊の幹部職員、これはその下の曹の隊員も同じでございますけれども、停年が早いのですね。二佐で五十一歳とか、一佐で五十四歳とか五歳とかです。人生このごろは平均余命年齢が多くなりましたが、五十歳の初めでこれは停年で首になってしまう。なるほど「真っ先駆けて突進し」というのはできぬかもしれませんけれども、普通の世の中ではまだ壮年でございますわね。     〔委員長退席、三原委員長代理着席〕 その人たちが自衛隊をやめていく。しかも、やめていった者が、残念ながら悠々自適というわけにはまいらぬ。そういう環境の中で防衛という非常に重要な任務の幹部の仕事をしている、あるいは中心的な曹の方々もしておるという場合に、自衛隊を退職してからどこかへ行って、それ天下りだ、よく調べてみたら、どこかの会社の守衛をしておったというのもございますし、いま国家公務員だというから、国家公務員以外の特別な待遇は全く考えまいとしておりますが、明らかに職務の内容は違う。そして、その退職の年限でさらに制限を低くやられているということは、これはとんでもないことなんで、ここが他の公務員と違うところですね。個人の生活にそれだけの制限を加えるのなら、やはり退職してからの待遇についても国家は考えなくてはならぬ点があるのではないか、バランスをとらねばならぬ問題だと思いますが、どうお考えですか。
  55. 猪木正道

    猪木参考人 その点は、丸山元事務次官が再就職の援護に関する仕事を、一昨年あたりかな、本格的にやっておられますし、大分改善されておるのではないかと思います。  それから、停年の延長の問題は若干改善されておりまして、御存じだと思いますけれども、ちょっと延びたのです。これは延ばしますと、精強な自衛隊というイメージからはだんだん遠くなるわけですがね。  これは大学をごらんになってもおわかりのとおり、六十歳停年の大学と、六十三歳停年の大学と、六十五歳停年の大学とをお比べになると、たった二年の違い、三年の違いなんですけれども、六十歳停年の大学が一番はつらつとしておりまして、六十五歳停年の大学は沈滞しておりまして、これはこわいものなんです。だから、二年、三年延ばしただけでも、かなりこれは影響してまいりますので、いままでの停年は、確かに永末委員の御指摘のとおり多少短か過ぎる点もあると思いますし、また、延ばしても十分できる仕事もございますから、多少延ばすことは考えられますけれども、それをうんといつまでも延ばすことはできない。だから、それはやはり再就職の援護という形でもって解決するのが正しい方法ではなかろうか。     〔三原委員長代理退席、委員長着席〕
  56. 永末英一

    ○永末委員 一言ですが、停年を延ばせと言っているのではない。精強な指揮官というのはよぼよぼしておったらあきませんから、やめていいのですが、やめた後をちゃんとやれと言っているのです。
  57. 猪木正道

    猪木参考人 だから、それは再就職の方法しかないんじゃないでしょうか。
  58. 坂田道太

    坂田委員長 東中光雄君。
  59. 東中光雄

    ○東中委員 猪木参考人にお伺いしたいのですが、先ほどソ連脅威論については賛成しない、それから第三次大戦というか、米ソ戦争の八〇年代の公算は少ない、絶対ないとは言えぬけれども少ない、こうおっしゃったのですが、それに関連して、ことしの三月十二日の自民党の国防議員連盟でのお話の際に、朝鮮半島の問題について、私は朝鮮半島に八〇年代に必ず何かが起こるような気がするとか、あるいは朝鮮半島はこの八〇年代に大変危険になるのじゃないかということを言われておるわけでありますが、いま関参考人の方は、朝鮮問題はむしろ解決する条件が熟しておる、こういう御発言なんで、猪木参考人の、朝鮮半島についての八〇年代に必ず何か起こるのじゃないかという気がすると言われていることの根拠なり、情勢の見方をお伺いしたい、こう思います。
  60. 猪木正道

    猪木参考人 それではお答えいたします。  朝鮮半島には八〇年代に——私がしゃべりましたのは三月十二日だったと思いますけれども、二十日でしたかな、たまたまここにあるのですが、この中を見ているわけじゃない、外へ出るときノートのかわりに使っているのですけれども、これ以後にやはり何かがいろいろ起こっておりますわな。だから、そういう点から見て、朝鮮半島世界の非常に危険な場所の一つであるということは、そういう認識は変わっておりません。  私は、韓国日本の植民地だったから行かないのです。しかし、幸いにたまたまアドバイスがございましたので、戦前も戦中も行ったことがなかったものですから、ずっと行かなかったのですが、おととし初めて行きまして、去年も行ったのですけれども、去年も例の大変な騒ぎが起こる前に、五月ごろに外務省の御依頼で、「知識人の役割り」というようなことでソウルまで行ってきたのですけれども、そのときはあらしの前の静けさと申しますか、非常に不気味な状況でございまして、昨年いっぱいを朴さんの体制が乗り切れば何とかなるが、六月、七月、八月が危ないということを向こうの人が言っておりましたが、そのとおりになりましたね。その意味において、韓国も非常な爆弾を抱えておりますし、それから北朝鮮も同じようにかなり危険な要素をはらんでおるので、その意味において朝鮮半島世界で最も危険な場所の一つである。  私は、朝鮮半島についてはとうてい——この問題に関しては正確にはお答えできないのでありまして、日本責任だとおっしゃいますけれども、日本は植民地化しておったけれども、日本が幾ら逆立ちしても、あの朝鮮半島の大変ダイナミックで、そして優秀で、しかもかなりアグレシブな国民性を持った、二つの体制を異にする国家の間の平和的統一とかなんとかということを、日本の力でとうていできるとは思いません。これはもう絶望的だと思います。私は、日本の力ではできないと思います。さらに、だれが努力しましても、これはかなり時間のかかる問題で、東ドイツと西ドイツとの関係の程度にまでなるのさえなかなか容易なことではない。その意味において、朝鮮半島状況に関しては依然として悲観的な考え方を持っております。
  61. 東中光雄

    ○東中委員 非常に危機的な何かが起こりそうな感じに私は読み取ったものですからお伺いしたのですが、そういう政治情勢についての御認識ということですね。  関参考人にお伺いしますが、先ほど来いろいろ御意見を御開陳願っておるのですが、特に「米中ソの中東外交日本」という論評を出されておりますが、それを見ますと「イランとアフガニスタンをめぐって発展した軍拡競争の激化は、日ソ間での冷戦の再開とも呼ばれるべき国際緊張の増大につながることになった。もしも、これに対する十分な抵抗が同盟国や非同盟中立諸国の中で発展しないならば、世界は核戦争危機に向かって歩み続けることになるだろう。」こういう趣旨のことが書かれているわけでありますが、きょうのお話も大体そういう御趣旨のように思うのです。こういう立場から見て、日本が、ソ連脅威論が打ち出されて、猪木先生から言えばお話にならぬということでしょうけれども、軍備増強の方向に向かっているわけですね。特にアメリカの、威令とまであるいは内政干渉とまで言ってもいいような強い要請があったわけで、軍備増強の方向に行っている。こういう状態についてどういうふうにお考えになるのか。私たちは、非同盟中立政策といいますかそういう方向に、大きな一つの世界の潮流としてあると思うわけですが、「非同盟中立諸国の中で発展している抵抗がよく進まなければ非常に危険だ、」こういうふうに書かれておるそういう立場から見て、軍拡競争に日本もいま巻き込まれていっているというふうに私たちは見るわけですが、それについてのお考えをひとつ聞かしていただきたいと思います。
  62. 関寛治

    ○関参考人 昨年のアフガニスタン事件以降の大きな世界政治の流れとして、冷戦再開の非常に大きな方向が始まったわけです。しかし、それに対する過去ほぼ一年近い間を見返してみますと、そういう冷戦再開の動きを促進するいろいろの要因と、それからその促進に制御をかける動きとがいろいろのレベルで出てきていて、その結果としては、どうも冷戦の再開が加速化される方向がある程度制御されたというのが現状であろうというふうに見ているわけです。  しかし、そういう二つの流れはなお続いているというのが実情であって、そして、日本全体を見た場合の全般的な世論から見ると、どうも軍縮外交の方に対して積極的な活動をするような政治的な雰囲気というものがむしろなくなってきている。これが、私は、日本の政治的雰囲気として非常に望ましくない状況であるというふうに見ております。  したがって、今後は、そういう雰囲気ではない、もう一つの緊張緩和の政治的雰囲気というものが一層強まることが必要でありますし、同時に、緊張緩和の動きをとるさまざまの政党や、これは主として野党が多いかもしれませんけれども、自民党の中でもそういう方がいらっしゃるわけでして、何とかして軍縮の方向へ持っていきたいと言われるような方々、あるいは政党レベル以外のいろいろな組織がございますので、こういった組織が単に冷戦再開に抵抗するというだけではなくて、積極的に、日本がどうしたらいいのかという活動のいろいろなプログラムをつくって、そして、それを一つ一つ実行に移していくような措置が今後必要であるというふうに思っております。  いまの流れから見ると、どうも冷戦再開の方の世論が全般的に強まっている。これは私は、日本が平和外交をやるべき責務ということを考えると、非常に望ましくない傾向であるというふうに判断しています。
  63. 東中光雄

    ○東中委員 猪木参考人にもう一つお伺いしておきたいのですが、やはり同じ講演のところで、自衛隊法百三条の政令問題に触れられて「出動命令が出る前あるいは待機命令が出る前の段階でも、土地や家屋を収用するようにできるようにしなければいかぬじゃないか」という趣旨の発言をされておるわけですが、それだと自衛隊法の改正ということにももちろんなると思うのですが、そういう御趣旨の御意見なのか。そこらの点はどうなんでしょう。
  64. 猪木正道

    猪木参考人 私は、とにかく現在の自衛隊法をよく守って、その百三条以降の諸条項に定められた政令をまず一日も早く制定することが先決問題であると考えております。しかし、それだけでは足らないと思います。やはり自衛隊法を改正して、そして有事即応態勢に応じ得るようなそういう状況に持っていかないと、日本自衛隊というものは、たとえ国民から非常な温かい支援を受けておりましても、法的な面で非常に制約されて、十分にその使命を果たし得ないという状況が起こり得る、このように考えております。
  65. 坂田道太

    坂田委員長 中馬弘毅君。
  66. 中馬弘毅

    ○中馬委員 日本の大方の国民の感情というのは、憲法九条があろうがなかろうが、ソ連に向かって日本が攻めていきたいだとか、あるいは朝鮮征伐をしたいだとか、大東亜共栄圏の主導権を求めるために日本自衛隊を出していきたい、こういう方はほとんどいないと思うのですね。その中で、専守防衛ということになってくるのですけれども、自分の国の中で「うちは専守防衛だ、専守防衛だ」と言ってみても、相手がそう認識しなかったらだめなわけでございまして、スウェーデンあたりでも相当の軍備をそろえておりますけれども、少なくともそういう意図はないと大方の周辺の国々判断している。ということは、相手側としては、その国の外交姿勢だとか、あるいは内政のやり方だとか、あるいは軍事それ自体で判断することになると思うのです。  先ほど猪木先生は、そういう意味におきまして、対空あるいは対潜、対艦ということにしぼっておれば他国に脅威を与えることはないじゃないかということをおっしゃいました。そういうことも含めて、今後日本が内容的な意味の拡充も含めてある程度の軍備を拡充していく場合に、そういうことははっきりしておかないと他国に脅威を与えてしまうと思うのです。そうすると、もう少し具体的に、どういう形のものであれば周り国々に脅威を与えないんだ、軍拡競争にならないんだという、何か具体的なお話がありましたら、猪木先生、関先生から順番にお聞かせいただきたいと思います。
  67. 猪木正道

    猪木参考人 お答えします。  「国防の基本方針」の第一項に国際協調主義ということが強調されておりまして、これは第二次大戦の苦い経験から来た非常に賢明な結論だと私は思います。日本のように、原料、燃料、食糧、飼料ともに外国から大いに輸入しなければいけない国の場合には、大変重要なことだと思うのです。そのことは繰り返し繰り返し外国人にわかるようにしなければいけませんし、日本国民にもよくわかるようにしていかないといかぬと思います。  それと同時に、私は防御の方の科学技術の専門家じゃないのですけれども、防衛力に関しましてもかなり具体的に、日本が持ってよい装備と持ってはならぬ装備とを峻別していく必要があるんじゃないか。もちろんそれは、だれかも申しましたけれども、手ぬぐいでも凶器になるのですから、だからなかなかその辺のところの区別はむずかしいのですけれども、しかし常識的に考えますと、たとえば非常に射程の長いミサイルなんかは、日本がそれを開発して持つということになりますと、それに核弾頭を装備すれば直ちに中距離弾道弾か大陸間弾道弾になりますから、そういうものは少なくとも二十世紀の間はやってはいかぬ。それどころか、二十一世紀になっても当分の間はやってはいかぬ。平和国家といいましても、大体スウェーデンのように年期が入っておりませんから、日本はまだ三十五年しかたっていないのですから、これは伝統とは言えません。スウェーデンの場合にはもう百五十年以上、百七十年ぐらいの伝統がございますが、日本の場合には、もう少し年月がたって日本世界から信頼されるまで、そういうところはやはり大いに努力する必要がある。  具体的に言えとおっしゃったので申し上げますと、まず対艦船ミサイルの非常にいいものがすでに開発されておりますので、これを大量に、陸上自衛隊でも海上自衛隊でも航空自衛隊でも装備する必要がある。そうすれば、上陸用船団で日本を襲おうとする国は、必ずちゅうちょしてやめます。その程度の力があることをときどきデモンストレートする必要があります。この間も試射をやりましたところが、一発で標的艦が沈んでしまったものですから、五発撃つ予定が四発は撃てなかったといううれしい悲鳴を聞きましたけれども、そういう対艦船ミサイルの開発並びにこれの展開は必要だと思います。これは全く攻撃的な能力はないわけでございまして、射程が非常に短いものでございますから、日本に明らかに敵性な意図を持ってやってくる艦船を撃沈するということでございます。  それから、その次には対空ミサイルも、陸上自衛隊海上自衛隊も航空自衛隊もうんと整備する必要がある。それにはまことにありがたいことに、日本はエレクトロニクスではアメリカもたじたじするぐらいの実力を持っておりますし、半導体、コンピューター、いずれもエレクトロニクスと不可分でございますが、これも世界最高の水準でございますから、この方面に努力いたしますと、すでにある程度の努力はしているようですけれども、何しろ研究開発費二百二十五億円ではこれはしようがないんですね。伊東内閣総理大臣臨時代理に出したのには五倍となっておるのですけれども、私は十倍だと思っているのです。十倍でフランス並みなんです。まだ英国よりは大分少ない。そういう努力を日本はする必要がある。そういう努力をすることは、世界から信用されることはあっても、世界に脅威を与えることはございません、研究対象を限定しておればですね。対空ミサイルをうんと持って、陸上自衛隊海上自衛隊、航空自衛隊ともに防空力を備える。  それから対潜能力は、潜水艦を探知し、かつ、それの位置を正しく測定して、そしてそれを攻撃できるようにする能力で、そういう能力をいま大いに研究しているようですけれども、世界じゅうがやっておりますけれども、日本の場合、科学技術の状況から見て、成功の公算がますます高いわけですから、そういう方面にも努力する。  そうしますと、要するに極端に言えば、エレクトロニクスで日本を守るという方向に持っていけば、そうすれば、大陸に遠征軍を派遣するのを限定するとかあるいはエレクトロニクスも射程を限定すれば、北京をやっつけるとかあるいはモスクワをやっつけるとかいう恐れはないわけですから、そういう意味において、外国からは侮りは受けず、かつ、脅威も与えない、こういうことになると私は思っております。
  68. 関寛治

    ○関参考人 私は、現在において、日本の科学技術を中心にした軍事技術への投資というものが相手方に脅威を与えないという保証は必ずしもないと思っております。それはなぜかと申しますと、日本の科学技術は第一級の科学技術ですから、いろいろな新しいものを、半導体を中心にして開発すると、それがまず日本の内部だけではなくて、外国から利用される危険性が非常に多い。特に日米安保条約があるとアメリカの科学技術の向上に非常に資するわけです。現在のところやはり日本プラスアメリカというものが仮想敵国側には意識されているわけでして、そういう意味日本だけが相手に脅威を与えてないと言っても、日米安保条約というものがある限りにおいては、これはどうも通用しないではないか。そういう意味で、日本における軍事技術の開発に二百億円以上のお金をかけるならば、なぜもっと重要な平和活動のために、一つの例は国連大学でもいいのですけれども、もう少しお金をかけないんだ。  大体イギリスとかフランスとかそういう主権国民国家の集まりから成っている、ウェスト・ファリアに起源のある主権国民国家から成る現在のシステムというものが続いている限り、軍縮については過去の歴史から見ても絶対に成功しない。つまり、日本が幾ら軍縮外交をやろうと思っても、成功しない条件があり得るわけです。  軍拡がなぜ続くかということについては有名な「囚人のジレンマ」というゲーム理論が、非常におもしろいモデルがあるわけですけれども、要するに一方が軍縮してしまうと、軍縮した方が軍事的な面で不利になるというような、非常に基礎的なモデルとしてそういうものがある。だから、どうしても相手に脅威を与えないということを日本が考えるためには、軍縮外交の中核にもう少し非政府的な機関を活動させる余地を増大させる。国連軍縮特別総会に非政府機関の代表が乗り込んだわけですけれども、単に乗り込むだけではなくて、非政府機関というものが世界的なネットワークをつくって、日本の軍縮に貢献するいろいろな政策を検討するだけではなく、世界のそういうネットワークを強めるという、つまり非政府的立場のネットワークを強めることによって現在のウェスト・ファリアシステムを超える道を探ること、これがやはり、日本の現存の軍事力のもとで幾らそれはやめなさいと言っても、科学技術の結果として、猪木先生がおっしゃらなくても、自動的に日本の軍事力はふえていくと思うのです。質的にも改善される。そういう状況に対する保障措置というものを非政府機関の活動の面で強化しないと、やはり日本の軍事力というものは、日米安保条約の枠組みの中では仮想敵国に非常に危機感を与えるのではないか、脅威を与えるのではないか、こういうふうに解釈しております。
  69. 中馬弘毅

    ○中馬委員 両先生ともに、第三次世界大戦の危険性は当面はないというお話でございました。と同時に、日本国境をよその国と地続きで接しておるわけでもございませんし、すぐに何かが攻めてくるという状況でもないとするならば、もう一つ、軍事的な脅威のほかに、安全保障という問題ではいろいろなことが考えられると思うのです。それこそエネルギーからあるいは食糧の問題もございましょうし、場合によっては地下のナマズ軍団の方がよっぽどこわいかもしらぬわけですね。この間のアルジェリアのような地震がたとえば東京で起こるならば、これは少々の局地的な戦争よりもはるかに大きな打撃を日本に与えてしまうわけですから、そうすると、もちろん軍事的にそういう差し迫った危険があるというならば軍備の方をそろえなければいかぬし、あるいは核戦争が起こる危険があるならば、スウェーデンのように地下壕をつくってでも国民を避難させる場所をつくらなければいけないし、あるいはそれよりもナマズ軍団の動きの方が早いかもしれないというならば、これは都市防備の方をせぬといかぬと思うのです。そういうようなことをシステム的にする場所が日本の場合には何か必要じゃないかと思うのです。そういった検討をする部門といったようなものがですね。その点について両先生はどのようにお考えでございましょうか。
  70. 関寛治

    ○関参考人 私は、さまざまの防衛の中で、市民の命を保障するような方向の努力というものが、これはある意味では真剣に考えられていいと思うのですね。  ただ、純戦略的なインタラクションというものを大国のレベルで考えた場合には、むしろ、そういうことが行われれば行われるほど、相手方からの抑止力というものが失われてくるということなんです。つまりそこに戦略の非常なジレンマがある。有名な戦略の中で「対都市戦略」というのがありまして、アメリカが一番最初にそれを工夫したわけですけれども、第二撃力というのは相手の都市にねらいをつけるという形になっているわけです。その相手の都市にねらいをつけている限りにおいては抑止力はあると思うのです。ところが、仮に相手からこっちの都市にねらいをつけられた場合に、私はこれはもう現実的にそんなことは不可能だと思うのですが、仮にその都市の人の生命を完全に守れるようなシステムができれば、その第二撃力というのは意味がなくなるわけですね。そういう意味で、戦略的な相互作用というのは、いかなるものを考えてみても必ずやジレンマにぶつかるというのが本質だと思う。  したがって、そういうものに全力を注ぐとか、あるいは予算の非常に大きな部分を割くよりは、より積極的な平和秩序をつくる外交活動の方に予算を割く方がはるかに賢明である。つまり予算の面で必ず衝突するわけです。一定の額の予算というのはプライオリティーがある。したがって、軍事費を増大させる予算というのは、必ずそうでない活動に予算を割く部分に食い込むわけです。そういう意味でプライオリティー、優先順位の問題を議論するに当たって、やはり日本の場合は積極的に世界の平和秩序をつくっていくということを一番中心に置いて予算の配分を考えるのが、今後の長期的な展望として一番望ましい。さしあたりどうなるのかというのは、いままでの過去の予算の配分がありますから、はっきりその方向に変えることは非常にむずかしいと思うのです。ただ将来の展望として長期的に考えた場合には、どうしても優先順位を変えていくことが望ましいと思うのです。
  71. 猪木正道

    猪木参考人 ただいま中馬委員は、差し迫った危険がないとおっしゃいましたけれども、私はないとは言っていないのです。公算が少ないということなんです。何が起こるかわからないのが国際関係、国際政治の本質だということは先ほど申し上げたとおりでございまして、たとえば非常に悪い仮定ですけれども、ポーランドソ連軍が介入をして、そこでポーランド政府軍がそれに対してチェコとは違って戦う、東ドイツの人民軍も寝返って戦うというような事態が仮に起こったとしますと、これはもうヨーロッパ大戦であり、世界大戦になり得るわけです。だから、そういう公算が全然ないとは言えない。そういうことが起こった場合には、ソ連としては、もちろん全力を挙げてポーランド、東ドイツ、それから、さらにできれば西ドイツまで制圧しようとするでしょうけれども、それと同時に、日本の北海道、本州その他に対して、三つの海峡のうちの一つか二つかを開放せよというようなことを要求して、そうしてそれに日本が応じないということになると、やってくるという危険もあるわけなんです。  こういうのが国際社会のあれでございまして、国際社会では、それぞれの主権国家は自分の国の領土と領海と領空とを守る義務があるわけなんです。その義務を全部つなぎ合わせまして国際の平和と安全が保たれているのですね。ところが、日本がその義務を怠りますと、日本の領土と領海と領空だけはこれは守る者がおらぬということになるので、そこでやはりそれ相当の努力はする必要があるということになるわけでございまして、私が先ほど二〇%防衛予算をふやす必要があると申しましたら、何か非常にざわめきが聞こえたような気がいたしましたけれども、私は率直に考えて、純理論的と言うとおこがましいですけれども、純理論的に考えまして、その程度のことはこの両三年やらないと、国際社会の一員として日本は尊敬もされないし、また日本の発言は何らの権威をも持たないだろう。やはり外務大臣がどんないいことをおっしゃっても、平和に寄与するとかあるいは軍縮のために努力するとかおっしゃっても、その外務大臣の発言が第三国の恫喝によって実現不可能であるというような状況では、これは外務大臣がばかにされるばかりなんです。これは総理大臣も同様なんです。総理大臣や外務大臣が平和外交を進めていこうとすれば、やはり自分の国の領土と領海と領空とは一応守れるというだけの力を持っていないと信用されない。こういう意味において、私は、防衛力のある程度の整備は必要だということを申し上げておる次第です。
  72. 中馬弘毅

    ○中馬委員 最後に、これ一つだけ……。  きょうレーガンが勝ったようでございますけれども、カーターより日本に対する軍備拡充の要請は非常に来ると思うんですね。ただ単に、先ほどおっしゃった意味での国際的な緊張に対しての日本役割りと同時に、やはり経済的な意味も、日米貿易の点もあると思うのです。こういったときに、日本の将来にとって一番賢明な対応の仕方はどうしたらいいかということを簡単にお伺いしたい。
  73. 関寛治

    ○関参考人 やはり日米関係のいままでのレベルが、どちらかと言うと政府間レベルの交渉が主流であって、そして日米間の広い、深い交流というものが必ずしも十分に行われていない。そこで、日本意見アメリカ意見とも、そのときの政府レベルに非常に近い意見のみが日米関係の現実であるというふうに思われる傾向が非常に強かった。  そこで、カーター政権の場合でさえもそうなんですが、レーガンが出てきた場合に、一層日本アメリカとの交流の幅を深く広げまして、そして民間レベルのいろいろの知的な部分を通して日本の真の気持ちを、国民レベルの気持ちを含めてアメリカに常に伝えていくネットワークを一層強化する必要がある。そして率直に日本の立場を、野党の場合もアメリカに伝える必要があるし、同時に、日米関係を日米関係としてだけではなく、世界的ないろいろの国々が集まるフォーラムとして設定していく必要がある。そのために国連大学というものは非常に有効な場を提供し得る。もちろん、国連大学以外にさまざまの民間のネットワークがそういうことを計画いたしまして、アメリカ日本との関係を、日米関係だけではなくて、世界全体との関係で議論する方向に引っ張っていく。そうして、日本意見をその中で伝えていくことが必要なんで、そういう努力がなお日本では非常に弱いということが言えるわけで、それを徐徐にでも一層拡大し、深くしていく方向に変えていくあらゆる努力がなされていいんじゃないかというふうに思います。
  74. 猪木正道

    猪木参考人 レーガンは、先ほどもちょっと触れましたが、日本の右翼とは違いますけれども、アメリカの右翼でございますから、したがって、日本に対する防衛力整備の要求もより露骨になるだろうと私は思います。ところが情けないのは、主権国家が、いかに同盟国であるとはいえ、それから迫られて渋々ながら防衛力を整備するというようなことでは、とうてい魂が入った防衛力というのはできないと思うのです。  そこで、カーターであろうとレーガンであろうとブレジンスキーであろうとキッシンジャーであろうと、レーガンの外交安全保障の顧問は、アレンがやめましたからまだわかりませんけれども、そんな人が何と言おうと、それとは関係なしに、日本日米安全保障条約を前提としながら、わが国力、国情に応じた防衛力を整備する自主的な努力をすべきであって、それを評価し得ないような大統領であればこれはもう仕方ないですけれども、レーガンは、一部では大変頭の悪い人だということを言う人がおりますけれども、しかし、政治家の場合に頭がいいということが必ずしもいい条件にはならないし、(笑声)それ以外にいろいろな要素もあるかもしれませんし、カリフォルニア州知事の実績としても、周囲の有能な人に任せることはなかなかうまいそうですから、中道寄りの力も働きますし、右翼の政治をやることはないと思うのです。中道右派だろうと思うのです。そういう意味においてそう心配したものではない。  私は、ことしの六月ごろにアメリカに行きましたときに、一時、レーガンが当選したら月へでも亡命しなければいかぬなということを言ったことがあるのです。ところがその後、そのときに会ったアメリカ人とまたイタリアのストレーサで会いましたところが、いろいろ向こうは理由を挙げて、いかにレーガンでも心配要らぬからということを言うものですから、月へ亡命しようとは言ったけれども、亡命する方法がないので困っておったわけなんで、(笑声)それではまあ日本におろうということを申したような次第でございまして、そう心配することはないと思います。  ますます日本自信を持って、相当な力があるのですから、その相当な力を、潜在力を必要最小限の防衛力に振り向ける努力をする、そういう決意だけが欠けておるので、その決意をぜひともこういう委員会を通じて盛り上げていただきたいというのが私の希望でございます。
  75. 坂田道太

    坂田委員長 これにて、各党代表による質疑は一応終了いたしました。  引き続いて質疑を行いますが、参考人に対する質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て発言するようお願いいたします。  では、質疑を続行いたします。
  76. 前川旦

    ○前川委員 猪木先生と関先生にお伺いします。  いま、先に新自由クラブから質問されましたけれども、新しくアメリカ大統領がかわりましたね。これがこれからの国際政治に、世界的な安保の構造に、日本だけというのじゃなくて、どう影響してくるのか。いままでと違って、特にタカ派という印象を私たち持っておりますから、アメリカとしては非常に「強いアメリカ人」としての軍備増強を図ってくるだろうと思うのです。それがこれからの世界の平和にどういう影響を及ぼすだろうか。きょうレーガンが当選したということをお聞きになって、どういう印象と見通しをお抱きになったか、そういう点のお二人の御意見をお聞かせいただきたいというふうに思います。  それから、猪木先生にお伺いしますけれども、いまアメリカはどんどんソ連に対して軍備の増強を図っていく、日本にもそういう要望がきて、日本も軍拡の道を進み出す、それからNATOはNATOで実質三%の防衛予算の伸びを図っていく、それに中国が加わります、そうしますと、アメリカ日本中国、NATOのGNPというのは、大変大きな巨額なものであります。ソ連ワルシャワ条約機構の加盟国に比べて圧倒的にGNPが高い。そうしますと、軍事力はこれから西側が圧倒的に高くなっていく、そう思うのです。そのときに一体ソ連はどうなるのだろうか、どう対応するのだろうか、どのように見通されますか。  たとえば、いろいろ言われておりますね。八五年ごろにはソ連は石油の輸入国に転落する、そういうことも言われております。もし輸入国に転落すれば、これはワルシャワ条約機構のあの東欧の各国を石油でつないでいる要素が多いわけですが、その辺も大分崩れてくるでしょうし、それから西側の大変な軍備増強にソ連は対応して軍備増強をしなければいかぬと思いますが、もう限界がきていると思うのですね。国家予算の何%を軍事力に入れているか、ちょっと数字はわかりませんけれども、それにしても、これ以上国民の生活を犠牲にすることができないぎりぎりだろうと思うのです。それでもなお西側が増強していきますと、これに対応して、あそこは、先ほど先生おっしゃいましたように非常に過剰な防衛意識の国ですから、それに対応していかなければいけないということで、それによって国の破綻がくると思いますね。  そういうことを見通して、これから一体、いまのように無原則にどんどん西側が軍備を増強していって、その先何があるのだろうか、何を見通しているのだろうか、希望があるのだろうかということで、私どもはどちらかといいますと、無原則な軍拡競争、そしてソ連圏の破壊、そのときには、あるいはかってのABCD包囲陣の結果のように、アメリカやイギリスのような膨大な軍備を持った軍隊抑止力があるにもかかわらず、やけっぱちみたいな戦争をした日本の歴史がありますけれども、それと同じようになるとは思いませんけれども、しかし、何かそこに非常に不安があります。そういう意味では、いまこそもう一度本気で緊張緩和に取り組んでいかないといけないのじゃないだろうか、このまま突っ走ったら大変危険な状態になるのじゃないだろうか、いまこそ緊張緩和に努力する時期じゃないだろうか、こういう思いがいたします。  そうなりますと、われわれは一体ソ連とどうつき合ったらいいのだろうか。確かにいままで日本ではロシア人は嫌いだという国民感情がありますから、ずいぶん感情論が支配していますが、先生の著作の中にも、ソ連との平和共存を進めていくべきだという御意見もあります。
  77. 猪木正道

    猪木参考人 ちょっと待ってください。よく聞き取れなかったのですがソ連との平和共存が何ですか。
  78. 前川旦

    ○前川委員 先生の御著作の中にも、ソ連との平和共存を進めていかなければいけないという御理論がありますが……
  79. 猪木正道

    猪木参考人 わかりました。
  80. 前川旦

    ○前川委員 そのことをひっくるめて、いまのままでいいと私たちは思わない。もう一度、冷戦に逆戻りじゃなくて、新しいデタントを再構築していきたい。そのときに、私たちはソ連とどういうつき合いをして、どういうふうに考えていったらいいのか。その点、先生はどういうふうにお考えになっていらっしゃるのか。今度レーガン大統領にかわったというこれで、アメリカ対外政策はずいぶん変わるだろうと思います。そのこととも関連して、先生のお考えを伺えたらと思うのです。
  81. 関寛治

    ○関参考人 私は、全体的に軍拡競争が進んだ場合に、ソ連自体の経済的な困難から、ソ連自身のいろいろな問題が内部的に生ずることは、これは一つの可能性として非常にあり得ることだと思うのです。  しかし、他方アメリカの経済も、ソ連に対して相対的によくても、いまのところまだアメリカ経済は世界一だと言っていても、だんだんアメリカもインフレとかそういうことで大変な状態になってくると私は思うのです。  いままでもアメリカの地盤沈下ということがよく議論されているわけですが、それはやはり軍事費に余り割き過ぎたためです。第二次大戦が終わった直後にアメリカ世界の総生産の約半分ぐらい持っていたのが、七〇年に三分の一になり、七五年に四分の一で、そして八〇年に五分の一になる。これは相対的な地盤沈下で、もちろんそこに日本ヨーロッパがウエートを高めたということで、そういう相対的地盤沈下が起こったわけですが、この相対的地盤沈下が一層進み、アメリカは力をもってもう一回再建しようという夢をレーガンは語っていますけれども、それ自体がますます非常にむずかしくなってくる。一層地盤沈下が進む。そしてさらに、アメリカを取り巻く国際環境のうち、仮に日本ヨーロッパだけが一生懸命でアメリカに協力しても、第三世界が全体として非常に紛争が多く起こったり、あるいは紛争が起こる中でも、非同盟中立というようなグループ、あるいは新国際経済秩序樹立の要求が、内部が割れながらも強く出てきたという現実、アメリカの裏庭であるラテンアメリカがやはりアメリカから離れる傾向が非常に出てくるのではないかというようなこと等で、結局アメリカの軍備拡大も大きな限界にぶつからざるを得ない。その種の限界に対して、恐らく、レーガンがどういう対策をとるかというのは、レーガン個人の問題というよりは、やはりレーガンを取り巻いているさまざまのスタッフの試みとして、新しい方向をどうしても探らざるを得ないんではないかというふうに感ぜざるを得ないのです。  概して、従来アメリカでは、民主党のときにいつでも戦争をやっていて、共和党のときにはやらなかったという経緯があるわけでして、それが今度も行われ得るかどうか。同じ形で共和党が進むとすれば、概してアメリカは孤立政策の方がより強くなって、ニクソン時代の末期をもう一回別のレベルで再現しなければならなくなるということも十分考えられる。そのときに、日本とかNATOに一層大きな、いままでアメリカがやっていた役割りをという形で要請の出てくる可能性というものが非常にある。そのとき日本が、やはりアメリカがいままでやっていた可能性というのを引き受けるという形ではなくて、第三の道を日本ヨーロッパが開いていくような可能性というものは十分あり得るというふうに私は思っております。
  82. 猪木正道

    猪木参考人 私は、ただいま前川理事からの御質問で、レーガンの当選によって世界の平和と安定に対してどういう影響があるかということでございますが、率直に申しまして、レーガンさんは、私は会ったこともありませんけれども、いろいろ多少勉強いたしますと、大体五〇年代の頭で考えておられると思うのですね。もう少なくとも二十数年は時代おくれのアナクロニスチックな考え方をしておられると思うのです。だけれども、これからホワイトハウスに入られるまでには十二月、一月と二カ月余りございますから、したがってその間に五〇年代からだんだん八〇年代に近づいてこられるだろうと期待しているのです。(笑声)  いままで、大体アメリカ大統領が当選した場合、特にレーガンさんがカリフォルニア州知事に当選した際に、公約は一つも実行しておりませんから、勇ましい公約をしたのですけれども、皆それを実行しなかったのです。そういう実績もありますから、私はああいう勇ましいタカ派的な公約は一切実行されないだろう、中道寄りになるだろうということを期待しておるのです。  ただし、この方は、何しろこれを担いだグループというのは——私はゴールドウォーターが落選したときにアメリカにおりまして、そのゴールドウォーターを声援しているグループのその反動的な性格といいますか、そういうものに嫌悪の情を催した記憶がございまして、そういう連中がまだ担いでいるのかなと思うと、これは余りいい気持ちがいたしません。  そういう点からいたしまして、いまの御質問の、アメリカも軍拡をする、NATOも軍拡をする、中国も近代化を図る、まあ中国ではなかなか近代化がうまくいかないようですけれども、そして日本も軍拡とおっしゃったのですけれども、日本は軍拡どころじゃないので、とてもそのレベルに及ばない。もうそれこそ最小限度のところにもまだいっていないのですから、これを軍拡という表現は当たらないと思いますけれども、とにかく整備をするというと、ソ連が恐怖感を待つんじゃないかとおっしゃった。私はそのとおりだと思うのです。  私は今度これぐらいの人数で、ソ連安全保障関係の社会科学の最高幹部とアカデミシャンがその中に三人おりましたが、三日間にわたって会談した、その経験から申し上げますと、いままでになく沈痛な顔をしておりましてね。これは先ほどもちょっと申し上げたんですけれども、非常に行き詰まっている。ポーランドでああいう事件が起こったときに、もしソ連にことしの穀物の生産が二億三千五百万トンもあれば、もうどんどんポーランドに援助してやれるわけです。ところが援助してやれない。ポーランドの生活水準の方がずっと高い。食肉の一人当たりの摂取量でもソ連の方がうんと少ない。そういう状況で、とてもソ連国民ポーランドを助けることに対しては不満を持つでしょうし、いかに全体主義国家でもそう簡単にいかないんで、大変困っておりますね。内政面八方ふさがりで困っております。  それじゃ、先ほどおっしゃったように、一九四一年の十二月八日に清水の舞台から飛びおりる覚悟で日本が自爆戦争をやった、ああいうふうにやるかというと、これはソ連日本は違うので、それはもし日本指導者がクレムリンにおったら、ドイツが一九四五年五月八日に降伏したら、その降伏した日に、あるいはもうヒトラーが死んだ四月三十日に、満州から南樺太、千島列島に入ってきたと思うのですね。そうすると、当時の軍事情勢から見て、北海道は恐らくソ連領になっておっただろうし、朝鮮半島は全部ソ連の方の制圧下に入って、朝鮮民主主義人民共和国の領土になっておったろうと私は想像するのです。ところがそれを、ルーズベルトに約束したとおり、ドイツが降伏してから三カ月後、五月八日からちょうど三カ月たった八月八日に入ってきたから、戦利品は少なかったわけなんです。  そういうことはどういうことかといいますと、非常に慎重な面をあの国は持っておりますね。先ほど私はブレジネフさんをクマに似ているなんて言いまして、いやしくも一国の国家元首を侮辱したかのような印象を与えたかもしれませんが、私はクマはかわいい動物だという意味で申し上げたのです。(笑声)今度の場合も非常に慎重、悪く言うと憶病なところがある国でございますから、十数人のポリト・ビュローで十分慎重に審議してやりますから、あのような絶望的な自爆戦争は絶対やらない。これは切腹の好きな日本人と違うところでございまして、玉砕よりは瓦全をとるだろう。その意味で、私はソ連の政策がいい方向に変わり得る一つの端緒になるんじゃなかろうか。  この点はアメリカの方も、これはもうかわりましたから、カーターの周辺の人の意見はいまでは余り意味がなくなったのですけれども、カーターの周辺の人も、このままではいかぬということを言っておりました。  それから日本政府首脳にも私はお目にかかりましたけれども、その首脳の周辺の方々も、このままでは日ソ関係はいかぬということを言っていました。  ソ連で、ソ連首脳に対する助言者であるアルバートフなんかも加えて意見を交換しましたが、だれがどう言ったかということは申し上げませんけれども、このままでは米ソ関係もいかぬし日ソ関係もいかぬということを言っていました。皆そう思っているんです。  ただ、だれがイニシアチブをとって、どういうきっかけで、何とかメンツを失わないで平和共存路線に戻れるかというところが問題だ。その意味において、私はそれほどペシミスチックではないということを申し上げます。
  83. 原田昇左右

    ○原田(昇)委員 先ほど来お伺いした中で一、二お伺いしたいのでございますが、まず第一に、関先生は「冷戦再開」ということをおっしゃったわけでございますが、私は必ずしも冷戦再開というふうに画然と割り切ってはいけないんではないかと思うのです。と申しますのは、アフガニスタン侵略とか、カンボジアをベトナムが侵略する、こういうことに対して、国際世論がやはり世論をもってたたかなければいかぬ、これはやはり、どうしても国際政治の場で、ああいう事態に対してわれわれは憤りを実際に言論で示すということが必要だと思うのですね。  そういう情勢と、同時に、ドイツのシュミットがモスクワに行くとか、あるいはフランスがソ連といろいろ裏で話すとか、そういう多面的な動きが行われておるので、一概にアメリカ自身も冷戦という言葉、コールドウォーという言葉は使ってないと思うのです。いまやはり何らかの形で、ソ連との間で、軍縮とかいろんな交流とかいうことを通じてやらなければいかぬとみんなが考えながら、とにかくソ連に少し痛い目はさせなければいかぬというような両面の動きが出てきて、多面的な動きがあるという状態ではないかと私は考えるし、また日本も冷戦ということで考えておるわけではなくて、何らかのソ連との間に平和共存の将来の可能性を探らなければならぬ段階ではないか、こういうように考えるのです。その点について関先生の御意見を伺いたいのです。  さらに、次に猪木先生にお伺いしたいのですが、主権独立国の自衛力を整備していかなければいかぬということ、まことに同感でございますが、それに関連して、ソ連の脅威については考えなくていいんじゃないか、これはむしろソ連の宣伝に乗ることになるというお話でありましたけれども、ソ連の極東における軍事力の急増ということですね。これに対しては相当やはり、どうしてこうなったかという原因がはっきりされてない、いろいろ推測ではなされておりますが、少なくともベトナムのカムラン湾、あるいはダナンを基地として使用するとか、あるいはわが北方領土に相当の軍隊を置くとか、かなりの軍事力を極東に急増させたということについては、やはりそうした軍事的な圧力をもって外交に使うことはできるわけで、そういう意味で潜在的な脅威は確実に増大しておるのではなかと私は思うのですが、その点いかがかと思うわけでございます。  以上二点について伺います。
  84. 関寛治

    ○関参考人 私がアフガニスタン以降のアメリカのカーター政権の政策を「冷戦再開」と呼んだのは、実はアメリカの非常に代表的な週刊誌である「ニューズウイーク」それから「タイム」、両方とも「冷戦再開」という言葉をはっきりと使っておるわけです。そして同時に、そういう「冷戦再開」という言葉を使っただけではなく、現実にソ連との話し合いのルートがいろんなところで閉ざされたり、あるいは軍拡競争が再開された、現実に軍拡競争が再開された方向に行ったわけですね。そういう意味で「冷戦再開」と申し上げたわけです。  しかし、にもかかわらず、一年間の経過というものは、冷戦再開はしたけれども、そのコースで加速化する方向がむしろ制御されて、いまのところは大体再開の方向が制御されているというのが、実情ではないか。  これらの制御の要因として、国のレベルで申しますと、やはりヨーロッパとかそういうところが必ずしもアメリカの思うとおりにはついていかなかった。それから国以外の、これはやはり国には属しているわけですけれども、各国の財界に相当する多国籍企業のような部分が、ソ連との経済協力をむしろ逆に増大させているというような実情、そしてまた、世論のレベルでも二つに分別いたしまして、軍拡を強化する動きとそうでない動きがヨーロッパの中ではっきりと出ているわけです。そうでない方の動きというのは、ヨーロッパの小国を中心にした動きとか、イギリスの労働党の一部とか、そういうところに出ているわけです。それらの政治的な動きの総合的な結果として、冷戦再開の方向に制御がかかったというふうに見ております。  そして、もちろん、その冷戦再開と言った場合に、五〇年代の冷戦とは非常に性格が違っているということをやはり言わざるを得ないわけです。それは、五〇年代の冷戦というのはある意味では二極型冷戦であった、いわば勢力均衡型冷戦と言ってもいいようなもので、それがグローバルなレベル、地球的なレベルの勢力均衡と、それから地域的なレベルのものと両方がありまして、それらが複雑に絡み合った状況で、現在のいろんな問題が推移しているというのが私の見方であったわけです。
  85. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまの原田委員からの御質問、私の先ほどの発言が多少の誤解を与えたかもしれませんが、国際社会においては脅威というものはどこにもあるという意見の私は持ち主なんです。したがって、ソ連からの脅威がないなどと私は決して申しておりません。それをいたずらに喧伝をして、その脅威の増大に対抗して防衛力を整備するんだと言うことは、はなはだしく賢明でないと思うのです。それは日ソ間の軍拡競争を生んで、ろくなことはないですからね。だから、あくまで主権独立国家としての、日本の最小限の自衛力を整備していくんだということでやるべきであるということを私は申しておるのであります。  防衛庁や外務省は「潜在的脅威」というような、これははなはだ妙な言葉でございまして、これを英語に訳する場合にポテンシャル・スレットと言うのでしょうけれども、私は外国人は笑うだろうと思うのですね。脅威というのは潜在的なもので、脅威が本当になれば侵略ですから、だから私は「潜在的脅威」なんて申しません。厳として脅威は存在するという意見でございます。  だから当然そういうことを前提にして、日本の主権独立国家としての国力、国情に応じての防衛力の整備が行われるべきであって、それをやたらに、ミンスクが来たの、国後、択捉がどうなのなんて言うのはおかしいのです。国後、択捉島には二万人おったのです、一九六〇年代の初めまでには。それを撤去したのが、また師団規模に近づきつつあるということでございまして、ある意味ではもとへ戻ったということなんですね。それは、もとへ戻すということ自身がインセンシティブであると言えばそうですけれども、そういう言葉がない国ですから、これは言っても仕方がないのだと思っております。  それからもう一つは、ソ連は絶えず軍拡をやっておるのですけれども、一九六九年のダマンスキー島事件から約五、六年間は、中国がその軍拡の部分を吸収してくれたのです。だから日本には余り直接当たってこなかった。ところが、中国の吸収する限度がもう来たものですから、そこでどんどんつくっておりますから、それがやはり沿海州から樺太それから千島列島、南千島にまで及んできたということです。  ただ、なお念のために申しておきますけれども、ソ連といいますと、T72という世界で最も優秀な戦車の一つを持っておるから、もう沿海州のソ連軍も択捉島のソ連軍もT72を持っておるというように考えると間違いでございまして、そんなにソ連も万能じゃないので、非常に苦しい台所ですから、非常に旧式なものも使っておりますし、現に飛行機なんかも、国後、択捉に展開しておる飛行機は、私の聞いておるところではミグ17が主体であって、これは朝鮮戦争の初期に使われた飛行機で、とうていわが航空自衛隊のF4ファントムなんかには対抗できるものではございません。そういうことをちょっとつけ加えさせていただきます。
  86. 原田昇左右

    ○原田(昇)委員 一つだけ、先ほどのお話で、いまのように核の抑止力が働く場合はいいのですが、核の抑止力が働かない地域、たとえばアフガニスタン等に対する侵略に対してこれを制裁する方法がいま国連にはないわけですね。反対決議をするのがせいぜいですね。やはり何か国際世論の力あるいは別な形でこれを抑止することを考えていかなければ、これまたどこでこういう事件が起こるかわからないと私は思うのですね。その点がやはり非常にポイントではないかと思うのですが、いかがですか。
  87. 関寛治

    ○関参考人 私は、抑止力というものに対して、それが有効な場合もあるけれども、非常に有効でない場合が多いのではないかというふうに考えておるのです。  抑止力が非常に有効でないような場合というのは、第三世界の、非常に貧しくて紛争がすでに存在しているようなところは、紛争そのものを引き起こすことに対して抑止力というものはほとんど働かないというふうに考えます。これはその地域自体が、直接の歴史的イメージで言えば、日本の歴史で言えば明治維新前どころではなくてもうずいぶん古代的な状況のようなところがあって、国づくりもまだ行われてなくて、そういうところでいろいろな紛争がある場合には合理的な抑止力なんていうのは全く成り立ち得ない、したがって紛争が多発するのはあたりまえである。  問題は、多発した紛争戦争になって、規模の大きい戦争にならないということを考えた場合に、イラク・イラン戦争が示している教訓というのは一体何かといえば、イラクというのは一九七八年においては最もたくさん武器を輸入した国であり、イランが第二位であった。前の年にはイランがトップであってイラクが二位であった。要するに、二年間にわたってトップと二位の国が輸入した武器によって戦争しているわけです一そういう点の制御が一つは必要であろうというふうに考えております。
  88. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまのアフガニスタンのようなところに対する軍事介入に対する抑止力でございますけれども、これはおっしゃるとおりもう限度がございまして、どうにもならぬわけです。ただし、オリンピックのボイコット一つとりましても、これは相当な制裁でございまして、三十億ドルを見込んでおった外貨が十億ドルしか入らなかった。これは一番金を使うのがアメリカ人であり西独人であり日本人なんですから、この三つの国がボイコットしたものだから、あとは、たくさん参加したのですけれどもみんな金を持たぬ国ばかりなんですね。だから、ホテル収入からインツーリストの収入からみやげ物の店から何からみんな収入が減って、三十億ドルを当て込んでおって十億ドルですから、これは大きな制裁です。それから経済制裁も、先ほど来繰り返し申し上げておりますように相当効果を発揮しております。そういう方法がかなり有効じゃなかろうか。またイスラムも国家会議、国連の決議その他も有効ですから、やはりソ連は、いまになってみればまずかったというふうに考えているのではなかろうかと私は思います。
  89. 市川雄一

    ○市川委員 時間がありませんので一問だけ。  猪木先生は、防衛力について一定の枠をはめることは、国民的コンセンサスを得る上で非常に大事であるということをおっしゃっている。一方では、いま当面のめどをGNP一%、先生は一・三%とかおっしゃっているのですけれども、先日基盤的防衛構想を当時の久保さんからお話を伺ったのですが、基盤的防衛構想では、平和時の防衛力の整備すべき目標というものを一応示すことによって、国民のどこまで防衛力が増大するのかという不安にこたえた。しかし、この基盤的防衛構想をもし外したり変えたりした場合は、もうその歯どめがなくなる。そして政府・自民党は、国民に対してそういう限界というものを新しく政治的に設定して示す責任がある。しかし、恐らく国民がそれを信頼しないだろうと思う、そういう枠をいまつくったとしても。したがって、言葉防衛力の限界とか憲法の枠とか、あるいは一定の枠をはめることによって国民的コンセンサスをつくるということは、言葉で言うことは非常に簡単なんですが、国民信頼しないことにはこれは成り立たないわけでございますので、その辺のこれからの問題として、憲法の枠とか、非核三原則とか、GNP当面一%以内とか、あるいは専守防衛とかいうことはありますが、やはり国民的コンセンサスを形成するという意味において、私はもっと国民から信頼され得るような枠の設定というものが絶えず政治的に必要なのではないかというふうに思いますが、その点について具体的に何かお考えがございますでしょうか。
  90. 猪木正道

    猪木参考人 久保卓也さんにお会いになったそうですけれども、病気で入院しておられて最近退院されたのですけれども、お会いになったのはごく最近ですか。
  91. 市川雄一

    ○市川委員 入院される前です。
  92. 猪木正道

    猪木参考人 つまり、基盤的防衛力の構想の生みの親の一人ですから、非常にそれに対しては愛着があるだろうと私は思うのですけれども、国際情勢は毎日変わっていくものですし、装備の方もどんどん変わってまいりますから、したがって、七六年に「防衛計画の大綱」ということでお決めになったこと、しかもそれに付随して閣議決定でございましたか、防衛予算を百分の一以下にするというあの辺のところは、これは私の想像なんですけれども、前の席にそのときの防衛庁長官がおられるのですが、一%前後にするというようなお考えだったと聞いておりますがね。これは間接的に聞いておるので、坂田委員長からその当時伺ったのじゃないのですけれども。(笑声)ところが、それが当時の大平大蔵大臣によって厳しく一%、あれは以下となっておりましたか未満となっておりましたか……(「めどです」と呼ぶ者あり)めど、そういうことになりまして、そこで、それに非常にこだわる方が多いのですけれども、私はそれを一・三%にしても、十分に国民に説得すれば、いまの防衛白書を読んでいただければ、陸・海・空自衛隊がいかに欠陥が多いか、レーダーサイトも一通りしかない、これが目つぶしを食らったらもう航空自衛隊はアウト・オブ・オーダーだというような状況だ、それにはやはりスペアのレーダーサイトも必要だし、E2Cなんかももっと入れなければいかぬし、いろんなことがあるわけです。それから海上自衛隊も、先ほど来申し上げておるとおり、防空力はありませんし、艦対艦ミサイルも不備だということになりますと、そういうことをよく国民政府が国会を通じて説得されれば、十分に上のシーリングは安定されるので、基盤的防衛力を外したらもうそれで国民信頼しないだろうというような、それは多分久保さんは病気で多少判断力が衰えておられたのじゃなかろうか、私はそう思います。(笑声)
  93. 東中光雄

    ○東中委員 関先生にお聞きしますが、ちょっと話が違うのですけれども、あなたは日本国憲法九条の問題と非核三原則について「地球政治学の構想」で若干お書きになっておるわけですが、「日本国憲法第九条にとっては、たしかに重大な試練の時が到来したというべきであろう。現在は日本国憲法第九条を地球化するべき規範的要請が現れても何の不思議もない国際環境である。」、国際環境がそういう状態になっておるというふうな御指摘だと思うのですけれども、そういうのについてのお考えをある程度具体的にしていただきたいということ。  それから、日本では「国会で非核三原則が宣言されている。今後この非核三原則を徹底的におしすすめていく方針こそが現実化されなければなるまい。もしその方針が実行されうるならば、非核三原則は日本本土をこえて“東北アジア”にまで拡大されうることも可能になるであろう。非核三原則の量的、質的拡大深化こそは、今後の日本外交の基本的原則でなければなるまい。」、こういう論がされておるわけですけれども、これは非核武装地帯設定の宣言を日本周辺地域にまで及ぼしていく、これが「地球の政治化の環境的条件をノーマルな方向に向かって創出して行くための積極的選択である。」、こういうふうに言われておるわけです。  非核三原則の量的、質的な拡大といいますか深化といいますか、そういうものについてのいまの国際環境の中での先生のお考えを具体的にお聞かせいただきたいと思うわけであります。  それからついでに、猪木先生に「防衛計画の大綱」ですが、これは上限だと言う人が多いけれども間違いだ、下限だというふうに言われているわけですが、下限だからまださらに構想が変わっていくというふうに言われておるのか、そういう点についてのお考えをお聞きしたいと思います。  以上です。
  94. 関寛治

    ○関参考人 基本的に見て、軍縮外交日本がいままでどれだけ力を割いてきたかというと、演説だけはやっても、本格的な軍縮外交というものはほとんど展開していない。そして、外務省の中に軍縮室ができて、それがちょっと課に昇格いたしましたけれども、日本外交全体として取り組んでいる中核的部分というよりは、非常にアクセサリー的色彩が強いように思います。こういう状況を根本的に直していくことが大切なわけですけれども、とにかく世界的な意味の軍縮を達成する場合にも、一つの段階があり得るであろう。段階があり得るとすれば、現在日本がすでに採用している政策を普遍化し、強化して、一歩ずつそれを進めていくのが望ましい。  そうすると、非核三原則は国会で決議されているから、日本がすでに政策として採用していると言っていいわけです。その部分を軍縮の方向に一歩でも進めていくことを考えるならば、朝鮮半島の問題の解決とワンセットにして、東北アジアにおける非核武装地帯をさらに拡大していく可能性があり得るだろう。  最近は、太平洋をめぐりましても、これは平和利用の核の投棄の問題も含めてですけれども、パラオが非核憲法を制定するとか、これは非常に小さい国ですけれども、そういう動きというものが全般的にあるわけですね。こういった動きと、ラテンアメリカの中ではラテンアメリカ非核武装地帯化の構想があって、まだこれはソ連の方がどうも余り熱心でないということもあっていろいろ問題があるわけですが、いずれにしましても、非核武装地帯構想というものは日本の政策としては今後より積極的に追求していくべき問題であり、同時に、世界のいろんな地域で行われている非核武装地帯の構想と連携させて持っていく方向が十分に考えられていいんじゃないかというふうに思っておるわけです。  それは、抑止力理論というものは私自身は理論的には全く信用してない。つまり、第二十五回パグウォッシュ・シンポジウムに、われわれは湯川秀樹、朝永両先生を含めて、アメリカのリチャード・フォーク博士も参加されたわけですけれども、核抑止力理論というのは有害である、つまりパーニシャスであるということをはっきりと宣言の中で書いてある。有害であるということは、抑止論というのは、原理的に考えればチキンゲームと同じように、一回成功したからといって二回、三回と成功する保証はない。さらに、いろんな細かい抑止論はっくられているけれども、結局これは袋小路みたいなもので、ますます核軍拡を激化させる、あるいは核拡散の理由として使われているにすぎない。そして、核軍拡競争にネガティブ・フィード・バックがかかっていない。ネガティブ・フィード・バックがかかってないのが一番危険であるというのが、湯川先生を初めとする方々の非常に有力な御見解だった。  この全体の声明に対して署名しなかったのは、実はソ連から来た二人なんですよ。われわれは説得したんですけれども、やはりソ連から来ている人は政府の立場で出ている。アメリカから来ている人は、プリンストン大学の教授とか、そういう政府の立場とちょっと距離がある人だった。そこでアメリカの方の参加者は署名したわけですけれども、ソ連の人は署名しなかったという実情がある。  こういうのを見ますと、やはり政府の立場というのは、そういうことに対しては促進するのが非常にむずかしい。これはウェスト・ファリア・システムの主権国家という主権性からきている。主権というのは本質的に軍備拡大という要求を内在的に持っているということで、この軍拡競争の中止については、したがって、日本の内部でも非政府的な組織がそれを積極的に推進していって、政府自体がそういう方向に行きやすいように持っていくのが、日本の広い意味での外交として必要なんではないかというふうに私は考えます。  そしてさらに、そういう政策全体の中で主権国民国家、つまり平和憲法そのものとの接点があるのではないか。平和憲法というのは日本の敗戦の結果としてできたわけですが、敗戦ということは主権国民国家の主権性をある意味ではみずから失わせたわけです。戦争の結果として失わせたわけですが、その主権性を放棄したところに平和憲法があったということが非常に貴重なことだと私は思うのです。というのは、ウェスト・ファリア・システムを超えるというのは、少なくとも主権性の変革以外にあり得ない。そういう点で、日本の憲法が持っているものはウェスト・ファリア・システムを超える秩序を長期的な将来に設定しているということなんでして、これはいずれも長期的な政策であって、短期的には主権国民国家の性格がもう一回リバイバルしてきて、平和憲法というものがだんだん遠くに離れていこうとしているのですが、なおここでもう一回、その原点の精神に立たないと、日本の平和外交の展開は非常にむずかしいだろうと思います。  平和外交の展開というのは、日本経済力をもってすれば幾らでもできる。問題はやるつもりが余りないというところに問題がある。平和外交をやるために日本国民が全部積極的に協力する条件というものは、日本経済力をもってしたら十分あるということなんです。それがやられてない。そこに、日本の憲法の原点的な価値にもう一回復帰すべきだ、原点を復活させるべきだというふうに考えるわけでして、非核三原則はやはりそれとの関連で考えられると思います。
  95. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまの東中委員の御質問でございますけれども、基盤的防衛力はあの文章を読みましても下限であることは明らかでございまして、あれにも、状況が変われば円滑に新しい情勢に移行し得るようにするということが書いてあったと記憶します。したがって、その情勢が最近世界の各地において変化しておりますし、またしますから、基盤的防衛力自身を再検討しようという議論が起こることは当然だと思うのですけれども、私が皆さん方に強調したいことは、その議論も結構ですが、基盤的防衛力というものが「防衛計画の大綱」ができ上がった一九七六年から四年たっておるのに一向に実現されておらぬし、また中業というものが仮に前倒しに実現されて一九八三年度に完成しましても、これは八割程度しか実現されたことにならない。だから、下限、上限どころではないんで、その下限まで来てないんですな。そういう状況であるということを申し上げたいと思います。
  96. 吉田之久

    ○吉田委員 私はあと九分しか時間がございませんので、一、二点お聞きしたいと思うのですが、まず猪木先生にお伺いしたいと思います。  私は、国家というものはいついかなる場合も守られていなければならない、そう信じております。その守り方につきましては、先ほど先生のおっしゃったように、またわれわれが申しておりますように、あくまでも国を守るということに専念した守りで、そして領空、領海、領土は厳然として守らなければならない。この辺は、多くの国民もその気持ちでいるものと私は思います。  しかし、じゃだれが守るのか。自分の血を流して自分が銃をとって守るのかということになりますと、三十五年間の太平の夢になれた国民、しかも親たちがあの悲惨な戦争を体験しておりますし、やはり拒絶していると思うのですね。その中で国を守らなければならぬ。だとするならば、先生のおっしゃったとおり、あくまでも科学的な技術の粋を尽くした防衛ということしかないと思うのですね。その辺に徹底すれば国民合意というのはかなり形成されるのではなかろうか。  しかし、やはり必要なのは予算でございますね。他の不必要な予算を削る、あるいは人件費をできるだけ落とす、こういうことは必要でしょうけれども、必要な守りは、いまそれが必要であるとするならば、それはGNPの一%以内をめどとするというような決め方では、防衛面から言うとおかしいと思うのです。もちろん経済面も考えなければ、国家の経済を破綻させての防衛はありません。そういうことも考えて、防衛面から考えれば、必要なときは一・五%も必要かもしれないし、あるいは不必要なときは〇・五%でもいいし、そういうものだとぼくは思うのですけれども、その辺について先生のお話を伺いたいと思います。
  97. 猪木正道

    猪木参考人 ただいまおっしゃるとおりでございまして、あの一%をめどにするというのは、もういまでは時代おくれになっていると私は信じております。  それから、故大平さんの委嘱を受けまして私が座長を務めましてまとめ上げた、これは原文は高坂教授が書かれまして、要約は外務省の内田補佐官がお書きになったんですけれども、そこでGNPに対する一・〇七%というふうな答申が出されておることは非常に意味がございまして、これははっきり一%を超えるということなんです。しかしそれを、それほどは超えないという点に意味があるんだということを高坂教授もしきりに強調しておられ、その席におられた方は、少なくとも発言された方は皆さん賛成しておられたので、ああいう答申をしたのです。答申をしたということは、ああいう私的グループとはいえ、総理大臣から委嘱を受けた答申でございますから、大蔵省の委員もおられますし、私はもっと一・三%ぐらいを打ち出したかったんですけれども、私もその中では御老体ですから、まあまあということで、すっかり丸め込まれまして、一・〇七%で仕方がない、これで出発しようということで私も賛成したのです。  ただ、それをやります過程におきまして、亡くなった方のことを申し上げると、亡くなった方に責任を負わせるようでいけませんけれども、故大平総理も、その程度はやむを得ないな、ということを私どもに漏らされておられました。これはもちろん国会の議決が必要なことですし、ただ「つぶやき」としてお聞き願いたいのですけれども、私どもも一生懸命になって大平さんを説得するように努力して、大平さんは御承知のとおり讃岐の農家の御出身で、農家というのは大変現金支出をいやがるところでございますから、大変エコノミックマインデッドというんですか、大蔵省の御出身ですから、その点は厳しい方です。その方を説得して、とにかく一・〇七%の答申ができるところまで持っていったというのは、相当私どもは努力したつもりでおります。
  98. 吉田之久

    ○吉田委員 関先生にお伺いいたしますが、先ほど猪木先生は、グローバルに見て、米ソといいますか、東西の力関係は西の方がまさっているということを申されましたけれども、関先生は現状をどうごらんになっておりますか。
  99. 関寛治

    ○関参考人 米ソにおける量的な軍拡競争の核とかミサイルの面では、パリティー原則がある、ほぼ均等である。物によると、ある物ではソ連の方が若干有利でも、ある物についてはアメリカの方が有利だ。そういう意味で量的には均等である。しかし、質的な面ではアメリカの方がいろいろな面で、たとえばミサイルの命中精度とか巡航ミサイルの開発面とか、そういう面でなお有利であるというふうに、質的にはアメリカの方が有利であるというふうに考えているわけです。
  100. 吉田之久

    ○吉田委員 同時に先生は、先ほど彼我の勢力は伯仲しているほど危機は増大してくるとおっしゃいましたね。いま西側の方が量・質いろいろ勘案して上回っているとお考えになるならば、この勢力は開くごとの方が安全なことになるのではないですか。日本がここで非常に軍備を落としていったり、あるいは西側がいろいろ軍縮をやることは、かえって先生がおっしゃる危機に近づけることになりませんでしょうか。
  101. 関寛治

    ○関参考人 第二次大戦後の歴史を見た場合にどうであったかというと、まず、第二次大戦が終わったときに、核兵器を独占していたのはアメリカ一国だったわけです。そして、五〇年代においてはソ連が核兵器を開発しましたけれども、ソ連の軍拡というのはほとんどアメリカを追いかけるということが基本的な目標であった。つまり、ソ連の軍拡というのは、アメリカに追いつくために、比較的一つの内的な方針がずっと決まっていて追いかけてきた。ところが、六〇年代になりますと、米ソの面でソ連がかなり追いついてきたわけでして、少なくとも五〇年代の後半に至るまでは、アメリカソ連に対して、完全にアメリカ本土は神聖な土地であったわけです。核戦争が起こってもまずアメリカ本土が攻撃されることはなかった。ところが、ソ連がICBMを開発した後はアメリカ本土は神聖な土地ではなくなったわけです。そしてさらに七〇年代になりますと、パリティー原則になりまして、アメリカが非常に追いかけられてほぼ均等に近づいてきた。大体、アメリカは、ソ連に追いかけられるごとに、ある質的な転換点がそこに起こると、国際危機が起こったというのが実情ではないかと思います。  非常に不思議なことなんですけれども、一九四九年にソ連が核爆発をやって、翌年が朝鮮戦争、そして今度は、中国ソ連とは当時はまだ必ずしも徹底的に対立しているわけではなくて、ある程度の対立があったのが六〇年代の前半ですけれども、一九六四年に中国の核爆発があって、その後ベトナム戦争が六五年に起こっているというような契機は、激しい軍拡競争というものは、一方が圧倒的に優越しようと思っても、ほとんどそれは常に追いつ追われつの関係であるということを繰り返さざるを得ない。  そこで、もし現時点で日本及び西側が軍拡をやって、一時的にソ連に対して非常に有利な地位になった場合には、ソ連はさらにそれを追いかける努力をして、危機というものは、常に追いつ追われつで、永遠に終わらないであろう。最終的には、ここで軍拡のストップという方向が出ないと、核戦争になる危険性が非常に高いということを結論せざるを得ない。  過去の戦争のすべてのデータというものを見てみますと、大体において、追いつ追われつが、一方が追いかけようとするときが一番危なくて、大体七〇%の確率でそれは起きている。過去の戦争の研究の結果を言っているわけですけれども。  それから、もう一つ非常におもしろい研究がございまして、それは、過去の戦争の原因がどういうことから起こっているかというのを、全部データを調べて、コンピューターに入れて分析した結果、はっきりした結論は出ないのですが、たった一つだけはっきりしていることは、軍事費の量と戦争とはきわめて高い相関関係にあるということなんです。  要するに、軍事費というのは従来は安全保障のために使われるのだという一つの前提があったわけですが、実は過去の歴史の研究の結果からは、軍事費が高いことが一番戦争を引き起こし、一番安全保障を破壊しているという結論が出た。このことを、アメリカ国際政治学会の新しい会長になったディナ・ジネス氏が、まさにことしの国際政治学会のプレジデンシャルアドレスでそういうスピーチをして、これはわれわれのいままで気がつかなかった問題だ、ジレンマであるということを言っているわけです。  軍事費が戦争の原因であるということは、これは直接的な必要条件ではない、ほかの条件がいろいろあって戦争が起こるわけですけれども、考えてみますと核兵器がなければ絶対核戦争は起こらない、タンクがなければタンクを使う戦争は起こらない、そこから見ますと、ある種の兵器というものを使った戦争というものはある種の兵器が存在することによって起こるわけです。そういう意味で、核兵器は核戦争の起こる必要条件、これは数学的な論理から言うと必要条件なわけです。十分な条件ではないけれども、核兵器が存在しているということは核戦争が起こる必要条件だということになる。ですから、いまの研究結果というのは全く不思議でも何でもないわけで、必要条件というものだけは一貫して存在しているから、そういう結果が研究結果として出たということなんです。  それでは、核抑止力が今後永久に保たれるかというと、過去の人類の歴史から見ますと、ずっと伸ばしていくと必ずいつかは全面核戦争になる。全面核戦争の起こる前に、ひょっとすると何らかの意味の限定核戦争がある。その場所に日本が使われるかどうかについてはわかりませんけれども、もし日本本土が限定核戦争の場所として使われた場合には、原理的に日本安全保障はあり得ない。ちょっと簡単な計算をしてみるだけでもわかりますけれども、何発かの核兵器が日本の東海道メガロポリスの上で落ちた場合には、大体三千万人以上の人間が恐らく死ぬであろう。これが国民安全保障になり得るだろうか。長期的な展望で見た外交政策をとる限りは、安全保障政策として、核軍拡競争を促進するようなすべての政策というものは、人類の将来にとってきわめて有害で危険であるということを私は言わざるを得ないわけです。
  102. 玉沢徳一郎

    ○玉沢委員 わが党の最後の質問をさせていただきます。  先ほど関先生は、ウェスト・ファリア・システムによる主権国家がある限り軍縮はなかなか成功しないということを言われたわけでございますが、「世界」の三月号の先生のお書きになった論文によりますと、しからば、主権国家というものは存在してはいけないのだ、存在すること自身が戦争につながるのだというお考えだと思うのですが、ですから、その主権国家をつまり分離と統合によってできるだけ影響力を弱めていく、「たとえば一道一都二府四十三県がすべて国連加盟国になりうれば、主権の概念を変革させた四十七カ国が、EC共同政府に相当する従来の中国政府と共に軍縮への巨大な圧力を構成しよう。」、こう書かれてあるわけでございますが、主権国家を分離と統合によって全部そういう形で国際連合というものにやり得るかどうかという点は、これは非常にむずかしい問題じゃないかと思うのです。  つまり、たとえば先ほどソ連の方が平和会議に出てきて、政府の代表であるがゆえにせっかくの趣旨の声明に署名しないと言われたが、しかし、それではソ連人というのは、しからば、ソ連に帰りまして、一民間人として、ソ連の主権というものを全部崩壊させまして、そして、それぞれの市なりが中心になって国際連合に加盟すべきである、こういう運動を果たして展開し得るかどうか、その点の説得ができなければ、この議論は空中の楼閣に終わってしまうのではないか、こういう点が第一点でございます。  それから、同時に、その点に関しまして猪木先生にお尋ねをしたいのでございますが、最初猪木先生は、ソ連の脅威はないとおっしゃられたわけであります。(猪木参考人「ないとは言わない」と呼ぶ)しかしながら、その後、脅威はあるとおっしゃられたわけでありますが、やはり脅威というのは「能力」を持っており、そしてまた侵略をするという「意図」を持っておる、その「能力」と「意図」が合わさったときに、初めて脅威が存在するということができると思うのです。しかしながら、猪木先生は「意図」についてはわからないということを私、伺ったように感じておるわけでございます。脅威が存在するならば「意図」も存在するはずであります。  そこで、ソ連戦争に対して何を考えておられるか、これは先ほど関先生もおっしゃられましたけれども、クラウゼビッツの考え方をレーニンが引き継いだ。つまりクラウゼビッツは何と言っているかというと、戦争は他の手段による政治である、他の手段というのは、いわゆる暴力的手段である、暴力的手段によって政治的な目的を達成するんだと言っている。今日ソ連の公式的な見解を見ましても、戦争は暴力的手段による階級と国家の政治の継続である、こう言っておるわけでございます。つまり戦争という暴力的な手段を用いて政治的な目的を達成しよう、こういう明確な意図を持った国家を、果たして関先生の言われるような主権国家の存在をなくすることによってやれるか、ソ連の民間人が果たしてそういうことをソ連国内で言えるか、ここに十分な保証がない限り、世界平和、軍縮というものはなかなか達成できないんじゃないか、私はこういうふうに考えるわけでございます。  しかも、第三世界抑止力はない、こう言われまして、今後もイラン・イラク戦争、通常戦争というようなものはどんどん起こり得る可能性がある、しかも原子爆弾というのはきわめて簡単な手段によって保持することができる。一説によりますと、イラクにおきましても核の研究所があって、これが爆撃されて破壊されたと言っておりますが、その意思をもって努力をすれば非常に可能性がある。そうしますと、第三世界におきまして抑止力がないということになりますと、もし核を持った場合には、核を使っての第三世界においても戦争があり得るのではないか。  こういうものに対しまして、たとえばホルムズ海峡が封鎖された場合、どういうふうな手段を用いるかということをお聞きしましたら、短期的にはお手上げだ、こう言われたわけでございますけれども、しかしもし石油が入ってこないということであるならば、これは短期的ではなくして長期的に見てもお手上げではないか。代替エネルギーというものがあるならば、これは何も中東に頼らなくてもいいわけでございます。しかし、現在はそういうものもない。  つまり、そういう点から考えてまいりますと、主権国家をなくさせなければ軍縮が成功しないというのであるならば、その主権国家である国々をどうやって説得するか。日本は憲法第九条があって交戦権を否定しておりますので、みずから主権国家の制限をなしておる。ここが平和憲法の最たるものである。これは確かにそのとおりであるかもしれません。しかし、世界の核大国を、あるいは第三世界も含めまして説得をするだけのものがなければ、これは砂上に画いた楼閣に終わってしまうのではないか、こういう点を最後にお聞きいたしたいと思うわけでございます。
  103. 関寛治

    ○関参考人 私がウェスト・ファリア・システムの主権の特徴を申し上げて、現在のウェスト・ファリア・システムでは主権を放棄することが非常にむずかしいとすると、私の言っていることは、地方の自主性を増大させて、それを国連に反映させていく一番究極の議論、非常に極端な議論をやったわけですが、それの部分が、全く見込みがない空中の楼閣だとおっしゃったわけです。  実は、そのような空中の楼閣だという批判を、私は全然別の新聞でも受けたわけです。それは「赤旗」紙上に「空中楼閣だ」というふうに書かれたように私は思っておるのです。(笑声)  そこで、私の考え方を申し上げますと、現在の国際政治理論というものと現実とを見てみますと、ウェスト・ファリア・システムだけに立って現在の国際政治理論を展開している、そういう理論の説明力というものがきわめて部分的になりつつあるということです。アメリカ国際政治学の新しい動向の中にもそれが出ておる。  それは、まず一つの例を申しますと、国際政治の行為主体が主権国民国家だけだという考え方は、いまやもう完全におかしくなっている。というのは、多国籍企業が非常な勢いで成長しているのです。そのことを私は「地球政治学の構想」の中に書いたわけですけれども、一九七〇年と七五年の時点の国の規模をずらっと並べまして、そして多国籍企業の販売額と資産額、銀行や保険会社はしょうがないので資産額で書いて、国の方はGNPで五十位まで並べますと、七〇年の時点で三分の一以上から半分くらいが多国籍企業である。国の中で、つまり多国籍企業と一緒に並べますと、五十位以上に入るものは三分の二以下です。ところが七五年になりますと、ほぼ半分が多国籍企業で、あとの半分が国である。もちろん主な国は、十六位くらい以上は、何といってもまだ多国籍企業は食い込んでないのです。しかし多国籍企業の成長率の方が、相対的に見ますと国の成長率より高いわけです。日本でも、第一勧業銀行なんというのは、もう七五年の時点で、国のGNPに比べて大体三十位くらいのところに進出しているわけですね。これが今後どんどん伸びていくだろう。もちろん、最近アメリカでは「多国籍企業衰退論」という本も出ておりますけれども、それはアメリカ起源の、アメリカが重視した多国籍企業の地盤が沈下しているので、日本のような新しく進出するところはもっともっと伸びていくだろうと思う。  そう言いますと、少なくとも経済力の面では、世界を牛耳るものはだんだん多国籍企業になりつつある。多国籍企業は、主権国民国家とは違いまして、非常にグローバルなマーケットを中心にして物を考える。有名なローマクラブの報告がありますけれども、これはイタリアの多国籍企業が中心になってグループをつくってまとめたものですね、タイプライターの会社ですけれども。そういう新しい行動主体ができてくることによって、主権国民国家の行動が非常に制約されつつある。実際、今度のあれが冷戦再開であったかないかは別問題として、アフガニスタン以降とられたアメリカの政策は、多国籍企業のいろんな政策の結果、ソ連に対する制裁措置が十分とれなかった。これはアメリカの立場から見れば非常にけしからぬでしょうけれども、冷戦再開をストップさせる機能を持ったという点では、ある意味ではこれは非常によかった。  さらに、その多国籍企業以外に、非政府的な組織の数が大変な勢いで増大した。  学問のレベルでも、国際学会というものが非常にたくさん出てまいりました。国際政治学会にはソ連も入りました。ソ連の政治学は起源が非常に浅いわけです。ソ連の政治学会というのは過去まだ数年しか活動しておりません。社会学会はもう少し長く活動しております。そういう国際学会に入りましたときに、西側の最高レベルの学問というのは、ソ連に対して十分影響力を与えております。これはもう間違いなく、私の経験から申し上げられる。そういう影響力というのは政府レベルにはなかなか浸透しないのですけれども、にもかかわらず、私は、それが徐々に浸透する可能性を持っているというふうに思っております。国連大学がまともな活動をやれば十分ソ連に知的な浸透力を持ってくる。それは時間はかかるかもしれないけれども、徐々に変え得ることはできる。  さらに、私は、非政府組織のレベルで重要なのは地方自治体だと思っているのです。地方自治体の中には、世界連邦宣言自治体というのは日本でもすでに三百三十を超えております。
  104. 坂田道太

    坂田委員長 関参考人に申し上げますが、結論をお急ぎ願います。
  105. 関寛治

    ○関参考人 はい。これはまだ十分活動しておりませんけれども、やがて活動し始めるならば、世界を変える力を持ってくると思っているのです。この世界連邦宣言自治体を残念ながらいま支持していないのは、日本では政党レベルでは共産党だけなのです。やがて、その状況は変えられる必要があるのじゃないかと私は思っております。  以上です。
  106. 猪木正道

    猪木参考人 簡単にお答えしておきましょう。  ソ連について脅威がないと言い、後でありと言うのじゃ、これは精神問題になってくる。そういうことじゃないのであります。つまり、ソ連の脅威を強調してそれによって日本防衛力の整備が必要だという議論はいかぬ、ということを言ったのです。私は、潜在的脅威なんということは言わないので、脅威があると申しておるわけです、それは日本を侵略する「能力」を持っていますから。「意図」はわかりません。「意図」を持っていたらいよいよ侵略ですから、これは脅威どころではない。そういう意味で申し上げておるのでございまして、それだけお答えしておきます。
  107. 横路孝弘

    ○横路委員 まず基本的な問題は、軍事費を増大していって、それで安全保障というのが本当に確保されるのかと言えば、先ほど関さんからお話があったように、世界全体ではことしは大体五千億ドルぐらいと言われておりますが、むしろ安全じゃなくて不安定状態を増しているだけじゃないか、この問いに対する答えというのは、それが一番基本的なものだろうと思うのです。  それに関連して、日本の場合も、費用の絶対額で言いますといま世界で八番目ですね。核の費用を除けば、日本の軍事費のレベルというのは多分まだ上になるだろうと思うのです。軍事というのは周辺諸国家との相対的な関係ですから、猪木先生のおっしゃられたような形でたとえば日本が軍事費を増大していく、軍備の整備をすることを周辺諸国家がどう受けとめるかというのは、これはある意味においてそれぞれの周辺諸国家の考え方になるのですね。そうすると、そういう軍備の増大が、一つは日本の周辺諸国家、いまですとソビエトと言っていいのでしょうが、ソビエトとの間に軍備拡大競争を引き起こすことにならないだろうか。そのことは、日本から言えばあるいはソビエトが先にやったのだという主張も十分成り立つと思うのですが、どちらにせよ、ともかくこのアジアにおいて軍備拡大競争を引き起こしていくことになりはしないかという心配が一つあるのです。この軍備拡大競争にならないかという点についてどうお考えかということです。  もう一つは、先ほどの核抑止論との関係で、安保条約があるということだけで抑止になっているというお話があったのですが、ヨーロッパにおいてソビエトとワルシャワ軍、ソビエトのバックファイアとSS20の配備が、NATOの中で引き起こした議論というのをずっと調べてみると、結局ソビエトの方からこちんと核でたたかれたときに、アメリカが全面核戦争を決意して本当に報復をソビエトに対してやるだろうか、お互い壊滅を覚悟してやるだろうかというと、やはりそれはやらないのじゃないか。したがって、こつんときた核には、こつんという表現はちょっと問題ですが、いずれにしても、そのレベルの核にはこちらも同じレベルの核で対抗しなければいけないというので、それがパーシングIIという巡航ミサイルの配備決定になって、シュミット首相が乗り込んで、結局戦域核の軍縮の話に米ソは入っているわけです。核の理論からいくと、同じ理屈が日本でも成り立つわけですし、そういう理論を主張する人が最近日本国内に出てきていますね。核武装論がその議論だと思うのです。  結局私が言いたいのは、その核抑止論というのは、考えてみるとよくわからない。NATOと同じような議論を日本でももしやるとすれば、それは理屈としては十分成り立つ議論です。しかし、日本の場合は非核三原則というのがあるわけですし、核不拡散条約、NPT体制の中に日本ももちろん入っている。ということになると、その同じ理論、理屈をもしも日本でやった場合にはどういうことになるか。したがって私は、結論として、核抑止力というのは、もちろん核というのは仮定の話になるのですけれども、つまり核抑止力そのものというものも実際は当てにならない、逆に言うと、核そのものの体制の中から日本は抜け出すことを考えなければいけないのじゃないかというのが私の結論なのですけれども、先生はNATOの議論を日本状況に合わせて考えた場合にどういうふうにお考えになりますか。  以上、二つの点についてお願いいたします。
  108. 猪木正道

    猪木参考人 第一点、日ソの軍拡競争が起こらないか。これは起こっては大変不幸なことでして、よくありません。ところが、幸いなことに、GNPは日本がおととし追いついて、昨年追い抜いたのですけれども、これはGNPという概念自身がはなはだふわふわした概念で、しかもソ連の場合は市場経済ではありませんから、その計算の仕方にも問題があるのですけれども、ともかくほぼ対等の経済力を持っておる。ソ連の方は日本の科学技術力、経済力に対してはよだれをたらさんばかりにして日本に接近しておりますけれども、そういう力を持っておる。だけれども、GNPに対する軍事費の対比を言えば、世界的に通用している常識から言えば日本は〇・九%でソ連は一三%、もっと少なく見積もっても一一%ですから、一一%と〇・九%ではこれは競争になりませんね。これはまるで北の湖と入門したての新弟子の相撲みたいなもので、競争にならぬから、そういう御心配はないと私は思います。  それからもう一つの、ヨーロッパ日本との対比でございますけれども、ヨーロッパの場合はすでに戦域核が配備されておるわけです。西ドイツを初め配備されておるわけです。フランスも、NATOの軍事機構に入っておりませんけれども、NATOの一員であることは変わりないので、やはり戦域核を持っております。戦略核らしきものも持っております。そういうような状況で、しかも、ポーランド時限爆弾はちょっとたな上げいたしましても、これはソ連にとっては心臓部モスクワとレニングラードに近い地域でございますからね。とにかくそういうことです。ところが、日本の方はどうかといいますと、ソ連でいいますと足かどっかの方で、そういう点で地理的に違うのと、日本には核兵器が展開されておりません。そういう点で非常に状況が違いますので、ヨーロッパNATO諸国に関して言われておるパーシングII型とか、あるいは巡航ミサイルを配備するとかいう問題は、日本の場合には現実の問題にならない。しかも、日本でいま一部核武装を勇ましく言う人もおるのですけれども、清水さんなんかがおっしゃるので私はびっくりしたのですけれども、あの人はだしか安保反対で極端な空想的平和主義者だと思ったら、いつの間にか空想的軍国主義者になられたのでぼくはびっくりしたのですけれども、なぜ私が空想的軍国主義と言うかといいますと、つまり十分な非核武装の防衛力、通常兵器で武装した防衛力が必要にして十分なものがあって、そしてそういう議論をされるのだったら、私はそれは軍国主義と申しますけれども、決して空想的といったような失礼なことは言いません。ところが日本の場合は、通常兵器で武装した防衛力がはなはだ不十分なのです。そのような場合に日本に対する侵略が行われるときには、通常兵器で武装した上・着陸が行われるというのが常識的な見方なのです。もちろん核攻撃がないという保証はございませんけれども、まず常識的に見れば、日本に侵略が行われるとするならば通常兵器で行われる。その際に、日本の通常兵器でもってそれを迎え撃ち、それを排撃するだけの力がないと、今度は、清水さんの言うとおり核武装しておったら、日本世界で最初の第三次世界大戦の火つけ人になって、長崎以後最初に核を使うのは日本だというえらいことになってしまうのです。その意味で、私は清水さんなんかの意見は児戯に類する意見だ、だからこれは空想的軍国主義者だと、こういうふうに申し上げた次第でございます。
  109. 坂田道太

    坂田委員長 これにて、参考人に対する質疑は終了いたしました。  両参考人には、御多用中のところ、長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。ここに厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る十日午後一時より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時五十分散会