○関
参考人 私は、第三次
世界大戦の
危機がいま非常に少なくなったのではないかという
猪木先生の
判断に全く同感なのですが、第三次
世界大戦の
危機がなくなったということは、今後そういう
危機が再び出てこないということを
意味するものではなく、さらに現実にそういう
危機が起こり得るという可能性を持っていると考えます。したがって、
日本の
安全保障政策の一番根底は、いかにしても第三次
世界大戦を防ぐために全力を尽くすというのが基本にならなければいけない。同時に、第三次大戦といかないまでも、
日本のみがたとえば核
戦争の実験場に近いような状態になることをも防ぐために全力を尽くさなければならない、この二つの点が大前提になり得るのではないか。
これは理由を申し上げるまでもなく、核
戦争が
日本の上で行われた場合に、
日本の
安全保障が原理的に成り立たないということは、すべての人がほとんどコンセンサスとして持っていることではないかと言っていいと思います。これは単にコンセンサスだけではなくて、現実にそういう
事態が
防衛庁の中で果たしてシミュレーション的に実験されたのかどうかということをまず聞いてみなければならないように思います。
いずれにしましても、
安全保障は原理的には核
戦争においては成り立たないんだということから出発する必要があると思うのです。
そこで、現在の第三次
世界大戦の
危機に関するきわめて具体的な
判断から入りたいと思いますが、ごく最近、ことしの初めに冷戦の再開というような
事態が起こったわけであります。このような冷戦の再開という
事態が、
アフガニスタン問題をきっかけにして
アメリカの過剰反応というふうな、われわれがそういうふうに呼んでいいようなものとして始まったことは周知の事実であります。しかし、そのような過剰反応に対して、
ヨーロッパを初め多くの
国々で必ずしも
アメリカの対ソ経済制裁措置にはついていかなかったという問題がありまして、
ソ連との経済協力というのは、むしろ
アメリカの経済制裁措置が出た後に
ヨーロッパでは増大している、そういう
事態があったわけです。
日本の方がむしろその点では立ちおくれまして、
ソ連との経済協力、最近になっていろいろと、立ちおくれたということから、始めようという
事態になっております。まさにこのことが、ある
意味では冷戦の再開の方向にチェックをかけた要因であると言っていいように思います。
それでは、なぜそういうふうな動きになったのかを、まず冷戦の再開という
事態から若干御説明してみたいと思います。
この冷戦の再開は、単に
アフガニスタンの
事件が起こったということで冷戦の再開になったわけではなく、その前からそういう
国際政治の構造的な諸条件が次第に成熟していたと考えるのが、そのように分析するのが妥当であるかと思われます。
考えてみますと、六〇年代の初期には、ケネディ政権以降、
米ソの間で緊張緩和の動きがいろいろなレベルで進んだわけであります。そのいろいろなレベルで進んだ最終段階として戦略兵器制限交渉、すなわちSALTI、IIというものがあったということは言うまでもありません。しかし、五〇年代、六〇年代を通じまして
アメリカの相対的な力が非常に落ちてまいりまして、ベトナム
戦争の最中にニクソン、キッシンジャーによるベトナム
戦争の収拾工作と並行いたしまして、
中国に対する接近が行われたわけです。このような
中国に対する接近は、
アメリカの地盤沈下を
中国への接近で三極構造ないしは二・五極構造をつくり上げ、同時に、
ヨーロッパと
日本を
アメリカの極構造と協力させることによって、
アメリカの勢力均衡、地球的な規模での勢力均衡の地位を高めようといったことから起こったことは言うまでもありません。このような勢力均衡政策が、実は、「浮上する平和構造」というふうにキッシンジャーが名づけたわけでありますけれども、浮上する平和構造であった期間は非常にわずかの期間に限られた。
それはなぜであるかと申しますと、軍事戦略の問題におけるグレーエリア、つまり灰色地帯というものを非常に拡大したということであります。軍事戦略の面で、
アメリカの圧倒的優越の時代から
米ソ・パリティーの時代というふうに七〇年代はほぼ移行してまいりました。もちろん、パリティーと申しましても、質的な面ではなお圧倒的に
アメリカが優位であり、量的にはほぼ均等、場合によると、あるものでは
ソ連の方が優越するという
事態が起こりまして、量と質との間での
米ソ間のギャップは非常に複雑な形をとったように思われる。しかし、にもかかわらず量的に
ソ連の全体的な軍事力が増強したことは、戦略体制そのものにも大きな変化をもたらしました。
そのような
ソ連の基本的な戦略を引きずってきたものは何かと申しますと、これはやはり
アメリカの核戦略を
ソ連が常に学習してきたということでありまして、これは反面、
アメリカを教師として学習してきたために、タイムラグ、つまり時間のおくれを伴っていたというのが実情であるように思われます。つまり、
アメリカは六〇年代の核戦略に移行したのに、
ソ連は大体
アメリカの五〇年代の核戦略をとり、
アメリカは七〇年代に移行したのに、
ソ連は六〇年代の核戦略をとっている。そういう時間のおくれがあったわけであります。
そこへさらにつけ加わった要因が、キッシンジャーの勢力均衡政策からする大きな変化であります。戦略核兵器制限交渉の中で問題とされたICBM等、戦略核兵器以外の非常に副次的な領域が軍事戦略的にはグレーエリア、つまり灰色地帯であることは言うまでもありませんが、勢力均衡政策が出てきたときには突如としてこのグレーエリアが拡大するわけです。たとえば米中軍事同盟ということが起こってまいりますと、
ソ連にとっては、
米ソの均衡から、アジアにおいては米中に対して
ソ連が
安全保障を確保しなければならないという、そういう要求へと変わるわけであります。
このようなことは十分予測可能なわけであって、
ソ連の戦略は全くわけがわからぬというものではないわけです。もし
ソ連の戦略を立てる人が
猪木教授であっても、全く同じ形の戦略を
安全保障上考えざるを得ない。非常に了解可能なわけであります。したがって、勢力均衡政策が地球的な規模で展開されることによって、
ソ連の
アメリカとの間のパリティー原則だけで問題を考えることが非常にむずかしくなったということであります。
似たようなことは、NATOとワルシャワ条約との関係において、西側においてまた痛感される問題となっております。つまり、
アメリカとNATOとの軍事戦略を合わせたものは、
ワルシャワ条約機構に対して十分パリティーであり得るわけです。にもかかわらず、NATOとワルシャワ条約だけを考えますと、ワルシャワ条約に関しては
ソ連が実際上深く中に入り込んでおりますために、NATOの方が非常に不利な立場に立つ。そこからNATOの軍拡が起こってくる。
同じことは
日本についても言えるわけです。日米安保条約に
中国をつけ加えたものでいった場合には、当然
ソ連に対してパリティー以上で対抗できるはずです。しかし、地域的に考える、つまり地政学と最近言われている、そういうレベルで考えると、
日本の周辺に
ソ連の艦隊がたくさん遊よくしているという話になる。そういう点から考えますと、グローバルなレベルでの勢力均衡政策は非常に危険な問題をもたらしていると言うことができるわけです。
数学的なゲームの理論の中で、N人ゲームの理論、つまり三人以上のゲームの理論がございますが、その中で安定した解答というのは、コア、つまりコアという概念が提出されて、その間で一種のパリティーみたいなものを考えると、均衡が考えられるというわけであります。
ところが、その均衡、普通われわれはパレート、最適と呼んでおりますが、そういう解答が三カ国、四カ国以上になると、どのような同盟の結成が可能になるかによって突如として変わるわけです。したがって安定性がない。このことはある
意味では非常に危険なわけであります。
第三次
世界大戦の
危機ということがいまもし過去の歴史的な比喩で考えられるといたしますと、私は第二次
世界大戦前の
状況よりは、第一次
世界大戦前の
状況にむしろ非常に近いのではないかと言っていいように思われるわけです。あのとき、第一次大戦前のときは、国際緊張が激化して、第一次大戦の
危機が深まったと言われるようなバルカンの
危機のときにはむしろ第一次
世界大戦は起こらないで、どちらかと言えば、第一次大戦直前のときはむしろ全般的に
戦争はないだろうという安心感があったわけです。そのとき突如として第一次
世界大戦が起こったわけであります。
そのような点から考えますと、次に問題となるのはやはり、中東を中心にした非常に
米ソの直接的な対決というよりは、
米ソの
勢力圏をめぐって争われる地域、あるいは先ほど
猪木教授が言われたように、共産圏の中の非常に弱いスポットということになるかもしれません。全般的に見た場合に、私は、共産圏内部の問題がかなりの
危機的な問題を含んでいることは事実だと思いますが、やはり中東の成り行きというものは依然としてより危険な問題を含んでいるように思われるわけです。これはグローバルなレベルの勢力均衡政策の領域とはちょっとずれております。つまり地域的レベルの勢力均衡の問題であります。
このような地域的勢力均衡を非常に強力に押し出したのが、今度は
大統領選挙に敗れましたけれども、カーター政権内のブレジンスキーである。ブレジンスキーは、そういう
意味ではグローバルなレベルで勢力均衡を考えた、キッシンジャーに対して小型キッシンジャーというふうに呼ばれておりまして、そういう小型キッシンジャーという点で、ブレジンスキーに対する非常に強い批判が
アメリカの
国内の
国際政治学者の中にもあったわけであります。
このブレジンスキーの勢力均衡政策は、もちろんキッシンジャーの勢力均衡政策を部分的には受け継いでいるわけです。たとえばインドシナ
戦争、ベトナム
戦争が終わった後に、
アメリカが最も多く武器を輸出した国はイランでありたわけです。その次がサウジアラビアであった。そのような結果といたしまして、一九七七年にはイランが
世界で一番の武器輸入国になったわけです。七八年には、イランの政変があったために、イラクが第一の武器輸入国になったわけです。そして現在イラン・
イラク戦争が戦われておりますけれども、非常に不思議なことには、武器輸入の
世界のトップ国同士が
戦争をやっているという状態であるわけです。
このようなことは、グローバルなレベルの勢力均衡政策のレベルの、より下の地域的な勢力均衡政策が非常に危険な問題を生み出しているということを示すものであります。そして、この地域的なレベルの勢力均衡政策が主として戦われているのは、非常に貧しい第三
世界、あるいは第四
世界と言われるような地域であります。
アフガニスタンの問題もまさに、われわれから見れば第四
世界と言っていいような貧しいところで、
ソ連の介入が起こったということであります。このような地域における
米ソの影響力の争奪を、われわれは、
米ソの立場で見るのではなくて、そういう地域から見る必要が大いにあるのではないかということであります。
ちょっとこれは古くなりますけれども、一ころ前に「グローバルリーチ」という有名な本をリチャード・バーネット教授が書かれた。この方はワシントンの政策研究所の所長をされているわけです。このリチャード・バーネット氏が非常に象徴的なことを言っていられるわけです。それを引用いたしますと、
もしこの
世界が住民百人の地球村から成っていたら、そのうち六人がわずか
アメリカ人でしかない。この六人が村全体の所得の半分以上を持っておって、残りの九十四人があとの半分の所得で命をやっとつないでいるんだ。この富める六人は、こうした隣人たちを抱え込んでどうして安穏に暮らせることができるのだろう。ほかの九十四人の攻撃に備えて武装せざるを得ないであろう。しかも九十四人の一人当たり所得の合計を上回る一人当たり軍事費を使って云々、
というようなことを書いている。これは非常に象徴的な
言葉でして、現在の
アメリカの地盤はもっと沈下しておりますけれども、西側諸国の所得を合計して考えた場合には、なお同じようなことが言われると言ってもいいのではないか。
そこで次に、
日本の
安全保障論議で、いままで言われてきた基礎的な理論を再検討してみたいと思います。
第一の理論は、これは理論とまでは言われないのですが、比喩と申しますか、戸締まり論というのがあったわけですね。この戸締まり論は比喩として使われているわけですが、軍事力に関する限りは、これは
国内とは非常に違うわけでして、
国内の場合は戸締まり論で十分私は通ずると思いますが、これは制度全体がいろいろ
保障をしていまして、戸締まりというのはほんのわずかの問題でしかないわけですから。
〔
委員長退席、三原
委員長代理着席〕
そういう場合には戸締まり論の比喩は成り立つと思うのですが、どうもこれを国際関係に持ち出すのは、理論としては根本的に間違いではないかというのが私の見方です。
と申しますのは、戸締まりとして軍事力を持つことは、
安全保障を高めたように見えるけれども、実は回りめぐって自分の
安全保障を低めるところにぐるっと回ってくるということなんです。こういった問題はリチャードソンの方程式という有名な方程式があるのですけれども、A国の軍事力を増大させると、A国の軍事力が一時的に増大することによって
安全保障が増大するのです。ところが、相手のB国は、A国の軍事力が増大したことによって
安全保障感覚が下がるわけです。
〔三原
委員長代理退席、
委員長着席〕
そこで、B国は、軍事力を増大することによってA国に対して相対的な
安全保障力を高めようとするわけです。そうすると、今度はA国の
安全保障がドロップいたしまして、循環過程が始まるわけですね。その相互の循環過程がどのような形で進むかということを示したのが有名なリチャードソンの方程式でして、これは一国の軍事費というのは相手国の軍事費の量に比例する、そして自国の軍事費の量が多くなると抑制力が働いてくる、なぜかというと、
国内の福祉の問題とかいろいろな問題が出てくるので、抑制力が働く、そしてもう一つは、元来その
国々が、AB両国間でどの程度の敵対関係であるのか、この三つの項を掛け合わせたものとして答が出てくる。この方程式は、大体大学の入学試験問題、数学の入学試験問題としては簡単に解けるわけでして、相手の軍事費にどの程度敏感に反応するかというそういうパラメーターの値は、AB両国について二つあるわけですが、それを掛け合わせたものが、自国の軍事費の増大に対してそれを制御する要因の二つを掛け合わせたものより大きいときは、この軍拡競争は無限に続いて最後に
戦争に至る。逆に、相手の軍事費に対する敏感度が非常に小さくて、その積が非常に小さくて、そして、自国の内部で軍事費を増大させない圧力の積がより大きいときは、この軍拡競争は安定になる。これは数学の問題として解けるわけです。そういう関係にあるために、戸締まり論というのは、どうもその相互間の関係で
安全保障を考えないという、非常に大きな欠陥があるわけです。
もう一つは、次に出てきたのは勢力均衡論であります。この勢力均衡論は非常に迷信でありまして、実は勢力均衡に近づけば近づくほど危ないわけです。理論的には、
ポーランド出身の
アメリカの
国際政治学者ジョージ・モデルスキーがそのことを理論的に述べております。むしろ、圧倒的に力の差があるときは逆に
戦争の危険性がないわけです。近づいてくると危ない。過去の一八六〇年代以来のあらゆるデータを使って研究いたしましたデービット・シンガー、これはミシガン大学の教授なんですが、この人は、過去の
戦争のうちほぼ似た程度の力を持った国が対抗関係にあるときは、勢力が近づけば、つまり力の大きさが狭まれば狭まるほど
戦争の危険性が高まる。そして、実際上十のうち七、つまり七〇%が結果的には
戦争に終わった。
昨年
モスクワで
国際政治学会があった。この
国際政治学会のときも、デービット・シンガー教授は、
ソ連の学者に対して、その自分の研究の結果をコンピューターのアウトプットをもって示しまして、だから
アメリカと
ソ連は気をつけなければいけないんだと言ったわけです。そうしましたら、
ソ連のアルバートフという
アメリカ・ラテン
アメリカ研究所長が、まさにそのとおりだと言って、二人で握手をして、何とかしましょうという話になった。
ところがその後で
アフガニスタン事件が起こって、いまのような経過をたどったわけです。もちろん、その
アフガニスタン事件の直後は、
アメリカの「ニューズウイーク」も「タイム」も、これは冷戦の再開であると大きく取り上げたわけです。この冷戦の再開の中で、冷戦の再開に対するいろいろなチェック、制御要因が
ヨーロッパでも働いてまいりましたし、そういうことは経済協力ということでもあらわれました。
しかし、その冷戦の再開という
事態が、むしろNATOとワルシャワ条約における相互の戦略関係というものに非常に大きな問題を引き起こしました。御
承知のように、SS20という
ソ連のミサイル体系とパーシングIIという
アメリカ側の体系との取引の問題になって、そしてその取引がうまく片づいていないわけですが、
ヨーロッパの小国であるデンマークとか、あるいはオランダ、ベルギーあたりで、そういうものを
国内に配備することに対する反対運動が非常に高まったわけですね。特に小国の場合にそれが強かった。それからイギリスでも、最近はイギリスから核兵器を撤去しょうというイギリス労働党の一部の動きが非常に高まってきている。これらの動きがNATOとワルシャワ条約との間の緊張緩和の方向に貢献することが望ましいのですが、いまのところ、まだ政策レベルにまでそれが十分インプットとして入り込んでいなくて、運動レベルにとどまっている。運動の方も、何か政策レベルと無関係なところでどうも動いているというのが実情であります。
いずれにいたしましても、勢力均衡論がもたらす危険性は、先ほど申しましたように十分な
安全保障というものをもたらすものではない、緊張緩和というのがあくまで前提条件であるということを申し上げなければならない。
それから最後に、核抑止論の問題に入るわけですが、核抑止論というものはずいぶん長い間
信頼されてきたわけです。しかし、その核抑止論については、将来については非常に保証できないという問題が戦略家の中でも出てきている。
これは核抑止論を一番最初に唱えた
アメリカの物理学者と非常に親しかった、いまは亡くなられたわけですが、朝永振一郎先生が、パグウォッシュ
会議のときその方と話されたときに、自分の考えた核抑止論は、十年から二十年ぐらいしかもたないということをはっきりとインフォーマルには言っておられたわけですね。そのことを朝永先生ははっきり耳に残されておりまして、私どもにも、亡くなられる前、会われたときはしょっちゅうそういうことを話しておられました。だから、自分はもう核廃絶のための軍縮に非常に熱心になっているんだということを言われていたわけです。最近「平和研究」という雑誌の中に「朝永振一郎の平和運動」という論文をお書きになった方がございますので、それを参考に読んでいただければある程度おわかりになると存じます。
核抑止論の一番危険なのは、やはり数学的ゲームの理論のチキンゲームという中で示されると思います。チキンゲームというのはどういうのかと申しますと、暴走族ゲームと呼ばれておりますけれども、ある道路の両側から中心線に沿って、暴走族が車を物すごい勢いで走らせてやってくるわけです。その場合にもし避けると、
日本では左側に避けるのがルールでありますが、
アメリカでは右側に避ける。避ければ、避けた方が相手に負けて百万円支払うとか、五百万円支払うというゲームです。両方とも避けなかったら衝突して、これは完全におだぶつになる。一回ある人が暴走族ゲームをやってうまくいったとします。これは
抑止力がきいた、相手が避けた。ところが、二回繰り返してやって、それがうまくいく保証があるのかということが一番原理的な問題なわけですね。
抑止論にもいろいろなタイプのものがございまして、第二撃抑止とかいろいろなことを言われておりますけれども、核抑止論が非常に不安定であるということは、最近の科学技術によって命中精度がだんだんよくなってくる。いまのところ、
アメリカの第二撃力に対する
ソ連の命中精度がよくなって、
アメリカの第二撃力をなくすということはちょっと考えられないが、にもかかわらず、科学技術の開発というものはまさにそういう方向をはっきりと指し示しているわけです。したがって、
アメリカの方も十年先のことを非常に
心配しているというようなことになります。
大体冷戦の再開に至りました基本的な前提条件としては、
ソ連の核兵器の量というものがパリティーになって、しかもパリティーを超えるんではないかという
危機感がある。質の問題についてはなお
アメリカが有利なわけですけれども、そういう
危機感というものが量の問題で起こったわけですが、やがて質の問題で将来いろいろの問題が起こってくるということが予想できるわけです。
そこで、いまのうちに早く新しい転換というものを考えておく。これはやはり時間との競争の問題です。そういう
事態が起こる前に、
日本の平和政策を体系的にどのように展開するのかという、これが
日本の
安全保障政策の基幹にならなければいけない。その能力を
日本が持っているか。五〇年代には持っていませんでした。
日本のGNPは
世界でもうほとんどとるに足らないものであった。いまや八〇年代においては、
日本のGNPは
世界を変える能力を持っている。そのGNPをいかに
世界に上手に使うかによって、
日本は
世界の平和秩序をつくり出すことのできる能力を持っている。その能力に対して不作為であるかどうかが、
日本の
安全保障政策にとって根本的な問題であるということで、私の結論といたしたいと思います。
以上でございます。