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1980-07-25 第92回国会 参議院 本会議 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十五年七月二十五日(金曜日)    午前十一時八分開議     —————————————議事日程 第三号   昭和五十五年七月二十五日    午前十一時開議  第一 身体障害者福祉改善に関する請願  第二 重度戦傷病者家族の援護に関する請願  第三 食糧自給力の向上並びに米穀政策の確立   に関する請願(二件)  第四 身体障害者に対する地方行政改善に関す   る請願  第五 戦後強制抑留者補償に関する請願  第六 戦後強制抑留者補償要求実態調査費予算   計上に関する請願  第七 傷病恩給等改善に関する請願  第八 身体障害者に対する郵政行政改善に関す   る請願  第九 私学に対する大幅国庫助成等に関する請   願  第一〇 過疎県教職員定数確保に関する請願  第一一 教職員退職勧奨年齢男女差撤廃に   関する請願     ————————————— ○本日の会議に付した案件  一、故議員向井長年君に対し弔詞贈呈の件  一、故議員向井長年君に対する追悼の辞  一、故議員久次米健太郎君に対し弔詞贈呈の件  一、故議員久次米健太郎君に対する追悼の辞  一、日程第一より第一一までの請願及び物価高   騰下における建設資材価格安定等に関する請   願外五十八件の請願  一、委員会審査及び調査閉会中も継続する   の件  一、法制局長辞任に関する件  一、法制局長任命に関する件      ——————————
  2. 徳永正利

    議長徳永正利君) これより会議を開きます。  議員向井長年君は、去る六月二十三日逝去せられました。まことに痛惜哀悼至りにたえません。  同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。  ここにその弔詞を朗読いたします。    〔総員起立〕  参議院議員従三位勲一等向井長年君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます     —————————————
  3. 徳永正利

    議長徳永正利君) 町村金五君から発言を求められております。この際、発言を許します。町村金五君。    〔町村金五君登壇拍手
  4. 町村金五

    町村金五君 本院議員向井長年君は、過日行われました第十二回参議院議員通常選挙全国区から立候補されましたが、去る六月二十三日、開票結果を耳にすることなく、亜急性肝炎のため、大阪市福島区の関西電力病院において、御家族方々病院関係者の必死の御看護もむなしく、ついに不帰の客となられました。まことに痛惜哀悼にたえません。  私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同代表し、従三位勲一等向井長年君のみたまに謹んで追悼言葉をささげたいと存じます。  向井長年君は、明治四十三年十一月、奈良県室生村に生をうけ、少年時代から俊秀誉れ高く、長じて東京への遊学を志され、日本大学専門部法科に学び、卒業されて後は、直ちに帰郷の上、関西電力株式会社の前身である東邦電力株式会社に入社され、卓抜した手腕を発揮しその将来を嘱望されたのであります。  しかし、戦後の日本民主化の流れは、若い情熱正義感に燃えた君を見捨ててはおかず、労働運動の先頭に立たしめ、関西電力労働組合結成と同時に、君は三十代の半ばで奈良支部委員長に選出され、さらに日本電気産業労働組合結成により、関西地方本部委員長要職につかれました。  その後、君は、奈良労働組合評議会結成に参画され、初代議長として組合員の信望を一身に集め、さらには、全国電力労働組合連合会結成に中心的な役割りを担い、同連合会会長として在任し、労働界に大きな足跡を残されたのであります。また、この間、奈良社会教育委員人権擁護委員を長きにわたって務められるなど、地域教育、社会問題にも大きく貢献されたのであります。  このように、君は、労働運動の重鎮として国内各般の分野にわたり活躍されるだけでなく、ジュネーブで開かれたILO総会等にも日本労働界代表して出席されるなど、国際的にも縦横の活躍をされ、輝かしい業績を数々残されたのであります。  昭和三十四年、すでに労働界に確固たる地歩を築かれていた君は、真の民主主義を確立し、福祉国家を建設するために政治家を志し、第五回参議院議員通常選挙全国区から立候補してみごと当選され、政界への第一歩を踏み出したのであります。以来、今日まで四回連続して当選の栄誉を得られ、この間、民社党の結党に参画され、二十一年の長きにわたって本院議員として活躍されていたのであります。  その間の活躍は、まことに目覚ましいものがありました。国会にあっては、科学技術振興対策特別委員長を初め、内閣地方行政、大蔵、農林水産、商工、予算及び議院運営等の各常任委員会理事を歴任され、その幅広い識見、透徹した洞察力と活力あふれる行動力は、高く評価されていたのであります。  特に、君は、国会法参議院規則等議事運営に精通し、多党化した本院において、持ち前の粘り強さを遺憾なく発揮されて、各会派の取りまとめに心を砕かれました。特に小会派政策国会を通じて国民に訴えることに専心され、名実ともに良識の府としての本院の地歩を固めるために重要な役割りを果たされたのであります。君の座右銘は「和を以て貴しとなす」と聞いておりますが、それは、まさに、君の生き方そのものであり、国民はもとより、同僚議員からも常に敬愛の念をもって迎えられておりましたゆえんのものも、このことにほかならなかったと存じます。  一方、党にあっては、君は、民社党参議院国会対策委員長選挙対策委員長等を歴任するとともに、人間性豊かなお人柄と卓越した政治力が高く評価され、民社党参議院議員会長とあわせて党中央執行委員長要職にありました。  このように、君は、一党を代表する立場から、本会議における代表質問は十八回を数え、また予算委員会等においてもしばしば質問に立たれました。特にエネルギー資源対策について、国益を大局的にとらえた御主張には、私どもも敬服の念を禁じ得なかったのであります。  文字どおり、与野党伯仲という本院の政治情勢のもとにおいて、与野党間における対話が必要とされたとき、君は、公党を代表して、本院がその本来の機能を発揮するよう腐心されました。このときほど君の政治家としての面目が躍如としてあらわれたときはなかったのではないかと思われ、ありし日の姿がほうふつとしてくるのであります。いわんや今回の選挙に当たっては、病を押して選挙戦を戦い抜かれ、しかも全国区において九十万票になんなんとする得票を得られ、上位当選の栄が約束されながら、その喜びの瞬間を迎えることなく倒れられた君を思うとき、胸の痛みを禁じ得ません。  いまや、八〇年代に向けてわれわれに課せられた責務はいよいよ重大さを加えてまいりました。このときに当たり、豊富な体験とすぐれた識見を持つ君の活躍に期待するところ大なるものがあったのでありますが、その君を忽然として失うことになったのは、御遺族のお悲しみもさることながら、本院にとりましても痛恨きわみであります。  ここに、謹んで、故向井長年君のありし日の面影をしのびつつ、心から御冥福をお祈りして、追悼言葉といたします。(拍手)      ——————————
  5. 徳永正利

    議長徳永正利君) 議員久次米健太郎君は、去る二日逝去せられました。まことに痛惜哀悼至りにたえません。  同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。  ここにその弔詞を朗読いたします。    〔総員起立〕  参議院議員正四位勲二等久次米健太郎君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます     —————————————
  6. 徳永正利

    議長徳永正利君) 井上吉夫君から発言を求められております。この際、発言を許します。井上吉夫君。    〔井上吉夫登壇拍手
  7. 井上吉夫

    井上吉夫君 本院議員久次米健太郎君には、かねてより皮膚疾患のため療養中でございましたが、その後急性肺炎を併発し、七月二日、郷里、徳島大学附属病院において急逝されました。  去る四月以降、君は入院され、その御容態を御心配申し上げてまいりましたが、ついさきには一時小康を得られ、勲二等旭日重光章を受けられました。その折の君の温厚なお姿がいまも鮮やかに浮かんでまいります。しかし、その後病状は無情にも悪化の一途をたどり、茂子夫人を初め家族方々など関係者の必死の御看護のかいなく、ついに不帰の客となられました。まことに痛惜哀悼の念にたえません。  私は、ここに、諸君の御同意をいただき、議員一同代表し、謹んで正四位勲二等故久次米健太郎君のみたま追悼言葉をささげるものであります。  久次米君は、明治四十一年八月、徳島板野郡藍住町に生をうけました。この地は、かつてわが国でも藍づくり特産地としてその名を博し、ことに久次米家藍づくりの名家として今日に伝えられ、君はその家風、伝統にはぐくまれ、幼少のみぎりより俊秀誉れ高く、中央大学に学ばれた後、家業である染め物の藍づくりの当主になられました。そして、家業に精進する傍ら、郷土の発展に強い情熱を燃やされ、衆望を担って昭和二十二年弱冠三十八歳の若さで公選制初藍園村長に就任し、二十四年には発足して間もない藍園農協組合長につかれ、自来、板野町村会長徳島県議会議長全国販売農業協同組合連合会理事などを歴任され、次第にその地位を築かれる一方、幅広い器量は実業家としてもその才腕を存分にふるわれました。そして、長きにわたる協同組合運動に常に精魂を傾けられ、農業関係団体等課題実現のため卓越した手腕を発揮され、地方政界を通じて地域社会振興わが国農業界発展に幾多の貢献をいたされたのであります。  さらに、昭和四十三年七月、徳島県民の期待を背負って第八回参議院議員選挙に立候補され、みごとその初陣を飾られ、以後議席にあること二期、十二年間、農政上の功績は枚挙にいとまがありません。その後、地方行政委員長四国地方開発審議会委員農林水産委員長要職を務められたほか、地方行政内閣、法務、運輸等常任委員としても御活躍されました。  また、党にあっては、自由民主党徳島県連会長総合農政調査会会長など、農政の枢要なポストを歴任され、特に米価や農業予算獲得においては、常に農協農民代表として活動されてきたのであります。  君は、温厚な風貌の中に何物にも屈しない強烈な闘志を秘められ、機を見るに敏であり、気骨のある政治家としてよく知られましたが、同時に、人情に厚く多くの人に慕われました。  去る七月の選挙に際して、君はみずから政界を引退され、今後あふれる情熱農業振興と後進の指導に打ち込みたいと願望されておりました。君がこれからその道につこうとされるときに、病魔がこんなに早く君の体をむしばむとは、君もさぞかし心残りであったろうと思うのであります。  いまや、日々流転する内外の厳しい諸情勢のもとで、われわれに課せられた使命はいよいよ重大さを加えつつありますが、豊かな人生経験と独自の見識を持つ君の活躍に期待するところ大なるものがありました。その君をいま突然に失ったことは、御遺族のお悲しみはもとより、本院及び国民にとりましても痛恨きわみであります。  しかし、農業団体のリーダーとして、また政治家として、常に農民のために全力を傾注された御努力とその御業績は、今後末永く後代を担う人々によって必ずや受け継がれ、生き続けていくことでありましょう。  ここに、謹んで、故久次米健太郎君のありし日の誠実なお人柄と数々の御遺徳をしのび、本院を代表して衷心より哀悼の誠をささげ、心から御冥福をお祈りいたします。(拍手)      ——————————
  8. 徳永正利

    議長徳永正利君) 社会労働委員長外委員長から報告書が提出されました日程第一より第一一までの請願十二件及び本日物価等対策特別委員長から報告書が提出されました物価高騰下における建設資材価格安定等に関する請願五十九件を一括して議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 徳永正利

    議長徳永正利君) 御異議ないと認めます。     —————————————
  10. 徳永正利

    議長徳永正利君) これらの請願は、各委員長報告を省略して、各委員会決定のとおり採択することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  11. 徳永正利

    議長徳永正利君) 御異議ないと認めます。      ——————————
  12. 徳永正利

    議長徳永正利君) この際、委員会審査及び調査閉会中も継続するの件についてお諮りいたします。     —————————————
  13. 徳永正利

    議長徳永正利君) 本件は各委員長要求のとおり決することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  14. 徳永正利

    議長徳永正利君) 御異議ないと認めます。よって、本件は各委員長要求のとおり決しました。      ——————————
  15. 徳永正利

    議長徳永正利君) この際、お諮りいたします。  本院法制局長杉山恵一郎君から法制局長辞任いたしたいとの申し出がございました。  同君辞任を承認することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  16. 徳永正利

    議長徳永正利君) 御異議ないと認めます。よって、承認することに決しました。      ——————————
  17. 徳永正利

    議長徳永正利君) つきましては、この際、法制局長任命についてお諮りいたします。  議長は、法制局長浅野一郎君を任命いたしたいと存じます。  これを承認することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  18. 徳永正利

    議長徳永正利君) 御異議ないと認めます。よって、承認することに決しました。  これにて散会いたします。    午前十一時二十六分散会      ——————————