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渋谷邦彦君 いろいろと御所信を交えた御答弁を伺っておりまして、最後の締めくくりで、きわめて楽観的じゃないか、私も伺っておりまして、せめてそういう気持ちになりたいなといういま印象を受けたわけです、はっきり申し上げて。あるいはこっちの方が深刻になり過ぎているのかどうなのかわかりませんけれ
ども、ともあれ、しかし
情勢というものは時々刻々に変化もいたしますし、だれしもが戦争への道を望まないことだけは事実でありますし、またわが党としても
日米関係というものを基調にして将来の
日本外交の
展開を図らなければならぬということがこれは
基本でございます。ただ、そういう中で、そういうお互いにトラブルが起こるみたいな、そしてまたお互いその基調というものが阻害されるようなことがいろんな点で、やっぱりお互い感情を持っているわけでございますので、いつわれわれが思いがけないところで――戦争なんというのは思いがけないところにもうぱっと突発的に起こるわけでございますから、そのときになってから、ああしまった、どうしようかという、そういうことでは私は間に合わないであろう。
そこで、今日の
世界情勢というのは複雑怪奇という別に平沼さんの言葉を引用するわけじゃありませんけれ
ども、この間園田さんが特使として
中近東へいらっしゃった。最近いろんな方面に回られた印象を通じての
報道が実はなされているわけです。回った印象というものを総括して、それが正しいものである、信頼性に富む
報道であるということを前提にして私申し上げたいと思います。
今回、七カ国ですか、八カ国ぐらいのところをお回りになりましたね、サウジアラビアを
中心として。ところが、その国々を回ってのまず最初に受ける印象は、ソビエトに対する重大な警戒心であると、こういうふうに実は述べられております。確かにその国々一つ一つを調査をするといいますか、改めて思い直して勉強さしていただきますと、歴史的な経過というものも違いましょうし、現在政権をとっている王制のところもございます。国を支配している
中心者の周りには余りにも
外国人が多過ぎる。要するに、自国の国民が一人の指導者を助けながら国を統括しているという状況でなさそうであります。いろんな
外国人が入っている、エジプト人を初め、あるいはパレスチナ人等々、あるいはパキスタン人、インド人というぐあいに。こういった中で、もちろんいまここで歴史を云々と言うわけにはいきませんけれ
ども、長い歴史の中には、栄枯盛衰といいますか、興亡ただならないものがある。そういう
人たちによって時には
政府が転覆される、王制が転覆されるということが繰り返されてきた。最近においてまことに象徴的なのが、あれだけ強力な体制を誇ったパーレビ王朝が倒れた。それに対するショックが非常に大きいというものを見逃すわけにいかない。
もう一つは、ソビエトもあれだけの軍事力を持っているわけでございますから、それはどれほど油の埋蔵量があるかわかりません、ソビエトには。しかし、いずれにしても有限な資源である限りにおいては、いつかは枯渇するであろうということは想像にかたくない。そうすると、どこかへ道を求めて油というものを求めざるを得ない。恐らく彼らが
考えている一つの大きな魅力ある地域は
中近東であろう。これは当然、別に園田さんが行った行かないにかかわらず、われわれはこれもまた常識として判断ができる。そういったぐあいに私たちが想像する以上に恐らく激動しているその状況が今日の
中近東であるまいかと思う。
いつだったですか、大平さんの発言を聞いてみますと、
中近東はわが国にとっては生命線である。何かどこかでずいぶんいにしえのことがまた復活したような言葉を聞いたことがあるんですけれ
ども、確かにいまわが国にとっては
中近東はなくてはならない存在であることは事実。ところが、実際に
日本外交を見ておりますと、第九十一国会の冒頭において大平さんの所信表明がされた。今後受動的な
外交の対応から主体的な
外交に
展開をしたいと。ぼくは大変感激して、事実このとおりであってもらいたいなと念願をしていた。しかし、事ほどさようにはやはりうまくいってないようであります。
いま、ずっと
防衛費の負担をめぐって私いろんなことをまた別な角度から
お尋ねをしました。絶えず
アメリカの動きというものを気にしながら、それはある
意味においては結構だと思うんです。しかし、
日本が
日本として独自の
立場で生き行く道を開いていくためには、
日本独自の
外交の
展開というものは当然
要求され、必要になってくるんではないだろうか。それで、一体
中近東においていま
日本がなし得るものは、それは技術協力結構、資金供与も結構。それよりももっと政治的な次元において何がなし得るんだろうという問題が、いま
中近東においては
米ソのこういう第二次の冷戦構造というものがいままたでき上がりつつあろうというそういうさなかにおいて、
アメリカも何とか
中近東に対しての平和の解決をと願っていても実は全然逆の方向へ向いている。イランの人
質問題も依然として解決ができない。恐らくこれからも時間がかかるであろうと思うし、しかもあるいっときは
世界の世論が沸き立ちました、人権無視ではないかと。確かにそうでございましょう。しかし、もうなすすべがないわけでしょう。どうすればいいのか。それはシャー
自身をイランへ帰したからといってそれで解決できる問題だろうか。そういうことも私は私なりに
考えてみた。しかし、それだけでは解決できないもっと根深い問題があるかもしれない、それは
米ソという狭間に入った
中近東という問題。
そこで、
日本として、まだ大変信頼の度合いが強いということを園田さん
自身が回った印象としては言われております。その期待感が強い
日本としてこれから一体何をなし得るのか。ただ、油だけ欲しいといって今回行ったんではないと、結構だと思いますよ。三木特使が行ったときにもそういうことを言った。あるいは中曽根さんが通産
大臣のときもそう言って行った。いかにも表
向きはかっこうのいいことを言った。しかし、本当はのどから手が出るように油が欲しい。けれ
ども、また長い間かかって
日本と
中近東という将来展望を
考えてみた場合に、それだけでは一切の事の解決は図れないということで、
日本としてもしお手伝いができることであるならば、政治的な役割りを通じてあるいは
アメリカに対しても仲介の労をとりましょうという、いろんなそういういきさつがあったに違いない。そういういきさつがあった中で
日本としては毅然として
中近東に対してはこうだと。
また、園田さんが行ったときにもいろんな事情があってアラファトにも会えなかったといういきさつがあるようでありますけれ
ども、あえて勇気ある決断をもってするならば、その道を開くとするならば、それがいい方向へ進むか悪い方向に進むかは別問題としても、もしそれが一つの手がかりになるであろうという判断があるとするならば、当然そういうところにも、いろんな人に会いながら、人脈を通して、
日本と
中近東との
関係というものを強靱なものにしていくというところに、また新しい一つの平和への足がかり、手がかりというものができていくんではあるまいか。これは園田さんが帰ってきていろんなところで記者会見や何かをしたその話を総括して、それをまとめていま私の印象を交えて申し上げたわけです。だから、今後誤れば
日本の
中近東に対する
外交は大変なことになるんではないかという心配を込めて、大来さんの所信のほどをこの機会にもう一遍改めて伺っておきたい。