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参考人(
吉田善明君) いま二点ほど
質問ございましたが、この
一つの
文化的投票ですね、この中野の区民投票条例というものをどう
性格づけるかということ、これがまず前提にあると思います。確かに先ほど宮之原
先生もお話されましたように、この条例を見ると確かに雑な点も多々あると思うんです。こういった問題をやはり
文部省の皆さん方のお知恵をかりればいいかわかりませんけれ
ども、結局われわれ専門家という形でその観点を補う形で出てきた、それがこの中間報告で、運用面で地域住民に合った
教育委員を選ぶ
方法として
一体どうかという、こういう観点から協力したわけですし、この近日中にもうわれわれも本報告組みまして、今月の月末には本報告ができます。大体骨子はこのとおりで二、三これに対して補充を加えているだけです。
そこで、いわゆる区民投票条例の
性格というのは、普通
教育委員の公選制ですと、いわゆる住民の選挙によってつまり当落が決定をするわけです。ところが、中野区の区民投票条例はそういう
性格じゃなくて、むしろ住民投票的な
性格を持っているわけですね。ですから、先ほど政治的中立性云々ということの問題から絡まって出てきたと思いますけれ
ども、やはり地教行法の条文に掲げられているたとえば同一政党から三人以上の人間が出てはならないとか、あるいはその地域的適合性で、中野区ですと女性が必ず一名入っていなければならない、あるいは二名必要であるというようなことが先例としてあれば、やはりそういったことも得票順と言いながらも、そういったことを加味しますから、そうするとこの
法律と条例との融合性というのは図られていくだろうという、そういう
意味で、まさに住民の意思がどういう形でもって意向が
教育に対してあらわれているんだろうという、そういうものをいわゆる区長が勘案するという、そういうことが前提になってくるわけです。こういう
意味で、そうすると、そういう中でどういつだ形で、いわゆる区民の意向を反映させるその手だてが
一体どうなのか、これは言うまでもなく、この準公選制と言われている、これは公職選挙法の
適用はありません。あくまでもこれは公の選挙でないわけですね、公職選挙法でいう公の選挙に入りません。したがって、やはりみずから地教行法の政治的中立性というものを勘案しながら、やはり地域に応じたいわゆる選出
方法というものを考える必要があるんじゃないか、こういうことです。その場合に、なぜいままで公選制が失敗したんだろうかという、こういう問題をちょっと検討してみたわけです、それは政治的中立性の観点から。そうしますと、これは非常にぼくは重要だなと思ったんですが、
最初の選挙というのは、これはまさに地方議会の議員さんの選挙の規定を使っているわけですね。ですから、これはもう
教育委員だってまさに政治性を伴うのは言うまでもないわけですね。議会の議員さんの選挙の規則をそのまま
教育委員の選挙に使ってますから、これはもう政党色がそのままあらわれてくるだろう。と同時に、選挙は、その当時お金がないということもありまして、結局二回か三回行われているわけですが、一般の選挙と同じ形でもって同時選挙をやっているわけです。こういうことを考えていきますと、これはまさに政治的な色彩というものは当然伴ってくるんだということがあるわけです。そこで、やはりそれじゃいかぬ、やはり政治的中立性を確立するために、どうした形の選び方が必要であるか。そうしますと、ふと思い立ってくるのは
学術会議の選挙ですね。これは
学術会議の会員の選挙というのは、まさにこれは独自の選挙をやっています。これはつまり学識
経験者を
学術会議のメンバーに選ぶわけですね。それはそれに応じたいわゆる
文化的選挙なわけですね。
教育というのはまさに
文化です。そうすると、われわれも政治的選挙というものをもう一応度外視しちゃって、いわゆる公職選挙というものを全く度外視しちゃって、まさに
教育文化、八〇年代の
文化を担うその地域の代表を選ぶためには、
文化的選挙、地域に適合したいわゆる選び方というものがどうしても必要になってくるんじゃないか、こういう観点から考え出していった、これをいわゆるわれわれは
文化的選挙と称しているわけです。
そこで、やはり普通の選挙でしたら供託金という形でお金を出します。お金を積まなきゃ選挙に出れないという。ところが、地域ではやはり出たい人より出したい人なんだという、そういう観点から、いわゆる
推薦という
制度をとって、六十名なら六十名の
推薦によって立候補する。そして、それはあくまでもこれは
文化的選挙、いわゆる
文化活動の一環というふうなとらえ方をしますと、いわゆる戸別訪問でも何でもしながら、との人がいいんだという私は地域住民がみんなが相談して出そうじゃないかという、非常にそういう側面から選出方式をわれわれは考えていった。したがって、そこで当然出てくるいわゆる政治性との絡み合い、これもできるだけ排除した配慮というものが——
質問があればお答えしたいと思いますけれ
ども、そういう側面も強くわれわれは公選法の、そう言いながらも政治活動は事前運動との
関係で絡まってきますから、その辺もまたわれわれは
一つの調整をしております。これは今回の最終報告で出ますけれ
ども、こういう側面を持っているわけです。まさに
教育文化の非政治性を保障し、地域
文化活動を推進するんだという、そういう側面から、いわゆる出たい人より出したい人をみんなで考えていこうという、そういう方式をいわゆるわれわれは
文化的選挙、そういう
性格づけを公選法と切り離してこれを考えていたわけです。これが
文化的投票のまず
意味です。
それからもう
一つは、結果の尊重、区長の専属権、専権事項という人事の問題ですね。区長の専権事項を侵すんであるという言い方がよく出てきます。これは一般の各所管の
大臣が一般公務員を選ぶんであれば、これに対してクレームをつければ、これは専権事項を奪うことになると思います。この場合は、言うまでもなく区長が議会の同意を得るという、議会との絡み合いも考えてみなきやならないわけですね。その議会がいわゆるこの条例化をしているわけです。そうしますと、やはり区長さんにいつも自分
たちが同意というのは、これは任命の効力発生の問題だと思います、議会が同意するということは。そうすると、区長がつまりこういう人を選んできても議会で否定する場合もあるわけです。そうすると、よりベターな
委員を選ぶんだとすれば、議会の条例でもって少なくともこういう側面から選んでみたらどうなのかという、そういう形で条例をとらえてみれば、より中立性というものは実は維持できるのじやないのか、こういう
解釈もでき上がってくると思うのです。そこでわれわれはそういう側面から尊重の
意味の問題もあります。これは尊重を法的拘束力があるなんて論理を掲げる学者というのは、これは
日本の学界では恐らくいないだろうと思います。これは法的尊重という言葉で法的拘束性を持たせる議論はこれは出てくるはずがないと思います。そこで尊重する場合
一体どうすべきかという、こういう問題になってくると思います。ここで言う尊重の
意味ですが、われわれ中間報告で、やはり先ほど言いましたように、地教行法に定められている事項、それから地教行法に定められている政党
関係の問題、それから社会的謙虚な人材を選ぶということ、それから
教育長の役割りを考えること、そういうことも全部、つまり尊重するんですよと、もしこれが投票でそういう人間を選べなかったら、先ほど
先生もおっしゃっていたとおり、いやこれは区長さんが選んできてもいいんですよという、つまりそういう住民投票的な
性格をこの尊重の中に与えているという、こういうふうに考えます。
どうも長々しゃべって申しわけないですが。