○江田五月君 どうも最後の質問というのは分が悪いもので、もうかなりおくたびれになっているんじゃないかと思いますし、私の方もずっと聞いておって多少くたびれておりますので、余りくどくどといろんなことをお聞きはしたくはないんですが、もうしばらくひとつごしんぼうお願いしたいと思います。
一月の二十三日に電力八社、二十五日に
ガス三社の料金値上げ申請が出そろって、いずれも大幅な値上げの申請であるわけであります。これについていろいろと理由が述べられ、原料である
石油とか、LNGその他の
価格の
上昇が大幅であったこととか、あるいは
経済動向、
物価の
動向から資本費が
高騰したこと、あるいはまた為替レートの趨勢の大きな変化というようなことなどが挙げられ、それぞれについてそれがどこまで正しいのか、いろいろ追及もあり、かなりきつい言葉もあったわけでありますが、
電気事業法あるいは
ガス事業法に
規定する原価主義ということから言うと、こういう議論の仕方になるでありましょうし、また、この
電気、
ガスという
公共料金が
国民生活にきわめて重大な
影響をもたらす、それ自体が
影響を与えるだけじゃなくて、それがまた
物価へ波及することによっても大きな
影響を与えることも考えますと、こうした大幅値上げがそのまま国民感情として容認できないものだということも言うまでもないと思うんです。
〔
委員長退席、理事高杉廸忠君着席〕
ただ、そういう意味から
物価政策的にあるいは経済
政策的に、いまの原価主義を修正しなけりゃいけないのだというような意見も一方ではあるわけで、それはそれなりに理由もあろうかと思いますが、こういう
観点の質問はこれまで私の前に各党の同僚の委員の方々が質問をしてきたことでもありますし、その点に私はこれ以上立ち入るつもりはありません。そうではなくて、どうもこの
エネルギーの
価格という議論について、もう少し別のアプローチがあるんじゃないだろうか、もっと別の
観点があるんじゃないかという気がして仕方がない。いま申請されております
価格がいいのか悪いのかという議論とちょっと外れて、
エネルギーの
価格というもの、
電気なり
ガスなりの
価格というものが、そもそもどういうようなものとして考えなきゃならないのかというような点について、少しまあ大きな見地から議論をしてみたいと思っているわけです。
国民は、かつてものすごい
物価の急騰の経験の中で、
物価というものが大変なことだということを身にしみて知ったわけでありまして、
物価について強い関心を持ち不安も持っている。
物価の安定というのが安定した生活の基盤であることは、これはもう言うまでもない。
物価上昇の不安がいま非常に強いわけで、こういう現在、特に
公共料金の値上げがメジロ押しに並んでいて、
物価の値上がりに無関心ではいられないわけでありますから、その点から、このいまの値上げの申請が国民から非常に不安感を持って見られていることは言うまでもないんですが、同時にまた、国民は当面の
物価の
動向への関心と同じ
程度に、あるいは質的にはもっと深刻な意味で将来の
エネルギー展望というもの、一体これから先、
電気、
ガスを含め
エネルギーというものが二十世紀の最後から二十一世紀に向けて、どういうふうになっていくんだろうかということについても非常な関心を持っているし、不安も持っているわけであります。
いま、いろいろな考え方があると思いますが、高度成長期のような
エネルギー消費の急成長ということはもう、今後可能でもなければ賢明でもないことは明らかなんで、代替
エネルギーに移行して脱
石油の社会をつくっていかなければいけないと思いますし、それだけでは済まずに、代替
エネルギーといっても
エネルギーが無
制限に、
エネルギーの利用可能の量がふえていくということはもう考えられない。そして、将来にわたって安心のできる
エネルギーの見通しを持ちたい、展望を持ちたいというような気持ちが国民は強いんだろうと思う。そういう意味から、つまり
物価政策的なアプローチではなくて
エネルギー政策的なアプローチとして、
エネルギー価格についての
政策があるんじゃないだろうか、見方があるんじゃないだろうかという気がして仕方がない。いまの申請の料金、そしてそれをめぐる議論というものは、どうもそうした
観点がまるで抜け落ちているんじゃないかという気がするんです。
平岩
参考人に伺いたいんですが、平岩さん、この前の当
委員会での陳述で、ここにコピーがあるんですが、「
電気は、安全、便利、清潔な二次
エネルギーとして今後ますます
国民生活、産業
活動に広く使われていくことは必至と思われます。そのため」云々と、こういうことなんですが、今後ますます広く使われていくことは必至なんだということでいいのか、それとももっと違った、
電気についての将来展望がないという意味じゃなくて、適正な
エネルギーの使用量というようなことについてのお考えがあってもいいんじゃないかという気がするんですが、いかがでしょうか。