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戸叶武君 私は、
アメリカと
日本とはパートナーシップを深めていくことが必要だと思います。隣の中国も、今後においてもいろんな変転はあると思いますが、アジアにおいて共同の責任を持つ友として、やはりお互いに率直に意見を交換しながら異質なものがあっても、手をとり合っていくことも大切だと思います。しかし、ファシズムの台頭期においていつも私は
心配なのは、国のためと言い、国の防衛のためと言い、事実上においては逆に戦争を誘発するきっかけとなっていく場合があるのであって、それが明治憲法においても統帥権だけの問題ではない。特に統帥権の問題における論議は、カイザーと伊藤博文、憲法のことをろくに知らない、一個の明治維新における功臣ではあったが、彼は、やはり
日本が富国強兵になっていくのには、ビスマルクが言ったような、われわれは、ドイツに社会民主党があるので、軍事費をいつも削減されてしまうので非常に困っている。あれが政党なんかで議会でできないようにするため、憲法の中に統帥権のようなものを入れないと、ドイツの失敗を招くおそれがあると説かれ、カイザー・ウィルヘルムやビスマルクのような非常に古い形のマキャベリストによって与えられた
考え方を、浅薄な伊藤博文が
日本に持ってきて、明治憲法をつくってしまった。統帥権というものがあるがゆえに、天皇の名によっての統帥権というものによって、軍事予算を最終的においては、それでも削減したりなんかをする
努力はなされたけれ
ども、なかなか困難であった。できたことに対してこれを是正することは、天皇の名によってそれは不可能にまでなってしまったところの超絶対主議的な国家体制をつくったところに
日本の軍部跳梁の基盤がつくられたのであって、いま依然として明治憲法によって教養を得てきた官僚の古手や古い時代の
一つの学問的な教養しかない者は、近代国家における
方向づけというものに対する見識を持たないで、明治憲法のようなものに復帰させた方が
日本はいいというような
考え方を幾ら言ったって——これはがんこ頭ですからわからないでやっているけれ
ども、こういうふうになったら、たとえば石原莞爾があれだけの東亜連盟主義を持っても、満州国を軍部でつくり上げたということによって、中国大陸に戦火を拡大してはだめだということを言ったって、自分がやってしまった、石原の亜流としてやっぱり満州ができたのだから中国をという形でせきとめることができなかった。あそこに私は
日本の大きな悲劇があると思うんですが、いまはとにかく安保ただ乗り論とか、もう戸締まりがよくないとどろぼうが入ったときどうするんだとかという幼稚な議論よりは、積極的な、憲法
改正の議論というよりは実績をつくることにおいて、ファシストは懸命に
一つの防衛庁のファシストを利用したり、
アメリカの軍部と結んだり、
アメリカがこう要請しているという形においてしているけれ
ども、
日本がとにかくいまの憲法を持って、ダレスや何かが考えたような、あるいはアイケルバーガーが朝鮮事変のときに、
日本の軍隊を復活させて陸上軍として行動をとらせないと、艦砲射撃と飛行機だけでは戦果は上げることはできないといって、ハワイで有名な演説をやっていますけれ
ども、
日本が反対したからあのとおりでまだ朝鮮は食いとめたし、
日本も今日の発言権を維持する
一つの平和
外交を堅持することができるし、ベトナムに対してだってわれわれが
アメリカの要請のように軍事的な介入をやっておったならば、もう世間からは相手にされなくなってしまう。そういうとにかく国民の中における憂えを憂えとしてわれわれは政治をやってきているのであって、景気のいいラッパ吹いてたまには慰めにばくちでもやっていくというような変な愛国者が続出しているときに、たれか国を愛せざる者ありや、われわれのふるさと、われわれの祖国、おまえたちだけではない、この気持ちを代表して
政府がしっかりやらないと、私は取り返しのつかない、軍事費が膨張するならばせきとめることができない、また軍が精鋭化した場合にはそれを何となく使ってみたくなる、そういうところに、
日本の近代国家
発展の過程においてすばらしい面もあったが、大きな屈辱、取り返しのつかないような無条件降伏をしたのは、それだけの思慮ある政治家が
日本になかったということが取り返しのつかない屈辱の歴史をつくったんです。天皇陛下だって泣いて再び戦争はしないと言って誓い、中外に
声明したんです。もし憲法
改正するなり、
日本が再軍備的な
方向づけに景気よく行く場合においては、天皇は約束を守らないとして自分から譲位しなければならないでしょう、窮地に追い込まれるでしょう。
私は
日本の禍乱は外よりも内からいま芽生えてきているんじゃないかと思っているんです。信念のないやつがどうして人を動かすことができるでしょうか。みずからの実践、平和共存の社会をつくり上げて国際的な連帯を強めることによって共同の責任でわれわれは理想の
世界をつくるんだという信念が崩れた人によってどうして理想社会の建設ができるでしょうか。それを考えるならば、私は慎重はいいけれ
ども、
一つ一つの段階において歴史的な意義を考えながら、その足取りにおいて一個のやはり
世界観を樹立し、哲学を持ち、
世界の人々も納得するような
外交防衛
政策を
展開していくのでなければ、あっちに揺すぶられ、こっちに揺すぶられ、いいかげんな形でもって自分の
政府なり地位の安泰を図るというような小粒な政治家によっては私は
日本はもうこの激動変革の時代を守れないと思うんです。そういう意味においてこれはいい中東問題は教訓です。ベトナムの問題も教訓です。フランスも失敗し、
アメリカも失敗し、ソ連だってあそこへ長い間つぎ込むことはできないです。軍事的な形において
世界をコントロールしようという考えも軍部にあるかもしれないが、ソ連という幾多の欠点を持つ国において、ベトナムなり中東なりにおけるいまのような緊張した体制ばかりをやってしまうと、内から私は崩壊に導かれる危険性がロシア自身にもあるということはロシアの政治家も一流の政治家が出てくるならばわからないはずはない。政治はイデオロギーじゃなく具体的な
政策を通じて民心がこれにどう対応するかということを忘れては、政治は音を立てて崩壊する時代がいま来ているんです。それを恐れているんです。
そういう意味において私は、いまたとえば
外交畑においても異色な大来さんあるいは大蔵官僚の中においても相当な苦労もしてきた大来さんなんかのやる役割りは時流に投ずることよりも、石をもって打たれることがあってもやっぱり民族の将来百年の計を立てて、いまこの瞬間における
外交というものを手がたく行わないと、悔いを後に残すようなことがあると取り返しができないと思うのですが、この難民問願、ベトナムの難民問題でも国際的な
協力は必要でありますけれ
ども、大変な問題です。中国でも東南アジアの問題の華僑問題に対して柔軟な新しい
政策の
展開を試みようとしているが、インドネシアにおける過去の失敗は取り返すことができないし、また華僑のすぐれた面もあれば、利口過ぎてその国々の住民との間に深いギャップも
不信感もあります。そういうものを是正しながら、広東やあるいは福建の人たちが、海外に出ていった人たちを国内体制においてもどうやって温かく迎えて国の近代化に
協力を求めるか、また華僑の本質的な改革をやって東南アジアにも貢献しようかというときには華僑と中国本国だけの問題では片づかない、やっぱり
日本の技術
経済協力あるいは土地の住民の人々の憂えなり意見なりというものを調節しなければ、ヨーロッパのECの国々における先進国同士の国と違った多角的なむずかしい面があると思うんです。
次にこの華僑の問題に入りますけれ
ども、この問題が佳境に入るときには、もう中東の問題よりも東南アジアの問題が一番大きな課題となって登場してくると思うんですが、それに対して通り一遍のいままでのような三番叟ばかりを踏んでいたんでは、
日本はどこまで真剣に取り組んでいるのか、その善意はわかっているけれ
ども、その前に東南アジアの住民の苦悩と模索、それを本当に理解してくれるんだろうかという、私ははね返りがあると思うし、田中さんあたりが行ったときでも、バンコクで外へも出られないで、インドネシアにおいても田中帰れという喚声の中に好まざる結果に対する大衆のお迎えを受けたようなぶざまな
状態もあったんですが、やはりそういう点で中東の問題が根本的な
解決にはなかなか間がありますけれ
ども、中東の問題だけで
世界は動いているのではなくて、アジアの
発展途上国におけるやはり
一つの具体的な
対応策というものを立てないと、中東問題以上に、中東問題からも
日本は責任を回避することはできませんけれ
ども、足元の問題に対して備えがあるかどうかということが一番
心配ですが、それに対して具体的な対策は大来外務
大臣はどのようなものを持っておりますか。