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戸叶武君 大臣は
経済の方のエキスパートでありますが、私は政治でも
経済でも今日の段階において非常に急務なのは、発想の転換をやらなければ、いままでのような観念では対処できない面か出てきたのではないかと思うんです。たとえば、
経済理論の面におきましても、ケインズ批判か非常にはびこったりしておりますが、ケインズの理論はあの当時の必要に応じて打ち出された完全雇用の学説でございまして、学説だけではなくて、政治の停滞に対する新しい活路を開いたものであります。
私は第一次
世界戦争と第二次
世界戦争の暗い谷間の時代の
世界経済恐慌の時代に、若いときにイギリスでそれを経験しましたが、オールドソーシャリストはこれに対応するだけの
政策を持ち合わせなかったのか事実でございます。
「ソーシー、リスト・ムーブメント」を書いたあの輝ける指導者と言われ、第一次
世界戦争に真っ向から反対を説いたマクドナルドでも、議会の中で初めて社会主義綱領を示したスノーテンでも、気の毒なことに非常に古いタイプのソーシャリストであって、やはりイギリスの繁栄というものだけを
考えて、
世界の
動きに対応する柔軟な姿勢がないところにナショナルレーバーの破綻があったのであって、労働組合の圧力のもとに失業者救済あるいは失業手当、そういうような問題を具体的に積み上げた功績は大きいのでありますが、やっと貧乏長屋で生きることができる程度の失業手当や何かを持ってごろごろしていかなきゃならないということにおいては、イギリス
経済に新しい活力はもたらされない、労働者に明日に希望をつなぐことは与えられないときに、そういう方法でなくて、働かんと欲しているのが
国民の大多数だが、職がないのだから、これを生産に従事させることによって、全員を雇用することによって新しい活力を生み出さなければならないというニードに応じてのケインズ理論の展開は、理論があって
政策が生まれたのでなく、現実の要請と
政策が絡みついて
発展したものであって、
経済学におけるフィジオクラットの重農主義でも、マーカンティリズムでも、いまから学者諸公はいろいろな批判はできるけれども、その時代の要請にこたえたところの私はそれなりの経綸であったと思うのであります。
いま足りないのは、この行き詰まった現実に対して、具体的な回答を持ってこれを打開するという
国民的なニードに応ずる一つの
政策の躍動がないところに政治の私は停滞があるんじゃないかと思うんです。そういう意味において、
経済だけと取っ組んでいたのではこの国はよくならないという信念のもとに、エコノミストとして国際的にも著名であったあなたが政治の
世界に入ったのでしょうが、ドイツでも、あの第一次
世界戦争からワイマール時代を崩壊に導いたようなときに、社会主義財政学者としてのエーベルトが大統領になり、レーニンすらもカウツキー以上に敬意を表した「金融資本論」のヒルファディングが二回も大蔵大臣になったけれども、ドイツの混乱に対してこれを展開するだけの政治力の躍動を促すことはできなかった。むしろシュトレーゼマンのような——中間的な政党にはおったが、政党のいかんではない、戦争に打ちかった人たちの無法な賠償金の収奪の中にドイツの労働者はあえいでしまって、労働意欲も失ってしまった、産業は荒廃していく、この問題を解決つけなければドイツの復興はあり得ないというシュトレーゼマンの十年余にわたる闘いというものは、心身ともに疲れて彼は死んでいってしまったけれども、ああいう政治家が本物の政治家であって、イデオロギーや理論をもてあそぶことはだれにでもできる。祖国の行き詰まった状態を具体的に打開するために体を投げ打っていく政治家がいま
日本には私は非常に必要になったのではないかと思うんです。真理は常に具体的でなければならない。観念的なイデオロギーや宗教の魔術でなくて、常識的な、具体的な提案を通じて政治が
国民の合意を求めなければならない、そういう時代に来たんだと思うんです。いま、あとは見識とともに勇気さえあるならば、
国民は歓呼の声で私は新しい道を歩むところの準備はできてきていると思うんです。
で、これは私、最近、ことしになってから一番打たれたのは、フィンランドの——きょう可決した
条約もありますが、元大臣であり、いまは総理大臣をやめて、
外務大臣の経験もありますが、一院制度のもとにおいて
外交委員長を務めている四十九歳の社会主義インターのチャンピオンである人物がフィンランドの
国会の人々を連れてきて、一時間の会見が二時間となり、二日間にわたって紅茶を飲みながら語り合ったのでありますが、彼の言うのは、私たちはソビエトロシアに隣り合っている。二回も戦争をしかけられて二回も負けて領土を取られた。しかしながら、われわれのふるさと、われわれの祖国を守る者はだれか、われわれ以外にないんじゃないか。
国民が
一致団結するならば、このわれわれのふるさとを守り祖国を守ることができるんだ。いま現実に
ソ連と比較したときに、
国民一人の
所得は
ソ連より上だ。しかもわれわれの生活は
ソ連人よりも自由である。そうしてわれわれは、イデオロギー的には
ソ連に近い人もあるし、ドイツに近い人もあるけれども、われわれの
責任で祖国フィンランドを守らなければならぬという点には
一致点が見出されて、
国民的合意がある限り、
国民との話し合いによってスクラムを組んでわれわれのふるさとと祖国を守るというだけの熱意がある限り、何人といえどもこの祖国は脅かすことが今後はできない。われわれはイギリス流の民主的な社会主義を実行しているが、われわれは、われわれの
国民的な合意によってわれわれの共同社会を守り抜いていくんだという誇りを持っているという見解を述べられたのを聞いて、
ソ連に脅かされながらでもこれだけの理想、これだけの献身を持ってふるさとと祖国を守り抜げる政治家があるということを私は見出して——彼はまだ四十九歳です。われわれよりも若い。しかし、いままで民族が苦悩に苦悩を重ねた結果生み出したところのこの信念というものは、金や物質では買えないとうといものが私はあるということを感じました。
また、今日、ECの直接選挙で選ばれた四百十人の代表者と会い、その十分の一は婦人から選べるようにという形で、しかも、ジスカールデスタンは、ナチスのために痛め抜かれた女性を議長に据えて、そうして何が正しいかということを本当にとことんまでみんなで話し合うようなゆとりのある新しい民主的な運営、ディスカッション、コミュニティーにおけるコミュニケーションというものを求めていく姿を見たときに、おくれた政治と未来をかち取る政治との中にはこうも違いがあるのかなあと思って、
日本のことを連想して私は非常に大きな衝撃に打たれました。
やればできるんです。フィンランドのような土地にも、湖があるせいか、戦車はやたらに湖に突っ込むわけにもいかぬでしょうし、問題は天険の山や湖じゃない。人間の持っているところの、平和を愛し、生活に希望を持たせ、国際的連帯の中におけるヒューマニティーの発揮、そういうものは何人も打ち砕くことはできないんです。私はやはり、小さい国だからといって
日本はフィンランドのような国を軽視してはならないと感じました。
しかも、彼らの一行があそこの京都の駅に着いたときに、祖国の生んだ作曲家の歌が駅において放送されたということを聞いたのですが、立ちどまって、
日本という国は何というわれわれの心を揺すぶるものを持っているんだろう、自分たちは感激を覚えた、と言っております。私たちは、
日本人の中においてもあらゆる各層の中に、人々を痛めつけないで、人々の心をくみ取っていこうという精神が庶民の中に根を張ってきたことを
考えると、本当に私は
日本は今後において
世界に貢献し得るだけの準備はもう庶民の中に整ってきたのだ、一番悪者が多いのはわれわれ政治家じゃないかということでざんきにたえないのです。オーケストラが組まれてもコンダクターがいない。じたばたコンダクターでは音楽にならぬ、芸術にならぬ。もっと私はこの議会政治の質を変えなければ
日本という国はこの中から、はらわたから腐っていってしまうんじゃないかという危機感をいま私感じながら祖国に帰ってきたのです。しかし外国で、外務省に私はお世辞言うんじゃないが、人手は足りない中で立ちおくれているからというので、中東やフランスなりアフリカにおける大使館の人々は火の玉のようになって、われわれはどんな不幸に見舞われるか知れないけれどもわれわれの孤塁は守っていくという形で勉強している姿を見て、
経済的には、待遇的には恵まれなくてもやはり明日に希望を抱きながら、いままでのカクテルパーティーとダンスパーティーの中に埋もれてしまった宮廷
外交官のまねごとをした
外交官と違って、本物の
外交官がこの苦難の中に生まれてきたということを私は痛切に感じて、いまのうちにこの連中を根絶やしてはいけない、この連中に新しい次の時代を担うやつをやはり育ててもらわなくちゃならないということを痛切に感じました。
どうぞ大来さん、今度は——いままではエコノミストであり、日米の財界人との接触が多かったでしょうが、
世界をめぐって庶民の中に新しい未来をつくり上げようという息吹がわき上がりつつある
日本の語学の才能あるエリートだが、本当に
日本人としての魂が入っているかと思うようなよけいな心配をわれわれが危惧の念を持って見ていた
外交官の中にも新しいタイプの一つの
外交官が生まれかかっているのです。これを凍え死にさしてはいけない。砂漠の中に埋もれさしてはいけない。早く私はいまのうちに、この激動の中をよこぎっていく、間隙の中に、このるつぼの中で私は鍛え直していき、伸ばしていかなければならないと思うんで、いろんな専門家を私は外務省の中にも取り入れて、財界から入れてもいい、エンジニアを入れてもいい、それから学者を入れてもいい、新聞記者を入れてもいい、しかしながら問題はその骨格となるところの
外交官の骨組みを崩してしまっては、これはコンクリートをごまかしては塗りで、本当の私はバックボーンは組み立てられないと思うのであります。そういう意味において、
外交畑でない
世界から
外交の重要性というものを認識して入った以上は、この
日本の
外交史の中において大来という人間が来たんで、われわれもおおきたという形で受け取ったが、あの人によって本当に
日本の
外交の中に新しい息吹や新しい土台石がつくり上げられたのだというような気力をやはりつくっていってもらいたい。そのことが、私は、今後における
世界の中の
日本を
考えなけりゃ
日本の運命を決することのできない宿命の中に歴史は回転してきているんですから、
世界の中で育ち、
世界の中において
日本がこれに貢献していくというこの実感の中に、やはり私はトインビーじゃないが、新しい心の触れ合いの中から、異質なものとの邂逅の中から本当に
世界の私は明日が築かれるんだと思います。
そういう意味において、いまは恐らくは外務省はつらい立場にあるんだと私は思いますが、こづき回されながらもとうとうとして自由に迎合してはったりをやっているやつばらには田舎芝居しかできない。田舎芝居では見物人がいつの間にかなくなってしまう。このぶざまな
国会の閉会を私は見て、真夜中に
国会議事堂を見て、あああ、エジプトのピラミッドよりもひどくなって、これは納骨堂になったんじゃないかというような幻想に襲われたのです。
今度エジプトに行きましたが、私は二十歳の若き日、五十一年前にエジプトを訪ねたときに、軍隊の中に築かれたあのケマル・パシャの影響を受けた青年トルコ党のような秘密結社の少壮軍人から反英闘争を展開するんだということを聞いたことがありますが、あの時分砂漠の上に天にましますアラーの神よと言ってひれ伏して祈りを上げているアラブの人々が、六千年の
文化をどうやって取り戻すことができるであろうか。ナイルの川は悠々として流れているが、六千年の歴史は停滞そのものだというふうな感じを受けとめて、アラブの人のまねをして、「アラビアの人にあらねど果てしなき砂漠の上にひれ伏してみし」と言って夕暮れの荘厳にひざまずいたことがありますが、そこから石油が吹き出してきたり、そこから素朴であるけれども新しい民族的な抵抗が粗野な形でも出てきたということを見て、歴史はやはりナイルの川のように生きているんだなあということを感じたのであります。
あのエジプトの議会の——一院制度ですか、議長はカイロ大学の総長であった高い教養人と見識人であります。外務
委員長も
日本に三回も来た知日派であります。その人たちが断言したのは、われわれもアジア人だ、
日本はアジアの東でありわれわれはアジアの西に位する、光は東方よりと言うが、われわれはもう一度
世界に光を与える時代を築かなけりゃならない。それにしてもエジプトは明治の時代
日本が栄えたときに、モハメッド・アリのような名君主を持ったが、それなのに
日本が今日のような近代化の道を歩んでいるのに、エジプトが停滞しているということはどこに原因があるのであろうか、ということを最大の課題としていま私たちは研究に入っているという言葉を聞いたときに、私は、一つは喜びだが、
日本のいまの本質的な停滞の姿を見たときに、果たして彼らに与えるものがいまの
日本にあるかということを反省して戦慄を覚えたのであります。
私は、西欧はルネッサンスを通じて、逆に民族的自覚から石油革命が民族的闘争を生んだ、ルネッサンスの名によって奴隷解放への道はやや開かれたけれども、依然として帝国主義的な奴隷支配の悪習は今日まで続いている。それがいまイギリスの保守党のがんこ者ですらも、イギリスの帝国主義がこれによって終わったということを証拠立てなけりゃならないと言って、公の席で叫ぶ
国会議員も出てきているんです。どうぞそういう意味において、もっと
日本の中から、みずからをむち打ってみずからの革命を断行し得るような本当の革命家が出なけりゃ、人に革命を命令するのはやすいが、ソクラテスの言ったように、ノー・ザイセルフ——なんじ自身を知ることによってみずからの反省を
日本もするならば、
ソ連もアメリカもしてくれるかとも思うし、してくれなけりゃ滅びるままでありますが、パートナーである以上は黙っているわけにはいかぬから、やはり率直に物を言って、本当にパートナーシップというのはこういうものだという新しいタイプのパートナーシップを発揮してもらいたいんですが、その準備かできてから——もう大来さんは恐らくは準備は完了だと思いますが、アメリカには、この大来が引き受けたというような形でアメリカを問い詰めてください。アメリカが変われば
世界が変わります。
ソ連が変われば
世界が変わります。しかし、そのアメリカを変え、
世界を変える秘術は、原子爆弾で再び
日本人だけでなく
世界の人を不幸に陥れないようにという祈り続けている
日本がここにいるということを認めていただけるだけでも私は大きな貢献となると思うんです。
だから、このベネチアヘの道は遠い、マルコポーロがシルクロードをたどってきたよりも険しい道かもしれない。あと三カ月か四カ月後のこの道を道草を食わずに、もっと
日本みずからが、
政府が
国会とともに人民と語り合うつもりで
世界の人々の憂えを憂えとして、
日本でなくして訴えるところがないというだけの気迫を込めて臨む。へっぴり腰で土俵に上ったんじゃ気合がかからないから相撲にならない。
どうぞそういう意味において、この先進
国会議は
世界の運命を決めるための私は重要なターニングポイントに立つと思うんです。みんなが
日本に言いたいことを全部言ってくると思うんです。それに動ぜずに、弁解するんでなく、反省すべきものは反省し、譲るべきものは譲り、虚心坦懐に物を申していくことの方が手練手管のやり手ばばあのような
外交をやってきた人たちに対してはフレッシュな感覚で私は迫ると思うんであります。ですからその期間できるだけ大臣、
国会において、
国会議員を相手というんでなく、
国会を通じて主権者である人民に、
国民に浸透するような自分たちの見解を述べてもらい、
国民からの要望も受けて、次期総裁とか——あなたは総裁に立候補しないかもしれませんが、次期総裁だとか総理大臣だとかということにばっかり気を配ってきょろきょろしないで、端然として、淡々として私はわが道を行くというだけのこの
外交だけは守ってもらいたいと思うのです。
まあきょうは、私は新聞で外務省の発表を見て、何でもないことを発表したにすぎないけれども、何でもないことも
国民にはいままでわからないような形であいまいにされていたというところに問題点があったんですけれども、危機に便乗して戦争への道のばかばやしさをやっているのでは、タヌキのばかばやしよりもユーモアもなければ、悲劇でもなければ喜劇でもない、気違いの行列です。そんなファシストのまねごとをやっていくような冒険
政策の中に浮き身をやつすんでなく、道はここにあり、まともな道は平凡だ、凡に徹することだ、エリートじゃない、大衆とともに苦悩し、大衆とともに模索し、この中からわれわれは歴史を刻む宝を掘り下げてみるんだ、みせるんだという形において私は
日本の新しい国づくりを
外交の面からつくり上げていただきたいのであって、進軍ラッパを鳴らすだけでは士気は上がらないのであります。
アメリカ自身でもだんだん変わってきています。
ソ連でも変わってきています。あと十年、いまのような思い上がった
考え方はもたないです。サハロフを
考えるときに私はやはりいつも
考えるのはロマン・ロランがあの
ソ連の文豪、病めるゴーリキーを、革命の作家であったが、できた革命の
ソ連は必ずしも彼が描いた
世界とは違うが、それを口にすることもできない。レーニンの労苦を見るならば、祖国を去って行くとも言えないときに、ロマン・ロランが病める文豪をもっと安らかに休養のできる土地に迎えようとして行ったときに、ゴーリキーは南に去って行ったんです。今日ヨーロッパではサハロフのことを本当に心配しております。一サハロフではない、あれだけの学者で、あれだけ体を張って
ソ連の未来、
世界のために、自分たちの平和への願い、自由への願いを貫き通す人がヨーロッパの社会にほかにだれがおろうか。この人を殺すことはできない。やはりゴーリキーをロマン・ロランが迎えに行ったように、ヨーロッパの人はサハロフを迎えなけりゃならない。あのままロシアの中、
ソ連の中で死なせてはいけない。サハロフは永遠に生かせて、その精神をわれわれも学ばなけりゃならない。ヨーロッパの社会の中に
ソ連人であるがサハロフのような貫く精神を貫き通し得る者がどこにあるかということを
考えるならば、この人を救わなけりゃならないというのは、ヨーロッパにおいては石油の問題よりも何よりも大きな人道的な共感を呼んで、あらしのようにこの救援運動が起きております。
日本からのベトナムの難民の救済も重要であるが、あのような難民をつくり出したアメリカの二回にわたる爆撃、朝鮮に対する軍事的介入、ベトナムに対する軍事的介入、それからいかほどの感謝の念が起きたでしょうか。イギリス帝国主義はいろんなことをやったが、今度やる罪滅ぼしの努力はローデシアの解放と、やはり
イラン、イラクの危機を打開しなければならないという、やりづらいことだけれどもそれをあえてやるイギリス
外交の中における転換、これがイギリスとしてはむしろ誇りだと思うんです。照れないんです、みずからの反省の上に立って明日のために奉仕しようという
考え方が新しいすべてのものの出発点だと思うんです。
どうぞそういう意味において、これから、ヨーロッパにおいては自動車の問題でも、アメリカのようにヒステリカルにはなっておりませんしヨーロッパ自身の知性人の中においては、われわれは
日本をいままで侮っていた、チープレーバーによって安い物を売りさばく国と見ていた、あのコットンインダストリーのイギリスにおける長い争議のときにもそう見ていた、しかしいまでは違う、われわれが怠けている間に
日本人は臥薪嘗胆して技術をみがき、鉄鋼においても自動車においても、エンジンの問題においてはまだまだいろいろな問題があるにしても、アメリカやヨーロッパに遜色のない、それを凌駕するようなできばえを示してくれたことは、われわれは
日本からも学ばなけりゃならないということを感じさせられた、
日本のみにいろいろな難癖をつけるんでなく、われわれ自身がこれを
機会に反省しなければならないと、ヨーロッパの知識人はそこまで来ているんです。
アメリカだって、私は本当のことを大来さんあたりか述べれば——余り自慢話をやると向こうにいやがられるから、遠慮しいしい本当のことを言えば、やはり私はアメリカの労働界でも、企業でも、富める者が信仰に入ることは大変なことです。乗りつけた大型自動車を乗り捨てにすることはなかなかできないでしょうが、大衆は背に腹は変えられない、省エネルギーで安い自動車、ガソリンのかからない
日本の自動車を買うのはあたりまえであって、これを、自動車関係の失業者が多くなったからといって、労働組合のボスが来て
日本をおどかしてみても、大衆に高い金でエネルギーをたんと使う自動車を買えと言って
保護政策をやってみても、大衆か応じないと思うんです。アメリカの農民に食糧をよそへ売り出しちゃいけないと言っても、食糧を売らなけりゃ食っていけない農民は、それをもとのように積み上げて丘の上に倉庫を建てることにはがえんじなくなると思うんです、やはり自然にさからう者は自然に滅びる、時の流れに順応できない者はみずからが自滅する、これが真理です。
私はそういう意味において、われわれは遠慮しいしい謙虚な態度で真実を述べて訴えて、一週間に二回ぐらい休んでもいいが、怠け癖をつけるんではなくて、むしろ私は、いま衣食住の生活の中で一番
日本に欠けているのは、金が余ったなんてでたらめを言っているけど、住宅
政策です。リー・クアンユーがシンガポールにおいて勝っている、与党だけで野党なしの成績を上げたのは、スラム街をなくして住宅
政策一本にしぼっていったことです。こんなきれいな住宅の中じゃあ淫売はやれない、麻薬は吸えない、やはりわれわれの生活を楽しもう、この根城を中心にして新しい町づくりが始まっている。コミュニティーにおけるコミュニケーションは説教ではだめだ、子供にまで一部屋ずつ与えていくような理想をリー・クアンユーは実現してくれる。スラム街はなくなった、スラムを壊されるときには名残惜しかったが、住んでみればいまのような住宅がいいと。あっという間にあれを、イギリス流の社会主義というよりは香港流の社会主義を漢民族の、華僑と言わずに漢人と言って誇りを捨てずにいる彼らの
世界に打ち立てたリー・クアンユー流の住宅
政策、これから私は多くのものを学んできたが、昔シンガポールに行ったときのことを回顧して、ああ、シンガポールで南十字星を見たいなと、四回来たがおれ一度も見たことはないがと言ったら、大使館の聡明な気のきいたユーモアに富んだ
外交官が、
戸叶さん、南十字星を見るためにあなたはどこを見ているんですか。いや、星を見るから天井を見ている。南十字星はヤシの上あたりの低いところに出るんで、大体見えないのが普通なんです、あしたは見せてくれるからというので本気にして待ったら、翌日、絵はがきを持ってきて、これが南十字星で、撮ってやろうと思ったが、出ないので撮れませんでした、と言うんで、なかなか気のきいた、ユーモアに富んだ
外交官もあると思いましてびっくりしました。
とにかく、昔荒海を
航海したアラビアのフェニキアの人々が、奈良の大仏をつくるためには
日本にも来てるんです。その前からも来てるんです。シルクロードだけでなく、星明かりを頼りに南からも、あるいは砂漠を乗り越えてシルクロードからも来てるんです。
世界は一つなんです。多元にして一つの
世界、そこに私は融和がつくれないはずはない。フランスのでたらめな予言者と称する詐欺師が、一九九九年には
世界は滅びるとノストラダムスの予言者が言ったが、私は彼よりも予言者としては位置が上である、絶対に
日本の、
世界の人々の理性が
世界を滅ぼすようなことはないと思う、とナイルの河畔で予言を放とうとしたら、知性豊かなエジプト人が、あのモハメッドが最後の予言者でしたから、モハメッド以外に予言者はないはずだがという話で、これはしまったと思いましたが、あれが救世主かと思ったら、やっぱりヨハネのように予言者だと。うまいことをやはりモハメッドも
考えたなと。予言者である以上は、わが後から来る者がメシアなりと言って自分は放言して、予言という形で物を言っても一向
責任をとらないでも差し支えないんじゃないかと感じて、なるほど、モハメッドというのは知恵のある最後の予言者、おれはまた、時代が変わったからおれが最後だという予言者になろうという
考えを持って、
日本の中で一つの政治のはかなさ、いやらしさっていうものを骨の髄まで感じながら、
国会の中においても厳しくみずからを律するものがなけりゃならないということを感じて帰ってまいりました。どうぞ大来さんも政治のいやらしさから逃避しないで、予言者どころか救世主になって、
日本に活路を開いてもらいたいと思います。
ちょうど時間になりましたので、今度はこれで結びといたします。お祈りを申し上げます。