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安藤分科員 それは現実にそういう施設に入っておられる方も、先ほどおっしゃったような
数字でおられるわけですから、すべてそうだと申し上げているわけではないのですが、いまのお話のように在宅でということをさらに発展させて、そういう
障害者の人たちが一つにまとまって共同生活をする。それも先ほどのお話のように、療護施設ということをおっしゃったのですが、現在ある療護施設というのは、どうも都会から相当離れたところにあるのがよくある例で、外出な
ども非常に不自由な目に遭っているということも聞いております。生活上のプライバシーの問題も十分ではないという話も聞いております。
そこで、いま言いましたように
障害者の人たちが共同で生活をして、そして社会生活に参加していくということで、名前はいろいろあるのですけれ
ども、たとえば共同ホームとかあるいは希望の家とかいうような名前でいろいろそういうものをつくろうという努力をしておられる。そういうことは御存じだろうと思うのですけれ
ども、これは
大臣にも後でお尋ねしますから、この辺のところをよく聞いておいてほしいのですが、たとえばこれは大阪の方なのですけれ
ども、何年かかってもいいから、とにかく古切手を集めて売って、そして
障害者の城をつくろうということに努力をしておられる、まごころの集い社という運動なんかもあるわけです。それから、これは愛知県の
障害者(児)の生活と権利を守る連絡協議会というのがつくっているパンフレットですが、「親なき後も
障害者が人間として豊かに生活できるように」
障害者の共同ホームづくりということでいま運動しておられるわけです。この趣旨は、ここに希望の家十二章というのがあるのですが、十二章全部紹介している時間的余裕がありませんが、たとえば二、三申し上げれば、「閉じ込められた施設でなく自由に外出もできるように」という希望もあるのですね。「外に仕事に通ったり生活場所の中でも仕事ができるように」あるいは「
障害者が人間として尊重され、
障害者自身が主人公として、諸活動が保障されるように」というような趣旨、それから重い障害の人だけの「特別な施設でなく、軽い人とも
協力して、力を合わせて生活できるように」こういうような趣旨で共同ホーム希望の家というものをつくるために一生懸命努力しておられるわけです。
たとえば、一つの要求の素材になったのはこういう意見じゃないかと思うのです。これは共同ホーム実現のためにいろいろ努力しておられる身体
障害者の一人の方の意見なんですが、この人は十二歳の夏に慢性関節リューマチになって、もう四十年近く苦しんでおられるわけです。親が死んだときは自分が死ぬときではないかというふうに思っておられることもあるのですが、共同ホームづくりということに希望を見出していまやっておられるのですが、この人はこう言っているのです。親が亡くなった後も
障害者が安心して人間らしく豊かな生活ができる場、地域社会の中で社会の一員として
生きがいのある生活が送れる共同ホーム、こういうものをつくってほしい。こういうような希望が、先ほど言いました希望の家十二章の中に集約されているのではないかというふうに思っておるわけなんです。
ほかにも、東京都なんかにもわかくさ寮とかいう、これは精薄関係の方のあれらしいのですが、いろいろ努力しておられるのですね。
最初に私も申し上げましたし、
答弁の中でもお話があったのですが、国際
障害者年の趣旨、この趣旨は、障害を負っておられる
方々の社会生活への完全参加、これがテーマになっているわけです。これも五つの項目があるのですが、全部はもちろん申し上げませんが、たとえば「
障害者の肉体的、心理的な社会に対する連合を援助する。」それから「
障害者の日常生活への実際的参加を容易にするような研究プロジェクトを援助する。」こういうようなことになっているわけですね。
だから、そういうようなことで身体
障害者の方方の
福祉、そして社会生活への参加ができるような場、しかもいままで住んでいたところから離れたところではなくて、いままで長年住んでおったところ、あるいはそれに近いところ、そういうところへ共同ホームを何とかつくろうじゃないか。国の方がなかなかめんどうを見てくれない。おっしゃったように療護施設とかいろいろあることは知っております。ところが、先ほど言いましたような施設の収容人員の数、それから実際の重度の身体
障害者の数からするととても追いついていないというので、先ほ
ども大阪の一例を挙げましたけれ
ども、古切手を集めてそれを売ってというような非常に涙ぐましい努力をしておられるのです。だから、こういう希望にかなうような
施策をとってほしいと思うのですが、その点について一遍
大臣に、こういう共同ホームというものを制度化するというような方向でお考えいただいているのかどうか、あるいはこれまでお考えいただいていなかったとすれば、これからどういうふうにしていかれるつもりなのか、それをお尋ねしたいと思います。