○吉田参考人 では、引き続きまして広島−岩
国道山陽自動車道あるいは中国自動車道の現況について報告をいたします。
御存じのように、広島−岩国
道路、広島県の廿日市町宮内から岩国市の室の木まで約二十五キロ、いわゆる
一般国道二号のバイパスとして四十八年の二月に
道路公団が
事業許可を受けた
一般有料
道路であります。この許可を受けましてから後、四十八年の三月、これは廿日市町と大野町両方の地内十二・八キロの
路線を発表をいたしております。続いて十月には大竹市内の
路線を発表いたしております。したがいまして、現在廿日市から大竹まで十七・一キロ、約十七キロについては
路線発表済みでございます。
この間につきましては、
路線発表後、大野町の一部の住民の
方々から環境を悪化するというふうな理由で
路線変更の
要望がございまして、広島県の公害審査会に調停を申請しており、あるいは現在
工事差しとめの民事訴訟を提起されております。しかし、私たちは、やはり周辺環境にマッチした
道路をつくるんだということで
地元の
方々の理解を得るべくお
話し合いを進めております。その結果、この十七・一キロの間におきましては、ようやく七八%の用地を取得することができたわけでございます。
もう少し詳しく申し上げますと、その間の九六%については
土地の立ち入りが終わり、八二%については幅ぐいを設置し、七八%は用地を取得をしておる、かような形でございまして、本格的な
工事の着工に備えて、町道のつけかえ、橋梁の下部工等の
工事を現在進めております。現在の
予定では、五十九年度末、六十年の春にはこの間の供用は可能であろうというふうに
考えております。
それからまた、大竹から西、岩国の室の木に至る
路線につきましては、早期に
事業を展開すべく、現在
関係の機関とお
話し合いを進めておる最中でございます。
以上が広島−岩国
道路の現況でございます。
それから、山陽自動車道でございますが、これは御案内のように、山陽自動車というのは吹田から山口まで約四百六十六キロの高速自動車
国道でございます。そのうち吹田から西宮の間が中国自動車道と共用されております。したがいまして、西宮のジャンクションから山口までは約四百三十三キロ、これが山陽自動車道の実延長でございます。
私たち、
大臣から三回に分けて施工命令をいただいております。第一回が四十七年六月でございます。それから第二回が四十八年十月、三回目が五十三年十一月、この三回にわたって施工命令をいただき、現在二百八十キロの
区間について
工事をし、
事業を展開しておるわけでございます。
この間の全般的な
進捗率は、
土地立ち入りができて中心ぐいを打ちました
区間が八二%、幅ぐいを打ち終わったところが四八%、用地取得が三三%という形で一、二すでに
工事を活発に行っている
区間もございます。特に、兵庫県の龍野西から岡山県の備前に至る間につきましては、あるいは後ほど
お話しいたします徳山から山口の間、防府バイパスに関する
区間、この間については現在鋭意
工事中でございます。
いま
お話しの、山口県の実態でございますが、そのうち山口県
関係といたしましては、岩国−玖珂間、約十四キロございます。この間につきましては、三回目の五十三年の十一月に施工命令をいただいております。私たちこれは最重点
区間として現在鋭意
調査中でございます。ようやく
調査もほぼ最終の段階に参りまして、現在は
工事の
実施計画書を取りまとめ中でございます。近く
建設大臣に認可申請をいたしたい、かように
考えております。これは認可がおりましたらなるべく早い機会に
路線発表をいたしたい、かように
考えております。
それから玖珂−徳山間、これは第二回目と申しましょうか、ここは約四十二キロございますが、四十八年の十月に施工命令をいただいて、五十三年の十一月に
路線発表いたしております。この間については、
土地の立ち入りをいたしました
区間が約八〇%ございます。現在幅ぐいを打ち、用地を取得するべく
努力をしております。その現地機関として、昨年の二月に徳山に
工事事務所を設置しておるわけでございます。
最後に、徳山−山口間、約三十二キロございますが、この間は当初の四十七年の六月に施工命令をいただいた
区間で、実際の仕事は
建設省の中国
地方建設局に委託をいたしております。この間につきましても四十九年の五月に
路線発表いたしまして、中心ぐい、幅ぐい設置は一〇〇%終わっております。現在約八〇%用地が取得し得まして、現在は防府バイパスとの合併の仕事あるいは大平山のトンネル、こういうものの
工事にかかっている次第でございます。
なお、御参考までに
お話しいたしますと、中国縦貫自動車道につきましては、山口県内では現在山口から下関までが供用をされております。鹿野−山口間、この間の約三十七キロにつきましてはことしの十月に供用をいたしたいと
考えております。
それからなお、東を申しますと、千代田−鹿野間、この間につきましては、約百二キロございますが、五十七年度末に供用をいたしたい、かように
考えている次第でございます。