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三浦(隆)
分科員 確かに公務員による侵犯の問題は、たとえば警察官によるものは
昭和二十八年六百八十九件から
昭和五十三年百十三件と大変減ってきております。警察官自身の資質の向上なり教育の効果が出てきているのだろうと思います。しかし、にもかかわらず今日新聞には刑事被告人なり参考人と呼ばれた人たちの自殺の痛ましい記事などが伝えられるところを見ますと、ここの件数に見られないところにおいてまだ大きな侵犯の問題があるのではないかというふうにも思われます。
そこで、一つに、
法務省の
人権侵犯統計にあらわれるのはむしろ氷山の一角である、根はもっと深いものではないかとも思われるのです。
例としまして、在日大韓民国居留民団中央本部が
昭和五十三年に出した要望書の前文に「私たち在日韓国人六十五万人は、日常生活の各方面においていわれなき差別待遇を受け、……それがために不安定な生活を強いられている状況にあります」と書いてあります。進学、就職、結婚などで恐らくこの件数にない、まさにいわれなき差別の中に苦しまれている人が多いのだと思います。
また、ウタリ協会、旧アイヌ出身の方でございますが、その指導者である貝沢正という人のみずからの子供のころを回想した官業の中に「アイス——生れたその町から背負わされた宿命。小学校に入学した時から差別は始った。……明治三十二年「旧土人保護法」が制定され、旧土人学校となり、「旧土人学校教育規程」によって教育されたのが私たちだった。……
日本人がいかに優れた民族であるかをシサムの先生によってくり返しくり返し、たたき込まれた」とあります。ここでのシサムは隣人の意味ですが、恐らく和人、
日本人を指している言葉だと思います。
さて、
人権擁護法が
昭和二十四年に生まれました。その第二条には「委員の使命」として、
人権侵犯に対する事前の監視の問題あるいは事後の適切な処置がうたわれております。と同時に第六条の「委員の推薦及び委嘱」のところに、委嘱は市町村長を経由して市町村
議会の意見を聞きながら決めているという点においては、この地方の意見が反映しなければならないにもかかわらず、今日いまだにウタリ問題が解決し得ないというふうなことは、
人権擁護委員が正しく使命を全うしているのかどうかきわめて疑わしいと言わざるを得ないと思います。
質問の第二に入ります。同じく
法務大臣、そしてまた厚生省の御
関係の方に御
答弁をお願いいたします。
北海道旧土人保護法というのが明治三十二年法二十七号によって成立いたしまして、
昭和四十三年法九十四号によって
改正されております。また旭川市旧土人保農地処分法が
昭和九年法九号によって成立し、
昭和十二年法二十一号によって
改正されているわけです。前著は管轄が厚生省であるそうですが、後者に至ってはきょうに至るまで私はこの
国会においていろいろと旧いただしても、その所管庁すらはっきりとわかってこないのです。すなわち、国の行政、立法府においてそのまま放置しておいた。単なるわれわれにとっては
法律の一つにすぎないかもしれませんが、「旧土人」と呼ばれている同じ
日本人の一人が今日どんなに腹立だしい、くやしい思いをしているかに、私たちは思いをいたさなければいけないと思います。土地の
人権擁護委員が北海道にもおるはずであるにもかかわらず、「旧土人」と呼ばれている人たちのことを何も考えなかったこと、大きな問題だと思います。北海道旧土人保護法は「保護」という名がついているだけに、第一条に「一戸ニ付土地一万五千坪以内ヲ限り無償下付スル」同法第七条では「北海道旧土人ノ保護ノ為必要アルトキハ之ニ関スル施設ヲ為シ又ハ施設ヲ為ス者ニ対シ補助ヲ為スコトヲ得」とあります。しかし、実際の旧アイヌの人は、大変な貧しさの中に嘆いております。この
法律がそのとおり生かされていれば、嘆きの声は出てこないはずであります。
北海道民生部によります
昭和四十七年の「北海道ウタリ
実態調査報告」、
昭和五十二年、同じく北海道民生部によります「北海道ウタリ福祉対策基礎
調査結果の概要」というのがございます。この後者によりますと、
昭和五十二年のウタリの世帯数五千六百二十二、人口二万一千百十人です。そしてそこにいる働く人たちは農林漁業従事者が三五・八%、失
業者一五・四%です。ちなみに同じ
昭和五十二年、
日本の総人口一億一千三百九十二万人、農林漁業従覇者二二・四%、失業率二%であります。一五・四%と二%のいかに差の多いかを私たちは知らなければいけません。また高校進学者五七・三%、大学進学者一七・九%とあります。同年の
日本全体の高校進学者九三・一%、大学進学者三七・七%です。
日本国
憲法の第十一条では「國民は、すべての基本的
人権の享有を妨げられない。」とあります。第十三条前段では「すべて國民は、個人として尊重される。」とあり、同第十四条一項では「すべて國民は、法の下に平等であって、人種、信條、性別、社會的身分又は門地により、政治的、経濟的又は社會的
関係において、差別されない。」とあるわけですが、旧アイヌの人々には
人権の享有は不十分であり、きわめてみじめな
状態です。文教
関係の問題につきましては、文教常任委員会で
発言さしていただきます。
学説によれば、
憲法十四条の法のもとの平等の意味には、立法者非拘束説、適用平等説と言っておりますものと、もう一つに立法者拘束説、法平等説との二つがございますが、
昭和三十一年二月二十七日の大阪高等
裁判所の判決では立法者拘束説をとっております。「
憲法十四条は単に法を不平等に適用することを禁ずるだけでなく、不平等な取り扱いを
内容とする法の制定をも禁ずる趣旨と解すべきである」と述べております。これが通説であります。
次に、土人の意味についてでありますが、諾橋轍次の「大漢和辞典」あるいは小学館による「
日本国語大辞典」によりますと、一に土でつくった人形、二に原始的な生活をしている土着の人、三にその土地に生まれ住みついている人とあります。さらにこれを「類語辞典」によりますと、一に土着の人、二に蛮人、蛮民、三に未開人、未開民族とあります。私たちの知る文学作品の中で、島崎藤村の「椰子の葉蔭」あるいは志賀直哉の「暗夜行路」などがありますが、志賀直哉はその中で「南洋館というので土人の踊りがある」、こうした土人というのは、私たちの子供のころの漫画の「冒険ダン吉」なりあるいは「酋長の娘」で歌われてくるような土人のイメージであって、いわゆる未開の意味があります。原始的な意味があるのであって、戦前ならばいざ知らず、現
憲法下において同じ
日本国民として、こういう言葉は使われるべきではないと私は確信を持っております。と同時に、今日では言葉がいかに大切であるか。かつて女中さん募集と言ったけれ
ども、今日ではお手伝いさんなりメードさんと言葉を変えておるし、女工さんも女子社員であるとか、女給もホステスであるとか、それぞれ変わっております。山木有三の「路傍の石」の吾一も五助と言われて怒っておるのです。私たちは、こうした同じ
日本人を「旧土人」と呼ぶことの加害者たるの意識を持つべきではないかと思います。その点について、私は「旧土人」という名称は即刻速やかになくすべきであると思います。
大臣初め厚生省御
関係の御意見を賜りたいと思います。