○前田(宏)政府
委員 ただいま
横山委員が仰せになりましたような諸点につきまして、これまでも
お尋ねがあり、当時の刑事局長が不十分ながら御
説明をし、必ずしも御納得を得られなかったということは私もよく承知しておるところでございます。いろいろと論点が分かれておりますので、お答えがうまくできるかどうかと思いますが、
被疑者補償規程についてはすでに申し上げるまでもなく大臣訓令という形で実施をしておるわけでございまして、順序が逆になるかもしれませんが、それが十分機能していないではないかという最後の
お尋ねの方から申し上げたいと思います。
先ほども御
指摘のございましたように、いろいろと御議論のありましたこともございまして、
昭和五十年の訓令の
改正によりまして、
被疑者補償規程の内容の
改善と申しますかそれがなされておるわけでございます。中身のことはまた改めて申し上げるまでもないかと思いますが、この
改正によりまして、
補償すべき事案が発生しました場合には検察官の方で手落ちのないようにみずから立件の手続を行うということから始めるようにしておるわけでございまして、御本人の方が言ってこなかったからほうっておくというようなことではなくて、検察官が
事件を処理しました場合に、みずからその要否を
検討するというところが大きな
改善ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。そういうことも影響いたしまして、最近、たとえば五十一年では立件しましたものが四十八人でございましたものが、五十二年では大体同じような四十五人でございますけれ
ども、五十三年になりますと百六十七人、五十四年では二百七人、こういう数になっておりますし、本年はいまのところ三十一人が立件されているというふうに報告を聞いておるわけでございます。
これでも数が少ないではないか、また
予算の面でも金額が少ないのではないかという御
指摘でございますが、いま申しましたように、
規程を
改正いたしまして
補償すべきものについては漏れなくやるようにという
改正をし、その
趣旨の徹底を図り、今後もその
趣旨を徹底していきたい、かように考えているわけでございます。その内容についての当否はさけておきますと、この
被疑者補償規程自体としては、少なくともできるだけ拾うものは拾うというふうになっているのではないかと私
どもとしては考えておるわけでございます。
そこで、もとにさかのぼりまして、これを
法律化すべきではないか、大臣訓令では適当でないという御議論があるわけでございます。それに関連いたしまして
予算支出の
根拠、これがはっきりしないではないかという御議論も
先ほどお述べになったところでございます。
そこで、基本的な物の
考え方でございますが、
先ほども冒頭に仰せになりましたように
国家賠償法が基本でございまして、国の手落ちといえば手落ちでございますけれ
ども、逆に国の
立場で金を出すということでございますので、それなりの要件というものが定められておる。基本的には
公務員の故意
過失というものを要件としておるわけでございますけれ
ども、身柄を拘束されて
裁判で無罪になった場合には、憲法の
規定もございまして、そういう国家賠償の基本的な
考え方の例外といたしまして、
公務員の故意
過失を要件としないでいわば定型的な
補償を行うというのが
刑事補償法であろうと思うわけでございます。
その
刑事補償法の
考え方をさらに捜査
段階に推し広めて、検察官の手元で不起訴になった場合に及ぼすべきではないか、それも
法律の形で及ぼすべきではないかというのがまず御議論であろうと思うのでございます。確かに、
裁判で無罪になりました場合と捜査の最終
段階で不起訴になりました場合とでは、実質的に似ていると申しますか同じといいますか、そういう結果が生じておるわけでございます。したがいまして、何らか国の方でそれなりの手当てをすることが必要であることにおいては共通であるわけでございます。
しかしながら、基本的に現在の刑事訴訟
制度あるいは
裁判制度あるいは検察
制度というものがあるわけでございます。その基本的なものについてまた御批判もあるわけかと思いますけれ
ども、非常に粗っぽい
言い方をいたしますと、
裁判で無罪になりました場合には、申し上げるまでもなく
裁判で有罪になった者以外すべて無罪でございます。したがいまして、その無罪になった場合ということは非常に明確であるわけでございますけれ
ども、検察官の不起訴というものはいわばシロからクロまで、もちろん間の灰色、その濃さ薄さも含めまして両極端から真ん中のものを含めて全部が不起訴になり得るわけでございます。クロが不起訴になるのはおかしいではないかということでございますけれ
ども、御案内のとおり起訴猶予という
制度があるわけでございまして、検察官の目から見れば罪を犯したことが明らかであるけれ
ども、諸般の事情によって起訴しないという場合も不起訴になるわけでございます。恐らく
横山委員におかれましても、そういう起訴猶予になる場合まで
補償しろとはおっしゃらないであろうと考えるわけでございます。
私なりの考え、従来から御議論がありましていろいろと局内でも議論しておるわけでございますが、そういう前提を考えますと、これを
法律にして
補償するということになりますと、およそ不起訴の場合全部にするということならそれなりの
一つの
考え方であろうかと思います。しかしいま申しましたように、不起訴にはピンからキリというと言葉は適当ではございませんがいろいろとございまして、まず客観的に見てクロである場合も不起訴の一態様としてあるわけでございまして、それを含めて
補償するということは逆に国民感情から見ても適当ではないんじゃないかということになりますと、それを除いたものを
補償するということにあるいはなるかと思います。その中には、
先ほど申しましたようにシロのものからクロに近いものまでがあるわけで、その中でどれだけを
補償すべきかということに相なろうかと思います。その面からいきますと、シロのものだけでもいいとかあるいはクロでない以上はシロと見るべきであるから全部やるべきではないかというような御議論がまたそこにあろうかと思いますけれ
ども、その場合でも、どこまでやったら国民感情に合うかという問題があろうかと思います。
そういうふうに客観的に一応区分はできるわけでございますけれ
ども、逆に、たとえば検察官としてはこれはクロとしか見えないので
補償をしないということにいたしますと、仮にその
補償請求というものを権利に仕立てました場合には、
検事はクロだというけれ
ども自分はシロであるあるいは灰色である、したがって
補償しない決定はけしからぬので
補償せよということを
裁判に持ち出さないと
補償金がもらえない、こういうふうになるわけかと思います。そうしますと、
被疑者の方が自分がシロであるかクロであるかということを
検事の認定では納得できないので
裁判所に持ち出してシロ・クロをつけてもらおうというふうにならないと、権利化した
意味がないということであろうかと思います。そういうことになりますと、すべて捜査の
段階でのシロ・クロというものは
検事の手元ではとまらなくて全部
裁判所に持ち出さないと、シロ・クロが決着がつかないということになりかねないかと思います。
そのことについて、従来検察官が被告的な
立場に立つのはどうも感心しないということではなかろうかというような御批判もあったと思いますけれ
ども、そういう
意味ではなくて、ただいま私申し上げたような
意味で、現在の刑事訴訟法のもとでは検察官が公訴権をいわば独占しており、その反面として起訴便宜主義というものが認められておって、そこで
裁判所に持ち出すまでもなく一応のシロ・クロをつける。場合によっては、有罪と認められる者でも本人の
改善更生のためには起訴しない方がよろしい、表に出さない方がよろしい、その効果というものは多年の伝統によりましてお認めいただいておるところであろうと思います。
そういう現在の検察官の権限、反面義務かもしれませんけれ
どもそういう権限と、それから出てまいります刑事訴訟法の起訴便宜主義という
考え方、こういうものを全部いわば基本的に考え直さないと、この捜査
段階における不起訴処分についての
補償というものはなかなか
法律にするのに困難があるのではないかということを従来から申し上げており、またその後も私
ども考えましてもどうもそこへ行き着いてしまうのではないかというふうに考えるわけでございます。
したがいまして、
刑事補償法ができまして
裁判で無罪になった場合の
措置がとられ、それとの見合いで、捜査
段階で同じようなことが起こった場合にほうっておいていいのかということから現在の
被疑者補償規程ができたと思いますけれ
ども、
対象が違っておりまして、
裁判所における無罪と同じ幅の不起訴の者がすべて
補償の
対象になっていない。つまり、検察官の手元で不起訴になる場合に、いろいろと
先ほど来申しておりますように種類がございますが、その中で明らかにいわばシロである場合に限ってやっておる。そこに本来理論的な無理というか困難があると言えばあるわけでございまして、結局、そういうものをほうっておけないということから、
刑事補償法では賄えないけれ
ども被疑者補償という形でやらないわけにもいかないので、こういう形でやるというような発想からこういうことになって現在に至っておるように思うわけでございます。そういうことから、これを立法化するということは、刑事訴訟法の
制度また現在の検察
制度、その根本とのかね合いにおきまして、率直に申し上げて大変むずかしい問題を含んでおるというふうに考えるわけでございます。したがいまして
先ほどの御議論の中で、恩恵的であるということ、また同じ検察官がやるということは、言葉はともかくといたしまして、同じ穴のムジナ的な感じがするのでどうしても消極的になりやすいではないかという批判が出てくるかと思いますけれ
ども、性質的には、権利か恩恵かというふうに極端に分けますと権利性はないと言わざるを得ない。しかしながら、
先ほども冒頭に申しましたように、この
被疑者補償規程を
改善し、また運用をできるだけ正確にといいますか間違いないように漏れないようにやっていくことにおいて実質的に
補償の実が上がる。あとはいわば
制度論といいますか技術的な問題と言ってしまっては失礼かもしれませんが、そういうことも考えられるわけでございます。要は、実質的に
補償すべきものは
補償すべきであるということがどれだけ担保されるかということに帰着するのではないかというふうに考えるわけでございます。
それから、
警察官のいわゆる非違行為についてのお話もございましたが、その中で、誤認逮捕でございますと
被疑者補償規程には乗り得るわけでございます。しかし
先ほどの御
指摘の例のように、窃盗を繰り返して一般国民に迷惑をかけたということになりますと、どうもこういう刑事
補償の分野ではなくて別な分野のことではないかというような感じがするわけでございます。
結局、身柄の拘束とか相手を間違って逮捕したとか、刑事手続に乗せたことによる
被害ではなくて、一般の不法行為と申しますかそういうことによる
損害、役人が一般的にどろぼうしたということであろうと思いますので、相手方、
被害者に当たる方を逮捕したとかあるいは任意にしても調べたということの
被害ではどうもない。誤認逮捕の方は不十分かどうかは別として
被疑者補償規程に乗りますけれ
ども、どろぼうして御迷惑をかけたというのはちょっと性格が違うじゃないかという感じを持っております。
いろいろ申し上げましたけれ
ども、基本問題につきましてはなかなか御納得をいただけないのではないかと思いますが、私
どもとしては、別に
気持ちの上で消極的であるという考えはございませんのですが、全体の刑事訴訟
制度あるいは検察
制度、
裁判制度、これとの基本的なものの中でなかなか困難ではないかというふうにいまでも考えておるというふうに申し上げるわけでございまして、反面、
規程の運用につきましては十分
努力してまいりたい、かように考えております。