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飯田委員 昨年の九月におきます解散の
状況を私は思い出すわけですが、野党から内閣不信任案を提出いたしまして、その提案理由を社会党の多賀谷書記長がなさろうとして演壇に近づいていかれた、その途端にいわゆる紫のふくさが出てまいりまして、議長がお読みになって、それで解散、こういうことに相なったわけでございます。
私は、この
状態を見ておりまして、これが本当に現行憲法の精神に沿うた解散方式であろうか、大変疑ったものであります。このような
方法であるならば、旧憲法における天皇の衆議院解散命令権に基づく解散方式とちっとも変わらないではないか、旧憲法と現行憲法の違いは一体どこにあるだろうかということを痛切に
感じたものであります。
と同時に、天皇は国事行為として解散詔書を発布されました。その国事行為として発布された解散詔書であるならば、その解散詔書の持っておる効力は国事行為としての効力しかないはずであります。つまり解散詔書では、衆議院を解散いたしましたということを天皇が
国民に向かって宣言される、そういう宣言行為があるだけではないか。そうしますと、そういう宣言行為は、元来そのもとになる衆議院解散の議決がどこかでなされて、それを宣言されるのがたてまえでありますが、それが先に宣言がなされてしまって、その宣言を議長がお読みになって、衆議院議員が皆これにならって全員が服従して解散が成立した、こういう形でございます。
私は、こういう解散が無効だとは思いません。これで有効だと思いますけれども、やり方、解散の仕方に憲法の精神、憲法の構造に反するものがありはしないかということを思いますので、本日この問題を取り上げると同時に、もしこの解散が無効であるということになりますと、落選した議員の損害賠償権が生ずるのではないか。その賠償額というものは相当の数に上ります。ですから予算の問題として重大な問題であろう、このように考えるわけであります。
政権を握りました者が解散、総選挙に当たりまして反対派を倒すために国家の持つあらゆる手段を動員することができることはよく言われることであります。報道機関や町内会長や婦人会長その他地域の有力者を巧妙にかつ合法的に組織いたしまして、これを動員することもできます。また、政権を取った人たちは金に困ることもございません。一九三三年一月三十日、連立内閣の
首相に指名されましたヒトラー、彼はその前年の十一月に行われましたばかりの
国会、これを再び二月に解散することを決意しております。このようにしてナチスの政権は、当時ナチス党よりも多いところの保守党、連立内閣の中でも保守党は多かったのですが、それも倒してナチスの単独政権をつくったわけであります。
総理大臣が
国会の解散権を握るということが政治的にどんなに大きな
意味を持つか。これはヒトラーの例をまつまでもない問題だと思います。
わが国におきましては、従来自由民主党が絶対多数であったから、これは
国会が解散権を持とうと内閣が解散権を持とうと、実質において変わりはない。だから余り問題にならなかったのです。だから、この問題は余り取り上げられることがなかったと思います。しかし、今日の
段階においては違います。今日は御承知のように与党と野党が伯仲勢力であります。次に来る参議院の選挙でどうなるかもわかりません。こういう
段階におきまして、憲法問題をしっかりと固めないで、ただ従来の明治憲法の方式をそのまま襲用するような現在の解散方式をとっておりまするならば、いつかはヒトラーのとったあの
方法がとられないとは保証できないのであります。そういう
意味におきまして、私は今日この解散権の問題は重要だと思います。簡単に申しましても、内閣が解散権を持って最高権能機関である
国会の組織を破壊するといったようなことがちっとも不思議に思われないでいままで行われてきたこと
自体は重大な問題だと思いますが、ことにこれからは一層この問題は重大であろうと思います。
私は、この憲法の従来における問題をいろいろ研究しました。この間の解散問題につきまして、予算
委員会で三十分時間をいただきましてお話を聞こうとしたのでございまするが、そのときのお話では、憲法問題はすでに過去において数回
国会でも取り上げられて、問題は解決したと考えられるようなものであるといったような御
答弁があったことを覚えております。過去におけるそうした憲法問題がありましたことは私も存じております。これは議事録を全部調べました。その結果、昭和二十三年十月から十一月にかけて第一回の大
議論があったことは承知しております。昭和電工
事件で芦田内閣が倒れまして、その後に成立した第二次吉田内閣が第七条解散を実行しようとしたときであります。このときにGHQの方から干渉がございまして、憲法六十九条による解散でなければならないということが起こったということも、この議事録で知ることができました。
それから第二回には、昭和二十六年サンフランシスコ平和条約の締結のときの前後でございます。このときには各党の党利党略による解散論争に決着をつけるために、同年十月十日第十二回
国会において両院法規
委員会が設置されました。それ以後、翌年の六月十七日、この日に両院法規
委員会で衆議院の解散制度に関する勧告というのが出されましたが、それまで十カ月にわたって検討が行われております。この両院法規
委員会の各参考人の御意見、これも全部私は詳細に検討いたしましたが、まことに残念なことには、この人たちの
考え方は、まだ旧憲法と時間が隔たっていないために旧憲法の
考え方をそのまま心の奥底に持って、そして行われておる解散論議であるというふうに
感じました。つまり、内閣が解散権を持つことは当然のものだということを
前提に置いて、その上においての問題でございます。こういう問題につきまして当時の権威者は、イギリスの国王の権限に由来する解散権論を振り回しまして、日本においてはイギリスの制度がいいということを論じておられます。しかしこの問題も、考えてみますれば、旧憲法における天皇主権における解散命令権、この問題に対する郷愁にほかなら、ない。それを何とかして新憲法の中に持ち込むための方便として、イギリスの国王の権限に由来する解散権、こういうものを持ち込んでおいでになっておるように思われてしょうがないのであります。こういう
国会の論議というものが、今日の現行憲法の本当の構造、本当の精神から言いまして必ずしも正しいものではないということを私は痛感せざるを得ないわけであります。
こういう問題につきましては、当時昭和二十八年の十一月一日に、私どもの公法学者で組織しておりまする公法学会、その第一部会で多数をもって確認した結論がございます。それは、内閣は天皇の行為に対する助言、承認者としての資格においては何ら実質的
決定権を持たない、こういうものでございまして、学者の大多数の意見はそういう意見なんです。ところが今日、先般の予算
委員会で伺いましたところの御
議論では、これに反する、内閣が実質的
決定権を持つんだ、こういう
前提を置いての御
議論であったと思います。今日、この伯仲
国会におきましてこの問題を度外視しておきますならば、私は、必ずわが国は将来非常に困る
状態に陥る可能性があるということを心配いたします。
したがいまして、ここに二、三御
質問を申し上げたいわけでございます。
この解散権につきまして、私は昨年において二回
質問主意書を提出いたして御
答弁を得ております。それから本年に至りまして二回やはり御
答弁を得ております。この主意書の御
答弁を見まして
感じますることは、余りにもその御
答弁が簡単過ぎて、私どもには理解しがたい御
答弁であります。つまり論理的根拠、法的根拠を正確に示されていない。それからまた、一方的な、高飛車的な、託宣的な御
議論が多い。自分はこう考えるんだ、これでおまえは了承せい、こういう形のものが多いわけでございます。こういう
議論は幾ら重ねても問題の解決にはならない、このように私は思います。
そこで
質問を申し上げたいのでありますが、まず、最近の
質問主意書につきまして御
質問を申し上げたいと思います。これは二月二十三日に再
質問主意書というのを内閣に提出いたしました。これに対する
答弁を本日いただいたのであります。ところが、この御
答弁は余りにも簡単過ぎてわかりかねますので御
質問を申し上げます。
まず、私が
質問しました
内容を申します。
内閣の行う助言は天皇の国事行為についての助言であって、国政に関する助言ではない。従つて内閣に国事行為に対応して存在すべき国政行為についての
決定権がなければならないものではない。
つまり内閣の方では、助言から内閣に実質
決定権が生まれてくるんだ、こういうふうにおっしゃっているんだが、そんなことはおかしいではないか、天皇の国事行為についての助言なのであって、国政行為に関する助言ではないのではないか、こういう
意味でございます。
内閣以外の機関が衆議院解散を
決定すれば、それに基づいて助言をすれば足りるからである。
よつて
答弁書のいう「衆議院の解散は、国政に関するものであるが、右にいう内閣の助言と承認とは、衆議院の解散について内閣が実質的にこれを
決定することを
意味し」
といったような
答弁が前の
答弁書に出てまいったのですが、それは
我田引水の解釈であると言わねばならない。
このような解釈は、憲法の構造及び精神に照らし、三権分立の原則、立法、司法、行政の各権力機関の相互不可侵の原則、
国会の最高機関たるの地位の
規定に反する何ら正当な根拠のない独断的解釈である。
内閣に対し、
答弁書に言うがごとき国家の最高機関たる強大な権限が与えられているとするためには、憲法にその旨の明文がなければならない。
答弁書の解釈は、法理論上到底認めることのできないものである。よって、次の
質問に答えられたい。
一 天皇の発布した衆議院解散詔書は、国政に関する権能を有しないから、この詔書が発布されただけでは、実質的に衆議院を解散する効力は生じない。
内閣の助言と承認は、詔書が有効に成立するための
要件であるにすぎない。
それは、解散詔書が天皇の国事行為として作成された詔書
自体の性質を変更するものではない。従って、天皇の名において作成された解散詔書には、国政に関する権能がないという詔書の性質に変動はないと言わねばならない。
右のように解するのが正当と思うが、どうであるか。
こういう
質問につきましていただきました
答弁は次のようであります。
衆議院の解散は、天皇が内閣の助言と承認により行うものであることは、憲法第七条に
規定するところである。
なお、天皇の行為は、内閣の実質的
決定に従い行われる形式的・名目的なものであるから、憲法第四条第一項の
規定に矛盾するものでないことは、先の内閣衆質九一第五号(昭和五十五年二月二十二日)の
答弁書の一から三までにおいて
答弁したとおりである。
こうあります。
そこで私は
お尋ねいたしたいのですが、この
答弁書ではわかりません。「衆議院の解散は、天皇が内閣の助言と承認により行うものであることは、憲法第七条に
規定するところである。」こういう
答弁ですが、ここに言う「衆議院の解散」ということはどういう
意味の衆議院の解散であるのか。憲法第七条に書いてある衆議院の解散は国事行為であります。国事行為と国政行為は違う。国事行為というのは解散を宣言するだけです。実体的な解散を生ずるのは国政行為なのです。
答弁書で言っておられるところの「衆議院の解散は、天皇が内閣の助言と承認により行うものであることは、憲法第七条に
規定するところである。」という御
答弁ですが、ここに言われる「衆議院の解散」というのは、一体国事行為としてのものなのか国政行為としてのものなのか、御
答弁をお願いいたします。