○鍛冶
委員 余り先生のことを申し上げるのは
大学の自治とか学問の自由とかいうことに介入し過ぎるというふうな思いもありますし、こういう質問等についてのやりとりは、私としても本来から言えば、先生方が本当に御自身の立場で責任を持って勉強もなさり、いろいろと
学生も教えていく、そういった行動とか実績に裏づけされておられるのならばいいのですけれ
ども、いろいろあちらこちら回ってお話を聞いておりますと、
大学の自治だとか学問の自由という名前を悪用して、都合の悪いときにはその陰に引っ込んで、事実は何も努力もしない、こういうような先生方もずいぶんいる。だからまじめに真剣にやっていらっしゃる教授や助教授の先生方が大変腹を立てて、けしからぬというような声もお聞きをするわけです。
特に一生懸命やっていらっしゃる先生方にお話を聞きました。
教育と
研究というこの二つを
担当して両方やられるということは大変でしょう、
教育の方まで手が回るのですかとお聞きしましたら、そうじゃない、むしろ自分が
研究をし、自分が前進して、それに裏づけをされた講義というものをするところにまた喜びがあるし、また
学生も生き生きとして受けとめてくれる、自分に進歩がなく
研究がないと、敏感にそういうような反応があるんだ、こういうふうに言っておられる先生方もありましたし、また
大学というからには何よりもまず学問
研究が自由に、しかも着実に進展しなければ
教育の部面でも精彩あるものとはならないんだ、こういうふうにも言っておられる方がいるわけです。
ところが、それとうらはらに、いろいろ聞いてみますと、教授になると大変いい商売とは言わないのでしょうが、
仕事だという先生もいるらしいのですね。これは伝聞ですから本当かうそか知りませんが、教授というのは、一年三百六十五日のうち、大体六十日ぐらい
学校に出て教えて義務だけ果たしておけば、あと三百日はお休みと同じだ、こういうことを言っている先生もいるというふうに聞いております。さらには、ひどい人になりますと、ある
学校では一年のうち五日間だけ講義に出て、あとは休講で、そしておまけにお休みということで、一年を五日で暮らすいい男なんというような変な話もありまして、私たちはそういうことを聞きますと大変義憤に駆られるわけです。確かに
大学の自治というものはあると思いますけれ
ども、またまじめな先生がおられるだけに、またそういう先生方の中から、裏の話になると思いますが話がよく出てくるわけです。
これは大変な問題ではないだろうか。これは全部の先生とは申し上げませんし、
局長答弁にも、ごく一部のというようなお話がございましたから一部かもわかりませんけれ
ども、しかしこういう学会に所属してない、ないしは
研究論文も発表してない、こういう先生方が多いとしますとこれは大変なことである。しかし、こういう点についてもっと
文部省の方ではしかるべくこういう調査をなさって、何もこれは学問の自由それから
大学の自治に踏み込むというのではなくて、その結果ぐらいの発表は十年に一度ぐらいなさってもいいのじゃないか。そしてその判断は国民の皆さんに仰ぐという形で、真にそういう責任をとっていただく中に、本当の
大学の自治、学問の自由というものが外に向かっても言えるのではないだろうか、私はこういう気がしてならないわけであります。
ここに御
承知かどうかわかりませんが、「日本の学界」という本がたまたまございました。これは
文部省から資料を請求して出していただいた後にこの本が目にとまったわけでありますが、これは広島
大学の新堀先生が書かれておる本です。いろいろ新堀先生のことをお聞きしましたら、大変権威のある
研究をなさっておると伺っておるわけでございますが、その先生が書かれておるこの本の中に、いま申し上げたような調査を
教育学
関係の
担当の教師全員について、これはちょっと古い記録ではあるようですが、「一、九〇九名の
教育学
担当教師全員について、過去一〇年間に発表した学術論文を国会
図書館の「雑誌記事索引」(人文・社会編〈
教育・文化〉、累積索引版、一九六五〜六九、同一九七〇〜七四、紀伊国屋発行)」、こういうことになっておるわけでありますが、そういうことによって綿密に
一つ一つチェックをして調査をなさっているようです。その資料は幾らか欠落はあるとはここで書かれてありますけれ
ども、上記の資料に基づいて調査した限り、この十年間に
教育学部の先生で一編の論文も発表していない人が五〇・四%ある、こういうふうに
指摘をしております。
さらには、これは年によって、五年刻みで出しているわけですが、これは大変綿密な調査になっております。そしてその中で仮に十編以上、すなわち、少なくとも年平均一編の論文を書いている人を一貫して
教育研究を継続している人、こういうふうに
考えるならば、そういう人たちは教師全体のわずか六%にすぎない、こういうふうに新堀先生の本に書かれているわけです。
要するに、約二千名、千九百九名の中でたった百名ぐらいの先生が辛うじて毎年一編ずつの論文を出しておるにすぎない。出してない方は五〇・四%である、こういう結果を調べて出しておられるわけです。
さらには書物、いわゆる本を出版した先生方は、いまの
教育学部の先生の中でどれくらいいるか、こういうふうに調べてみましたら、約八割の者が一冊の本も出してない、こういう結果になるようであります。そして三冊以上の書物を出しているのは約六%の方だ、これが大体論文による活動をなさっている方と一致している、こういう推測をされているわけです。
さらに、学会の所属率というものを調べておられます。この結果を見ますと、これは講師も入っているんだと思いますけれ
ども、重複して所属している者もいるし、また会員名簿が入手できなかった専門学会もあるので断定的なことは言えないけれ
ども、少なくとも以上調べた学会のいずれかに所属していないと推定される者は全体の三八・三%に達している、こういうふうに言われております。
さらに論を進めて書いておられますが、「学会所属は必ずしも
研究者としての意識の指標にはならないし、所属していても
研究活動を行っていない人もあるが、ある程度の示唆は与えてくれるであろう。学会に所属している人と所属していない人との中で、過去一〇年間論文を発表せず、また著書もない無業績者の占める割合を調べてみると、所属者の場合には二四・八%」、これが活躍をしてないようだし、さらに無所属者の場合は六八・九%に達しておる。ということは、やはり学会に所属してない先生方は
研究活動をしてないという裏づけがどうも出てくるようであります。
これは国
公立、私立まで全部調べているようでありますけれ
ども、学会に所属してない方の率は、国
公立で言いますと一九・四%だ、それから私立ですと三四・五%だ、短大では六〇・五%だというふうな割合になっておる。これは
教育学部関係だけでありますが、そういうようなことです。
だから結論的に言えば、「過去一〇年間に一回も論文を発表していない人が全体の半分、いままで一冊も書物を著していない人が全体の八割、学会に所属していない人が全体の三分の一という、この
教育学教師の状態は他の学問分野と比べた場合、いったい異例であるかどうか。他の分野に関する調査がないので何もいえない。」こういうふうに締めくくっておられるのでありますけれ
ども、これはやはり
文部省でいただいた資料は大変漠然として、いま調査中、まとめ中というようでございますから、きちっとまとまった場合にはまた資料としていただければと思いますけれ
ども、こういう状況が学問的な分野でも、私知りませんでしたけれ
ども、今度は私も資料請求した後で、こういう
研究をなさっておられるということがわかりましたけれ
ども、現実にこういうことが出されているわけです。ちょっといやみを言わしていただくと、こういう
研究というのは
文部省で
御存じなかったのかというような、答弁の中に出てこなかったのが大変残念であります。
確かに
大学の自治、学問の自由ということが言われておりますけれ
ども、繰り返すようですが、やはりこの
担当される教師の先生方が責任を持って、自分のやるべきことをやり、なさることをなさって初めてそれが言えるのではないかと私は思います。そういう意味では、教授になられ、いろいろなことになってやる気のない方は、チェックする機能がないというようなことから、やはり
学生にとっても、また税金を納めておる国民の皆さんにとっても、日本の将来にとっても、私は大変不幸な出来事ではないか、こういうふうな気もいたすわけでありますけれ
ども、全部が全部そうでないにしても、こういう結果を踏まえながら、これ以上余り言いますと
文部省がすぐいろいろなところにタッチして立ち入り過ぎるということにもなるし、立法府が云々という意見も出てきますから、そこらあたりを踏まえながらやりたいのですが、そういう
大学の先生方は自覚をしていただきたい。まじめにやっていらっしゃる先生が大変腹を立てていらっしゃるというのもうなづけると思うのです。そういう意味で、
文部省もそれ以上介入してどうこうということではなくて、せめていま申し上げた新堀先生がやっていらっしゃるようなことを全教科にわたって
文部省でも調べて、十年に一度くらいは、いい悪いは別として発表だけはするくらいのことはなさってもいいのではなかろうかという気がするのでありますが、そういう点についてのお
考えをお伺いしたいと思います。