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阿部(昭)
委員 大臣、
農業委員会のメンバー、
委員というものは、ある
意味で言えば村代表なんですよ。そして、その村という
生産構造のいろいろな現場までのことを、人間的にも信頼され、完全に掌握されている者でなければ、本当の
意味で円滑な仕事というのはできない。したがって、いまの
委員の数を減らそう一これは実際は村代表として出ていって
地域の中にあるいろいろな問題を丁寧にやっていくということは、頭の中で、何とか理屈の上でやっていこうというのはできるでしょう、しかし、実際はそこに心が通っていなければ本当のことはできないというのが、この村の中のことなんです。たとえば、減反問題なんというのは大変な
政策で、この場合によその人が来てもまとまらぬのですわ。しかし、そこの村の中に根を生やしている人が、こういう大変むちゃな
政策と私は思っていますけれ
ども、この
政策の中でも、大変な苦労をしていろいろなことを片をつけておるのは、この村の中に根をおろしているという中で初めてやり遂げられておると私は見ておるのですね。そういう
意味で、量より質ですなどということでは片のつかぬものが
農村の
現状の中の
実態なんです。そうは言っても、さっき言ったとおりに、いま村の中だけで
農業だけで生活のできない
方々が圧倒的に多い。だからこそ、非常にいろいろな
関係が複雑化し、入り組んできておるわけですね。そういう中で今度新たにこういう事業を本当にやろうというのなら、もっとその衝に当たる
体制な
どもきちっとしたものを確立するというのでなければ事は進まぬだろうと私は思うのです。
時間の
関係で、後であわせて御答弁を願いたいと思いますが、いまの
農業と
農村の直面しておる問題は、私の認識では、いまから十五年前までならば、私の
郷里で言えば、三ヘクタールのたんぼをやっておる
農家は、世の中がどんなに変わろうと、みずからの経済なりみずからの立場なりみずからのいろいろなことに不安など持たなかったのです。しかしこの十数年間、
大臣の言葉で言えば、
農業は一生懸命やってきたんだが、ほかの方がもっとどんどん追い抜いていったから、それとの
関係で
農業はいま大変なんだということをきのう言われておりましたが、しかし、政治の側から言えば、それだけじゃ解決されない。その中で
日本の
食糧の、この
提案説明では、
食糧の安定供給のために
役割りを果たしてまいりましたと言っておりますけれ
ども、その
役割りは果たしていないわけですね。とにかく穀物の六十何%も輸入に依存して、
食糧の安定供給を果たしてまいりましたなんということにならない。この
状況から
考えると、私は
農村の中の問題は
農業の枠の中だけで解決はつかぬと思っております。その
意味では、出かせぎもしないで、兼業もしないで食えるような
農政をと私は主張したことがあります。しかし、いまは残念ながら
農業だけで、たとえば
大臣は施設
農業や何かうまくいっているとおっしゃいますけれ
ども、これをもっとどんどんでかくしていったらどうなります、みんなパンクするのですよ。需要と供給との
関係で、施設
農業をこれ以上でかくしていったら。いま畜産が困難な
状況に来ておるでしょう。私は何度も、米ばかりやっておったらいかぬから、今後は複合経営で畜産もやろうと言って大いに豚などを勧めた。だから、私の
地域で言えば、二市三郡で
農地法が実施された当時に五万頭足らずしか豚はいなかった、畜産を入れなければいかぬといって豚は二十五万頭になった。私はこの豚を大いに勧めた養豚
農家に対して、いま何をもって
皆さんに自信を持ってもらえるような道があるのかと頭を痛めておるのであります。
したがって、
大臣は、施設
農業などはうまくいっておるとおっしゃいますけれ
ども、これなんかだって、これ以上広げたらもう限界でしょう。そうすると、もう一遍振り返ってみて、
日本の需給全体から言えば、穀物を
中心にした
関係にもう一遍政治は力を入れなければいかぬ時期に来ておると思うのです。そういう角度から言うと、今度の三法のねらい方は、じりじりと
農業全体を本当にボリュームをつけていくという
政策ではなくて、
農業撤退作戦の
一つにつながるというおそれが多分にあると私には思われる節もあるのです。
たとえば、先ほど
中核農家という
議論がございましたけれ
ども、
中核農家というのは、六十歳にならない
農業専従者が百五十日ぐらい
農業に専念できるような
状況がということをさっき言われましたけれ
ども、そういう
農家をどんどんそろえていったら、いまの
農業の限られておる枠組みの中から言えば、どこか淘汰をし
整理をしなければならない
部分が出てこなければ、いま
日本の四百七十万
農家全部を中核
農業にするなんというわけにはいかないでしょう。そのことにはもっと
農政としては、全体的な組み立てと——守り立てられていく
部分はいいと思うのです。
整理され淘汰をされていく
部分に対して納得のできるように政治は責任を果たさなければ、いまの
日本の
農業と
農村の根底にある問題の解決はできないというふうに私は思っているのです。だから、
中核農家、
中核農家とおっしゃるのですが、
中核農家なんてそう簡単にできませんよ。
それから、同時に、もう
一つ言いたいことは、
農地と
農民の
関係から言うと、
生産手段として
農民は
農地を
考えるということよりも、特に都市近郊などの
農地がどんどん開発をされて、宅地化をされて、非常に高い値段で売られますね。遠隔の地にどんどん代替地を求めていきます。したがって
農地価格は、
農地以外に利用の方法がない
農地でありながら、地価はどんどん値上がっていっておるのです。こういう
状況に対して、政治は有効な羊だてをいままで講じてきたかと言えば、全然講じてきておりませんね。だから、私はそういう
意味でいまのあれを見ると、この全般的な流れに対して、私の言葉で言えば
農村社会は崩壊しつつあるが、この
状況に今度の
法律改正、今度のこの
提案はいかなる
役割りを果たそうとするのか。
現状は確かにぼつぼつ
請負耕作もあるし、私自身の指導してきた
農業生産法人でも、
委託とかいろいろなことがある。そのことを、まあまあいろいろあるんだから追認していこうということだろうと私は思うのですよ。思うのですが、こういうことよりも、いまの
農業と
農村の全体がじりじりと追い込められていく姿に対して、政治はもっと大胆な責任ある将来
展望というものを、それはことしの秋だかいつかに出すのですとおっしゃるんですが、秋に出るのならば、いまごろ出す
法律もそれとの関連でどういうふうな位置と
役割りにあるのかということをはっきりさせなければいかぬ。
農業委員会の問題もしかりだと思うのです。こういういろいろむずかしい仕事をどんどんそっちへ分担させていこうとしておりながら、そっちの方はぎゅっと圧縮していこうというようなことでは逆なんじゃないか。いま
農村はそんな
状況にはない。さっき言ったとおり、重要な仕事を
農村でみんな相談してやろうと思っても、人が集まらぬのです、みんなよそのことをやらなければいかぬから。そうでなければ暮らしが成り立たぬから。この
状況に対して、やはり私は逆じゃないかという気がしてならぬのです。
もう
一つ最後に、
農協はこの
関係にどういう
役割りを果たさせようとしておるのかということです。
以上だけお尋ねしておきます。