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瀬野委員 伊東
内閣官房長官も中国に抑留された人であると自分でおっしゃるように、抑留生活のいかなるものか、ソ連が厳しいことはいまも
答弁がありましたように十分承知のはずであります。阿波丸事件とは性格が違うというような
答弁でありますが、それも十分私は承知しておりますけれ
ども、法律もさることながら、人道的立場から言っても、皆さん方の本心は、これは何とかしてやらなければならぬ、本当に大変な問題である。日本の国民も一億一千五、六百万になって、戦後を知らない時代にどんどんなってきた。しかも明治、大正も日本人口の中の約二〇%、八〇%は
昭和生まれの方であるというようなことで、実際に時代が大きく移り変わりつつあります。
こういった中で、私は、ほっておけない問題として、後ほど公聴会あるいは参考人招致等でこういったものを十分
審議する時間をとるように
委員長に対してもお願いをするつもりですが、この
機会に、官房長官も、一国民として、また日本国がこういう平和になってきたこのときに、戦後を何とかして早く処理をして国民ひとしく法のもとに平等な処置をするということで、せっかく要職にある官房長官でありますので、十分今後やっていただきたい。また、あなたが籍がある限り、私も籍がある限り、こういった問題について見解をただしながら、国民の一員として、こういったシベリア抑留の皆さんを救うために最大の努力を払うことをかたくお誓いする立場でございますので、今後ともひとつ鋭意
検討、勉強し政府を叱咤激励し、そして戦後処理の対策を早急に講じられるようお願いをする次第であります。
官房長官、お仕事が忙しい時間を割いていただきましたので長官に対する質問は以上で終わりますので、退席されて結構であります。
時間が詰まってまいりましたが、
法制局長官にお伺いします。次の問題は、私はこの
機会に今後のことに対しても一度お尋ねしておかねばならぬ問題でありますので、あえてお伺いするわけです。
日本国憲法で軍備を廃止した
昭和二十二年五月二日までは、法律上もやはり
陸海軍の将兵であったということになると私は理解しております。このことは先ほ
ども若干触れました。すなわち新憲法が
昭和二十二年五月三日から施行されておりますので、それまでの間は、いわゆる明治憲法による、旧憲法による
陸海軍人としての立場は当然これは認められるべきものである、かように私は思うわけであります。ソ連のスターリンはわれわれを
軍人捕虜として扱ってきたわけでありまするし、また、日本政府も捕虜だと言っているところからしますれば、この期間のわれわれの勤務というものは、当然
軍人軍属として公務の延長に当たるべき期間ではなかろうかと思うのであります。それを、一般的な
意味において抑留加算とせられて
恩給上いろいろ処理されておりますけれ
ども、この点は
恩給局の方でいろいろ扱うわけでありますけれ
ども、
恩給と大変かかわり合いを持つ問題でありますので、お尋ねするわけです。
すなわち、抑留加算は
昭和二十二年五月三日以降とすべきである、かようにわれわれは考えておるために、こういった質問をするわけです。すなわち南方で一時、船を待つ間待機している場合の将兵と、ソ連に抑留された者のいわゆる抑留は、これはもう言語に絶する、質的に違うものであります。先般も申し上げましたように、死亡者が五万五千名、総犠牲率というものは八万人に及ぶ後遺症を含めて全体の約三〇%となっておりまして、死亡率にしても一〇%、かの日露戦争の戦死者四万六千名、その死亡率四・五%に比べて、シベリア抑留はその二倍を超えるもので、戦争に劣らぬ犠牲と厳しい重労働を強制されたものであるので、
恩給法上も、当然最高の上限三倍ないしは法
改正して四倍でも
支給すべきである、加算すべきである、かように私はかねがねから政府に要求をしているところであります。
そういった
意味で、先ほどの問題に返りますが、国内法上は軍籍にあったかなかったかという区別をさるべきものでありまして、政府としては国際法上は捕虜である、かように申されておるのでありますから、その抑留者に対しては命令によって行ったのであり、軍務の継続ではないか、私はかように先ほどから申し上げておるわけであります。でなければ、九月二日の米艦ミズリー艦上で降伏文書に調印した後、日本政府は軍籍から外す手続をとっておくべきではなかったか、とっていないということは、先ほどからくどく申し上げておりますように、二十二年五月二日までは明治憲法による、いわゆる軍隊としての位置づけがされておる、かように私は解釈できるんじゃないかと思うのですが、その点、
法制局長官の明快なる
答弁を求めます。