○久保(等)委員 実は私のいまお尋ねかたがた申し上げておることは私がたまたま思いついたということではなくて、その
国際電信電話株式会社法案が国会に提案をせられた昭和二十七年、実は当初の原案の中には、調べてみましたところが、私が申し上げるようなことは書かれておったのです。当初からだんだんその点が削除されてまいったようでして、ここに当時の、まだ国会に出される前のいわば日の目を見なかった法案の写しを実は持っておるのですが、これにはやはり「第一条この
法律は、公衆電気通信営業法」となっているのですが、まだ公衆電気通信法も実は正式には制定せられておらなかった当時なものですから「公衆電気通信営業法第三条の国際電気通信業務を行うため国際電気通信
株式会社を設立し、合理的且つ能率的に業務を運営することによってあまねく国際電気通信に対する需要を充足し、もって公共の福祉を増進することを目的とする。」こういう草案というべきようなものがあったのです。しかし現行の
法律の上にはあらわれてまいらなかったわけでありますが、もちろん、先ほ
ども申し上げたように、公衆電気通信法との関連において総合的に見れば、当然公共の福祉といったような問題も公衆電気通信法の中に明定せられておりますから理解はできるわけです。
といって、いま申し上げておりますように、
国際電信電話株式会社法、ここの第一条の「目的」のところには、そういったことを抜いて、国際公衆電気通信
事業を行うのだといったようなきわめて簡単な条文になっているのですが、いま監理官の御
説明だと、他のこういった
会社等の場合の例についてお話があったのですが、私が特に指摘したいのは、国内と国外との電気通信
事業というものの一元的な
事業の実態というものを
考えたときに、そのものとのバランスにおいて、形は
会社であり公社ではあっても、実態というものはこれはもうもちろん変わらないわけですし、そういう関連性において、やはり
法律としてもある程度そういった面のバランスといいますか両方の
法律のバランスという面を
考える必要があるのじゃないか。そうだとすれば、余りにもあっさりし過ぎているのじゃないか。
国際電信電話株式会社法の第一条の「目的」というものは余りにも簡単過ぎて、むしろ重要な本質的な問題が実は何ら表現されておらない。したがって私は、そういったことについて、もちろん日本電信電話公社と同じであれと言っておるわけでありませんし、もちろん
経営形態が違うのですからそこのところは変わってもいいのだけれ
ども、しかし公共性という点の何らかのやはりきちっとした規定というものもあって——むしろ
国際電信電話株式会社法の性格が公共性が非常に高い、しかも、いま申し上げたように国内電信電話との関連においてきわめて不可分の
関係にある。今日のように非常に技術が発達をすればするほど、国際と国内というのはまさに、運営の点においても、制定せられた当時とは違った、緊密度というものは非常に高くなってきたと思うのですね。ダイヤル
一つ回せば世界各国主要な都市には即刻通話ができるという状況は、二十七年前と比較をすればまさに隔世の感があると思うのですね。それほど非常に、地球そのものに張りめぐらされた通信網というものは、とにかく国内外を問わず一瞬のうちに
連絡がつく、また話もできる、情報交換もできる。こういう時代になっておればおるほど、私は、やはり
企業形態としての国際電電そしてまた日本電信電話の公社、こういったようなものが
経営形態を異にして分離せられておること自体は、きわめてこれはむしろ不自然だと思います。自然のあるべき姿から見ても、余りにも人工的な、作為的な
経営形態になっておるのじゃないかということを私は痛感をするわけです。ここで直ちに
株式会社を公社と同じものにしろ、また一元化しろという議論をしようとは思っておりませんけれ
ども、しかし、もう少し本質的なものを
考えてみたときには、いま私の申し上げる本質的な性格というものは、むしろ昔にまさるとも劣らない、非常な有機的な
一体的な姿にあると思うのです。そういう点で、大事な「目的」の条章でありますから、いま申し上げたようなことを少なくとも明確にすることがむしろ適当ではないかというふうに
考えるわけです。したがって、先ほど日本航空の例を
説明に出されましたが、これまた性格において日航の
事業と電信電話
事業、そしてまた国内、国外の電信電話
事業との
関係を
考えたときには、これは
一つの例として持ってくるのには余り私は適当でないと思うのです。
したがって、もう一遍お尋ねしますが、私が申し上げておるようなことをこの「目的」の第一条に明記をしたからといって、余り法制定の上からいって好ましい姿ではないというふうにまでは断定をせられないと思うのですが、どうですか。