○高寄
参考人 御
紹介いただきました関西学院の高寄でございます。
交付税制度の
改正とそのあり方について私見を申し上げます。
地方財政が五十
年度の景気の後退によりまして非常に税収の減退の結果、
財政運営がピンチに立ったわけであります。そのときに、やはり
地方財政そのもので固有の
財源を見出すとか経営の
効率化によって
財源を
圧縮するということは、現実的には不可能でございます。非常に大きな額になったわけで、その際、
地方交付税の
特例措置がありまして
地方団体というものが、いわゆる三十年当時の
財政破綻と同じような状態に陥ることがなかったということは非常に幸福であったと思うわけです。しかし、このような
地方交付税の
特例措置というものが果たして
地方交付税法六条の三の二項の
制度の
改正に該当するかどうかということは、私はきわめて疑問に思っているわけであります。実質的な効果におきましては、これは
交付税率の
引き上げに十分匹敵するだけの
財源を国の
財政から
地方財政全体としてはとってきたと思います。しかし、このとってきたという現実の問題は、
制度の
改正に該当するかどうかという
地方財政のルール化とか秩序化の問題から見ますと、全く別問題とも言えるわけです。
一応権力
解釈では、第六条の三の二項の「著しく異なる」という
財源不足は、一割ということが通説になっております。御存じのように、このたびの五十年来からの一兆円とか四兆円とかに及ぶ
交付税の
特例措置は、一割をはるかに超えるものでありまして、これは「著しく異なる」という
財源の
不足額としては、
制度の
改正か
交付税率の
引き上げに十分該当する金額だと思います。
それから、やはり六条の三の第二項の「引き続き」というのは、一応権力
解釈では二カ年ということになっております。私、一昨年この
委員会に来まして
参考人で言ったときには、やはり
地方の
財政状況とか景気の
状況、国の
状況を考えまして、万やむを得ない
措置であると一応その
特例措置を是認したわけでございますけれども、五十年から引き続きましてことしですでに六年目に入っているわけでございまして、こういうことをいつまでするのかということです。いわゆる当分の間というのは三十年でも当分の間と言われておりますけれども、やはり現時点において一度見直すべきではなかろうかと思いまして、このような状態は、やはり条文
解釈による「引き続き」というのに十分該当するのではないかと思うわけでございます。
一番問題になりますのは、このような
特例措置というものが
制度の
改正に該当するかどうかということであります。もちろんこれは
解釈の問題でありまして、該当するという
解釈と該当しないというこの二つの
解釈があると思います。こういう
解釈論というのは一応、水かけ論に終わる
可能性がありますけれども、しかし
地方交付税の精神に返りますれば、やはり該当しないのではなかろうかと思われます。
と申しますのは、
地方交付税というのは、以前の平衡
交付金というものが毎年国と
地方が相争うというようなこと、それから
地方としては共通の独立
財源としての性格が非常に薄いということで、シャウプ勧告に基づいてつくられました平衡
交付金というのを
改正してでき上がったわけであります。ところが、
実態を見ておりますと、景気の変動とか税収の変動に対応して毎年
特例措置の金額が大幅に変わるということで、これでは
交付税ではなしに平衡
交付金の性格とほぼ一緒ではないかということです。そういうことですから、平衡
交付金の
制度上はこのように毎年変わるというのが原則でありますけれども、
交付税制度というものを全体を見て
解釈する場合には、このように毎年変わるということは恐らく、
制度の
改正という趣旨を引き出すのは非常にしんどいのではないかと思うわけです。
それとあと
一つ、もっと基本的な問題としまして、
交付税というのは、国の
財政事情のいかんにかかわらず
地方が共通して持っている独立
財源であります。そういうことから見ましても、国の
財政事情に連動して変動するというのは、
地方財政の運営上きわめて不安定をもたらすということでございます。この場合、何%上げるとか、そうしたらどのような
制度をかわりにつくるかということは非常にむずかしいと思いますけれども、これは国と
地方の話し合いによって、
先ほど言いました四〇%なら四〇%という率をできるだけ決めていただく。そういう場合私は少々不利でも、その方がきわめて安定性とか、それぞれの
地方団体の運営において実質的な効果としては非常に大きいのではないかと思います。
その場合、
交付税が余ったり減ったりするような場合、現在、
交付税会計への繰り入れ、繰り出しで調整しておりますが、日本の
財政全般としてこういう
年度間調整というのは、
昭和二十八年の
地方制度調査会で一応答申されたわけでありますけれども、原則的にはそのようなものは非常にむずかしいということで、
交付税における
年度間調整の基金をプールするということは行われていないようですけれども、一応
年度間調整のための
交付税のプールの
制度というのもつくっていって一応の
引き上げに落ちつくということが、
交付税の
解釈からいって非常にふさわしいと私は思います。
それから、現在の
制度についてはどのように考えるかということでございますけれども、これは国と
地方のいわゆる
財源争いでございまして、
財源的にそれほど不利な状態でこの
制度が落ちついているとは私は思いません。むしろある意味においては、
地方団体側にかなり有利な形で
財源措置がとられているようにも
解釈できるわけです。それは、臨時特例
交付金というのは国から十分、そのままの形で
財源移譲を受けているわけでございます。それから
交付税特別会計のうち、半分は
地方財政が
負担しますけれども、あと半分は国庫が将来にわたって繰り入れるということです。それから、あと残りました分は
建設地方債で発行するということで、この分につきましても逐次、
交付税の
基準財政需要額に算入していくということですから結局、建設債の半分は
交付税で将来見てもらえる。それから、あと
交付税措置のうち四分の一だけが、
国家財政の関係上
地方財政が持つ、値切られたというような感じでございますが、全体として四分の三は
交付税で見てもらったということになりまして、
国家財政の立場を考えると、四分の一は
地方財政としては
負担せざるを得ないということも考えられるわけでございます。
問題は、
建設地方債でやりました
交付税と見合うだけの二分の一の
不足額が将来
財政需要として算入されるということです。
地方財政の
基準財政需要額そのものが現実的にその分だけ将来、プラスアルファとなって確実に上積みされるかどうかというのはきわめて不確定要素が多いということでございます。それから、このように
建設地方債を認めるということは、建設
事業をしない
地方団体にとってはほとんど意味がないということと、ことに、公共投資の
実態が港湾とか道路からいわゆる箱物行政に変わってきているわけでありますから、建設公債そのものが将来、建設費は
償還できても維持費がほとんど
交付税に入らないということですから、このような
措置を毎年繰り返すということは、
地方財政が建設後の維持費にいたずらに苦しむというような潜在的な要因をつくるわけでございまして、そういう意味から言いましても、建設公債であと見るというようなことだけでは済まない
地方財政のゆがみをもたらすのではないかということでございます。
さらに、建設公債の
基準財政需要額の算入のテンポと起債の
償還のテンポの食い違い、算入のテンポの方が早いということでございます。そういうことは一見
地方団体にとっては
財政が裕福になったという錯覚をもたらすということです。このような国の
財政との非常に技術的な妥協を重ねていくことは、トータルにおいて確かに
地方財政の
不足を埋めるものでありますけれども、それの間接的な影響、効果を考えると、やはり再検討すべき
実態ではないかと思います。
翻って、
交付税制度全般を見ておりますと、
交付税の大きな機能の
一つとして
財源保障機能があるわけでございますけれども、この
財源保障機能は、四十一
年度以降
交付税率の
引き上げがストップしておりますので、結局、
財源保障機能の低下は否定できないと私は思います。
それから、あと
一つの大きな機能は
財源調整機能でございますけれども、この
財源調整機能というのは、
地方団体の中にも富裕
団体があり、かつ、貧困
団体があるという状態のもとで調整機能が行われるわけでございますけれども、現在のように府県では東京都
一つ、
市町村ではわずか五十六ということですから、
交付税でもって
財源調整をするということは実際に不可能なような状態でございまして、少なくとも三分の一以上の
地方団体が不
交付団体でなければ、
財源調整機能は発揮できないのではないかと私は思います。
さらに、もっと重要なことは、
交付税の基準
財政需要が非常に低く抑えられている結果、たとえば
財政力指数が一・〇一とか一・一とかいうような非常にすれすれの人口急増市にありましては、ほとんど
交付税の恩典をこうむらない、どちらかといいますと
交付税制度があるゆえに人口の変動のない
地域よりむしろ
財政が苦しいというような、調整機能の逆調整が行われているのではないか。このような点は、東京都についても同じようなことが言えるのではないかと思います。これは
地方財政全般が
昭和三十年代、郡部の自治体を救済するということにおいて基本的に立てられているものでありますけれども、五十年代の
地方財政の
実態を見ておりますと、府県ベースでも、人口の集中したところにおいてむしろ
財政悪化が著しいということですから、
交付税のみでなく全般的に組み直す必要があるということでございます。
交付税につきましてあと
一つ重要な問題は、
補助金と比べてその配付の基準についての議論がきわめて少ないということでございます。
交付税というのは、
総額が決まりまして、Aの市が得をすればBの市が損をするということでありますから、挙げて中央
政府にその配分の基準を任せているということでありますけれども、これから
地方交付税が
地方財政の中においてきわめて重要な地位を占めることを考えた場合、
交付税が
補助金化しつつあるような状態では、
交付税の配付基準、いわゆる行政項目とか単位費用とかそのようなところについて、改めて議論をする必要があるのではないかと思います。
その
一つの具体例と申しますれば、最近文化とかスポーツとかの行政がきわめて盛んでありますけれども、
交付税においての算入率は依然としてきわめて少ない。それから、港湾とか道路におきましてはきわめて算入率がいいですけれども、清掃とか公園行政においてはきわめて算入率というものは少ない。こういうことは、国家
経済全般が開発型から生活型になっても、依然として
交付税だけがそのような開発志向性を持っているということ。これはしかし、A市にとってはあくまでいい
制度であってもB市にはいけない
制度であるというような状態ですけれども、可能な限り
地方交付税も、全般的な社会の
ニーズに合致するように
改正されるべきものではないかと思います。
交付税そのものが国の専属の
財源ではなしにむしろ
地方の共有
財源であると考えますれば、やはり
地方六
団体と中央
政府とによって
交付税のあり方を改めて再検討する
委員会というようなものが必要ではないかと思います。
地方財政全般につきましては、その他
意見もありますけれども、現在、
地方財政というものが
交付税で息をつないでいるということです。新しい
財源というもの、
税源というものをなかなか見出せないような
状況である。一方、減量経営というものが非常に叫ばれているわけであります。もちろん、
地方財政というものが市民とか国の批判にこたえるだけの十分な
財政運営をしていないと私は思います。そういうことですから、思い切って民間の経営方式を導入して、民間委託とか
住民委託とか人件費の
効率化をもたらすということは必要であります。しかし、減量経営そのもので
地方財政が好転するとは私は思わない。やはり国と
地方とを含めた抜本的な
改正が必要である。
それは具体的にはどういうことか。基本的な視点としては、従来は国と
地方の
財源の奪い合いということに非常に力点を置いておりましたけれども、むしろ
地方団体のサービスに伴う費用
負担ということの視点から洗い直すべきであると私は思います。そういう場合に、具体例を
一つ、二つ、非常に奇抜かどうかわかりませんけれども言いますと、
市町村道路
財源がわずか三割を切っているのに、国道とか府県道の整備がほぼ八割とか九割に達しているのは、きわめて不公平ではないかということ。それから、三十万以上の市に
事業所税というのがありますけれども、あれは収益の上がる企業に課税しているというのではなしに、そういう都心に立地しておることによってもたらされるサービスに対しての応益
負担であります。そういうことですから、国とか府県とか非営利法人も含めて
負担すべきだと私は思うわけであります。そのようにむしろ、国と
地方というような視点もありますけれども、そういうサービスの費用
負担をどうするか、これはもちろん、保育所とか地下鉄とかそういう料金問題も含めますけれども、そういうサービスの費用
負担ということからいかに効率的な
財政の執行方法があるかということ、そういう面に至らなければいかないと思います。
それから、現在の
地方財政というものをいかに効率的に運用するかとかそういうことについては、中央統制というのに非常に傾斜しているということです。むしろ市民統制とか自己統制というウエートが非常に薄いということです。もちろん中央統制は必要であると思いますけれども、私は中央統制というのはあくまで基本的、骨幹的な統制であって、
一つ一つの統制とか非常にきめ細かな統制はできないと思います。それは今日、
地方団体の
支出に対し
住民の監査請求が非常に大きな件数で上がっているということです。そのように
地方財政のコントロールを市民の側で監視するというような視点から、財務の公開制とか
住民投票制というのを導入しない限り、国と
地方の
財源の奪い合いでは
地方財政は私は回復しないと思う。金の問題ではないという点、これは非常に逆説的な表現ですけれども、むしろ国と
地方のルール化とか、市民との兼ね合いの費用
負担の問題とか、それから全体としての監視機構、民主的で科学的な監視機構の問題と思います。
一応こういうことで終わります。