○正森委員 それでは、私の方から申し上げますが、そのときに対策としてとりましたのは、
国債を担保にする貸し付けについて金利を大幅に下げると同時に、これまでは一行について二百万とか三百万とかいう制限つきであったのを無制限にするということをやったわけですね。そうすると、市中銀行としては非常に低利で事実上日銀の通貨供給を受けることができるということで、何も
国債を売却しないでも資金に不足をしないようになったわけですね。そういう
措置を
昭和七年にとることによって、一方では、
国債の評価というものについて底上げをしながら、他方、
国債を売りに出さなくてもいいような
措置をとって、そのことによって売りが少ないんだから価格は下落しないという
方法をとったわけであります。
ところが、
昭和十二年に至って七月七日に、私
どもは当時小学生でございましたが、中国に対する本格的な盧溝橋事件が始まりました。それを受けて、次に
昭和十二年の七月十五日にはどういうことが行われたかといえば、さらに、低かった
国債担保の貸付利率を三・二九%まで商業手形割引と同一水準にまで下げたわけですね。そうしますと、この
国債は三分五厘なんです。売り出しが百円で九十八円ですから、利回りは三分六厘五毛、つまり日歩一銭なんですね。日歩一銭の収益のある
国債を担保にするのに九厘の利息で借りられるということになれば、一厘さやが出て、日銀から金を借りただけで何もしないでももうかるというようになったわけであります。
そこで、そういうことになりましたから、もはや
国債を売りに出す必要はない、売るよりも日銀に引き取ってもらって金を借りた方がはるかに有利でありますから、そのことによって
国債は売りに出されることがなくなり、値段の下落はとまってしまうわけであります。ですから、当時は日銀引き受けでそれをいまとは逆に売りオペをやったわけですが、完全に消化はできた。消化はできたけれ
ども、一たん消化した銀行は、それを担保に安い金利で日銀からどんどん金を借り出すということになったから非常なインフレーションになったわけであります。これは歴史の教えるところなのです。それ以外にも、いまと同じように
国債について税金を非常に優遇するとかいろいろなことをたくさんやっておりますが、それは省略しますが、一番大きいのはそれなのです。
そこで私が申し上げたいのは、当時の
昭和七年から
昭和十二年という異常な
事態の中で、ついに
昭和十二年に蘆溝橋事件が勃発した直後は、
財政当局はそういうようにやって莫大な戦費を賄うということをやったわけですね。いまわが国の状況は、ちょうど
昭和七年の
国債の評価の変更ということを行ったときに匹敵し、そして
昭和十二年に向かって進むのか、それともここで方向変換をするのかという、つまり
日本の歴史で言えば
昭和七年から十二年までの中間期に当たっているというのが私の評価であります。
ですから、
竹下大蔵大臣にぜひ
考えていただかなければならないのは、あなたに決して濃口雄幸や犬養毅のような覚悟をしていただきたいとか、そういう運命が待っておるとかいうようなことはよも申しません。非常に御運の強いようなお方とお見受けいたしますから、そういうようなことはよもないというように安心した上で
質問をするわけですが、まさにそういう困難な時期の
大蔵大臣である、非常に御苦労さまでございますというように私も
考えておるわけです。そして
大臣がほかの委員の
質問に対して、ずばり言えば粉飾決算、言葉は悪いがそういうようなもので、根本はやはり
国債を減らすよりしようがないということを仰せられたことを私は聞いておったのです。それはまさにずばり回答なのです。しかし、政府がお出しになりました
財政収支試算をもとに私
どもでいろいろ
計算しましたものを見ましても、政府が最も
考えられる最善の
状態で
特例公債を五十九年で打ち切り、そして
建設公債は、まあ
計算の仕方にもよりますが、年一〇%ずつ伸びていくというようなことで、そしてできる限り返済するということをやりましても、なかなか
国債の
発行というのは減らないのですね。減らないどころか、
昭和六十九年までには
国債の償還額は、わが党の工藤議員などが御
指摘いたしましたように、これから約十五年の間に二百二十兆円に達するであろう、こういうように言われているのです。そうしますと、要は
国債をふやさないことだ、こう言ってみても、政府が最善を尽くして
特例公債はあと数年でなくしても、やはり十五年やそこらは
公債とおつき合いをしなければならないということになりますと、私が心配いたしますのは、
大臣でも銀行局長でも
お答えをいただけたらいいと思いますが、原価法と低価法ということで当面企業のバランスシートにマイナスが出ないようにする、そのことによって評価損を出さないでいいようにするということは、当面ばんそうこうを張ったというような治療
方法である。そして根本的に病気を根治するには、残念ながら十五年やそこらは大量の
公債とおつき合いしなければならないということになれば、やはりもっといろいろ
考えていかなければならない問題が起こってくるのじゃないか。その起こってくる
一つが、
昭和七年から十二年までのわが国の政府は、非常に安い金利で日銀が
国債を担保にしてお金を貸すということをやったのですね。だから、そうならないようにするためにはどうしたらいいか、あるいはそれに近い
方法を
考えておられるのかどうかということが、われわれ
国民にとっても、その代表である
国会議員にとっても、過去の歴史にかんがみて非常に心配になってくるわけなのですね。この問題について副総裁、
大蔵大臣、そして必要があれば事務当局としての銀行局長なり理財局長から御意見を承りたいと思います。