○堀
委員 本日は、
所得税法の問題に少し限って大蔵大臣、郵政大臣にお尋ねをいたしたいと思います。
まず、きょうこの
質問をするに当たって、私はかつて当
委員会で
総合課税の問題についてあるいは架空名義
預金の問題について税の公正を守るためにずいぶんと論議をしてまいりましたけれ
ども、それらが今回の
法律改正の中でようやく近代的な
所得税制というものに一歩を踏み出すことができるようになったということは、私は過去の
経緯を振り返ってみまして、全く感慨無量のものがあると申し上げても言い過ぎではないと思います。まさに
日本の
所得税は、今回のこの
所得税法の
改正によって新しい総合累進
課税というものに大きく前進をすることができた、私はこう考えておるわけでありまして、この法案そのものが持っております内容については、私は高く評価をいたしたいと思います。
そこで、実はきょうは最初に、ここまで
所得税がなってまいりました時点で、一体、税というものの基本はいかにあるべきかという問題について、もう一回原点に返って少しお尋ねをしてみたい、こう考えるわけでございます。
私
どもがいま
日本の税制としてやっておりますものは、戦争に敗れて、
アメリカの占領下において実は新たな税の
制度が
日本に持ち込まれてきたのでありまして、その限りでは、戦前と戦後では税の基本的なあり方あるいは税に対する国民の対応の仕方というのは当然変わってしかるべきでありますけれ
ども、いろいろとこれから申し上げますが、実はそういうふうな意識の変化ということがまだ十分にこの
制度に伴っていないという感じがいたします。それは国民の側にもありますけれ
ども、政府の側にも多くの問題がある、私はこういうふうに感じておるわけであります。
そこで、私
どもの税制のもととなっております
アメリカの税制を調べてみますと、実は今度
アメリカの税制に一歩近づいてまいったわけでありますけれ
ども、私は現在の世界の
税法を調べてみる中で、やはり一番民主的な税制は
アメリカの税制だという感じがいたすのであります。
アメリカの税制については、私は二つの基本的な問題があると思います。
一つは、全体にわたって
総合課税主義が徹底をしておる。ですから、そのことは
所得の問題についてきわめて公正な
課税が行われておるということだと思います。
二つ目は、申告納税
制度という問題だと思うのであります。この申告納税
制度と
日本語に訳されておるのでありますけれ
ども、実は
アメリカではこれはセルフアセスメントということになっているのであります。この間から大蔵大臣がいろいろと当
委員会の
審議の中で、
日本語の語源について御研究になっておりますので、私もきょうは少し
日本語の語源も研究をして、
アメリカの税の
仕組みと
日本の税の
仕組みは形式はきわめて共通しておるけれ
ども、どうも第一それを表現する言葉の中から
アメリカと
日本では相当違いがあるということを
一つ感じておりますので、まずその問題からちょっと申し上げたいと思うのであります。
アセスメントというのを辞書で引いてみますと、
課税のために査定する、評価する、
課税する、割り当てるというのが税に
関係する主たる言葉の
意味のようであります。そこで、セルフアセスメントということは、自分で
課税のために査定する、自分で自分の財産を評価する、自分で
課税をする、割り当てると、こういう
考え方だと思います。ところが、これが
日本語では申告納税
制度と、こういう言葉になっております。この「申告」というのを辞書で調べますと、官庁などに申し出ること、こうなっておりますね。かつて軍隊では、申告というのは上官に対して部下が名前を呼び立てて、それが申告というような
制度があったことは年齢の高い方は御承知だと思いますが、これは何も軍隊だけではなくて、かつては恐らく税務署長に対しても税務職員は申告などということをやっていたのであろうと思います。この言葉の持っておる
意味は、やはり下から上へ物を申す、申し上げるといのがどうも申告という言葉の基本的な内容なようであります。
そこで、この申告納税
制度、これは税額を納税者からの申告に基づいて決定する
制度というふうに辞書にはあるのでありますけれ
ども、この
日本の税の問題で私がいまどうしてもこういうことに触れておりますのは、税は上から、お上からいやおうなしに召し上げられるものだという感覚がどうもまだ
日本の場合にはぬぐい去られていないのではないだろうか。これをちょっといまの言葉に関連して申し上げますと、たとえば、税の場合には徴収するとか収納するとかという言葉がしばしば税の
関係のところには出ます。この「徴」という字は、新漢和辞典で調べたのです、これは竹下大蔵大臣流でありますけれ
ども。官用で召す、呼び出す、呼び出し、お召し、求める、取り立てるというような内容のようであります。
そもそもこの「徴」というのは「微」というのの変形のようでありまして、要するに、かすかに地面から芽が出てくる、こういうことで目について上に取り立てられるということがどうも内容のようであります。
今度は収納の「収」というのは、おさめる、召し上げる、取り立てる、捕らえる、召し捕る。これは罪人をむち打って厳しく問いただす、転じて罪人を捕らえる意となり、さらに物を取り入れる意となる、こうなるのですね。ですから、「収」というのもやはり取り立てる方なんですね。「納」はおさめる、取る、徴収する、献ずる、差し上げる。ですから、いま税で使っておる言葉は、言葉の語源からしてどうもいずれも召し上げるというか、取り立てるという言葉が全部使われておる。
じゃ
アメリカはどうだろうか、こう考えてみますと、
アメリカは一七七三年にボストンのティーパーティー事件というのをもとにして実は
アメリカの独立というものの口火が切られたことはもう御承知のとおりであります。本国イギリス議会が印紙条令を一七六五年に定めて、植民地の
アメリカからは議員を出すことを認めていないのに、税金だけは勝手に決めて
アメリカ住民に押しつけるということに対する激しい不満がもととなって実は
アメリカは独立戦争に入ったということでありますから、
アメリカの歴史は、まさにそういう
意味では、税に関連をして、イギリスが上から押しつけてくる税金をそのままは認められませんよという、これが
アメリカの建国のスタートでありますね。
そこで、これまでも
委員の皆さんの中でよくタックスペイヤーという言葉が盛んに使われておりますけれ
ども、このタックスペイヤーというのは、税金を払う人という
意味でございますね。
日本の場合には税金を納める、こうなっているわけです。さっき私が申しました「納」というのは、納めるという言葉は下から上に納める、こういう
性格を言葉自身が持っておる。そこでタックスペイヤーという言葉を
日本語に当てはめて適当な字があるかというと、どうもないものだからやむを得ずいまのような言葉が使われているのだと思うのでありますけれ
ども、タックスペイヤー、払うということはやはり
アメリカの民主主義をベースにしてできておりますから、対等の立場でみずから自分の税金を決めて、要するに横向けに払う、対等の形で払う。払うということは、言うなれば払う人の自主性、主体性に基づいて金が支払われるわけでありますから、その
関係というのは対等である、こうなるんじゃないか。
ですから、私はきょう最初の段階でいろいろ申し上げておりますのは、イギリスの場合でもそうでありますけれ
ども、このパーラメントの歴史というのはやはり税に
関係があるということでありまして、税というものと議会というものと民主主義というものはきわめて密接な
関係のある問題である、こういうふうに私はいま認識をいたしているのであります。
そこで、そういうふうな問題の後で、たとえばバージニア宣言、実はこれが一番早く出た
一つの税に関する問題提起でありますけれ
ども、「ヴァジニアの権利章典」これは一七七六年、たしかジェファーソンが中心になって書いたと思うのでありますが、その六番目に「議会において人民の代表として奉仕すべき人々の選挙は自由でなければならない。社会に対し、恒久的な共通の利害をもち、また愛着を有することを示すに足る、じゅうぶんなる証拠を有するすべての人は、選挙権を有する。かれら自身の同意、またはかくして選出されたかれらの代表の同意なしには、公共の用途のために、
課税し、またはその財産を剥奪することはできない。」これは、私は今日私
たちが民主主義という問題を考え、税というものを考える場合の形をなした最も最初の宣言だ、こんなふうに考えているのであります。
これを受けてフランスの「人および市民の権利宣言」というのが一七八九年に行われております。そうしてその十四条で「すべての市民は、自身でまたはその代表者により公の租税の必要性を確認し、これを自由に承諾し、その使途を追及し、かつその数額・基礎・徴収および存続期間を規定する権利を有する。」こういうふうにこのフランスの人権宣言と言われるものが述べているのは、実はまさにこの「ヴァジニアの権利章典」を受けたものだ、私はこう考えるわけであります。さらにその十三条では「武力を維持するため、および行政の諸
費用のため、共同の租税は、不可欠である。それはすべての市民のあいだでその能力に応じて平等に配分されなければならない。」公正の論理がここに述べられております。この「武力を維持するため」というのは、これはちょっと問題があるので、もう一遍十二条を読んでみますと、「人および市民の権利の保障は、一の武力を必要とする。したがってこの武力は、すべての者の利益のため設けられるもので、それが委託される人々の特定の利益のため設けられるものではない。」要するに「人および市民の権利の保障」を言っておるので、この武力という表現は、ある
意味では警察力のようなものと理解をすべきだろうと思うのであります。
こういうふうに西欧では、民主主義の問題とそれから議会の問題と税の問題がきちっと不可分になっておる。それでは
日本ではそうなっておるかというと、その一番顕著な例が昨年の一般消費税の問題だったと私は思うのであります。要するに、国民が納得をして納税をするというのがいまの民主主義税制の基本でありますから、納得もしないものを政府が一方的に決めて上から押しつける、これに対して国民があのような態度を示したのは、
日本の民主主義が少なくとも税の問題については
それなりに
かなりはっきりした意向を示した、私はこう考えるわけであります。
以上の問題について、竹下大蔵大臣の御感想をひとつ
伺いたいと思います。