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田口委員 私はここで
調査対象を会社都合の
性格がどうだ、定年退職と勧奨退職どうなんだということまで突っ込んでやろうとは思わないのですが、いままで
吉田さんおっしゃった、そういう
言い方は附強牽引の説というのだろうと思うのです。私は、いずれ
国家公務員も
地方公務員も定年は設けなければならぬだろう。時期は別ですよ。退手法の中で六十年と言っているのですが、定年の是非は別としていずれは設けなければならぬだろう。そうすると、仮に六十歳としますね。そうすれば、肩をたたこうがたたかれまいが六十になったらやめていかなければならぬ。そうでしょう。六十にするか五十九にするか六十一にするかは
労働組合といわゆる
団体交渉でいろいろ
話し合いをするということもあるでしょうけれ
ども、一たん決まった定年年齢に達すればもういやおうなしに、しかも
退職金は幾らということでやめていかなければならない。ところが現実は、よしあしは別として一部の職種を除いて
国家公務員は定年はない。ないということは、やめさすためには摩擦が生じるわけですね。そこで、永年勤続だとか勧奨に応じたとか、それから職制の加配というふうな
言葉を使ってやめてもらわなければならぬ。そのために四条とか五条とかという適用を設けて割り増しをやっておる。そのもらった割り増しの
退職金と
民間の定年と、即座にそういう
言い方をすると誤解も生まれますけれ
ども、とにかくそういったプロセスを経て
民間の定年が決まっていく、その
退職金と比較をするということは無理がある。こっちは摩擦を少なくするために会社都合でやめてもらわなければならぬ、摩擦を少なくするためには割り増しをつけるんだ、この割り増しの会社都合とこっちの勧奨と比較をしてそこでなおかつ
公務員の方が高いんだというならばある程度見直さなければならぬ、こう私は思うのです。しかし、その辺のところがはっきりしていない。
昭和五十二年十一月に
賃金制度研究会という、これは
労働大臣の私的諮問機関か何かじゃないかと思うのですが、その報告を見ましても、関西
経営者協会の
調査によると、規模五百人以上の場合、会社都合退職のモデル
退職金支給率は
昭和四十二年が六七・九六であったけれ
ども、五十年には五一・五五に減っておりますが、一般定年退職の率を上げておるというふうに言っておるのです。ですから、この
調査対象についてもちょっと粗雑の感がある。したがって、はっきり言いますけれ
ども、行政改革であるとか公費天国であるとか、言うならば、いま
公務員の
諸君についてピンもキリも含めて攻撃が強まっておる。何でもかんでも
公務員の悪口を言えばいいというふうに大合唱を皆さんが起こしているわけです。その大合唱の中で問答無用的にこういった
公務員の
権利をばさっと切り捨てようとしておるじゃないですか。したがって、去年の閣議決定を見ましても、
人事院勧告を決める際にもうすでに
退職金まで減らそうじゃないかと言っておる。初めに閣議決定ありきという
言い方もあるのですけれ
ども、初めに減らすことを決めておいて後から何でもかんでもいいからつじつまを合わそう、
公務員の方が高いと印象づけよう、そういう世論操作、大合唱の中で、
公務員の
労働組合の
諸君が文句を言うとびしゃんとたたく、そういう空気の中で皆さんの方が、
公務員の二十年、三十年、四十年と孜々営々まじめに働いておる
諸君の
退職金までこの際一挙に
話し合いもせずに削ろうとする。ここのところはけしからぬと私は思うのです。私はこれは別の場所で言いますけれ
ども、そういうことが
退職金の
性格、一方では
権利性を一般的に帯びてきているのにかかわらず、
公務員であるからといって
法定主義だ、何だかんだと言ってこういうことをやるのはちょっと片手落ちに過ぎるのではないか。私は、高いからどうとかと言うのじゃなくて、
やり方をまず言っておるのです。まず、そういう点についての御
見解を聞きたいと思います。
同時に、もう一つ最後に、こればかり聞いてなんですが、もし仮に
国会で決まったんだからしようがない、
法定主義でございますというと、
三公五現の
諸君、
団交権を持った
諸君でももう切りっ放しになる。となると、これは仮定の問題ですが、仮定の問題というと何ですけれ
ども、いま別なところで
審議をしておる国鉄再建特別措置法、四十二万の国鉄職員を三十五万人に減らそうとする。当然七万人首切らなければならぬ。その七万人のやめていく
諸君も現行法でいけばある程度割り増しできるけれ
ども、今度でいったら、七万減るわけですから、七万人ばっさり首は切るわ、
退職金も前のような状態ではないわということになるのですが、それで果たして人間の生首を切るということがスムーズにいけると思っているのか。それは国鉄のことでございますと言えるような問題じゃないと思うのですが、その辺のところも、周囲を
考えた場合に、私の申し上げることはやぼかどうか、その点だけ最後にお聞きしておきたいのです。