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1980-03-06 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十五年三月六日(木曜日)     午前十時四分開議  出席委員    委員長 葉梨 信行君    理事 越智 伊平君 理事 住  栄作君    理事 竹内 黎一君 理事 山崎  拓君    理事 田口 一男君 理事 森井 忠良君    理事 大橋 敏雄君 理事 浦井  洋君    理事 米沢  隆君       大坪健一郎君    瓦   力君       北口  博君    小坂徳三郎君       斉藤滋与史君    田邉 國男君       戸沢 政方君    中野 四郎君       丹羽 雄哉君    八田 貞義君       船田  元君    牧野 隆守君       箕輪  登君    山下 徳夫君       湯川  宏君    枝村 要作君       大原  亨君    金子 みつ君       佐藤  誼君    前川  旦君       村山 富市君    安田 修三君       谷口 是巨君   平石磨作太郎君       伏屋 修治君    梅田  勝君       田中美智子君    小渕 正義君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 野呂 恭一君  出席政府委員         厚生省公衆衛生         局長      大谷 藤郎君         厚生省年金局長 木暮 保成君         厚生省援護局長 松田  正君  委員外出席者         社会労働委員会         調査室長    河村 次郎君     ————————————— 委員の異動 三月五日  辞任         補欠選任   安田 修三君     稲葉 誠一君   山本 政弘君     八木  昇君   谷口 是巨君     二見 伸明君   伏屋 修治君     草川 昭三君   梅田  勝君     中川利三郎君   田中美智子君     寺前  巖君 同日  辞任         補欠選任   稲葉 誠一君     安田 修三君   八木  昇君     山本 政弘君   草川 昭三君     伏屋 修治君   二見 伸明君     谷口 是巨君   寺前  巖君     田中美智子君   中川利三郎君     梅田  勝君 同月六日  辞任         補欠選任   枝村 要作君     大原  亨君 同日  辞任         補欠選任   大原  亨君     枝村 要作君     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第三六号)  原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律  の一部を改正する法律案内閣提出第三七号)      ————◇—————
  2. 葉梨信行

    葉梨委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大原亨君。
  3. 大原亨

    大原委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案について質問いたすのですが、第一条に、国家補償精神によるというふうにうたっておるわけです。その根拠法規を見ますと、軍人軍属についてはそれぞれ法律があるわけですが、問題は、準軍属範囲についていままでかなりたくさんの議論があり、これを修正してきたわけであります。国家補償精神によるという問題は、被爆者援護法でも問題になるわけですけれども、この法律は国との権力関係を前提としておるわけですが、まず、質問に入る前に、軍人軍属、準軍属本法適用対象者の実情についてお答えいただきたいと思います。これは亡くなる人があるわけですけれども、法律適用者がふえておるかどうかということをも頭に置きながらお答えいただきたいと思います。
  4. 松田正

    松田(正)政府委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法によります遺族年金あるいは遺族給与金及び障害年金それぞれの受給者状況を申し上げます。  遺族年金遺族給与金障害年金それぞれの受給者につきましては、まず、軍人遺族年金遺族給与金については三万二千三百二十一名でございます。障害年金につきましては三百八十九名。軍属につきましては、年金関係が五万七千八百七十四名、障害年金につきましては二千六百十五名。準軍属につきましては三万九千六十八名、障害年金につきましては二千八百三名。合計いたしまして遺族年金関係が十二万九千二百六十三名、障害年金につきましては五千八百七名となっております。準軍属につきましては、それぞれ身分態様が違っておるわけでございますが、まず、被徴用者等遺族給与金につきましては一万八千三百四十四名、障害年金につきましては千五百十七名、戦闘参加者につきましては、遺族給与金が一万一千百九十七名、障害年金が七百四十五名。国民義勇隊につきましては、遺族給与金が千五百七十八名、障害年金が五十八名。開拓義勇隊員につきましては、遺族給与金関係が千三百十五名、障害年金が四十二名。それから、特別未帰還者につきましては、遺族給与金が三千八百七十名、障害年金が四十九名。それから、準戦地被徴用軍属でございますが、遺族給与金関係が千二百三十九名、障害年金が二百九十一名。それから、防空監視隊は、遺族給与金が三十三名、障害年金が十一名。防空従事者につきましては、遺族給与金が千四百九十二名、障害年金が九十名。  以上でございます。
  5. 大原亨

    大原委員 受給者が亡くなったり順位が変わったり、あるいは新しく申請してふえたり、こういう状況を後で簡単にお答えいただく用意をしておいてください。  その中で、広島長崎原爆の犠牲になった人の受給者が大体どのくらいあるか、お答えいただきたいと思います。
  6. 松田正

    松田(正)政府委員 はなはだ申しわけございませんけれども、死因別の統計をとっておりませんので、現在のところ状況は不明でございます。(大原委員「少しはわかっているのか」と呼ぶ)いまのところ、全然わかっておりません。
  7. 大原亨

    大原委員 調べてもらうように言っておいたのですが、まあ推定をいたしますと、この被徴用者というのは全国にまたがっている。これは人数が多いのですが、戦闘参加者というのは沖繩沖繩だけでいいかどうかという議論があります。国民義勇隊広島長崎で、特に広島が多い。開拓義勇隊は、これはこのとおり。それから防空関係監視隊防空従事者を含めて広島長崎、特に広島が多い、こういうふうに思うわけですね。これは準軍属であります。  この際、私がいままで議論してきたことで問題であると思うのは、一般空襲とか艦砲射撃等本土で亡くなった、こういう方の場合は瞬間的に亡くなった人が多い。しかし、原爆の場合は非常にむずかしい。というのは、原爆症というものは、概念がきちっとしていない、新しい被害ですから。時間がたつに従ってだんだん問題が出てくる。幾つかのグループに分けて問題があるわけですけれども、昭和三十二年以降は原爆医療法ができまして、手帳を持っているから、これはかなり実態がわかるわけです。問題は、戦争直後から三十二年に至るまでが非常にわからない。この現行援護法に基づいて申請を出しましても却下される場合が多い、こういうことであります。それには幾つかの原因があるのですが、申し上げましたように、原爆症というのは何かということ、これについて、後遺症を含めまして、はっきりしない。ですから、医師診断書だけを平面的にとらえてこれで査定をするということになりますと、かなり問題があるのではないか。ここに原爆についての被害特殊性があるわけでありますが、この問題について、特別に厚生省といたしまして、原爆による死没者あるいは傷害者概念について一つのまとまった考え方を持って法律適用をしているのかどうか、こういう点についてまずお尋ねいたします。
  8. 松田正

    松田(正)政府委員 原子爆弾被爆者につきましては、確かに先生おっしゃいますように、三十二年以前につきましては個々の診断書等資料に基づきまして判断をいたしておったわけでございます。  現在の取り扱いを申し上げますと、原爆被爆者に係る公務性判断につきましては、現在法律がございます原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律施行規則第二十条の指定疾病にかかっているものを判断の基礎といたしておるわけでございます。  ただ問題は、御指摘のような三十二年以前のものにつきましては、先ほど申し上げましたように、当時の医学的判断に基づきましてその公務性の有無を判断をいたしておったわけでございますけれども、いま申し上げました原爆医療法に基づきます疾病範囲をそのまま現在適用いたしておりまして、すでに却下裁定等をいたしましたものにつきましても再検討いたしておるところでございます。  また、認定患者がその当該疾病以外の疾病で亡くなりました場合におきましても、その死因がどういうものであったかということにつきましては、原爆被爆当該死因がどのような因果関係であったかということにつきまして、生前の治療なり処方なり療養の状況等を総合的に判断するということで現在取り扱っておるところでございます。三十二年以前につきましては、漸次見直しを進めてまいっておるところでございます。
  9. 大原亨

    大原委員 原爆特別措置法の二十条の指定疾病、これを一つ基準にしてやっている、こういうのですね。しかしながら、よく問題になりますのは、原爆症というのは非常に後遺症が大きいわけです。ですから、たとえば心臓麻痺とか腸チフス、衰弱をして結核とか、そういう形ですけれども、全体から見ると原爆によることが主たる原因で亡くなったというふうに考え得る場合でもなかなかそういう査定をしないということがあるのではないか。これはしばしば本委員会議論をいたしまして、公衆衛生局十分連絡をとってやることになっているわけですが、不十分ではないか。たとえば、医師診断書だけによりますと、そういう状況について、たとえば被爆をした場所、距離あるいは入市者の場合等を考慮しながら判定しなければいけないのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  10. 松田正

    松田(正)政府委員 御指摘のとおりだと思います。したがいまして、先ほど申し上げましたように、死亡いたしました原因につきましては、現在の取り扱いといたしましては、単に死亡診断書だけで判断をするということではなくて、いろいろな客観的資料を提出していただきまして、それが相当因果関係があるかどうかをも含めて現在認定に当たっておるところでございます。
  11. 大原亨

    大原委員 他の一般空襲等による被害と違うところは、たとえば爆風でございますと爆心地から二キロメートルで三トンの風圧ですから、広島の場合をやりますと、莫大な風圧になります。それから、核爆発中心温度は百万度というのですね。熱線は地上に達しましたときには四千度、中心温度は百万度。ですから、大やけどをするわけですね。遮蔽物があるという場合はそれは違う場合がある。放射能でございますと四百ラドというのが半致死線量ですね。つまり五〇%が死ぬわけですが、千二十五メートルの地点が四百ラドであるというふうに言われておる。ですから、爆風熱線放射能、これの複合破壊力によりまして人体にどのような傷害を及ぼすかということについてきちっと考え方を決めて——遮蔽物等いろいろなことがありますけれども、爆心地から百四、五十メートルのところで電車の陰で助かった人もいますし、建物の陰で助かった人はいますけれども、しかし、放射能熱線爆風はこういうふうな威力を持っておるわけです。脱毛とか血便とかいろいろなことを繰り返しながらあるいは数十回手術をしてもケロイドが治らないという症状もあるわけです。ですから、そういうものについて一定の方式といいますか、一定の位置と症状を列挙いたしまして、そして診断書はどういう診断で死んだということを中心として査定をするということでなければいかぬと思うのですね。だんだんと改まっていることは事実でありますけれども、しかし、やはり診断書にこだわった査定が多いのではないかというふうに思うわけですね。その点はもう一度ひとつお答えをいただきたいと思います。
  12. 松田正

    松田(正)政府委員 御指摘のとおり、原爆によりますその症状その他につきましては、いま非常にむずかしい問題があろうかと思います。私も専門ではございませんので、医学的な問題はよくわかりませんけれども、現在の取り扱いといたしましては、原爆医療法なりあるいは原爆特別措置法に基づく障害認定をそのまま援護法認定基準にいたしているところでございますので、この点は十分公衆衛生局等とも相談しながら弾力的に取り扱う方針でございます。
  13. 大原亨

    大原委員 公衆衛生局長に答弁してもらいたいと思うのです。  医療法による認定患者認定疾病対象を挙げてください。  それから、現在、手帳を持っている人で認定疾病にかかって、約三千名台ですけれども、そういう方がたとえば被徴用者ということになれば、総動員法関係で、動員学徒とか徴用工とかそういう者が中心ですね。それから、国民義勇隊というのは疎開作業等をやった人を含めまして、一般人々もおるわけです。それから、防空関係もあるわけですが、その認定患者である、認定疾患であると現在認定されておる人が亡くなりますと、現在の段階で亡くなりますと、こういう国との関係があった人は現行援護法適用を受ける、そういうふうに理解をしてよろしいか。  公衆衛生局長認定疾病を挙げてください。
  14. 大谷藤郎

  15. 大原亨

    大原委員 いまの後段の質問……。
  16. 松田正

    松田(正)政府委員 先生の御指摘のとおりでございまして、そのまま認定をすることになろうかと思います。
  17. 大原亨

    大原委員 認定疾患以外に、厚生大臣指定をいたしました疾病健康管理手当支給対象になっているのがありますね。十一ほどありますが、十一の疾病についてはその方が現在の段階で、あるいは三十二年以降亡くなりました人について、そういう国との身分関係がある者は適用になりますか、どうですか。
  18. 松田正

    松田(正)政府委員 適用になることになります。
  19. 大原亨

    大原委員 それは非常にはっきりした御答弁です。  そこで、問題は軍人軍属、準軍属で、軍人恩給法で除外したわけですから他の法律適用する、恩給法適用ですから。軍属と準軍属の中で、準軍属は御承知のように三万九千円ですが、その中で広島長崎被爆者が多い、実数は把握していないというけれども、ウエートが高いわけです。  そこで問題は、三十二年に医療法ができました以前で、被爆直後から三十二年に至るまで認定疾病による死没者あるいは健康管理手当対象になる厚生大臣指定いたしました十一の疾病を持った人の死没者、これに相当する人々は、このことが実証されるならば、現行援護法適用対象になりますか。
  20. 松田正

    松田(正)政府委員 先ほども申し上げましたように、三十二年以前のものにつきましては私どもの方でも見直しをいたしてまいったところでございます。御指摘のような要件を満たす者につきましては当然裁定をいたし得るもの、かように考えます。
  21. 大原亨

    大原委員 そこで、公衆衛生局、引き続いて議論になるのですけれども、原子爆弾被爆者医療法特別措置法で、国家補償精神による援護法をつくることをしばしばここでもその方向を念願いたしまして決議をし、いますでに七人委員会作業が進んでいる。そこで一番問題となりますのは、申し上げました点について、原爆による被害爆風熱線放射能という他に見られないような総合的な破壊力による被害あるいは後遺症、こういうものによる被害者実態がわからないと、次の段階の問題を処理するにいたしましても非常にむずかしいのではないかと思うのです。公衆衛生局は、原爆二法あるいは国家補償精神による援護法の制定の所管をしておるわけでありますが、いま質疑応答いたしました点に触れましての広島長崎における原爆実態を明確にする基準あるいはさらにこの作業を積み上げていくならば、被爆実態被害実態、こういうものを明らかにすることができますか。
  22. 大谷藤郎

    大谷政府委員 現時点におきましては、既存の諸資料で推定するよりほかには仕方がないと考えております。
  23. 大原亨

    大原委員 私は特徴的な被害実態だけ申し上げたのですが、たとえば爆風による被害熱線による被害放射能による被害、これは距離との関係中心でありますが、遮蔽物その他の具体的な例もあるわけでありますが、そういうところで被爆をした人は、たとえば放射能については千二十五メートルの地点で四百ラドで、半致死量で、放射能だけで半分の人は、五〇%は死ぬ。あと残った人も、その人を含めまして二キロの範囲内で保健手当を出しているわけですが、そういうことについて、過去にさかのぼるわけですから非常にむずかしいわけでありますが、それらの基準を頭に置きながら、原爆傷害作用に起因する被害関係実態を、たとえば認定患者あるいは健康管理対象の十一の疾病あるいは保健手当は二キロ以内ですからわかるわけですから、そういう現行制度対象となる被爆者の過去にさかのぼっての実態を調べることができるかどうか。概数をつかむことができるかどうか。法律適用に当たりましては、それらとの関係把握をして、そして医師診断書を参考にしながら総合的に判断することが必要だと思うわけです。昭和三十二年以前の問題についてそういう実態把握することができるか。いままでその実態把握に努めたか。あるいは一定基準をもとにいたしまして、これからでも新しく掘り起こしてその実態をキャッチすることができるか、この点について公衆衛生局の方でお答えいただきたいと思います。
  24. 大谷藤郎

    大谷政府委員 正確な数字については不可能だと思いますが、いままで出されております報告から大まかな抽象的なことはある程度拾えるのではないかというふうに考えるわけでございます。
  25. 大原亨

    大原委員 この放影研とかABCC、あるいは広大、長崎大学の原医研とか、あるいは稲毛の科学技術庁の放医研、それぞれ研究機関があり、あるいは何回かの調査をしたわけですが、しかし、この調査をいたしました結果、原爆による、これが主とした原因死没をした、あるいは傷害を受けたということを含めまして、これから材料を全部整理をいたしますとその実態把握できますね。これは説明員でもだれでもいいですよ。
  26. 大谷藤郎

    大谷政府委員 いずれにいたしましても、身体にあらわれました症状によりましての判定でございますから、どうしてもこれは抽象的なものとならざるを得ないと思うわけでございます。たとえば、現時点におきまして、現代の医学でもってすれば、たとえばいろいろな熱性疾患等原爆症による発熱あるいは下血、そういった肝臓障害といったものについては、これは明快に区分できるわけでございますけれども、当時のものといたしましては単に発熱であるとか下血であるとか、そういった身体上の症状だけでございますから、こういった問題につきましては現実の問題となると非常にむずかしい点があるかと思いますけれども、大体におきまして大まかな症状把握は従来の調査からある程度推定できるのではないかというふうに考えます。
  27. 大原亨

    大原委員 私が推定いたしましたところ、私は二つのことを言っているのですが、現行戦傷病者戦没者遺族等援護法適用するに当たって、戦後の混乱期等もあり、そして医学の進歩の状況もありまして、たとえば血便を出せば腸チフス、吐血をすれば結核であるとか、あるいは心臓麻痺であるとか、そういうふうな原爆を受けたこと、原爆症が主因であるけれども、それから派生をいたしました病気で診断をしている場合がほとんどでありますから、死因不明というものもあるわけですから、ですから私は、いままで原爆二法を積み上げてきたことを整理して、そして爆風熱線放射能による被害というものについての傷害作用はかなりこれは統計的にもあらわれておるわけですから、それを図式化して概念として明確にして、現行法適用においても遺憾なきを期する、そして今度はさらに、いま課題となっておる原子爆弾被爆者援護法の実施をする際には国家補償精神による援護法をつくるということで、どういう内容等は別にいたしましても、そういう死没者実態傷害実態、これを明確にすることが法律をつくる際には絶対必要だと思うのです。  そこで、援護局公衆衛生局二つに分かれておるわけですが、公衆衛生局は、いままでの二法を適用し、いろいろな議論をいたしましたことを集約いたしまして、原爆作用に起因をして死没をした人あるいは傷害を受けている人、そういう問題について、各論的なことは改めて別な機会に議論をいたしますが、そのことを図式化いたしまして、概念を明確にいたしまして、そして援護局現行法適用する際における遺憾なきを期することと一緒に、遺憾な例がまだたくさんあると私は思いますが、遺憾なきを期すると一緒に、将来の原子爆弾援護法改善充実に備えるべきである。そういう点を公衆衛生局は明確にして、援護局現行法適用との関係について遺憾なきを期する。  そういう点について、いま質疑応答をいたしました点を明確にしてもらいたいと思いますが、いかがでしょう。
  28. 大谷藤郎

    大谷政府委員 個別になりますと大変むずかしい問題だと存じますけれども、できるだけ既存資料を検討いたしまして努力いたしたい、かように考えております。
  29. 大原亨

    大原委員 そこで、第二の質問は、現行戦傷病者戦没者遺族等援護法の、国家補償精神と書いてあるわけですけれども、そこで適用範囲の問題ですが、軍人恩給法軍属、準軍属でありますが、軍属については身分関係が明確であります。それから、準軍属につきましては、これは一時金から出発をいたしまして、遺族給与金障害年金ということになっておるわけです。それから、弔慰金もあるわけですけれども、準軍属範囲につきまして、いままでは、これは兵役法軍人ですから、そこで総動員法学徒動員徴用工とかそういうものですね。そういうものに該当する人でありますね。それからようやく、戦後除外をしておりました旧防空法関係は、私もずっと一貫してやりまして昭和四十九年から警防団医療従事者中心適用に加わってまいりました。そこで、旧防空法を加えたわけですが、警防団医療従事者、それから防空監視員はちょっと前に加わりました。そこまで加わるのであるならば、たとえば職場とか地域において旧防空法によって動員をされました人々対象になっておかしくないのではないか。旧防空法関係防空監視員警防団医療従事者に線引きをするというのは、これは若干の改善でありましたが、大体、旧防空法アメリカ占領軍の直後の状況において適用するということは、非戦闘員を権力動員したということで、当時の中枢部が、内務省その他の防空関係、これが戦犯として追及されるということを恐れまして、これは被害者から除外したわけですが、これは昭和四十九年に初めて警防団医療従事者を加えたわけです。野呂厚生大臣はそのころ何をしておりましたかね。長くなりますから答弁求めませんが。  しかし、それならば、職場とか地域防空隊をつくってやっていた人々適用させるべきではないのか。私も職場防空隊動員されて、バケツを持ったりいろいろなことをしてやったことがありますけれどもね。東京のど真ん中に一時、昭和十九年、二十年初めごろおったのですが、それもやるべきだ。隣組防空で竹やりまでやったのですから、本土決戦に備えてやったわけですから。そういう人々も準軍属対象に入れるべきではないか。  いままでの議論とは少し変わった議論、違った角度の議論ですが、その点についてのお考えはいかがですか。
  30. 松田正

    松田(正)政府委員 援護法対象者としてどのようなものを取り入れるかということは、私から申し上げるまでもなく先生承知のように、援護法は、対象者と国との関係の密接なる者、つまり使用者的な立場で考えられる者を対象としているのが原則でございます。したがいまして、問題は、どういった対象の者がどの程度国の使用者的立場とかかわり合いができておったか、こういう判断の問題であろうかと思います。この問題はいろいろと過去長年にわたって議論がございまして、漸次援護法の改正をいたしまして範囲の拡大を図ってきたわけでございます。ただいまのところでは、なかなかこれ以上の範囲の拡大というのは、先ほど申し上げましたような国との立場の関係ではむずかしい問題を持っているのではなかろうかと考えておりますが、なおいろいろな点で研究、勉強いたしたいと考えております。
  31. 大原亨

    大原委員 昭和四十九年に警防団医療従事者で旧防空法関係を入れたわけです。では、医師や歯科医師や看護婦や助産婦や保健婦を入れまして、そして隣組防空地域防空、職場防空について、これも防空本部長、第一次的には内務大臣、県知事、市長、そしてそれを監督指揮するのが陸海軍大臣というふうに、だんだんと終わりにはそうなったわけです。それを区別する、差別する理由がありますか、どこでどういう理由をつけたのですか、どこで線引きをしたのですか。
  32. 松田正

    松田(正)政府委員 旧防空法関係につきましては、当初は特殊技能を有するものについて防空業務に従事させることをたてまえにいたしておったわけでございますが、それを後ほど改正いたしまして、一般警防団員等を含む特別な教育訓練を受けた者についてこれも防空業務に従事させることができるというふうに防空法の改正をいたしたわけでございます。その限りにおきまして国との関係は密接なものと判断をいたしたわけでございます。
  33. 大原亨

    大原委員 隣組防空職場防空も練兵場などへ行きまして、現役の軍人の指揮で訓練したわけです。だから、権力関係があるのです。いざというときには、命令を受けて防衛するのですから、空襲ありましたら。そして、時間があれば議論するのですが、申し上げるように、本土決戦のときには全部出ていけということになったのだ。ですから、当初は防空法概念というのはボランタリー活動的なものであった。戦争がだんだん熾烈になってきて東京大空襲が三月にあり、四月には沖繩の上陸があってからは、本土決戦段階になりましたら旧防空法は戦争動員の態勢になったわけですから、そういう勝手な線引きをすることはおかしいわけです、議論いたしましてようやく警防団医療従事者を入れたわけですから。まず、これが一つの問題。  もう一つの問題は、二十年三月に決めました閣議決定による国民義勇隊に関する件、これはどういう理由で準軍属に入れましたか。これは法律でも何でもなしに、閣議決定ですよ。
  34. 松田正

    松田(正)政府委員 国民義勇隊につきましては、閣議決定ではございますけれども、国との関係がきわめて密接なものがあるということでございます。なお、その後できておりました義勇兵役法、あるいはいま先生の御指摘のような本土決戦を控えてのいろいろな態勢の整備、これはいずれも準備段階ということでございまして、幸いにいたしまして、本土決戦が行われなかった関係上、そういう準備態勢は一応整えましたけれども、具体的に戦闘するとか軍事行動を起こすとかということはなかったわけでございまして、そういう意味で現在では取り入れていないわけでございます。
  35. 大原亨

    大原委員 これは準軍属の中で第二号の戦闘参加者というのは何を基準にして戦闘参加者にいたしましたか。これは沖繩の場合です。
  36. 松田正

    松田(正)政府委員 戦闘参加者を非常に常識的に申し上げますと、現実に戦闘行動を行った者ということでございますが、ちょっと定義を読み上げますと、もとの陸海軍の要請に基づいて戦争に参加した者といいますのは、戦時下における特殊な事情のもとで事実上は権力的に軍事行動に参加させられた者、陸海軍の現地部隊長等から戦闘に参加することの要請または指示を受けて直接戦闘に参加した者、作戦任務を課せられてその任務を遂行中敵と交戦した者のほか、作戦任務を課されて軍事行動中の者も含まれるが、広い意味での軍事行動のすべてを含むものとは解されない、戦闘参加者と認める者の範囲は、その現実の状況と軍事行動の実情を勘案して決めるべきだというふうにわれわれは考えております。したがいまして、現に戦闘参加者という一般的な概念の中に入りましても、現実にそういう行動範囲の中に入らないものは法律適用の上におきましても現在適用いたしておらないわけでございます。定義としてはいま申し上げたようなことと考えております。
  37. 大原亨

    大原委員 それは文章上の定義ですけれども、あなたの御答弁には独断があるのです。ずっとこれは立法してきたのだからしょうがないのですけれども。あなただけの罪じゃないのです、あなたの先輩がみな悪いことになる。大体、広島長崎原爆が落ちる段階本土決戦段階でないというのはだれが判断したのですか。あれは本土決戦でないですか。本土決戦でしょう。それまで艦砲射撃もずっとあったでしょう。何カ所か全部ぼくは調べたけれども、きょうは時間がないから言わないけれども、浜松初め艦砲射撃もあったでしょう。それで毎日B29が二百機から四百機来たでしょう。そして、原爆が落ちたでしょう。これは空挺部隊がおりたりすれば直ちに直接当たらなければならぬ。そういうこと自体、制空権を取られて猛烈に空襲を受けたこと自体は戦闘参加なんですよ、そういう事態があれば。それは全部動員させるようにしたわけです。それを一部取り上げたのが三月二十三日の国民義勇隊に関する件、それが初めはそうではないと言っておったが、国民義勇隊に関する件、閣議決定、これは閣議決定、閣議決定を重ねたものだから、それで閣議決定だけで命令服従、権利を制限することができぬということで、六月二十日に、衆議院で臨時議会を召集いたしまして、空襲下におきまして休んだり開会したりしておりますが、亡くなった保利さんも当時おられたし、森田重次郎という人なんかの名前も議事録に残っております。そして、国民義勇兵役法のこの法律をつくったわけです。これは国民義勇隊、戦闘隊、すべてそれらを集約して、防空法関係もすべて集約して、非戦闘員でいっている者は全部本土決戦に参加させるのだということで、直接軍が指揮をするということで、国民義勇兵役法をつくった。これを出したのは、ここにもメモがあるが、これは全部大事に封印しておったわけだ、この私が申し上げたやつは。後に封印を解いてみたら、国民義勇隊に関する件は昭和二十年二月二十二日というふうに法律にはなっておったんだけれども、私が出してみたところが、二十三日。二十二日は閣議がなかった、二十三日にあったわけです、合わせてみたら。そこで、それを二十二日を二十三日に変えたわけだ。閣議がない日に閣議があったことにして、それを基礎にして法律をつくったのだ。出してみたらそうだった。  そういうふうにして、占領下あるいはその継続という状況の中で線引きをしたことは国民から見れば非常に不当である。ですから、財産被害等はともかくとして、私の終始主張いたしておることは、この範囲について考える場合に、薄い、濃いの差別はできないけれども、一般戦災者についても財産被害について文句を言う者はいないわけですから、健康上、人命上の被害については何らかの措置をとるべきではないかということを主張したわけです。これは時間が十分ありませんから、それについては言いませんけれども。  それでは聞きますが、この昭和二十年の六月二十二日に、衆参両院を、二十、二十一、二十二、三日間かけて審議をして可決いたしました。そして、即日勅令や政令、省令等を全部公布いたしておるわけです。これは事務局あるいは法制局などというような詰まらぬことで質疑応答をしておりましたら時間が惜しいから、厚生大臣、後の問題にも回すのですが、そういう状況で国民義勇兵役法が集大成的にできたというのですが、法律は即日施行になったけれども、いまちょっぴり話があったように、実施をされたということがない、実施されてないというふうなことをいままで政府は、最近は追い詰められた形で答弁してきたわけですね。法律が制定されて、施行については、全部ここにあるように、法令ができて勅令——当時は勅令ですから、勅令も委任しております。救助規程から何から何まで全部出て、そして施行され、万般の措置がとられておるのに法律が実施されてないということを答弁する裏づけがあるのか、そういう理由があるのか、そういう事実を政府の方で示してもらいたいということを私は要求してきたのですが、このことを示すことができますか。
  38. 松田正

    松田(正)政府委員 御指摘の義勇兵役法、確かに昭和二十年の六月に施行に相なっております。先ほど申し上げましたように、形式的には法律は施行になっておりますけれども、法に基づく具体的な組織化、あるいは具体的な行動、業務、こういったものにつきまして実際に発動されたということにつきましては私ども何らの資料を持ち合わせておらないわけでございます。特に、国民義勇隊の組織が相当に発達をいたしまして組織化されておりました広島県等につきましても、私ども調査を依頼いたしまして義勇兵役法についての発動の態様を調査いたしたわけでございますけれども、具体的な発動の態様はなかったというふうな報告を受けております。また、厚生省関係資料の中にもそういうような発動を具体的なものとして実施をしたという資料は全然ないわけでございます。つまり、法律の施行は成りましたけれどもそれを裏づける法律に基づく具体的な内容はなかったというふうに解せざるを得ない、かように考えておるわけでございます。
  39. 大原亨

    大原委員 昭和二十年の六月二十三日ごろになりますと、国家の機能は、軍もそれぞれ地方へ軍管区司令部を設けたりして非常に上を下への状況にあったわけです。そして八月六日、九日というふうに原爆を受けまして手を上げたわけでしょう。  厚生大臣、これはもうあなた時間が余りないのですからやりとりしてもしょうがないのですが、つまり私が言っているのは、二十年の三月二十三日に国民義勇隊組織に関する件、これは現行援護法の中に規定をしてあるところの第三号の適用条文です。これを第一といたしまして——というのは、東京空襲は三月十日、五月二十五日というふうに大空襲があったわけですから、沖繩の情勢はもうだめだということで、東京大空襲があったということで閣議決定をしたわけですが、それが四月十三日、四月二十七日、六月二十六日、八月十日。八月二十一日に国民義勇隊の解散に関する件を閣議決定するまでずっと組織を整備して総動員体制をとって、その集約として六月二十三日の国民義勇兵役法をつくりまして、兵役法とそれから国家総動員法とを除く全部の国民に対しまして、ここに書いてあるように、十五歳から六十歳までの者を全部国民兵役に動員できるような根拠法規をつくったのです。  ですから、私が言っているのは逆なんですね。二十三日からずっと積み上げていったものを集大成して、閣議決定でやったのじゃこれはいかぬ、権力動員はできない、罰則、軍刑法の適用を受ける、できないということで法律をつくったわけです。そして、旧防空法関係や義勇隊関係、婦人団体その他あらゆる組織を全部動員いたしまして本土決戦に備えたわけです。だから、政府が言っているのは逆なことを言っているのであって、たとえば広島などのような軍都、そういうところでは、こういう義勇隊組織が整備をされたわけです。そして、いよいよ義勇兵役法ができたんだからといって師団長が来て、軍管区の司令官が来て、大演説をやったのだ。こういうニュースはちゃんとあるわけだ。当時の人が言っているわけです。ですから、そういう状況の中における戦闘員と非戦闘員との差はないではないか。西ドイツにおいては非戦闘員一般戦災者を差別していない。これは軍人恩給その他を中心としてやれば、ナチスを復活するからということがあるでしょう。西ドイツは戦犯の裁判を自分でしたわけです。日本は極東軍事裁判でやったわけだから、こっちは被害者だというふうな気持ちで当時の権力者はおったのでしょう。ですから、線引きをいたしまして、自分の責任、統率上の、指揮上の、権力上の責任を回避するようにしたでしょう、それは資料を抹殺したのですから。  だから、その歴史の事実と法律の構成というものは、私が指摘することは間違いないと思っておる。ましてや、そういう集約といたしまして広島長崎原爆が落とされたのですから、その犠牲において戦後の平和があり、日本が憲法を主張する根拠があり、そして戦後の世界の平和も、このことを恐れて平和が続いておるのだから、あなたのお話のように、原爆被害というものについては、国が権力関係がないからといって責任がないなどというふうなふざけたことを言える、そういうものではないと私は思う。  最後に厚生大臣の、いままでの質疑応答を通じての所信を御答弁いただきたい。
  40. 野呂恭一

    野呂国務大臣 まず第一に、国民義勇隊員の問題でございますが、いろいろのやりとりの中で御指摘になりました昭和二十年三月二十三日の国民義勇隊組織に関する件の閣議の決定を受けて制定されました義勇兵役法によりまして、有事の際には戦場となるべき地域において軍の義勇召集によって、その軍の指揮のもとに入って本土決戦に備えて防衛戦闘等に任ずる戦闘隊に転務するということにされておったわけでございますが、しかし今次大戦が幸い本土決戦にならずに終結をしたということでございます。各地方における国民戦闘隊の編成下令のもとにあった資料、いわゆる軍事構造として認められる実態が、その資料が明白でない、こういう判断のもとに義勇召集という事態には実態は至っていなかったという判断でございます。したがいまして、確かに義勇隊の組織は編成されつつあり、あるいは編成されたことがあったといたしましても、戦闘参加者と認められる範囲になるのかどうか、当時の情勢、軍事行動の実態に基づいて判断されるべきものだというところで、これは大変むずかしい問題であると私は判断をいたすわけでございます。  もう一つ原爆被爆者に対する対策は、いま審議会に答申を求めておるわけでございます。私は、この原爆被爆者に対しては、すべて手厚い処遇がされるべきことは御指摘のとおりであると考え、政府といたしましてはこの原爆被爆者に対する対策をさらに強化し、進めていかなければならないと考えておる次第でございます。
  41. 大原亨

    大原委員 この現行法ができましたときにネグレクトした点は、旧防空法関係と、それからいわゆるそれらを中心とする義勇兵役関係のことなんですが、これは戦闘員と非戦闘員を分けたわけです。分けたわけですけれども、旧防空法は一部を適用したわけなんです。情勢が変わったわけですから、本土決戦であるかないかの問題は、あんなに毎日毎日制空権をとられている場合は本土決戦なんです。沖繩だって、身分はなくても戦闘参加者ということで、その範囲が、先般も上原代議士が指摘しておりましたが、七歳と六歳と差をつけるのはおかしいのです。戦争に一緒に巻き込まれたらそれは犠牲者ですから、子供だけほっておくわけにいかぬのです、疎開も忌避したのですから。ですから、それはともかくといたしまして、その問題がある。そういう事実があるということで、いままでの政治判断というものは固定化して考えてはいけない、線引きについて固定化してはいけないと私は思う。  それから、原爆の問題についてはそうですが、特に私が強調しておきます点は、公衆衛生局長援護局とよく連絡をとって、原爆傷害作用というものの本質を究明しながら、医療機関その他の証明の手続等において不備なものについても、昭和三十二年以降、以前の問題について、戦後のことについては公平に措置をするという観点で考え方を整理して、それでいままでの実態追求を進めてさらに実態把握する、そういう点を御答弁になりましたことについては、議論が一歩前進であったと私は思います。大臣は、それらを受けまして、被爆実態を明らかにするということは再び繰り返さないという決意の表明にもなるわけですから、これは世界にぜひ明らかにする必要があるということからも、この点についてはぜひとも善処して、努力をして、次に来るべき立法のりっぱな基礎をつくってもらいたい、こう思います。  大臣、最後に簡単にひとつ。
  42. 野呂恭一

    野呂国務大臣 御趣旨の点を踏まえまして、最善の努力をいたします。
  43. 葉梨信行

    葉梨委員長 次に、金子みつ君。
  44. 金子みつ

    ○金子(み)委員 明けて一昨年になりますが、昭和五十三年に、戦争当時日赤の従軍看護婦、これは陸軍大臣の命を受けて、日本赤十字社が赤紙の召集をされて、戦地に送られていった看護婦たちでありましたが、この看護婦たちのために、当時説明をいたしましたので重複しますからきょうは避けますけれども、この人たちは、戦争が終わりましたときに、兵隊たちは全部復員いたしましたが、彼女たちは現地に抑留されて、看護婦として現地で働かされて、二十八年にやっとそれが解除になって復員をしてきた人たちでございますが、何の補償もないままに今日まで来ておりました。  このことについて、看護婦たちからの強い要望もございましたし、国会の中でも議論をいたしまして、五十四年、昨年度の予算から慰労金と称する年金制度が、これは本人限りでございますが、設定されましたことは国として当然のことであり、遅きに過ぎたとは言いますけれども、大変によかったということで高く評価をされまして、関係者一同は喜んでいるところでございます。その当時、野呂厚生大臣は自民党の内閣部会の責任者として、超党派から成る特別懇談会をつくって、その中核になって、このことの成立を運んでくださった方でございますから、私は非常に理解のある方だと考えております。そこで、その理解のある野呂厚生大臣の御所管になりますので、きょうこれから新しい問題を提起したいと思いまして、同様配慮をしていただきたいと思って申し上げるところでございますので、お聞き取りいただきたいと思います。  その一つは、いま申し上げました慰労金を受けることができるようになった従軍看護婦の人たちとは別に、その人たちと現地で全く同様に、同じ状態の中で戦地の従軍看護婦として働いておりました旧陸海軍所属の看護婦がございます。この人たちは、やはり日赤の看護婦と同じように、敗戦になりましたけれども、日本へ帰ることが許されず、やはり抑留されて、そして現地で看護婦として働かされ、二十八年に一緒に引き揚げてきた人たちでございます。この人たちがあることを、実は一昨年日赤の看護婦の問題を審議いたしますときに、わかってはおったのでございますけれども、その事実を証明する資料が大変に乏しくて、一緒対象として取り上げることは非常に困難でございました。そこで、旧陸海軍所属の看護婦たちのためには別の形で何か考えなければならないというふうにそのとき考えていたことでございました。それで、幸い日赤の看護婦たちに慰労金の制度ができましたので、次にはこの旧陸海軍所属の看護婦たちのことも考えなければということで、それは昨年の時点において討議をしていただきました。中間の経過は省きまして、結論だけを申し上げますが、その結果、とにかく旧陸海軍所属の看護婦の実態についてはよくわからない。陸海軍が解体されましたので何の資料も残っておりません。そこで、取り上げるにしても非常に困難を感じていたわけでございますので、とりあえずまず調査をすることが必要ではないかということになったわけでございます。ただいま審議中の五十五年度予算の中で千七百五十万円を厚生省予算として計上され、そして調査をするということに決定をしていると理解いたしておりますが、このことは間違いございませんでしょうか、確認させていただきたいので、事務局の方から御答弁願います。
  45. 松田正

    松田(正)政府委員 旧陸海軍に勤めておられました看護婦さんにつきましてのいろいろな実情を把握するための経費を千七百万円予算に計上いたしまして、現在御審議願っておるところでございます。
  46. 金子みつ

    ○金子(み)委員 そこで、この調査費をフルに活用して、そして目的を達しなければならないところでございますけれども、この経費は一県当たり平均しますと金額としては三十七万円何がしぐらいのものにしかならないわけです。大変にわずかな金額でございますけれども、この金額を上手に活用して、そして調査の目的を達成しなければならないことだと思うのですけれども、何せ漠然とした対象でして、全国的に旧陸海軍所属の看護婦がどんなふうな形で、どれだけどこにおるのかというようなことは非常にむずかしいと思いますが、厚生省となされましてはこの調査をどういう形で進めていこうというふうに考えていらっしゃるのか、調査の方法についてお考えがありましたら聞かせていただきたい。
  47. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいま申し上げました旧陸海軍の看護婦さんの方々の実情調査につきましては、先生指摘のように、いろいろむずかしい問題がございます。  具体的なやり方といたしましては、私どもの手元にあります資料、それから都道府県の援護法関係所管課にございます復員名簿であるとか留守名簿といった資料の中から旧陸海軍の看護婦さんをまず抽出をするという作業をやらざるを得ないと思っております。抽出をいたしました看護婦さんにつきまして、それぞれ調査票を配付いたしまして、必要な事項について記入をしていただく、こういう段取りで進めていかざるを得ないと思います。その際、関係の方々の御協力もぜひ得たいということで、現在具体案を検討中でございます。
  48. 金子みつ

    ○金子(み)委員 この方たちのグループが自分たちなりに一生懸命努力していらっしゃるということも私は伺っておりますし、援護局に行って資料をつくる努力をしていらっしゃるということも承っております。しかし、これはこの人たちが自分たちの問題として自発的に努力しているわけでございまして、これは十分尊重してその協力を得なければならないと思いますが、国としては、この対象となる関係者を一名も漏らすことなく拾い集めて、そして今度の調査対象にできるように、十分慎重に配意して調査をしていただきたいということを強く要望しておきたいと思いますので、お願いいたします。  次の問題は、戦争が終わりました後で、終戦処理業務とでも申しますか、たとえば戦時中現地であるいは国内であるいはいろいろな場所で陸海軍病院に勤務しておりました看護婦たちは、戦争が終わったからといってそのまますぐに引き揚げてくるということにもならなかったわけですね。赤十字の看護婦でありましたならば、戦時中命令を受けて陸海軍所属の病院に勤務することがあったと思いますけれども、戦争が終わって陸海軍病院が解体されるということになりますれば、本来なら直ちに日赤に帰属するのが趣旨であったと思うわけです。ところが、その病院の中で療養生活を送っている傷病兵たちは戦争が終わったからといってもちろん病気が治るわけでありませんで、その状態はそのまま残るわけです。ですから、そこでいままで勤務していた看護婦たちが引き揚げてしまっては非常に支障を来すことになるのは当然のことでございます。そこで、この看護婦たちは引き揚げないで、さらに新しい命令を受けて仕事をしていたという事実がございます。ところが、そういった形で仕事を続けていた、すなわち戦時中の救護員の場合と全く同等に公務とみなされる仕事に従事しておりまして、その間にいろいろな事故が起こっております。そして、死亡している人たちが何人かいるわけでございますが、この死亡した人たちあるいはその遺族に対しては今日まで何らの国家補償もないままに放置されてきているわけでございます。この問題について、きょう新たに厚生大臣に聞いていただきたいと思って申し上げたいと思うのでございます。  事実を御説明申し上げますが、いま申し上げましたように、日本赤十字社が戦争中に派遣していた救護班、すなわち従軍看護婦でございますが、旧日本赤十字社令に基づいて、陸海軍の戦時衛生勤務を助けることを目的としていましたので、終戦及び軍の解体と同時に任務を終わる、それはいま私が申し上げたとおりでございます。したがって、終戦の際、内地の陸海軍病院などに派遣されていた人たちは、当初、軍の命令によって、各配属部隊の復員とともに任務を解かれることになっておりました。  ところが、いま申し上げましたように、事態の急変の中で直ちに日赤の看護婦たちが引去揚げてしまうということになりますと陸海軍病院、戦後は移管されて軍事保護院と厚生省医療局になったわけですが、ここでは非常に困るわけです。そこで、この政府機関から赤十字社に引き続き救護班、すなわち看護婦を派遣してもらいたいという要請が出たわけです。そこで、この要請に基づいて日赤は戦時中と同じように看護婦を召集して病院に勤務させたという事実がございます。その際に、日本赤十字社と政府の間には協定が取り交わされております。軍事保護院とは昭和二十年十一月二十日に、厚生省とは昭和二十一年二月六日に、日本赤十字社救護班派遣に関する協定書が取り交わされているわけでございます。そこで、この赤十字社の看護婦の大部分は終戦後も国の要請に基づいて引き続き残留勤務をする結果になったわけです。その結果、彼女たちは国立病院あるいは検疫所あるいは病院船に引き続き勤務したわけでございます。その数は六百三十人だというふうに記録もちゃんと残っております。  そこで問題は、そのようにして勤務をしていた人たちの間に起こった事件でございます。  その一つは、海難事故による死亡でございます。これは大変詳しい資料が残っております。  昭和二十一年六月二十八日午前九時三十分ごろ、長崎県の佐世保港内に停泊中の病院船アルニタ号とウィークス号に乗船勤務中の看護婦が、公務による上陸のため沖回り連絡船藤栄丸(十五トン)、小さい船に乗りましたところ、この船が佐世保の桟橋に向けて航行中、突然強い波風に遭って転覆して、十三名の看護婦が遭難死亡したという事件でございます。遭難した看護婦の名簿もきちっと取りそろえられております。  この海難事故につきましては、この病院船衛生班から次のような状況報告が寄せられておりますので、事実を確認できると思います。この船に乗っていた死亡者は全員で三十一名になるそうですが、看護婦はそのうち十三名です。  当日、本船衛生班長吉田徹の命により薬品受領のため国立川棚病院に出張することになった雇員徳地信一及び日赤救護員四名は、当日の外出者十名とともに、九時三十分ごろ、たまたま本船に来合わした上陸船の藤栄丸に乗船して佐世保桟橋に向けて出発したらこういうことになって、本船から五百メートル付近で突如船が傾斜して海の中に投げ出され、全員が遭難をしたというのが一つの事実でございます。  それからいま一つは、戦時中に公務によって起こった病気による死亡というのがございます。これは召集を受けて内地の陸海軍病院に派遣されて戦後も引き続いて残留勤務を命ぜられていた看護婦が、戦時中結核病棟に勤務して結核に感染をして死亡したという事実でございます。  それから、いま一つの事実は、戦後、厚生省からの要請で国立病院、引揚援護局検疫所、病院船などに勤務のために派遣した救護班編成要員、この中で結核ではございませんが、不衛生な環境状態のために伝染病に感染して死亡した看護婦がある。  こういうことで、そのいずれもが名簿はきちっと整理されておりまして、さきの結核は五名、後の伝染病は十四名ということがはっきりしているわけでございます。  そこで、この人たちに対していままで何もなされていないのですけれども、国としてなすべきことがあるのではないかという問題でございます。いま審議しております戦傷病者戦没者遺族等援護法の第二条第三項第六号に規定する準軍属としての適用の問題なのですけれども、「事変地又は戦地に準ずる地域における勤務に従事中のもとの陸軍又は海軍部内の有給の嘱託員、雇員、傭人、工員又は鉱員」、こういうふうになっておりまして、厚生省の御説明では、看護婦たちは、戦時中は準軍属としてこの条文に該当していたのだけれども、戦争が終わって、その適用期間、昭和二十年十一月三十日までの期間後、すなわちこの法律は二十年の十一月三十日までの適用期間だというふうな説明です。そして、国立病院に移管された日、すなわち二十年十二月一日以降の勤務における公務上の疾病によって死亡した者はこの条文には該当しないから何もすることはできないのだ、国は何もする必要はないのだ、こういうふうな考え方を国が持っていらっしゃるという問題について、私は少しくお尋ねをしたいというふうに思うわけでございます。  まず、該当させないという問題についての御説明がいただきたいと思うのです。仕事の実態は変わっていない。全く同じ状態の中で仕事が行われているのであって、たまたま戦争が終わった。きのうまで戦争していたけれどもきょうから終わったのだ。だから、きのうまでは該当させたのだけれどもきょうからはもう該当させない。大変に事務的な処理にはなるのですけれども、実際に仕事をしていた人たちのことを考えますと、そんなに簡単に事務的に処理されて納得できるものではないというふうに思うわけです。病人は引き続きある、勤務は毎日続いてあっていたのです。たまたま戦争がきのうで終わったのです。きょうからはもうこの法律適用しません、こういうふうになるのですけれども、それでいいかどうかという問題、そのままにして、そういう考え方でよいのかどうか。私はこの際、この法律を拡大解釈するというふうにするのがいいのか、あるいは考え方としてこの適用ができるというふうに考えるのがいいのか、適用ができなければどうすればいいのか、何か考えてしかるべきではないかというふうに思うわけでございますが、その辺のお考えをまず聞かせていただきたいと思います。
  49. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいま先生指摘の問題、これはいわゆる引揚援護業務に従事中の日赤の救護看護婦さんの問題であろうかと思います。  まず、現在の私どもの取り扱い上の問題を申し上げたいと思いますが、御承知のように、戦傷病者戦没者遺族等援護法、これは国と一定の使用関係のもとにありまして、死亡または障害を受けた方々について処遇をするというのがたてまえでございます。したがいまして、引揚援護業務に従事をしておられました日赤の看護婦さんの活躍の時点、そして、ただいま例に挙げられ御説明のありました三十名程度の犠牲者の方々の活躍の時点が、すでに援護法適用範囲でございますいわゆる戦争中と申しますか、そういった期間の問題ではございませんで二十一年以降の問題でございますので、実は援護法対象とするには非常に困難な問題があるわけでございます。そういった問題のほかに、先ほど先生が御指摘になりました事実はまさにそのとおりでございまして、当時の厚生省医療局と日赤との関係で、いろいろ契約といいますか、協定を交わしておるわけでございます。そういったことから見まして、この看護婦さん方の雇用関係はまず日赤にある。したがいまして、そういう点から申し上げましても、援護法プロパーの適用範囲に加えることは現行法上は非常にむずかしい、かように考えておるわけでございます。  同時に、当時日本赤十字社から、日本赤十字社戦時扶助及弔慰規則によりまして遺族扶助料というかっこうで一時金が実は支給をされております。当時の金額にいたしまして二千百四十円でございます。そういったようなことから見ましても、直接国との関係を云々いたしますには若干問題があるのではないか。お説のとおり、その実情につきましてはいろいろと理解をしなければいけない点が多々あろうかと思いますけれども、現行法上の適用関係はいま申し上げたようなことになっているわけでございます。  したがいまして、この問題にどう対処するかということにつきましては、御指摘のような法律解釈上の運営としていけるのか、あるいは制度的な問題として法律改正も考えなければいけないのか、基本的にはそういったような問題も含めて検討をしなければ結論を出すのはなかなかむずかしいのではないかというのが、ただいまの私たちの立場でございます。
  50. 金子みつ

    ○金子(み)委員 大変にむずかしいということはよくわかるのです。右から左へ適用して、そして、それが成立するというものでないこともわかっております。しかし問題は、いまお話しのように、確かにこの人たちは日赤の職員でございます。日赤では戦時中の戦死した看護婦たちと全く同じに手当てをちゃんとしているわけですね。日赤では責任を果たしております。しかし問題は、戦後のこの問題は、日赤の指示で仕事をしていたのじゃなくて、国の要請によって仕事をしたわけです。だから、雇用関係として日赤と御本人たちは雇用関係があるが、国は雇用関係がないというお考えがあるとすれば、考え方等をもう少し広げていいのじゃないかと思うのです。雇用関係ではないけれども、国の命令で仕事をしたわけなんですから、私は、その点においてやはり国の責任を感ずるべきではないかということを申し上げているわけです。やらせるときだけはやらせたけれどもその後は知らないよというような姿勢が問題だというふうに私は考えるわけでございます。ですから、その点を何か考えるべきじゃないかということを私は申し上げているわけです。  当時の新聞記事を見ますと、まあそれは新聞記事だからとおっしゃってしまえばそれまでですけれども、日赤当局も本人の遺族の人たちも、こういうふうに理解しているのです。仕事を命ぜられたときに厚生省医療局の要請があったので、従軍看護婦と同じ手続で召集、事故の起こったときは軍属取り扱いをするという了解があった、こういうふうに理解しております。それから、日赤本社の救護課の話でも、復員船で仕事をする救護看護婦の召集は日赤の救護班派遣規定によったものであって、戦時中の従軍看護婦と同じ資格を持っているということで、戦後のどさくさの時期であったとはいいますけれども軍属取り扱いをするとの了解を得ているので、私は年金の適用が当然だと思うというようなことも言っておられるのですね。こういうふうな記事も残っているくらいです。これは、この記事を裏づけする何か実証があるかと言えば、それは私もわかりませんけれども、また、当時そういうことを言ったのだと思うのです。要請をするときに、何かあった場合には準軍属取り扱いをするよ、だからやってくれないかというふうに厚生省は頼まれたと思います。この人たちがいなかったら、陸海軍病院はお手上げで困ったのです。だから、この人たちは非常に大きな貢献をしているのです。それなのに、もう戦争は終わったのだからこの法律適用できないからお構いなしだ、国とあなた方とは何の雇用関係もありません、こういうふうに言われてしまったのでは非常に身もふたもないし、冷たい仕打ちだと思います。  そこで、この問題は、実は昨年、公明党の平石議員からも質問がありました。そのときに、当時の厚生大臣、橋本大臣ですが、こういうふうにおっしゃっているのですね。この問題はどうしても残ってくるレアケースとしてあると思います。ある程度小さい、しかし当事者にとっては悲痛な問題であります個別の問題が多くなります。そうしたものについてもう一度考えてみるべき場を持つ必要があるんではないかと思います。そして、今後そうしたことも含めて少し研究をしてみたいと考えております、こうおっしゃっているのですけれども、どういう検討をする場をお持ちになったものなのか、あるいは研究はどの辺まで進展しておりますものなのか、これも聞かせていただきたいと思います。
  51. 松田正

    松田(正)政府委員 いま先生指摘の点、いろいろと問題はございますけれども、内容的にはいろいろと勉強しなければならない点をたくさん含んでいると思います。  ただ、基本的には、現行制度は、つまり戦争業務それから戦争業務外、こういうことで法律の体系ができているわけでございますので、非常に冷たいことを申し上げるようでございますが、引揚業務はどうしても戦争遂行中の業務とは見られないというところが実は基本的に問題があるわけでございます。こういった問題も含めまして、前厚生大臣委員会の席上で、レアケースあるいは援護法の接点部分の問題についてはいろいろと検討いたしたい、これは個人的意見ではあるがということで発言をされておることは私も十分承知をいたしております。  何がレアケースの問題であり、あるいは援護法の接点問題であるか、これはいろいろと個々のケースの問題もございましょうし、あるいは制度の基本にかかわる問題もございますけれども、ただいまのところ、私たちは、この前大臣の発言を受けまして、私の局の中にプロジェクトチームを編成をいたしまして、まずどういう個々の問題があるのか、あるいはどういうような残された部門があるのか、接点部門といい、レアケースといい、どういう種類のものがあるのか、そして、そういう問題が法令の解釈、運用によって満たされ得る性質のものかどうか、あるいは事実認定の問題に終わるのではないか、さらには、法律改正等を要するような制度の基本にかかわる問題になるのではないかとか、こういった個々の問題を取り上げまして整理する必要があろうかと思います。その上に立って、どう処理するかルールを決めていくということが行政の対応の仕方としては最もわかりやすいのではないか、こういうことで、私の局に援護課長をキャップにいたしまして現在行政部内でのプロジェクトチームを編成いたしまして、その辺の問題の整理をいたしまして、その問題の整理の上で必要な場合には検討委員会等あるいは学識経験者の意見を聞くチャンスをつくるなど、そういった問題も含めて現在勉強中でございます。
  52. 金子みつ

    ○金子(み)委員 プロジェクトチームのお話は初めて伺いましたけれども、いつおつくりになって、どんなメンバーでやっていらっしゃいますか。
  53. 松田正

    松田(正)政府委員 私は援護局長になりましたのは昨年の七月でございますが、九月にその指示をいたしまして、援護課長がキャップでございます。そのもとに関係の課長、資料関係は業務一課長等がございます。それから、関係課の補佐クラス若干名を加えて編成をいたしております。
  54. 金子みつ

    ○金子(み)委員 純粋に内部のプロジェクトチームですね。外部から、先ほど御発言のあった学識経験者などという方たちは入っていらっしゃらない。
  55. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいま申し上げましたプロジェクトチームは、援護局内の行政的なチームでございます。そのチームのいろいろな検討の結果を踏まえて、必要があれば学識経験者なり専門家の方の検討委員会をつくることも含めて検討をいたすつもりでございます。
  56. 金子みつ

    ○金子(み)委員 この問題は、先ほども申し上げましたが、昨年、平石議員が取り上げていらっしゃいますし、本日は私が取り上げたわけでありますけれども、ここへ来て急に取り上げただけではございませんで、さかのぼってみますと、昭和二十九年に、亡くなった人の中で滋賀県出身の人がおりまして、滋賀県の赤十字の支部からも要請が出ております。それからさらに、三十八年十二月に、いまは亡くなられましたが社会党の西村関一衆議院議員が、やはりこの問題について陳情をし、そしてこの援護法適用拡大解釈を要求していらっしゃったわけです。そしてさらに、四十二年秋には、滋賀県の行政監察局からも、役所の立場から、厚生省にこの処理について、犠牲者の遺族にも遺族年金あるいはその他の方法で援護法の手が差し伸べられるように解釈をするべきではないかということが要請されていたと思うのです。  このようにたびたびいろいろな形で要請がなされているにもかかわらず、従来、厚生省当局となさっては何も具体的に進めようとしていらっしゃらなかった。そして、この法律は全然適用できないということでその都度、にべもなく断っていらしたことは事実だと思うのです。大変に残念なことだと思います。お役所ですから、法律の番人ですから、法律だけ盾にしていればいいのかもしれませんけれども、この問題はそんなものではないと思うのです。先ほどの大原議員のお話などを聞いておっても、この戦争の問題は非常に根が深く、複雑で、そして関係者も多く、いろいろむずかしい問題がたくさんあると思いますが、一つ一つ丁寧に処理をしていくのが戦争を引き起こした日本の国の政府の責任だというふうに私は考えるわけです。ですから、いまの厚生省がその責任を担当なさる形になっておりますので、ぜひお願いをしたいと思うわけでございます。そのように簡単に法律で片づけてしまわないで、プロジェクトチームをつくってくださったのは一歩前進だと思います。ですから、そこで十分検討していただきたいと思うわけでございますが、必要ならば法律改正ということだって考えていただくことは適当ではないかと思います。これから先、これだけではなく、ほかにまだ出てくる問題があるだろうと思いますので、その法律改正のことなども含めてこれからのプロジェクトチームの活動を期待したい、ぜひそのことを強く要望したいと思うわけです。  そこで、私は大臣に一つの手紙を読んでお聞かせしたいと思いますので、お聞きいただいた上で、大臣がこの問題に対してどのように進め図っていこうと考えていらっしゃるか、そのお考えを伺わせていただきたいと思うのでございます。  その手紙は、一部だけにいたしますけれども、東京都の江戸川に住んでおられる矢沢重蔵さんという公務員の方からでして、妹さんが亡くなっているのです。いままで私が申し上げてまいりました殉職看護婦でございます。  妹は当時十七歳、うら若き乙女であった。ようやく戦後の平和な日が訪れ、夢多い青春時代をこれから迎えようとしていた矢先だというのに、まことに残念なことだ。  妹は、純真な気持ちから看護婦を志願し、そのとうとい職に殉じ、かけがえのない命を失った。日赤でも妹には、戦争で亡くなった看護婦と全く同じ取り扱いをしてくれた。——これは船で亡くなった方です。  けれども、国からは残念なことに、まだ何らの補償もされていないのである。  日赤から聞いた話によると、妹の死亡が終戦後の事故によるものであるため、援護法適用がないのだという。同じ日赤の看護婦でも戦時中の殉職者については、すべて国家補償対象となっているそうであるが、これに反して、引揚業務による殉職者については、全く顧みられていないのだそうである。  戦後とはいえ、同じ国からの命令を受け、同じ戦傷病者の救護に当たった日赤の看護婦である。一体どこにそんな差別をされる理由があるのか。ぜひとも納得のいく説明を聞かせてほしいものだと思う。  決して事を構えるのが私の本意ではなく、ましてや、わずかばかりの弔慰金がほしいのではない。ただせめて、お前のりっぱな働きがやっと国からも認められたよと言ってやりたいのである。いまとなっては、それだけが私のできる亡き妹への最後の供養であり、そうなってこそ初めて妹の霊も安らかに眠ってくれるに違いないと思う。こういうふうな手紙を投書で新聞に寄せていらっしゃるのです。  この気持ちはよくわかると思うのです。さきに赤十字の看護婦のための慰労金をつくるために非常に骨を折ってくださった野呂厚生大臣でありますから私はしっこく申し上げているわけなんです。大臣がそのお立場でいまやっていただかなければ、この問題はやるときがなくなると思うのです。幸いプロジェクトチームもできたことでございますし、どうか何か法律改正をするなり、あるいは何らかの方法を考えるなり、私は、大臣の温かい御配慮が願いたいと思って、お考えを聞かせていただきたいと思います。
  57. 野呂恭一

    野呂国務大臣 二つの問題についてお答え申し上げたいと思います。  まず第一に、引揚援護業務に従事した、そして亡くなられた日赤の従軍看護婦さんに対して何ら政府は温かい処遇をしていないではないか、具体的にお手紙をお読みになって承ったわけでありますが、大変お気の毒なことでございまして、国としては冷たい処遇だ、こう御指摘になられましても、私も心情的にはそのとおりだというふうに思うのであります。この御指摘の引揚援護業務に従事した看護婦さんは、先ほど局長の方からお答え申し上げておりますとおり、いまの段階におきましては、戦後の非戦争業務の従事者であって、援護法対象として処遇することは困難であるというお答えを申し上げておる点、もう一つは雇用関係、国の要請があったといたしましても、雇用関係は日赤との間であるという二つに問題が分けられるのじゃなかろうかというふうに判断をいたすのであります。  そこで、戦後の非戦争業務の従事者であるから援護法対象には扱えない、こういう点について、私は大変疑問に思う点もございます。また、金子先生に対して同感な面もあるわけであります。つまり、具体的に戦争任務はいつ終わったのか、一応法的には明確にされておるわけでありましょうが、問題はああいう混乱期のことであります。具体的にいつ戦争というものが実態的に終わったとみなすべきかという問題、もう一つは、その戦争が終わったからといって、実態としては戦争業務と同じような形において従事しておったいわゆる非戦争業務従事者、これを非戦争業務従事者として断定し得るのかどうか、大変心情的には問題があるということでございます。したがって、この点についてはなお慎重に判断をし、考えていくべき問題ではなかろうかというふうに思います。だからと言って、いまの時点でそれは援護法適用を受けるものでございますと私は申し上げているわけではない、何とか個々に問題をさばいていかなければならぬことであろうというふうに理解をいたすわけでございます。  もう一つ、雇用との関係の問題につきましては、一応日赤の方で当時の医療局との間で結ばれた派遣に関する協定によりまして、その俸給についても日赤が支給する。引揚援護業務従事中の死亡について国が補償するという取り決めはなされていない。したがって、遺族に対しましては日本赤十字社戦時扶助及弔慰規則によって日赤からすでに、御指摘になりましたように、遺族扶助料等が支給されていたという事実。したがいまして、しかし、これではどうにもならぬのではないか、遺族に対する処遇をさらにもっとやりなさいということになります場合においては、これは国の問題でなくて、第一段階としては少なくも使用者である日赤がどう考えておるか、これは日赤本社自体の考え方も待たなければならぬのではないかということでございます。そういう意味から日赤とも十分この問題について話し合う必要がありはしないのか。そして同時に、戦争というものが終わったからといって果たして非戦争業務従事者として断定し得るのかどうか、ここに私は非常に心情的にもむずかしい問題があるというふうに理解をいたすのでございます。先ほど局長も答えておりますとおり、これは今後検討すべき課題であるというふうに考えておるわけでございます。  第二の問題は、橋本厚生大臣に御指摘になって、また橋本厚生大臣もレアケースについて考える場を設けて検討したいということについては、先ほどお答え申し上げましたとおり、具体的にプロジェクトチームなどをつくりましてこれに対する検討を進めております。こうしたケースというものは、援護法適用を受けるものなのか、あるいは恩給法の拡大解釈の上において含まれていくべきものか、いずれにしても余りにも戦争の犠牲というものが複雑であり多岐にわたっておる関係上、谷間に位する人々の処遇というものが一つのやはり戦争の後始末という観点からは非常にむずかしい問題になっておると思うのであります。単に法律というものを盾にせずに、本当に大きな犠牲を受けた方々をその実態論からいろんな意味で究明して解決をしていくべきであると私は考えるわけでございます。したがいまして、いま厚生省が検討いたしております援護法の接点にある方々と申しますか、あるいは援護法及び恩給法の谷間にある戦争の犠牲者というものに対してどういう処遇をすべきかどうか、もう結論を出すべきときではないだろうか、鋭意ひとつ検討を続けまして国民の合意を得られるような、そういう方法を考え、決着をつけていかなければならないのではないか、かように思う次第でございます。
  58. 金子みつ

    ○金子(み)委員 いまの厚生大臣の御答弁から私は非常に明るいものを受けとめることができるように思います。法のみでなく実態論から検討する必要があるのじゃないかということでありますとか、あるいは法の谷間にある人たちをもうこの時期で考えなければならないときが来ているのじゃないか。確かに戦後三十五年たっているわけでございますから、そういう時期だというふうに私も思うわけでございます。そこで、先ほどの御説明にありましたようにプロジェクトチームなどがございますことですから、これを中心にしてどうかいまの大臣の御発言のような形で何らかの方法で戦後処理をみんなが満足できるような形に処理していただけるように強く要望を申し上げまして、質問を終わりたいと思います。  ありがとうございました。
  59. 葉梨信行

    葉梨委員長 午後零時四十分再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時五十分休憩      ————◇—————     午後零時四十一分開議
  60. 葉梨信行

    葉梨委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する質疑を続行いたします。森井忠良君。
  61. 森井忠良

    ○森井委員 今回の戦傷病者戦没者遺族等援護法の改正案を拝見いたしまして、率直なところ十分とは言えないにいたしましても、年々金額の増額等が行われまして、それだけ援護の厚さが増してきておるという認識に私どもも立っております。したがいまして、お出しになりました法案そのものにつきましては、私ども、別に異論はございません。財政の許す限り、さらに一層充実をしていただければそれで結構だと思うわけでございます。  問題は、この援護法の周辺にまつわる問題がまだまだかなり残されているわけでございます。同僚の金子議員等からも指摘がございましたけれども、周辺問題を何とか一つ一つ一日も早く解決をしていきたい、こう私どもは考えております。たとえて申し上げますと、旧警防団に関する問題でございます。毎年同じテーマで御質問を申し上げるわけで恐縮でございますが、それだけ口を酸っぱくして議論をいたしませんとなかなか周辺の問題は軌道に乗らないという意味で、きょうは、ほとんど昨年御質問を申し上げましたことに対しまして、さらに中身を充実する議論中心にいたしましてこれから御質問をしていきたいと思うわけでございます。  警防団でございますが、これまでの厚生省考え方は、旧防空法昭和十六年にいわゆる中改正になりました。そのとき以降、先ほど来大原議員が申しましたように警防団も準軍属として援護の対象になったわけでございますが、私は昨年、それ以前、つまり昭和十六年の防空法改正以前に、逆に言いますと、昭和十四年に警防団は発足をいたしておるわけでございます。このことについては厚生省もお認めだと思うわけでありまして、ざっと二年間の措置がいまのところとられていない、こういうことだと思うわけでございます。私は具体的に、昭和十四年に起きました高射砲陣地を構築する件について指摘をいたしました。  大ざっぱに申し上げますと、昭和十四年でありますけれども、警戒警報が発令をされた。そして、深夜になりまして警防団が招集をされ、これは下関でありますけれども、高射砲陣地を構築させられたというケースでございます。ところが、道路が悪く、曲がりくねっておりましたので、結果から言いますと、一生懸命みんなが上に押し上げておったわけでありますが、高射砲を積んだ車が逆に後ずさりをした。そして、その車の下敷きになって亡くなられたという、まことに痛ましいケースでございます。これはれつきとした警防団員なんです。いままでは、教育、訓練を受けた警防団の幹部だけということで、昭和十六年以降という形になっておったわけでございますが、現に、いま申し上げましたように、具体的に警防団員として非常呼集を受けて高射砲陣地を構築するというふうな場合に、一体国家が補償しなくていいものだろうか。もちろん、裏づけといたしまして、具体的にその当時の辞令でありますとかあるいはそれを証明する該当の文書が該当の市役所にあるはずだ、それを調査してほしいということで、私は去年強くお訴えをしたところでございます。  たとえば、一昨年、満蒙開拓青少年義勇軍、これが当初、昭和十四年の十二月二十二日以降の義勇軍について適用されておりましたものが、創設のときにさかのぼって適用されることになったケースがございます。これと全く類似をしておるケースでございますが、いま申し上げました警防団につきましても、満蒙開拓青少年義勇軍と同じように、創設のときにさかのぼって援護法適用すべきではないかと思う。その点についてお伺いをしておきたいと思います。  なお、具体的な指摘もいたしましたから、それに対する措置模様についてもお伺いをいたしたいと思います。
  62. 松田正

    松田(正)政府委員 警防団援護法適用につきましては、御承知のとおり、旧防空法の第六条第一項あるいは第二項、改正後の第二項でございますけれども、これに基づきまして、特別の教育、訓練を受けた者につきましては防空の業務に従事させるということの法改正が行われたわけでございます。これに基づきまして、そういったような特別の教育、訓練を受けた警防団員につきましては、法律改正以後、防空業務に従事する者として適格性を与えられた、こういう法改正の経過がございます。したがいまして、この十六年の法改正以前の警防団員につきましては、そういったような法的地位が確認をされておらなかった、これが現在警防団員を一律に適用していない基本的な考え方でございます。  いま先生が具体的に実例でお示しになりました昭和十四年の四月に高射砲の下敷きになって亡くなられた方のケースにつきましては、私どもも事情は十分承知をいたしております。この件につきましては、警防団員ということでは、現在の法律適用関係につきましては残念ながらそのまま適用するわけにはいかないというのが私どもの考え方でございます。ただ、この太田さんのケースにつきましては、いま先生御説明のとおり、その実情におきまして非常に理解をしなければならない点はたくさんあると思いますので、現在、警防団員として適用するかどうかも含めて、前向きの方向で検討をいたしているところでございます。
  63. 森井忠良

    ○森井委員 大臣がおかわりになりましたから、昨年もお見せしたのですが、ちゃんと、警防団員になりますためにはそれぞれ辞令を受け取るわけでございます。それも民間の人からの辞令ではありません。警視庁もしくは警察署長なんです。そして、たとえば太田一夫さんの場合で申し上げますと、門司市警防團第一分團警護部班長ヲ命ズ昭和十四年四月九日 門司警察署長 地方警視北村何がし、こうなっているわけです。すべて役所から、その当時警察であったようでありますが、辞令を受けて警防団員をお受けする。ややこしい言葉で言いますと拝命すると申しておりましたけれども、拝命しておったわけですね。それに基づいて、先ほど申し上げましたように、軍の命令に服従をしておった。これは服従をしておったと申し上げていいと思うのです。これはその後の調べで、昭和三十八年二月九日、門司市役所編さんの「門司市史」の第二編「警防団」に関する記録の中に、私が具体的に指摘を申し上げました点がちゃんと載っておるわけでございます。後の議論に使いたいですから、ちょっとだけ読んでみますと「殉職ノ状況」として、この中に「門司市警防團員第一分團警護員故太田一夫君ハ昭和十四年四月九日警戒警報下命ノ爲メ出動任務ニ従事中特命ヲ受ケ團員百五十名ト共二〇〇指揮ノ下ニ市内風師山山頂ニ向ケ〇〇運搬作業中」あとは省略いたしますけれども、最初の〇〇はもちろん軍隊です。後の〇〇は、これは高射砲です。そのことにつきましては、一番後ろのくだりに注釈がついておりまして「尚全君殉職ノ状況ハ之ヲ詳記スルコトヲ特ニ差控ヘ候ニ付御諒知下サレ度シ」こうなっているわけです。  いずれにいたしましても、そういう状況の中で、いまおっしゃったように旧防空法の改正が行われなくても、これは具体的に生きた、その当時警防団員が軍の指揮下に従っていろいろな行動を行っておったということの証拠がここで出てきていると思うわけでございます。局長は前向きに措置をしたいとおっしゃいますが、私は昨年すでに固有名詞を挙げて、軍の行動の一環としてやったのであるから、七つ申し上げました。一つは、もちろん個別救済をしていただきたい。これは遺族から切々たる手紙が参っております。厚生大臣あてにも参っておる。もう一つは、十六年以降しか警防団員について適用しないというのはやはり片手落ちではないか。引き合いに出すのはどうかと思いますけれども、たまたま一昨年きちっと満蒙開拓青少年義勇軍が制度創設のときにさかのぼって適用されたという経過から、もうこの辺で警防団関係につきましても、私は解決なさるべきではないか。  いずれにいたしましても、これはたくさんの人数じゃないと思います。言うなればレアケースだと思うのです。そういった点を考慮に入れられて、ぜひ制度の改正もお願いしたい、もう一度二点について御答弁をいただきたいと思います。
  64. 松田正

    松田(正)政府委員 事実関係その他、先生のおっしゃるとおりで、私どももその間の事情は十分に承知をいたしておるつもりでございます。  個別のケースにつきまして、現行援護法適用関係がどうなるかという問題と、それから、制度論としましての昭和十六年以前の警防団についての処遇の問題、この二つの問題を含んだ具体的ケースかと思います。  先ほど申し上げましたように、警防団の団員が警防団員として防空法上の防空業務に従事する適格性を与えられた法的根拠は、御承知のように、昭和十六年の防空法の改正以後でございます。そういうことで非常に形式的でございますけれども、従来、警防団員ということで、具体的なケースをつくってまいるということはむずかしいということをお答え申し上げてきたつもりでございます。  ただ、個別的にどのような解釈、運用でこのケースが適用になるかという余地が果たしてあるのかないのか、それを含めて現在検討いたしておりますけれども、御事情は私ども非常によくわかりますので、ただいまのところでは制度改正の問題はもう少し時間をかしていただきませんと、なかなか結論が出にくい問題でございますけれども、個別の問題としての解決の余地はあろうかということで検討をいたしているところでございます。
  65. 森井忠良

    ○森井委員 警防団創設の根拠については御存じでしょう。
  66. 松田正

    松田(正)政府委員 存じております。
  67. 森井忠良

    ○森井委員 ですから、好き勝手に地方長官が警防団をつくったりつくらなかったりということではないわけです。一つのきちっとした国策によって警防団というものを地方長官がつくって、そうして一々いいかげんな関係じゃないのです。ちゃんとあなたを警防団員にしますよ、あるいは承認をしたら承認をします、ちょうど軍隊と同じような位があったわけですから、班長であるとか部長でありますとか、その当時たくさんありました。ですから、階級章もあったと思うのですけれども、いずれにしても、そういった点から考え、しかも、これだけならまだ根拠のないことになるわけですけれども、いま私が具体的に指摘をいたしました太田一夫さんの、これは亡くなった方ですから、故太田一夫さんのような、現に軍隊の行動と同じ立場で仕事をした方、繰り返し申し上げますが、そう人数は多くないと思うのです。ですから、さかのぼって防空法の改正というようなかたいことを言わずに、もともとが辞令によります行為から始まっておるわけですから、私は、この際ぜひひとつ再検討願って、十六年以降の警防団員と同じように扱っていただきたいと思うのです。  これは大臣、いかがでしょうか。
  68. 野呂恭一

    野呂国務大臣 旧防空法の改正をいたしました昭和十六年以降の方で亡くなったりあるいは傷ついた警防団員については援護法対象といたしておる。それに反して、十六年以前の警防団員は援護法適用を受けていないということについて余り差別が大きいのではないか、問題点は、防空という戦争公務についたかどうか、その実態論で考えなければならない。現に、この仕事に従事すべく命令を下された。ただ、旧防空法の改正によって従事令書が交付されたかしないかという問題よりも、戦争公務というものに従って組織され、そのために防空の仕事についておったという実態を尊重しなければならないのではないか。こういう観点で、先ほども局長からお答え申し上げましたとおり、これは急ぎ検討する問題である。できる限り、旧防空法の規制を受けていない十六年以前の一般警防団員につきましても、援護法適用範囲を拡大することができるのではないか。必ずしも法律だけの問題で線を引かずに、そういう少し応用をやっていけるのではないだろうか。実態論からそういう点を究明する必要がありはしないかというふうに考えるのでございまして、どうか、いつまでも引き延ばすということでなくて、いま森井先生の大変積極的な御意見に対して私も賛成でございますが、十分ひとつ検討させていただきたい。いつまでも引き延ばしではなくて、なるべく短い期間のうちに結論を出させていただきたい、そんな気がいたすわけでございます。
  69. 森井忠良

    ○森井委員 いまの大臣の御答弁と、それから具体的なケースについても速やかに措置をされるように、強くお願いをいたしておきます。  次に、前々から問題になっております満蒙開拓青少年義勇軍あるいは義勇隊と呼んでおりましたけれども、これは制度創設以来ソ連参戦後に至るまで、一応義勇軍もしくは義勇隊については援護措置がとられることになっております。ただ、争いがございますのは、満蒙開拓青少年義勇隊というのは開拓団も含むのだというのが私どもが聞いている事柄でございます。厚生省の方は、義勇軍あるいは義勇隊と義勇隊開拓団とは違うのだ、こういうことで今日まで至っているわけでございます。しかし、結論から申し上げますと、やはりこれは義勇隊開拓団の問題が解決をしなければ、満蒙開拓青少年義勇軍にかかわる問題の解決にはならないというのが私どもの主張でございます。  そこで昨年、この問題について本委員会で附帯決議がついております。去年の三月七日です。その中の一項に「満州開拓青年義勇隊開拓団について関係者と連絡を密にし、一層資料の収集に努め、問題解決のため努力すること。」というくだりがございます。これは具体的にどういうふうな措置になったでしょうか。
  70. 松田正

    松田(正)政府委員 相当古い話でもございますので、旧満州地区を中心にいたしました方々の詳細な資料等を得て真相を究明するのはなかなか困難でございます。ただ、たとえば関係団体であります拓友会の御意見を拝聴いたしますとか、関連の団体等の当時の実情を聴取をいたすなど、せいぜい努力をしてまいったわけでございますが、明確なかっこうで文書なり資料というかっこうでは当時の実情を把握することはなかなか困難でございました。  ただいま御提起になりました問題、青年義勇隊と一般の開拓団との関係につきましては、現在の取り扱いは、明確に一線を画すべきではないかというのが私たちの基本的な考え方でございまして、青年義勇隊の隊員は内地で約一年、それから旧満州地区におきましても約二年、これだけの期間を経まして義勇隊をまあいわば卒業をする、こういうかっこうで、一般の開拓団の方に参加をするわけでございます。これらの義勇隊をいわば卒業いたしました、一般開拓団の方に入られた方々につきましては、ただいま申し上げましたようないろいろな関係資料等を勘案いたしましても、現在のところ、直ちに軍務に従事をした、あるいは現地の部隊に戦闘的行為によって協力をした、こういう一般的な事実の確認をいたすことができなかったわけでございます。  ただ、個々の具体的な、隊員を卒業して開拓団に入られた方々につきまして、当時の状況で戦闘的な場面が展開をされまして、軍の要請で戦闘に参加した、こういう事実が具体的に認められる者につきましては、当然援護法適用があることでございます。また、当時の現地の官憲によりまして抑留をされた事実のある者につきましても、これは一般開拓団というかっこうではなしに、抑留された事実に着目をいたしまして、援護法の処遇をいたしておる、こういう状況でございます。
  71. 森井忠良

    ○森井委員 去年は、私は具体的に満州国防衛法、この問題を提起をしたと思うわけでございます。これはちょっと事前にお断りを申し上げておきますが、いま満州というところはございません。現在、中国で東北地方と呼んでおりますから、そういうふうに受け取っていただきたいわけでございますが、要するに、この旧満州におきまして、満州国防衛法という法律があったわけでございますが、その関係資料が拓友会の手によって収集された。これを中心にして具体的に拓友会の皆さんも話し合いをしたいので、どんどん関係者の意見も聞くし、資料も集めてほしい、こういう要請をいたしまして、当時の援護局長さんは了承されたわけでございます。資料をお集めになりましたか。それから、具体的に関係者と話し合いをなさいましたか。
  72. 松田正

    松田(正)政府委員 拓友会関係の方々と、御陳情も受け、あるいは話し合いということは援護課長のところでやっております。  なお、具体的な資料につきましては、まだ整理する段階でございませんけれども、入手はいたしております。
  73. 森井忠良

    ○森井委員 何回おやりになりましたか。
  74. 松田正

    松田(正)政府委員 まだ一回程度でございます。
  75. 森井忠良

    ○森井委員 ですから、関係者の話を聞きますと、私の方から聞いたんですよ。向こうから言ってきたのではありません。誤解のないようにしていただきたいのですが、これから窓口折衝等があるかもしれませんから。私の方から聞きました。いまおっしゃったように一回、厚生省はとても冷たい、もうろくすっぽやる気はない、がっかりしておりますということでございました。それはそうでしょう。一回だけでしょう。私は、具体的にそのときもたしか名前は挙げたと思うのですけれども、たとえば元関東軍参謀片倉衷さん、この方は関東軍司令部の第四課長、内政担当参謀だった方なんですね。ですから、義勇隊あるいは義勇隊開拓団に非常に関係の深い方です。何といいましても、軍との関係と言えば関東軍に決まっているわけですから。したがって、そういった方々、あるいはこれは名前は挙げてないだろうと思いますけれども、松村智勝さん、この方も関東軍総司令部の参謀副長、こういった方々にも会って話を聞きなさい、生きた証人じゃないですかということを私は具体的に申し上げました。残念なことに、この一年の間に松村さんが亡くなっている。生きた証人が何人かいらっしゃるからと言っております間に、もう一人亡くなっている。どちらも関東軍の中枢部にいらっしゃった方なんだ。しかも、元将軍です。無責任なことを言われるはずはありません。松村さんのごときは満州国防衛法の具体的な立案作業にまで携わっていらっしゃったと私は聞いております。そういった方となぜ会わないのですか力もう一人の方は亡くなっているのですよ、惜しいことをしたと思うのですけれども。もうちょっと誠意を持って答えてください、どういう経過があったのか。
  76. 松田正

    松田(正)政府委員 拓友会の皆さん方が、厚生省が非常に冷淡であるというふうにお受け取りになったことにつきましてはまことに恐縮をいたしております。拓友会のみならず、関係団体、旧満州地区の関係は非常に多うございます。開拓団関係のものその他たくさんあるわけでございますが、私自身も片倉先生にはお会いをいたしましてお話を伺ったことがございます。これは開拓団ということではございませんで、国際善隣協会という協会がございます。これの東北地区の委員会委員長を片倉衷さんがやっておられますので、善隣協会へ出かけましてその話は親しく私も承っておりますし、また庶務課長もつい最近国際善隣協会を通じましていろいろな話を伺ったところでございます。ただ、具体的な資料を整備するとか具体的な事例を整備するとかというところまで実はいっておりませんので、そういう意味で恐らく拓友会の方々も、取り上げる気持ちがまだ全然厚生省ないんじゃないか、あるいは調査する気持ちがないんじゃないかというお受け取り方をされたのではないかと思いますけれども、今後いろいろな情報を集めることは私たちの仕事の重要な部分の一つでもございますので、十分に努力をしてまいりたいと思います。
  77. 森井忠良

    ○森井委員 幸いなことにこのお二人と拓友会事務局長とのインタビューが録音テープにとってあるそうですね。だから、十分ではないにしても具体的な話が聞ける。私どもが具体的に開拓団の問題につきまして、軍との関係についてしばしば指摘をいたしました。結局証拠がない、あるいは証言が聞けないということであなた方はかたくなに断っていらっしゃるとしか私には思えないわけであります。しかも、一年前に指摘をしておってたった一回しか会っていらっしゃらない。ですから関係者は、非常に冷淡で、厚生省はやる気がない、こうまで言っておられるわけであります。  野呂厚生大臣、まことに失礼ですが、その当時の写真を数放送ってきたものですから、いま見ていただきました。それは義勇軍のものもありますし、義勇隊開拓団のものもあるとその人も証言をしておるわけでございます。もう昔の軍隊と全く変わらない。私もそれをじっと見ております間に、これはもう軍隊と同じではないか。したがって、満蒙開拓青少年義勇軍だけではなしに、義勇軍から移行していった開拓団についてもぜひ援護の手を差し伸べるべきだ。とにかく何枚写真を見せてもらっても、それは服装といい、兵隊さんと同じ写真ばかり出てまいります。あるいは開拓団の場合は、好きなところへ勝手に自分の土地をつくって開拓をして、そして自分の収入にする、暮らしを立てるというような性質のものではないわけですから、ちゃんと満州拓植公社から土地の割り当てを受け——土地の割り当てを受けただけで、土地は個人のものにはならないのです。あくまでも国家のものなんです。それに従事をするだけなんです。そう考えていきますと、訓練を受けておった三年間はいいけれどもそこを出たらもう開拓団だから軍との関係はなくなったとおっしゃっても、これは筋が通らない。したがって、いま私がここで口を酸っぱくしで言いましても、あなた方はどうしたって対大蔵のこともあるんでしょう、厚生行政全般にかかわる問題もありましょうから、手がかりがなければ開拓団を援護法の枠内に入れるということはむずかしいということは理解ができます。ですから、むしろ必死で資料を集め、あるいは証言を聞くという積極的な活動が欲しいのです。これはかなり遅くなりましたけれどもこれから直ちにやっていただけるのかどうなのか、明確にしていただきたいと思います。
  78. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいま先生指摘の方向で努力をいたしまして、資料の収集等につきましては最善の努力をいたしたいと考えます。
  79. 森井忠良

    ○森井委員 これは去年も申し上げたので恐縮でありますが、関係者の言い分によりますと、内原訓練所で約二カ月、そして現地で基礎と実務の三年の訓練を受ける、その後が問題なんでございますが、去年も私、具体的に指摘をいたしましたけれども、その後、それは期限は五年と聞いておりますけれども、開拓団訓練所というのがあったのではないか、つまり、訓練はどういう形か知りませんけれどもさらに五年間あったという関係者の指摘がございます。現に私もある人の履歴を見ておりましたら三年の訓練を受けた後にまた開拓団訓練所に入った、こう書いてあるわけでございます。こういった証言が非常に多いのですよ。去年の答弁は、定かに把握をしておりませんが、よく調べてみましょうという意味の答弁だったように思います、私の記憶に間違いがなければ。これはその後御追跡になりましたでしょうか。
  80. 松田正

    松田(正)政府委員 はなはだ恐縮でございますが、いたしておりません。
  81. 森井忠良

    ○森井委員 把握をしておらないわけですが、把握の仕方を具体的にお教えをいたします。  内原訓練所に入った方がいらっしゃるわけですね。去年質問をいたしましたら人数まではお答えがございました。それでは、内原訓練所に入った方々の固有名詞まで把握していらっしゃいますかと聞きました。たとえば、援護局の業務課が持っておりますような軍人等の軍歴、そういったものと同じように内原訓練所から満州に旅立っていった方々の名簿、人数は昨年明らかになりましたが、固有名詞がありますか。もし、あるとすれば、それをたどっていけばいともやさしいことで、満州へ渡った方というのは全部で八万人余りいるわけですけれども、具体的に追跡をする方法はきちっとしていると私は思うのです。そこから追跡をなさいますか。
  82. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいま御指摘の固有名詞を記載した名簿は入手をいたしております。
  83. 森井忠良

    ○森井委員 それではお答えになりません。名簿がありますかと聞いたのと、それを追跡なさったらどうですかと言ったんですから、それに答えてください。
  84. 松田正

    松田(正)政府委員 御指摘のようなその実情を把握するということにつきましては、名簿その他、もう一度関係者の御意見等を伺いながら洗い直してまいりたいと思います。
  85. 森井忠良

    ○森井委員 全部で八万そこそこですね。それはもう物故なさった方もいらっしゃいましょうからまだ減っておる可能性が強うございますけれども、本気で調べる気ならこの際調査に踏み切るべきだ。局長さん、あなたは去年の六月ですか、おかわりになったわけですが、私どもは毎年毎年これを繰り返しているんです。しかも、どんなにその当時の義勇軍あるいは義勇隊開拓団の方々の写真を見せてもらっても、仕事中はそのほかの服を着た形はないのです。もう全部軍服に近い服装をしていらっしゃるわけです。ですから、厚生省がお調べになる気なら、八万全部でなくてもそのうちの抽出でもいいわけですから、私は少なくとも千か二千のサンプルでほぼその当時の状況は出てくるのじゃないか、こう思うわけです。まず、そちらからの追跡をぜひやっていただきたいと思うわけでありますが、再度御答弁をいただきたい。ですから問題は、やる気があるのかないのかということでうんと違ってくるのです。私は名簿だって去年具体的に指摘をしたのです。固有名詞はわからないということだった。そして、今日に至っております。  大臣、済みません、御答弁願います。
  86. 野呂恭一

    野呂国務大臣 私もこの問題は前から承ってはおりましたが、大変対象が大ぜいであり、その追跡調査も困難であるとは思いますけれども、急ぎ真剣にこれをやってみたい。同時に先ほどいろいろなお話を承りまして、第一に、開拓青年義勇隊と青年義勇隊開拓団と、まあ言葉をあっちこっち入れただけで、言葉の羅列が場所が変わっただけで、どうも言葉自体からも一体のもので、果たして明確に、義勇隊から開拓団に移ったからといって、戦争というものの業務に従事したという事実は、実態的には同じものだったのではないかとさえ実は理解したいと思うのでございます。  したがいまして、先ほど局長が申し上げておりますとおり、一般的に申し上げて軍の命令を受けて軍事業務に従事していたという事実が現在のところ認められていない、とするのならば、恐らく同じような業務についていたものだという実態調査しなければならないし、また五十四年の参議院において社会労働委員会でも「満州開拓青年義勇隊開拓団について関係者と連絡を密にし、一層資料の収集に努め、問題解決のため努力すること。」という附帯決議もついておるわけでございます。  ただ、一つ私は心配いたしますのは、義勇隊員が八万六千名、そして開拓団に移行いたしたのが六万四千名、二万二千人が義勇隊のままで終戦を迎えて、そのうち現在の適用を受けておりますのが、受給者でありますが、千三百六十人、そのうち遺族として千三百十五名、それから傷病者として四十二名、こういうことでございます。だんだん亡くなっていくわけです。これは早くやらなければ、新しく適用するといった場合に大方亡くなっておったというのでは相済まぬことではないだろうかということでございます。  したがいまして、御指摘の点は重々理解をいたすものでございまして、大変おくれてまいりましたことに対しては申しわけないことでございます。追跡の方向すら御指導いただいておるわけでございます。急ぎ真剣に取り組んで、そしてぜひともこの方々に対しても何とか適用できるかできないか、それを検討さしていただきたい、かように考える次第でございます。
  87. 森井忠良

    ○森井委員 先ほどの私の発言で誤解があってはいけませんから。開拓団に訓練所があったかどうかというのを調べるために内原訓練所の訓練生の名簿をと、こう受け取られては困るわけでございまして、要するに基礎は内原訓練所の卒業生といいますか、終了生の名簿から始まると思いますから、いま申し上げましたように、五年間の開拓団訓練所があったという当事者の指摘もありますから、もちろんそれも調べていただく必要はあるでしょう。あるいは開拓団に移行した場合の関東軍との関係、特に北満の奥地、関東軍よりもさらに奥地で国境警備に当たったという、これは関係者のほとんどの方々の証言でございますから、そういった点についても当然掘り起こしていただきたい。  それから、私はいままでどうしてもまだ蹄に落ちなかったわけでありますが、訓練所がございますね。そういったところの具体的な訓練内容でございますとかあるいはその当時の教官の名前でありますとか、私は全部が残っていないとは限らないと思うわけです。ですから、その当時の状況をこの際再現してみる厚生省の努力が欲しい。あるいは具体的に申し上げますと、関東軍特別大演習というのがございましたね。これにしても開拓団やあるいは義勇隊の人が参加をしたという指摘があるわけですから、そういたしますと、その当時の資料についても可能な限り集めることができるのではないか、私はこういう感じがいたします。  それから、現地におきましては、いままで政府の努力によりまして、たとえば東北地方へ遺骨の収集あるいは墓参団、そういった努力が続けられております。現に現地を訪れられた方もかなりあるわけでありますから、そういったところも一つの目安になるかもしれません。いずれにいたしましても、そういった具体的な事実を一つ一つ掘り起こしていただくということ。  それから、私どもがしばしば言っておりますように、たとえば「満州開拓政策基本要綱」あるいは「青少年の送出に関する件」というふうなもの、幾つかその当時の日本の置かれておりました戦争状態の再現もしてみる必要がある。先ほどは写真を見ていただきまして、全部軍服だと申し上げましたけれども、それを取り巻くその当時の政治情勢、私は年ごろがそうですからはっきり覚えておりますよ。私の友人だって、幸いに生きて帰りましたけれども、満蒙開拓青少年義勇軍に行ったのです。ですから、そういった当時置かれておりました政治状況。それから、具体的に申し上げますけれども、義勇隊は訓練が済んだ、おっしゃるように、それじゃ開拓団はフリーですよというような勝手が、その当時許されたかどうかという状態。  くどくなりますからもう申し上げませんけれども、そういったもろもろのものを、いま厚生大臣から非常に前向きな御答弁がありましたけれども、事務当局も大臣の意向を受けてそこまで洗い直す。私は問題はやる気があるかないかにかかっていると思いますので口を酸っぱくしているわけですから、そういう努力をしていただきたい。これはいかがでしょう。
  88. 野呂恭一

    野呂国務大臣 隣で援護局長とも十分話し合っております。積極的にこれに対しては一生懸命に急ぎ取り組んで調査をいたします。
  89. 森井忠良

    ○森井委員 それでは、御決意のほどがわかってまいりましたので、本来でございますと新たな観点から開拓団について御指摘を申し上げたいと思っておりましたが、来年、私どもよりはるかに詳しい資料をお出しになることを楽しみにいたしまして、この問題に対する質問は終わりたいと思います。  そこで、話題が若干変わりますが、この戦傷病者戦没者遺族等援護法などの外国人への適用の問題について御質問をしたいと思うわけでございます。  これは在日韓国人あるいは在日朝鮮人の方からしばしば非常に強い要望が参っておりますので、御案内のとおりだと思うわけでございます。また、厚生大臣は、予算委員会等でも国民年金の加入の問題等でいろいろ指摘を受けられまして、頭を抱えていらっしゃったと聞いておるわけでございますが、実は大臣、この法律も外国人、なかんずく私が特に強調したい朝鮮人あるいは台湾人の方は当時日本人だったわけでございます。この方々が適用になっていないわけでございます。これはきわめて片手落ちだと私は思うのでありますが、恐らくこういう答弁が返ってくると思うのですね。それはすでに日韓平和条約で対日請求権はなくなっております、こうおっしゃるに違いない。しかし、戦前戦後を通じて現在もなお日本にいらっしゃるたとえば韓国人の方、朝鮮人の方を考えてみますと、韓国へ帰っていないのです。だから、請求権は済んだといっても、私どもは被爆者援護法等でよく言うのでありますが、本来原爆というのは国際法違反だからアメリカに損害賠償をすべきだ、しかし、これは平和条約で日本が対米請求権を放棄をした、しかし被爆した方々は請求権を放棄したわけじゃございませんから、放棄をした政府に国家補償を要求する、こういう論理の展開になっているわけですね。  ところが、いま申し上げましたように、韓国人の方々、朝鮮人の方々は、これはなるほど韓国から見て対日請求権を放棄したとおっしゃっても、第一向こうに帰っていないのです。しかも、奇妙なことに戦前は日本人だったわけですね。ちゃんと日本の名前がついていました。私の友人なんかも、その当時朝鮮人の方がいらっしゃいまして、名前まで変えさせられまして日本人型の名前にされてしまいました。いま考えてみますと、日本国民の一員として非常に申しわけないことをしたと思っておるわけでありますけれども、とにかく戦争があった、原爆なら原爆が落ちた、そういうときには日本人としての軍人であり、日本人としての徴用工員であったわけです。どうしてそういった方々に援護法適用にならないのでしょうか。
  90. 松田正

    松田(正)政府委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法は、その法律の性格といたしまして、いろいろ議論があるところでございますけれども、現実の姿といたしましては軍人軍属、準軍属だけを対象にしておるわけでございますけれども、軍人軍属は原則は恩給法適用があるのがたてまえでございまして、そういう意味では援護法恩給法の補完をするという役目を担っているわけでございます。したがいまして、現在援護法が持っております日本国籍に対象を限るというのも、そういったような恩給法等の関連もこれあり、その一環としての援護法の性格を考えますときには、根っこになります恩給法の改正問題もあわせて検討いたしませんと国籍要件につきましての議論はなかなかむずかしいということでございますので、韓国籍あるいは台湾の方もございますけれども、そういった外国人の方につきましての援護法だけの適用というのは、現在のところ非常にむずかしいかと思います。  それから、これは恐らく答弁はこうだろうとおっしゃっておりましたように、日韓関係につきましては一応請求権関係は終了をいたしておるというのが現行のたてまえでございますので、あえて申し上げればそういう問題もあるということでございます。
  91. 森井忠良

    ○森井委員 もう毎年質問をするものですから私の方が質問するのがいやになったのですが、局長がおかわりになったということでもう一度お伺いするのでありますが、軍需充足会社というのがありまして、徴用工でその当時の日本人は全部必要に応じて集められておりました。その中には現在の朝鮮人の方もいらっしゃったわけですね。これは日韓併合というふうな侵略的な行為によって日本人にさせられてしまったわけですからね。そして、軍需充足会社で亡くなった。  皮肉なあるいはまた意地の悪い質問ですけれども、その当時日本人だったということはお認めになるわけでしょう。
  92. 松田正

    松田(正)政府委員 それはまさにそのとおりでございます。
  93. 森井忠良

    ○森井委員 ですから局長、恩給との絡み、いろいろわかりますよ。それは役所の人は必ずそう言うのです。私ども口が悪いものですから、そういうのを官僚的な発想だ、こう呼んでおるのですけれども、しかし、現に私どものように戦争を体験した者から見ますと、当時日本人として同じように軍の命令に従った。国籍は明らかに日本人だった。だから、援護法の二十四条でいけば死亡当時の国籍ですから、これは争いのないところ、日本人だから適用になるのです。ところが、今度は三十一条でしたか、受給者の国籍要件がこれまた日本人でなければならない、こうなっておるわけです。そこに問題があるわけですね。そういうことで除外していくというのは、もう私ども胸がちくちく痛みますよ。いま韓国にいらっしゃる、あるいは朝鮮民主主義人民共和国にいらっしゃるそういった戦争犠牲者の皆さんにまで適用しろということになりますと、いまの法律ではかなり無理が出てまいります。しかし、現に日本に居住しておられる、戦前もそうだった、徴用工員なら徴用工員になったときも同じだった、ずっと引き続いて日本にいらっしゃる方は、私はあなたがどんなに御説明をなさいましても、たとえば年金とか恩給とかいうものと一緒にはできないと思いますよ、これは国家補償なんだから。年金は野呂大臣が非常にお詳しいわけでありますが、年金は国家補償だ、こうおっしゃいましたから、日本語に直せば一緒ですけれども、中身は違うと私は思う。つまり、戦争によって日本が迷惑をかけた、そういう形で特別の観点から理解をしていかなければならぬと思うわけです。ですから、これは引き合いに出すのは私も気がひけるわけでございますが、おととしの本委員会におきまして、たまたま大臣が予算委員会でお留守のときに、その当時の戸井田政務次官がいらっしゃいましたから、これと同じ議論をいたしましたら、戸井田さんが、恐らくほろっとされたんだろうと思うのですけれども、それは確かにそうだ、こうお答えになっています。その一部で恐縮でありますが、「私は、そういった特殊な状況の中における特殊な判断というものがあっていいものと思います。そういう意味から考えて、前向きでひとつ検討をしてみたいと思います。」こういう答弁があるのです。大臣がたまたま予算委員会に出ておられまして、大臣の代行をなさった副大臣とも言うべき政務次官でありますけれども、私は政治家戸井田さんの人柄がそこでわかると思うのです。  野呂厚生大臣だって私は全く同じだと思うのでありますが、いかがでしょうか。
  94. 野呂恭一

    野呂国務大臣 先ほどの警防団とか開拓団とか、ちょっと舞台が広いものでございますからいま明確にお答えができないのは大変恐縮でございますが、確かに援護法恩給法との関連、これも日本人であるという国籍が少なくとも要件であることは御承知のとおりでございます。しかも、この問題は外交ベースで処理さるべき一つの問題もある。だから、総理府とそれから私の方の厚生省と、さらに外務省、この三体が一体となって、つまり政府としてこの問題をどうするか、どの範囲まで検討されるのか。全部というわけにはまいりますまい。それだけに、たとえば受けている人が現在日本国籍を持っているとか、あるいは何年以上勤務しておったとか、いろいろ具体的な問題も考えて、しかもそれは国際的に当然認められるべきものかどうか。しかし、それならば在日朝鮮人の方々、韓国人の方々もいろいろ検討するとして、では台湾の国籍を持っていた人、これは一体どうするのだという問題にまで影響してまいるわけでございますから、単に国内だけの問題でないだけにこれは厄介な問題だと私は率直に考えるわけでございます。しかし、いまの御指摘のように、前向きにこれは政府の問題として一応検討しなければならないのではないか、こういうふうに考えますので、関係省庁と少し知恵をしぼって、従来に変わらざる答弁でなくてもっと具体的に、こういう点に問題がある、せめて問題点だけでもはっきりさせて、それが間違っているかどうか、あるいは御指摘が得られるならばそれは別として、そこまでひとつ詰めていきたい、かように考える次第でございます。
  95. 森井忠良

    ○森井委員 終わります。
  96. 葉梨信行

  97. 平石磨作太郎

    ○平石委員 私、昨年、日赤の引揚看護婦のことについて御質問申し上げましたが、これについて再び御質問を申し上げたいと思うわけです。午前中このことについても論議があったかと思いますけれども、重複する点がございましたら御勘弁いただいて、質問をさせていただきたいと思います。  昨年の質問の際に、当時の局長さんあるいは大臣のお答えの中でわかったことは、国との間にいわゆる使用関係があったかどうか、これが一番問題でございました。この引揚業務につきましては、マッカーサーの指令によりあるいは連合軍の指示を得て政府の行う業務として、その担当が厚生省、そういう形で引き揚げが行われたわけですが、その要請に基づいて日赤は救護看護婦として戦争中に海外に派遣をし、そして戦争が終わった。戦争が終わって、負傷した傷病兵その他を一もう戦争が終わったから、私たちは解任されたから帰ります、こういう立場になったわけですけれども、それではどうにもならないということから、厚生省の要請を受けて再び残留勤務についております。そして、残留勤務について、今度引き揚げが開始されますと、さらにその引き揚げにおけるところの看護等につきましても、当時の、いまでいう厚生省は日赤にそれを要請し、さらに補充要員として新たに派遣した看護婦さんもある。  こういう状況で引揚業務が行われ、そしてその業務中にいわゆる殉職をされ、あるいは公務に起因をして不慮の事故に遭ったといった看護婦さんが三十二名。これらの処遇について、日赤に対する要請をし、日赤が協力をしてくれたことだから、それは日赤の業務でございまして国の方とは関係がありませんので、したがって、これについて戦傷病者戦没者遺族等援護法に準ずるような処置はとれない、これが昨年のことでございました。  そこで問題点は、いま申し上げたように、使用関係にあったかどうかということになるわけですが、私は、あくまでも使用関係にあった、そしてそれは国の大きな業務に協力をしたものであるから、これに対して国はこれら三十二名の看護婦については処遇をすべきだ、遺族に対して処遇をすべきだ、このような観点に立っておりますが、再びその点をお伺いしたいと思います。
  98. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいまの問題は、引揚業務に従事をいたしました日赤救護看護婦の処遇の問題でございまして、これには二つの問題点があろうかと思います。  その第一番目は、かような日赤の救護看護婦さんたちが、引揚業務、これは戦争と非常に密接な関係がございますけれども、こういった業務に従事をいたしました時期の問題が一つございます。つまり、現在の援護法は戦争公務あるいはその公務に準ずべき業務の間に起こった死亡、傷害、こういったものにつきまして何らかの補償を考えていくというのがたてまえでございますので、引揚業務というものがそういった期間の中でなされなかった、あるいはなされたと考えるのか、こういう問題点が一つございます。  それからもう一つは、ただいま先生指摘の使用関係の問題でございまして、これを御案内のとおり昭和二十一年に厚生省と日赤とが協定をいたしましたその中身を考えながら、形式的にあるいは実質的にどのような使用関係にあったかという問題。この二つでございます。  私どもの現在までの取り扱いは、前者につきましてもまた後者につきましても、援護法適用するだけの要件を満たすものではないということを前回からも御答弁を申し上げているところでございまして、この点は、取り扱い上はそういうことで現在まで至っているわけでございます。  ただ、こういったような業務の方々が、現在処遇をいたしておりますもとの日赤看護婦あるいは今回調査をいたそうといたしておりますもとの陸海軍の看護婦さん、こういった業務形態あるいはその中身につきまして、全然変わらないじゃないか、こういう御議論は確かにそのとおりだと思うわけでございますけれども、現行法適用の問題といたしましては、ただいま申し上げました二点が非常にネックになろうか、こういうことでございます。
  99. 平石磨作太郎

    ○平石委員 その二点について、いわゆる戦争後の行為であるから、その点は私しばらくおきます。だから私は、この法律そのものを適用しようというのではない。法律に準じた何らかの形がとれぬかということを申し上げておるのです。  そこで、次の二番目の問題です。これは昨年も論議を交わしたところですが、いわゆる使用関係にあったかどうかということについては、国は引き揚げの業務の全体については責任がございます。そして、その責任を一部、引揚担当について、いわゆる船を運航し、引き揚げを担当することについて、これは日赤が部分的に責任を持っております、こういうことでございました。その部分的に持った責任というのは、私の理解から言えば業務遂行責任です。だから、国の全体の責任というものが、それぞれの機関の担当者に預けたから国は免責されることになる、こういう論法だと思うのですが、どうですか、おたくは。
  100. 松田正

    松田(正)政府委員 国と日赤救護看護婦さんとの関係、それから日赤と救護看護婦さんとの関係、この辺はいろいろ見解の分かれる点があろうかと思いますけれども、前回法案の審議をいただきました際に、引揚業務というものは、全体的には厚生省の責任はもちろんでありますけれども、部分的、たとえば衛生管理の問題でありますとかあるいは健康管理の問題、治療の問題、これは日赤にお願いをして、その部分は日赤の責任でやっていただく、こういうような趣旨のことをお答え申し上げたかと思います。確かに、引き揚げの問題全体につきましては、これは国の事業でもございますし、それを担当いたしておりますのが厚生省でございますので、引き揚げ全体の業務は確かに国、つまり厚生省の責任で行われたことは事実でございますが、個々の部門、特に日赤にお願いをいたしましたのは、当時看護婦等の医療関係者の不足、そういったことから日赤にその部分をお願いをいたした、こういう関係にもございますので、その部分につきましては、協定書にもございますように、給与等の支払いも日赤にお願いをいたして、責任を持って日赤がその体制の中で実施をするというたてまえになっているわけでございますので、直接、日赤の看護婦さんと国との関係におきましては、いわゆる使用者、被用者という関係が成立しにくいのではないかということでございます。
  101. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いまお聞きしたのは、国が免責になりますかということですよ。厚生省のいまの論法からずっといきますと、一切頼んでしまったから国には責任がないと。業務を行う範囲においての業務遂行責任は、それは当然のことですよ。当然のことですが、それなら国はそれによって免責になったかどうか。免責にはならぬと私は思う。どうです。もう一回、簡単にお願いします。
  102. 松田正

    松田(正)政府委員 責任をどういうふうに解釈するかの問題であろうかと思いますが、個々の日赤の看護婦さんを対象にいたしまして、ダイレクトに国が補償するとか慰労するとかという意味での直接的な責任はないというように考えております。
  103. 平石磨作太郎

    ○平石委員 事故が起きたときに、そういった海外からの引き揚げを行うということについては危険が伴います。そういう危険負担一切、危険と言うたらちょっと言葉が適切でございませんが、そういう事故が起きる、−そして一命をささげてしまった、殉職した。国のために働いた、これは間違いない。お国のために働いて、殉職をせられるような危険のあることを国は頼んでおるのです。予想せられることですよ、これは。だから、それは万遺漏なきように日赤としてもやったと私は思う。日赤も万遺漏なきようにやったとは思うけれども、そこには天候を相手にした、また特に一つの事例におきましては、大きな波の高いところで船が浸水をして、転覆をして犠牲になった、いわば不可抗力。まあ不可抗力の理屈を国にまで持ち込むということになるというようにとられると困るのですけれども、やはりそのように危険の伴う行為を要請をして行わしめた、これらについても免責されますか。
  104. 野呂恭一

    野呂国務大臣 いま局長が答えておりますことは、決して国に責任がないと申し上げておるのではないと私も思うのであります。ただ、雇用関係の問題と責任の問題とは、私は別であるということだと思うのであります。したがいまして、確かに日赤の看護婦が引揚業務に参加をした、これは国の要請、決して国は責任を回避すべきではないと私は思います。しかし、その雇用関係というものについては、これは日赤本社との間になされたことである。したがいまして、ことしから慰労金として支給をいたしておりますこの従軍看護婦に対する支払いの業務は、日赤との雇用関係において日赤が果たしておる。しかし、その財源について、原資は国が予算措置を講じておる、こういうことで、責任がないなら予算措置は講ずる必要はない。責任があるからこそ、私は予算措置を講じたものであると解釈をいたすのであります。  したがいまして、いまの問題から申しまして、雇用関係は、すでに日赤との間におきまして、昭和二十一年二月六日、厚生省の外局でありました医療局と日赤との間において派遣に関する協定が結ばれた。俸給は日赤が支払います、しかも引揚援護業務従事中に死亡した場合においては国が補償するという取り決めはなされていないという事実。同時にまた、それによってこれらの方々に対しては、日本赤十字社の戦時扶助及弔慰規則によって、日赤から一時金という形で遺族扶助料等が支給されたという事実、これはやはり雇用関係からくる日赤の扱いであると思います。しかし、その責任は国にないということを申し上げておるわけでございません。したがいまして、先ほども金子先生にもお答え申し上げましたとおり、これは十分考えなければならぬ問題である。この処遇に対しましては、政府としては積極的に問題の解決に当たりたい、こういう前向きな姿勢を局長も答弁をいたしております。私も、これは政府の責任の者として、御指摘の日赤看護婦が引揚業務に当たったこの事態、これはやはり国の要請を受け、そして日赤本社の直接の雇用関係においてなされた戦争公務というものは、これは十分に考えていかなければならない問題であるということを申し上げたいわけでございます。
  105. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いまの大臣の答弁は、一応前向きにこの件については検討すると。そして、いま大臣の答弁の中にありましたが、前に論議になりました日赤の救護看護婦、これについてもやはり国の方でそれだけの実情に合うような処遇をとった、この言葉も出ました。そういったことから判断したときに、これは前向きに一応検討してやっていくということですね。  それでは、この問題については終わらしていただきます。  次に、戦傷病者戦没者遺族等援護法についての厚生省の審査決定のあり方、このことについて御質問を申し上げてみたい。  遺族年金が、昭和二十七年から戦傷病者戦没者遺族等援護法が行われて、それぞれ請求があり、いま受給者もあると思うのですが、二十七年ごろの受給者数と、いま現在、新しい受給者数をお示しいただきたい。
  106. 松田正

    松田(正)政府委員 遺族援護法に基づきます遺族年金遺族給与金障害年金、三つの種類がございますので、それぞれ申し上げます。  昭和二十八年は、遺族年金の数が三十六万一千四百五十三でございました。それから約十年たちました四十年、十八万一千八百四十三でございます。それから十年たちました五十年、十万七千二百四十三でございます。現在、五十四年が一番新しい数字でございますが、九万百九十五ということでございます。これが遺族年金でございます。  遺族給与金、この制度ができましたのが四十年ごろからでございますので、四十年の数字をまず申し上げます。三万五千三百三十七件でございます。それから十年たちました五十年、四万二千七百四十八。五十四年、三万九千六十八でございます。  障害年金でございますが、これは二十九年の数字がございますので申し上げますと、千九十一でございます。それが約十年たちました四十年、三千四百二十九。それから五十年、五千四百二十四。五十四年、五千八百七。  以上でございます。
  107. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いまの数字を教えていただいて、遺族年金につきましても約五分の一に下がっておる、こういうことがうかがえます。このように、ずっと受給者がなくなるというと語弊がありますが、少なくなってくるということは、だんだんと高齢化が進んで受給者がいなくなってくる、これを示しておると思うのです。だんだんと受給者数が落ちてくるということは、これから新たに請求をしようといったような場合に、高齢化が進んだことがこの数字の上で明らかになりますと、やはり新たに申請をしようかという方々が、自分を立証するために、いろいろな証拠といいますか、あるいは証言といいますか、こういったものを集めなくてはなりません。それもだんだんとそういった証人になってくれる人、兵隊さんで言えば隊長さんあるいは戦友、こういった方々もずっと少なくなっているわけです。だから、三十年余りたっていま新たに申請をしましても、その証拠の立証がなかなかむずかしい。これは証拠が散逸をするし、あるいは知っている戦友が亡くなってくる、こういう状態の中で、その条件をそろえてください、このように厳しく言われても現実にはむずかしいわけですね。  そういう中で、現在私にもいろいろな相談が参りますが、挙げてそういうことが一番みんなが苦労しておるところです。そして、厳格な審査をせられ、決定を受けるということになりますと、ほとんどの者が、まあほとんどとは言えませんけれども落ちてしまう、却下される、こういう形において、先ほど資料をいただきましたけれども、過去七年間の不服申し立て、異議申し立ての件数を見てみますと、年々異議申し立ての件数が非常にふえてきておるわけです。私はそこに関連が出てくると思うのです。だから、もうそんな条件はつけるな、このように言いたいけれども、そういうわけにもまいりませんので、法の許す範囲取り扱いが可能な範囲においてそういった証拠については緩和した取り扱いができないものかどうか、一言お答えいただきたい。
  108. 松田正

    松田(正)政府委員 遺族年金の数が激減をいたしておりますことは、いま申し上げたとおりでございます。現在の受給者の平均年齢は約六十歳だと記憶いたしております。したがいまして、相当老齢化しておりますし、またこれからもだんだん老齢化してまいりますので、受給件数が当然減ると思います。遺族藤給与金あるいは傷害年金につきましては、最近に至りまして範囲の拡大等を実施をいたしておりますので、その減り方あるいはふえ方、いずれの方にも考えられる数字でございますけれども、いま御指摘のように、遺族年金等を裁定するに当たりまして、私たちは決して冷淡に扱っているわけではございませんので、客観的に得られる資料で正しく裁定をする、これが本来の行政の姿勢だと思います。ただ、不必要な資料を要求をしたり、あるいは曲げて事実を解釈をいたしましたり、そういったことのないようには、私も責任者の一人といたしまして常々注意をいたしておるところでございます。片や厳正に、片や実情に応じてというのが行政のあり方であろうかと考えております。したがいまして、そういう方向で、今後とも申請者の立場を尊重しながら、しかも行政の厳正さを欠かない、こういうことで対処をしてまいりたいと考えております。  それからなお、援護審査会に対する不服申し立てが多い、これもそういう事情を反映しておるのではないか、こういう御指摘でございます。なるほど、そういう点も全然ないとは申し上げませんけれども、御存じのように、援護法は恩給と異なりまして、たとえば実父母あるいは子供、奥さんあるいは養父母、こういったものの認定につきましては、戸籍主義をとっておりません。実の親子あるいは実の妻、事実上そういったものと同じような事情のあるものまで援護法は包括をいたしております。これは先生御存じのように、そういうふうに逐次改善をしてまいっております。たとえば、本人の戦争状態における状態にいたしましても、いわゆる敵前逃亡というようなこともその対象にする、あるいは再婚解消妻につきましても事実行為としてこれを認める、こういうことで援護の拡充を図ってまいっております。そういうことも影響いたしまして、だんだん事実認定の問題がむずかしくなる、こういったことで、援護審査会に対する不服審査が増加をしておるのが大きな原因であろうかと思います。  不服審査申し立てを私たちそれぞれ処理をいたしておりますけれども、そういったことで、不服審査がふえるということは必ずしも好ましい傾向でないかもしれませんけれども、いま申し上げましたように、行政の厳正さと同時に、御本人たちの立場を考え合わせての行政ということでございますので、多少の審査案件の増加はやむを得ないものというふうに考えております。
  109. 平石磨作太郎

    ○平石委員 そこでひとつ、厚生省の決定した具体的な件についてお伺いをしてみたいと思います。  このケースは高知県の方なんですが、いま答弁の中にありましたように、法律上はこの人はその当時旧民法で言えばいわゆる戸主でございました。戸主なるがゆえに、他家の養子として入りましたけれども、これが戸籍の上で養子としての縁組みができない、そういう立場です。小さいときにお父さんも亡くなりお母さんも亡くなった、そして扶養する者もないから、きょうだいである弟の方のおじさん、おばさんのところで養育されて大きくなったのです。ところが、お父さん、お母さんが亡くなったものですから、法律上は家督相続人として、小さいときに戸主になってしまった。ところが一方で、おばさんのところに行って育てられて兵隊に行きましたけれども、法律上これが養子ということになり得ませんから、事実上大きくなって、そこから出征をしたというケースなんです。  これについて申請をいたしましたところ、そのようには認められぬというようなことで、おたくから却下になって、現在不服の申し立てをしておるのです。こういうケースは、具体的におわかりいただいておるとは思うのですけれども、やはり戦地からお母さんあて、お母さんというのは養母のおばさんですが、それにあてて数々の手紙も来ております。私は、小さいときから育てられていなければ、そんなに手紙が来るはずがないと思うのです。それから、当時高知は南海大震災というので、養母の家はちょうど南海大震災で物すごい水浸しになった。家は倒壊をして、ほとんど二十日間ぐらいは水浸しであったわけです。そういう中で、このおばあちゃんはこの手紙を残しておるのです。はがきを残しておるのです。大事に持っておるのです。そんなことが、自分が小さいときから育てていなかったらできますか。私も兵隊に行って、家へ手紙をたびたび出しましたけれども、帰ってみると一通もありません。  そのように、この子一人を、法律上の養子縁組みの子供ではないけれども、この子にこの子にという形で育てて兵隊にやったことは間違いないんです。ああいうような惨禍を受けた南海大震災のときですらそういったように手紙を後生大事に持っておるというこの事実を見たときに、そこには事実上の親子関係があった、このように私は思うのです。そして、時間がございませんから申し上げていきますが、現在この人の位牌は養母であるお母さんが自分の菩提寺でお祭りをしておる。それから、実家の方の弟がおります。この実家の方の弟に遺族弔慰金が出ておりますが、それは、これは私がいただくべきものでないと言うて、いただいたらそのままその宮地というところへ持っていっておるのです。  こういうことを考えたときに、却下の理由はない、これは事実上の親子であった。弔慰金までもらったものを実家の者が宮地さんというおばあちゃんに持っていってやっておる。そのようなことを考えたときに、これはやはり却下すべきじゃないんじゃないかという気が私はするわけです。七十二歳になったこの宮地繁美さんという高知市内のおばあちゃんが一人でそのことを一生懸命に私にこの前訴えた。だから、これがいま不服審査に基づいて審査にかけられておりますけれども、審査をどうのこうのは私は言いませんが、いままで決定をされた厚生省のこの取り扱い、審査の仕方、決定のあり方、いま答弁にありましたが、事実上のことをよく、客観的に見ていただくことも結構ですが、やはり温情を持って見ていただきたい。そして、ただ一つつかえておることは、戦地から来ておるはがきの中におじちゃん、おばちゃんと書いてあるわけです。おじちゃん、おばちゃんと書いてあるから親子でないというのが一つの問題ですけれども、よく聞いてみますと、この人が養家に入ったのが十一歳か何ぼですよ。それまでおじちゃん、おばちゃん言うておったから、いまさら何か恥ずかしいというか、そういう気持ちで兵隊に行くまでずっとおじちゃん、おばちゃんで通してきたわけです。ところが、隣近所での話の中では、うちのおやじが、うちのおふくろがという話があったということの近隣民生委員、隣近所の人からの証明も出ておるわけです。うちではおじちゃん、おばちゃんで来ておるわけです。  そういう状況でございますから、私はどうせい、こうせいとは申しませんけれども、この一事の例を見ても、客観的な中にももっともっと温情味のある取り扱いをしてもらいたい、こう思ってここで申し上げておるわけですので、ひとつこれは大臣にお答えをいただきたいと思います。
  110. 野呂恭一

    野呂国務大臣 局長も温情味を持ってこの解決に当たりたい、こういうことでございますから、局長から答弁させます。
  111. 松田正

    松田(正)政府委員 前向きで検討いたしまして結論を出す予定でございます。
  112. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それでは、今度は陸海軍看護婦について。これは日赤の救護看護婦の処遇が終わりましたが、同じような立場において陸海軍の看護婦もこのことについての要請が来ておろうと思いますが、大臣、今年の予算の中で千七百万の調査費を組んでいただいたわけですが、この調査はいつごろをめどにして調査せられるのか、調査内容等おわかりになればお示しいただきたい。そして、これの調査が終われば大体いつをめどに実施をしたい、こういうことなのか、それもあわせお伺いしたい。
  113. 松田正

    松田(正)政府委員 旧陸海軍看護婦さんの実態調査につきましては千七百万円予算を計上いたしました。具体的にまだ最終結論を持っているわけでございませんけれども、現在のところ各都道府県を通じましてもとの陸海軍の看護婦さんの名前をそれぞれの名簿から抽出をいたしまして、その方々にそれぞれ調査票を配付いたしまして所要の事項を記載をしていただく。所要の事項の中心は外地における勤務地、勤務年限、これが中心になろうかと思います。実施の時期は来年度早々にも実施をいたしたい。その後どうするかということでございますけれども、早々に実施をいたしますので、できるだけ早く実態調査の結論をお出しいたしまして各省庁検討の上で方針を決めたい、こういうことでございます。
  114. 平石磨作太郎

    ○平石委員 いまの御答弁で大体わかりましたが、特に野呂大臣はこれについては積極的な姿勢を前々から持っておられましたし、安心をしておるわけですが、ひとつよろしくお願いをしたいと思います。  次に、中国からいま里帰りが出ておる。これは質問通告に出してございませんでえらい失礼でございますけれども、急に質問の事項に入れさせていただいたわけです。国交回復に伴って中国から大変里帰りもございますし、あるいは日本に帰っていわゆる永住する、こういった方々がたくさん出てまいりました。私ども高知県の方にも大変帰ってきておるわけですが、ところが、この人たちは日本の社会に復帰をして日本で生計を営むということになりますと、言葉の障害がございます。また、いままで育ってきた習慣が違う、そして日本の職場へ入りましてもいろいろとそういったようなことから思わざるトラブルが出てくる、こういったようなことが起きておるわけです。したがって、この人たちを日本の社会へ復帰さすためには、その人たちだけの責任あるいは地域の方々だけの責任というような形に置いておくということはできないのじゃないか。もちろん本人の努力も必要です。本人自身が社会に復帰するために日本の習慣を早く勉強し、言葉にもなれるということが必要ですが、このようなことについて国はいまどのように対応しておられるのか、えらい突然の質問で恐縮でございますが、お答えをいただきたいと思います。     〔委員長退席、越智(伊)委員長代理着席〕
  115. 松田正

    松田(正)政府委員 中国からの引揚者の問題につきましては、私たちもその立場を考えましてできるだけの手厚い援護をいたしたいということでかねて努力をいたしております。特に五十五年度におきましては、いまお話のございました点についてしぼって申し上げますと、やはり社会生活に早く適応させる、特に言葉のハンディキャップという問題もございますので、週一回、これは約一年間を考えておりますけれども、引揚者の生活指導員を派遣をいたしまして具体的に生活指導に当たらせるということを新しく考えております。それからもう一つは、社会生活に適応できると同時に、適当な職を得て自立をしていくということも当然必要でございますので、特にこれは労働省の方にも御協力をお願いいたしまして職業訓練校、これはいま八校考えておりますけれども、これに生活指導員といったものを設置をいたしまして、具体的に職業訓練、職業を学ぶ過程でも生活指導をすることによりましてより早く自立ができる道をつける、こういう方策を新たに考えております。それからその他、私たちふなれな者も多うございますので、その道の専門家を集めまして、一体どういうふうにすれば帰ってこられた方々が不安げなく生活が送れるような素地ができるか、こういうような問題につきましては、引揚者のための定着化委員会というものを設けまして、学識経験者等の御意見を聞きながら適切な措置ができるように方策を立てるための委員会を設置をする予定でございます。  それから、いままで帰還手当でありますとか、そういったものもそれぞれの状況に応じて改善をすることにいたしておりますけれども、ただいま先生指摘のございました点の直接関係のある部分は以上でございます。     〔越智(伊)委員長代理退席、委員長着席〕
  116. 平石磨作太郎

    ○平石委員 大体そういう形で考えていらっしゃるということは非常に結構なことですが、現実に話を聞いてみますと、私、高知県のことしかわかりませんが、高知県ではいわゆるボランティアとして積極的に生活指導、それから習慣を教える、言葉を教える、これをやっておるわけです。この人たちのお話を承ってみますと、まず言葉が問題、それから生活指導に派遣をする方々も中国語ができなければこれは話にならぬということですね。そのような一つの隘路もございます。高知でボランティアでやっておる方々は中国におられた方でして、非常にその面は話ができる、そして心が通い合うということです。そして、この人たちが遠く離れた山里まで車で行くのについて、やはり自費でもって自動車で行って三日も四日も泊り込んでやらなければいかぬ。三日も四日も泊り込んで指導して帰る。それで、日本の社会でのいろいろな隣近所のおつき合いの中でトラブルが出てくる、それの調停もしなければならぬ。いろいろな誤解が生まれてくるわけです。それの調停をし、そして指導をしということになりますと、ただ郵便屋さんが、たあっと回ってくるような調子にはどうしてもいきません。行ったら何か出ておるのだ、そういった調整もして、自分の費用で行っておるということで、高知県ではそういう一つの団体をつくって、そこで中国から引き揚げて現在社会でりっぱに活躍しておられる方々が出し合って、拠出をして、そういう一つの任意の組織をつくって、それへ県も半分助成をしておるわけです。そして、その中で運営をしておるのですが、金額的にも百何万といった程度のことでして、非常にその面で苦労がいっておるわけです。だから、その善意はやはり私たちも買ってやらねばなりませんが、ただ善意のみに頼るというわけにもいきませんので、国もこういったことにお考えであるのなら、応分の予算をもってこれらにある程度助成もする、こういった形でこれを育ててほしいと思うのですが、その点よろしくお願いをしたいと思うのです。ひとつ御答弁をお願いしたいと思います。
  117. 松田正

    松田(正)政府委員 高知県の実例をお話を伺ったわけでございます。まことに結構なことだと思います。早速県の方とも相談をいたしまして、そういったような善意のグループの方々にどのように御協力を願えるか、もし御承知をいただけるのであれば生活指導員等というようなことでなっていただきまして、より積極的に事業を進められるようによく県と相談をいたしたいと思いますが、経費の点につきましては、こういったものをどういうふうに進めていくか、まだことし始めたばかりの事業でございます。そういったことを考慮しながら検討いたしてまいりたいと思います。
  118. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それでは、積極的なそういう姿勢を多とするわけですが、いずれにしましても、これからだんだんそういう形のものが多くなりますので、積極的にひとつ取り組んでいただきたい。それに要する予算措置は今年から始めるということについては、現在とっておりますか、どうですか。とっておればお示しいただきたいと思いますが。
  119. 松田正

    松田(正)政府委員 そういう活動の経費は現在予算に計上いたしておりません。
  120. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それは予備費か何かでやろうかというところですか。
  121. 松田正

    松田(正)政府委員 まだ予算の審議中でございますので、何とも申し上げられませんけれども、検討するといたしましても来年度以降ということになろうかと思います。
  122. 平石磨作太郎

    ○平石委員 それでは、これで終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  123. 葉梨信行

    葉梨委員長 次に、伏屋修治君。
  124. 伏屋修治

    伏屋委員 私は、今会期から社会労働委員のメンバーになりましたので、非常に認識のずれがあるかと思いますし、また先輩委員の皆様方が過去の審議の中でいろいろと発言なさったことと重複する面もあるかと思いますけれども、その面はあしからずお許しをいただきたいと思います。  私は、まず最初に、先ほど森井委員の方から質問がございました、韓国人であるがゆえにいわゆるいま審議中の援護法適用を受けられない、この問題について二、三質問をいたしたいと思います。  仙台在住の三十九歳になる在日韓国人の記事がございます。その中に「日本の侵略戦争に強制的に協力させられて死んだ父を、こともあろうにその侵略戦争の象徴である靖国神社に合祀するなどもってのほかだ」という発言が記事になっております。「日本人として死んだから靖国にまつるというが、遺族補償は日本人でないからと一銭も出さない」こういうような記事がございますが、現在そういうような靖国神社の合祀の事実というものについてまず確認をいたしたいと思いますが、その点お答えを願いたいと思います。
  125. 松田正

    松田(正)政府委員 聞くところによりますと、実態としてそういう措置がとられている向きもあるということでございますが、この靖国神社合祀の問題については厚生省は全然関知をいたしておりません。
  126. 伏屋修治

    伏屋委員 では、この問題についての基本的な問題にかかわりますので、厚生省が携わっておらないとすれば早急にそれを確認していただきたいと思いますが、その点どうですか。
  127. 松田正

    松田(正)政府委員 調査をいたすことができるかどうか、ちょっとここでは直ちにお答えいたしかねます。
  128. 伏屋修治

    伏屋委員 では、その問題はそれくらいにしておきましょう。  先ほど森井委員の方から、大臣の想定答弁というようなことも交えながら質問をされました。現在韓国人が韓国人であるがゆえに援護法適用をされないということは、いわゆる私がここで想定いたしましても、大臣の答弁といたしましては日本国籍を有しないからというような答弁が返ってくるのではないかと思います。しかし、現実的には在日韓国人の皆さんはそれぞれ納税をしておられるわけでございます。税を納めておられるわけでございます。税は納めさせるけれども、そういう給付の対象というものでは完全に除外する、そういうところに非常に矛盾を感ずるわけでございますが、そのあたりのお考えはどうですか。     〔委員長退席、住委員長代理着席〕
  129. 松田正

    松田(正)政府委員 援護法のたてまえは、国が戦争公務あるいはその公務に準ずべき業務について使用者という立場あるいは使用者に準ずべき立場として、その対象になる者について遺族年金なりあるいは障害年金という形で国家補償というかっこうで補償をするというのがたてまえでございます。したがいまして、現に国内に住んでおられる外国人の方が、所得税その他納税をさせるというたてまえとは全然異質のものだというふうに理解をいたしております。
  130. 伏屋修治

    伏屋委員 先般、さきの予算委員会の集中審議の中でも、私どもの同僚議員の草川委員がいわゆる在日韓国人の年金問題について触れております。それに対しても、やはり日本国籍を有しないからという答弁に終始しておるように聞いております。しかし、いまの税の体系が違うというお話でございますけれども、税を納めておることにおいては事実でございます。そういう面も勘案するならば、その面をもう少し重視する中で考えていっていただきたい、こういうことを私は強く要望するわけでございます。  もう一点、それと関連しまして、昨年の国会で批准になりました国際人権規約がございますが、それに関連しまして厚生省はこの援護法適用範囲というものをどのように考えられておるか、その辺をお伺いしたいと思います。
  131. 松田正

    松田(正)政府委員 援護法適用につきまして国籍要件を柱としておりますのは、援護法の給付は本来軍人及び軍属あるいは準軍人を含めました軍人軍属というものに対する国家的補償の補完的地位を機能として営んでいるわけでございます。つまり、恩給法適用にならない部分につきまして援護法が働いてくるというのが本来の制度の根本にあるわけでございまして、そういう意味で援護法だけが国籍要件云々ということにつきましては、恩給その他の関連等もございまして、なかなかむずかしい議論であろうかと思います。  それから、国際人権規約、これは先般の国会で批准をされたわけでございますが、ちょっといま条文を持っておりませんけれども、たしか国家補償的な施策につきましてはこれを除くことができるような規定があったはずでございます。また、社会保障的な施策につきましても漸進的にこれを実施するというような規定もたしかあったわけでございまして、援護法の規定につきましては前者の国家補償ということで、これを各外国人に及ぼさないことをもって直ちに国際人権規約に違反するものではないというふうに了解をいたしております。
  132. 伏屋修治

    伏屋委員 国家補償であるから国際人権規約に該当しないということでございますが、あくまでもこの国際人権規約というのは個人の尊厳性を重んじたのが主流でございます。そしてまた、その個人の尊厳からしましても国が個人的な差別を行ってはならない。これが主流であると私は考えております。そういうことから、一片の国家賠償法であるがゆえにこの世界人権規約には違反しない、その答弁では私はちょっと不満でありますので、再度答弁をいただきたいと思います。
  133. 松田正

    松田(正)政府委員 いま申し上げましたのは、形式的な、人権規約との関係でその法律関係はどうなるかということを申し上げたわけでございまして、世界のそれぞれの個々の人間が人間として尊重されるということについては、私も当然異存があるわけではございません。
  134. 伏屋修治

    伏屋委員 この考えについて大臣のお考えもお聞きしたいと思います。
  135. 野呂恭一

    野呂国務大臣 問題が二つになっておりまして、先ほど局長も答弁申し上げましたとおり、国際人権規約を批准した今日、国民年金について日本との関連をどう解決していくかという問題、もう一つ援護法を日本の軍人であったり軍属であった韓国人に対して適用すべきではないかというものと、問題を一緒には論議できないと思います。  まず、国民年金の問題につきましては、いままでお答え申し上げておりますように、二十五年という長い間掛金を掛けていただいて、その結果支給の対象となるという性格を持っておる。したがいまして、途中で国に帰られたといった場合にその権利保全をどうするかという技術上の問題が出てくるではないか。したがって、いま日米間で協議をいたしておりますように、この種の問題については二国間協定方式で話を進めていかなければならない。しかし、韓国には国民年金もしくはこれに似通った制度というものがいまのところありません。したがって、日米間におきます二国間協定方式をもってしては解決の方向がいま見出されない。したがって、どういうふうにこれを持っていくかについては十分検討いたしますが、ただし、二国間協定方式で両国間で詰めていくということしかないではないか。いままでの韓国側との話し合いの過程では、この問題についてはこちらとして何も積極的な姿勢を示していない、日本側として回答いたしていないという経緯もございます。しかし問題は、日本と韓国とのいままでの深い関係というものを判断いたしますならば、これについても積極的に検討さしていただきたいということをお答え申し上げてきたわけでございます。  さて、本論でございます、かつて日本軍人あるいは軍属であった韓国人あるいは朝鮮人に援護法適用するかどうかという問題につきましては、恩給、援護法ともに日本人という国籍を必要とするということが大きな要素であることは御承知のとおりであります。この問題でございますから、仮に援護法は日本国籍を持たなくてもいいという判断はもちろんできない。ことに、恩給の補完的な性格である援護法といたしましては、恩給と絡んでこの問題を考えなければならぬということが第一点であります。  第二点は、昭和四十年の日韓請求権協定の発効に伴ってこの問題はすでに解決したのだという一つの外交レベルの判断というものもあるわけでございますから、先ほども森井先生のときにお答え申し上げましたとおり、これは総理府、厚生省さらに外務省、こういう三者が一体になって政府としてこの問題をどう考えていったらいいのかということについて検討をさしていただきたいということを申し上げたわけでございます。どうぞそういうことで、この問題をどう処理すべきかということについて政府一体となって検討する機会を積極的につくってまいりたい、かように考えておりますので、御理解を願いたいと思います。
  136. 伏屋修治

    伏屋委員 先ほど援護局長は、私も国が人を差別することがあってはならない、こういうふうに言われましたけれども、行政はそれを具体的にどのように現実化していくかということでございますので、その辺を世界人権規約にのっとって——先ほど大臣の答弁では、二国間のいわゆる賠償請求権の放棄とかいうようなことからもそういうことはあり得ないというようなことも話がありましたけれども、ただそういうふうに木で鼻をくくるような答弁ではなくて、いま大臣の答弁の中にはやや前向きな御答弁もございましたので評価をいたすのにやぶさかではございませんけれども、国が個人を差別しないということをいかに行政で具体化していくか、これにもっと積極的に取り組んでいかなければならない、このように私は強く要望する次第でございます。  それから、年金の問題等も大臣は答えられましたけれども、外交ルートを通じながらそういう交渉を進め、二国間の中で、現に日本の国の中に韓国人が在住いたしておるわけでございますし、また日本妻といたしまして韓国にも日本人が在住いたしておるわけでございますので、そういう面からも二国間のさらなる密度のある交渉の中で、そういうものが韓国でも実現し、日本でもそういうような援護の手が差し伸べられるというような具体的方途を積極的に考えていただきたい、このように考える次第でございます。  それから、二国間での賠償請求権の放棄ということでございましたけれども、冒頭に私が読ませていただいた方は三十九歳の仙台在住の在日韓国人でございます。この方の靖国神社の問題についての記事は冒頭に申し上げましたけれども、この方のお父さんがいわゆる海軍軍属としてボルネオで戦病死しておるということでございます。そういう方々は在日韓国人の中にたくさん見えると思うわけですね。だから、そういう方々に対して、いわゆる援護法恩給法の補完だからというので、国籍を有しない者は対象外だというふうにしておられるわけでございますけれども、現在いろいろな面で日本に帰化をする韓国人もふえております。そういう帰化をされた方の両親に当たる方々がそのような戦傷あるいは戦病死をなさったという場合にはどういうふうな措置をとられるわけですか、お尋ねしたいと思います。
  137. 松田正

    松田(正)政府委員 国籍要件には二つございまして、亡くなられた方が日本国民であるということと、年金を受け取られる方がその方との生計維持関係とか、話はございますけれども、その方もその当時日本の国籍、現に日本の国籍を持っておる、こういうことでございますので、先生おっしゃる御趣旨は十分理解ができるわけでございますけれども、現行法上のもとではなかなか解決の困難な問題であろうかというふうに考えております。
  138. 伏屋修治

    伏屋委員 いまの答弁は、いわゆる援護法適用のときに受給者も国籍を有してないから困難であるという答弁と受け取りましたけれども、今後においてもそれは変わりないわけですか。
  139. 松田正

    松田(正)政府委員 直ちに結論を申し上げにくいわけでございますが、この方針は堅持をせざるを得ないものというふうに考えております。
  140. 伏屋修治

    伏屋委員 重複して申しわけございませんが、現に生存しておる、いま私が読み上げました記事の三十九歳の方々、こういう方々はたくさんおると思うのですね。世界人権規約の中でも、国が個人を差別してはならない。そして、その人が帰化して日本の国籍を有したというふうになってきて、それが援護法対象にならないということになると、明らかに差別をつけておるというふうに私は思うわけであります。その辺のところは弾力的にそういうような援護法適用というものを考える意思があるかないか、その辺を再度お尋ねしたいと思います。
  141. 松田正

    松田(正)政府委員 二国間の問題、いま大臣からお話がございましたように、たとえば国民年金の問題等二国間協定というような方式も一応考えられるわけでございますが、援護法のたてまえ上、二国間で話をし合って適用するとかどうとかという余地はございませんし、大臣から申し上げましたように、そういったような韓国民と日本との間の請求権関係というのは、一応日韓の請求権協定で外交上のけりはつけておるわけでございます。そういうようなむずかしい問題もはらんでおりますので、いまにわかにどうこうするということは非常にむずかしい問題ではなかろうかと考えております。
  142. 伏屋修治

    伏屋委員 韓国に帰られた方のことを聞いておるのではなくて、いわゆる在日韓国人の方で、帰化して日本国籍を有するというふうになった場合も、あくまでも先ほどの答弁のように、援護法適用対象外ということになれば、世界人権規約から言っても明らかにこれは国が差別をしておる、このように考えられるわけですけれども、あくまでもやはり援護法の制定当時の考えのままいくのかどうか、もう一度お尋ねしたいと思います。
  143. 松田正

    松田(正)政府委員 遺家族援護法適用に当たりまして、戦死をされた方あるいは公務で亡くなられた方、こういった方々の遺族年金、あるいはそういったことで負傷された方の障害年金その他給付があるわけでございますが、特に遺族年金について申し上げますと、これは戦死をされた方の死亡の当時を、その事実をもってまず判断をする、そして年金権が発生をしたときの事実をもって判断をするというのが基本的なたてまえでございます。したがいまして、後ほど日本国籍を取られたということでありましても、現行法の趣旨から申し上げますと、先生がおっしゃったようなことにはいたしかねるということでございます。
  144. 伏屋修治

    伏屋委員 まことに不満でございますけれども、時間の関係もございますので、次の問題に移ってまいりたいと思います。  次の問題でございますが、全国に戦災傷害者連絡会というものがあることは御存じですか。
  145. 松田正

    松田(正)政府委員 正式の名前は私は記憶いたしておりませんけれども、そういうような連絡協議会があることを承知いたしております。
  146. 伏屋修治

    伏屋委員 その連絡会が一昨年、大会を名古屋で持ちました。その大会の決議といたしまして、戦災傷害者及び死没者の全国実態調査の早期実施とそれから戦時災害援護法の即時制定、これを決めてもらいたい、こういう決議を採択して大会が終わっておるわけでございます。その大会の経緯の中で、昭和二十年に焼夷弾を顔面に受けて、そして顔面がケロイド状になって、生涯結婚をせずに非常に苦しみ抜いてきたという体験も語られたと聞いております。  この大会の決議に対して厚生省側としてはどういう態度をとろうとするか、どういう考えを持っておるのか、お尋ねしたいと思います。
  147. 松田正

    松田(正)政府委員 先生指摘の問題は、いわゆる一般戦災者あるいは一般戦災による傷害者に対する処遇の問題であろうかと思います。当面の私どもの所管いたしております援護法のたてまえは、前から申し上げておりますとおり、国が使用者あるいはそれに準ずる立場として戦争公務あるいはそれに準ずる業務についての補償をいたすというのがたてまえでございますので、一般の戦災者の部門まで援護の範囲を広げることは、現行法上は非常に困難でございます。さすれば、一般戦災者に対して何も考えないのか、こういう議論になろうかと思いますけれども、私どもといたしましては、一般戦災者につきましては、一般的な社会保障的な施策あるいは社会福祉施設、公衆衛生、こういった面での対応が至当ではなかろうかというふうに考えております。
  148. 伏屋修治

    伏屋委員 この大会の後に、愛知県の津島市では議会で戦災傷病手当というものを決議して、一般戦災者に対する傷病手当を出そう、そして月三千円、わずかなお金であるけれども、一般戦災者に対してのそういう施策を決議いたしておるわけです。非常に財政窮迫しておるところの地方財政の中で、このようなことを決議して前向きに取り組んでいこうという姿勢があるわけでございますので、厚生省としては、いまの審議の対象援護法対象にならないとするならば、そういう方々に対する特別の援護措置、そういうものをもっと考えていくべきではないか、このように考えるわけですけれども、再度援護局長のお答えをいただきたいと思います。
  149. 松田正

    松田(正)政府委員 過ぐる大戦中に何らかのかっこうで被害を受けられた方、あるいはけがをされた方、もしくは亡くなられた方、いろいろ犠牲者としての態様はございます。いま話題になっております一般戦災者の問題もそうでございましょうし、あるいはシベリア抑留ということで長い間御苦労された方の問題もそうでございましょう。いずれにいたしましても、そういった問題は、戦争中の不幸な出来事に対する結末をどういうふうにつけるかという問題でございまして、当面私どもがプロパーの問題として解決できる問題というよりは、全体の問題として考えなければいけない問題であろうかと思うわけでございます。そういう意味で、私たちは、一般のそういったような戦災者等で生活の援護を必要とするといった場合には、厚生省が現在まで実施をいたしております諸施策の中で対応していくのがよろしいのではないかというふうに考えておるわけでございます。
  150. 伏屋修治

    伏屋委員 また後ほど触れようと思っておりましたけれども、沖繩県におきましては、いわゆる七歳児までその援護の適用範囲が拡大されておると聞いておりますが、それはそのとおりでございますか。
  151. 松田正

    松田(正)政府委員 沖繩は、御承知のように、二十年初め、いわゆる戦場と化した地域でございます。したがいまして、一般内地も空襲その他ございましたけれども、沖繩は非常に特殊な状況下に置かれた地域でございます。そういう意味で、援護法適用関係につきましては、それぞれの対象者につき年齢的な制限を設けているわけではございません。それぞれの対象者について、その対象者がどのような戦争公務あるいはそれに準ずべき公務に従事をしたかということをもって適用基準にいたしておるわけでございます。沖繩でいまそういうお話の議論がございますのは、沖繩が置かれましたそういう特別の地域であるということにかんがみまして、一般の戦争協力をされた方をできるだけ実態に即して援護法適用を図っていこうという趣旨から出たわけでございまして、本来年齢はどうだこうだという趣旨ではございません。端的に申し上げますと、戦闘参加者というようなかっこうで沖繩の戦争協力をされた方々をどのように救うか、その場合の一つの目安が六歳ないし七歳、こういうことだけでございまして、私どもといたしましては、それぞれの実情を見ながら、戦闘参加者ということについての要件を満たす限りは適用をしていく、こういうことでございます。
  152. 伏屋修治

    伏屋委員 いま審議のこの援護法は、いわゆる国と傷病を受けた方々との身分関係あるいは雇用関係というものが明白でなければならないということが基本になっておって、いわゆる一般市民というものはその対象外だということになっておるようでございます。  そこで、ひとつ私は援護局長のお考えあるいは大臣のお考えも聞きたいわけですけれども、この援護法というのは軍人恩給を補完する、そういう立場に立って制定されておる、そして援護法軍人恩給法というものは国との身分関係が明らかでなければならない、その国との身分関係が明らかでなければならないというのは、いわゆる旧憲法下における身分関係、そのことが明白でなければならないということであると私は思うわけでございます。戦争中の身分関係ということでありますので、旧憲法施行下の中の身分関係ということになるわけでございます。そういう面からいいますと、非常に私は矛盾を感ずるわけです。国の予算を使い、いろいろな面でのそういう援護措置を講じていく、言うなれば新憲法下で、日本にいま在住するわれわれ国民が納める租税というもので旧憲法下での身分の明白な人々に援護、給付を行っていくということになってまいります。そうなってくると、憲法の上からも非常に理解に苦しむ点が多く出てくると思うのです。その辺はどういうお考えをしておられるのか、聞きたいと思います。
  153. 松田正

    松田(正)政府委員 援護法ができましたのは昭和二十七年の四月でございます。従来の戦争公務遂行上の問題に対応いたします制度としては、現在もございます恩給法があったわけでございますが、その恩給法昭和二十一年に軍人恩給に関する部分については停止をされたわけでございます。それで、日本が独立をいたしましたほぼ同時期に、現在の戦傷病者戦没者遺族等援護法が恩給の体系を若干包括しながら成立をいたしたわけでございます。ところが、昭和二十八年になりまして、現在のように恩給法がそのまま復活をいたしました。そういう意味で、軍人軍属については恩給法が優先をして適用される、こういう法律関係になったわけでございまして、そういう意味で、先ほど来補完的と申し上げておるわけでございまして、軍人軍属、準軍人を含みまして、まず恩給法適用があった後、恩給法適用のない者については援護法適用をするというのが立法のたてまえであったわけでございます。経過的にはそういうことでございますので、補完的と申し上げたわけでございます。  援護法は、そういうような、昭和二十年の八月十五日ポツダム宣言受諾に伴いまして終戦になったわけでございまして、日華事変以降の間の軍人軍属中心にいたしまして救済をするというのがたてまえでございますので、これはもともと旧明治憲法下における戦争状態、こういうことでございますので、対象につきましてはそういったような時点で押さえます限りは、これはどうにもならないということかと思います。  新憲法下に云々という問題につきましては、これをどのように国家として補償していくかというのが新憲法の理念との間で議論がある問題になるかもしれませんけれども、現行法のもとでは、旧憲法のもとにおいて戦争という不幸な事態に犠牲を強いられた方々に対してどう補償するかという一つの具体的あらわれとして援護法があるというふうに考えております。
  154. 伏屋修治

    伏屋委員 その戦争の犠牲になったという方々をいわゆる軍人軍属、準軍属に限るというところに私は疑問があるわけでございます。確かにその方々が戦争中に戦地に行き、いろいろとそういうような面で犠牲を強いられたということは認めますけれども、だとするならば、一般市民は戦争犠牲者ではないのかという観点も一つあると思うのです。だから、そういう面からやはり日本が完全に戦後処理を完結するのは、そのような戦争の痛手を受けた方々、そういう方々に対する温かい援護措置というものが法の上から完備された、そこに初めて日本の戦後処理の完結があると私は思うわけでございます。  そういう意味において、恩給法を補完する援護法ということであるならば、その対象を拡大する方向に進めていただきたいと思うわけです。確かに当初よりも対象が拡大されておることは認めますけれども、さらにそれを拡大する中で、沖繩は特別の激戦地であるからという形で広げたと同じように、東京大空襲のような、あるいは原子爆弾長崎広島のような特殊なケースもあるというようなところにも援護法の温かい手を差し伸べねばならないのではないか、このように考えるわけですけれども、大臣はどういうふうにお考えですか。
  155. 松田正

    松田(正)政府委員 援護法範囲の拡大等の問題を含めまして申し上げたいと思いますのは、援護法はあくまでも国が使用者、つまり人を雇っている雇用主、こういうかっこうで、ある一定の人を使用いたしましたということで実は法律構成、制度ができておるわけでございまして、そういったような国との使用関係がある者あるいはそれに準ずると認められるような者を対象にいたしまして援護を考える。したがいまして、範囲の拡大にいたしましても、一応そういう基本的な考え方がございますので、限度があろうかと思います。  それからもう一つは、個々に法律で規定をいたしましたそれぞれの対象者の中で、解釈運用上あるいは法律の運用上範囲を広げて運用することにも、そういう意味合いからもまた制約があろうかと思います。  そういう意味で、一般の戦災者あるいはそういったような国との関係が直接ないような方々についての補償というものは、援護法の体系ではなくて、もし実施をするとすれば、それは別の体系でやらざるを得ないわけでございまして、それにつきましてはいろいろと議論があろうかと思いますけれども、現在の私どもが考えております援護の体系の中ではなかなか処理しにくい問題だというふうに考えられるわけでございます。
  156. 伏屋修治

    伏屋委員 大臣のお考えを。
  157. 野呂恭一

    野呂国務大臣 いままでいろいろなお答えを申し上げてきておるわけでありますが、政府としては従来から、昭和四十二年の引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律の制定に際しまして、すべての戦後処理の問題は終了しておる、こういう考え方に立ってきたということが、私は基本的な、援護法を今後拡大すべきかどうかという論点のやはり基礎的なものであるというふうに考えるわけでございます。したがって、一般戦災者に対しましてどう処遇するか、新しい制度を設けるということはいま考えられない問題である。ただし、現行援護法というものをどの程度まで適用できるのかどうか。これは援護法の接点にあるようなもの、あるいは恩給法援護法との谷間にあってこれは何とか解決すべき国の責任があるではないかといった問題については、今後検討しなければならないものもまだ残されておると思います。したがって、先ほど一例として申し上げました、たとえば沖繩におきまする六歳以下の人たち、たとえば障害者などについては、これは援護法適用を受けるべきであるということで、いま検討いたしておるといったことについては、これはかなり前向きにいわゆる接点という関係でいろいろ取り組んでおるわけでございます。一般戦災者を直ちに援護法との間における接点だ。あるいはこれを対象に広げていくべきだという議論はかなり私は離れたものでないだろうかというふうに考えるわけでございます。
  158. 伏屋修治

    伏屋委員 時間がございませんので、これくらいで終わりますが、次の問題として私は沖繩の問題について触れたいと思っておりましたが、いま大臣の答弁の中ではからずもその接点である沖繩の六歳児の戦傷あるいは傷病、その被害を受けられた方々に対する適用範囲の拡大ということについてはいま鋭意検討中であるということは、これはもう実施に踏み切る、六歳まで拡大する、こういうふうに判断して間違いございませんか。
  159. 松田正

    松田(正)政府委員 大臣からも御指示もございまして、そういったような問題を含めて検討すべきだ、こういう御指示をいただいておりますので、現在私の手元で検討いたしておるところでございます。
  160. 伏屋修治

    伏屋委員 この沖繩問題について一人の婦人の方、一九四一年生まれといいますからいま三十九歳になるわけですが、その方がたまたま激戦地の渦に巻き込まれまして三歳のときに被弾をされ、弾が眼球をえぐり取った、そうして手りゅう弾の破片が大腿部を傷つけたという形で、本当に悲惨な人生をいままで送ってこられた。学生時代は死ぬことを考えない日はないというくらいの悲惨な生活を送ってこられた。その方はたまたまその激戦中は三歳であったということから、いまの七歳の適用範囲には外れておるわけですね。現在七歳ということになっておりますけれども、本当にこの人の一人の体験でございますが、その激戦のさなかにあっては三歳、四歳、五歳、六歳という識別はできないと思います。そういう本当に混沌とした中で、いろいろな方がいろいろな被害を受けておられるということであるならば、当時激戦のさなかに六歳であったという方にまで、これは非戦闘員であっても拡大をしていくべきである。いま局長、大臣の答弁の中で、それは接点として積極的に適用範囲の拡大を考えていくということでございますので、沖繩問題についてはそのことを私はお聞きしたかったわけでございます。  次に、現在傷病者に対する医療給付というものが行われておるわけでございますが、五十二年度、五十三年度において、援護法対象になる全戦傷病者に対する健診を実施したということを聞いておるわけでございますが、それは実施されたのかされなかったのか。
  161. 松田正

    松田(正)政府委員 戦傷病者すべてについて健診を実施したわけではございませんが、先生お聞き及びの点は、恐らくトロトラスト沈着者のための健診を実施をしたということかと思います。
  162. 伏屋修治

    伏屋委員 私の手元にあります国民の福祉の動向という冊子の中に、援護事業という項目がございます。その中にその他の援護という中に、いわゆる戦時中に被弾傷害を受けられた方、そういう方々の血管造影剤トロトラストに関して予備調査を行い、五十二年度、五十三年度において全戦傷病者を対象とする健診を行い、トロトラスト沈着が判明した者に対して、五十四年度において健康管理のための年二回の定期検査を実施する、こういう記事がございますが、それはまだ完全にやられてないわけですね。
  163. 松田正

    松田(正)政府委員 その印刷物の記事はトロトラストに着目をした健康診査ということでございまして、これは五十二年度、五十三年度、全傷害者対象にいたしまして健康診断、健康診査を実施をいたしました。
  164. 伏屋修治

    伏屋委員 その結果、年二回の定期健診該当者はどれくらいあったのですか。
  165. 松田正

    松田(正)政府委員 二年間にわたります健診の結果、トロトラストの沈着者、つまりトロトラストが沈着していると思われる者は約六百人でございます。
  166. 伏屋修治

    伏屋委員 そういう定期健診該当者に対しまして、いわゆる専門委員会をつくってそして生活指導あるいは医療方針等をその専門委員会で検討する、そういうふうになっておるわけですけれども、いままでそのようなことは実施されてきたわけですね。そこでどういうケースが出てきたか。
  167. 松田正

    松田(正)政府委員 先ほど申し上げました約六百名の沈着していると思われる方、これにつきましては少なくとも年二回定期健診を、精密検査を行うことをいたしております。それで、まず五十四年度、今年度でございますけれども、二回の定期健診の経費を計上いたしております。ただ、これは非常にむずかしい問題でございまして、沈着したトロトラストがどのような働きをするのか、またどのような障害を起こすのか、その発生機序も必ずしも明らかではございませんので、専門委員を委嘱をいたしまして、五十四年度では九回この専門委員会を開いております。それから具体的には、各地の担当医の方にお願いをいたしまして、健康診査とかあるいは生活指導ということをお願いいたさねばなりませんので、これも担当医の打合会をつい先ほど実施をいたしたところでございます。これと同様な経費を五十五年度も予算計上いたしておりまして、年二回の定期健診費四千六百万円、専門委の開催費三百五十万円、担当医の打合会等約二百五十万円の経費を計上いたしまして、その健康管理には万全を期してまいりたい、かように考えております。
  168. 伏屋修治

    伏屋委員 そこで、その医療給付対象者の方々が年々高齢をたどっておられるわけでございます。その方々が戦傷を受けた個所がいわゆる直接原因ではなくても遠因として、いわゆる健康な者でも高齢化が進んでまいりますと、体がいろいろな面からいろいろな疾患が起こってまいります。とりわけそういうような戦傷病者におきましては、それが一つ原因となって他の病気も併発することはあり得るだろうと思います。そういう方々に対して、戦傷の対象になる疾患だけでなくて、それが遠因となって併発した疾患にまで援護法の傷病の給付の拡大をする考えがあるかどうかということをお尋ねしたいと思います。
  169. 松田正

    松田(正)政府委員 戦傷病者につきましては、御存じのように、戦傷病者特別援護法という法律がございまして、戦傷病者の疾病等につきましては治療費その他を支給いたしております。現在のたてまえといたしましても、医学的に見まして、当該公務に起因する傷病と因果関係のある傷病につきましてはこの援護法対象にいたしまして、治療その他を実施いたしておりますので、公務と全然関係のない疾病はだめでございますけれども、それに起因すると思われる傷病についてはすべて特別援護法で処理をいたす、こういうたてまえでございます。
  170. 伏屋修治

    伏屋委員 終わります。
  171. 住栄作

    ○住委員長代理 次に、梅田勝君。
  172. 梅田勝

    梅田委員 今回の改正は、例年と同じように、大体におきまして年金等の支給額を改定する、あるいは今回は新たに支給対象範囲の拡大をするといったものでございますので、私どもは賛成していいんじゃないか、このように考えております。ただ、先ほど来、恩給法とこの援護法との関係、その谷間にある者を援護法において補完的に救っていく、そういう点でなお不十分な点があるじゃないかというような議論が続いておりますので、私もそういった問題に関連いたしまして、この際幾つかの問題について質問をしたいと思います。  まず、戦傷病者戦没者遺族等援護法法律でございますけれども、この第一条に目的がございますが、「この法律は、軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償精神に基き、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする。」このように書かれてありますから、せんじ詰めて言うならば、法の精神からいたしますと、あの無謀な侵略戦争、これによって国民が動員をされ、そして不幸にして傷つきあるいは病気となり、さらには死亡するという重大な損害を受けた、そういう軍人軍属等の方々に対して、国の責任においてこれを補償していこう、また、そういう人たちは国に対して当然救済してもらうんだ、そういう権利があるんだ、こういうことを定めたものであろう、かように思うわけでありますが、まず最初に、この点を念を押しておきたいと思うのですけれども、大臣いかがですか。
  173. 松田正

    松田(正)政府委員 御指摘のとおりだと考えております。
  174. 梅田勝

    梅田委員 そういう立場で見てみますと、先ほど来議論もありましたように、いろいろ法律で細かく支給の対象範囲というものを定めておるわけでございますけれども、さて具体的事例になりますと、なかなか判断がしにくい。不服審査の問題について数多く出されているということも聞いておりますし、私どものところにも数多くのそういった質問や陳情が来るわけであります。いろいろ厳密にやりますとなかなかむずかしい問題が多いわけでございまして、まあお気の毒だが現在の法解釈の上ではこれは支給することができないということが多々あるわけであります。ほぼ同じような条件であるにもかかわらず、こっちはほんの紙一重のところでいただけるんだが、片一方は気の毒だがもらえないという状況があるわけであります。  この法律は、たびたびそういう点で対象範囲を拡大してきたという改正の経過がございますけれども、言うなれば、なぜ改正したかという点をたどって考えてみますと、やはり第一条の目的の精神、つまり戦争の直接戦闘部隊として戦った軍人軍属、こういう方々に対して国は補償する義務があるんだという立場で、なるべくその法の目的の精神を生かすという立場で、当局の方もこれは改正する必要があるのじゃないかということで取り組まれてきたものだと私どもは理解するわけであります。そうなりますと、それが基本だとしますと、現行の足らざる点におきましても、法解釈、規則解釈等の現実の運用におきましては弾力的な運用というものが当然あってしかるべきだ、どうしても無理だという場合にだけ法改正でもってやっていく、そして全体としてバランスを欠くようなことにならないように、全体として整合性ができるようにやるべきであろう、このように思うのです。  これは非常に大まかな話を私しているわけでございますけれども、一番大事な根本問題でございますので、ひとつ厚生大臣の方からお答えをいただきたいと思います。
  175. 松田正

    松田(正)政府委員 援護法に基づく制度の本来の趣旨は、第一条に書いてございますように、公務上の負傷あるいは疾病、死亡等につきまして援護するということでございます。平たく申し上げますと、国が使用者の立場で相手方に対して補償をする、こういう立場を第一条で明らかにいたしておるわけでございまして、いま先生の御指摘のような範囲の拡大あるいは範囲の拡張解釈といったようなものもやはりこの考え方を柱にして進められてまいっておるわけでございますが、あくまでも公務上、つまり国が使用者としての立場を堅持しながら範囲の拡大を図る、あるいは内容の改善を図るということでございまして、国家補償精神をそういうかっこうで生かすというのが本来の趣旨であろうかと思います。
  176. 梅田勝

    梅田委員 大臣、いかがでございますか。
  177. 野呂恭一

    野呂国務大臣 いま局長がお答えいたしましたとおり、援護法の目的に明らかにされておりますように、戦傷病者、戦没者等の戦争公務の上において傷ついたり亡くなられた方に対して国家補償精神に基づいて援護するんだということでありますから、この拡大とかあるいは適用範囲というものはおのずからこれによって決められておるということでございます。
  178. 梅田勝

    梅田委員 当然そうであろうと思うわけでありますが、今回の改正でございますが、第三条のいわゆる在職期間に関連して、爾後重症者への障害年金の支給に関しまして改正が行われております。これは一定時点以後に第五款症以上の不具廃疾の状態になった軍人軍属または準軍属であった者に対して障害年金等を支給するというものでございますが、結核の場合は十二年ですか、そうでない場合は六年ですか、ということでございますけれども、従来この対象の方々は救済されていなかった。今回これを救済しようというように判断なさったもとの根拠のところをちょっと説明していただきたいのです。
  179. 松田正

    松田(正)政府委員 現在御審議をお願いをいたしております援護法等の一部改正のうちで援護法の改正部分、新しい問題二点ございます。一つは、勤務関連傷病の爾後重症の問題、それから、勤務関連傷病に併発する死亡の場合、この二点でございます。  それで、第一点の方の爾後重症の方の問題につきましては、これは現行法は、ある一定の時点において第五款症以上の症状にあったという人を押さえておりまして、その時点以降のものにつきましては何らの法的措置を考えてないわけでございますので、その後第五款症以上の障害をお受けになった方につきましてはきわめて不均衡になるわけでございますので、今回その不均衡を是正をいたしたいというのが提案の趣旨でございます。  それから第二点の勤務関連傷病に併発した疾病につきまして死亡した方の遺族につきまして年金を差し上げる。これは御承知のように、公務傷病について併発死をいたしました場合には現在制度がございまして、若干の年金を差し上げておるのでございます。  それで、援護法の傷病の中に二つの大きな柱がございまして、一つは、純粋公務でございます。一つは、公務に関連するもの、いわゆる勤務関連傷病。傷病につきましてはこの二つが柱でございまして、片一方の公務傷病の併発死の制度は現在あるにもかかわらず、もう一方の柱であります勤務関連傷病についての併発死がないというのは制度上アンバランスではないか。このアンバランスを是正するという意味も含めまして、今回提案をさしていただいたわけでございます。
  180. 梅田勝

    梅田委員 二つお答えをいただいたわけですけれども、結局のところ、そちらの方も救済しなければならぬという根底にあるものは、国の無謀な戦争によって犠牲を受けたんだから、その傷の重さとかその程度の差によって受ける金額は多少違っても、片っ方は救済するんだ、片っ方は救済しないということになりますと、やはりこれは問題だということで、救済しなくちゃならぬ。私が問題にしたいのは、そういう場合の根底にある考え方ですね。これはやはり国家補償の立場で、整合性を持ってそれぞれの方々に対して当たっていくということの重要性を示しているんじゃないか、私はこのように思うわけでございます。  いろいろ具体的な問題をこれから申し上げていきたいのでありますが、事実上の父母の問題ですね。これはいろいろ例があるわけでございますけれども、遺族年金または遺族給与金を受けるべき遺族の範囲というものは第二十四条におきまして詳しく規定されておりますけれども、この場合におきましても実際どう適用されるのかということになりますと、なかなかむずかしい案件が出てくるわけであります。  法律によりますと、第二十四条の第三項、いわゆるみなし規定というものがございますが、「援護審査会が死亡した者の死亡の当時において死亡した者の父又は母と同視すべき状況にあったと議決したものは、遺族年金又は遺族給与金を受けるべき範囲の遺族とみなす。」ということでいろいろありまして、そして四号におきまして「死亡した者が軍人軍属としての勤務についた日又は準軍属となった日の前日において、縁組の届出をしていないが事実上死亡した者の養父又は養母と同様の事情にあった者であって、その日から死亡した者の死亡の日までの間に当該届出をしなかったことにつき相当の理由があると認められるもの。」このようにして法律はちゃんとできておるのですよ。できておる。ところが、この「相当の理由があると認められるもの」、相当の理由ということをどのように判断するか。お役所で最初判断されて、すっといく場合とそうでない場合があるわけですね。いわゆる事実上の父母の認定につきまして、非常にむずかしい問題があろうかと私は思いますけれども、これは事実上において、先ほど言われましたような弾力的な判断でもって法の精神を生かす、実態に即した方向で判断をしていくべきではないか、このように思うわけであります。  たとえば、こういう例があるわけであります。きょうだいがありまして、弟さんの方が早く死んだ。その子供さんは非常に幼い、親が死んだこともよくわからないような年齢の状態である。お母さんの方も亡くなる、こういうようなケース。見る人がないわけでありますから、当然だれか見なくちゃならぬ。この場合はお兄さんがおられまして、その方が引き取りまして、そして弟さん自身の葬式もお兄さんの責任において出している。当然引き続き生活をしているというような状態。だんだん大きくなって小学校へ上がるということになりますと、当然そのお兄さんの家から、つまりその子供にとりましてはおじさんの家から学校に通うということになるわけであります。  こういうケースは世間に間々あるケースだと思うのです。で、お兄さんの方に子供さんがいない場合は直ちに養子にしたらどうかという話はわりと簡単に出ようかと思います。特に戦前の民法の状態におきましてはそういうことになろうかと思いますが、ところが兄さんの方にはたくさんの子供がおる。たまたまたくさんの子供の中に一人入ってきた。きょうだいのようにして育つ。親は生活するのに頭がいっぱいでございますから、養子にしようなんということは頭には直ちに浮かんでこないという状態があっただろうと思うのです。そういう中でだんだん大きくなり、成人となり、そしてやがて戦争が起こったような場合には、出征する場合もありましょうし、また軍属で戦地に行くという場合も起こってくるわけであります。そして、その結果戦死になりあるいは傷ついてそのうち死亡するということも起こってくるわけであります。  このケースの場合は、戦死されまして、その公報はおじさんのところへ通知されている、戦地からの手紙というのはそこへ行き来しているのですから。そして、お父さん、お母さんという形で手紙のやりとりもなされておる。先ほども、全く同じケースがあるものだなと思って私も聞いておりましたけれども、まさにそういうケースがあるわけであります。そして、葬式をやる。それから、死後各年回ごとのお勤めもそのおじさん夫婦がやっておられる。これはずっと続いているのですね。ところが、そういうケースが、ここに書いてある「当該届出をしなかったことにつき相当の理由があると認められるもの」ということになかなかならない。私はこれが不思議でしょうがないのです。その点、どうなのでしょうか。     〔住委員長代理退席、委員長着席〕
  181. 松田正

    松田(正)政府委員 具体的なケースが問題でございますのでにわかに断定はいたしかねますけれども、一般的な基準的なものを申し上げますと、これは父母の場合でありましても妻の場合でありましても養子の場合でありましても同じことでございますけれども、身分法上は親子関係はございませんでも実態としまして請求者、つまり年金をいただきたいという方と戦没者の間に物心両面にわたりましての実親子と同様の事実関係、単に形式的に一緒に住んでおったとか一緒に生活をしておったとかということではございませんで、全く本当のお父さんやお母さんと同じような関係が事実上できておる、そういうようなものを抽象論としては指すものとわれわれは考えておるわけでございます。ただ、「相当の理由がある」、これは非常に抽象的な言葉で、その認定範囲は非常に広うございますけれども、やはりその場合でありましても、戦死の公報の取り扱い方の問題でありますとか、その後のお葬式あるいはお祭りあるいは戦没者からの手紙その他の関係、こういったものを判断いたします場合には、おのずから実の親子と同じような関係であったかどうかということは個々のケースとして判断ができ得るものと考えられますので、いま申し上げましたような抽象的な基準を物差しにいたしまして、事実関係を十分に考慮しながら決定をする、こういうことになろうかと思います。
  182. 梅田勝

    梅田委員 そちらからいただきましたこの資料によりましても、「旧軍人、陸海軍部内の文官の生計同一の遺族」、そして例として「内縁の妻、事実上の父母等」というふうに書かれていますが、「生計同一の遺族」という概念の中には、このようなケースの場合はばっちり入るわけですね。そして、その小学校時代の同級生の証言とか、戦地におきましては上官を含めての証言なんか全部あるわけですね。ただ、お父さん、お母さんというやりとりをした文書、手紙が焼却されて、ないのですよ。これは私も復員してきて知っていますが、そんなものはみんな焼却したわけですね。戦争が終わったときにはアメリカが入ってきて何をするやらわからぬということで、文書は全部焼却せよ、当時の陸軍はそういう指導をしたのですよ。だから、ばか正直の者はそういう証拠書類はみんな焼いてしまって何にもないわけだ。客観的に証明するものは何一つない。周りの人の証言だけだ。そうすると、頼んでやったのじゃないかということで——審査というものは厳密にしなければいけませんよ、いいかげんでやったらめちゃめちゃになりますからね。しかし、もうどこから見ても家族として同一の生計で生活をしていた。そういう人は全部お年を召して、七十代から八十代の人が多いわけです。それを、子供が死んだけれども後はこういうように給付金もいただくということで何らかの心のやわらぎを求めようとしている。それがなお今日解決されないということになりますと、先ほど来強調いたしましたような国家補償精神、第一条目的の精神というものは一体どうなったのかということになるわけですね。弾力的運用といいますけれども、非常にかたくななことをやっておられるのじゃないかというふうに私は思うのですが、いかがですか。
  183. 松田正

    松田(正)政府委員 いま先生お示しのケースにつきまして熟知をいたしておりませんので即断をいたしかねますけれども、もし、いまお話しのような事情でございますれば、恐らくは事実上の父母の関係が認められるのではないかと思います。ただ、そうは申しましても、できればやはりそういったような関係を立証する物的証拠、こういったものが望ましいこともまた事実でございます。私どもは、決して排除するための基準を考えているわけではございません。やはり受け取られる方の立場に立ちながら、なおかつ客観的な行政の実現に努めたい、こういうことで、あるいは非常にシビアなことだというふうに受け取られる向きもあろうかと思いますが、真意はそうではございませんので、御了解を願いたいと思います。
  184. 梅田勝

    梅田委員 具体的事例につきましては、また後日明らかにしていきたいと思うのでありますが、そういうケースもあるという点で、審査におきましては、いま御答弁なさったような方向でひとつ前向きに処置をしていただくようにお願い申し上げたいと思うのです。  今回の改正におきましても、「戦没者の死亡後他の子や孫が改氏婚したこと等により戦没者の戸籍抹消時点に他に氏を同じくする子や孫がいない戦没者の父母等」ということに対して新たな救済の措置がとられておりますが、これはどういうことなんですか。その「父母等」という、「父母」に「等」がついておるのはどういう意味ですか。
  185. 松田正

    松田(正)政府委員 祖父母なんかも入るわけでございます。
  186. 梅田勝

    梅田委員 つまり、子供や孫がおらぬ場合にはほかへ波及するということになるわけで、最前のようなケースは、もう遺族はおらぬわけですから戦死しているのにだれも全然もらっていない。今度はこれを波及させるわけでしょう。お父さんがおらぬ場合にはさらにそのおじいさん、ずっと皆たどって波及するわけだ。ましてや七十、八十という高年齢になって、手塩にかけて育てたのにうまくいっていないという場合におきましては、くどいようではございますけれども、十分に御検討いただきますようにお願いを申し上げたいと思うわけでございます。それが国家補償精神だということをもう一度強調しておきたいと思うわけでございます。  次に、援護法の改正と関連しての問題でございますけれども、旧令共済と現行の公的年金との通算問題につきましてお尋ねをしたい。  これは年金局の方に来ていただき、また援護局の方にも来ていただいていろいろお話し申し上げ、これはちょっと大きな問題ですから総理府の問題だ、大蔵省の問題だ、何だかんだと言って、きょうは答弁できぬみたいなお話があったわけです。私は早速総理府やその他関係のところへ電話して聞いてみたところが、いや、それは私のところと違いますと言ってみんな逃げてしまうわけですね。これはきわめて無責任だ。きょうは大臣もおられますので、非常にむずかしい問題であろうかと思いますけれども、これも一つ国家補償の観点で改善する必要があるのじゃないか、かように思いますので、篤と聞いていただきたいと思うわけでございます。  旧令共済組合法によりまして、戦争が終わることによりましてなくなってしまった組合があるわけでございます。旧陸軍共済組合とか旧海軍共済組合、それから朝鮮とか台湾にあった関係のところでございますね。それが戦争が終わりまして主体がなくなったわけでありますから当然解散ということで、加入者もばらばらになるという状態が起こったわけでございますが、これらの人々現行におきましては厚生年金に通算されているわけであります。ところが、国民年金におきましては、いわゆるみなし期間といいますか、から期間といいますか、ということで、通算は期間的にするが、お金の方は出ないわけですね。厚生年金は、御承知のように、昭和十七年六月から発足しておりますので、当然そちらの方に入る資格のあった人だ、たまたま当時陸海軍がありましたのでそっちに入っておっただけの話だという御説明でございます。そして、国民年金の方はまだそのときはできておらぬのだから、そっちの方に入っている人に通算するのはおかしい、こういうことで、そっちの方はから期間だけは見るけれども、お金の方は出さない、こういうことになっている。私は、見るという以上は同じように扱うべきではないかと思うのでありますが、どうでしょうか。これはどなたがお答えになりますか。
  187. 木暮保成

    ○木暮政府委員 もとの陸軍工廠あるいは海軍工廠で働いておられる方々を対象といたしまして、幾つかの旧令共済組合といま呼ばれておる制度があったわけでございますが、終戦とともに解散になっておるわけでございます。すでに当時年金等を受給する方々がおったわけでございますが、その方々は、戦後の法律改正によりまして、現在共済組合連合会が引き続いてその事務をやっておるわけでございます。しかし、当時はまだ旧令共済組合の被保険者であったという事実だけがございまして、年金に結びつくということになっておらない方々につきましては、三つに分かれると申しますか、その後昭和三十四年に共済組合が発足しておるわけでございますけれども、その三十四年の共済組合発足後、共済組合員になられた場合には通算になるわけでございます。それからまた、一方、厚生年金にお入りになった場合には、期間の通算があると同時に、いまお話のございましたように、一定の条件のもとで、昭和十七年六月以降の旧令共済組合期間につきましては年金額のかさ上げもするということをいたしておるわけでございます。最後に、お話しのございました国民年金につきましては、期間の通算だけはいたしておりますけれども、年金額の積み上げということはいたしておらないわけでございます。  その理由でございますが、まず、厚生年金につきましても国民年金につきましても一般の社会保障制度でございまして、いわば民間の方々を対象にして事前に掛金を掛けていただいて、一定の事故が発生いたしましたときに年金を出すという民間の共済制度でございまして、本来でございますれば旧令共済組合と何らの関係もないわけでございます。しかし、よく考えてみますと、厚生年金制度は昭和十七年に工場労働者を対象として発足いたした制度でございまして、陸軍工廠や海軍工廠に働いておられる方々に共済組合がなければ、当然厚生年金が適用になったというふうに考えられるわけでございまして、厚生年金の対象の民間労働者と全く同じ立場にあるというふうに考えることもできるわけでございます。そこで、期間の計算をいたすと同時に、厚生年金ができました昭和十七年六月以降につきましては、一定の条件のもとに金額のかさ上げもしておるわけでございますが、旧令共済は昭和十七年六月以前にもあったわけでございます。しかし、それにつきましては厚生年金が発足をしている時点ではございませんので、そこまで民間の保険でお引き受けするわけにはいかないということであろうかと思うわけでございます。一方、国民年金につきましては戦後の昭和三十六年の発足でございますので、旧令共済組合がございました期間には国民年金制度はなかったわけでございますので、もちろん国民年金の掛金をしていただいたという方々でもございませんので、昭和三十六年以前にさかのぼって旧令共済の方々に期間通算以上のことをするのはできかねる、こういう事情でございます。
  188. 梅田勝

    梅田委員 その掛金を実際納めていないけれども、しかし本来ならば陸海軍がない場合には、海軍工廠とかあるいは陸軍工廠、造兵廠、そんなところは工場労働者だから入るはずだということで厚生年金で見ていこう、こういうことでございますが、じゃ厚生年金の方はどうなのですか。掛金をいただいていないところにお金を出しているわけですね。これは考え方としてはちょっとおかしなものですね。恩給だったら国が出しますね。恩給は国庫が負担していますね。これはもともと軍が、つまり国が使っていた人だから厚生年金でめんどうを見ておられるのですから、それはそれ自体としていいのですよ。これはやめろとは私は言いませんよ。むしろ同じ軍属でありましても外地勤務の人はもらってないのですから、その通算が認められないわけだ。内地で働いておる人は通算されるが、弾が飛んでくる、その下をくぐって命がけで戦った軍属は通算されないのですよ。これはおかしいですね。先ほど来盛んに議論した国家補償の見地から言うと、戦場におった軍属こそ通算してしかるべきだと思うのですが、そういう点では、この制度全体に整合性を欠いているというように私は思うのです。  そういう点でどうでしょうか、こういった問題で、私の意見としては、現在厚生年金でこれらの対象人々に出している金額相当額は国庫において負担すべきじゃないかと思うのです。  それからいま一つは、その戦争で戦ってきた軍属人々の厚生年金等の通算におきましては、これはやはり国庫の責任において負担する、そういう制度を考えるべきじゃないか。そうしませんと、何だこれはと、どうしても不満が残りますよ。不公平じゃないかということは、だれだって思いますよ。どうですか、その点。
  189. 木暮保成

    ○木暮政府委員 陸海軍工廠等で働いておられた方々の実態というのは、厚生年金が適用されておりました民間の労働者の方と同じだという観点で、本来でございますれば厚生年金は民間の相互扶助制度でございますけれども、共済組合がなければ当然適用になってしかるべき方々でございますので、昭和四十年の改正で期間の通算をいたしたわけでございます。さらに、この方々は掛金をしてなかったわけでございますので、昭和四十年の改正では期間の通算だけ、厚生年金から差し上げます年金は厚生年金に入ってからの掛金に応ずるものだけということであったのでございますけれども、しかし昭和十七年六月以降、厚生年金が発足した後の時期につきましては、一部年金額の積み上げをしてもいいんじゃないかということで、昭和四十四年の改正で実現をしたわけでございますが、その際にも、本来的には国家補償の制度でございませんで民間の共済制度でございますので、定額部分だけを積み上げるということをいたしたわけでございます。定額部分の財源ももちろん保険料と国庫負担ではございますけれども、報酬比例部分に比較いたしますと、直接掛金に対応するという色彩は薄うございますので、定額部分の積み上げをするということは妥当なのではないかという判断をいたしたわけでございます。しかし、厚生年金は国家補償の制度でございませんので、それ以上の処遇ということは厚生年金では無理ではなかろうか。厚生年金でやる以上は、厚生年金の本来の二割国庫負担というルールに従ってやるということが適当ではないかというふうに思っておるわけでございます。  それから、戦場に行かれました軍属の方々の問題でございますが、確かに大変御苦労されたわけでございますけれども、そこまでまいりますと、民間の対象者の方々が掛金を出し合って共済をしていくという制度の上にはどうしても乗りがたいということで、厚生年金の立場からは対処はできない問題であるというふうに考えておるわけでございます。
  190. 梅田勝

    梅田委員 現実の問題としては、ここにも大阪のある方から陳情が来ているのです。この方は現在は地方公務員で、地方公務員共済組合の組合員としておられるわけでございますけれども、戦地に行った軍属ですね。これは二年四カ月あるわけですよね。ところが、これは内地の軍属だったら通算されるのだけれども、この方は通算されないわけですね。大変不満だ。危険な戦いをやってきたのになぜ通算されないんだということで、大変な不満も出てきておるわけです。軍人の場合には、昭和三十七年に通算の制度ができまして、軍人恩給も対象になるということで、軍歴の通算はなされているわけです。ところが、この方は引き続き戦場で、軍属でやっているわけですけれども、その分はないわけですよ。だから、非常に不合理な面が多いと私は思うのです。  こういうものを一つ一つ整理していくということが非常に大事ではないかというように私は思うのですが、厚生年金と旧令共済の通算におきまして大体どの程度くらい年金の方は負担されているのですか。わかりますか。
  191. 木暮保成

    ○木暮政府委員 五十年九月末現在で、この厚生年金との特別な通算のやり方によりまして特例老齢年金が出ておりますけれども、その件数は二百八十七件でございます。そのほか旧令共済の期間を通算しないで、厚生年金におきまして、厚生年金の老齢年金ないしは通算老齢年金が出ている方々に昭和十七年六月以降に対応する期間の加算をいたしてございますけれども、これは統計上別にとっておりませんで、御報告申し上げることはできません。
  192. 梅田勝

    梅田委員 この旧令共済組合で資格証明が要るかと思うのでありますが、これは援護局の方で認定されているのですか。いままで証明は幾つぐらい出されましたか。
  193. 松田正

    松田(正)政府委員 旧軍人あるいは軍属の履歴証明につきましては、私の方で証明をいたしておるわけでございます。総計で申し上げますと、昭和三十四年から今日まで、昭和五十五年の一月まででございますが、約二百万件でございます。
  194. 梅田勝

    梅田委員 この旧令共済組合に加入をされていた数というのはおわかりでしょうか。
  195. 木暮保成

    ○木暮政府委員 私ども現在持っておる資料でございますと、昭和二十四年九月に作成をされました数字があるわけでございますが、陸軍共済組合につきましては、廃止当時五十万六千人の方々、それから海軍共済組合につきましては八十八万二千人の方々がおったようでございます。そのほかに余り大きくない共済組合がかなりございますが、いま申し上げましたのは主要なものでございます。
  196. 梅田勝

    梅田委員 先ほど援護局から二百万件とおっしゃいましたが、そのうち軍属はどのくらいあるのですか。
  197. 松田正

    松田(正)政府委員 約八万一千でございます。
  198. 梅田勝

    梅田委員 軍属の証明が非常に少ないようでございますね。陸海軍で百三十八万、ざっと百四十万近くあるわけですね。そのうち証明をもらっておるのはほんのわずかですね。これはまだ受給の時期になっていないということで証明が少ないのか、そこらあたりはどのように見ておられますか。
  199. 木暮保成

    ○木暮政府委員 先ほど申し上げました特例老齢年金の数は、この通算措置によりまして初めて厚生年金から特例老齢年金が出る方の数でございますが、このほか戦後厚生年金に入られましてそれ自体で老齢年金あるいは通算老齢年金をもらうようになった方はたくさんおられるわけでございまして、そういう人につきましても昭和十七年六月以降の期間につきましては加算をしておるわけでございますが、このことにつきましては統計上仕分けをしておりませんので、どのくらいあるかもということは申し上げられない。先ほど申し上げましたのは、この通算で特例的に出る方だけの数でございまして、そういう意味では少ない数になっておるわけでございます。
  200. 梅田勝

    梅田委員 私も実は戦争中は陸軍航空廠におりましたので、この旧陸軍共済に入っていたはずなんでございますけれども、これが厚生年金に通算されるというのは、実はこの問題を質問しようと思って調べるまでは知らなかったという、全くあれですけれども、専門でなかったものでございますから知らなかったくらいでありますから、こういう制度があるということは余り知らないんじゃないですか。だから、受給時期が来ても、そんなのがあったかなというようなことで、援護局でわざわざ証明をもらってやるということをしていない人がかなりあるんじゃないかと思うのです。対象人員が相当おるのに実際は申請をしておる人が少ないということを考えますと、これはちょっとPRが弱いのじゃないかと思うのでありますが、これはひとつ、どこが担当されるのか知りませんが、年金の受給をされる時期におきましてこういう制度もあるということを周知徹底されるように要望したいと思うのですが、どうですか。
  201. 木暮保成

    ○木暮政府委員 この関係の実務は私どもの方の社会保険庁でやっておるわけでございますが、この関係の御相談もかなりあると思いますけれども、御指摘もございますのでさらにPRに努めるように連絡をとりたいと思います。
  202. 梅田勝

    梅田委員 大臣に質問したいと思いますが、いま申し上げましたように、この国家補償の見地で救済を考えていくという場合には、あの侵略戦争の規模が大きかっただけにこれは非常に重大な問題になるわけであります。しかし、現行でさまざまな制度をつくって救済をしている。しかし一方では、同じ軍属という条件にあったにもかかわらず、片方は通算されるが片方は通算されない。特に戦地に行って苦労した方の通算がない。一番なじみやすい共済の関係にいらっしゃる方でも戦地の軍属は通算されない。私はどう考えてもこれはおかしいと思うのですね。援護法傷害者の方やあるいは戦没された方に対して給付をしているのであって、まさに年金的なことはやってないのだ。これは制度改革上重大な問題だ、軽々に物を言えないということでいろいろお話を伺っておりますけれども、ここはそういう無責任な、大蔵省は金を出さぬ、厚生省の中でもどこが責任を持つのかわからぬということではなしに、全体の整合性を確立するという点におきまして、野呂厚生大臣がここで一はだ脱いでいただきたいと思うのでありますが、ちょっと大臣のこの問題に対するお考えを承りまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
  203. 野呂恭一

    野呂国務大臣 いろいろ論議を承りながら、私の方からも答えよということでございますので、いわゆる旧令共済期間についてでございますが、それぞれの年金制度の趣旨、目的に照らして、私は適切な取り扱いを現状はいたしておるものだというふうに判断をいたしておるわけでございます。厚生年金、国民年金などの公的年金制度というものは、これは相互連帯という精神の上に立ってすべての加入者が保険料を納付するという前提のもとに成り立っておりますいわゆる社会保険制度でございまして、したがって国家補償考え方に基づいていない、こういう私は一つ判断の範疇が分かれておる問題である。したがいまして、旧令共済組合期間を持っておる者でございましても、これを国家補償の観点に立って現行以上に対応していくことが大変私はむずかしいというふうに判断をいたすものであります。しかし、最初に申しましたとおり、いわゆる援護法というもの、これに対しては明確に戦争の公務の上で傷ついた者あるいは亡くなった者、その遺族に対するこれは給付であり、しかもそれは国家補償という観点に立ってなされておるということ、したがって、ここの結びつきは大変むずかしい問題があると思います。しかし、せっかくのあれでございますから、いろいろもう一回、国家補償一般社会保障、そういった関連がどういうふうにこれらの制度の上で結びついていけるものかどうか、これはいろいろ戦争犠牲というものの公平な処理という形において検討してみたいと考えております。
  204. 梅田勝

    梅田委員 いまも言われましたけれども、現実に補償しているところがあるわけですね。それは社会保障の形、厚生年金という形、あるいは共済年金という形でやってはおるわけでございますけれども、しかしその前提になっておりますのは軍属、三年三カ月でございますけれどもこの分については見ているわけなんです。これは国家補償的なものとそれから年金的なものとごっちゃになっているという点はございますけれども、そういう点で一方は受けるが一方は受けないというこの不均衡はどうしても是正する必要があるというように思うのです。きょうは恩給のことが議論になっておるのではありませんので、多くは申しませんけれども、軍歴が短いために恩給をもらえないという人が非常にたくさんある。私のところにもしょっちゅう何とかならぬかという陳情もございまして、いろいろ考える面がありますが、ともかくこの問題は余りにもそういった点が多過ぎるという点におきまして、大臣もいろいろ考えてみるということでございますので、ひとつよい方向で御検討をいただきますように重ねて要望いたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  205. 葉梨信行

    葉梨委員長 次に、米沢隆君。
  206. 米沢隆

    ○米沢委員 私は、今回提案されております法律に関連し、本法第二条第三項第二号に規定をいたします戦闘参加者の解釈等につき、具体例を挙げまして若干の質疑を申し上げ、当局の見解をただしたいと存じます。  この問題は、ある方が障害年金受給の申請をされましたが、本法にいう準軍属とは認められないという理由によりましてその申請が却下され、これに対して二度にわたる異議申し立てを行って、いま援護審査会の審査待ちという案件でありますから、すでに担当者の方は知っていただいておる問題であります。  この申し立て人は、昭和十二年八月十日、満州国の警察官として在職当時、当時の関東軍が招集をいたしました満州東辺道地区夏季特別治安粛正工作のための日満軍警連絡会議、当時治安維持会会議と言ったそうでありますが、この会議に出席のため搭乗した軍用機の墜落によって重傷を受け、ために勤務不可能となり退職され、昭和十八年十二月以来、満州国恩給法による傷病年金を受給していましたが、終戦によりまして満州国が解消いたしましたため、これら一切の受給の権利が消滅し今日に至っておるという方であります。  そこで、この公務上の負傷をぜひ本法の対象にしてもらいたい、こういうことで障害年金受給の申請をなされたわけでありますが、申し立て人の身分、すなわち法律の第二条第三項第二号にいいます準軍属、いわゆる戦闘参加者に該当しないということで却下されておる案件であります。  そこで、まずお伺いしたいことは、本法第二条第三項第二号にいう「もとの陸軍又は海軍の要請に基く戦闘参加者」とは一体どういう解釈なのか、まず御説明を賜りたいと存じます。
  207. 松田正

    松田(正)政府委員 援護法の第二条第三項第二号に書いてあります戦闘参加者の定義を申し上げますと、戦時下における特殊な社会事情を踏まえまして、事実上権力的に軍事行動に参加させられた者を一応対象と考えております。つまり、もとの陸海軍の現地部隊長等から戦闘に参加することの要請または指示を受けまして直接戦闘に参加した者、あるいはもとの陸軍または海軍より作戦任務を課せられまして、その任務遂行中、敵または敵対行為を行う者と交戦をし、あるいは軍事行動をとっていた者、こういった者を戦闘参加者というふうに考えておるわけでございます。  たとえば具体的には、沖繩等におきまして、軍の要請に基づきまして戦争に従事した場合の住民、こういった者がこれらの定義の範疇に入ろうかと思います。
  208. 米沢隆

    ○米沢委員 そこで、ここにいう軍事行動というのは、一体どういうことですか。
  209. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいま申し上げましたように、戦闘参加者につきまして、その範囲の中には作戦任務を課せられて軍事行動中の者も含んでおるわけでございます。  この軍事行動と申しますのは、非常に常識的な意味での広い意味の軍事行動をすべて含んでおるというふうには解せられないのでございまして、具体的に敵と、あるいは敵対行為者と相対しまして、その間に具体的な戦闘状況が現出をした、そういった状況のもとにおける軍事的行為をさすものというふうに解しております。
  210. 米沢隆

    ○米沢委員 日本軍が公務として行動することは軍事行動だと思うのですが、いかがですか。日本の軍人さんが軍隊の任務を遂行するために行動することは、軍事行動じゃありませんか。
  211. 松田正

    松田(正)政府委員 そのとおりでございます。
  212. 米沢隆

    ○米沢委員 たとえば当時、ゲリラの粛正工作は軍の重要な任務であった。したがって、軍と警察が一体となって関東軍の指令のもとにその作戦を練り、そのための会議を催し、それに基づいた行動をするということは、これは軍事行動ですね。
  213. 松田正

    松田(正)政府委員 ただいま私が軍事行動と申し上げましたのは、具体的に敵ないしは敵対的な軍事行動と相対しまして戦闘的な状況が現出をするための状況をいう、こういうややこしいことを申し上げたわけでございますが、関東軍が匪賊あるいは馬賊を討伐するためにいろんな作戦行動を行う、その作戦行動自体は確かに戦闘行為でございますが、それを遂行するための会議を開くためにその会議に参加するということは、ここで申し上げております軍事行動に入るかどうか、いささか疑問に思っております。
  214. 米沢隆

    ○米沢委員 この申し立て人が遭難をしました昭和十二年当時の満州国の東辺道地帯の治安状態はきわめて悪かったわけで、反満抗日の大小無数のゲリラ部隊が各地にばっこ蠢動して国内を撹乱しておった、そういう時代であります。これに備えて、関東軍と満州国政府は一体となって、この東辺道地帯の粛正には特に治安維持会を設置して地標工作、これは討伐作戦のことだそうですが、及び地本工作、これは警備道路の建設、警備電話の架設、ゲリラの糧道の遮断のための散在民家の集家工作、宣撫宣伝工作、帰順工作、アヘン密作地の発見、取り締まり、匪民分離の地下組織網の探索、その他広範囲にわたる総合対策、これを地本工作と言うのだそうでありますが、を必要とし、これがために毎年春夏秋冬定期的に作戦会議が開催され、申し立て人の遭難はこの作戦会議に出席する途中の出来事であるわけです。  当時、満州国内の国防並びに治安維持につきましては、御承知のとおり、いわゆる日満議定書に基づきまして、日満共同防衛のたてまえから、その一切を挙げて関東軍司令官に委任し、日本軍は作戦の必要に応じ、いつでも満州国軍警に対し統制区署の権限を持っておったそうであります。ここにいう統制区署とは、日本軍がその作戦計画に基づき満州国の軍警を現実にその指揮下に入れて行動せしめることだそうであります。このような状況下において、夏と冬には日本軍の統制下にあって日満軍警一体となって特別治安粛正工作が実施され、その前後には必ず治安維持委員会が開催されておった。  こういう状況を見ておりますと、申し立て人の業務そのものですね、単に平和時の警察官の仕事ではなくて、関東軍の指令に基づいてゲリラの粛正工作に軍と一体となって当たらねばならないというその業務そのものは、りっぱな作戦任務を課せられた軍事行動であると言ってもおかしくはないと私は思うのでありますが、どうしてそういう解釈になるのでありましょうか。
  215. 松田正

    松田(正)政府委員 いま先生から御説明をいただきました事実は、私どもが承知をいたしておるのとほぼ同様かと思います。  ただ、問題は二点ございまして、事実関係といたしまして問題になります点の一つは、関東軍の要請あるいは軍の指示という点についての確認がいたしかねるという点がございます。それからもう一つは、定期的な作戦会議の性格は一体どういうものであるかということでございまして、この夏季大討伐日満軍警連絡会議の性格が一体どういうものなのか、その途中に飛行機事故に遭われたということでございますので、その辺の問題点をもう少し詰めませんとはっきりした結論は出ないかと思いますけれども、ただいままで私どもが聞いております範囲では、その辺の状況が定かでないというふうに承っておりますので、なかなかむずかしいケースではないかというふうに感じております。
  216. 米沢隆

    ○米沢委員 当時、関東軍の指令に基づいたそのような軍警一体となったゲリラ対策、そのあたりは確認しにくいということでありますが、こんなのを申し立て人に立証せよというのは無理な話だと私は思いますね。申し立て人はその当時の状況についてるる述べておる。あと確認そのものは、申し立て人に立証しろと言うよりも、皆さんがこの当時いろいろと軍人の方、軍属の方、準軍属の方等が動いた状況をお調べになればわかることであって、その分は皆さんに立証してもらわなければいかぬことだと私は思いますよ。
  217. 松田正

    松田(正)政府委員 いま先生挙げられました具体的なケースをめぐります当時の状況は、確かに御指摘のとおりに、満州国の体制といたしましては、特に日系警察官につきましては軍警一体ということでそういう体制がとられていたのは事実であろうかと思います。ただ、援護法のたてまえといたしましては、そういう体制にあったから直ちに適用関係が生ずるというふうには考えておりませんで、旧関東軍の強い影響下にあった当時の満州国、こういったような状況のもとにあります警察官等が軍の要請によりまして出動できる体制をつくったことにつきましては、われわれは異存は申し述べているわけではございませんけれども、具体的にそういう戦闘に至るようなプロセスでの出来事であるかどうかということにつきましては、若干疑念を抱いておるということでございます。  なお、事実につきましてはもう少し詳細に検討いたしたいと思います。
  218. 米沢隆

    ○米沢委員 先ほど申し上げましたような状況のもとで軍警一体となって治安工作に頭を悩まし、そして、もしそういう大小ゲリラの騒動があったならば軍警一体となって戦わねばならない、これは全く作戦任務だと思いますね。その作戦任務を課せられた人だと思いますね。その方が、そういう目的を遂行するために会議に行く、会議に行く途中に遭難をする。私はこれはやはり軍事行動の一部だ、そう思うのですよ。そうじゃないでしょうか。
  219. 松田正

    松田(正)政府委員 先ほどから申し上げておりますように、そういうような意味合いでの会議に参加すること自体につきまして、いろいろ解釈のしようがあろうかと思います。いままで私どもは、そういった場合の対応といたしまして戦闘参加者としての対応とは考えられないという立場をとってきたわけでございます。なお、もう少し検討をしてみたいと思いますので。
  220. 米沢隆

    ○米沢委員 ぜひ再検討していただきたいと私は思います。特にこの解釈法規等を読ましてもらいましても、確かに「実際に戦闘に参加した者、あるいは作戦任務を遂行中敵と交戦した者のほか、作戦任務を課せられて軍事行動中の者も含まれる。これはすべからく当時の状況と軍事行動の実態に基づいて判断されるべきものである。」と、ここに解釈をわかっていただいた上で、ある程度広げて解釈される、その文章まで入っておるわけですよ。どうかこの判断に基づいて、ぜひ私は、このことは作戦任務を課せられて軍事行動の途中にあったというふうに御理解をいただいて善処していただきたい、そう思うのです。  同時に、この方が申しておりますように、戦闘参加者でないと、こう言うけれども、支那事変以降の近代戦下での戦闘様相は一変しており、第一線における火線、結局撃ち合いだけが戦闘参加者ではなく、その背後における銃後の防諜、謀略、諜報撹乱行動及び情報収集等は、支那事変以降のゲリラ戦と近代戦には欠くことのできない戦闘行為であって、このような銃後工作と火線の密接な提携協調があったればこそ戦うことができた、私はこれは筋が通っておると思うのですよ。いかがですか。したがって、その作戦計画は戦闘に最重要な要素をなすものであり、その作戦会議に参加するための飛行機事故を単に警察内部の打ち合わせだということで断定されて、その行動を戦闘不参加者だと見るのは私は疑問がある。その意味からもぜひ再検討をお願いしたい、こう思います。
  221. 松田正

    松田(正)政府委員 もう少し事実関係その他慎重に資料等を検討いたしたいと思います。
  222. 米沢隆

    ○米沢委員 当時、厚生省の御配慮によりまして救われた事件で有名なのに一心隊事件というのがあります。  昭和十五年、満州国政府は熱河省の治安対策として、北支駐とん軍との協定に基づき、共産八路軍の討伐を目的とした一心隊なる日満鮮系、こう言ったら怒られるのでしょうか、まあ済みませんが、約四千名の警察軍を編成して北支国境地帯の治安警備に当たらせていた、これが一心隊というものですね。この一心隊が、昭和二十年八月十五日、敗戦の詔勅によって内部で混乱が起こり、八月十七日の未明、満系大隊のために、日系の皆川富之丞、兼石重太郎副隊長以下五十一名が全員殺害されたという事件が、この一心隊事件の中身であります。  この事件に関しまして厚生省昭和二十八年、援護法適用して、その遺族に対して遺族年金を支給していらっしゃるわけでございます。  この事件に関連しまして、厚生省の方でこのような特別の措置をされた、救済された理由はどのような解釈に基づいて行われたのか、御説明いただきたいと思います。
  223. 松田正

    松田(正)政府委員 一心隊事件、これに類した事件は若干ほかにもございますけれども、当時の状況といたしましては一心隊の隊員の中の反乱によりまして全員が殺された、こういう非常に特殊なケースでございます。したがいまして、これを処遇をいたします際にはどのように処遇をすべきかということはいろいろ議論があったようでございますけれども、一心隊につきましては特別な扱いをもって軍人という身分で処遇をしたというふうに聞いております。
  224. 米沢隆

    ○米沢委員 また同じように通化事件というのがあります。これは昭和二十一年二月三日未明、通化省通化県の監獄に収容されていた旧満州国官吏等二千余名の者が共産八路軍に反抗の嫌疑で全員虐殺された、これがいわゆる通化事件というやつであります。これも厚生省の御配慮によって援護法適用して救済している。それはどういう理由によって救済されておるのですか。
  225. 松田正

    松田(正)政府委員 通化事件は、私が御説明するまでもなく、一般開拓団員等の一般邦人でございまして、当時通化市に集結しておりました邦人が、八路軍との間で無償労役等をめぐりまして反乱のようなことになって全員射殺をされたというのが事件の内容でございますので、これまた非常に特殊なケースであると同時に、事実上そういった場所に拘束をされていたという事実もあるのではないか、こういうようなことを踏まえて、特別未帰還者として処遇をいたしたわけでございます。
  226. 米沢隆

    ○米沢委員 当局の方から一心隊事件の救済あるいは通化事件の救済について聞いておりますと、かなり物わかりのいい判断をされておるわけですね。たとえば、この一心隊事件の御配慮の中身は、この一心隊そのものは、この申し立て人が言うように同じ仕事、治安粛正のために特別につくられた隊が特別の地区に行って守備防衛をしておった、だからこの申し立て人と同じ仕事をしておるわけですよ。しかし、その方々が不幸にして満系の反乱によって虐殺された、殺されたという中身だけで、それを対敵戦闘行為という形にみなされて救われる。これは亡くならなかったらどうなったろうと私は思うのです。亡くなったがゆえに、殺されたのは、これは内輪もめですよ。対敵戦闘行為じゃないです、内輪もめです。しかし、戦争が終わってしまったものだから、これをやろうということでこういうことになった。そういう意味で、私は決して敵との戦闘ではない。それを対敵戦闘行為としてみなして救おうではないかというその御配慮は、亡くなったから、ある程度の同情もあるわけです。しかし、彼らと同じ仕事をしながら、ただけがをしたというだけであなたがノーだと言うのはちょっと問題だと思うのです。そういう意味からもぜひ御検討を賜りたいと思うのですが、いかがですか。
  227. 松田正

    松田(正)政府委員 いま先生指摘のような状況は、私ども十分理解ができるわけでございます。先生の御指摘のケースは、必ずしも生きておられたからどうこうということではございませんで、基本的に戦闘行為なるものをどう考えるか。先生指摘のように、一心隊と同じ状況ではないか、そういう見解もあろうかと思います。先ほど申し上げましたように、事実に基づきまして、資料を十分検討いたしまして決定をいたしたい、かように考えます。
  228. 米沢隆

    ○米沢委員 解釈法規にありますように、「当時の状況と軍事行動の実態に基づいて判断されるべきもの」、これはまさしく大きな柱でございますから、軍事行動を一体どう見るのか、そのような銃後のいろいろなスパイ作戦みたいなものを一体どう見るのか、そのあたりを御判断いただければこの案件はスムーズに解決されるのではなかろうかと思います。同時に、これはもうすでに失明をされ、動けない、あしたあさって死ぬかもしれないという方です。援護審査会はかなり長くかかっておりますよ。そういう意味で早目にそのあたりの審議を進めてもらわねばなりません。そして、おっしゃったように、事実の確認みたいなものは、すでにいままで元気なときに一生懸命いろいろなところを歩かれて、いろいろな方に当たられていろいろと書類をつくられた。しかし、その当時のことを、軍の指令かどうかわからない、確認できないからだめだという議論ではなく、それはもう本人に立証させるというよりも皆さんの方で立証してもらう、そういう準備が必要じゃないかと私は思います。  その点を特に申し加えまして、質問を終わります。
  229. 葉梨信行

    葉梨委員長 速記をとめてください。     〔速記中止〕
  230. 葉梨信行

    葉梨委員長 速記を起こしてください。  この際、三十分間休憩いたします。     午後四時三十四分休憩      ————◇—————     午後五時四分開議
  231. 葉梨信行

    葉梨委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  本案に対する質疑は終了いたしました。  これより本案を討論に付するのでありますが、別に申し出もありませんので、直ちに採決いたします。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  232. 葉梨信行

    葉梨委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。     —————————————
  233. 葉梨信行

    葉梨委員長 この際、山崎拓君、田口一男君、大橋敏雄君、浦井洋君及び米沢隆君から、本案に、対し、附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。  提出者からその趣旨の説明を聴取いたします。山崎拓君。
  234. 山崎拓

    ○山崎(拓)委員 私は、自由民主党・自由国民会議、日本社会党、公明党・国民会議、日本共産党・革新共同及び民社党・国民連合を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。  案文を朗読して説明にかえさせていただきます。     戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)  政府は、次の事項につき、格段の努力を払うべきである。 一 国民の生活水準の向上等に見合って、今後とも援護の水準を引き上げ、公平な援護措置が行われるよう努めること。   なお、戦没者遺族等の老齢化の現状及び生活の実態にかんがみ、一層の優遇措置を講ずるとともに、援護の水準の引上げに伴って被用者医療保険における被扶養者の取り扱いが不利にならないよう配慮すること。 二 戦地勤務に服した陸海軍看護婦の当時の実情にかんがみ、日赤従軍看護婦に比し不利とならないよう必要な措置をとるよう検討すること。 三 次の組織及び活動状況等について明確にするとともに、公平適切な措置をとり得るよう検討すること。  (1) 第二次大戦末期における閣議決定に基づく国民義勇隊及び国民義勇戦闘隊  (2) 公共防空に関する警防団 四 満州開拓青年義勇隊開拓団について関係者と連絡を密にし、一層資料の収集に努め、問題解決のため努力すること。 五 戦没者遺族等の高齢化が進んでいる現状にかんがみ、これら遺族の心情に十分に配慮し、海外旧戦域における遺骨収集、慰霊巡拝等については、更に積極的に推進すること。   なお、関係者の多年の願望であった中国の慰霊巡拝については、大平、華会談の合意に基づき、早急に実現するよう格段の努力をすること。 六 生存未帰還者調査については、引き続き関係方面との連絡を密にし、調査及び帰還の促進に万全を期すこと。   なお、中国からの引揚者が一日も早く日本社会に復帰できるよう関係各省及び地方自治体が一体となってその対策に遺憾なきを期すこと。 七 原子爆弾による放射能爆風熱線等の傷害作用に起因する傷害疾病を有する者に対する障害年金の支給及び死亡者の遺族に対する弔慰金遺族年金等の支給に当たっては、現行援護法適用につき遺憾なきを期すこと。 八 交通手段としての航空機利用の増加にかんがみ、戦傷病者が航空機を利用する場合における利便供与の方法等について積極的に検討すること。 九 法律の内容について必要な広報等に努める等更にその周知徹底を図るとともに、相談体制の強化、裁定等の事務の迅速化に更に努めること。 以上であります。  何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。
  235. 葉梨信行

    葉梨委員長 本動議について採決いたします。  本動議のごとく決するに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  236. 葉梨信行

    葉梨委員長 起立総員。よって、本案については、山崎拓君外四名提出の動議のごとく附帯決議を付することと決しました。  この際、厚生大臣から発言を求められておりますので、これを許します。野呂厚生大臣
  237. 野呂恭一

    野呂国務大臣 ただいまの附帯決議につきましては、その御趣旨を十分尊重いたしまして努力いたす所存でございます。     —————————————
  238. 葉梨信行

    葉梨委員長 なお、ただいま議決いたしました本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  239. 葉梨信行

    葉梨委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。     —————————————     〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  240. 葉梨信行

    葉梨委員長 次に、内閣提出原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、提案理由の説明を聴取いたします。野呂厚生大臣。     —————————————  原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律   の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  241. 野呂恭一

    野呂国務大臣 ただいま議題となりました原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案について、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾被爆者については、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により、健康診断及び医療の給付を行うとともに、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律により、特別手当、健康管理手当保健手当その他の手当等の支給を行い、被爆者の健康の保持増進と生活の安定を図ってまいったところであります。  本法律案は、被爆者の福祉の一層の向上を図るため、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律について改正を行おうとするものであります。  以下、その内容について御説明申し上げます。  まず第一は、特別手当の額の引き上げであります。特別手当は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の規定により、原子爆弾傷害作用に起因する負傷または疾病の状態にある旨の厚生大臣認定を受けた被爆者に対して支給されるものでありますが、この特別手当の額について、現に当該認定に係る負傷または疾病の状態にある者に支給する特別手当の額を現行の月額六万円から六万四千五百円に引き上げ、その状態にない者に支給する特別手当の額を現行の月額三万円から三万二千三百円に引き上げるものであります。  次に、健康管理手当の額の引き上げであります。健康管理手当は、原子爆弾放射能の影響に関連があると思われる造血機能障害等の特定の障害を伴う疾病にかかっている被爆者で、特別手当の支給を受けていない者に対して支給されるものでありますが、この健康管理手当の額を現行の月額二万円から二万千五百円に引き上げるものであります。  第三に、保健手当の額の引き上げであります。保健手当は、爆心地から二キロメートルの区域内において直接被爆した者で、特別手当または健康管理手当の支給を受けていない者に対して支給されるものでありますが、この保健手当の額を現行の月額一万円から一万八百円に引き上げるものであります。  また、これらの改正の実施時期は、昭和五十五年八月一日といたしております。  以上が、この法律案を提案する理由及びその内容であります。  何とぞ慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
  242. 葉梨信行

    葉梨委員長 これにで提案理由の説明は終わりました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時十二分散会      ————◇—————