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馬場委員 実は、私は
廃棄物処理の原則の問題について六点
質問も通告しておいたのですが、時間がきてしまいましたので、具体的な問題だけでやりたいと思うのです。
厚生省に言っておきますけれ
ども、あなた方は五十三年度に
産業廃棄物処理処分
状況実態
調査というのをやられたわけです。それがいつ出るかということも聞きたかったのですけれ
ども、こういう
調査に基づいて、さらにもう一つは五十四年度にやられました「
地域と調和した
最終処分場計画の策定に関する研究」、これを読みましたら、非常にいいことが書いてある。これの具体化とか、特にここで申し上げておきたいのは、
最終処分地への処分に当たってのその監視体制の強化というのは、ぜひこれは強くやっていただきたいと思う。これは
業者に任せておっては、
業者の伝票できょうは何が何トン入ったではなしに、きちっと監視しなければ、何が運ばれてくるかわかりません。この監視体制なんか特に十分やっていただきたいということを申し上げておきたいと思うのです。
以上で、この問題について、まだ不十分でございましたが、また情勢の推移いかんによっては
質問いたしますけれ
ども、いま皆さん方が、全
住民が
反対しているのを強行しないように、あるいはそういうことは
許可しないようにということで
指導するという方向で御
答弁がいただけましたので、これで終わりたいと思います。
次に、水俣病の問題について御
質問申し上げたいと思うのです。
長官、私は、毎週土曜日曜に熊本へ帰って、週単位で熊本と東京を通勤しているわけです。汽車で帰るのです。その中で、四月十九日、熊本の駅頭におりましたところが、私の秘書が、
先生、きょう川本さんが逮捕されました、こういうようなことを私に
報告をいたしました。私は、朝駅に着いてそれをしょっぱなに聞かされまして、本当にショックを受けまして、そして、日本の政治の大きな反動化といいますか、そういう流れの音が聞こえたような気が、実は最初しました。そして
環境とか
公害行政のだんだん後退して流れているというような音も聞いたような気がいたしました。
一九七三年に、私が議員になりまして当初でございましたけれ
ども、水俣病の患者さんたちがチッソ本社前に座り込みを含めた補償の自主交渉をやりまして、私はその補償
協定のあっせんをしたわけでございますが、当時の三木
環境庁長官、梅本事務次官、そして後に次官になりました当時の城戸企画調整
局長、これは本当に患者の
立場に立って援助していただきました。そういう援助もありまして、歴史的な補償
協定が締結されたわけでございますが、いま水俣病患者で認定されておりますのは、皆この補償
協定を希望して適用しておられるわけでございまして、この補償
協定ができた機会に、健康被害の救済法から健康被害の補償法に変わりまして、この
協定が補償法成立の非常に参考になってバネになったと私は思っておるわけでございます。そういうことを議員になって当初経験いたしました。
ところが、その片っ方に、実は当時自主交渉をやっておりました川本さんが暴行容疑で逮捕されまして、起訴されました。これについて、七七年に東京高裁の寺尾裁判長は、水俣病事件の悲惨さに比べれば、川本さんの行為などはささいなことだと、公訴そのものを棄却する判決が下されたわけです。この事実というものが、あの十九日の朝、熊本駅の前で秘書から川本さんが逮捕されたと聞きまして、音を立てて流れて去っていくような気がしてならなかったのです。
川本さんは、私はよく知っております。彼は暴力というような、暴行するような人間じゃないのですよ。私自身、暴力は絶対に行うべきではないと思いますし、私は子供のときから暴力をふるってけんかをしたことは一回もありません。彼は時に激しい言動があります。しかしこれは、東京高裁の寺尾裁判長が言ったように、水俣病の悲惨さのあらわれだと私は思う。表現できない悲惨さ、これが逆にこういうことで激しい言動になる。これは私は理解してやるべきだと思うのです。
さらに、私が音を立てて流れると言いましたのは、最近熊本で三つの裁判の判決があったんですよ。一つは、にせ患者事件に絡んで暴行したといって起訴された人が、懲役四カ月、執行猶予二年という判決が出たのです。もう一つは、四月十六日にあのヘドロ
処理工事でゴーサインを出すような熊本地裁の判決が出ました。大臣、私は反動の
公害行政の流れを聞いたというのは、
環境アセスメントでもどんどん後退しておるでしょう、そういうことで、反動の
環境行政が音を立てて流れておる。その流れに、川本逮捕というのはさらに一つの音を追加したというような気がしてならないのです。
これについて、まず大臣の御
見解を聞いておきたいと思います。