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瀬崎委員 これは大分前に出た本でありますが、この際、こういう
大臣の
答弁に対して、この本の一節を御紹介しておきたいと思います。これは「「
むつ」漂流 ある国家プロジェクトの軌跡」という本で、日経新聞社から出ておるのです。これは「
むつ」が放射線漏れ事故を起こして漂流した当時の問題です。当時、
事業団に吉本さんという部長が現地にいらっしゃいましたね、この方はやめられたでしょう。この吉本部長の辞表
提出前後の話です。「辞表は二八日、
むつ事業所を訪れた佐々木
理事長に
提出された。辞表を出すに当たって、吉本部長は
理事長に「森山
科学技術庁長官が辞任すべきだと思う。が、それは実現しないだろう。こんな
事態になった
責任を誰もとろうとしないので、私がとります」と言った。」、こういう一節もあるくらいなんですね。私は、こういうことを、時がたつとともに忘れてもらいたくないために改めて申し上げているのです。
こういうことについて、今回の
原子力委員会の新たな方針で見ますと、見込み
違いであるとか計画のおくれは率直に認めているけれ
ども、しかし、その
責任がどこにあったかちっとも触れていない、この点に大きな片手落ちがある、私は、こういうふうに
指摘をしておきたいと思います。
さらに、
原子力委員会の
文書では、
原子力船を取り巻く世界の現状についても見込みに反したということは認めております。
ここで、ちょっと言っておきたいのです。といいますのは、三年前、ちょうどこの
事業団の延長問題が審議されておりました五十二年三月十六日の
科学技術委員会、本
委員会で私がこういう
質問をしているのです。「諸外国の動向からも現時点では実用
原子力船建造の緊急度は薄いと見られる。」という船主協会月報を引用いたしまして、「
むつ」を
最初に建造する段階で入札指名を受けた七つの造船
会社や
原子力関係の
会社の
体制や
考え方も、私、直接回って調べてきたものですから、その内容も
委員会で説明をいたしまして、
原子力船の戦線からはこういう七社が大体において撤退をしてきている、これが一般的傾向じゃないか、こうただしているわけです。これに対して、当時の宇野
科学技術庁長官は、こう答えています。「われわれは速やかなる
原子力船時代を迎えたいと思います。」、なおこういう希望的観測を
国会で堂々と出したわけであります。また、こうも言っています。「業界は、今後の
政府の指導方針、また「
むつ」の成果いかんによりまして、新しく
原子力船時代を迎えなければならぬというふうに痛感をしてくれるであろう。」とも強弁をされているわけです。土壇場に来ても、なかなかこの誤りを認めようとしない、こういう
政府の
態度こそがこの災いを大きなものにしてきたもとではないか、こういうふうに私は思うわけなんです。
確かに一時期、八〇年代は
原子力船時代というキャンペーンが張られたことがありました。やっと八〇年代になって、そうして現に
原子力船時代は来ていない、そのときになって初めて、この
原子力委員会の
文書では「
原子力船実用化の動きが顕在化するには至っていない。」と評価しているにすぎないわけですね。こうなってきますと、もう見通しとかなんとかというものではないわけなんでしょう。
一つの長期的なプロジェクトの方針を持つためには、やはりそういう客観的な情勢についての見通しが正しくなければ必ず過ちを犯す、こういう点から、そのときどきいろいろと批判的な
意見が出てくるけれ
ども、そういう批判にもう少し
政府は謙虚に耳を傾けるべきではないか。このことが同時に、
一つの教訓として私はこういう
原子力委員会の
文書に出てほしいと思うのですが、
大臣、いかがでしょう。