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宮之原貞光君 これ以上
大臣からもっと
教育の問題の基本的な問題についてはお聞きするのは無理かもしれませんけれども、私はこう思っておるんですがね。それに対して最終的にまた
大臣のお
考えをお聞きしたいと思うんですけれどもね。経過的な問題という私は受けとめ方では困ると思っておるんですよ、率直に申し上げて。いままであったんだからこれを続かすんだということでは。たとえば、三十七年の通常
国会ですか、
教科書無償に関する
ところの法案が出されたときには、私はその際の提案理由というのは非常に飽き足らない、きわめてまた
一つの
政治的な物の
考え方というのがにじみ過ぎておると思っていたんです。なぜかと申しますと、いま古い資料もありますけれども、当時の提案理由でこう言っておるんですね。「
教育を通じて、わが子が健全に成長し、祖国の繁栄と人類の福祉に貢献してくれるようになることにあると思うのであります。この親の願いにこたえる最も身近な問題の
一つとして取り上げる
ところに、
義務教育諸
学校の
教科書を無償とする意義がある」そこはいいとして、またその
教科書もいろいろ
批判があったが、新しい学習
指導要領がつくられて、
日本人としての自覚を持たせるような
教科書が刊行されるようになったから、無償にすることによって、児童、生徒が
国民的自覚を深めることに役立つんですと、こういう物の言い方ですね。この後段の提起などはまさに私は
政治的だと思う。あのころから学習
指導要領のあり方の問題、基準法の強化の問題ということは、相当これ議論の分かれる
ところの問題なんですよ。あれを通そうという
一つの
政治的な意図で、与党の
皆さんを納得させようと思っている
ところの意図がにじみ出ておるかもしれませんけれども、余りにも私はやはりこういう
考え方では、これは
教科書無償云々というもののあれにはなっていかぬのじゃないでしょうか。あの
指導要領というものが、今日いろいろ言われておる。たとえば
学校教育における
ところの創造性、自主性を発展させなさいと言いながら、この
指導要領の基準性の拘束性という問題について非常なやっぱり問題がある。それでいて何が一体できるかという議論さえもある。私はやはりこういう
立場ではなくして、むしろ
義務教育の無償というこの
考え方というのは、
日本国憲法のやはり基本的な物の
考え方から出ておる
ところの問題ですよと、ここの
ところを踏まえていただかなきゃ困るんじゃないでしょうか。ややもするとやはり戦前の感覚でもって、親が就学義務を負わされておる
ところの見返りだから、
義務教育については無償にしようとかというような物の
考え方では私はだめだと思うんです。少なくとも
日本国憲法は、二十六条ですべての
国民に
教育を受ける
ところの権利を保障しておるんですから、無償原則というのはやはりこの権利を保障するという
立場に立たない限り、私はこの問題に対する
ところの物の
考え方を間違うんじゃないかと思いますよ。そうでなければ、いわゆる
一つの裁判の判例みたいに、いや
義務教育というのは授業料を取らないだけで、これが無償なんだという憲法解釈をする
ところの人もまだおられる。そういうものの
立場に立つ限り、私はこの問題は解決つかないと思うんです。そういう論理に立てば、財政が困難なんだから、一時ストップしてもいいじゃないかという論理さえも出てくるんですよ。この無償の原則というものは、それを単に授業料だけじゃなくて、いろんな施設設備の面、あるいは教材の面においてもどんどん広げていく、場合によってはこれをさらに高等
学校教育の
ところにも進展をさせていくという
一つのやはり展望、物の
考え方の中からこの問題を私は処置をしなければ誤るんじゃないかと思いますよ。初中局長ときどき首をかしげたりしておるけれども、実はあなたの前の前任者、前の前の前任者だって、岩間初中局長もこの種の答弁をしておるんですよ。またその後
文部省の方針が変わったというんならお聞かせいただきたいんですがね。この議事録は、四十八年の四月十七日の第七十一
国会における
ところの本院
文教委員会の議事録の一部です。当時の岩間初中局長はこう言っておる。
義務教育の無償範囲でございますが、ただいまの
ところ私どもは授業料をとらないというのが
義務教育の無償の
考え方であろうということでございます。しかしながら、
義務教育の趣旨をよりよく実現いたしますために
教科書の無償というものを始めたことは、これはもう御
指摘のとおりでございます。
さらに、今後の問題でございますけれども、私どもとしましては、
義務教育はできるだけ父兄の負担を軽くするようにということから、全体の一〇%でございますけれども、
家庭が貧しくて
義務教育に多大の費用というものをかけるわけにいかないような方々に対しましては、
教科書のほかに、学用品でございますとか、通学用品でございますとか、あるいは医療費、給食費、それから修学旅行費、そういうものにつきまして、これを無償にするような方向で進んでいるわけでございます。それからさらに、これは
国会でもやはりお取り上げをいただきまして、
学校の教材を充実するということ。
さらに、今後年次計画を持ちまして教材の充実ということを無償の方向にやっぱりやっていくんですよと、こう言っておる。
この物の
考え方は、裁判の判決が
義務教育無償というのは、授業料を取らないことだけが無償なんですという物の
考え方じゃないんですよ、
大臣。どんどんどんどん、やはり財政の許す中でこれを広げていって、教材の面においても、器具の面においても、やはり
国民がひとしく
教育を受ける
ところの権利を保障できるようにやることが、行政当局のこれに対する
ところの物の
考え方なんですということを明確に言っておるんです。ここの
ところを
大臣踏まえていただかなければ、最高裁の判例どうだこうだというように、いわゆる裁判での授業料云々という
ところにとどまっておる物の
考え方をあなたが持つ限り、一歩も前進しませんね、率直に申し上げまして。私は、先ほどあなたの説に賛成というのは、
義務教育というのは無償だという、その無償というものが、どんどんやっぱり拡大をしていかなきゃならない、その
一つの手だての中で、
教科書無償というのが
一つの段階の中で出されて、ようやく定着しておるんだから、これを確保すると同時に、さらにやはり、
文部行政の
責任者としては、これを拡大する
ところの方向に問題を進めていくと、ここの
ところを踏まえない限り、この問題に対する
ところの
指導を誤ると私は思うんですけれどもね。私はそう思いますけれどもね、
大臣はやはり、
義務教育というのはあくまでも授業料を取らないことが無償だというふうに、狭い意味にお
考えなんですか。どうなんですか。