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内藤功君
鉄建公団の経理に絡む疑惑について、具体的に指摘をしておきたいと思います。
これは
上越新幹線の建設用地をめぐる補償金の問題なんです。高崎市の飯塚町に
新幹線の建設用地として予定をされた東金井市営住宅、この古い住宅を取り壊して移転の補償金一億百七十三万八千九百七十円と、一億余りの金を
鉄建公団が出した。ところが、これは前に建設省から補助金をもらってちゃんと除去もし、そして新しい建物十階建ても建っておる。そういう後になって
鉄建公団が一億円出した。とんでもない話がありますので、真相をちょっとお聞きしておきたいと思います。
もともとこれは、私の調べたところですが、これが
新幹線の上越の予定の線ですね、これがいまの信越本線で北高崎の駅がこの辺にある。そして問題の市営住宅がこの赤線で囲われたところですね。
新幹線の線路にかかる。そしていま建っている新しい十階建てがこれであります。この赤線で囲まれた住宅区域は二十五棟三十戸があった。老朽化しておった。四十七年二月から
鉄建公団は、この用地とそれから移転の交渉を始めたわけです。
ところが昭和四十九年の三月に高崎市から建設省に補助金の申請があって、建設省の方から不良住宅除却と改良住宅建設の補助金の交付がなされた、二億七千九百五十六万八千円。このほかに県のもありますが、約二億七千九百五十六万円の補助金の交付が決定をして、昭和五十年の三月にこの建物は十階建てでありますが、竣工しておるんですね。そして五十年の五月ごろから入居を始めた。そうして旧住宅はその前の四十八年から四十九年にかけて取り壊しが終わった。そのことは、五百メートルぐらいしかこの
鉄建公団の
事務所は、出張所は離れてないんです、
現場から。ですから、すばらしい十階建てがこの沿線に建ったこともみんなよくこれはわかっておられるはずだと思うんですね。
ところが、こういうふうにして新しい建物が建設省の補助金でできたのに、昭和五十二年の六月になりまして、市が今度は
鉄建公団に補償の要請をしたと。これは文書でやられたと言うんですが、陳情文的な文章で要請をした。そして五十二年の八月に今度は
鉄建公団はこれをのみまして、補償を支払うという協定書を交わした。その折りに補償金の金額は空欄として、とにかく補償金を払うという協定書をつくって、それに古い住宅の図面、もうすでに消滅しておる住宅の図面を添付してそして協定書をつくった。これが五十二年八月。そうして金額も決まってないのに五十二年の十月になって一億百七十三万八千九百七十円という問題のお金を市の方に送金をした。明細書を市から
要求されたんだけれ
ども、明細書ははるかずっと後になって送られたようであります。
そうして五十三年の二月に会計検査院が検査に入って、その結果、五十三年の三月に市は
公団に返したいと言ってきている。そして五十三年の五月に、これは利息はつけないで返金され、
公団では仮受金で雑入で
処理をしたようである。そして五十三年の六月からことしの三月までの間に
公団と市の間で非常に数多くの打ち合わせが行われておる。市の方は返したいと言うんだが、
公団の方は、いやもう返されても困る、受け取ってくれというようなことでいろいろ打ち合わせが行われているわけです。
私
どもの方の大まかな
調査の経過はこういう経過です。いろんな問題が私はあると思うんです。これについて真相というものを伺っておきたいと思います。
まず問題は、きわめて明確なことですが、十階建ての文字どおり天をつく建築が、しかも新しい建物がそそり立っておると。しかもそのすぐそばには
鉄建公団の出張所の
事務所があると。そうしてこの建築はどこから金が出たのか、市の財政で出るわけがないのでどういうところから金が出たのかということを、これはもう当然知らなきゃならぬはずだと。そういう物件がもうすでになくなっていると知って金を出したのか、あるいはその物件がまだそこに古いのが存在すると思って出したのか、こういうことをわざわざ聞くまでも私はないと思うんですが、ここらあたりが非常に不思議なことなので、まず問題点の
一つとしてそこらあたりの話をお聞きしたいと思うんです。ひとつ疑惑に答え得るように答えてもらいたいと思います。
公団にお願いします。