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石野久男君 このたび、
院議をもって永年
勤続議員として
表彰の御
決議を賜りましたことは、身に余る光栄であり、感謝にたえません。これひとえに、茨城県の皆さんの深い御理解、終始変わらぬ御支援と、先輩、
同僚各位の御
指導、御協力の賜物であり、ここに衷心より
お礼を申し上げる次第であります。(
拍手)
顧みますと、私は三重県で一介の貧しい漁師の長男として生まれました。少年の日、
巻脚絆姿の凛とした
尾崎咢堂先生の
政談演説を寺に聞きに行き、未成年だということで、つまみ出されたこともあります。
小学校を出て、両親の理解ある計らいで、家計の助けをすることもせず、東京への遊学を許され、自来十
有余年、
新聞配達、火の番、屋台などでかせぎながら苦学をし、学業を終えました。
第二次
世界戦争前の不況、世相の激変、戦中戦後の悲惨な
生活の中から、世の中の多くの差別を憎み、
戦争に反対し、平和と祖国の真の独立のため闘うことを決意し、わき目も振らぬ
日常生活を続けてまいりました。
昭和二十二年、新
憲法下第一回の総選挙で初めて本院に議席を与えられたのは、
片山内閣のときでした。当時は、衣食住の極端な
困窮と
占領政治のもとで、
生活の
確保と
民主化闘争が激しく展開されていました。以来、私は、一貫して、
日本の平和への道筋は、何よりもアジアで中国、朝鮮との友好を確立することを軸としなくては本物にならぬという信念で、全力を尽くしてきました。
いま、わが国の
政治の重大な課題は、
経済大国の虚構に甘えることなく、人々が
困窮に耐え得る最低限の食糧、エネルギーの
自給率を
確保するための施策を行うことにあると思います。つくっては壊す作業や、公害を出しては跡始末に追いまくられる
経済、資源の
むだ遣いを排除することにあると思います。
私は、これからも「楽しみは人に譲り、荷物は重いものを選んで担ぎ、人に先んじて苦しみ、人におくれて楽しむ」という先哲の
言葉を座右の銘とし、大衆を信じ、真実を貫きながら、内にあっては
国民各階層の不公平、矛盾の解決、外にあっては
戦争に反対し、平和を
確保するため、
階級解放の闘いを初心に返って懸命に努力する所存であります。(
拍手)
ここに一層の御
指導、御鞭撻をお願い申し上げまして、
お礼の
言葉といたします。(
拍手)
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