○瀬野
委員 農林水産大臣も就任直後でありまするので私は改めて申しますが、こういった日本
農業のいわば出口なき
農業、と同時に皆さんも
目標をなかなか明確に示されない。しかも、まさに
農林水産業は酷寒景色で、もう冬景色を通り越している。こういったことでは後継者も育たないし、農家も将来大変な不安が続くことは言うまでもありません。まさに日本
農業の壊滅的状態になってまいります。
先日もNHKでアンケートをとった結果等が示されておりますけれ
ども、それは時間の関係でここで申し上げる時間はございませんけれ
ども、日本
農業をどう思うかとか、また今後
農業に希望があるかとか、また
農業を続けていく意思があるかとかいうようなことを見ましたときに、まさに私は寒々とした
気持ちがしたわけです。どんな時代が来てもやはり
農業は守っていかなければ、油を食べたりお金のコインをたいて食べるわけにはいきません。食糧がなければ、それとまた
一つはエネルギーの問題、これが今後の大きな問題である、かように私は思うわけです。
そういった
意味で私は、実は従来からいろいろと提案をしてまいっておりますけれ
ども、その中の
一つで五十三年二月十日、それから五十三年九月二十七日、また五十三年十月十四日、さらには五十三年十月十九日、ちょっといま
手元にある
資料だけでも四回にわたっていろいろ関連して質問をしております。
大臣に認識をしていただくと同時に、今後の
対策のためにあえて申し上げますが、特にこの中で、五十三年二月十日の
農林水産委員会において、農林
大臣所信表明に対する質疑の中で、私がかねて
調査を求めておいた案件について提案を兼ねて質問をしたわけです。それは
農林水産省農蚕園芸局の農蚕企画室長及び畑作
振興課長から
調査をした
資料をいただきまして、それらを基礎にしてかねがね
考えていることを申し上げたわけです。いわゆる畦畔大豆
転作の問題であります。別名額縁
転作とも申しておりますけれ
ども、要するに水田というのは普通四角でございますので、この四角の水田に畦畔をふやして大豆を植えて、それで大豆の
生産を上げながら
生産調整をできるだけ少なくして、農家の利益を上げ農家の所得をふやしていこうという構想に基づくものであります。
五十三年八月一日現在の調べによりますと、水田面積の本地が
昭和五十二年で二百九十二万七千ヘクタールであります。水田の畦畔面積は
昭和五十二年で二十万六千ヘクタール、要するに日本の水田の畦畔を全部合わせますと二十万六千ヘクタールになります。さらに畦畔拡幅ケース別の畦畔面積及び大豆の収穫量等を推定したわけでございますが、仮に幾つかの前提を置いて計算をしてみました。その前提としては、畦畔面積が二十万六千ヘクタールで、畦畔の幅を、
調査実績がないので仮に六十センチとして計算をしてみました。さらに畦畔大豆の収量を、
調査実績がないというので仮に五十二年産の大豆の全国平均値を十アール当たり百四十キログラムとして一応算定の基礎にしました。なお、
増加した畦畔にはすべて大豆を作付するという条件のもとでやったわけであります。そうしますと、この計算の結果によりますと、畦畔を約三十センチ拡幅した場合は、
増加畦畔面積は二十万六千ヘクタール掛ける六十センチ分の三十センチになりますので、十万三千ヘクタールという計算になります。したがって、大豆の
増加収穫量は十四万四千トンという計算になりまして、仮に四十センチ拡幅の場合の
増加畦畔面積は、二十万六千ヘクタールに六十分の四十を掛けますから十三万七千ヘクタール、そして大豆の
増加収穫量が十九万二千トン、こういうふうになります。もう
一つの例は、畦畔を五十センチ拡幅した場合の
増加畦畔面積は、二十万六千ヘクタールに六十分の五十を掛けますから十七万二千ヘクタール、そして大豆の
増加収穫量が二十四万一千トン、こういうことになるわけでございます。もちろんこれは算術計算でございますが、そこで五十センチ拡幅をすると十七万二千ヘクタールでございますので、よって
昭和五十三
年度、第一期の去年、ことしの
生産調整による面積が三十九万一千ヘクタールでございますから約二分の一近いものが
生産調整できる、こういうことになるわけです。
そこで、さらにこういったことに関係して、水田の約三分の一を乾田にする。現在、全国では約三〇%の圃場
整備、暗渠排水ができているわけでございまして、あとの三分の二はできておりません。湿田もあれば、なかなか乾田にすることが大変だという水田もあります。そういった
意味で、水田の約三分の一ぐらいに大きなみぞを掘って、そのみぞの土を三分の一の水田に上乗せをして、そこを乾田にして大豆をつくる、残りの三分の二は従来どおり水田として使う、こういうような方法もありましょう。そうすればもっと飛躍的な、乾田としての大豆
転作ができる。そういったことをいろいろ
考えて、いまの暗渠排水ができていない場合等を
考えましたときに、そこに大豆をつくる。大豆の自給率は幾らあってもいいわけです。また大豆は北海道から沖繩までできます。さらに大豆の利用というものは、みそ、しょうゆから納豆、豆腐はもちろんのこと、油は人体にもコレステロールはたまらぬし、なかなか栄養にもなる。また、かすは飼料にもなるし、肥料にもなる、捨てるところはないということで、全くこれは一挙三得にも四得にもなると私は言っておるわけです。そういった
意味で、大豆
転作を行って農家の
生産調整を軽くしてあげる、そして農家は米を基幹作物として収入を得ておりますから、米による収入を上げつつ、また喜んで
転作をするようにさせる。すなわち、特定作物としては大豆、麦、飼料作物、ソバ、あるいはてん菜といったものがあるわけですから、まず大豆に力を入れて、農家が将来希望を持てるようなことを
一つでも農家に与えてやる。そして将来米が不足するというような
事態が起きてきた場合は、乾田にしたところをまたもとの水田に戻す。もとの畦畔だけ残して、追加でつくった畦畔のところをトラクターで水田に戻して使う。こういうふうにしていけば
生産調整も少なくて済むし、また農家の収入も上がる。したがって、
生産調整に要するいろいろな経費、奨励金等ありまして、これもまた南北戦争でいろいろ問題になるわけですが、こういったものを大豆の価格の方へ回してあげる。そして米並みとはいかなくてもとりあえず米に近い価格にして、農家が喜んで栽培できるように、収穫できるようにしてあげる、こういうふうにすべきだと思います。
現在、栃木県でも、また数県において、大豆は根がかたいために収穫するのに人力を要する、なかなか大豆の収穫が大変だというので、農家も省力化しなければ乗ってこない面もありますけれ
ども、現に大豆のこういった根を切り、収穫するところの機械がもうすでに開発されてできており、現在、喜んで大豆栽培をしている農家がございます。そういったものをひとつ大いに奨励をして、農家が喜んで栽培できるように価格も見てあげる、そして農家の
協力と
理解を得ながら畦畔大豆
転作、額縁
転作を
推進していく、こういうことで、明るい
展望の持てるような思い切ったユニークなことをやるべきだ、かように私は言っているわけです。
少し長くなりますけれ
ども、ことしは来年の
生産調整をこうする、再来年以降はどうなるかわからぬというようなことで、
長期展望もないままに毎回同じことを繰り返しているわけですから、ほかに何かいい方法があればそれを示してもらいたい、なければ私の言った提案も大いに参酌してやってもらいたい、かように私は思うわけです。
これに対して、農林
大臣は私が提案した際に、「「示唆に富んだ御
意見を承りまして、非常にありがたく思います。姿勢としては大豆とか麦とか飼料作物、ソバ等の自給率の悪い、特に価格
政策のある大豆のようなものを思い切りやってもらって、ほかの洪水を起こさない、こういうふうにしたいと思うのです。」また「大豆とか小麦とか飼料作物とか、一番大事な作物ですし、莫大な経費はかかりましてもさらに一層促進してまいりたい、こう思う次第でございます。」」これは当時の北海道の中川農林
大臣が言っております。北海道で米をやめろと言ったら大変なことになりますが、こう言っております。
さらに、当時の政務次官も、「私
どもの郷里でも、昔あぜ豆と申しまして、各農家は奨励しなくてもそれぞれあぜには大豆をつくっておったものでございます。そういうことを踏まえまして、なおひとつ真剣に
検討をさせていただきたいと思います。」こういうことを言っているのですが、その後どういうふうに
検討したのか、まず農林省当局からお答えいただいて、
大臣のお
考えも改めてお聞きしておきたい、かように思います。