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石野委員 それは一般論を言っておるので、具体的な問題があるからその具体的な問題について私はあなたの
考え方を聞いているんですよ。
学術会議は総会で決めた、総会で決めたから私はやったのだというあなたの結論なんですよ。しかし外から見れば、あれだけの大きなことがあり、しかも
反対をする諸君が原子力についてなり、あるいは学問についてそんなに不定見な方ではないと私は思うのです。
皆さんみんな権威のある方がおると思うのです。ことに私が知る限りにおいては、原子力について
スリーマイルアイランドなんかの問題についての
考え方などでは、やはり相当事前から的確な判断をしておった方々が多いと思います。あなたが
わが国はそんなことはないと言い切ったときに、あの問題について相当的確な判断をしておった方々が多いんですよ。それで、その後
アメリカの大統領
委員会が出した報告書は、ほとんどその人
たちの
意見と余り狂っておりません。どちらかと言えば、あなたの言っていることが間違っているのですよ。なぜそういう間違っておる人の
意見が通っちゃって、間違っていない正しい判断をしておった人々の
意見をあなたは聞こうとしないのですか。私は、そういうところに疑問を持ちますよ。
日本の
原子力安全委員会の
態度がそういうような立場であるということでは大衆は信頼できない。私は、むしろ
日本の原子力
行政がやはり一億の国民に対して安全を確保するために、信頼のある
機関となってもらいたいのです。
学者の方々にもそういうことを期待したい。
シンポジウムはそのためによりよいものになってほしいのです。
だから私は、やはり
意見のある方々のなにがどんな場合でも受けとめられるような体制をつくるためには急いではいけないと思います。
学術会議は主体性を持っておりますから、あなたがそのように取り扱うのは結構ですけれども、
学術会議の中で問題がある場合には、しばらくながめておってもいいのじゃないですか。それでも決して損にはならないと思いますよ。ぼくは、そういうような
態度を少なくとも
安全委員会の
委員長にとっていただきたいと思っております。
問題は、
学術会議の中の問題はあなたに聞いても仕方ありませんから、他日またお聞きすることにしますけれども、少なくとも相対で
シンポジウムをやろうとするときのあなたの構えというものが偏り過ぎていますよ。そんなことではだめですよ。幾つかの
意見があるのです。
意見が幾つもあったら、
安全委員会というものがその幾つかの
意見を全部入れるというときに、
学術会議ではなくてあなたの立場がそれでなければならない。あなたがすでに違った
意見を排除している
シンポジウムを持っている、それではまずいんですよ。広範にとか幅広くとかあるいは総合的なとかいろいろなことを言ってみたところで、実態は排除の理論がそこに入っているような
シンポジウムでは何の役にも立たないですよ。私はそう思う。
皆さんの中からいろいろな
意見が出されて、また、あれだけの
行為がありましたから、安全については非常に遠慮深い
会議になったように思います。
しかし、いずれにしましても、あの
シンポジウムの持つ
意味というものは、私は、必ずしも
安全委員会の原子力政策に対する
態度としてそぐうものではないように思うのです。これは注意していただきたいと思います。
学術会議の方の問題については、私はまた他日
学術会議に聞きますけれども、
委員長には、やはりどういうことがありましょうとも、仮に
向こうに主体性がありましょうとも、
向こうにトラブルがあり混乱があるようなときには、そういうものと相対でやるということは決していいことではないのだというぐらいのことは常識として私は
考えていただけると思うのですけれども、いまの私の申し上げていることはあなたには通用しないようですが、依然そうでしょうか。