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岩上二郎君
鉄建公団、さらにはまた
KDDの
経理乱脈
事件の発生にかんがみまして、今日ほど政治、行政両面にわたりまして国民に信を問われている時代はないんではなかろうか、このように考えるわけでありますが、この際、われわれは一日も早くみずからを反省し、そして脱不信というか、
国会の権威を高めていかなければならないときではないだろうか、このように考えます。
そこで、これは私の個人的な
見解でありますが、やみ給与あるいはやみ出張あるいはカラ超勤というこの現象はどこからどのような経路をたどってきたのであろうか、このようなことを、かつて私知事時代にこれらの問題に携わった経験を持っている
関係から、この発生源というものを考えてみると、どうも日本の労働組合、これが外国の組合と違って、歴史的民族的な一つの文化パターンというのが独特な過程をたどってきている中に労働三法という近代的な労使
関係というものが戦後入り込んできている、そういうところから一つの問題が発生しているように感じられてならないわけです。
特に外国の場合には、ルソーの労働契約説、これから民主主義の一つの基盤というものが生まれて、そして個人の労働権あるいは能率性、こういうふうなものが非常に重視をされてきているために、外国の場合はどちらかというと職能別組合というものが非常に多いわけです。ところが、日本の場合には、日本の従来の縦社会、そういう社会の中に新しい近代労組法が誕生したために、入り込んで同居している、こういうふうな中に企業別組合というものが依然として存在している、いわゆる一家意識、こういうものが現存しているわけですね。そういう中で培われた労使
関係、したがって国鉄一家とかあるいは県庁一家とか、あるいは民間労組の場合でも同様ですけれ
ども、それぞれの一家意識というものが強く作用していく。したがって個人の労働権というようなものがどちらかというと組織の中に埋没していく、こういうふうな姿があるために、全体としての労使
関係がきわめて複雑に作動せざるを得ない、こういうふうに思われるわけです。
国家公務員の場合には、まさしくこれはスト権を禁止されている。しかし、新しくできた公社、
公団等においては労働三権というものが生きている。給与の面については、
鉄建公団の場合には所属
大臣あるいは大蔵省と協議をすべきである、こういうふうな縛りというふうなものがある中で、労働権だけが自由にされている。しかも地方公共団体等においては、これは人事
委員会というものが存在しておりますけれ
ども、給与の勧告というようなものが主たる
内容になっているだけで、人事
管理の問題についてはどうも責任の
体制が明らかでない、こういうふうなことも手伝っているわけです。したがって夏期手当とかあるいは年末手当、そういうふうなときにこれに対する労使
関係の激突というふうなものがたびたびかつては行われたわけでありますが、そういう中で出てまいりました現象、これがやはり超勤というふうなものをしなくてもしたような形で、どちらかというと夏期手当にプラスアルファ、あるいは年末手当においても、夏期手当がある場合には年末手当はその倍、こういうふうな形で進められてきたような経過もないわけではございません。
そこで、スト権のあるものとないものとの
関係がまだ未整理の
段階で、今日のようなやみ給与という問題が大きく世上を騒がせるような結果になってまいりましたが、こういう問題をきわめて違法性の高いものであると、こういうふうな考え方で進めていくとするならば、この考え方が本当にそのまままかり通るものなのかどうかということになると、労使慣行という逃げ場、それは一体どう整理した方がいいのであろうか、あるいはまた一般にやみ給与と言われているその現実を知って是正をし、そしてこれを基本給に組み入れてしまったという地方団体もあるわけであります。それはもう全然問題にならないでいいのかどうかということになると、労働基本権の問題と関連をしているためにこれは労使双方の良識にまつ、こういうことだけで結論を出していいのかどうか、いわゆる労働法というものが介入する場合に、この問題が違法性があるということだけで整理をしていいのかどうかということになると、いささか問題なしとしないではなかろうか。
ある説によりますと、こういう問題については、これは国もそう、あるいは特殊法人も同様、地方公共団体も同様ということになると、全体としての公務員の姿勢というものがこれでいいのかということを問われる場合に、給与の違法性ありと、このように断定をしていいのかということになると、いや、そういうものをやらざるを得なかった事情をしんしゃくすればその違法性は阻却するんではなかろうかという考え方もある。しかし、
前回の
決算委員会において、法務省の
見解として、あるいはまた自治省の
見解としては、そういうものをやってはならない、命令権者があり、しかも出張命令を出す、あるいは超勤をぜひやってもらいたいということで超勤をする場合以外は、全部これは違法性があるものだと、このように割り切っての御答弁がありましたけれ
ども、しかし、それはそういうものであるのかどうかということになると、そこの間のグレーラインというか、
灰色のところにクロースした場合に、一体、これをどう整理したらいいのかということを私は考えざるを得ないわけであります。
で、私は、これらの問題を考える場合に、一つは、そういうきわめて日本的な風土の中に育った労使
関係、そういう中で近代性を追い求めていこうとする過程における
カラ出張という問題は、これはもう少しお互いに
検討する必要があると同時に、これが違法であるということを完全に言い切るならば、適当な第三者、いわゆる裁判所においてそういう問題を争ってしかるべきではないか。違法性がある、いや片方は事情やむを得ない労使慣行の線があってこれはやむを得ないんだ、こういうふうに争うべき分野が残ってはいないであろうか、このように一面考えるわけであります。
もちろん、使用者側として、たとえば
鉄建公団のように百四十名も不足しているその実態を奇貨として、ここでいろいろと招待費に使うとか、あるいは雑費に使うとか、そういうようなことをやるということについては、これはどう考えてみてもそれを許す理由にはならない。したがってこれは厳しく問いだしていく必要がある。こういう場合にはやはり使用者側としては率直に問題を提起をし、会計
検査院の
検査、内部
検査、そういうようなものに堂々と
資料を出して、前非を悔いて、そして以後絶対そういうことのないようにする、こういうふうな姿勢を一日も早く出すべきではないだろうか。
なおまた、人件費の予算
関係において、これは大蔵
大臣にお伺いしたいんですけれ
ども、単年度会計主義で貫かれているために人件費だけではどうも完全消化する、事業費は残す、こういうことでこの
決算委員会においては相当の額の予算の残というようなものがあるわけですけれ
ども、人件費だけはほとんど消化してしまう。消化をしないと次の予算のときにこれは削られるおそれがある、こういうことで二月から三月にかけてどんどんと必要でもないところに出張をする、あるいは出張しないでもその出張費を幾らかポケットに入れてしまう、こういうようなことだってあり得るんではなかろうか。これは国の
段階でも県の
段階でも同じような現象がなしとしない、このようにも考えられるわけで、したがって、予算の技術上、これは全部使ってしまうということのないように、やはり正しい命令を受けて超過勤務をする場合には超過勤務の手当を上げる、それから出張するという場合にはやはりそれに相当する出張費を組んであげる。そういう場合に、それが具体的に予算がないという場合には予備費流用ということだってやむを得ずやらざるを得ないのではなかろうか、このように考え、なお、この予算が余った場合には、これは当然余ったものとして翌年度に繰り越しをする、こういうふうに人件費というものをもう少し
内容を洗ってみる必要がある、このように私は考えるわけであります。
そういう角度から、いま行政機構改革の問題あるいはスモールガバメントというか、そういうふうな問題を口では提起しながら、果たして実行可能であろうかどうかということになるといささか疑念なきにしもあらずでありますが、しかし、ここで私いろんなデータを取り寄せてみると、人件費の予算上に占める比率というのが物すごく高い。試みに申し上げますと、国家公務員、地方公務員、さらに特殊法人の職員の人員、人件費、これを過去五年にわたりまして
調査をしたデータをここに持ってきておりますけれ
ども、地方公務員の場合には各年度の地方財政の状況、それから国家公務員の場合は会計
検査院の各年度別の決算と
検査の実態、さらに特殊法人の職員の場合には行政
管理庁の電話回答によったものでありますけれ
ども、何と全体を合わせますと年々人員並びに人件費等が増高しておりまして、一昨年、五十二年度においては、何と人員においては五百十四万五千五百十八人、それから人件費においては何と十三兆五千五百十八億円ということになっております。所得税
関係から見ると、これはもう大蔵
大臣よくおわかりでありましょうが、所得税では約八兆円ですね、人件費が十三兆五千五百億円。こういうことで所得税で八兆円、法人税で五兆円ですか六兆円ですか、さらに酒税で一兆円前後である。こういうようなことで、あとは印紙税その他入りまして約二十三兆円。プラス今度は予算が三十八兆円ですから、組めませんので、結局建設公債と特例公債を当てにしてやっていくということで、特例公債をほとんど食べてしまういわゆる人件費であります。
そこで、大蔵省では、こういうものはとても容易じゃないということで、消費税の問題なり増税の問題というものがすぐ頭の中に浮かんで、ことしの正月から大分もみにもんだ問題でございますが、消費税はまあ一応中止と、こういうことになった経過があるわけでございますが、しかし、事ほどさようにこの人件費の占める比率というのは非常に高いわけです。きょうのテレビでは補助金、これが約十二兆九千億で約三分の一と、こういうことで、これについて手をつけよう、こういうふうなことを考えておられるようでございますけれ
ども、人件費ははるかに超えております。
しかし、この十三兆五千五百億については特殊法人は除いております。特殊法人、これはまた給与が一般の国家公務員より最初から高いわけなんです。建設
公団の例をとりますと、大学卒で十二万二千七百円で、行政官庁では九万一千八百円。高校卒の場合が八万七千二百円、行政官庁では七万六千六百円と基礎ベースから違っているわけです。さらに今度は使用者側と言われる
役職員ということになりますと、これは普通の
局長なんかの比でないほど高いわけです。いわゆる特殊法人は高いわけです。したがって、そういうふうなものを入れますと、これは十三兆五千五百億プラス恐らく特殊法人約四兆円前後かかっておるのではなかろうか。これは行政
管理庁からデータが出ておりませんけれ
ども、私の推計ではそうなってくるわけです。
こういうふうになってまいりますと、人員
関係でも五百十四万ということですから、一億一千万の人口で割ってみた場合に二十人に一人。これを今度は世帯別に、もし四人の世帯ということになると五世帯に一人、これが世話をしているということになるというような状態で、人件費というものは相当問題である、このように思いますけれ
ども、しかし、そこにはそれぞれの労働基本法が作動しておりますから、なかなか一概に、じゃ整理をするというわけにはいかない面が出てくるのは当然でございます。
こういうふうな一つの事実的な背景の中で今回のこの種の
事件を考えてみると、やはり今後の人件費のあり方、さらには行政組織の改革問題と関連しまして、いろんな角度から問題を
検討する必要がありはしないであろうか、このように考えますので、これからそれぞれ具体の問題について御質問を申し上げていきたいと思います。
前回の
決算委員会において森山
運輸大臣は、十月十二日ですが、国家公務員に準じて給与を改定いたします。こういう御意見がございました。で労働三法とのかかわり合いについては、これは別途に考えるということでございますが、その労働三法とのかかわり合いをどうするのか、これは労使双方の良識にまつということだけで問題の解決ができるかどうか、これをいつまでに解決をするように努力しようとしているのかということが一点。
それからもう一つは、運輸省において
調査官室制度というようなものをおつくりになったわけでございますが、これがその後作動していると思いますが、その実態をお伺いしたい。
それから鉄道
公団において特別
調査委員会というものを内部的に設けて、具体的に
調査の実態というものを明らかにしていきたい、このように
報告をされているわけでございますが、その後の
報告がどうなっているのであろうかということをお伺いしたい。
それぞれお答えいただきますが、時間の
関係もございますのでさらに二、三問題の提起をいたしますので、それぞれの省においてお答え願えれば結構であります。
公団の給与というものが一般に高い。しかも、一般に高いというのは一般職員の労使
関係の中から生まれたものなのか、いわゆる労使交渉の中か生まれたものなのか。そうでなく、むしろ
役職員のベースというものは一般の国家公務員よりも高くしなければ十分に
公団、公社の機能を果たすことができないという意味で給与を高くしたために公社、
公団に働いている一般職員も高くせざるを得なくなったのか、その
関係というものが納得できるように御説明いただきたいと思います。
それから、組織があれば当然労組法が働くわけでございます。労働法の介入というものは当然出てくるわけでございますが、
鉄建公団のように労組法がある、しかし給与の
問題等においては、これは大蔵
大臣それから
関係の
運輸大臣の了解を得なければない、この了解がなかったということで
運輸大臣は大変おかんむりな御答弁がございましたが、それはそれなりに一つの問題をはっきりさせる意味においての意見でございますので結構でございますが、そういう問題と、それからスト権のない国家公務員、地方公務員の場合にこういう問題との関連をどのように整理をしたらいいのかということについて、私自身、問題を提起しながらもわからないわけです。わからないんですけれ
ども、どういうふうに整理をすることが望ましいのであろうかと、このように考えますので、先ほどの
内閣官房副
長官の御説明、あの答えだけで問題の整理ができるのかどうかということにいささか疑念を持ちます。
で、これが違法である、
カラ出張、当然やってはならないことをやったことについては違法であるという場合に、その違法である場合は当然刑法に触れてまいります。刑法に触れてきた場合に、それをどう対処したらいいのかという問題があるわけでございます。
前回申し上げましたように、それらの問題を含めてひとつお答えを願いたいものと思うんです。これをそのままにしておきますと、確かに政治不信、いわゆる国民の側から見た場合に政治不信というものは当然出てまいりまして、何が何だかさっぱりわからないままむにゃむにゃの結論だと、こういうことになってしまったのでは、これを非常に綱紀粛正云々と口では言うけれ
ども実動していないというところにますます国民の怒りというか、そういうようなものが爆発しはしないであろうかということを恐れるわけでございます。そういう問題についてひとつそれぞれお答えを願えれば幸いと、このように思います。