○山中郁子君 私は、
日本共産党を代表して、
元号法案に
反対する
討論を行います。
反対の
理由の第一は、
元号の
法制化が現
憲法の人類普遍の
国民主権原理に真っ向から逆行するもので、
憲法改悪、
天皇元首化の企てと結びつくものであるという点にあります。これは、
国会の審議の過程でますます明らかにされてきたところであります。
元号制が君主体制に固有の政治
制度であり、とりわけ
わが国では、明治以降
一世一元として、絶対主義的
天皇制の専制支配を支える役割りを果たしてきたことは
政府自身も否定できなかったところであります。だからこそ、戦後、
国民主権の現
憲法施行と同時に
一世一元の
元号制の法的
根拠が失われたのです。
政府は、この
法案は
改元の時期を
皇位継承に合わせるだけで、
天皇と
元号とを結びつけようとするものではないなどと繰り返し強弁してきましたが、これがいかに欺瞞に満ちたものであるかは、たとえば、
元号が
天皇の追号になることや、
元号を
天皇の身分に関する事項として大統譜に登録することを明確に否定し得なかったことによっても明らかです。
政府は、
天皇が象徴であることを
理由に、
元号法制化が
憲法に違反するものではないなどと繰り返し主張してきましたが、こうした言い分がまかり通るならば、
天皇が直接関与しないということを論拠に、戦前の主権
天皇に結びついた神話
教育、不敬罪、
国家神道など、戦後否定されたものを復活させかねないものであり、まさに実質的な
憲法改悪に至るものと言わなければなりません。現に、
政府は、
元号法制化を
憲法改悪、
天皇元首化への一里塚と位置づけて策動を続けてきた各種右翼団体など
法制化推進の中核勢力に公然たる激励を与えてきたではありませんか。
さらに、
政府みずから「
君が代」の国歌化、
教育勅語や軍人勅諭の礼賛、靖国神社問題等々、
天皇を政治的に
利用してその戦前における役割りの復活を進めており、
元号法制化はまさにこの政治、
思想反動攻勢の重大な一環をなすものとして強行されようとしています。
反対の第二の
理由は、
法制化によって
元号の
使用が
強制されるのではないかという
国民の不安と危惧が何一つ解明されていないばかりか、
政府の判断一つで、公務員はもとより、一般
国民にまで広く
使用の
強制が及ぶことが明らかになった点にあります。
政府は、これまで、
法制化しても一般
国民には
強制しないとか、現状を変えるものではないなどと繰り返し答弁してきましたが、一般
国民に
使用強制が及ばない
法律上の
保障を何ら示すことができませんでした。そればかりではなく、法解釈としては、各省庁が公務員に対し、
元号を使えとか、
国民に
元号を使うように
協力を求めよという一般的、包括的な服務
規定を定めたり、
職務命令を出すことができ、これに従わなければ懲戒処分もなし得るという重大な答弁をしています。
こうした公務員への
強制をも
背景として、
国民に対して、役所の窓口で「
協力」という名で事実上の
強制が一層強められるであろうことは明らかです。これは、現
憲法の支柱をなす
国民の
思想、良心、信教、表現の自由を侵すものであり、絶対に容認できないところであります。大多数の
国民が
元号存続を認めつつも
法制化には
賛成していないことは、
政府みずからも認めたとおりです。
国民は、
元号の慣習的
使用を希望しているのであって、
法制化にはたくさんの人々が
反対しているのです。本
法案の成立強行は、まさにこうした
国民世論への重大な挑戦であると言わなければなりません。
第三は、
歴史に逆行する非文化的な
元号法制化の本質についてであります。
そもそも紀年法というのは、時を表示する方法としてつくり出され、
歴史と文化の発展とともに、政治的、宗教的色彩の強いものから弱いものへ、孤立的で特殊なものから共通性の高い普遍的なものへと推移してきました。今日、
西暦が
世界共通の紀年法として用いられていることは周知のとおりです。
元号だとか在位年、治世年など、君主体制に固有の紀年法をいまだに用いているのは
世界でもごくまれであり、
国民主権の政体をとっている国でこうした古い紀年法を
法律によって
国民に押しつけようとしているのは
わが国以外にはありません。
天皇の在位に合わせて年号を変える
元号制度をいま再び
法律で恒久的に固定化する
元号法制化は、まさに
世界の趨勢に逆らうものであり、諸
外国の
世論が、
元号法制化を、
天皇を頂点としたがっての
日本軍国主義復活の新たなあらわれとして警戒の目を向けているのは当然のことであります。時代の通算や年代の比較をする際、縦横の二重の換算が必要な
元号が、年表示の方法としてきわめて不便で非合理的であり、国際交流の面でも大きな障害を生み出していることは、すでに広く指摘されているところです。これを
法制化して将来にわたって固定的に拘束することは、まさに時代錯誤の非文化的愚行と言わなければなりません。
政府は、
元号が
伝統文化だと言って、これを
法制化する一つの
理由にしていますが、
法律によらず、慣習的に
存続している文化は数多くあります。価値あるものは
歴史の中で生き続け、後世に伝えられるものであります。文化は、およそ国家権力の介入する法
制度になじまないものであり、
法制化しなければ
存続し得ないものは、将来にわたって受け継ぐべき文化の名に値しないとさえ言えるでありましょう。
わが党は、
元号の慣習的
使用に
反対するものではなく、
昭和後も
元号を
存続させるというのであれば、現在の慣習的
使用の延長として、
憲法の枠内で適切な
措置を講ずればよいということをかねてから主張しているものであります。
国民がいかなる紀年法を用いるかは、
歴史と
国民自身の選択にゆだねるべきものであり、われわれの時代に
法制化を強行することは、将来の主権者に対する重大な越権行為と言わなければなりません。
第四は、大多数の
国民世論に逆らって、しゃにむに
元号の
法制化を進めてきた
政府・自民党と、これに全面的に
協力、加担してきた
賛成勢力の反
国民的、反民主的な態度についてであります。
法案審議を通じて、
政府は、
元号と
憲法及び
天皇との
関係、
元号法制化と政治反動とのかかわり、
元号の
使用強制問題など、本
法案の核心に触れる問題に関して正面からの論戦を回避する態度に終始しました。このことは、本
法案が持つ危険なねらいを逆に裏づけるものとなりました。また、自民党とこれに同調する諸勢力も、広範な
国民の徹底かつ慎重な審議をという切実な願いを踏みにじり、本
法案に対して現実に
国民から提起された疑問や不安を誠意をもって解明することなく、多数に物を言わせて成立を図ってきました。
そもそも、国政は
国民の厳粛な信託によるものであって、その
権威は
国民に由来するものです。
国民的合意を全く欠いた本
法案の成立強行は、まさに
国会の
権威をみずからおとしめ、
国民から負託された責務を放棄するものと言わなければなりません。(
発言する者多し)
元号が
法制化されたとしても、大多数の
国民の良識は、
元号使用を一般
国民に
強制することはもとより、
元号法を
憲法改悪、
天皇元首化への企てと結びつけて
運用するなどという反動的な策動を断じて許さないでありましょう。いまや完全に
国民的合意が形成されている航空機疑獄究明には背を向け、
国民的合意を全く欠いた
元号法案を強行することは、(
発言する者多し)どこから見ても大義のないものであります。国論を大きく分け……