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村田秀三君 まあ他意がないとか何か言うけれ
ども、厳密に言ったらこれは私が言うのが正しいと思います。そしてその元にこだわるから私もこだわるんですが、別な機会にひとつ
議論しようと、こう思ったのでありますが、この際ですから、話が出ましたから申し上げますけれ
ども、先ほど、
つまり元号というのは時の治世を示すものだと、こういう
言い方をしましたが、確かに中国における
元号の歴史を見ましても、みずから治世を天下に示すために、みずからの施政権がどの程度の地域にまで影響を与えるかということを示すために、そしてまた
空間を支配するというそういう、そのとき
空間を支配するなどという思想があったかどうかはわかりませんけれ
ども、現実の問題としてはあったと思うんですね。
これは神話に属しますけれ
ども、とにかく天孫降臨の
お話いたしましょうか、私の言うことが間違いであればでありますが、とにかく三神を遣わしたということになっている。天照大神、月読尊、それから素戔鳴尊これに類する伝説は朝鮮半島の北部の方にもあるそうでありますけれ
ども、とにかくその月読尊――まあ天照大神は天上を見るんだと、見るという意味は支配するかどうか知りません。地上のことをつかさどる。月読尊はよみの国をつかさどるんだと、こういうような
言い方もありますけれ
ども、月を読むということはお月様を見るということだと思うんですね。お月様を見るということは、これは
つまり太陰暦の発想だろうと思うんですが、お月様が回転をするその回数を数えたり、あるいはこの時期には何時ごろお月様はあそこへ出るということを調べてみたり、それを記録したり、それを覚えて次に進んでいったりと、こういうことだと言う人もいますね。まあ月読尊というのは、余り
一般的に言われてないと言いますけれ
ども、田舎に行きまするというと、路傍に碑があります、月読尊をお祭りをしている。それはやはり農業に
関係するということだと思うんですよね。農業に
関係するからいわゆる月読尊をお祭りをして、そうして、
つまり農業の無事を祈ったと、こういうふうに
理解できるのではないかと思いますが、これは八百板先生のお
考え方と同じであります。月読尊という碑が路傍にあることは私
承知いたしております、現実のものとして。
つまりは統治する、しろしめす、これはどっちでもいいのでありますけれ
ども、統治をするときには、
つまり暦、これを持っていかなければやはり統治できなかったという、統治できなかったというよりもそういう知識を持っていって、そうしてわからない人にそれを教えて、そして農業が毎年順調に流れていくということを教えたから、これはありがたいと思って、そのときの人々が月読尊の碑を建てたんだと、こういう
理解もできなくはなかろうと思うんですね。
だから
つまりは、この算年であるとか、あるいは天象、地象そういうものを見るのかやはり統治者の
一つの仕事であったと思うんですね。権限であったというと何でしょうから仕事であった、仕事が順調に進んでいるから人々は尊敬した。原始的な支配と被支配の
関係というものはそんなところから私は生まれたんじゃないかと、こうは
理解はいたしますけれ
ども、だとすると、やはりこの暦をつかさどる、
空間を支配する、これは現実の問題としてそのときの統治者、支配者、権力者がつかさどったというふうにこれ
理解しなくてはならない。だとすると、
つまり元を建てるという
言い方は、
つまりは自分の支配を天下に宣言するという、そういう
理解をせざるを得ない。でありますから、元を建てるということの元と、年号の年というのは文字の解釈からしても違うし、その発生の思想も根本的に違う、こう私は
理解をいたしております。と思えばいいんです。
そこで、
明治に入りまして
一世一元、
つまりその思想を
明治の政治体制の中に取り入れたと、言わざるを得ないと思うのですね。何といいましょうか、私の先祖が中御門
天皇を全く無視して、天下に公方様ほど偉い人はいないと、こう思った。そういう事実がある限り、
つまり王政復古、政治の大権を
天皇家に戻すんだとするならば、まあいままではこれどうやらそこのところ抜かっておった、むしろ
一世一元として
天皇の力というものを全
国民にこれは認識させねばならぬ、こういう意味で私は
一世一元という
制度をそこで確立したんじゃないかと、こう思っていますね。そして
つまり万世一系の
天皇、これは神であるから神の言うことは皆さんよく聞きなさい。これをひとつ
皇室の任に当たる人たちが利用した。軍部がばっこして、
天皇陛下の意思もわからずに独断行動を起こした。そこに
つまり昭和の悲劇があったとするならば、私はこの政治体制について、われわれは再びこの政治体制をつくってはならないという決意を持つべきであろう。
でありますから、
元号と年号というものはそれほどの政治の認識の違い、思想の違いが存在すると、こう私は
理解せざるを得ない。そういう立場に立って私は物を申し上げておるわけでありまして、これは何回
質問いたしましても同じ
答弁きり返ってこないと思いますから、それはそれでよろしゅうございますが、そういう認識があるからえらく反対運動をしておる
方々の、規模はともかくといたしまして、その根強さがあるんだということを
理解しないわけにはいかぬと、こう私は思いますよ。まあそういうことであります。
確かに調査のこれ結果拝見をいたしました。いよいよ
元号法案が
国会に
提出をされました時期にはおとりになっておらないと思います。これは毎日新聞でありますか、三月十七日から二十日までにかけてとりました調査の状況であります。これを見ますと、これは
元号という文字を使っておりますけれ
ども、今後の
元号について、法制化して
存続、これが二一%、
内閣告示でというのが一一%、現在のような
慣習でというのが四六%、
皇室の私的なものとして一一%、廃止が五%ございますけれ
ども、六七%が法制化を反対していると
理解するわけですね。いままで
政府の
答弁を聞いてますと、まあ
国民が望むからということでありますね。でありますから、法制化を急がないとという
答弁を、ずっと聞いておりますと終始しております。
世論にかずけている、悪い
言い方で言うならば。それほど
世論を尊重するならば、この現実の問題として法文をそろえて
提案をされた、その時期にとりましたこの毎日新聞の
世論の方の信憑性を高く私は評価をするわけです。これ、一遍とり直してみる気はありませんか。