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1979-05-24 第87回国会 参議院 内閣委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十四年五月二十四日(木曜日)    午前十時三十七分開会     ―――――――――――――    委員異動  五月二十二日     辞任         補欠選任      長谷川 信君     坂元 親男君  五月二十三日     辞任         補欠選任      坂元 親男君     塚田十一郎君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         桧垣徳太郎君     理 事                 岡田  広君                 林  ゆう君                 山崎  昇君                 向井 長年君     委 員                 源田  実君                 斎藤栄三郎君                 塚田十一郎君                 西村 尚治君                 林  寛子君                 原 文兵衛君                 堀江 正夫君                 片岡 勝治君                 野田  哲君                 村田 秀三君                 和泉 照雄君                 黒柳  明君                 山中 郁子君                 森田 重郎君                 秦   豊君    国務大臣        国 務 大 臣        (総理府総務長        官)       三原 朝雄君    政府委員        内閣官房内閣審        議室長内閣総        理大臣官房審議        室長       清水  汪君        内閣法制局長官  真田 秀夫君        内閣法制局第二        部長       味村  治君        総理府総務副長        官        住  栄作君        内閣総理大臣官        房総務審議官   大濱 忠志君        宮内庁次長    山本  悟君        防衛庁人事教育        局長       夏目 晴雄君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木 源三君    説明員        法務大臣官房参        事官       吉野  衛君        文部省初等中等        教育局教科書検        定課長      上野 保之君        文化庁文化部宗        務課長      安藤 幸男君        郵政省郵務局管        理課長      山口 武雄君        郵政省郵務局業        務課長      桑野扶美雄君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○元号法案内閣提出衆議院送付)     ―――――――――――――
  2. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  五月二十二日、長谷川信君が委員辞任され、その補欠として坂元親男君か選任されました。  また、昨日、坂元親男君が委員辞任され、その補欠として塚田十一郎君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 元号法案を議題といたします。  前回に引き続き質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  4. 村田秀三

    村田秀三君 まず、長官にお伺いいたしますが、この元号法案は去る四月二十日未明、衆議院内閣委員会採決をされました。次いで二十四日、衆議院の本会議採決をされて本院に送られてまいりました。その翌日の新聞を見ますと、各社ほとんどと言っていいほど論評を加えておりますけれども元号問題点は十分に解明をされておらない。なぜこれほど重要な元号の問題をかほどまで急がねばならないか疑問である、こう指摘をされております。実は私もそう思っておるのでありますが、御存じのように、この法案閣法第二号、第二番目の法案として国会提出されたと承知をいたしておるのでありますが、ちょうど二月上旬でございますから予算審議衆議院では盛りのころでございましょうが、予算関連する法案を先に出さないで予算とは関係のないこの法案を第二番目に出したという真意は一体何であるか、当時から私はこういう疑問を持っておったわけであります。そこで、これは政府も急いでおるなと、こういう気持ちは持っておりましたか、なぜそうも急がなくちゃならないのか、これ長官からお答えをいただきたいと思います。
  5. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 具体的な法案提出問題等もございますが、問題の中心はやはり元号法案をどうして急いで出したかというような問題から入ってまいりたいと思いますか、元号につきましては、御承知のとおり長い間国民生活の中で使用なされ、そして国民の間には定着をしてまいっておりまするし、またこの存続につきましては、大多数の国民方々存続してほしいという御要請のあることはもう私が申し上げるまでもございません。そこで、そうした国民の御希望をそのまま率直に受けとめてまいりますれば、政府といたしましては元号存続させることは当然な措置としてやらねばならぬということになるわけでございますが、しかし実際、さて存続させるということになりますれば、改元の問題というようなことか出てまいるわけでございまして、そうしたことを考えてまいりますると、改元に対する昭和以後の問題として考えてまいれば、どうもルールがはっきりしないではないかと。それは国民にこたえることになりませんので、基本的なルールをやはり立てねばなるまいということに相なるわけでございまして、そうした点、相当長期にわたって、これは政府与党はもちろんでございますが、一般におきましてもそうした点が検討されてまいったことは御高承のとおりでございます。  そこで、そのルールを打ち立てるためにどういう処置をとるべきであろうか。その間、党等におきましても、あるいは政府等におきましても、政府内閣告示ぐらいでどうだというような意見もあったことも御承知のとおりでございますが、しかし元号それ自体が広く国民に使用されておるし、また多くの国民の方が存続希望しておられるとするならば、現新憲法下におきましては、最も民主的な方法というようなものは国会の場でこうした問題を取り上げてもらうことが適当ではなかろうか。そういうことで、それでは法律によってということでございますけれども法律もしかし基本的なルールという点だけにとどめてまいることにいたしたいということで、結局、政令元号政府が決めてまいる、そうしてその時期は皇位継承の時期だという、そういう手続法規にとどめてまいることにしてはということでやってまいったわけでございますが、そういうことで、決して唐突として出したということではございませず、そうした長い間の検討を、政治の流れの中でこの時期が適当な時期ではないかというとらえ方をいたしたわけでございます。  次に、法案が少し今日までの議会の法案提出手続等にしては早手回し過ぎたではないか。この点は衆議院においても御指摘がございました。このことは、私、以前国対委員長などをさしていただいておりました際にも、政府なり与党がいろいろな御決定をなさった時点があるわけでございますが、その際に各党国対委員長方々にも相談をして、こういう要請があるけれどもどうでしょうかと言ったら、それはいまの時期に臨時国会等では出すべきではないぞというような御意見でもございましたので、それではそういうことでこの国会ではお出しをしないように努力をいたしますということでこの通常国会を迎えたわけでございまして、決して唐突として出したわけではございません。  そこで、総理大臣施政演説にも一項入れて総理が態度をはっきりしていただいたというようなことになるわけでございます。そういうことでございますので、できておる法案であるならば恒例的な順序等はございますけれども出しを許していただきたいと。予算審議中でございましたが、そういうことで、二番目になりましたか三番目か、準備いたしたものを出したということでございまして、決して特に作為的に強引に押そうというようなことでやったわけではございませんので御理解を賜りたいと思うのでございます。
  6. 村田秀三

    村田秀三君 前段のお話法律案提案趣旨説明のように承りましたが、そういうことはいま伺っているわけではありません。閣法第号内閣委員会に予定される法案というのは何本予定されておりましたか。これは総理府ばかりの問題ではございませんからですが、かなりあるわけであります。そしてその中には恩給法の改正問題とか、国民生活に密着した大事な法案というものがこれはあるわけですね。そういうものが出されてまいりますならばわかりますけれども臨時国会に出そうという動きがあったけれども通常国会にしたのだという説明がありましたが、それは当然であります。少なくとも、元号問題というのは憲法に付属する問題でありますから、たかだか臨時国会でせわしくやるなどという失礼な話は私はないと思いますから、通常国会に出すのがあたりまえだと、こう思いますけれども、その出し方においてでも国民生活に密着しておる法案はさておいて、どうしても国民の要望が強いからこれを早くやらねばならぬというような考えで最初に出したとすれば――私はうちへ帰りまして知人から、率直に質問されました。どうもやはり政府は何か急いでおるようだ、何か裏話があるのじゃないかと、こういう言い方であります。つまりは、元号のポイントでありますところの、天皇即位のときに、皇位継承のときに改めるということでありますから、それじゃいまの天皇に何かあるのだろうかと、こういう質問を実は受けました。いや、それはないんじゃないかと、この前の国会のときにも国会においでになりました、まあそんなことはないんじゃないかと、こういう言い方を実はしたのでありますけれども、何ら急ぐ必要がない問題だろうと私は思っております。まあいつどうなるかわからない、人間なんというのは老若男女これ老少不定といいますから、寿命なんというものは。だから、いつだかわからないから早くということであれば、これはやはり法律的に、この元号存続が断絶をするというような時期にむしろ決めるということの方が、これは私は妥当じゃなかろうかと実は思うんでありますが、草々の間にこれを何とかして、国民生活に重要な法律も犠牲にして、そしてやらねばならぬという背景は何だと、実はそう疑問を持っておるわけでありますけれども、重ねてひとつ御答弁をいただきたいと思います。
  7. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 法律国会提案いたしましたことについていろいろな御意見でございましたが、何ら構えるものもなければ裏の問題があるわけでもございません。先ほど率直に私が申し上げましたように、私は以前からもうはっきり、秘密裏に出すとかいうことでなくて、野党の各党国対委員長さんにも、こういうことが政府の方から要請があっておりますが、というようなことも率直に私は数次の国会対策委員会で申し上げて、それは臨時国会等ではおやめ願って通常国会でということでお願いをしたぐらいでございます。  手続の問題につきましては、これは予算関係法案予算審議中の何日までにということを決めまして、その他の法案はその間に出しましてもいままで慣例としてはございまするし、一般法案がおくれないようにできるだけ早く出すということにつきましては、国会ではそういう取り扱い方がなされておるわけでございまして、そういう点、決して私どもは強引にしようとか、他の法案審議を粗略にして云々しようというようなことは毛頭ございません。内閣委員会の全般の法案審議等につきましても、こういった点を配慮していただいて、衆議院においてもお願いをしてまいっておるところでございますので、決してそういう、他に強引に何か裏の取引があってというようなことは全くございませんので、御理解を賜りたいと思うのでございます。
  8. 村田秀三

    村田秀三君 まあ他意がないんだと、こう言われましても、なかなかそうですがと言うわけにもまいらぬわけでありますから、こちらが推測をするについて申し上げますが一々お答えをいただきたいと思うんですが、これまで国会空気といいますか国会議員自身心理状況といいますか、皇族やあるいは天皇に関する問題というのは余り触れたがらないという傾向があったように見受けられます。それはさまざまな理由からであろうと思います、個人個人考え方にもよるわけでありますが、そういう空気というのは、これはやはり認めざるを得ない、こう思うのでありますが、この元号問題を議論するに当たりましてはどうしても天皇の問題がこれは議論にかかわってくる、考えようによっては中心であるというふうに言わざるを得ないわけでございまして、そういう関係で、提案したからには一気かせいに仕上げないと陛下に申しわけない、恐れ多いと、こういうようなやはり考え方というものが政府部内にあるのではないか、国対関係者の中にあるのではないか、こうそんたくをするのでありますが、その点はどうでありますか。
  9. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 元号制度に関しまして国民の非常に多くの方が、八〇%以上の方が将来にわたって存続したいという願望を持っていらっしゃるということは統計上出ているわけでございます。実はその手段といたしまして、元号制度存続するについて内閣告示でやるとか、あるいは政令でやるとか、国会がもうずばり元号を決めるとか、幾つかの手段考えられるわけなんですが、私たちが考えましたのは、それはやはり元号制度は、先ほど恩給法等を引き合いにお出しになりまして国民生活に非常に関連が深いとおっしゃいましたが、元号制度、それも非常に国民日常生活関連が深いことはこれはもう明らかなことでございます。  そこで、実は元号制度法律案としてつくっておきたいということは、実は終戦直後の昭和二十一年に一度法律案としてつくりましてある程度まで進行したわけなんですが、当時占領下であるという事情もありまして日の目を見ないで済んでしまったという経緯がございます。で、その後何回か世論調等も行われまして、やはり国民の間で元号制度は将来にわたって存続したいという非常に強い願望があるということがはっきりいたしましたので、それでやはり制度化しておくべきであるというふうに考えたわけなんですが、その際に内閣告示でやろうかという話も一時ありました。ありましたが、しかしよく考えてみますると、やはり国民生活に非常に関連が深い制度でございますので、いまの憲法のもとでは法律の形で国会の御可決をいただいて、そしてその具体的な元号そのもの政令で時宜に応じて定めるというのが一番合理的であろうと、こういう原則になったわけなんですが。  そこでどうして早く出したかという御質問なんですが、これ国会出しまして、出しましてもしその国会で仮に継続審査になったとかそういう場合に、まあこんな席上で私から申し上げるのが適当であるかどうか知りませんが、(「適当でないよ。法制局長官の言うことじゃないよ。政策政府の言うことだ。法律問題じゃないよ、それは。」と呼ぶ者あり)その途中でもし改元の必要があるということになった場合に、政府といたしましては、一度国会元号法案出しておきながらそれが廃案になって、その間にもし万一改元の必要があるというようなことになった場合には非常に、政府としては立場上非常に困るものですから、それで元号法案として国会に御提案申し上げた以上は、なるべく早くやはり成立お願いして、そしてその法律に従って改元なら改元を行うというのが一番国民の皆さんの御納得のいく手段であろうと、非常に民主的な方法としてそれが最適であろうと、そういうふうに考えまして、そしてまあ早く成立お願いしたいという願望を込めて御提案申し上げた次第でございます。(「法制局長官の言うことじゃないよ、総務長官の言うことだよ、そんなことは。」「そんなもの十年前と同じじゃないか。」と呼ぶ者あり)
  10. 村田秀三

    村田秀三君 いまわが方の理事からもお話しがありましたが、それは法律解釈の問題とは違いますから、まあ法制局答弁範疇外とは思いますが、まあ答弁をいただきましたから、それについて申し上げますけれども、もしものことがあったらと、こういう言い方なさいましたね。それは、もしものことがあったらというのは、それは過去、現在、これからも年じゅうつきまとう懸念であろうかと思うんです。先ほども私申し上げましたが、それほど重要であるならば、これは現憲法効力発生時点でまた効力が伴うような措置を当然考えてやってしかるべきだと、こう思うんですよ。それ以降のことは法律解釈やら、法律解釈もかなりしばしばと言っていいほど変わっておるようでありますけれども、これまできたわけでありますから、よしんば元号問題が国会提案をされた。そこではからざる事故があった。あったとしても、法案成立しなければ、これまでの慣習に基づいて処理をしていかなければならないという、これは現実の問題の処理としてはあるわけでしょう。そうすれば、仮に法案国会提案されて、さらしものになっておったとしても、その状態というものは変わりないわけですから、提案した限りは早く通したいという一般的な気持ちは私はわかりますけれども、それは理屈にならない。  そして、この元号問題は単に元号問題じゃなくて、憲法に付随する法典であるわけでありますから、明治憲法のときにはどうでありましたか。いろいろ学説があるようであります。当時の金森国務大臣お話なんかもあるようでありますけれども、とにかく明治憲法制定をされて、そして皇室典範が同時に作成をされたと、こうあえて申し上げます。と申し上げますのは、いまの法律解釈はどうなっているんですか。つまり一元一世という天皇に付随する元号制度というものは太政官布告によるものであるのか、あるいは明治憲法、あるいは皇室典範によるものであるのか、まあこういう議論は重なっているようでありますけれども、少なくとも皇室典範にこれが定められて、皇室典範は、これは金森国務大臣の話によるならば、一皇室の内規である、私法、私の法と言ってもよろしい。そして明治憲法と同時に制定をされたようではあるけれども、これは法律効果を持つかどうかという点については疑問があると、こういう言い方をいたしておりますね。まあそういうこととも考えてみますと、つまり法律効果を持たせなければならないとする考えがあるとするならば、やはりいわゆる法律効果が切れる時点空間を置くことなく、仮に空間――一秒であっても、そこで万一のことがあり得るかもしれないわけでありますから、だとすれば空間を置くことなく継続できるような措置というものがなされてしかるべきであったと私は思います。にもかかわらず、それから三十何年いろいろ理由をつけて、慣習法であるとかなんとか、まあ慣習というのは何年たったら慣習になるのか、二、三年で慣習になるのか、十年たって慣習になるのか、五十年たって慣習になるのか、それはわかりませんけれども、いずれにいたしましても、いまあなたがおっしゃったそのお答えというものはこれは詭弁にすぎない、こう私は言わざるを得ない。  何かあるならば、おっしゃっていただいて結構ですよ。(「総務長官答えるべきだよ。政府政策だよ。法律解釈じゃないよ。」と呼ぶ者あり)
  11. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 旧憲法時代元号制度と現在の制度との法律的な意味合いを御質問になりましたので、あえて私からお答えをさせていただきます。  旧憲法時代におきましては、明治元年にただいま御引用になりました内閣――失礼しました、行政官布告がございまして、それで一世一元という制度ができました。そして旧皇室典範つまり明治二十二年の旧皇室典範の第十二条で、「踐祚ノ後元号建テ一世ノ間ニヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と、こういう条文が旧皇室典範に入ったわけでございますが、旧皇室典範は、現在の日本国憲法が施行されました際にこれは廃止になりまして、そして現在の皇室典範には元号制度が盛り込まれないで成立したわけでございまして、したがいまして、現在は元号制度についての法的な根拠はございません。これはもう再々申し上げているとおりでございます。で、その後三十年にわたって、日本国民は何の違和感もなくまあ昭和という元号を使っておるわけなんですね。  で、いつ何どきどうなったら、なるかもしれぬじゃないかという心配があるんならば、すぐにでも元号制度をつくるべきではないかという御発言がございましたが、それはまさしくそのとおりでございまして、だからこそ、昭和二十一年に、先ほど申しましたように、新しい元号法案というのを起案いたしまして、そして枢密院にかけまして、国会に御提案しようという手はずを決めたわけでございますが、占領中の特殊事情によりまして、それは待てと、それは占領が終わってからやればいいじゃないかというようなことで、実は日の目を見なかったと。  で、その後、昭和二十五年に参議院の文部委員会で一体元号制度をどうしたらいいかというような御議論もございまして、それでまあそういう経過もあったので、いろいろやはり世論の動向を見ておりまして、それで国民元号に対する意識というものがどういうものであるかということを洞察してまいったわけでございますが、最近その時期がいよいよ熟しまして、今回の元号法案の形で御提案するということに相なったわけでございまして、そこで、先ほど申しましたように、法案として御提案した以上は、やはり一日も早く制度として確立していただかないと、もし万一のことがあった場合に非常に困ることになると、改元ができなくなると、改元手段が非常にむずかしくなるというような心配がございますので、一日も早く御賛同いただいて、法律として御制定をいただきたいというのが政府真意でございます。
  12. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 村田委員の御指摘の点、いま法制局長官からもお答えいたしましたが、要点は、提案をして、非常に重要な法案であり審議を慎重にすべきであるということを考えておるけれども、どうも急ぎ過ぎておりはしないかというところからいろいろな御指摘を受けておるわけでございます。そこで問題の、やはり私どもが根本的に考えておりますのは、大方の国民存続希望というようなものにこたえたいということでございますが、しかし天皇あるいは皇室関係がございませんというようなことを申し上げることは、私はかえってそれ自体、私自身うそになると率直に申し上げるわけでございます。やはりこの一世一元ということを、改元の後の期間について考えておるわけでございますから、やはりそういう点において関係のあることは事実でございます。しかしそういう点から申し上げまして慎重なまた気持ちでおるということも、私率直に申し上げて事実でございます。しかし国会審議はやはり慎重審議お願いをして、強引な処置でこの法案を通していくべきであるというようなことは毛頭考えておりません。できるだけひとつ御理解を願って、この通常国会において、早期に出しましたのも、そうした一つ慎重審議を願おうという私どもの願いがあるわけでございます。そういうところから御提案を申し上げて、慎重審議を願い、会期内にはぜひひとつお通しを願うことができますればという、そうした気持ちでおるわけでございますので、御理解を願いたいと思うのでございます。
  13. 村田秀三

    村田秀三君 いろいろ伺ってみてもぴんときません、正直申し上げまして。ただ、一つだけ法制局長官に聞きますが、新憲法制定されまして元号法案政府は準備した、枢密院に諮る準備もしたと、こういうことでありますが、それが中止になりましたのは、取りやめになりましたのはどういう理由ですか。私がいろいろと聞いたり、あるいは書物によって知り得ましたことは、当時占領下という事情もあったでありましょうが、これは天皇制にかかわる問題であるからいま制定することはふさわしくないと、こういうGHQあたりのさしがねであった、こう聞いておりますけれども、そのとおりでしょうか。
  14. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) お答えを申し上げますが、昭和二十一年に元号法案というのを作成いたしました。それは、現在の憲法が大体中身が決まった時点において臨時法制調査会というのができまして、そしていわゆる憲法付属法典の審議が行われました。その際に当然皇室典範もその審議の対象になりました。で、先ほど御指摘のように、旧皇室典範では元号のことが書いてございましたが、しかし新しい憲法のもとにおける皇室典範においては元号制度はやはりその中に入れるのはどうも性質上ふさわしくない、これは別の法律にすべきだという御意見がありまして、新しい皇室典範からは元号に関する規定を削除いたしまして、そして別に元号法案というのを一つくったわけでございます。  で、占領期間中は、およそあらゆる法律、まあ制度もそうなんですが、司令部の承認を得なければ制定できないという仕掛けになっておりましたので、当然GHQとの交渉の対象になったわけでございますか、その際に――まあこの辺からはちょっと私の推測が入るんですが、当時、昭和二十一年でございますから、天皇に関する規定については司令部の方も非常に慎重に事を構えたようでございまして、そこで、いわゆる一世一元というような内容を持っている元号法案、当時の元号法案については、司令部が占領している間はこれはやっぱり望ましくない、つくるんならば、制定するんならば占領が終わってからやればいいではないかというような理由で、昭和二十一年に国会提出することについては司令部としてはオーケーを出さないという経緯があったようでございます。
  15. 村田秀三

    村田秀三君 次に、関連してお伺いいたしますが、これもそんたくして申し上げるわけですが、連日のように国会周辺で、参議院は元号の法制化を急げと、こういうスピーカーのボリュームいっぱいにしたデモが行われております。まあ参議院の審議の段階になりまして幾らか静かになったようには思っておりますが、この元号の法制化を進めている団体がある、こういうことを聞いておるわけでありますが、長官はそうした団体は把握しておりますか。承知いたしておりましたら、その団体名等をひとつ御披瀝をいただきたい、こう思います。
  16. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 国会周辺で元号推進運動を展開しておる団体名を承知いたしておるかということでございますが、とにかくああした、私は右翼の方だと思いますが、そういう方々の運動か展開されておるということは承知いたしておりますが、どういう団体の方であるかということは、一々の団体名は私まだつまびらかに承知をいたしておりませんので、後で調べまして答弁申し上げたいと思います。
  17. 村田秀三

    村田秀三君 審議室長はどうですか。
  18. 清水汪

    政府委員(清水汪君) ただいまの総務長官答弁をちょっと補足させていただきたいのでございますが、法制化実現国民会議と申しますか、そういう運動がございますことは御案内のことと思いますが、その実現会議のいわばメンバーに入っておりまする団体、これもかなりたくさんあるように思います。リスト等で一度見たことはございますけれども、ちょっとその数なり名前を一々はいま正確に記憶しておりませんか、ただ、そのこととの関係でございますが、これも私は事実を直接私の責任で当たったわけではございませんが、この国会周辺におきまして、元号の問題に限らずいろいろの機会に幾つかの元気のいい団体がいろいろのことをスピーカーで流しておるということは事実として承知しておりますが、ある時期に私は推進会議の事務局の方にも一体あれは一緒のメンバーに入っているのかというようなことを質問したことがございます。その際の御返事は、いやあれは全く関係ないというような御返事もいただいたことがございます。そのようなことから、実は私なぜそういうことを申し上げて質問したかといえば、やはりそれは口にこそ出さないまでも、言外にやはり行き過ぎた言動というものは必ずしも適当でないというふうに私は、これは私の個人的な考え方でございますけれども、そのように常日ごろ思っておりますので、そのような気持ちの一端ということから質問をしたというようなことであったと思うのでありますが、その際の事務局の人の御返事はいまのようなことであったということで、私はそれ以上直接に個々の事実について確認をするというわけにもまいりませんので、一応そのように承知をいたしておるわけでございます。
  19. 村田秀三

    村田秀三君 私のいまの質問は、国会周辺でデモを行っている団体、それが元号法制化推進団体に加盟をしているのかしていないのかと、こういう質問ではないわけです、本旨は。  つまりその推進団体というものがある。その団体に入っておるいろいろな団体があろうかと思うんです。まああって悪いとは私は申し上げません。言ってみればこれ、神道政治連盟あるいは神社本庁時局対策本部の中にある神道政治連盟ということになりますかね、そういうところが一世一元元号制度を推進をしているという、そういう話は聞いております。またそういう書類も見せていただきました。そのほかにもあるんじゃないかと思うんですね。そういうものを掌握をして、そしてひとつ――まあいま出てこなけりゃ、後でも結構でございますが、よろしくお願いしたいと思います。  同時に、これは議論の分かれるところであろうかと思いますが、この元号問題は憲法とはかかわりないんだという立場も恐らく今後の議論に出てくるだろうと私は推測をいたしますけれども、しかし私は、この元号問題は憲法と重大なかかわり合いを持つという立場をとらざるを得ないわけです。そうして考えてみますと、元号関係ないんだから、おれの責任じゃないというような答弁になりますかどうかは存じませんが、少なくとも政府憲法九十九条では天皇、摂政、国務大臣国会議員、その他公務員は憲法を守る義務があるんだと、こういうことになっておるわけでありますから、もしもこの元号問題、単にそればかりではなくて、この元号問題は憲法改正の一つのステップだ、そういう理解のもとに行動をいたしておったとするならば、その団体に対して政府はどういう考え方を持ち、また行動をとるのか。この点について明らかにしていただきたいと思います。  私はあくまでも現行憲法を守る立場に立たなければならない政府であるとするならば、憲法改正を目標にしながらこの元号問題を考えておる団体の話には耳を傾けるべきではないし、むしろそういうものに対しては単に中立という態度ではなくて憲法を守るという立場からこれは対処をすべきであろう、こう実は思っておりますが、その見解を承りたいと思います。
  20. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 法制的な点は法制局長官からお答えを願うことにいたしまして、いま元号推進をやられる団体等において憲法改正の前提として元号の法制化というような動きがあるように見受けるが、こういう点について政府としてはどう受けとめておるのかというお尋ねのようでございます。もちろん憲法に示してございますように、政府並びに公務員は現憲法を遵守し守っていかねばならない立場にあることは申し上げるまでもございません。ただ、民間において虫法改正の御意見があったり、そうした会合のあることを政府がこれを抑えるということも適当ではないと思います。したがって、私どもといたしましては、現在元号法制化について国会審議を願っておるときに、この問題をとらえて、あえて憲法改正につながるんだというような御意見を述べておられるようなことがあるとすればきわめて迷惑なことである、私どもはそう考えておるところでございます。
  21. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 基本的にまず元号法案を御提出してこの法律案成立いたしましても憲法に違反するとはまず考えておるわけではございません。ただ、民間の方でそういう天皇制についての何か変革を希望するというような方がおるかもしれませんが、それはしかし言論の自由でございまして、いろいろ暴行、強迫に及んだりしちゃいけませんが、元号法制化反対というスローガンを掲げてそういう運動をすることそれ自身は、これは元号法制化推進あるいは反対、どちらにしてもこれは言論の自由でございまして、それが不法行為にわたらない以上は、これを弾圧するのはそれこそ憲法二十一条の違反になるわけでございまして、反対を主張されることも結構でございますし、推進を主張することも結構でございます。  ただ、ただいま総務長官もおっしゃいましたように、公務員は憲法を守らなければならないという規定がございますから、現在の憲法が現にある以上は、限りにおいては憲法は守らなきゃなりませんが、この元号法案それ自身が憲法の内容のどこにも抵触するものであるとはわれわれは考えているわけではございません。ましていわんや、一般方々が推進なり反対なり運動されることは、それは言論の自由として尊重しなければならないというふうに考えるわけでございます。
  22. 村田秀三

    村田秀三君 憲法改正を目指してこの元号問題をとらえてやっておるとするならばこれは迷惑だと、こういう所見であります。まあ迷惑の域を出ないのかどうか、その辺のところをもうひとつしかと、これは憲法を守るという立場でどう対処するのか、政府にお伺いをいたします。  それから、法制局長官に伺いますが、それは確かに言論の自由であります。しかし、この元号問題を議論する集会等にいやがらせをしたり、あるいは具体的な行動があったという話、しばしば聞いておるわけでありますが、これは明らかに違法行為であるということになりますね。   〔委員長退席、理事岡田広君着席〕 ここで具体的にどこそこでこういう問題があったからということは私は申し上げません。かなりあると聞いております。だとするならば、そういう行為に対しては政府として取り締まりを強化しなくてはなるまいと、こう思います。きょうは警察庁特に呼んではおりませんけれども、その辺のところは、迷惑であるという所見と同時に、対処をするということであるならば、最低そういう暴力行為が存在したとするならば、それを浮き彫りにしていわゆるしかるべく対処するのが政府の責任でもある、こう思いますか、長官はどう思いますか。そしてその措置を厳しくしていただきたい、こう要望いたしておきます。
  23. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 法律的なことにつきましては法制局長官からお答え願うといたしまして、お尋ねの政府なり公務員としては憲法を守る義務があり責任があるではないか、しかし、外部における元号法案推進の会合等においては、どうもこれを通して憲法改正につなごうとしておるんだという、そういうような動きがある、この点についてもう一回どう対処するかをお答えなさいということでございます。私は、この点につきましては、一般的にはそうしな言論の自由、思想の自由等から、私はこれを政府としてそうした言動について平常な形で行われておるとするならば、これを取り締まることは行き過ぎでございますということを申し上げたのでございますが、しかし政府自身は、決してこれを通すことによって憲法の改正につなごうと企図しておるということは毛頭ございませんので、その点は明確にここでお答えを申し上げたいと思います。  それから二段目には、どうも不法行為、暴力等の行為によってそういうことがなされておるということでございます。そういう事実があるということでございましたが、いままでの審議の中でもそうした点を数次御指摘を受けております。この点につきましては先ほど法制局長官も答えましたが、いかなるそうしたことにいたしましても暴力をもってそうした言動に出るということは私は厳に戒めていかねばならぬし、取り締まっていかねばならぬと思います。この点につきましては、先般警察庁の方からもお答えがございましたように、十分警察庁と連携を密にしながら対処してまいりたいと考えております。
  24. 村田秀三

    村田秀三君 それから、これまた新聞記事を引用して恐縮でございますが、元号論議の中で憲法、大黒制についての議論が出たのは、野党は憲法天皇制については触れてこないであろうと見ていた、政府にとって誤算であったが、国民にとっては評価していいのではないか。傍聴席におったところのお年寄りか――議員の質問の中で、このことについて天皇に感想を聞けるのかという質問をしたと、   〔理事岡田広君退席、委員長着席〕 これを聞いておった年寄りか驚いたと、こういうのですね。  先ほども皇室のことや天皇のことを議論する場合には何かタブー視されておるのではないかという印象を私が持っておったというお話をいたしましたら、特に答弁はございませんでしたけれども、うなずいて聞いておられましたから恐らくそう思っていらっしゃるのだろうと、こう思いますが、しかし、この元号問題あるいは憲法問題を議論する場合には天皇制を抜きにして考えるわけにはいかないし、議論しないわけにはいかないわけでありますから、これは大いに議論してよろしい、そして本当に議論の上、理解をして納得をするということの方がむしろ現懸法下における象徴天皇制――天皇は二十一年の元日に人間宣言をいたしたわけでありますから、神ではないと、自分と国民との関係は敬愛と尊敬の関係であると、こういうことを言っておられるわけでありますから、議論をし議論をし尽くして、そうして理解をし、納得した方がむしろ現憲法の精神にのっとると私は考えておりますから、大いにやった方がよろしい、こういう見解を実は持っております。この見解に対して、抽象的な質問で恐縮でございますけれども総理府総務長官どうお考えでございますか、所見を伺っておきたいと思います。
  25. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 私は衆参の国会を信頼をし、尊敬を申し上げておるわけでございます。その審議の場においていろいろな問題、特にいま元号に関して天皇の問題あるいは皇室の問題を論議なさることについて私がとやかく意見を差しはさむものではない。特に参議院は良識の府でございますし、そうした立場での審議いかんについては私が申し上げることを差し控えたいと思いますが、私は、堂々の論議がなされてまいっております今日までの状況を見て、心から敬意を表しておるところでございます。
  26. 村田秀三

    村田秀三君 次にお伺いいたしますが、これは先日わが方の野田委員も若干触れられたのでありますが、総理の靖国神社の参拝ですか、お参りといいますか、この件についていろいろ議論をいたしました経過は私承知をいたしております。  そこで、大平総理自身のことでありますから聞いてみなけりゃわからぬというお答えになるかもしれませんけれども、新聞記事を見る限りにおいては、総理大臣という官名を付して記帳したというふうに書かれております。それから公用車を使ったということは、警護の関係でどうしても公用車を使ってほしいというので乗ったと、こういうことであります。この際公用車の件は抜きにいたしまして、従来の参拝をいたしました総理大臣ですね、この方々は官名を記載しなかったというふうに言われておりますが、今度初めて総理大臣という官名を記載したと言われるのでありますけれども、その真偽はどうでしょうか。
  27. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 事実の問題でございますので、とりあえず私から御答弁をさしていただきますが、現大平総理の四月の参拝の場合にどういうふうにされたかということでございますが、これは私どもも新聞に官名も付記されていたという報道がございましたことを承知しておりまして、したがいまして、それは事実はそのようなことであったと承知をいたしております。その点につきましてはたまたまその参拝の直前に当たりまする衆議院内閣委員会において、総理が御出席になりました審議の際に御質疑がありまして、総理御自身からも、その点についてどうするかという御質問に対してはたしか慣例により、あるいは私人の判断でというふうなお言葉を述べておられたと思います。  そこで、その前の方の問題でございますが、前内閣総理大臣の場合においても官名を付記しておられたというふうに聞いております。
  28. 村田秀三

    村田秀三君 私がお伺いしたポイントは、前に総理大臣がお参りをいたしまして国会でも議論されたことがございます。私人か公人かというのが主たる議論であります。官名を付してあるならばこれは公人として理解せざるを得ないんじゃないかというような法制局の見解なんかもあったやに私記憶するわけであります。記憶違いであれば結構でございますが、前はどうだったんでしょうか、前は、官名を付したのかどうか。
  29. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 総理大臣の靖国神社参拝に関しましては野田委員と実は去年福田内閣のときに、前総理福田さんが参拝をされまして、その際に公人として参拝したのではないか、公人として参拝したということであるなれば憲法の二十条三項違反になるのではないかという御指摘がございまして、御質問がございました。そのときに公的な資格で参拝したのではないかという御論拠の中に、いまの肩書きとして内閣総理大臣という官名を書いた、それから公用車を使った、あるいはそこでお参りをして何をお祈りしたかということを新聞記者の方に聞かれたら、それは国の安泰なり行政の、何といいますか、円満な遂行をお祈りしたとか、そういうことをいろいろ挙げられまして、こういうことから見て――失礼しましたもう一つございます。お一人でなくて他の国務大臣を何人か連れていかれたではないかというようないろいろな事由を挙げられまして、これらを総合してみればやはりどうしても公人として、公的機関として参拝したということになるんではないかという御指摘がございました。  その御質問に対しまして私は、官名につきましては、これは日本の一般の社会生活における慣例として、だれでも私人としての資格で行動する場合においても官職にある者は官名を付する、それは国会議員の方から私が年賀状をいただく場合にみんな衆議院議員、参議院議員と書いてあるではないか、中には顔写真まで入っているではないか、だからといってこれが公的資格で年賀状を出したとはだれも思わないではないでしょうかということで反論をいたしました。それから公用車の点につきましては、これは総理大臣ですから警備の都合もございますし、いつ何どきスケジュールを変更してほかの場所にはせつけなければならないというようなこともあり得るわけですから、靖国神社の手前まで行って車を乗りかえて、タクシーなりあるいは普通の車に乗らなければいけないというような、こういう理屈はむしろおかしいではないでしょうかというふうに申し上げました。  それから、ほかの大臣が一緒に行かれましたことは、それはまあたとえて言えば一緒に手を取り合って行くか、連れ立って食事に行くと同じことなんで、何も閣議で決めて、おれに随行しろというようなことを決めて連れていかれたわけじゃなくて、靖国神社に参拝したいという、そういう信仰心の厚い方々が一緒に行かれただけのことであって、それを取り上げて、だから公的だというわけにはまいらぬでしょう。  それから、靖国神社の社頭で念願された事柄の中身が、(「そういうことを聞いているんじゃないよ」と呼ぶ者あり)国の政治がうまくいくようにということをお祈りになることは、これはむしろ当然なんであって……
  30. 村田秀三

    村田秀三君 法制局長官なら長官らしくちゃんとはっきりと答えたらどうですか。
  31. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 靖国神社の前に行ったときだけは国事を忘れて自分自身の長命なりあるいは家族の健康だけを念頭に置いて祈れというのがむしろ無理なんで、そういうことをいろいろ申し上げまして、結局問題は私人として行かれたのか、公人として行かれたのかということは、行かれる前に官房長官が新聞記者会見の席上とかいろいろな席上で、これはもう私的な資格で行かれるんですよということを明らかにして、そして参拝されるわけですから。それから神社に納められるお金も公費をお使いになっちゃ困るので、それはポケットマネーでお出し願わなきゃ困るというふうに私の方からよく申し上げておきましてそのとおりやっていただいて、どの点をとらえてみましても公の資格で行かれたというものではないというふうに私は御説明申し上げまして、野田委員もそれで実は御反論がなかったという経過がございます。
  32. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 政府側に注意をいたします。質問に対してお答えをするように願います。
  33. 村田秀三

    村田秀三君 いまのだらだらとした答弁は何ですか一体、ポイントをそらそうとして。私か質問しておるのは、私の記憶違いもあろうかとも思うし、事実を知りたい、だから、総理大臣は官名を書いたというが、いままでの方々は官名を書いたのか、書かなかったのか、そこが知りたい、こういうだけの質問です。そして国会議員が参議院という官名と名前と写真を入れてその年賀状、私人か公人か、あなた一体何をいま議論しているんですか。そんなふまじめな答弁ありますか。事は憲法関係して、靖国神社の問題ですよ。国会議員が年賀状出すのと混同してどういう関係があるんですか。混同する方が頭がどうかしている、これは明らかに、常識的に考えても。それであなた法制局長官ですか。しかも関係のないことをだらだらとしゃべって、それどういう気持ちですか。そこのところひとつ釈明してください。
  34. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 大平現総理が官名を書かれたのが初めてではないかという御質問がありましたので、実はそうじゃなくて、問題は野田委員から前総理の時代にすでにその問題があって、そしてしかも、靖国神社についてはいまおっしゃいましたように憲法上の問題ではないかとおっしゃいますから、それで実は野田委員との質疑応答の中身を御紹介いたしまして、そして憲法違反ではございませんという御説明をしたわけでございまして、決して余計なことをだらだらと言ったというつもりでは毛頭ないわけでございます。
  35. 村田秀三

    村田秀三君 あなたはそういうつもりがないかもしれないけれども、私ばかりじゃなくて、委員長だってそう思って聞いていたと思うんですよ。しかし、私はそのことが論点ではなかった、本当は。つまりは、私が記憶するところでは、公人か私人かの議論というのは、官名を書いたら公人であって、参拝の場合ですよ、いろいろ宗教上の立場の人から言わせれば参拝という言葉自体に問題があると、こう言う人も中にはおりますよ。がしかし、この際参拝と言いましょう。参拝をするときに総理大臣が官名を付したならばこれは公人であって、それは信教の自由ですから、いわゆる職務上の地位を利用するすべての者を関係なく靖国神社に参りましてお参りすることは何も私も悪いとは言っておるわけではないんです。かつてはそういう解釈であったと私は記憶している。それが今度は官名を書いてもそれは年賀状と同じだというように、付会するにももう少し上手な付会の仕方があるはずだ、実際は。そういうふうに拡大解釈をどんどんどんどんしていっている。つまり憲法の解釈というものを自分の都合のいいように拡大解釈をしていって、日にちがたつと態度が変わっていくというところに問題かあるし、そしてつまりは、そういう政府自体の姿勢があるとすればその姿勢と、先ほど来申し上げました憲法改正を目指すためには、大阪城の攻略じゃありませんけれども、外堀を埋めて、内堀を埋めて、そして本丸を崩すというような、そういう戦略構想と一致するわけですから、これは警戒をしなくてはならぬし、そういう立場でいわゆるこの元号法案審議しろ、早く通せというような圧力がかかっておるのではないか、こういう懸念を実は申し上げたかったわけであります。  会期延長となりました、これ二十五日。けさの新聞を見るというと五日あたりには何か成立するんじゃないかなどと予測記事が書かれておりますけれども、この前の会期ぎりぎりの際には、少なくとも、政府とは言いません、この際国会の話でありますから。私が聞く限りにおいては他の法案は犠牲にしてもこの元号だけは何としても通したい、こういう強い希望かあるという話を聞いております。でありますから、それほど無理して、ごり押ししてなぜやらねばならないかという背景には、つまりいまのような政府の姿勢に合わせてもって外の行動、この影響じゃないかと、こう思っておるものですから、いろいろいままでお伺いをしておったわけでありますが、その点はどうでしょうか。これは法制局長官の問題ではありませんから、これは総務長官の問題であります。
  36. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えいたしますが、総理大臣の靖国神社参拝の問題が最終的に指摘をされて、官名を書いたことが公的であるか私的であるかというような問題にも考えられてくるぞという、そういう点の御指摘等もあったわけでございます。この点は過去において何回か国会の論議の場で出された問題でございます。国内における一般的な慣習として官名はそういうことで書いていく場合が多うございますので、決してそれで公的な参拝をいたしたのでございませんというような、大体そういうお答えをしてまいっておるわけでございます。  しかし、いま結論的なお尋ねといたしましては、そうした事実行為の次々の積み重ねが旧憲法への逆戻り、現憲法違反というようなものにつながってきやしないか、そういう点について十分検討すべきであるという御指摘だと思うのでございます。いま御指摘がございましたように、厳然としてすでに三十年以上経過をいたしております新憲法につきましては、これを守ってまいることは政府なり、あるいは公務員といたしましては絶対的な私は責任とも思うわけでございまして、そういう憲法違反の指摘を受けるような線にならないように私は注意をして対処してまいりたいと思う次第でございます。
  37. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時から再開することとし、休憩いたします。    午前十一時五十六分休憩      ―――――・―――――    午後一時三分開会
  38. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  午前に引き続き、元号法案を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言願います。
  39. 村田秀三

    村田秀三君 防衛庁の方来ていますね。新聞で承知をいたしたのでありますが、自衛隊の隊員が死亡いたしまして、まあ靖国神社にではございませんね、地元の護国神社というところでありますけれども、そこへお祭りをしたと。これを知ったというのでありますから、遺族に断りなしにやられたように私は理解をするのでありますが、たまたまクリスチャンでございまして、大変に立腹なさってまあ違憲訴訟を起こしたと、こう一言で私は言うのでありますが、その結果、これまた新聞でうかがった限りでは、原告勝訴の判決が山口地裁で決定をいたした、こういうふうに聞いております。その詳細をちょっとお伺いしたいと、こう思います。
  40. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) ただいま御指摘の件は、四十七年に――元自衛隊員が殉職しまして、その隊員を、地元の自衛隊隊友会という組織がございますが、ここの発意に基づきましてそのみたまを山口県の護国神社に合祀したということがございまして、これが殉職者の奥様でありますところの方から訴訟になって、去る三月二十二日に山口地裁の判決があったわけでございます。  この件に関しまして簡単に申し上げますと、本件合祀につきましてはこの隊友会というところが発意し、また申請行為をして合祀に至ったということでございまして、それに自衛隊が、地元の地方連絡部という自衛隊の組織がございますが、ここが共同で、その非常に重要な要素の、合祀に必要な行為をしたんではないか、いわゆる憲法二十条の宗教的行為を自衛隊もしているんではないかというふうな判決があったわけでございますが、私どもの方では、自衛隊は隊友会の依頼に基づいてきわめて補助的なお手伝いをしたというにすぎないということから、去る四月四日に広島高裁に対して控訴をしているというのが現状でございます。
  41. 村田秀三

    村田秀三君 そうすると、これは合祀手続をとられたのは隊友会山口県支部連合会であった、自衛隊としてはいささかも関係してないわけですか。
  42. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 合祀の申請もしくはその発意というものはいまお話のありましたとおり自衛隊隊友会がやったものでございまして、自衛隊の地方連絡部が、その際、九州の各部隊の現状はどうなっているかというようなことについて隊友会の依頼に基づいて実情を調べたというような程度の協力というか、お手伝いをしているということでございまして、この合祀の基本的な分について共同でそういう行為をしたという事実はございません。
  43. 村田秀三

    村田秀三君 新聞を見ますと、その後判決が出されてその後控訴をしておるようでありますね。それには国と隊友会がと、こうなっておりまして、その点はどうなんですか。
  44. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 本件、山口第一審におきます被告は、国及び隊友会という両者が被告になっております。
  45. 村田秀三

    村田秀三君 そうすると、それはわかりました。これ隊友会の名義でなさって自衛隊は法律的にはかかわりがない、こういうことですか。しかし、その提訴された被告であるという立場で、したがって、判決か出されたので国と隊友会が控訴をしたと、こういうことになるわけですね。その点はわかりました。  そこで、控訴いたしました理由といいますか、まあ第一審判決に不満かある、不服があったから控訴なさったんだろうと、こう思いますけれども、その不服とするところの問題点は那辺でありますか。
  46. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 今回の判決は山口県の護国神社への合祀申請が、山口地方連絡部の職員が県の隊友会と共謀して実現した共同の不法行為であるというふうな判決がなされておるわけでございます。  先ほど来申し上げておりますように、この合祀の発意も申請自体もともに県の隊友会がみずから行ったものでございまして、自衛隊がこれに関与したということではございません。あくまでも合祀申請の準備段階における補助的な協力をしたにすぎないというふうなことから控訴しているということでございます。
  47. 村田秀三

    村田秀三君 そうすると何ですか、判決の趣旨は了承をするが、しかし、自衛隊と隊友会が共謀して合祀したという、その共謀した部分について不服があるからと、こういう意味になりますか。
  48. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 一口に言えば、国が共謀してその不法行為をしたというふうな御指摘でございますけれども、私どもは決して自衛隊の地方連絡部という組織が宗教活動をしたということは認めてないわけでございまして、そういうことはないというふうに確信しているものでございますから、その点が一つと、それからまだあと細かなことを申し上げますと、事実認定につきましてもわれわれの主張が入れられてないというふうなことも幾つか、何点かございます。
  49. 村田秀三

    村田秀三君 私もこれ経過を詳細にずうっと追って物を言っているわけじゃございませんので、共謀した事実があるのかどうか、協力したということが、何といいますか相談をしたということにもこれなるわけですね、場合によりましては。まさに自衛隊としてこれは合祀した方がよろしいではないか、その手続は隊友会かやってはどうか、こういうような持ちかけ方をいたしますると、これは手続上の問題は別にいたしまして、主たる客体になると思いますね。その辺の絡みはどうなんでしょうか。
  50. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 御承知のように、この隊友会という組織は国民と自衛隊との間のいわばかけ橋という役割りをなしておりまして、日ごろから自衛隊のいろいろな問題についての御協力をいただいておりますし、国民に対する防衛思想の普及というような意味でわれわれとしては非常にふだんからお世話になっているという団体でございます。一方、そういう方々の方からいろいろな相談というか、いま申し上げたような今回の合祀についても、日本の山口県以外の地域、たとえば九州では一体どういうふうになっているんだろうというふうなことを聞かれる、それに対してお答えするという程度の協力はいたしておりますが、決して私ども自衛隊の方から合祀すべきであるとか、どうすべきであるというふうなことを申し上げたようなことはないというふうに承知しております。
  51. 村田秀三

    村田秀三君 法制局長官にお伺いいたしますが、いまのお話を伺っておりまして、私も法律の専門家でございません、そしてまたどういう答えが返ってくるものなのかという、その上にいろいろ議論しようと、こう思っておりましたから、そこまでの細かいことは実は承知をいたさなかったわけでありますが、提訴される方は共謀されてと受け取って提訴をしたと、その場合に自衛隊の方は、自衛隊としては別にそうしなさいと話を持ち込んだわけでもない、相談を受けたからいろいろと手続を教えたり連絡をしたりしただけにすぎないんだと、こういう関係のようであります。それが事実かどうかは、これ事実調査してみなければわからないのでありますけれども、しかしそうした関係が事実であったという前提に立って考えた場合に、それはどう判断されますか。私はもちろん法律家ではありませんけれども
  52. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) お答え申し上げますが、またよけいなことを言うとしかられますのでごく簡単に申し上げますか、これは係争中の事件でございますので、裁判外で私が公式の場でこうだこうだというような判断を申し上げる立場でないことはまず御了承願いたいと思います。  もし仮に、これは事実認定の問題ですから私は確信を持ってお答えできる立場じゃございませんが、もし仮に自衛隊とそれから隊友会が一緒になって、そうして遺族の方の意思に反して護国神社にお祭りした、そのために遺族の方が非常に精神的な苦痛を受けたというようなことが、仮にそういう事実認定があったとすれば、これは共同不法行為になる場合もあり得るんじゃなかろうかとは思いますが、何せ事実関係に絡みますので、私が断定的にここで結論をはっきり申し上げるという立場ではございません。
  53. 村田秀三

    村田秀三君 まあそういう言い方で私もいいんですが、ただ、もう一つ抜けておりますのは、たとえば協力をした、相談を受けたから手続等を教えてやりましたという部分について、これは共同行為とみなすことができるのかどうか、共謀だと言えるのかどうかという点ですよ。
  54. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 山口県の護国神社の問題はとにかく別といたしまして、これは不法行為の問題ですから一般論として申し上げますと、民法の七百九条の不法行為の問題ですが、これについて、本当に共同してやれば共同不法行為になりますし、それに不法行為者に対して関与しましてこれを幇助するという関係になればやはり不法行為の責任を負うことはこれは理論上あり得ることでございます。
  55. 村田秀三

    村田秀三君 これはまあ議論してもちょっと結論を得るわけにはいかないんじゃないかと思いますが、幇助した場合は共同行為になる、こういういま法制局長官の判断が示されたわけですね。だから幇助したという、これなかなかその判断はむずかしいところだと、こう思うんですが、やはり自衛隊としてはそうして亡くなった方々を靖国神社なりあるいは護国神社に合祀されるということを念願しておることは間違いないわけでしょう。どうでしょうか。念願してないのかしているのか、そこだけを答えてもらえばいい。
  56. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 自衛隊としまして、隊友会が今回の事件については合祀の申請手続その他一切やったことでございますが、自衛隊として殉職隊員を護国神社なりそういったところへ合祀してほしいかどうかということについてはいままで一切意見を申し上げたこともございませんし、私どもとしては国の立場からとやかく申すべき立場にございませんので、これは隊友会と遺族との話し合いによって円満に解決されるならそれは結構であろうし、もし不本意に、遺族の意思にかかわりなくやられるというようなことであれば望ましくないんではないか、こういうように一般的に思いますが、特に自衛隊として、防衛庁としてどうあるべきかということは申し上げるわけにはいかないというふうに思っております。
  57. 村田秀三

    村田秀三君 ちょっと議論外れますが、そうすると自衛隊としては念願も期待もしておらないと、これは自衛隊発足以来いわゆる遺族の自主的な判断なりあるいは自主的に活動している隊友会の判断に一切任せておったと、こう言い切れますか。
  58. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) たびたびお答えしますけれども、自衛隊としては隊友会にそういうことを使嗾したり、あるいはそそのかしたり、あるいは強制したりというふうなことは一切ございませんし、遺族に対してもそういうような行為に出たことはございません。
  59. 村田秀三

    村田秀三君 そうしますと、法制局にお伺いしますが、手続上は、公式にはこれ隊友会独自の行為であったと。しかし自衛隊がいろいろと幇助したと、その幇助の度合いというものが、自衛隊がそれを期待し念願しておるという場合と、全く切り離してそういうことは全然関係ない、聞かれたからただ答えたんだという二つのケースを例にいたしまして考えてみて、前者の方は共謀になると私は判断しますが、法制局法律的な見解はどうですか。
  60. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 現に係争中の裁判所に係属中の事件について私がここで公の立場でどうこうと言うわけにはまいりません。ただ一般的に申しますと、不法行為につきまして民法の七百十九条第二項というのがございまして、教唆者及び幇助者はこれを共同行為者、つまり共同不法行為者とみなすという規定がございまして、これに当たれば当然に連帯責任を負うということになりますが、いまの山口の護国神社の事件がどうだというようなことはとても私がここで言えるような性格のものではございませんので、その点は御了承願います。ここで「教唆者及ヒ幇助者ハ之ヲ共同行為者ト看做ス」という規定がございますので、これに当たるかどうか、それからまず大もとの不法行為者がなければ話にならないんで、不法行為者本人がまずおって、それに対して教唆をした、あるいは幇助をしたという関係があれば共同不法行為者として連帯責任を負うという関係になるという法理論は、ここは私は申し上げることはできますが、先ほど申しましたように特定の係争中の事件についてどうだこうだという判断を公式にここで申し上げるわけにはとてもまいりません。
  61. 村田秀三

    村田秀三君 防衛庁に聞きますが、そうしますと、いまの説明によりますと、控訴したそれは、共同行為があったからという判決があるのでそれについて控訴したんであって、これは私、新聞記事全部読んだわけじゃありません。判決整理をいたしまして三点ございます。  国が、まあ自衛隊ですね。奉斎について核心的な行為を演じており、政教分離原則に違反する。二、信教の自由は基本的人権であると同時に私法上の人格権を持つ。三、しかし個人を祭る自由は制止強制や公序良俗に反しない限り第三者にも認められる。こう三点に私整理したのでありますけれども、そうすると、いまおっしゃっておりますのはこの第一番目の問題ですか。
  62. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) もう一度整理して申し上げますと、まず、今回の判決が、本件合祀申請は山口地連の職員が県の隊友会と共謀して実現した共同の不法行為であるというふうに認定されている点が第一点。それから本件地連職員の行為は県の隊友会がやる仕事について準備段階において補助的なお手伝いをしたにすぎないことをもって、憲法二十条でいうところの宗教的活動であるというふうに認定された点、その他個々の間接的な事実関係についての誤認といいますか、われわれの主張の取り入れられない点もございます。そういったことを含めて控訴しているということでございます。
  63. 村田秀三

    村田秀三君 そうすると、この二番目以降の問題については別に問題はないと、自衛隊としてはさよう心得ると、こういうことになりますね。
  64. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 今回の被告が、御承知のように国と隊友会の両方になっております。私ども国の立場としては、あくまでも自衛隊、隊友会が行った行為について共謀で不法行為をしたという御指摘がありますので、まずその点ございません。  それに関連した幾つかの事実関係がございますが、そういったものの積み重ねが、今回の自衛隊の行為は個別的積極的な、何といいますか、核心的な行為であったというふうに認定されているわけで、私どもとしては納得できないということでございます。したがいまして、隊友会の立場と国の立場とはその争点が違うことがあろうかと思います。
  65. 村田秀三

    村田秀三君 なかなかむずかしい問題でございまして、まあその議論はそこまでにしておきます、きょうは。現地の実情というものを私もよく知っておりませんから。  ただしかし、何といいますか、共同行為があったかなかったかというだけのことであれば、これは遺族と話をすれば解決をする問題であって、別に再度控訴しなければならぬというような、ちょっとそこのところは理解できないですね、常識的に考えて。  それからもう一つ重要なのは、これ隊友会と門衛隊か密接な日常の交流があるわけです。あるいは自衛隊の希望なり、それを受け入れるというようなそういう立場というものがあろうかと思うんです。その場合に遺族が了承もしないのに合祀をした。合祀をして遺族から意見が出されて、恐らく訴訟を起こされる以前において、それは取り下げてもらいたいと、こういうような遺族の願いというのがあったのではないかと思いますね。それを強引に合祀しなければならなかった理由というのは、これは何であろうかと実は思うんですが、その点はいかかでしょうか。
  66. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 当初御遺族――奥さんでございますけれども、若干私ども聞いている話では、合祀について必ずしも反対でなかったというふうなこともあったようでございますが、その後確かに合祀申請を取り下げてくれというふうな要望がありました。そんなことも私どもとしても現地の地方連絡部で聞いておりますので、その旨を隊友会の方にもお伝えしたことはございますけれども、そのときはすでに手続が済まされておったというふうなことがあったようでございます。ただ、いずれにしましても、本件につきましては、国の問題ではなくて、隊友会と遺族の方の問題であるというふうに思っております。
  67. 村田秀三

    村田秀三君 どうも私もよくわからないんですがね。まあ合意して申請書を作成した、それを取り下げろ、こういう話になって、が、しかし、そのときはもうすでに手続済みであったと。そこへ氏名を記載したらあとはそれを取り下げることはできないなどというような問題でもなかろうと思いますね。しからば隊友会の問題であるというふうにおっしゃいますけれども、しかし、それほどまで隊友会がいろいろと主張しなければならぬほどの理由はどうも私には理解できない。防衛庁はそう無理するな、隊友会も考えてこの際取り下げたらどうだ、こう言ってみても一向差し支えないようにも思うんですが、その点はどうでしょうか。
  68. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) いまの手続はすべてこれは国かやったことではございません。隊友会かやったことでございますから、私どもとしてとやかく申すべきことではございませんか、参考のため、今回の判決の中にも、「原告のみずから述べるところと証拠によれば、被告県隊友会がすでに神社に対して故孝文」――これは御主人でございますが、「奉斎取り下げを要請し、合祀申請の撤回ないし合意解約の申し入れをしたことが認められるので、この請求は理由のないものとしてこれを棄却する。」というふうなことが書いてございますか、いずれにしても隊友会としても合意申請の取り下げの手続はとったようでございます。そういう意味から、本件については、今回の裁判では第一審においてはもう解決済みというふうなことで判決がなされておるということでございます。念のため御紹介いたします。
  69. 村田秀三

    村田秀三君 その点は理解いたしました。また別途よく現地の調査をいたしまして、機会を見てと、こう思いますが、どうもやはりこれか靖国問題と関係してくるわけですよね。いまさら申し上げる必要もなかろうかと思いますけれども、いまの防衛庁のお話を聞きまして、事実はいかがかは別にいたしまして、私の理解するものとは若干違っておる点も認めます。しかし、何といいますか、いかに自衛隊の隊員であっても、靖国の問題あるいは護国神社の合祀の問題、そういう問題にしては、これはもう憲法上の制約はもとよりのこと、遺族の了承というものを、現に必要であるということについてはこれは十分に承知してのことだと私は理解いたしますが、それはそれでよろしゅうございますか、防衛庁。
  70. 夏目晴雄

    政府委員(夏目晴雄君) 私ども自衛隊としましてはかねがね憲法の精神を守るということについてあらゆる手段を通じて各部隊、機関に徹底をしております。したがって、政治活動にしろ宗教的活動にしましても、いたずらに誤解のないようにということはかねがね注意しているところでございまして、これからもそういった注意は十分していかなきゃいけない、こういうふうに思っております。
  71. 村田秀三

    村田秀三君 文部省来ておりますか。――宗務課長にお伺いいたしますけれども、靖国神社に合祀をするとかという問題、あるいは護国神社の問題も関連するかもしれませんか、何か特別に合祀をされる人、選別をする基準というものはあるのでしょうか。それからあと手続等、たとえば合祀をしたいと願う遺族があって初めて合祀をされるのか、あるいは遺族の了承も得ないままに合祀をしたいとするならば、これは何といいますか、宗教団体が合祀をしてもいいというような、そういう手続的なものを含めてお答えをいただきたいと思います。
  72. 安藤幸男

    説明員(安藤幸男君) 前もってお断り申し上げますか、宗教法人である靖国神社あるいは護国神社等がどのような祭神を祭るか、あるいは儀式を行うかというようなことは宗教上の事項でございますので、これは憲法二十条に規定する信教の自由の内容と考えられます。したがって、また宗教法人法においても所轄庁等はいかなる形においてもこれら信仰、規律、習慣等の宗教上の事項について調停、干渉してはならないということになっております。したがって、どういう合祀をするか、どういう手続をもって行うかというふうなことは宗教法人限りの問題でございまして、私の方で調査をしたり、報告を求めたり、とやかく言うことはできないわけでございます。  ただ、御質問のありました靖国神社につきまして、これは法律上の報告を求める義務はございませんので、ただ電話連絡によりましてただしたところ、靖国神社の回答によりますと、一応靖国神社としては合祀の基準と申しますか、国の要請に基づいて国事に一身をささげた方々のみたまに対して誠をささげるということを根本に考えておるということでございました。  具体的な合祀基準につきましては、さきに国立国会図書館調査立法考査局から、昭和五十一年五月の日付で靖国神社問題資料集というものが出ておりまして、この三ページ以下に基準と手続というものが載っておるわけでございます。で、合祀対象としては軍人、軍属、それから準軍属及びその他というふうに分かれて、かなり詳しく基準が記載されてございます。
  73. 村田秀三

    村田秀三君 それはわかりました。宗務課長結構でございます。  そこで、次の問題として去る四月十九日の新聞でございますけれども、もうすでに御存じのことでありましょうが、連合軍の極東裁判によってA級戦犯と指定された方々十四名の方が昨年の十月に合祀されておると、こういう新聞報道がございます。いろいろむずかしい要素もございますけれども、新聞の見出しによれば「「靖国」また大揺れ  賛否論争にうずく“戦後” 戦争責任どうなる」、こういう見出しなわけですね。これを見て国民はさまざまなことを考えただろうと思うんです。で、この内容を一々説明すればよろしいんでございますけれども、これを見て政府の立場で、まあ総務長官個人の感懐でもいいのでありますけれども、どうお感じになったかということについてまずお伺いをしたいと思います。
  74. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 四月十九日でございますか、戦犯の方が靖国神社に合祀されたということは新聞報道によって私も承知をいたしました。政府といたしましては、今日まで戦犯の方々についていろいろな論議が政府の公的機関であったことについてはよく承知をいたしておりません。したがって、合祀問題等につきましても政府において特にそれを取り上げたことはないと私は思うのでございます。しかし、いま御指摘の点について個人的に君はどう思うかということでございますが、非常にむずかしい御質問だなと思うわけでございまして、そうした戦犯の方々について靖国神社に合祀すべきかどうかというような点につきましては、私自身そうした問題については国民方々の良識、英知によって私は受けとめられるものではないかと思いまして、私個人がどうだこうだというようなことを申し上げることは差し控えてまいりたいと、そういうような心境でおるわけでございます。  なお、こうした問題について全般的に戦争に対する責任と申しますか、そういうものにつきましては、私は国民の反省と申しますか、国家の反省に基づいて新憲法制定された。この新憲法の精神を体して私ども国民としての責任を果たしてまいるべきではないか、そういうような心境でおるわけでございます。
  75. 村田秀三

    村田秀三君 この問題は確かに、ただいまも宗務課長お話のごとく、これは靖国神社に合祀するかしないかは国の関知するところではないと、これは理解いたしております。しかし、少なくともあのいまわしい戦争と関係のある問題でありますから、政府として避けて通ることのできない課題であろう、こう思うんですね。合祀したのがいいとか悪いとかという問題ではございません。私もまだ整理をいたしておりませんで、あちらこちらの話になるかもしれませんけれども、まあ申し上げてみますと、靖国神社賛成するか反対するかは別にいたしまして、私の兄もこれは合祀されております。  手前のことばかり申し上げて恐縮でございますが、かなり近い親戚の中に、山下兵団の参謀をやった方もおりました。戦後、レイテで割腹をしたということであります。内容を知るよしもありませんけれども天皇陛下に申しわけなかったと、こう思う感懐なのか、あるいは多くの部下を死に追いやってまことに申しわけなかったというのか、直属長官である山下大将に申しわけなかったという気持ちであるのか、それはわかりません。わかりませんけれども、いずれにいたしましても、これは割腹をして相果てたわけであります。いろいろな立場の人、それよりも悲惨な生活を送らねばならなかった多くの人々がおるわけでありますから、何もそのことについてとやかく私は言いませんけれども、この新憲法の中で反省して、国民の英知と理解でこれはひとつ解消していこうじゃないかというような話で終わらしていい問題であるかどうか、この記事を見て私は改めて考えてみたわけです。  たとえば靖国神社法を早くつくってほしいといって陳情してきた多くの人々の中には、東条さんも一緒に合祀された、うちのせがれ一緒にお祭りしてもらうのは迷惑な話だと、こう思う人がいるかもしれません。そうかと思うとまた、戦争犯罪というのは一体何であるか、改めて考え直す人がいるかもしれません。少なくとも、ここに出ておりますところのこの犯罪という判決は、連合国が行った。日本国が行ったわけではないし、日本国民が行ったわけではない。まあ言ってみれば東条さんでも一種の犠牲者じゃないかというような見方をする人がいるかもしれない。これは仮定の問題ですよ。そうかと思うと、とにかくおれは戦争はいやだったんだが、義務で兵役につかざるを得なかった。あるいははがき一本で、赤紙一枚で戦地に送られていったと。おれには戦争は考え得ない。この戦争を起こした張本人は一体だれであろうかと、こういうような考えを持っておる人がいるかもしれません。  そうした場合に、実は非常にむずかしい問題でありますから、私も、取り組んでいいのかどうかは、まあ疑問視いたしました。私はここで何も結論を求めて、そして戦争責任を追及するなどというような、そういう立場でないこともまた明らかにいたしておりますけれども、私もスマトラに参りまして、戦後俘虜生活もいたしてまいりまして、帰ってまいりましたときには、当時の若い子供らでございます。ぼろぼろな服を着て、汚れた背嚢をしょって、駅頭に立って家路に向かいましたところが、ああ、あれ、負けた兵隊が来たと、こういうことであります。率直に申し上げまして、そのときの感懐というのは、一下士官ではあったかもしれないけれども、何だか国民に申しわけないような感懐を持っておったこともこれ、正直に申し上げますと、そういう気持ちであったと思いますね。  ところが、新憲法ができてからもそうでございますが、その前もそうでありますけれども、だれとはなしに、これ国民総ざんげだとこういう言葉がはやりました。いわゆる戦争責任の所在は戦勝国である連合国が判断を示しましたことは、これはつまり侵略を受けた多くの国々の気持ちからするならば、あるいは当然であったかもしれませんけれども、その判断を示したものは連合国だけであってわれわれ日本の中からは片言隻句の言葉も   裏話としてはさまざまありましたが、しかし表面的には出てこなかったという現実というものについて振り返ってみると、この問題を整理しなければ、この東条さんを初め、合祀された問題というのは靖国神社が国家の機構ではない、特殊法人であって、これは宗教法人としての活動であると、こう言われておってみても、国民全体からすればなかなか理解のいかない問題ではなかろうか。こう実は考えて申し上げるわけでございますが、きのう来、総理府といろいろとお話をいたしておりますが、いまの政府ではこの問題について回答出せるところはないと、こういう言い方でありますね。長官はただいまそういう個人的な回答をいただきましたけれども、それじゃ、これに回答を出すところは一体どこなんだろうか。こう実は私疑問を持ったわけであります。それに対して回答するところがないというのに回答を求めるということも、またこれ私自身つらいのでありますけれども、そういうことではちょっと私は困るんじゃないか。もう少し何か整理しなければならないという心境だけは御理解をいただけるものと思いますが、いかがですか。
  76. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、先ほども申し上げましたように、戦争の責任ということにつきましては、戦勝国が戦争犯罪人としての指名をして処置をいたしたことはもう御指摘のとおりでございます。ただ、国全体と申しますか国民全体、あるいは政府としてどうだというお尋ねでございますが、先ほど申し上げましたように、私ども国家も国民も挙げて戦争に対する大反省をいたしておると思うのでございます。その結果が新憲法制定を見たということであろうと思いまして、そういう点でおのおのの持ち場において責任を感じておるものと思うのでございまして、なお国に、戦争のために大事な生命をささげられた、国に殉ぜられた方々に対する生き残っております私どもとしての責任というようなものもあるわけでございます。そういうような点について、今後私どもが新憲法を遵守をして守り抜くということで責任を果たしていくということが、これは私のいま個人的な意見を申し上げておりまするけれども、大切なことではなかろうか。そう思うわけでございます。
  77. 村田秀三

    村田秀三君 全くこれ、私、法学者じゃございませんし、法制局長官にお伺いいたしますが、明治憲法下におけるところの法律体系、その中に、つまり戦争を国内的に責任の所在を明らかにする何かございますか。
  78. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 突然の御質問でございますので詳細なことはいまここで申し上げかねますが、明治憲法下におきましては戦争を宣告するといいますか、宣戦の布告をするのは天皇の大権でございます。なお、当時陸軍刑法とか海軍刑法というのがございまして、職権を乱用して軍隊を動かしてはいけないというような規定もございました。それに違反すれば当然処罰されるという体系であったと存じております。
  79. 村田秀三

    村田秀三君 太平洋戦争の出発ですね、これは日華事変である。これは詳細なことは私は申し上げません。常識的に記述されている部分部分のお話を申し上げますがあの盧溝橋事件というのは軍部独断で軍事行動を起こしたということに私聞いております。ここで歴史のおさらいをするつもりはないわけでありまして、私の記憶や、あるいは見ました資料の間違いであるというならば別でありますけれども、軍部が独断で軍事行動を起こした。こういうふうに私は承知しております。その際に、当時の政府なり憲法下における法体系の中でどのような措置がなされておったのかという点、何か御存じがあればこの際伺いたいと思います。
  80. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 蘆溝橋事件に対してどういう処分が行われたかというような事実関係は、私は申しわけございませんがつまびらかでありません。ただ、法制上は先ほど申しましたように、ほしいままに軍隊を動かしてはいけないという規定が陸軍刑法、海軍刑法、それから刑法自体にもたしか私戦――私の戦争ですね、それを行ってはならないという規定がありましたが、それを適用して何らかの処罰が行われたかどうかというようなことについては、私からお答えすべき筋合いではないというわけでございますので、答弁は御勘弁願いたいと思います。
  81. 村田秀三

    村田秀三君 私もすべて整理をして申し上げているわけじゃございませんが、これは常識的な疑問を代表して申し上げたつもりで私はいるわけです。これだけのことを起こして一億総ざんげで済ませるということも問題であるし、責任の所在をあいまいにしておるという、そのことが将来にどれだけの影響を起こすかということを考えてみると、いろいろな面で起きてくると思うのです。ここに資料ありますけれども、かつて首相をやられました石橋湛山さん、論文を発表しております。「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す」、こういう表題になっておるようでありますが、靖国神社の問題はこの際抜きにいたしまして、ただ、しかしそこで、「国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の位地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の位地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。」、こう言っているわけです。これは昭和二十三年――昭和をあえて使いましたが二十三年のころの論文ですね。でありますから、考えて見て、先ほども私申し上げました、戦前の教育を受けた者でありますから、その思想体系など別に申し上げなくてもわかっておろうかと思いますが、その一下士官が小学校の子供たちに、ああ負けて帰ってきた兵隊かと、こう言われていささか責任を感じたという、そういう状態をもって今日までの思想の推移の上に立って考えるならば、やはりこれは国内的にも戦争責任の所在というものは明らかにしなければなるまい、こう私は主張をいたします。  お答えを特に求めないわけでありますが、ただ一点だけ、別にこの問題を今後言及しないというつもりで申し上げるわけじゃございませんけれどもつまり憲法を守って永久に戦わずという覚悟がなければ、私は、いま三十数年たったからもう時効じゃないかなどというようなことで、戦争のことを忘れておる人が比率的に言えば多くなったからこの辺で少しごまかしてしまえなどというような気持ちの中で一億総ざんげをもしも言っておるとするならば、日本の将来まことに憂慮にたえないものである、こう、余り大上段に振りかぶって申しわけありませんけれども、それくらいの真剣な気持ちで私はいま考えているわけです。その点はひとつ御理解をいただいて、まあ政府の立場というわけにはまいらぬでありましょう。しかし、それは政府全体の気持ちでなければならぬと思いますけれども、その辺のところをしかと長官お答えをひとついただきたいと思います。
  82. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 先ほども私は申し上げましたように、ちょうど石橋総理と同じようなことを申し上げましたが、当時戦争遂行時における責任の地位、一般国民からそれぞれおのおのつかさつかさにおられた責任というものは私はいま申されますように軽重があるでありましょうということを申し上げました。そこで、そういう立場で心からなる反省をし責任を感ずべきであると私は思うわけでございます。したがって、いま御指摘のように、そうしたところから生まれてまいりました新憲法につきましては、私は、各条章にわたって掘り下げてまいればまいるほどそうした面の責任を感じなければならぬと思うのです。特に、憲法第九条の御指摘もございましたが、そういう点において、戦争を絶対にしてはならない、また戦争をするための武力を持ってはならぬということまで規定してあるわけでございまするので、そういう点について御指摘のように常時深い反省のもとに私どもは対処すべきであろう、そう考えておるところでございます。
  83. 村田秀三

    村田秀三君 これもまた五月八日の野田質問関係するのでありますが、皇統譜の問題であります。要旨は、天皇は万世一系と言われているけれどもいささか疑問があるのではないか、こういう立場で質問されておったように思います。  政府の立場あるいは宮内庁の立場ではなかなかお答えにくいことであろうかと思います。それは私も十分承知をいたしておりますからその点はそのつもりで御答弁いただいて私は一向差し支えございませんけれども、実は私も同じような関心を持っていろいろと参考文献を読んでみました。上古神代の時代、あるいは古代史の中、日本書紀の時代、もちろん詳細にというわけにはいきません。いきませんが、いろいろな書物を見まして、戦後開放されたということでありましょうか、いろいろな研究そしてまた論文が発表されていることを実は私も初めて気がついたと言っていいほどであります。それに加えまして、高松塚の古墳が調査をされたり、あるいは埼玉県の古墳が調査をされたり、あるいは九州のどこそこの古墳が調査をされたりと、こういう状態の中で、昨年でありましたか、太安萬侶のお墓が偶然に発見をされたと、こういうような記事なんかも見まして、日本書紀というのは太安萬侶がその編さんにかかわりを持っておったというそういう歴史的なお話承知はいたしておりましたものの、その日本書紀が一歩目の前に近づいてきたという感じを実は持って受けとめておりました。そういう時代であるわけであります。  そして、人間というのは、私もそうでありますけれども、だれでもがそうであろうと思いますけれども、みずからの根源というものについて関心を持たない人はいないと思うのですね。先祖がどうであれ親がどうであれ、おれはおれだというようなことを考えている人は恐らくおるまいと思います。私のうちは、また私ごとを申し上げて恐縮でございますけれども、菩提寺の一番古い位牌は享保二年、吉宗の時代ですね。しかしそれでも二百六十数年です。それはわかっておるけれども三、四代前は余り詳細じゃないわけですね。三、四代前の親戚というのは、これは選挙やなんかで歩いておりますというと、おれはおまえと親戚だぞなどという方々が出てまいりまして、親戚が多くなってこれは選挙に大変都合よくしておるわけでありますが、それはそれといたしまして、だれしもがそう思うだろうと思うのですね。先祖はどうであったか、ましてや象徴と言われる方のルーツ、疑問があればあるほど真実はどうかと思うのはこれ無理からぬことだろうと実は思うんですね。  そういう立場に立って申し上げるわけですが、これはここで議論しても仕方のないことかもしれません、しれませんが申し上げますけれども、皇統譜は日本書紀に記載をされている部分、これは早稲田大学の水野先生の意見でありますけれども、二回にわたって切断の時期があったのではないかと、こういう言い方ですね。それは仲哀天皇のときである、十四代。それから継体天皇ですか、いや二十五代の武烈天皇、その次が継体天皇です。この際ですから、そう推論するところの条件、背景というものはこの際省略をいたします。まあこの国会でそういうことを申し上げますのははなはだ勇気の要ることだと私自身思っておりますけれども。このことについては宮内庁などはどう理解しているんでしょうか。その論を私は必ずしも信用しているわけでもございませんし、そうして、確かにこの部分というのは私どもが小学校時代ずっと習いました年表を見ましてもかなり疑問を持たざるを得ないんですね。継体天皇は応神天皇のきさきの何代かの孫であると、こういうようなこと、その間は私の計算では二百三十年くらいたっておるはずであります。それから、仲哀天皇はこれ三韓征伐に行って逝去されたということになっておりますが、まあ神功皇后が三韓征伐に行ってお帰りになってからお産みになりました子供が応神天皇であると、こういうようなことを聞かされておるわけでありまして、そして仁徳天皇が難波に来て仁徳王朝を開いたというのがこの水野さんの説でありますね。だから、そういうやっぱり、いかにこうだと説明されても子供の心に疑問を持たざるを得なかったそういう部分、これ明らかにしろと言ってもなかなかむずかしいのでありますが、それだっていわば今日科学の時代でありますから、生理学であるとか物理学であるとか一丁前に常識化されているわけでありますから、もう神話は通用しなくなってきておるというときに、現実の問題として宮内庁としてはどう理解をしておるか。それ本当ですかという聞き方は大変失礼でありますからこの際は申し上げません。
  84. 山本悟

    政府委員(山本悟君) ただいま御質問のございましたそれぞれの非常に古い時代の皇位の継承、その際におきますたとえば崩御から即位された期間とか、そういったような物事、これはまあ現在から見れば一つの歴史がいわゆる科学的な意味での歴史としてどれだけのことが証明されるかというような非常にむずかしい問題があるわけでございます。御指摘のとおりでございまして、その科学としての歴史という意味から言えば、いろんな学者の方、いろんな学説もあり、まあ一つの物事につきましての御判断も学説によって違うというようないろいろな立場があろうと存じます。確かにたとえば仲哀天皇と応神天皇の――仲哀天皇が崩ぜられましてから応神天皇の即位までの間、計算すれば数十年あるかもしれません。あるいはもう一つ出しになりました武烈天皇から継体天皇への間、これは崩御から即位まで日にちは記紀の上での記録によればそうはございませんけれども、代をさかのぼっていけば、継体天皇は遠祖であります応神天皇の五世の孫というように記載をされているようでございまして、そういうふうに見ますと相当にさかのぼったところから連れて出てきていらっしゃる、それで継いでいらっしゃる。  ただし、まあ当時の皇位の継承の形態といたしまして、現在はもちろんその男系の、男子の全くの直系の継承でございますけれども、当時としては入り婿でございますとか、いろんな形式があったようでございます。これは学説でございますので、どれがどうと私かいま申し上げられる立場じゃございませんけれども、学説といたしましてもいろいろなことがあった、そのことはまさに歴史学といたしましてはだんだんと何か明らかになるというようなことになってまいると思います。そのこと自体どもといたしまして何ら否定すべきことでもない、しかしやはりそういう中において日本の皇室というものはずっと続けられてきたと、これもまた事実でございまして、その後の方の事実というものはそれなりにやはり意味のあること、それがずっと続いてきて明治になりまた日本国憲法における象徴天皇の世襲制度になっていると、かように存じているところでございます。
  85. 村田秀三

    村田秀三君 皇族も天皇陛下も私も現存しているわけでありますから、これはだれかがいたことは間違いないわけであります。そういう意味ではこれ私自身も万世一系なわけですわな。  そこで、これ角度を変えて申し上げますが、よしんば切れてあっても、これは個人の家庭だって養子縁組みをするということだってあるわけですから、それは古い考えだと、いまの民法から言えばこれはちょっと問題じゃないかというように思う人があるかもしれませんけれども、決してそうではないと私は思っています、占いと言われるかどうか知りませんけれども。養子縁組みして一つ家系をつないでいきたいと、永久に、これはだれしも考えていることだろうと思うんですね。だから切れていれば切れていていい、つながっているんだわいということが立証されればそれはそれでなお結構じゃないか、これくらいの気持ちで私は申し上げるんですが、まあ最近は考古学も発達をしておりますから、そういう意味では宮内庁の管理しておる陵墓、これは絶対手をつけちゃならぬというものもあるでしょうけれども、可能な限り原形を損なわない範囲の中で、粗略に扱うことのないような範囲でこの考古学の調査に協力してはどうかなというふうに私見としては持っているわけですが、そういうものについて宮内庁としてはどうお考えでしょうか。
  86. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 特に古代の陵墓の関係、これが問題によくなるわけでございます。現在の宮内庁の管理いたしております古代の陵墓は古事記なりあるいは日本書紀なり延喜式といったようないろいろな古文献の陵墓に関する記載や、あるいは地元の伝承といったようなものをもとにいたしまして、ずっと前からわかっているものもございますし、徳川時代の末期に非常に調べて決めたもの、あるいは明治になりましてから規定されたものと、いろいろなものが陵墓によってあるわけでございますが、多くは相当長い期間にわたりまして皇室はその安寧を保って、追慕尊崇の対象として祭祀を続けてきたというようなところになっているわけでございます。あるいは地元において、皇室から直接の祭祀が切れた場合に地元がそういう伝承に基づいてお守りをしてきたと、こういったようなところが現在の陵墓として管理しているところとなっているわけでございまして、その意味では一般にだれが祭られているかということが切れてしまった本当の古墳というものとはいささか精神的な意味というのが違っているんじゃないか、何と申しますか、お墓として考えれば生きているお墓、祭祀を続けているお墓ということになっている点が一般の古墳と非常に精神的な意味で違うわけでございます。  そういうような点がございますものですから、これをいわゆる本当の意味の学術調査というようなことには、なかなかやはり祭祀を続けている者といたしましては踏み切れないというような点は、ひとつ御了解を賜りたいと思うわけでございます。ただ、いま先生がおっしゃいましたように、そういったところまでじゃなくても、何らかの意味で少しずつでも考えられないかというような考古学者の方々のいろいろな御説明もあるわけでありまして、そういうものにつきましては、それは可能なものについて考えていくことにはやぶさかではございませんけれども、やはり基本的には、生きているお墓、祭祀が続いているお墓、そしてそこに埋葬されておる方の何百年祭というときには、必ずそこで本当の意味の祭祀が行われているわけでございますので、そういうものとして御理解を賜ればありがたいと存じます。
  87. 村田秀三

    村田秀三君 それは本当の本論じゃございませんから、御意見だけを申し上げておきたいわけです。  そこで、実は皇統譜に興味をと言うと語弊がございますが、調べてみたいという気持ちの中には、それからまた、いろいろと切れているんだという前提観念を持って調べようとする、そういう立場の人々、すべてという言い方をされてはちょっと困るのでありますけれども、率直に申し上げまして、やはり元号問題とかかわってくるんじゃないかと思うんです。  先ほども太平洋戦争の戦争責任のことを、結論は出ませんでしたが、まあ結論と言えば、この場では、不戦の決意がなければ総ざんげなどとは言えないはずだと、こういうことを申し上げたわけでありますけれども、この日本における戦争の歴史というやつを、いまさらと言われるかもしれませんが、そうして皆さんここにおる方全部知っていることで、もったいつけた物の言い方をしてはまことに恐縮でありますが、古代史を見ても、幕末までの間は、日本が国権をもって海外出兵をしたというのは、神功皇后の三韓征伐、これだって厳密に言うと九州のあたりまでいわゆる朝鮮半島の政治勢力が伸びていたんじゃないかなどというような言い方だってできなくはなかろうかと思うのでありますが、それはそれとして、豊臣秀吉の朝鮮征伐、この二回だけなんですね。そうしてその間の年数というのは――記録してあったものがちょっと見当たりませんから正確な数字は出ないかもしれませんが、これは数字の問題ですから後で調べていただけばわかると思いますが、千何百年ですね。その間にたった二回、海外出兵は。確かに大宝律令以降、国家体制が整って二百何十年間の間はそのまま続いて、そうして公家政治にあきたらずに、国内至るところに武士集団が発生をして、そしてその武士集団が天皇家の皇位継承問題で利用されたり利用したり、きのうの敵はきょうの友、こういう形でずっと内乱が続いておりますから、海外出兵の国力というのはあるいはなかったかもしれませんけれども、たった二回です。ところか明治に入りまして以降、朝鮮出兵から始まって、日清、日露、日華事変、大東亜戦争、まああちこち個所数をいろいろ拾いますとかなり多くあるのでありますけれども、セットして考えてみても、私が見た範囲では十一回あるわけですね。明治以降というのは、確かに社会制度も変革し、官僚機構も整備をされて、あとまた産業構造もこれは封建時代とはかなり変わって進歩してきておることはこれは私も認めます。経済生活もこれまた幕末とはかなり様相が変化をしてきておりまして、幕政時代と比較するならば、明治憲法下におけるところの、ある限定された自由ではあっても、私はかなり当時の国民は自由を満喫したのではないかと、こう推察をいたします。しかしながら、わずか百――何年になりますか、これ西歴だとすぐに計算つくのでありますけれども、どうも明治、大正、昭和とこうダブって通算をしなくちゃなりませんから、なかなかめんどうなわけでございますけれども、たったこれだけの間に、日本の国家がなくなるかなくならないかというような戦争をしたということです。どこに原因があるのだろうと考えるのは、これ国民の責任としてまことに当然だろうと私は思います。総務長官、どういう原因だったと思いますか。
  88. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 明治以降百十何年かになりましょうか、そういう間において戦争が十一回もあったではないか、そうした点についてこれをどう君は思うかというお尋ねでございます。まあ歴史的にはいろいろなことが、学説としてもあるいは御意見としてわれわれも承ってまいっておるわけでございます。まあしかし総じてどう思うかということであろうと思いまするけれども、これは国家の経営、存立の立場からこれを肯定的に見る人もありますし、また否定的に見る場合もあるし、あるいはイデオロギー的に見て資本主義なり社会主義というような立場から論ずる賛否もあるようでございますけれども、いずれにいたしましても私は、新憲法が指し示しております戦争は再びやるべきでない、また国家の繁栄というようなものは決して武力を背景にしてなすべきではないという、そういう一つの総決算というか、大反省に基づく国の進路が打ち立てられた、そういう受けとめ方をして、過去百十年を超える日本の歴史を私は総決算をして、みずから整理をしてまいっておる、そういう心境でございます。
  89. 村田秀三

    村田秀三君 これは答えにくかろうと思うんですね。ただ私が考えますのには、まあ国際的な関係、あるいはいままで国際的に立ちおくれていたこの日本をどうやって列強に伍していくかというような焦りもあったんじゃないかと、こう思いますけれども、いずれにいたしましても、そのときの政治機構だと私は思っているんです、問題は。その政治機構の特徴が何であるかと考えてみますと、やはりこれ明治憲法に求めざるを得ないような感じがするわけです。つまり「万世一系ノ天皇」、その天皇は「神聖ニシテ侵スヘカラス」、そして加えてもって、私はこの元号問題、これに尽きるのではないかという感じかするわけです。  まあ先ほど戦争責任の問題、明治憲法の中身にも触れたいと、こう思っておりましたけれども、しかし、どうもそれ以外には見当たらないように思うんですね。天皇は大権を持っておる、国務大臣は輔弼の責任を持っておる、しかし、万機公論に決すと、こういうような思想のもとかどうかは知りませんけれども、輔弼の任に当たる者がこうしましょうというときに、天皇が、戦争はけしからぬと、こう言えるようなそういう機構であったのかどうかという、そこまでこれさかのぼってみなくちゃならないわけでありますけれども、少なくともこの権力機構が二重構造になっておった、これはまあ中世史にも脅えると思うんです。がこれ一系として現存しておる、これは侵すことはできない、こういう観念もあったでありましょうけれども、この侵すべからざる天皇の権力を利用して武家政治が発生をし、ほしいままにしておった時代があったと思うんですね。  そこで元号でありますけれども元号一世一元という制度は、お答えをいただくまでもなくこれは明治以降です。それまでの間は確かに千三百何十年続いてはいるかもしれませんけれども一世一元ということ、これはなかったわけですね。そしてその年の名前をつける権限、確かに中世史では天皇にはあったけれども、しかし、力の強い者がそれを決めたという歴史もあったようであります。たとえば武家政治になって鎌倉幕府、足利幕府、そうして桃山時代から徳川幕府とこう続くわけでありますけれども、その幕府時代には、天皇は必ず幕府と相談をして決めたということであります。うそであればこれは指摘をしていただきたいと思いますが。そして徳川幕府に至りましては、まあ皇室の方から一つの案を持っていって、これでいい、あれで悪いということを幕府は言ってもって元号が定められたという、そういう学説も私は見ました。徳川四代将軍、家斉ですか、これは征夷大将軍に任命されたことを記念いたしましてそして元号を変えたと、こういうのであります。  そうすると、この元号問題というのは、元号を定めた初期の段階、ある程度意識をしながらいたのかもしれませんけれども、それほど強いものではなかった、なかったが、使ってみたところが、つまりそのときの権力者の治世を示すためにはまことに重宝である。国民の支配、管理、これを効果的にならしめるためには年号というものは非常にいいものであるという理解があったから、つまりは、年号を定める際に幕府は了解をし、あるいは徳川家斉は征夷大将軍任命を記念してこういう年号に定めたいから皇室これを認めろと、こういうことになったのではないかと思うんですね。  そういうことを考えてみますと、この年号というのは国民を支配するためには非常に効果的である、こう思ったがゆえに時の実力者――二重構造になっておったというのはそこでありますけれども、やはり権力というのは政治を直接担当したところの幕府にあったと、こう思うんです。その幕府も強い時期と弱い時期ありますね。強い時期には必ず、つまり年号をつくるのはおれに任せろと、こう主張しておったと、こう理解するわけでありまして、やはり年号というのは一つの権力の象徴ではなかったかと私は考えるのですが、どう理解いたしますか。
  90. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 私からお答えできる範囲でお答えを申し上げたいと思いますが、一世一元明治以降のことではないかという点につきましては、これは意味合いをどうとるかということの問題はあろうかと思いますが、一つの事実といたしまして補足的に御説明申し上げますれば、奈良時代から平安時代の初期の数代の天皇の時代におきましては、その御在位期間中に元号が一度だけ改められたというような事跡はございます。しかしながら、平安時代のその初期までにそういう現象が見られますが、それから後におきましては、明治改元に至るまではそのようなことではございません。そうして明治元年つまり慶応四年の九月八日の詔書並びに行政官布告において示されたときに、明瞭に、以後は一代の間は再び改めないことにすると、こういうまあ一種の方針が宣明されたということであったと思います。そのことか今日言うところの一世一元という概念の基礎になっていると思いますけれども、そこでもう一つの問題でございますが、おっしゃいますように、元号が千三百年にわたって存続をしてきた、その歴史の経過の中におきましては、天皇元号を定めるという点におきましてはこれは一貫しておったところであると思います。  ただ問題は、その天皇の国政上の地位と申しますか、そのようなものはまさに御指摘のように時代によってかなりの変遷がありました。武家時代という言葉がまさにそれでございますが、そのようなときにおいて考えてみますと、たとえば将軍というものはやはり天皇から征夷大将軍というような任命を受けて、しかしながら、実質的には政治的権力を手中におさめて行使をしていたというようなことであったと思います。つまり天皇という存在と、それからやはり征夷大将軍、そのようなものが併存していたと申しますか、そのようなのがかなり歴史的には長かったということは、これは歴史のお話としては私どももそのように理解をいたしております。  で、元号につきましても、そのような政治権力が実質的に将軍の手にありました場合におきましては、名目的にはもちろん天皇の名によって元号というものが改元されてきたと思いますけれども、その選定経過あるいは決定経過等につきましては、ただいまお話しのような幕府サイドが実質的に影響を及ぼしていたというようなことは、これもまたいろいろの研究において指摘をされているところでございますので、それはそのようなことがあったのかなというふうに受けとめております。簡単でございますが、そのような理解を持っているわけでございます。
  91. 村田秀三

    村田秀三君 どうも私の質問に――私の質問の設定が長たらしい歴史の話みたいに聞こえるからでありましょうが、どうも私の質問に適切に答えられておらないようにも思います。これたびたび申し上げて恐縮でございますが、私の一番古い先祖、記録に残っておりますのは享保二年と先ほど申し上げました、二百六十数年ぐらい前。それで、これは吉宗時代かなと、こう私は思いましたか、享保二年というのは中御門天皇の時代であったということは全く考えなかったんですね。時の権力者といいますか、政治をつかさどっておったものは天皇ではなくて徳川であったと、こういうことでありますから、その年号がすぐに時の権力者に結びついて理解されておるという、そういう、これは例になりますかどうか知りませんけれども、恐らく当時の人々は中御門天皇とはだれも考えちゃいなかったんじゃないかと思うんです。むしろ――先ほど四代将軍家斉と言いましたか、家綱ですね。吉宗様のことは、公方様のことはわかっているけれども天皇様のことはこれはとんとわからなかったというのが時の生活実態じゃないか、人々の心理状態ではないか、認識の状態ではないか、こう私は思うんですね。だとすると、やはり時の治世とこの年号問題というのは密接にして切り離すことはできない、こういう考え方というものは認めますか、認めませんかというのであります。
  92. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その点につきましては、多少私は違った理解をいたしておったわけでございますが、ただいまのお話にございましたように、天皇の地位というものと実質的な政治の権力者、それが将軍であったという状態があったわけでございますけれども元号を定めるのは天皇の仕事であった。しかしながら、そこに実質的に影響力を与えていたのは将軍であるというようなことはあったかと思います。そのような時代におきましては、これは恐らく元号だけではなくて、たとえばまだ朝廷において当時やっておりました官位を授与するというようなことももちろんあったわけでございますけれども、そのような過程におきましてもある意味では似たような関係もあり得たのではないかというふうに思うわけでございますが、申し上げたいことは、千年以上にわたって元号が一貫してわが国において定められてきた。  で、それはもちろん天皇が定めるということがずっとあったわけでございますが、同時に、そのことが年を示す場合の紀年法の一つという、効用と申しますか、機能と申しますか、そのような面を一貫してやはり持ってきたということがあるわけでございます。ですから、何と申しますか、元号が支配の道具というような意味のお話のように承ったわけでございますけれども、その点は前にも一度衆議院の方で御議論がございましたか、元号そのものの古代中国において発生いたしましたときの政治的な意味づけと申しますか、思想的な受けとめ方と申しますか、そのような点におきましては学者の研究等におきましても、時を支配するというような性格を意味づけていたというふうな説も承知をいたしておるわけでございますけれども、わが国におきましては、むしろそのようなものができ上がった後におきまして、階、唐の時代におきまして一つ制度として移入されてきたというのがわが国において入ってきた歴史でもあったと思うわけでございますが、そのような入ってきたときからの状態、それからその後の変遷というものを考えてみるわけでございますけれども慣習と申しますか、いわば確立された慣行という形で天皇が定めてきて、それが年の表示方法、十干十二支と並ぶところの年の表示方法ということでだんだんに広く使われるようになってきた。そのようなのが元号の歴史であった。このように受けとめておるわけでございます。
  93. 村田秀三

    村田秀三君 それらの点についてはまだいろいろと申し上げたいことがあるわけでありますが、先に進みます。  戦後これまでの間、政府元号問題についての姿勢といいますか、これまでの答弁の中でも折々触れられておりました。何回質問いたしましてもそれに尽きるのではないかと私は思いますけれども、具体的にひとつお話を伺ってみたいと思います。審議室長で結構でございますが、これまで政府が調査をいたしました元号問題についての世論調査ですね、いつといつ、そして内容、これについて実は一覧表にしてほしいもんだということを言っておりましたが、私のところには来ておりません。まあいろいろな資料に出ておりますから私も承知はいたしておりますけれども、この際きちんとひとつ発表をしていただきたいと、こう思います。
  94. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 失礼を申し上げました。ただいまお手元に一部お届けいたしますのでごらんいただければ幸いと思いますか、その表でございますように、政府といたしましては総理府の広報室を通じまして過去四回世論調査をいたしてございます。昭和三十六年、四十九年、五十一年それから五十二年でございます。  で、四回の調査は、質問事項といたしましてはいずれも同じでございまして、第一には「元号の使用状況」を聞いております。それから第二に「元号制度存続についての賛否」を聞いております。それからその後では存続に賛成の人に対しては「存続に賛成の理由」を聞いておりますし、それから存続に反対の人に対しましては「存続に反対の理由」を聞いております。その後の方の理由は、相手の任意の回答によるという形でございますので複数の回答が寄せられているということから、まあその表にありますように少し一〇〇%の、百分比の計算が違ってまいりますけれども、まず第一の「使用状況」、これにつきましてはごらんのように各回を通じまして「主に元号」を使っているというのが八〇%以上九〇%近くになっておりますし、「主に西暦」を使っているというのが三%ないし四%、それから半々であるというのが七%ないし一一%というような結果になっております。  それから、存続についての賛否でございますか、これにつきましては「あった方がよい」という回答と、「どちらかといえばあった方がよい」という二番目の回答を合わせますと、昭和三十六年のときはこれが合計で五九%程度でございましたが、あとの三回は大体八〇%あるいは七九%というような回答になっております。  それから、それと違いまして、「どちらかといえば廃止した方がよい」というのと、「廃止した方がよい」というのとは合わせますと、これは各回を通じまして五%ないし六%ということになっております。以上が存続の賛否についてでございまして、そのそれぞれの理由については省略をさせていただきます。
  95. 村田秀三

    村田秀三君 この元号の使用状況、ここをはっきりいたしていましたか、これは年号ではなかったわけですか。
  96. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 失礼いたしました。  調査したときの用語は「年号」ということで四回ともいたしております。これは私の手控えということでつくってあったものでございますので、その点をお断わり申し上げないでお届けしたのは大変失礼を申し上げましたのでお許しをいただきたいと思います。
  97. 村田秀三

    村田秀三君 年号で調査したものを元号に、これここを改めてあるのはどういう意味ですか。
  98. 清水汪

    政府委員(清水汪君) まず第一に、正式にお出しをしろという要求の場合であればもちろん調査そのものをお出しすることで従来もそういうふうにお出しをいたしたことがございますので、いまこの資料自体につきましての表現は御了承いただきたいと思いますが、さてそこで調査自体は「年号」ということで従前やってまいりました。今回法案を作成するにつきまして「元号」という言葉の方を使ったわけでございますが、この点につきましてはいろいろ考えた結果そうなったわけでございますが、考えたと申しますのはこの年号という言葉と元号という言葉とは現在わが国においては正式の、つまり字引のようなものの解説によりますれば、全く同義というふうに解説をしておるのが多数だと思いますが、ただ一般的には、これは何となく――と申しましては少し言い方が適当でないかもしれませんが、何か年号というともう少し元号もその一つとして含めましても、もっとほかのいろいろなものがまとめて一つの年号ということになるようにおっしゃる場合もあるようでございます。  しかし、それは字引の用語の定義等からしますと少し当たらないだろうと思っております。つまりそういう意味で誓うならば、これは紀年法という言葉に該当するんだろうと思います。で、そういうこともひとつございますけれども、それよりもより言葉としてこの方が適当だと思いましたのは、元号と申しますのは結局のところある時期におきまして、その時を一つの新しいスタートというふうに決めまして、そこから後の年を一年、二年と数えていくということでございます。したかいまして、その初めにおいてそこからの呼び名としては、たとえば大正にするとか、たとえば昭和にするということで、その呼び名ということになるわけでございます。明治とか大正とか昭和というのはそのときの呼び名でございまして、その呼び名のもとに次に一年、二年、三年というのは継続していくと、このようなことに実際になるわけでございますので、元というのはものの初めという意味であるわけですので、結局のところ元号というふうに呼ぶ方がより適当であろうというふうに判断をいたしまして、元号という言葉の方で法案お願いをしたと、こういうことでございます。
  99. 村田秀三

    村田秀三君 どうも正確な資料でなくてまことに……。  年と元は同じだというようないま説明しましたですが、私も後で少し議論したいと思っておりました。  衆議院内閣委員会で八百板議員がこの問題についてかなり博識ある議論をなさっておったのを私も見ました。その議論を見る前に、実は私は年号と元号というのは違うんじゃないかと、こう思っていたものですから、あの議論かなり興味深く読んだんです。何とはなしに使っている分については、元号と言ってみたり年号と言ってみたりということはあろうかと思うんですが、しかし厳密な意味で言えばこれはかなり違うと思うんですね。純粋な意味における文字の解釈とかということになれば、いまも審議室長お話をしておったようでありますが、元は初めですからね、もとという意味ですよ。だから紀年法があって、元号法なんというんじゃなくて、本当は日本における紀年法と、こうやれば一番これは理解つくと思うんですけれども、そういうふうに修正する気があればやってもらってこれ結構なんでありますが、それはそれとして、つまりことしは最初の年にするぞと、これが元ですよね、元旦とか元日とか、物事の初め。二年目以降はこれは二年、三年、四年と、こうなるわけですね。これが三年でしょう、三年に便宜を与えるためにつまりはその年をどう呼ぼうかと、太郎と呼ぼうか次郎と呼ぶか、その名前がいわゆる号だと思うんですね。だから号というのはやはりつまり村田秀三秀峰と号すと、その号ですよ。まあ秀峰ってこれ思いつきで言ったわけでありまして、そういう別名を持っているわけでは決してございませんけれども、だからその方か正しい。こだわることないんですよ。正しいものは正しいと言わなければ私はいけないと思うんです。だから、これは表題は、日本国における紀年法案、こうやって、中身の議論はこれからやりましょうと、こういうことになるわけでありますが。そこはどうなんですか、やはりこの元にこだわっているのは何かあるんじゃないかというのでこちらも元にこだわるんです。それはどうですか。
  100. 清水汪

    政府委員(清水汪君) こだわっているつもりは全くないわけでございまして、先ほども申し上げましたように、ある時期におきまして呼び名が変わるわけでございますが、そのときがもとになりまして、そのもとに当たりまして名づけるわけでございます。そうしてあとはそれに一年、二年と続いていくと、こういう現象でございますので、元号という呼び方の方がよりふさわしいというふうに判断をしていると、こういうことでございまして、それ以上の特別の意図というようなものは何ら持っておりませんことを申し上げさしていただきたいと思います。
  101. 村田秀三

    村田秀三君 まあ他意がないとか何か言うけれども、厳密に言ったらこれは私が言うのが正しいと思います。そしてその元にこだわるから私もこだわるんですが、別な機会にひとつ議論しようと、こう思ったのでありますが、この際ですから、話が出ましたから申し上げますけれども、先ほど、つまり元号というのは時の治世を示すものだと、こういう言い方をしましたが、確かに中国における元号の歴史を見ましても、みずから治世を天下に示すために、みずからの施政権がどの程度の地域にまで影響を与えるかということを示すために、そしてまた空間を支配するというそういう、そのとき空間を支配するなどという思想があったかどうかはわかりませんけれども、現実の問題としてはあったと思うんですね。  これは神話に属しますけれども、とにかく天孫降臨のお話いたしましょうか、私の言うことが間違いであればでありますが、とにかく三神を遣わしたということになっている。天照大神、月読尊、それから素戔鳴尊これに類する伝説は朝鮮半島の北部の方にもあるそうでありますけれども、とにかくその月読尊――まあ天照大神は天上を見るんだと、見るという意味は支配するかどうか知りません。地上のことをつかさどる。月読尊はよみの国をつかさどるんだと、こういうような言い方もありますけれども、月を読むということはお月様を見るということだと思うんですね。お月様を見るということは、これはつまり太陰暦の発想だろうと思うんですが、お月様が回転をするその回数を数えたり、あるいはこの時期には何時ごろお月様はあそこへ出るということを調べてみたり、それを記録したり、それを覚えて次に進んでいったりと、こういうことだと言う人もいますね。まあ月読尊というのは、余り一般的に言われてないと言いますけれども、田舎に行きまするというと、路傍に碑があります、月読尊をお祭りをしている。それはやはり農業に関係するということだと思うんですよね。農業に関係するからいわゆる月読尊をお祭りをして、そうして、つまり農業の無事を祈ったと、こういうふうに理解できるのではないかと思いますが、これは八百板先生のお考え方と同じであります。月読尊という碑が路傍にあることは私承知いたしております、現実のものとして。つまりは統治する、しろしめす、これはどっちでもいいのでありますけれども、統治をするときには、つまり暦、これを持っていかなければやはり統治できなかったという、統治できなかったというよりもそういう知識を持っていって、そうしてわからない人にそれを教えて、そして農業が毎年順調に流れていくということを教えたから、これはありがたいと思って、そのときの人々が月読尊の碑を建てたんだと、こういう理解もできなくはなかろうと思うんですね。  だからつまりは、この算年であるとか、あるいは天象、地象そういうものを見るのかやはり統治者の一つの仕事であったと思うんですね。権限であったというと何でしょうから仕事であった、仕事が順調に進んでいるから人々は尊敬した。原始的な支配と被支配の関係というものはそんなところから私は生まれたんじゃないかと、こうは理解はいたしますけれども、だとすると、やはりこの暦をつかさどる、空間を支配する、これは現実の問題としてそのときの統治者、支配者、権力者がつかさどったというふうにこれ理解しなくてはならない。だとすると、つまり元を建てるという言い方は、つまりは自分の支配を天下に宣言するという、そういう理解をせざるを得ない。でありますから、元を建てるということの元と、年号の年というのは文字の解釈からしても違うし、その発生の思想も根本的に違う、こう私は理解をいたしております。と思えばいいんです。  そこで、明治に入りまして一世一元つまりその思想を明治の政治体制の中に取り入れたと、言わざるを得ないと思うのですね。何といいましょうか、私の先祖が中御門天皇を全く無視して、天下に公方様ほど偉い人はいないと、こう思った。そういう事実がある限り、つまり王政復古、政治の大権を天皇家に戻すんだとするならば、まあいままではこれどうやらそこのところ抜かっておった、むしろ一世一元として天皇の力というものを全国民にこれは認識させねばならぬ、こういう意味で私は一世一元という制度をそこで確立したんじゃないかと、こう思っていますね。そしてつまり万世一系の天皇、これは神であるから神の言うことは皆さんよく聞きなさい。これをひとつ皇室の任に当たる人たちが利用した。軍部がばっこして、天皇陛下の意思もわからずに独断行動を起こした。そこにつまり昭和の悲劇があったとするならば、私はこの政治体制について、われわれは再びこの政治体制をつくってはならないという決意を持つべきであろう。  でありますから、元号と年号というものはそれほどの政治の認識の違い、思想の違いが存在すると、こう私は理解せざるを得ない。そういう立場に立って私は物を申し上げておるわけでありまして、これは何回質問いたしましても同じ答弁きり返ってこないと思いますから、それはそれでよろしゅうございますが、そういう認識があるからえらく反対運動をしておる方々の、規模はともかくといたしまして、その根強さがあるんだということを理解しないわけにはいかぬと、こう私は思いますよ。まあそういうことであります。  確かに調査のこれ結果拝見をいたしました。いよいよ元号法案国会提出をされました時期にはおとりになっておらないと思います。これは毎日新聞でありますか、三月十七日から二十日までにかけてとりました調査の状況であります。これを見ますと、これは元号という文字を使っておりますけれども、今後の元号について、法制化して存続、これが二一%、内閣告示でというのが一一%、現在のような慣習でというのが四六%、皇室の私的なものとして一一%、廃止が五%ございますけれども、六七%が法制化を反対していると理解するわけですね。いままで政府答弁を聞いてますと、まあ国民が望むからということでありますね。でありますから、法制化を急がないとという答弁を、ずっと聞いておりますと終始しております。世論にかずけている、悪い言い方で言うならば。それほど世論を尊重するならば、この現実の問題として法文をそろえて提案をされた、その時期にとりましたこの毎日新聞の世論の方の信憑性を高く私は評価をするわけです。これ、一遍とり直してみる気はありませんか。
  102. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その問題でございますが、ただいま御指摘世論調査でございます。これにつきまして、先般も野田先生からも御質疑をいただいたわけでございますが、繰り返しになりますが、もう一度申し上げさせていただきますと、この新聞社の世論調査におきましても、あなたはふだん何を使っているかというのがまずあります。それから昭和の後の元号があった方がいいかどうかというようなことも聞いておるわけでございますが、今度はその方法について聞いておるわけでございます。その方法についての聞き方が、法制化して存続させるという選択肢、これに二一%の回答がございます。それから法律によってではなく、内閣告示で続ける程度でよいというのが一一%でございます。それから法律内閣告示では定めず現在のように慣習として使っていく、これが四四%ということでございます。そこで、一番目の法制化して存続させるというのは二一%ですが、その次の内閣告示でもいいというのと慣習でもいいというのが一一%と四四%でございますから、合わせて五五%ということで、これが一番中心的な多数を占めています。その次は皇室の私的なものとして残すというのが一一%、それから廃止するというのが五%、こういうふうになっておりますが、この点につきましてはこういうふうに考えているわけでございます。  つまり、この御回答を寄せられました方々は、存続ということにつきましては大多数の方がその存続希望するということをまずお答えになっておるわけでございます。それからいまのこの設問におきましても存続方法について答えておるわけでございますが、この方法として、慣習として使っていけばよいではないかというのは、実はちょっと実際的には困るわけでございまして、つまり昭和という元号は現在ございますから、事実たる慣習としてそれが使用されていて、そこに何らの不便はないわけでございますけれども、さて問題は昭和の次をどうするかということがこの調査の大前提であるわけですが、そうなりますと、昭和が終わりになったときに次の元号をどうするかという点については、現在のところまさに慣習の中にはそのルールがないわけでございます。ないということは、つまり新しいものを存続希望しつつもそれが生まれてこないということになるわけでございますので、この点存続願望に沿い得ないことになるわけでございます。  それからもう一つは、この調査では内閣告示でよいではないかというところに答えが丸がついておるわけでございますが、この点につきましてはけさほども一度御議論に出たかと思いますけれども、やはり元号というような大事なものにつきましては、国権の最高機関である国会でお決めいただく法律の形で政府に授権をしていただいて、具体的な名称は政府が決めさせていただくということの方が、そういう根拠なしに、あるいはそういう断りなしに政府が自分の独自の判断でスパッと決めて、それを告示をすれば事が済むという発想よりは、きわめて憲法の民主的な精神にも合致していると、こういうふうに考えるわけでございまして、この点はいずれにしても法律で授権をいただくか、あるいは内閣独自でやるかという選択の問題でございますから、政府といたしましては、法案の形で御提案を申し上げて、国会の御判断を仰いでいる、こういうことになるわけでございます。  以上のような考え方になりますので、この世論調査につきましては、私どもとしては非常に国民が広く関心を持っていただいているということをまず承知をいたしますとともに、その存続についての方法については、これはやはり政府としても責任を持って対処せざるを得ないと、こういうふうに考えてきたわけでございますので、御理解を賜りたいと思います。
  103. 村田秀三

    村田秀三君 この慣習というやつですね、私も年賀状に昭和って書いています。それきり使うわけにはいかないとは言わないけれども、これは社会全般、行政機構全般、昭和で通っているわけでありますから、それはもう血肉になっていると理解した方がいいと思いますね。まあそういう時期に今度は元号法をつくるんだなどというような動きや、あるいはその意味などというものが議論されない、そういう時期にスパッとこうやりましたら、なるほどいまあるんだから、このまま続けていっていいんじゃないかと。これが、天皇が逝去されたならば、直ちに別な年号ができるんだぞということを念頭に置かないで、聞かれたままに書いたかもしれないですね。そういうのを国民の要望だ、願望だとばかり言っているわけにはまいらぬじゃないかと、こう私は思います。そしていろいろと議論されてくるようになった。元号をどう考えるかなどというような本も書店に出回ってきたという中で、関心のある人は読んでみた。うん、なるほどなと、こういろいろと過去のことも考え、これからのことを考えたならば、多少これ変化をしてくるということでありまして、いまは国民はかなり迷っている時期だろうと思うんです、目の前に法律がいまできかかっておろうという時期にですね。  でありますから、まあ三月段階でアンケートをとりますと、これは一社の話でありますから、ただ一社だから信憑性がないというかどうか知りませんけれども、とにかく先ほど申し上げましたような数字になってくるわけです。そしてなぜそんなに急ぐんだろう、もうちょっと国民議論させろと、こういう意見にいまはなっているんじゃないかと思うんですね。まあこれ、ちょっと批判されています、私どもの党も。新聞なんか見ますと、政党支持別でとってみますと、もっと時間をかけるべきであるというのが、自民党さんでは五一%、社会党は五九%、民社党は五九%、新自由クラブが五二%、公明党さんは四七%。もっと時間をかけろというのが、これはかなり重要な位置を占めている、こう思うわけです。  どうですか、もう少し時間をかけてひとつ議論をさせる、こういうような考えには至りませんか、これはもう憲法に付属するところの法典ですから、象徴天皇とかかわる問題ですから、もっとやっぱり国民議論して、そして理解と納得のあるところで実施するというのか私は本来の筋じゃないかと、こう思いますけれども、再度ひとつお願いします。
  104. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) いま村田委員の御指摘のような御意見のあることも承知をいたしておりますが、そこで、私どもこの国会において相当な時間をかけ、また真剣な国会における審議お願いを申し上げておるという事態であろうと思うのでございます。数的にどうだから強行採決するなんというようなものは、これはしてならない。そういう私は党側にも慎重審議お願いをしておりますのも、いま村田先生の御指摘の点を踏まえての処置であるわけでございます。どうかひとつ慎重御審議を願って、できるだけ速やかに御議了願うことを心からお願いを申し上げるところでございます。
  105. 村田秀三

    村田秀三君 次に、公式制度連絡調査会議というのが、昭和三十六年の七月に閣議決定をして設置をされておる。こう聞いております。その設置目的、機構、それからその活動の状況をお伺いをいたします。
  106. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 公式制度連絡調査会議の問題でございますが、設置されましたのは昭和三十六年七月二十八日の閣議決定に基づいて設けられました。これは構成といたしましては総理府総務長官を長といたしまして、あとは総理府でいえば副長官及び私審議室長でございますが、そのほかは関係しております内閣法制局あるいは外務省、大蔵省、文部省、宮内庁というところの局長クラスによって構成をいたしております。  この設置のときの趣旨といたしましては、新憲法のもとにおいてまだ制度化、または法制化されていない元号その他の事項について調査、審議するため、公式制度連絡調査会議を随時開催するものとすると、このように趣旨がうたわれております。  これが、その後の開催の状況と、それから主要な議事の内容ということでございますが、設置当初の昭和三十六年七月から後昭和四十年ごろまでにかけましては、かなり活発に会議も行い、各種の問題について検討をいたしました。その後はやや中だるみになりまして、最近におきましては昭和五十年以降において、これは主として元号の問題について再び議論を活発にいたしておるわけでございます。  その間におきまして実を結んだ幾つかの例を申し上げますと、まず第一には、国事行為の委任に関する問題というのがございます。これはこの調査会の結果に基づきまして、法案国会お願いをし、昭和三十九年五月に国事行為の臨時代行に関する法律制定していただいております。  それからもう一つは、国賓の接遇の基準等について審議をいたしまして、この審議結果に基づきまして、昭和三十九年六月三十日に国賓等の待遇についてということが閣議決定をされております。これが今日に至りまする国賓の接遇の基準の基礎になっているわけでございます。  それから、たとえば国葬という問題も議論をいたしましたが、これにつきましては特に一般制度というような基準は今日までのところつくられておりませんが、そのような議論を背景といたしました中で、たまたま故吉田茂氏の葬儀に際しましては、昭和四十二年十月二十三日の閣議決定によりまして国葬という例で行ったということでございます。  それから国旗とか国歌につきましては議論をいたしまして、結論といたしましては長年の慣行によりまして日の丸が国旗であり、君が代が国歌であるとの認識は広く国民の間に定着していると考えられるというふうな認識に到達しておりまして、したがってこの問題については、以後は世論の推移等を見守るということにいたしまして、格別の議論はいたしておりません。  そのほかでは「ニッポン」とか「ニホン」という国号の問題についても検討いたしましたが、これはどちらでもよいのではないか。強いて一方に統一をする必要はないというような認識になっております。  で、肝心の元号につきましてはどういうことになったかと申しますと、当初のころ議論を始めまして、その後途中ではやや活発には議論されておりませんが、最近、昭和五十年の夏ごろから再び議論をやりまして、正式の総会という形のものは余り多くございませんが、非公式の懇談会とか少人数の懇談会というような形で会合を重ねてまいりました。そうして昨年の七月の時点におきましては、自由民主党の方で党議決定ということがあったわけでございますし、十月十七日におきましては、当時の内閣におきまして閣議の場で、これは次期通常国会において提案をするというような方針を基本的に内定をしたというようなことがございました。そのような経過と並行いたしまして、今回お願いしておりますような形の法案をつくるに至ったと、こういう経過でございます。
  107. 村田秀三

    村田秀三君 いろいろ言われましたが、元号問題についてはもう一度ひとつお伺いいたします。
  108. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 公式制度連絡調査会議として記録に残っております議論ということで御紹介申し上げますと、昭和三十六年の八月に議論をしております。これは七月にスタートしましてから最初の議論でございます。その後は余り記録の上で見ますと、活発な議論はなかったように思いますが、昭和五十年七月以降におきまして、再び活発な議論が行われているということでございます。
  109. 村田秀三

    村田秀三君 結論。
  110. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 結論といたしましては、一番最後には、ことしの一月三十日に総会を開きまして、今回の法案を閣議決定するこれは直前でございますけれども、総会で今回の法案というものを審議をしているわけでございます。
  111. 村田秀三

    村田秀三君 今回の法案といいますと、いま出されておるような形の方がよろしいという、そういう意見に統一をされて、それが連絡会議の総会において確認されておると、こういう理解ですか。
  112. 清水汪

    政府委員(清水汪君) さようでございます。
  113. 村田秀三

    村田秀三君 その際、先ほど構成――それには宮内庁からも入っているんじゃないかと思いますけれども、そこのところを少しお伺いいたします。正式なメンバーなのか、あるいは参考のためにその都度来ていただいておるということなのか。
  114. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 連絡調査会議の正式のメンバーとして宮内庁の次長に入っていただいております。これは、このことが元号のために特にそうであったのか、あるいはそれとは関係なくそうであったのかということは、必ずしも記録上はっきりしているわけではございません。ただ、公式制度ということでございますので、元号には限らないいろいろ広い範囲の問題ということが当然予想されたということで、メンバーの選択のときに一つ考えられたのではないかということがございます。その証拠には、たとえば一番最初に国事行為の代行というような問題を議論しておるわけでございますが、またそれだけでなくて、元号の問題を検討いたしますにいたしましても、過去の沿革とか歴史とか蓄積された資料というようなものはやはり宮内庁に御協力をいただきませんと事実がよくわからないというようなことに当然相なるわけでございますので、そのような配慮であったものと思うわけでございます。
  115. 村田秀三

    村田秀三君 宮内庁の方にお伺いいたしますが、以前はこれ皇室典範で明示をされておった。明治憲法下の、これは付属典範ではないわけでありますが、言ってみれば皇室の独断、一つの指示と理解してもよかったと思うのですね。それを今度は法律で決めるということでありますから、かなり、何といいましょうか、抵抗なり疑義があるとか、そういうことでは宮内庁として意見を取りまとめてこの懇談会、連絡会議の中に意見を開陳したと、こういうような経過というのはなかったわけでありますか。もしもありましたら、その内容等についてお伺いいたします。
  116. 山本悟

    政府委員(山本悟君) 元号の問題でございますが、これは明治憲法下におきましては、いま御指摘のございましたように、皇室典範に根拠を置きましてあったわけでございますけれども、しかしその際でも、明治憲法下の時代におきましても、これは政務といたしまして内閣が案をつくりその系統から上がっていくというようなものでございました。いわゆる宮内省、当時言います宮務を扱っております宮内省というものが扱うかっこうでなく、政務として扱ってきたわけでございます。そうして日本国憲法になりました際に御案内のとおり国事行為としての元号制定ということはなくなったわけでございますので、そういう点から申し上げまして、両者考え合わせてまいりましても、今回元号をどう決めるか、紀年法としてどう決めるかという御議論が起こりました際にも、あくまでこれは政務でありまして皇室と直接関係をすべきものでない、こういう考え方を基礎にいたしておりまして、したがいまして、そういう意味から申し上げましても、宮内庁側が積極的にこの問題についてどうこうすべきであるというような御意見を表明したということは、私ども引き継ぎといたしましても聞いていないところでございまして、私短うございますが、最近の元号論議の場合に公式制度連絡会議におきましても特段の意見の表明はいたしていないところでございます。
  117. 村田秀三

    村田秀三君 意見に属するのでありますけれども、どうも重大な問題、世論の動向、世論の動向ということで、これに何かしら藉口をして事を運ぼうとするというふうに聞こえて仕方ないのでありますが、私の考えとしては、先ほども若干触れましたけれども、とにかくよく理解をさせて納得させてと。言ってみればこれは憲法に付属する法律でありますから、そして将来の国民を束縛するわけでありますから、慎重な上にも慎重をというのが私のこれは一貫した考えです。どうもアンケートと言いますけれども、これに記入なさった方がまさか甘い物好きか辛い物好きかなどというような気持ちで書いたのじゃなかろうとは思いますけれども、どうもそういうやっぱり傾向にとられて仕方ないですね、これまでの経過をずうっと見てまいりますと。私は、こういう問題は、つまり仙台がいいか東京がいいかなどというような認識の掌握じゃなくて、もっと厳密な意味でこれは慎重にしなくちゃならぬ。そうしてアンケートに頼って事を運ぶという態度は――これをまあ参考にしていると言えばそれまでの話であります。とってみる必要がないとは私は申し上げませんけれども、その考え方自体どうも理解できない側面を持って、おるわけです。  と申しますのは、これまたこの間の野田委員質問関係するわけでありますが、私の記憶、会議録も見たつもりでありますけれども間違っていたら御訂正いただいても結構でございますが、女帝に関する質問がございました。憲法には男女差をなくせとこう言っている、男女平等だということですね。しかし、法律で定めた皇室典範にもこれは女帝ということが載っておらない。女帝であってもいいのじゃないかというそういう野田委員質問であったと思いますが、それに対して三原長官は、それは将来「国民の英知あるいは国民の心情というようなものによってそうしたものは打ち立てられていくであろうと思いますので、いま皇室典範制定当時の考え方を固定して考えていく必要はないのではないかと、これ全く私の個人的な意見でございますけれども、そういう受けとめ方でおるわけでございます。」、こう言うのであります。間違っておれば訂正願いたいと思いますか、それでアンケートと私は結びつけて考えてしまうわけです。まあ、女帝の歴史もあるじゃないか、イギリスはエリザベス女王じゃないか、サッチャー首相もできたことだしと、こういうことで、国民が女性の天皇がいいというようなことに願望したらば女帝にしてもいいのだという言い方にこれ聞こえるわけです。そういう理解の仕方していていいわけですか。憲法に付属する法律であります。
  118. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、もちろん現在におきましては皇室典範に男系の皇孫ということが明記してあるわけでございます。その点について私はこれを無視しておりますということじゃございません。ただ、野田委員の御質問が、今日の一般情勢、特に男女同権の現在時点において君はどう思うかということでございましたので、私は、その法制化された当時はこうしたことをお決めいただきましたと、それはこれを守っていかねばならぬと思いまするか、あえて個人の意見を将来にわたってと言われましたので、国民の英知と良識というようなものかまたそういう点については解決をしていただくものではなかろうかということを申し上げたのでございます。言いかえますならば、不謹慎な私の言葉であったかとも後では反省をいたしておりますけれども、しかし将来に向かってはそうした点は国民の英知と良識が解決をしてくれるものだと私は考えておりますということを申し上げたものでございます。
  119. 村田秀三

    村田秀三君 魚釣島みたいな話でありますが。これもむずかしい問題だと思います。むずかしい問題だとは私思いますが、確かに憲法に基づく付属、これは法律、まあ法典でありますか、そう軽々に扱われては困るという、そういう気持ちも私にはあるわけです。というのは、それがいいとか悪いとかということではなしに、この憲法はもっと大事にしなくちゃならぬし、尊重もしていかなければならぬしというそういう観念を前提にするならば、国民の動向がそうでありますからこれ変えますというようなことを安易に考えていいのであろうかという、そういう考えがあるものですから私はこのことをお伺いしたわけでありますが、そこで法制局長官にお伺いたしますが、改憲の問題であります、憲法改正。  これも世論調査でやられたんじゃ困ると思うんです、はっきり言って。というので私はお伺いをするんでありますが、憲法第九十七条、最高の法規でありますね、そして第九十九条では「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と、これは私がいま読み上げなくてもおわかりのとおり。九十七条は憲法改正の手続と、こういうことでその他記載をされておるわけでありますが、これ率直に私考えておるわけでありますけれども憲法改正の手続国会が発議すると、こういうことになっております。国会というのは御存じのごとく国会議員であります。政府を構成するのは国会議員が過半数以上なくてはならぬということであります。総理大臣国会議員でなければならぬということになっておりますね。そうして国会議員には憲法擁護の義務をきちんと縛ってあるわけです。だから、憲法を改正しようと言ったら憲法を擁護することにならないわけでありますから、これは国会国会議員が憲法改正を発議すること自体が九十七条違反になってくるんじゃないかという、これ素朴な考えですよ、その点はどうでしょうか。
  120. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ちょっと御注意申し上げますが、憲法改正の手続は九十六条でございます。それから憲法擁護の義務は九十九条でございます。  で、この二つの条文の関係は従来もしばしば国会で御論議の対象になったことでございますが、憲法自身が九十六条で憲法改正の手続を決めているわけですから、しかもそれは国会が発議するわけですから、国会議員の方が憲法改正の必要がありとしてその発議をされ、あるいはその準備として検討研究をされることはこれはもう当然許されることで、そのこととそれから憲法改正が現実に実現するまではその現在の憲法を遵守しなければならないということは、これは別個の問題でございまして、決して矛盾するものではないというふうに考えるわけでございます。
  121. 村田秀三

    村田秀三君 まあいいです。それはそれだけにしておきます。私がそう申し上げましたのは、この憲法の思想というのは永久に守らなければならぬと、こういう立場に立つならば、いろいろといま改憲運動なんかもごく部分的には起きておるようでありますけれども世論世論と言ってこんなことを軽々と持ち出されたんでは困るという、そういう配慮から、まあいろいろといま説明聞きましたが、とにかく私の素朴な法解釈ではこれはできないんじゃないか。憲法というものは、この考え方と行為というものは将来永久に存続をすることか人類不変の願いに通ずるんだと、こういう立場に立って大事にせよという意味でこれは先人はそう定めたんだろうと、こう理解しておるわけでありますから、とにかく九十六条と九十九条をそのまま素直に解釈すれば、なるほど九十六条には後段の方にそれは法律をつくるとか国民投票をするとかということはかかっておりながらも、なおかつ改憲を発議すること自体がこれは憲法守護義務に、あえて守護と私は申し上げますが、義務に反するんじゃないかという素朴な解釈ですね、これでも妥当じゃないかと、こう思ったものですから申し上げたわけです。
  122. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 憲法遵守義務とそれから憲法の改正の手続をとるということとは、これは先ほど申しましたように全然別でございまして、いかにその憲法改正の手続をとっても現実に憲法改正が行われるまでの間は遵守義務がかぶっておると、これはもう当然なんです。で、御質問の趣旨は、私の理解ではこの憲法の各条章のうちでも改正できないという、その憲法改正の限界というものがあるんじゃないんだろうかと、その限界は一体どの範囲かという御疑問だろうと思うんです。これは憲法学者の間でもいろいろやっぱり御意見かございまして、たとえば主権在民の原則とかそれから基本的人権、これもしかし一口に基本的人権と言いましても幅広うございますから、もう全然基本的人権の各条章、一指も加えられないというものでもございませんが、現在の憲法国民に保障している基本的人権の思想を抹殺してしまうような改正はこれはできないんじゃないかとか、あるいは国際平和協調主義はこれは改正できないんじゃないかとか、その範囲についてはいろいろな説がございます。いまここでじゃその条文の一つ一つを挙げてどれが改正の対象になり得るか、どれが憲法改正の限界の外であるかということをここで一々言えとおっしゃってもこれはなかなかむずかしい問題で、いまここで申し上げるほどの自信はございませんが、おっしゃる気持ちは恐らくその憲法改正の限界のことだろうとは思うんです。その憲法改正の限界の、つまり憲法改正の手続をとることをこの憲法自身かこれは永遠に、永久にやはり引き続き将来にわたって存続すべきであるというふうに言っている個所については、これは憲法改正の手続をとってもできないというふうに実は理論上は考えられるわけですか、具体的にどの範囲かということは、先ほど申しましたようにいまこの場で条文を挙げて一々申し上げることは御勘弁願いたいと思います。
  123. 村田秀三

    村田秀三君 まあとにかくいまその議論をすることは主たる目的で私申し上げているわけじゃありませんから、少し異論もございますが、しかしこの憲法に流れておる思想ですね、恒久平和であるとか、あるいは基本的人権であるとか、人類普遍の原理と認められる諸問題については、これはとにかく何ですか、補則を改正するなんということは、これはまた別だと思うんです。そういうことがあってはならないという立場から、改正していいとは私は言っていませんよ、いまあるものを改正していいなどとは、言っておりませんけれども、そこだけはきちんとやっぱりしておかなくちゃならぬ、こう思うものですから、いまの長官答弁、別に了承するわけじゃもちろんございません。これはここではこれ以上続けることはやめておきます。  それからもう一つ、いままでの答弁を聞いておりますと、主権在民であって、主権の存する国民が求めて象徴としての天皇を置いたという、こういう理解ですね、これには間違いなかろうかと思うんです。その象徴である天皇関係を持たせて元号制定しても、これは憲法には矛盾しないんだという、そういう説明ずっとされておったように聞きますけれども、その点は間違いございませんか。
  124. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) 元号制度を設けることが憲法に違反するとはもちろん考えておりません。御質問は、この改元の時期を、皇位の継承があった場合に限るとしたことが問題だというふうにおっしゃるんだろうと思うんですが、それは現在の憲法が第一条で、主権の存する国民の総意に基づいて、天皇が日本国及び日本国民の統合の象徴であると厳粛に宣言しているわけですから、その象徴である天皇の皇位の継承の機会をとらえて改元をするということは、憲法違反とは考えておらないということでございます。
  125. 村田秀三

    村田秀三君 こういう解釈はできませんか。その論理のコースも一つあると思いますね。何となくわかったようなわからないような、これあると思うんですが、先ほど来言ってまいりましたが、つまりこの元号というのは、当時、その権力、これを象徴するものだという観念。新しい憲法になって、主権在民ということであれば、その権能というものは国民に存在するわけです。したがって、年号を冠するとするならば、国民の求めるものをつけなければこれは憲法解釈上論理が合わない、こういうふうに私は理解するわけです。その点はどうですか。
  126. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) おっしゃるような考えが実は私たちにもございまして、そこで改元なりあるいは元号を定めるルールとしては、内閣告示でやるんじゃなくて、主権の存する国民を代表する国会で基本を決めていただいて、その御委任を受けて政令で決める、そういうのが一番民主的であると、そういうふうに考えるわけなんでございまして、象徴である天皇の名前を冠するというような考えでは実はないわけなんで、それはこの前も野田委員にたしかお答えしたと思うんですが、現に御在位中の天皇の名前というものとは実は関係がないので、その天皇が亡くなられたときの追号は、これは崩御になった後に即位された新天皇が追号をいかにお決めになるか、これは将来の問題なんで、現に御在位中の間にどういう元号を用いるかということは、それは追号とは実は結びつきがないわけなんで、それはこの法律に基づく御委任によって政令で決めていくと、こういう考えでございます。
  127. 村田秀三

    村田秀三君 先ほど来いろいろと議論いたしまして、総務長官と私の感覚は一緒なようであります。昭和を使ってみたり、そして西暦に直すのに苦労してみたりしているわけでありますが、これは西暦というものが仮になかった場合、通算して何年目だというのはどうやってこれ、はかったかなという実は考えを持っているわけです。二千六百数十年続いた皇紀があるじゃないかなどというような言い方もあるかもしれません。皇紀そのものが二千六百数十年がまさしく正しいものであるかどうかは別にして、本当に国家が形成されたそれを記念してと、こういうことが事実であるとすれば、むしろそのときからずっと通算しておった方が子孫は何ほど助かったかわからないと思うんですよ。だから、別に皇紀を使いなさいと、こう言っているわけじゃありません。とにかく昭和と大正、明治、慶応。昔の小学生は神武以降今上陛下まで暗記させられました、天皇の名前を。全部これ通算すると、なかなか容易じゃない。だから、つまり算年なんですから、もう一つの物差しですよね。だとすれば、そういう方式をとった方が私はいいんじゃないかというふうに考える一人です。がしかし、いまお話ございましたように、主権在民、その国民が求めるものを年号として定める。国会で決めることはもちろんだと、こう思います。ところがこれ、内閣に全部委任しているんですね。大体憲法に付属する重要な法律、一切のことは白紙で内閣にお任せしますなんという法律は、大体法律の体をなしておりませんよ、言ってみれば。そこは私明確に反対をいたしておきますけれども、とにかく国民主権、そして国民の求める年号であるとするならば、そのときの国民の求める課題、これがあろうかと思うんですね。福祉元年というのはだれが言った言葉だったでしょうかね。あれは佐藤元総理だったと思いますが、田中角榮かな、そこまで私調べてこなかったんですが、いずれにいたしましても国民の願いがそこに集中しておる。その願いを政治として解決をするために一つ目標を持とうじゃないかと、これ戦争やりましょうなどというような目的では困りますけれども、とにかくそういうことであれば福祉元年、こう国会は決める。そしてその福祉の問題は国会が合意して解決しましたよと、今度どういう年号にしますかと、福祉三十八年、じゃ今度別にしましょうと、こういう構想ならば私はいささか理解できるような気もするのでありますけれども、これは天皇とは関係ない、なるほど確かにそのときは関係なく理論づけられますよ、言葉としては。しかし実際問題としては、皇位の継承があったときに新たに定めるというんですから、これいやおうなく追号は同じか別かにかかわらずついて回る。そうするとやはり天皇治下元年と、こういうことになってしまうわけであって、国民主権というのがどこかへ隠れてしまう、こういうような理解をするという立場に立てばその辺が問題だと、こう考えておるわけでありますが、そういう理解の仕方についてはどう思いますか。
  128. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 政府としてこの法案を御審議をいただきまして御成立をさしていただきました場合の考え方でございますが、これはまず一つは、条文そのものが大変簡明であるという御指摘もございましたわけですが、元号の名称、それからそれをいつからそうするというその二点だけをこの法律に基づいて御委任をいただきたいということを内容としているということでございますが、さてその元号のあり方の問題といいますか、受けとめ方といたしましては、これはただいまも先生のお言葉の中にございましたように、国民の立場から見て望ましい元号、望ましい名称というものを選ぶべきであるということは、これはもう論をまたないところだと私ども考えているわけでございます。そのために必要な学識経験者からいろいろの案をいただくとかいうようなことも手続としては考えておるわけでございまして、その辺の細かいことはあるいはまた御質疑があれば申し上げたいと思いますけれども、基本的な精神といたしましてはあくまでも国民の立場から見て望ましい元号ということで考えております。  それからなお、皇位の継承のあった場合において切りかえるということにつきましては、これは何と申しますか、元号というものにつきまして国民一般的に考えております認識といいますか、あるいはそのイメージ、そのようなものが、つまり明治、大正、昭和ときたその後も元号があった方がいいというような受けとめ方で把握をされておりますので、その辺のところを反映させるのが最も自然であると、このように考えているわけでございます。
  129. 村田秀三

    村田秀三君 なかなか理解できませんけれども、まあ次に移りますが、新憲法が施行されて旧皇室典範が廃止されて以降は、小学校でも元号という言葉を教えておらない。教科書検定基準の実施細目でも年号となっていると承知いたしております。この問題がいろいろと新聞等に出ますと、小学校の子供が、「ガンゴウ」とは何ですかお父さんと、こう言ったそうでありますが、これは「ゲンゴウ」だと一言言えば恐らく理解されると、こう思いますけれども、いずれにしろ、つまり年号と特に教えておったのはどういう理由だったのか、これは特にきょうは文部省は呼んでおりませんか、審議室長どう理解をいたしますか。
  130. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その点につきましては文部省の指導要領の中の用語でございますので、多少推測を交えたお答えになろうかと思いますので、その点はお許しをいただきたいわけでございますが、恐らく古く年号という言葉がむしろ広く使われていたというようなことがあったと思います。そのようなことの反映として、どちらかというと、そういう歴史の教科書等において年号というような表現の方が多かったのではないかというふうに私は推察をいたしておるわけでございまして、その辺の反映ではなかろうかというふうに思います。
  131. 村田秀三

    村田秀三君 戦前の検定基準なり教育要綱なりですかは次の機会に――片岡議員はその点の専門家でありますから、そういう問題は後日ゆっくりとひとつやってもらいたいと思いますけれども、いまのは詭弁ですよ、明らかに。元号と教えてはいけない事情があったから年号に全部私は改めたと思いますよ。これは先ほど元と年の違いについての議論をいたしましたが、やっぱりその当時の先輩の感じというのは、私が申し上げましたところの考え方ですね。だから恐らく元号という言葉を教えなかったし、年号を使っておったと、こう理解、私はいたします。これはいま、そんなふうな、従来も年号と言っていたんだなんという、それじゃ従来も慣行として年号と言っていたんなら、今度何も元号としないで年号法でいいんですよ。紀年法でいいんですよ。だからどうしてもやっぱりそこにひっかかりがあること、これは先ほど来議論しましたからこの際申し上げません。  そこで、総理府は本法案が決定されましたと同時に元号の使用基準をお出しになると聞いておりますが、その基準決定されたのかどうか、決定された基準というものはいかなるものか、これをひとつお出しいただきたい。いま答弁を願うと同時にそれを文書で後ほど出していただきたい、こう思います。
  132. 清水汪

    政府委員(清水汪君) ただいまの御質問が基準というふうなお言葉であったように伺ったわけでございますが、私どもの方から申し上げさしていただきますと、まず法案成立さしていただきましたならば、可及的速やかにと申し上げてよろしいかと思いますが、手続をはっきり決めたいというふうに思っております。つまり内容的には衆議院段階におきましても概略総務長官の構想ということでお話をしてございますけれども手続としては、まず第一歩は何名かの学識経験者に委嘱をするということを考えているわけでございます。そういうふうに委嘱をするというそういう手続、それから委嘱をされた方々から当然に複数で候補名が出てくるわけでございますが、その候補名をそれから後内閣政令を決定するに至りますまでの間幾つかの段階を踏みまして慎重に吟味をしてしぼっていくということが必要でございまして、そのような段階といたしましては、まず担当国務大臣であるところの総務長官がいただいたものを整理をしまして、そうして整理をした上で、これは構想として申し上げているわけですが、三長官会議というような言葉が適当かどうかはあれでございますが、内閣法制局長官、それから内閣宮居長官と、それにいまの総理府総務長官とのお三方その中から候補をしぼっていくということが必要であろう。数案にしぼるというようなことかそこで出てくるのではないかというふうに思うわけでございますか、そのように一応整理し、しぼりましたものにつきまして、やはり内閣で、閣議で決めるといいましても一遍でということはなかなかむずかしいだろうというふうにも思いますので、むしろ全閣僚による懇談会という形式、これは通常の場合でも必要に応じてとっていることがあるわけでございますか、そのような形で十分審議をしていただくと。  それからそのような手続といいますか、慎重な吟味を経た上、さらに今度は国会の衆参両院の議長及び副議長さんの御意見を、そのしぼりましたものについて御意見を伺うというようなことも段取りとしてやった方がよいのではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。で、そのように過程を経ました後に、正式に閣議においてこれは政令という形で決定をいたしまして公布すると、こういうことに手続としてはなるだろうということをいま基本的な構想として私ども考えておるわけでございます。このようなことを御審議の機会におきまして申し上げまして、それに対しましてはさらにまたいろいろの御意見もちょうだいいたしております。そのような御意見はさらに参考にさせていただきまして、最終的には法案成立いたしました後におきまして、先ほど申しましたように可及的に、早い時期に手続というものをきちっと決めまして、そしてその手続がこうであるということはやはり一般にわかるようにいたしたい。その方がよろしいと思っておりますが、そういうことを考えているわけでございます。  それからもう一つの基準ということは、恐らくそうした手続の中から選択されていくところの元号つまり名称そのものとしてどういう基準で選択といいますか、しぼることに臨むのかということにかかわってくる問題だろうと思いますけれども、その点につきましては、まず基本的にはこれは委嘱をしました学識経験者がまずどういうふうに案を御考案いただくかということが基本であると思います。それは申し上げなくても恐らく国民のためによいものということで御考案いただけるものと思いますけれども、そのような関係におきまして、私どもとしても当然考えを持つことは自然でございますが、そのような立場で考えてみますと、これは元号というものの性格と申しますか、あるいは性質と申しますか、そのようなことから言いまして、恐らく衆目の一致するところというような表現で私は申し上げているわけでございますが、それはやはり読みやすいとか、あるいは書きやすいとか、あるいは使いやすいとかいうようなことが当然に必要であろうと思いますし、それからやはり国民から見て望ましい理想的な意味を持っているようなそういう名称ということがさらに当然に望まれるところであろうと思います。  それからなお、これは当然のことですけれども、かつて元号とか年号とかというふうに使われたものであっては、これは年の表示でございまして紛らわしくなるという弊害がございますので、かつて使われたものでないというようなことであろうというふうに思うわけでございますが、これは特にそういうことを一つの紙に書いた基準というようなことで書くのもどうかと。それはいま申しましたような御考案いただく方々の中からまず出てくるし、当然そこにはそれについてのいろいろの御説明政府として伺って、そういう説明を踏まえて慎重に選別をしていく、こういうことになるのではなかろうかというふうに思うわけでございます。
  133. 村田秀三

    村田秀三君 そうやって定めました年号の使用基準ですね、その使用基準を決めたんじゃないかと、決めておらなければ決めておらないと、これで結構でございます。
  134. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 使用基準ということでございますが、私どもとしては、使用の問題につきましてはたびたび申し上げておりますようにこの法案自体では全くそれには言及いたしておらないわけでございまして、使用につきましては現在の一つのでき上がっております慣習と申しますか、慣行と申しますか、そうしたものを実質的には前提にして今後も元号というものは使われていくであろう、そのように想定をいたしているわけでございます。
  135. 村田秀三

    村田秀三君 いずれ決めるんじゃないかと私は思っているんですよ。それはなかなか――そこでいまいろいろと耳打ちしておるようでありますが、つくらなければ結構です。申し上げますが、いままで強制しない強制しないと、こう言っているんですね。本当に強制しないのかどうかというのは、やはり国民は不安を持っていますよ、さまざまな方がいるわけですから。これは言ってみれば、議論の経過を見てもおわかりになりますように単なる事務的な課題じゃございません、その人の思想、信条にかかわる問題もあるわけですから。強制しない強制しない、こう言っておりますけれども、その間に、公務員はどうのこうのという法制局長官答弁、これまた私ども問題視いたしますけれども、これは他日また相当な議論になっていくだろうと、こう私は思っておりますけれども、強制しない強制しないと言いながら、できてしまうと一人歩きするのが法律ですね。ましてやすべて政令にゆだねているわけですから、まあこれは年号それ自体制定過程が委任されたと、こういう理解で私はいるわけでありますけれども、できてしまえばこれは必ず使用基準なるものが定められていくのではないか。いや、そういう考えはありませんと言うのであれば結構でございます。  特に私が懸念いたしますのは、これも事実かどうかということになりますとなんでございますけれども、自民党の方々が、いわゆるその使用基準を定める際における意見といいますか、注文といいますか、文部省の教科書検定実施項目では年号とあるのを元号に改めよ、こういうような注文でありますとか、外交文書云々とか、記念切手にはどうであるとか、こういう注文をつけたという話を聞いておるものですから、それかうそだというならば、誤報だというならばそれはそれでよろしいし、そういう基準はつくるつもりはございませんときっぱり言えるならばここではっきり言ってもらいたい。つまり強制されるのかされないのか、強制しないしないと言ってみてもいずれは強制をされるであろうという、そういう国民の懸念を払拭するために保証しなくてはならぬと思うのですよ、審議の段階で。こういうことでありますが、総務長官
  136. 清水汪

    政府委員(清水汪君) どうも失礼申しました。先生の御質問の趣旨に即してお答え申し上げたいと思いますが、使用基準をつくるかということでございますが、格別使用基準というようなものを総理府としては新たにつくるというふうには別段いま考えておりません。むしろ考え方といたしましては、元号というものは現在公文書と申しますか、公的機関の事務におきましては原則的には昭和年月日というような、つまり元号による系統の表示で原則的にはいたしております。いたしておりますので、そのような状態を踏まえてまた今度の法案があるわけでございますので、この法案成立後におきましても、格別この法案によって変わるということではなくて、現在の原則的に元号によっているという状態が続いていくと、こういうふうに想定をいたしておるわけでございまして、で、その場合に、むしろ何か元号というものは法律ができた後は強制されるのではないかというような御疑念を持つ向きがあるといけませんので、もしそういうような御疑念を持つ向きがあるならば、むしろそういうようなものではないんだということを必要に応じてはPRと申しますか、そういう間違いのないようにむしろ趣旨をはっきりさしていくというようなことは、いろいろな機会に必要ならばやっていっていいことではないかということは、ひとつ考えておるわけでございます。  それから、たとえば具体例といたしまして、文部省の教科書検定要綱でございましたか、ちょっと言葉は正確でないかもしれません。そこで言われておりますこととしては、これは今後は、西暦で括弧して年号というふうに書いてあるその年号という言葉は、これは元号という言葉に恐らく訂正されるんだろうと思います。これは特に意味があるというよりは、法律の方で使っている表現にそこは表現を一致させるという意味合いだろうと思います。外交関係について特にひとつメンションされましたけれども、これは外務省からも現在よりも何か西暦をやめて元号にする方針だというようなお考えがあるようには承っておらないわけでございます。共通的に申し上げますれば、原則的に元号によっているといういまの公的機関の姿というものはそのまま自然に続いていくと、こういうことだろうと思っておるわけでございます。
  137. 村田秀三

    村田秀三君 文部省の話、法律がそうだからそれに合わしていく、いかにもこれ理の通った意見にも聞こえるんですが、だから元と年にこだわって私はずっと申し上げてきたつもりなんです。これはもうやはり変わってきますよ、教育の内容というのが。たった一字の違いでかなり私は変わってくると、こう申し上げておきます。いずれにいたしましても、強制をしないということをひとつ確認をしていただきたいと思います。  そこで、実は昨年夏、東南アジアへ行ってきました。スマトラにおりました関係もございまして、マレーであるとかあるいはスマトラ、ジャワに行ってまいりました。そして人によってはあの戦争が東南アジア諸国の独立を促したんだからこれはもって瞑すべしじゃないかなんというふうに考えている人もおりますけれども、スマトラに行きました私らは、まあ言ってみれば国際交流の実を上げてきたと思っています。水筒の水を現地の人と一緒に飲んだりいたしまして、そして現地におけるそのときの信頼関係というのはかなり深かったと、こう思っております。  そしてあそこは軍事政権でありますが、地方の要路の方々ともいろいろと話をしてきたことがございます。元号問題のことは言っておりませんが、もちろん。とにかく日本がいわゆる八紘一宇の精神でまたこちらの方にいろいろの形で来るんじゃないかと、これには不安を持っていると、こう言うのであります。その反面、やはり当時の軍隊が労働力を補うために現地から採用をいたしまして、兵補という言葉で働いていただいておりました。いろいろと教育するわけでありますから、そして義勇軍になって、その義勇軍がいまインドネシア政権の枢要な地位にいるというような話も聞いてはおりますけれども、そういう人たちがそういう話をするわけです。日本における元号問題であるとか、あるいはA級戦犯の靖国神社合祀の問題とか、こういうことを知った場合にどういう感じを持つかということを考えてみたわけです。シンガポールの新聞の話であるとか、あるいはパリにおける話であるとか、若干のことは私聞きましたが多くを知っておりませんけれども、外国の人々は、特にあの大東亜戦争で被害をこうむった立場の国の人々はどう考えておるのかということを聞いた場合に、私は元号問題であるとか、A級戦犯靖国合祀の問題というものはきわめて憂慮すべき懸念を持っておるのではないかと思います。一々ここで読み上げている時間もなさそうでありますけれども、そういうことであります。  でありますから、この元号問題を日本国の伝統であるからなどといって日本国自体がそれを定めるということについて、やはりいまは日本では前の憲法とは違う。今度はそういうことはあり得ないという説明をしても、過去が現在と二重写しになって、かなりの不安感を持っておると私は思います。とりわけ今後の外交方針はASEAN諸国に重点が移されていく、この考え方は私も賛成であります。被害を与えない、本当にあの国の人々をあらゆる面で向上させる、それが一つの贖罪でもあろうと、こういうふうにも思っておりますから、そういう意味では賛成でありますけれども、そういう印象を与えなければならない。とりわけ国論二分されておるこの問題を強引に押し切って、もって諸外国に大きな批判を巻き起こすということはこれから日本の外交にとってマイナスではないか、こう実は考えるのでありますけれども、そういう諸国の批判等をどう受けとめておられるか、あるいは事実問題としてそういう意見等が出されておる事実を知っておるということであればお答えをいただきたいと思います。
  138. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 東南アジアにおける戦時における日本軍の行動あるいは日本人の行動等を思い起こされて今回の旅行中の所感として御意見を承ったわけでございますが、確かに私は当時の日本の姿勢あるいは国民のそうした考え方等が一つの日本人に対する悪いイメージを東南アジアの方々に植えつけておるということもいま御指摘がございましたが、そういうこともあろうかと思うのでございます。しかし、昭和という元号と申しますか、そうしたものが日本の伝統的な文化、社会の一つ慣習として残っておるそれ自体が、私は東南アジアの方々に日本の過去のイメージを植えつけるというようなことには必ずしも当たらぬのではないか。それよりも私は、やはりこの日本の国に独自の文化なり生活慣習というものがあるということに一つのやはり意義を感じますとともに、新憲法下において私どもが根本的に考え方あるいは姿勢を変えて、国際社会に自由と平和の確立のために努力をいたしますということが大事ではなかろうかと。しかし、御指摘がございましたようなことを、そういうイメージを与えてはならぬということについては、またそういうようなことがあってはならぬということについては将来十分注意を払って対処しなければならぬなといういま貴重な御意見として拝聴はいたしておりますけれども、それが本質的に日本の東南アジアの方々に対する理解の問題に一致してくるというようなことには私は考えておりませんし、そういう点があるとするならば反省して対処していく、新憲法下における日本の外交あるいは政治姿勢というようなものを御理解願う実際上の施策に出てまいりたいと思うところでございます。
  139. 村田秀三

    村田秀三君 これまた全体の話じゃございませんからですが、東京市井の一杯飲み屋に行って客の話しているのを聞いておりますと、日本人は戦争に負けた、負けてたかだか三十何年でいわゆる世界に経済進出をして大したものだ、優秀な民族だ、これはきっと宇宙から来た人間が先祖ではないか、こういう言い方であります。まあそんな話聞いてもだれも本気にしまいと思いますが、これは意識的に何かそういう話が始まっているんじゃないかという懸念ですね。つまり天孫降臨であります。意識的にそういうものを仮に流しておるとすればこれは大した過ちを残す。人間宣言の中で天皇陛下のお言葉は、神ではないんだと。これ改めて読み上げる必要もなかろうと思いますけれども、これはなかなか重要な意味を持っていると思うんですよ。――「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。」、こう言っております。これはやっぱり私はかみしめるべき言葉じゃないかと思うんですね。中には、自発的におっしゃられたんじゃなくて、だれからか言わせられたんじゃないかなどというような不遜な議論をする人がいますけれども、私は率直にこれを受けとめます。にもかかわらず、天孫降臨じゃいま通用しないから、宇宙から来た民族であるなどというような考え方を観念的に植えつけていこうとするような仮に力がいま日本にあるとすれば、これは大変なことになるわけですね。言ってみれば、象徴天皇天皇も永続しない事態になるというようなことだってこれは考えなければならぬということを考えてみますと、この元号法制化問題というものがさまざまな形で私はいろいろな問題を残しているのであろう、こう思います。  したがいまして、先ほど来申し上げましたけれども、この元号の法制化はもう一度国民全体の議論に付すべきである、理解と納得の上に立ってこれは制定しても遅くない、こういう主張を私は申し上げます。御意見は必要ございませんけれども、いずれにいたしましても政府憲法をどこまでも守って不戦の決意を改めてなさない限り問題は相当深刻な事態に発展をしていくであろう、そうあってはならない、そうさせない、この決意がなければならぬ、こういうことを改めて申し上げまして、私の質問を終わります。
  140. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 私は、国民の大多数が元号存続に賛成をしているという事実から、元号国民の中に定着をしているという認識の上で賛成の立場に立ちまして、若干解明をしなければならない問題について質問をいたします。  まず第一に、先ほどからいろいろと問題になっておりますが、私は、ここで元号問題に関する世論調査の経緯に目を通してみたいと思います。昭和五十三年七月実施の読売新聞社では、「法制化した方がよい」が一五・一%、「元号はあった方がよいが、法制化するほどのことはない」というのが六四・五%。昭和五十三年十二月実施の時事通信では、「法制化した方がよい」が二三・四%、「元号はあった方がよいが、法制化するほどのことはなく、政令または内閣告示といった形式で定めればよい」というのか四七二八%。昭和五十四年三月実施の毎日新聞社では、「法制化して存続させる」が二一%、「法律内閣告示で定めず、現在のように慣習として使っていく」が四四%という結果を示しているのでありますが、この世論調査からわかることは、元号存続方法については法制化賛成はわずかに二〇%余りであり、大勢としては内閣告示とか、いまのように慣習として残すなど、ゆるやかに存続希望しているのでございます。元号はあった方かよい、しかし法律で定めるほどのことはないというのが現実の国民世論であるように思われますけれども、私かいま示したこの三社の世論調査の結果について総務長官はどのように判断をしておられるのか、まず御所見をお聞かせ願いたいと思います。
  141. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 先に私からお答えを申し上げます。  ただいま御指摘の幾つかの世論調査の結果はお挙げになりましたとおりでございます。若干の推移に伴う変化があるとすれば、昨年の七月段階ないしは十二月段階におきまする世論調査におきましては、その設問の回答に当たります選択肢と申しますか、その表示の仕方か第一のグループでは法制化した方がよいというグループ、それから第二のグループといたしましては、元号はあった方がいいが法制化するほどのことはないという表現になっている。その次は第三のグループで法制化に反対、こういうグループになっているわけでございますが、その第二のグループが年を越えて本年に入りましてからの世論調査では、選択肢がやや細分化されているということであるわけでございまして、で、それにつきまして私どもとしての受けとめ方を申し上げますれば、やはり大事なことは、元号というものは昭和の次もあった方がよいという回答を寄せているというそのことかまず大半であるということがうかがえるわけでございますが、その次に、同じそういう考え方を持っております方が、それではその存続のための方法についてはどう考えているかということがその中間の選択肢に多く集まっているわけでございます。  ところで、中間の第二のグループと申しました選択肢につきまして考えてみますと、慣習のままでよいのではないかということにつきましては、これは実は現在の昭和という元号は現に存在をいたし使われておりますから、その限りにおいては何ら差し支えがないわけでございますけれども、問題は、昭和の次の元号をどうするかという質問でございまして、そういたしますと、慣習にゆだねるということで、慣習にゆだねると申しましても、現在慣習として昭和の次の新しい元号をどうやって決めるかということにつきましては、何らルールがない、つまり慣習がないわけでございます。そういたしますと、元号昭和の次も続いてあった方がよいという願望は持ちつつも、現実問題としてはその願望が果たされないことになるというのがそこに含まれている問題点と申しますか、そういう問題でございます。  それから、もう一つの他の調査では、政令でやったらいいじゃないかというようなお答えも選択肢の中にあったようでございますか、これはただいま先生がお挙げになりませんでしたけれども、もう一つ内閣告示で単純にやったらよいのではないかという選択肢の問題でございますが、これは申し上げるまでもなく、内閣告示でと言っているときのその意味は、要するに法律の根拠がなくて単に内閣が必要だと判断したならば、その必要な時点において自分で決めてそれを使うことにしたらいいではないかということに結果的にはなるわけでございますが、それは政令でやる場合でも結局そういうことでございますけれども法律の根拠がなくて政令をつくるということは、これはむしろ法制上できないということでございますし、それからいまの内閣告示で独自に判断しておやりになればよいではないかという点についての問題でございます。  結局、政府という立場で考えてみますと、そのように方法についていわば期待をいただいているということは非常にありがたいことであるわけでございますが、やはり元号というものは先ほど来の御指摘にもありますように、非常に大事なものである、年月日の表示ということでこれは一つの社会において混乱があってはいけないわけでございますので、そういう意味で非常に大事なものであるというふうに申し上げているわけでございますが、そうした大事なものをどうやって決めていくかということになりますと、これはやはり現在の新憲法のもとにおきましては、国権の最高機関であるところのこの国会におきまして御決議をいただく法律の形で、具体的な細目は政府に御委任をいただくとしても、その根本は法律の形でお定めをいただくということの方が、手続的に申しましても憲法の民主主義の考え方に合致しているというふうに申し上げられると思いますし、結果としてもそうして決める方が元号というものが明確で安定したものになると、このように考えられるわけでございまして、そうした考え方から、世論調査の御回答は御回答として、そこにひそむ願望というものを政府の責任においてくみ上げるといたしますならば、ただいま御提案申し上げておりますような法案の形で御提案をするのが最も妥当な方法であろう、このように考えているわけでございます。
  142. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいたしますが、ただいま清水室長からお答えを申し上げましたように、詳細な経過については私は繰り返して申し上げません。確かに世論調査の結果を踏まえて見ると問題があるのではないかという御指摘でございます。確かに世論調査、これはNHKなどの調査入っておりませんけれども、いま「毎日」の点でお話がございましたが、確かにいま大多数の国民存続希望されておる。そうしたことで、その存続をさせるルールをどういう形でとるかというようなことについていま詳細な室長が報告を申し上げましたが、そうした国民の御要望と、そして世論の調査、そしてそれを取り扱うについて基本的なルールを確定していく必要があるわけでございます。そうしたことを考えてまいります際に、また県議会なり市町村議会の動向なり、そうした諸般の情勢を総合的に判断をいたしまして、最終的には最も民主的な方法としては国会法案として審議を願って、そこでお決め願うことが国民の御意思に沿うことになりはすまいかというような情勢判断なり検討の結果、そうした方針をとらしていただき、本日国会法案として御審議を願っておるところでございます。
  143. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 先ほど答弁の中で、総理府世論調査は三十六年からたしか四回ぐらい、一番新しいので五十二年ということで、ところがいま私が申し上げた各新聞社の世論調査というのは非常に新しいわけで、ですから国民の各層の方々がどういう考えを持っておられるかということはこの世論調査でよくわかると思うんです。そういうことを踏まえてやはり提出の時期というのをもう少し慎重にお考えになった方がよかったんじゃないかという私は反省を持たれるべきじゃないかと思うんですが、そこらあたりはどうでしょうか。
  144. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えをいましますが、今日まで元号制度の確立の問題につきましては、長い間検討を進めてまいりました。最終的には昨年の七月におきまする与党の党議の決定、また十二月におきまする閣議における内定等があったわけでございます。そういう御方針に基づいて実は法制化に踏み切って御提案を申し上げたのでございますから、実はそういう決断を下しましたのが、昨年の半ばごろそうした方針をとるに至ったわけでございます。その後に至っていろんな報道機関の世論調査等が出てまいった等の経過もあるわけでございますが、しかしそういうものを踏まえながら慎重に御審議を願ってまいります、また法案の中身等におきましても、そうした点を配慮しながら手続的なものにとどめて法案提出するというような方針を決めてまいったところでございますので、御理解を賜りたいと思うのでございます。
  145. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 先ほどから申し上げておりますが、この新聞社の世論調査の方は昭和五十三年の七月に読売新聞社、昭和五十四年の三月が毎日新聞社、五十三年の十二月が時事通信社、五十四年の二月がNHK、五十四年の二月が共同通信、五十四年の三月が東京新聞と非常に新しいわけです。それに比べますと、総理府世論調査というのは、五十二年の八月が一番新しいので、この調査の共通点では、元号存続した方がよいというのが国民の圧倒的多数の支持を受けておるのは事実でございますが、相違点としては、毎日新聞の場合は、いままでの慣習でよいというのが四四%、法制化した方がよいという二一%の約二倍であります。時事通信では、法制化というのが二三・四%で、政令内閣告示でよいというのが四七・八%、二倍であります。共同通信では、法制化した方がいいというのが二三・三%で、法制化しなくてもいいというのが二倍強の五五・一%、東京新聞では、法制化が二〇・一%で、法制化しなくてもよいというのが四二・六%で、約二倍以上であります。NHKだけが、法制化した方がよいというのが五七・二%、法制化しなくてもよいというのが一九・七%で、ここだけが違っておるようであります。  東京新聞や毎日新聞では、もっと時間をかける方がよいのではないかというのが半数の五一%と、大多数がこれを嘱望をしておるわけでございますが、ここで問題になりますことは、余り憩がない方がよい、時間をかけた方がよいという意見もあるということであります。そしてまた相違点としては、内容がいろいろと、まあその世論調査の対象とか仕方が違うという点もあると思いますが、相違点の内容がいろいろと違うということ、すなわち法制化ということと内閣告示ということ、事実たる慣習で使った場合の是非論、また亡くなられた場合の存続改元のあり方等についても世論の吸い上げが非常に不足しておるんじゃないか。元号問題はすでに終戦以来昭和二十年代からいろいろ国会でも論議をされたところでございますので、やはりこういう大事な問題でございますから、総理府あたりではもう少し国民各層の意見の長年にわたる吸い上げということが私は非常に少なかったような気がしてならないわけでございますが、特に五十二年まで四回世論調査をして、最近おやりになってないと、元号法案を出される前にそういうことかなされてなかったということは非常に浅かったというような感じを受けるわけでございますが、これに対する御所見はいかがでしょう。
  146. 清水汪

    政府委員(清水汪君) るる御指摘をいただきましたわけでございますが、私どもとしても、元号の問題につきましてさらにいろいろの角度の努力をすべきであったのではないかという御指摘に対しましては謙虚に受けとめなければいけないと思います。ただ、私どもの立場といたしましては、五十一年、五十二年に続いていたしたわけでございますが、もう五十三年に入ります時点におきましてはかなり問題を詰めて検討をいたしておったということが、まあ内情としてございますわけでございますが、そのようなことからいたしまして、実はこれははなはだ内輪の議論であるかもしれませんので恐縮でございますが、政府としてたとえば法制化の方針を持つに至ったような場合、ことに法案を出すということをはっきり表明したような後におきましては、実は総理府世論調査というような形でその法案について賛否を問うようなことはむしろ控えた方がよいという一つ考え方といいますか、従前そのようなことについて紛議のあったケースが実はございますものですから、内部的には実はそのような議論がむしろあったというのは一つの事実でございます。  で、そのようなことがありましたのでいたさなかったことが一番率直なことでございますけれども、それはそれといたしまして、全体として元号自体についての説明的なPRというようなものが十分でなかったという御指摘に対しましては、反省をいたさなければいけないと思いますが、やはり国民存続希望しているというこの実態と申しますか、実態としての意思と申しますか、そのようなものは明確に受けとめることができるわけでございますし、そういたしますと、政府といたしましてはその存続のための方法をどう講ずべきかということでるる検討いたしてきたわけでございまして、その結果として今日のようなその手続の根幹だけを法律の形で明確に定めていただくというようなことで決断をしたと、こういう事情でございますので、ぜひ御了解を賜りたいと思います。
  147. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 どうも世論調査の中で、元号存続には賛成であるが法制化するほどのことはないという意見が非常に多いようでございますが、これには元号改元皇位継承のときに限るといういわゆる一世一元、この制度を否定をしておる方もこの中には相当数あるんじゃないか、こういうふうに思われてならないわけでございますが、というのは、すなわち国民の中には、いま昭和五十四年でございますけれども昭和九十九年までずっと連続して使っていって、三けたになったときに改元をすればいいというようなお考えの方も大多数いらっしゃるんじゃないかと、こういう方々意見の集約というのも総理府あたりでは集約をすべきではなかったかと思うんですが、その辺のところに対しての御所見はいかかでしょう。
  148. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その点につきましては、私どもの行いました世論調査のこれは設問の仕方の問題におきましてひとつお答えを申し上げたいと思うわけでございますが、設問は、明治、大正、昭和というような名称を挙げまして、その次も元号があった方がよいと思うかどうかというふうな聞き方をずっとしてきているわけでございます。で、そのことは、やはりそこにおのずからの意味と申しますか、つまり明治、大正、昭和というふうに来たそういう来方の次のその元号と、こういうことで聞いて、それに対して国民の約八割程度に達する方々が、昭和の次の元号があった方がよいと、こういうふうにお答えをしていらっしゃるわけでございますから、そこにはおのずからはっきりした意味が出ているということは言えるのではないか、このように考えているわけでございます。  それからまた、先ほどお挙げになりました新聞社の世論調査の中でも、私たまたま知っておりますのは、十二月に行われました時事通信社の例でございますが、その場合には、元号の将来についてあなたの考えはどれかというようなことで質問がございまして、天皇がかわるごとに元号を変える一世一元制を維持するというのに対する回答が五九・六%ということでございまして、そのあとは、天皇関係なく変えるとかいうのが八・一%、それから天皇がおかわりになる都度世論の動向を見て決めるというのが七%というようなことで、かなり際立った違いがここでは看取されるということも御参考までに申し上げられるかと思います。
  149. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次の問題に移りますが、政府元号法案提出をされる前には、法律より容易に実現可能な内閣告示方式を考えておられたことは事実のようでございます。昭和五十年の三月の衆議院内閣委員会で植木長官は、前例に従い内閣で即日決めると答弁をしておられるのもこれを指しておると思いますが、また昭和五十一年の十月の参議院の内閣委員会で西村長官は、閣議決定の上内閣告示を行いたいと、このように答弁をしておられますので、政府の姿勢としては元号存続させていく方法としては、内閣告示でよいのではないかというのがいままでの姿勢だったように思われますが、これが急に今度法制化に変わったわけでございますが、そこらあたりの状況の変化と理由ということについて説明願いたいと思います。
  150. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その点につきましては、私としてはこのように理解をいたし、かつそのように説明を申し上げているわけでございますが、この元号制度の検討につきましては、先ほど総務長官からもお話のございましたように、かなり長年にわたって検討課題であったということでございます。で、たまたま昭和三十六年に公式制度連絡調査会議というものも設置されまして、さらにその検討に取り組んできたと、こういう経過があるわけでございます。そのような経過の中におきましては、当然のことながら私は常に法律に基づく、法律の形による制度ということは眼中にあったと思います。  なぜそういうことを申し上げるかといいますと、これは私の推定になるわけで恐縮でございますが、実は昭和二十一年の、つまり憲法か来年の五月から施行になるその前年の十一月の段階におきまして、政府自身として法律の形による元号制度というものについて企画立案をしたということか伝えられているわけでございますので、そのようなことからいたしましても、検討の眼中には絶えずその問題があったということは言えるかと思います。しかしながら、同時にいろいろの世論の動向なり、あるいは国会情勢なり、非常にいろいろの事情があったと思いますけれども、そうした中におきまして、いずれにいたしましても、今日に至るまでその点の踏み切りか行われなかったわけでございます。  そのような過程の中におきまして国会において御質問があったわけでございまして、そういう意味合いからいたしますと、そのときの御答弁になられました総務長官といたしましては、いますぐに事態が起き、必要が生じたときには一体どういうことが可能であるか、政府としてはどういう方法考えられるかという点の受けとめ方をなされたのは、これは当然だと思います。そういたしますと、ある意味では当然のこととしていますぐどうかということになれば、それは法律というものはそこにございませんので、内閣がその場合には責任をもって判断をし、一定の名称のものを決めて、これが昭和の次の元号であるというふうにそれを明らかにすると申しますか、明らかにして、いずれにしても元号存続希望する国民願望にこたえていこうと、行政府の立場としては当然のことながら、その日その日の現実に対しての処理責任というものがございますので、そのような御判断を持ち、そのような御答弁をなされたと、このようなことであったと思うわけでございますが、そのようなことを含めましても、引き続き法律による方法というものは検討の中に続いていたと、こういうことであったと思います。そのような検討の結果といたしまして、今回の法案の御審議お願いするに至ったと、このように理解をいたしておるわけでございます。
  151. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 今回の元号法案提出されるについては賛否両論非常に激しく、われわれのところにも陳情が来ておるわけでございますけれども、この元号法案天皇の元首化に通ずるとか、あるいはまた憲法改悪に通ずるという、そういう御議論に対して、当同として、いやそれはそうではありませんよという説得力のある総務長官の御答弁を伺わせしていただきたいと思いますが。
  152. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 劈頭にも申し上げたと思うのでございますけれども、いま御指摘のように法制化について賛否両論ある中で、政府がどうしても法制化に踏み切ったその一つ、根基と申しますか、理由を明確にせよという御指摘でございます。この点については何度も繰り返すようでございますけれども国民の大多数が何とか存続をしたいという願望を持っておられる。そうなりました場合に、方法としては、先ほどから言われておりますように、道はいろいろ意見はありますけれども、われわれが考えられるのは結局ルールが、実際にこれを改定するルールかございませんので、ルール考える場合には政府独自でやる、内閣告示でやるか、あるいは法制化をして政令等で、法律によって政令でやる、二つの道を選ばねばならぬということになろうかと思うわけでございます。  そうしたことを考えてまいりまする場合には、そのルールの確立につきましては、これはひとつ最も民主的な方法と言うなれば国民を代表される国会の場において、最小限度の手続き法規でございますけれども、そこでその基本的なルールの確立を御審議願うということが最も妥当な方法ではないかということで法制化に踏み切ったところでございます。そういうようなことでございまするので、国民方々にもそういう点において御理解を願いたいと思っておるわけでございますが、しかしここで問題になりまするのは、法制化ということが強制あるいは国民の拘束につながるのではないかというような御指摘等もあるわけでございますけれども、われわれといたしましては、法制化いたしましても、この法律の中には使用上のことは一切触れておりません。触れておりませんのは、現在事実たる慣習としてただいま昭和という元号をお使いになっておりますその現状を変える考え方はございません。西暦あるいは昭和元号も併用して結構でございます、そういうようなことを申し上げて御理解を願っておるということでございます。
  153. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いや、私がお尋ねしたのは、非常に大事な問題の天皇の元首化とか、憲法改悪に通じないということの説得力のある御答弁お願いしたわけでございます。
  154. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) ただいま申し上げましたように、結局法制化による道が最も民主的な方法であろうということで法制化に踏み切ったわけでございまするが、しかしそうなってくると、改元の時期というのが問題になり、それがいま御指摘のように憲法関連をして来、天皇の統治権の復活につながるぞという御指摘が出ております。と申し上げまするのは、一世一元、要するに改元の時期を皇位継承時点でということを言っておるわけでございまするから、その改元の時期についてこれが憲法に抵触をすりゃしないかという御指摘でございます。しかしこの問題は、先ほども村田委員のお尋ねに対して法制局長官が申し上げましたように、憲法において第一章一条に明確に天皇の地位というものが明記されておるわけでございます。要するに国民の総意に基づいて象徴天皇ということが明記してございます。したがって、そうした象徴天皇皇位継承の時期を改元の時期といたしましても、決してそれ自体が民主憲法なり、あるいは天皇統治の復活につながるようなことはございません。あくまでも憲法を遵守して私どもはやっておるところでございますということを、先ほども法制局長官が申し上げましたように、そういう立場で国民の御理解を賜りたいと思うのでございます。
  155. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 それならば、また批判として軍国主義化に通ずるという御批判もあるようでございますが、そういう批判のある中で、元号法案提出をされた時期にわざわざ総理が私人とは言いながら公用車を使って靖国神社に行って総理という記帳をしたということは、やはりそういうような論議に火に油を注ぐようなことになるんで、私はそういうふうなことが一つの論議の大きな発展に影響したような感じがあるわけでございますが、これは元号法案提出する主管大臣として総務長官は、やはり総理がそういうふうなことをされるときには、閣議で、ある大臣のごときはいろんな発言の中で総理に御忠告をしたり、そういうような機会があったように聞いておるのですが、そういうような機会はなかったものかどうか。そういうお気持ちはなかったか。その辺の事情をちょっと詳しく説明願いたいと思います。
  156. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) そういう国民の誤解を招く一つの要素に、要するに軍国主義的な一つの芽生えがあるぞというようなものに、総理の靖国神社参拝がつながるのではないか。したがって、そういうときには元号の担当大臣として注意を払うべきではなかったかということでございます。この点については私も正月におきまする総理の伊勢神宮の参拝につきましても、その点は率直なお願いを申し上げ、意見具申をしたこともあるわけでございますが、あくまでも総理の心境は、伊勢に参られるときも自分が政権の首班者として国政に当たる年頭である。決して宗教的なものでなくて、私人としてひとつ祈る気持ちで伊勢に参って本年度のスタートをしたいという心境である。今回におきましても、この点につきましては、やはり靖国神社に参られるということについては、官房長官とも話したのでございまするが、あくまでも私的な気持ちで、先ほど申しまするように、国に殉ぜられた方々に心からなる感謝と追悼の誠をささげたいという、そういう純粋な、総理の感謝の気持ちをささげるという、そういう一念から私的な行為としてなされたものでございますので、特にひとつこういう機会に国民方々にその点については御理解を願いたい。決して軍拡につながるような、そういう軍拡をしようというような企図で総理考えられたわけではございません。また各大臣におきましてもできるだけそうした誤解を招かないように、それぞれ閣僚も慎んでおるところでございますので、この点につきましては御理解を賜りたいと思うのでございます。
  157. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次の問題に移りますが、わが党はかねてから元号法案の問題については、総理府の中に選定委員会を設けて、そして内閣に答申をして国会に報告をして、国民に公示するというこの方式を提唱しておるわけでございますが、これについてはどのような御見解をお持ちでしょうか。
  158. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 先生のおっしゃいます御趣旨と申しますか、お気持ちは私どもとしてもいろいろと理解できるわけでございます。私どもといたしましては、必ずしも形の上でぴったりとそれにお答えしているということではちょっとないかと思いますけれども、やはり実質的な意味におきましては広く政府外の、要するに各界の有識者という方々元号の候補名の御考案をお願いをするということでございまして、そういうような広い範囲からの知恵というものを吸い上げまして、それから後は政府内の責任において最終的には閣議で決定していくわけでございますが、なおその途中におきましても、もう一度たとえばということで、これは大臣も申し上げているわけでございますが、国会の衆参の正副議長の御意見も伺ってみるというようなこともやはりその過程で一度含めて、そのような手続で最終的に新しい元号名を決めていくと、そのような考え方を持っておるわけでございまして、御意見の御趣旨もその中におのずから含まれるのではないかというふうに存ずるわけでございます。またそのような手続つまりそういう運び方をするということにつきましては、これはつまり平たい言葉で言えば政令をつくるまでの事務手続のことでございますけれども、そういう手続をできるだけ早い時期に明確に定めまして、少なくとも手続はこうであるというようなことは、やはりわかるようにしていきたいということも考えているわけでございます。
  159. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 先ほど村田委員質疑の中で答弁がありまして、手続等についてはいろいろ聞きましたが、その中で私たちの党が考えているのは、国民告示するという民主憲法下の中では、より民主的ではないか。そうしてやはり選定委員会というものを委嘱してやるということは、非常によりベターにそういう問題が考えられていくんじゃないか。こういうことでより民主的じゃないか。こういうことで提案申し上げているのですが、その点はいかがですか。より民主的で、あなたたちのおっしゃったことよりは民主憲法に非常に適合した民主的な方法であるという私たちは見解を持っておるのですが。
  160. 清水汪

    政府委員(清水汪君) お考えにつきましては十分参考にさせていただいているわけでございますが、私どもとしては広く、つまり実質的な意味で国民希望に沿うようなよいものを選ぶということが一番の大事な問題であろうと思うわけでございますし、また一定の事情のもとでそういう作業をしなければならないというようなこともございます。したがいまして、ただいま申しましたように、広く有識者にお願いをするというようなことを前提にいたしますけれども、その後の手続につきましては、いまおっしゃいましたようなぐあいに何か議論をオープンにしていくということが多少無理ではないかということを感じておるわけでございます。ただ、結果的に一つ元号が定まりました場合においては、当然のことながらその元号について十分な説明をすることはもとより、どのような経過でそういうものが選ばれたかということについてもできるだけそういうものを国民方々に御理解賜るように措置していくというようなことは当然配慮すべきことだろうというふうに考えております。
  161. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 先ほど御答弁された元号の選定の政府のやり方としては、選定者として専門の学者、学識経験者若干名任命をする。そして元号を官房、総務、法制局の三長官会議である程度選んで、最終的には衆参両院正副議長に諮るということのようでございますが、この学識経験者を五名から十名ぐらいに委嘱するということでございますが、この委嘱する主体者は総理大臣なのか総務長官なのか。そしてまた、これについて閣議決定とかあるいは閣議了解とか、形はどういう形をおとりになるんでしょうか。
  162. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) 委嘱は総理大臣お願いをいたしたいと考えております。したがいまして、委嘱するまでにはそれなりの人選上の処置等につきましては総理府でいま御指摘のありましたように、閣僚あたりにも相談をするとか、いろんなことがあろうかと思いますが、そういう点は慎重に運んでまいらねばならぬと思いますけれども、結論的に申しますと総理の委嘱にしていただく。そういう方針でいまおるところでございます。
  163. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は、元号の選定について一部報道された中では総理府の基本見解がまとまったという次のような報道があったようでございますが、すなわち天皇崩御を予定して前もって新元号の候補を準備しておくのは不適当、一般には天皇御不例となって具体的準備に取りかかるという、このようなふうの報道のようでございますが、もう一遍申し上げますと、予定をして前もってやることは非常に不適当であると、ぐあいが悪くなってきたときにそういう具体的準備に取りかかると、こういうような報道のようでございましたが、確かにこの考え方も一理あると思いますけれども、しかし、この元号法案が通過をすると初めてのことでございますので具体的準備に入るのではないかと思われますか、いつから具体的準備にお入りになるのか、具体的準備の時期について、さきに私が申し上げました天皇御不例になってからの考え方なのかどうか、具体的準備の時期について基本的な考え方があればそれについて御見解をお示し願いたいと思います。
  164. 清水汪

    政府委員(清水汪君) この法案を御成立させていただきました後におきましては、先ほどもちょっと申しましたように、まず手続をなるべく早く決めたいと思っております。その手続の中では、最初の手続といたしましては学識経験者を選んでそれにお願いをすると、こういうことがあるわけでございます。したがいまして、事実上の問題といたしましては、なるべく早く委嘱をするようにしたいというふうに考えております。  ただいまお挙げになりました、何か基本方針でございましたか、何かが一度新聞に出たではないか、その中の表現にそういうことがあったのではないかというような意味の御指摘でございましたけれども、その点は若干釈明させていただきたいと思いますが、別段そのようなことを基準として定めたことも事実ございませんし、ただそういうような議論を内部的にいたしたことはございますが、不手際でそれが外に出たのではないかというふうに思いますが、その点はそういうことで、別にそういうような考えにこだわっていないということを申し上げたいと思います。  ただ、一つつけ加えて申しますと、なるべく早く選定をし、つまり学識経験者の選任をして委嘱をするわけでございますけれども、事の性質上、そのお名前をじゃいつ公表するのかというような点につきましては、これはやはり慎重に考えさしていただかなければならない問題があると思いますので、その意味におきましてはいわば内部的な事実上の問題といたしまして委嘱をしていくというようなことになるのではないかというふうに想定をいたしております。
  165. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 元号の選定には政府は現在考えていらっしゃるのは学識経験者の段階、そして三長官の段階、衆参両院の正副議長の段階、最終は総理という、こういうふうな段階に考えていらっしゃるようでございますか、大体元号の候補は幾つぐらい準備をしてもらう予定でいらっしゃるのか、それから学者に委嘱してから最終決定を行うまでどれぐらいの期間で行うのが望ましいと、このようにお考えになっておるのか、そこらあたりを具体的にお知らせ願いたいと思います。
  166. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 学識経験者に委嘱をいたしまして、その後の段階的な手続につきましては、ただいまも先生がお触れになりましたとおりでございまして、学識経験者の方々からは複数と申しますか――つまり複数という意味は二つというふうに限定する意味の複数ではなくて、二つ以上というような意味でございますけれども、一人の方から複数の候補名をお出しいただきたいと、そういうふうにお願いをすることになろうと思っております。そのようにして御考案をいただきましたものを総務長官が慎重に整理をいたし、それから法制局長官及び内閣官房長官と御相談をして、さらにその中から候補名とするにふさわしいようなものを幾つかにしぼるということになるだろうと思います。そうして、先ほども申しましたが、全閣僚の懇談会でやはり十分慎重に御審議をいただき、その上でさらに国会の衆参両院の議長、副議長の御意見も伺う、そういうふうな手順を経ました後に正式に閣議で決定する、こういうことになろうかと思います。  ただいま時間的な間隔がどのようになるかということでございますが、たとえば委嘱からその決定までがどれぐらいの期間になるかという点につきましては、先ほど申しましたように委嘱自体は、事実上の問題としては、この法案成立後できるだけ早く手続を決めましたら、その手続の第一着手としての委嘱ということに入るわけでございますので、かつ決定の時期というのは申し上げるまでもなく必要な事態が起きた段階の問題でございますので、ちょっと一義的にその間の期間を計算をするということはできかねるわけでございます。
  167. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は使用について。もう何回も答弁がありましたが、確認の意味でもう一遍お尋ねしますが、国民においてはいままで元号、西暦をそれぞれ自由に使い分けてきたという慣習がございますので、元号を法制化したといってもこの慣習的使用は何ら変わることはなくて、国民は自由に西暦、元号を単独なりあるいは併用なり自由に使えると思うのですが、この点は間違いございませんか。それが一点。  それから、生年月日の届け出は西暦を単独でやった場合でも受理をされるのか。それが第二点。  また取り扱いの窓口で協力を要請をされると言われますが、協力要請はどのようになされるのか。具体的なことでございますけれども、そしてまた協力の要請に従わないときにはどうされるのか、その辺を具体的にお答え願いたいと思います。
  168. 清水汪

    政府委員(清水汪君) まず第一に使用についての基本的な問題でございますが、これは、まず一番根本的に申しますれば、一般国民について申し上げれば、元号法案成立をいたしましても現在ともちろん変わりません。つまり現在でも西暦なり元号なりの選択は自由でございますし、この法案成立いたしましても全く同じように自由でございます。  それからもう一つ申し上げなければならないことは、公的な機関の、つまり公務の世界でございますけれども、ここにおきましても、元号法案成立をいたしましても、あるいは現在時点におきましてもやはり実質的には同じ問題だろうと考えております。つまり現在でも公務の場におきましては、原則として年号表示は元号の系統によってやっているわけでございます。もちろんこれは原則でございますから、原則に対する例外的な現象ももちろんたくさんございますが、原則は昭和何年何月ということでやっております。そのようなことは、具体的に言えばまた区役所等に対する届け出の場合においてもあるわけでございまして、現在は現実の定着した慣行といたしまして届け出等におきましても昭和ということでおやりをいただくということになっておるわけでございます。このことも元号法案成立をいたしましても同じことだというふうに申し上げているわけでございます。  ただ、そこであえて申し上げれば、そのような昭和ということで書くのがぐあいが悪いと申しますか、どうしても西暦で書くというふうなお考えの方がおられるだろうということがよく論ぜられるわけでございますが、そのような場合につきましてはもちろん西暦で記入をいたしました届け出も有効なものとしてというか、適法なものとして受理をいたしますということも明らかにしているわけでございます。ただ私どもとしては、やはり公務の能率的な運営と申しますか、そのような見地からいたしますと、やはり表示というものは合わせていただいた方が事務も斉一的にでき能率的にできるということでございまして、この公務の立場におけるそういう意味の要請というものは、それなりに十分合理性があるというふうに考えておるわけでございますが、そういう立場からいたしまして、個々の国民方々にも公的機関に対する窓口への関係におきましては、原則として公務が元号によって処理しているということに御協力をいただきたいということを、これはお願いを申し上げているわけでございまして、そのことも現在もそうでございますし、法案成立いたしました後におきましても同じことでございます。  それから、そういうことでございまして、さらにただいまの御質問の中に、協力を要請してもなかなかどういうふうに強く要請するのか、あるいはトラブルが起きる懸念はないかというような御心配をいただいたわけでございますが、その点につきましては、私どもとしては、やはり元号というものが日本における伝統的と申しますか、十分親しまれている年を表示する方法であるというようなその元号の性格、そうしてやっぱり公務の合理的な事務処理の立場、そういうようなものにつきましては、将来ともさらにやはりPRと申しますか、御理解をいただくように努力をすべきだろうと思っておりまして、そのような立場から御協力を要請するわけでございますが、そこから先と申しますか、その点につきましては、十分国民の皆様方の御理解、御協力はいただけるものというふうに確信をしておるわけでございます。
  169. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 それから、法務省の方お見えですか。戸籍の年号についてお伺いしますが、戸籍法の十三条に戸籍の記載事項が定められておりますけれども、ここでは特にどういう年号を使えということは触れてないようでございます。しかし、施行規則の三十三条では、戸籍の記載について「附録第六号のひな形に定めた相当欄に」出生年月日を記載しなければならないと、こういうふうになっておるようでございますが、このひな形で昭和の生年月日を記入するようになっておりますけれども、ひな形で元号を使用するようになっておる理由について御説明願います。
  170. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) 「附録第六号のひな形」は、いわゆる相当欄に記載しろということを書いてあるわけでございますが、そこで元号をもって表示しておりますのは、元号が年の表示方法として国民生活の中で広く使われているということ。それから公文書である戸籍簿の記載の統一を図る、こういうことを考えまして示したものでございます。
  171. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 元号が法制化された場合に様式集がいろいろ出ると思いますが、その様式を無視をして届け出に西暦表示で届けた場合はどうなるのか。また様式に元号を使用するように書かれていれば、自然に国民はこれになじむようなことになるわけですけれども、ある意味では強制ではないかという意見も出てくるわけでございますが、政府の御所見をお伺いしたいと思います。
  172. 吉野衛

    説明員(吉野衛君) 戸籍法の二十八条の規定によりますと、「法務大臣は、事件の種類によって、届書の様式を定めることができる。」というふうに書いてございます。また、この届け出は同じく二十七条で「書面又は口頭でこれをすることができる。」と、こういうふうになっております。それを受けまして、戸籍法の施行規則の五十九条という規定がございまして、そこで届け出書の様式を決めておるわけでございまして、たとえば出生届につきましてはこういう様式で届け出なさい。そこの様式には単に年月日と書いてあるだけでございまして、昭和何年何月何日届け出というふうに強要しているわけではございません。そういうことからいたしましても、西暦で出生の届け出年月日を書いてきましても、これは適法な届け出ということで受理をする、こういうことになるわけでございます。  それからもう一つ、現在実際の実務では国民の便宜を図る見地から出生届にはつまり出生証明書の添付が要る、そういうような出生証明書と出生周を合体した印刷文書をつくっておりまして、これを使いたい方はこれをお使いくださいということで国民の便宜に供しておりますから、それに基づいて出生届をするということになりますと、そこではあらかじめ昭和という元号が記載されておりますから、それでもってやる。だけれども、これを使いたくない、本来の任意に基づいてやりたいということであれば、それでも一向構わないというふうに法律のたてまえはなっております。
  173. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 ですから、不動文字で「昭和」と、こういうふうにやっておりますと使ってくると思いますけれども、勢いそれはある意味では強制ではないかという意見が出てくることに対してはどうお考えですか。
  174. 清水汪

    政府委員(清水汪君) 全般的にわたる問題でございますから、私の方からもう一度答弁させていただきますが、私ども考え方といたしましては、現在までのところおおむねはやはり「昭和」という不動文字を書いたものでいろいろの様式が使われている。それが大体なじんで定着しているというふうに考えておるわけでございます。わが国におきまする年の表示の方法といたしましては、やはり何といいましても元号が現在主流でございます。ですからこのようなことを反映して、様式も便宜そのように印刷をしているとか、あるいは表示をしているという問題だろうと思いますけれども、これをそのままお使いいただければ一番お互いに便利だということになるわけでございますけれども、ただ、その点についてどうしてもそうでなくしていきたいという場合には、その方についてはそこを消して西暦で書いていただくことになるわけでございますけれども、それはやむを得ないと申しますか、しかし、そういうふうに西暦で表示されましたものももちろん受理をするということでございます。したがいまして、これは一つの慣行的な現象だというふうに考えているわけでございますので、それからまた実質的には先ほど申しましたように、公務の斉一的なあるいは能率的な処理というような立場から協力を要請している、こういう内容でございますので、どうかそこは事実上の強制というふうな概念で御理解を賜らないようにお願いをしたいと存じているわけでございます。
  175. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は、文部省と法制局の方にお尋ねをしますが、教科書における元号記述の問題でございますが、二月の二十日に衆議院予算委員会において、内藤文部大臣は、たとえ元号が法制化されてもそれによって教科書執筆には制約を加えない。元号記述は著者の判断に任せてあると、このようにお述べになっておりますが、しかし四月十日の衆議院内閣委員会において、内閣法制局第二部長は、歴史など教育目的のため元号を教えることが必要な場合、教科書の著者に元号を書いてもらうのはやむを得ないことだ。このことで著者の表現の自由が若干制約されても、教科書の性格からくる制約であり問題はないと、このように発言をされております。文部大臣の発言を覆したような印象を与えるわけでありますが、元号法制化の政府答弁がこのように食い違いかあるということを、国民にそのような印象を与えるということは、ますます国民理解を得ることは困難になろうかと思いますが、このなぜ二つの発言が食い違ったのか。また教科書における元号考え方をこの際明確にして、ただいまの紹介した二つの発言を踏まえまして、文部省と内閣法制局、それぞれお答え願いたいと思います。
  176. 上野保之

    説明員(上野保之君) いま御指摘の大臣の答弁でございますが、これは五十二年度検定におきまして、元号を優先させるような特別の指導をやったのではないかというような御趣旨の御質問に対しまして、そのようなことはなく、従来どおりやっておる旨をお答えしたものでございます。なおまた、この点につきましては、四月二十七日のこの参議院の本会議におきまして、文部大臣の方から「教科書においては、教科の目標、内容等に照らして適切な年代の表示方法がとられることが必要であり、特に社会科の日本の歴史の年代については、元号及び西暦を学ぶことが学習を進める上に必要であるので、教科書の検定において、元号と西暦の併記を求めること」がある旨答弁いただいておりますが、そういうわけでございまして、法制局の御答弁とは何ら食い違うものとは考えておりません。全く同じでございます。
  177. 味村治

    政府委員(味村治君) 私は、衆議院内閣委員会で申し上げましたことは、文部省におきまして現在の教科書の検定の際にどのように元号を取り扱っているかということを文部省の方から御説明がございまして、その際にただいま文部省の方かおっしゃたと同じことをおっしゃったわけでございますが、それを受けまして、そのような検定の扱いは特に憲法上問題はないんだということを申し上げただけでございます。私が教科書の検定につきまして元号の使用の実情とかあるいは元号を使用すべきだとか、そういうことは全然申しておりませんし、またそれを申し上げる立場にもございません。そういう意味で決して文部大臣の御発言と矛盾するところはございません。
  178. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 それはよく了解できましたけれども、文部大臣は最初からはっきり言えばいいんですよ。途中で四月の参議院本会議でおっしゃったことは前の答弁を少し変えたというふうに私は理解せざるを得ないと思うのですが、そういうことがあってはならないという面で申し上げたわけでございます。  次は、同じく文部省にお尋ねをしますが、元号が教育の場でどのように扱われているか、こういうことを見てみますと、小学校、中学校、高校の教科書を調べてみますときに、日本の歴史についても西歴が主に使用されておるようでございますが、教えておる教師の面から年号に対する考え方をいろいろ調べてみますと、社団法人日本教科書会が五十三年の六月に一般教師一万八百人を対象に調査したところによりますと、元号、西暦の両方使用する方がいいと答えている教師が一番多くて、一般教師の五八・五%、管理職の六〇・七%ということでございます。元号が法制化された場合西暦より元号を重視する方向になるのかどうか。また、教科書での年代記載方法については教科用図書検定基準実施細則に定められておるようでございますが、この細則を変える部分があるのかどうか、この点についてお答え願いたいと思います。
  179. 上野保之

    説明員(上野保之君) 現在、教科書の年代記述につきましては、日本史の関連につきましてだけ、重要なものにつきましては元号と西暦を併記していただきたいということを検定基準の実施細則で定めておるところでございますが、それぞれの教科の目標、内容等に照らしまして現在適切なそれぞれ表示方法がとられておりますから、法制化というようなことに伴いまして特に現在のものを検定上どうこう変更する必要はないと、そのように考えております。
  180. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 細則は。
  181. 上野保之

    説明員(上野保之君) 細則も別に特段の措置は必要ないと考えております。
  182. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 先ほど質問の過程であなたの方に、年号というのを書いてあるのを元号というふうに改正をする、そういうことはあり得るのじゃないかというようなお話もありましたが、そこらあたりいかがですか。
  183. 上野保之

    説明員(上野保之君) 年号と元号はこれは概念としまして全く同じでございます。そういう関係から、法制化されますれば、これは国のそういう法令関係でございますので、必要によってはこれは形式的に改めさせていただく場合があるかと思いますが、現在のところそこまで特に検討して結論は出しておりません。
  184. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は、郵政省にお尋ねをしますが、郵政省発行の記念切手はこれまで西暦が表示されていたわけでございますが、なぜ元号を使用しなかったか、その理由についてお伺いいたします。  また、昭和五十一年の十一月十日の天皇陛下の在位五十周年記念式典の記念切手は西暦と元号の併記でありますが、なぜ併記をされたのか、その理由についてお聞かせ願いたいと思います。
  185. 山口武雄

    説明員(山口武雄君) 郵便切手の年表示につきましてでございますが、特別な記念行事等の際に発行いたしますいわゆる記念切手で発行年を表示することがふさわしいものにつきまして表示いたしておりますが、その表示方法は統一されておりませんで、西暦による場合あるいは元号による場合あるいは両者の併記と、さまざまになっております。最近では表示しているものの多くは西暦を用いておりますが、社会的慣習等から見まして昭和何年と表示した方がなじむというような場合には、元号による表示とか、あるいは元号と西暦の併記をしている場合もございます。特に西暦のみを使用しているというものではございません。  第二点目の、天皇在位五十年記念切手の表示、併記の理由でございますが、ただいま申し上げましたように、社会的慣習から見て昭和何年ということがなじむというものについて元号による表示あるいは元号と西暦との併記をしている場合という事例にまさに当たるわけでございまして、そのようなことから併記をいたした次第でございます。
  186. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 今後元号が法制化された場合に記念切手の年号についてはどうなるのですか。いままでどおり、記念切手は西暦一本の場合もあったわけですから、西暦一本になるのか、元号、西暦併記か、または元号一本になるのか。どういうふうになるのですか。
  187. 山口武雄

    説明員(山口武雄君) 仰せのとおり、法制化されました場合には、記念切手等に年表示をする際におきましては、切手の主たる用途等にもよりますが、原則として元号及び西暦を併記する方向で進めてまいることとなろうかと考えております。
  188. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いま郵便に使っております消印はそれぞれ種類がいろいろあるようでございますが、郵便局の判断で使っているということのようでございますが、消印の年号はその種類によって西暦、元号いろいろ違っておりますが、その理由はどういうところによるのか。それと、その現状はどういうような使用状態になっておるのか。また元号が法制化された場合、いままでと変わらず使用するのか、元号だけに変わっていくのか、その点はいかがでしょう。
  189. 桑野扶美雄

    説明員桑野扶美雄君) 通信日付印の年表示につきましては、内国郵便物につきましては従来から元号を、外国郵便物につきましては諸外国が共通のものとして西暦を使用しているというところから、わが国においても西暦を使用することとしております。  なお、一部の郵便局におきましては、内国郵便物と外国郵便物とを一緒に消印する郵便物自動選別取りそろえ押印機というものがございまして、これにかかわる郵便物につきましては内国と外国と一緒になりますものですから西暦を使用しております。  この使用状況でございますけれども、いま申し上げましたように、内国郵便物は原則として元号を外国郵便物については原則として西暦を使用しておりまして、ただ、いま申し上げました機械にかかる内国郵便物につきましては西暦が表示されておりますが、この郵便物は全体の内国郵便物のうちの切手を張られている郵便物、大体その中の三〇%くらいに当たるだろうというふうに思っております。  それから、法制化後はどうするのかというお尋ねでございますが、これは従来どおり内国郵便物につきましては元号による表示をいたしますし外国郵便物につきましては西暦による表示を使用いたすことになります。  ただ、内国郵便物と外国郵便物を一緒に消印する郵便物自動選別取りそろえ押印機等の機械に使用しております通信日付印の年表示につきましては、元号と西暦をあわせ表示する方向で検討をただいまいたしております。
  190. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は、法制局長官にお尋ねをしますが、元号の使用義務についてお伺いします。  この元号法案成立したと仮定した場合、もちろんいろいろ答弁がございまして、国民には元号使用の義務はないとしても、成立をした場合には元号法を定めた国自身には元号使用義務が生ずるものと考えられると思いますが、いかがでしょうか。
  191. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいま御審議お願いいたしておりまする元号法案成立いたしました場合でも、この法案の中身をごらんになれば明らかなように使用のことは何にも書いてございません。したがいまして、国がつくった法律ができたんだから、当然に国の機関あるいは公務員は元号を使わなければならないというふうに当然にはなるものではございません。ただ、現在でも昭和というのが原則として用いられておりますから、この元号法案成立した暁におきましてもおのずから元号が用いられると思います。ただ、外国との関係の文書とかあるいは外国と関連の深い科学技術の文書とか、そういうものは現在でも西暦で用いられておりますが、一般の役所では公文書には元号が用いられることと思います。  ただ公務員ですから元号を用いないでおれは西暦を使いたいというふうな風変わりな人がもしおりました場合には、それは公務員法によって元号を使いなさいという職務上の命令を出すことは理論上は考えられます。で、その職務上の上司の命令が出ればそれは当然公務員法によってそれに従わなければならない義務が生ずるわけでございます。
  192. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 私が言っておるのは、長官は確かにこの元号の服務義務ですか、国家公務員の服務義務は職務命令が出たとき初めて生ずる、こういうふうに御答弁になっているようでございますが、元号法案成立をしたら純理論的に言うと、やはり国自体は、その法律成立するんですから拘束されるという、そういうような義務はおのずから、使用義務といいますか、当然出てくると思うんですが、そこらあたりはいかがですか。
  193. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点は先生とちょっと解釈が異なるわけなんですが、この法律ができましても、この法律元号を定めるという手続ルールを決めるだけでございますので、この法律が出たからといって国の機関を挙げて元号を使わなければならないというふうに当然になるというふうには私たちは解釈しているわけではございません。
  194. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 じゃ次は、元号法から国民元号使用の義務はこれは生じないということは明らかにわかりましたが、もしもある種の官公庁への届け出の書類で年を表示するときに、西暦紀元というものを用いないで元号を使用するときに、私元号というのがありますね、お寺とかお宮とかあるいは九州あたりでは私元号というのを使っておりますが、こういうやつは用いてはならない、やはり元号法で決められた昭和というものを用いなければならないという義務は生ずるということは、そのように理解していいですか。
  195. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) その点は、この法案成立する前のつまりきよう今日においても同じようなことは考えられるわけでございまして、一般に通用しないようないわゆる私元号は、これは公務所に対する届け出書にそういうものを用いたのではやはり公務所としては困りますので、それは受け付けできないということに相なろうかと思います。
  196. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は、国と地方公共団体との関係でございますが、中央集権的な考えからいきますと、地方公共団体というのは伝統的機能であるという考え方からしますと、国が使うんだから地方は使うのが当然であるという、こういうような考え方になろうかと思いますが、しかし新しい日本国憲法によりますと、九十四条では地方公共団体という独立性も認められております。そういうことからしますと、ここらあたりの関係は、国で決めて、国の機関は服務命令が出て国家公務員はそれに従うという服務義務は出ますけれども、地方公共団体はどうなのか、また地方公共団体で国から委託を受けておる委任事務の場合はどうなのか、固有事務の場合はどうなのか、そこらあたりはどうなりますか。
  197. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ただいま最後に申されましたように、地方公共団体において行われる事務には、国のいわゆる機関委任事務とそれから当該地方公共団体のいわぬる固有事務という二通りあるわけでございまして、前者の機関委任事務につきましては、御承知のとおり国の指揮監督権が及ぶということになっておりますので、もし必要があれば、たとえば統一的に事務を処理しなければならないというような場合には、国としてその機関委任事務については指揮監督権の発動として元号を用いなさいということを命令することは理論上はできます。ただ、固有事務につきましては、これは国と実は関係がないわけでございますから、当該地方公共団体においてその公共団体の事務の処理上、必要があれば当該公共団体の長が地方公務員法の規定によってやはり命令を出せば、その服務義務によって元号を使用しなければならないという義務を公務員は受けるということに相なろうかと思います。
  198. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 国と地方公共団体の関係
  199. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) ですからただいま申し上げましたように、国の機関委任を処理する場合の地方公共団体の当該地方公務員は国の指揮監督権に服しますから、国の方で必要があって全国を通じて事務を統一的に処理するために元号でなければ困るという場合には、それを強制することは法律上可能でございます。ただ、先ほども申しましたように、いわゆる団体の固有事務ですね、これについては国は関与することはできません。ただ、例の地方自治法の二百四十五条で助言、勧告かできますから、その助言、勧告によってカバーできる限度においては、それは国の方で関与はできますけれども、これは助言、勧告でございますから、ぎりぎりの法律論から言えば公共団体がその助言、勧告に法律上従わなければならないという効果が生ずるものではございません。
  200. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 じゃ、このように理解すればよろしいですか。地方公共団体というのは伝統的権能はないんだと、国がやったから地方はそれに従わなければならないということはないんだと。ただ、国の委任事務に関しては従わなければならない。そうなりますと、地方公共団体の長で、ぼくは西暦が好きだと、西暦を使おうと、部下にも西暦を使いなさいと職務命令を出したら、それでいいわけになるわけですね。しかし、そうなると混乱をするような感じがしますが、いかがでしょうか。
  201. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) いわゆる地方公共団体の固有事務については、当該団体においてその長がわが町は西暦でいきたいということであれば、それは西暦をお使いになって結構なんで、先ほど申しました助言、勧告はやれますけれども、これは法律上の義務にはなりませんので、当該公共団体に限ってその西暦を用いることになっても別にそう混乱ということはないと思います。ただ、地方公共団体が固有事務もやり、それからの国の機関委任事務もやりますから、それで混乱が生じますからおのずから固有事務についても元号をお使いになる結果になるだろうということは想像できます。
  202. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 次は、これも長官の御答弁であったんですが、公務員は上司から使用を命令された場合、職務上の命令に従わなければならないという、こういうような見解を示しておられますが、どこまでその範囲は及ぶのか、国家公務員だけなのか、五現業、三公社はいかないのか、あるいは政府のいろいろ指導しておる特殊法人までいくのか、そこらあたりの範囲はどういうふうになるのか。また従わない場合は職務上の義務に違反することで何らかの処分を受けるとの答弁をしておられますが、どのような処分があるんでしょうか。
  203. 真田秀夫

    政府委員真田秀夫君) まず処分の点から申しますと、国家公務員法を例にとって申しますと、これは非常に冷ややかな法律論なんですが、九十八条で上司の職務上の命令が出れば従わなければならないというのは、これは明文に書いてあるわけでございまして、その職務上の命令に従わなければ八十二条によって懲戒の対象にはなります、理論上は。ただ、どういう処分になるか、それは実は職務権者つまり懲戒権者の裁量に実は任せられておるわけでございまして、まあ余り重い懲戒をすればこれは懲戒権の乱用ということで抗告訴訟によって取り消されるというようなこともありましょうが、理論上はとにかく懲戒の対象にならないとは言い切れないということでございます。  それから、五現業はこれは公務員でございますから、ただいま申しましたのと同じ法理が働きます。  それから三公社、これは別法人でございますからそれぞれの公社においてその長がお決めになってしかるべきことであろうと思います。  それから、公庫、公団についても同じことでございます。
  204. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 じゃ次は、元号法案の附則第二項が現在用いられている昭和元号に法的根拠を与えたものと、このように解釈をするわけでございますが、それでよろしいでしょうか。
  205. 清水汪

    政府委員(清水汪君) さように存じております。
  206. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 私がいままで質問してまいりました事項は、元号が法制化された際の使用についてでございますが、元号が法制化されたらこれはどうなるかということは、こういう疑問は当然国民の間に持っていると思います。  それで、私は総務長官にお尋ねをしたいんですが、今回法制化されるに当たって元号が法制化されれば、先ほどもありましたが、ここがこうなりますといった一つ政府の統一見解なるものを国民にPRといいますか、そういうことを表示されてPRされるということは国民に非常に理解が深まるのじゃないかと思うのでございますが、この辺の御見解はいかがでしょうか。
  207. 三原朝雄

    国務大臣三原朝雄君) お答えいたしますか、国会慎重審議をいただいておるときに、われわれの方でいろいろなことを国民にお知らせするということについては、国会慎重審議ということとあわせて考えていかねばならぬことでございます。しかし将来、国会審議が議了していただきまして後にいろいろな使用上の解説と申しますか、あるいはいろいろ御心配を受けております自由、束縛、拘束というようなこともございますので、そういう点について配慮を国会審議の中でも御指摘がございましたような注意事項というようなものを考えるべきではないかというような立場から、いま整理、検討を進めさしていただいておる段階でございます。しかし、審議中にいろいろな国民審議の中身その他について宣伝がましいようなことは慎んでおるところでございます。
  208. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 もちろんそれは成立をした後周知徹底するということをぼくは言ったわけでございまして、並行してというそういう非常識なことではございませんので。  それから改元が行われた場合、要するに昭和とこれが書きかえられるわけでございますが、いろいろな印刷物というものが昭和という不動文字が入ったりして使えない場合が相当出てくるのじゃないか。そうなりますと、いろいろまたつくり直すというようなこと等で紙、印刷業界とかそういうところの業界に及ぼす影響も大きいんじゃないか。こういうことからこの改元が経済界に及ぼす影響ということはどのようなふうにお考えになっていらっしゃいますか。
  209. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その問題につきましては、私どもといたしましてもいろいろと研究は進めているところでございます。一般的に申しますれば、これは一つ改元の時期の決定の仕方ということにも関係の深い問題かと思うわけでございますけれども、ただその時期につきましては、現在のところ具体的にこういう時期というふうにお答えを申し上げるわけにはまいりませんので、基本的な姿勢ということで御説明を申し上げておるわけでございますが、その基本的な姿勢と申しますのは、まず第一点は今回の法案の趣旨でございまして、この点につきましては事情の許す限り速やかに改元を行うという趣旨であろうと受けとめているわけでございます。しかしながら、上に立ちまして具体的にどういう時期になるかということが問題でございますが、その点につきましてはやはり改元の必要の生じた時期がどのような時期であるか、あるいはまたそのときにおきまする国民感情というものも考慮に入れる必要があろう。それからまた国民日常生活あるいは種々の経済社会活動というようなものについてどういう影響を与えるかというようなこと、それらを総合的に勘案をすることが必要であろう。もちろんこの時期の点に関しましては、先生の党の方からの御意見あるいはほかの先生の方からの御意見も従来種々承っているわけでございますので、そのようなことも十分考慮に入れさせていただいた上で検討し結論を出すことが必要であろうというふうに考えております。  で、そのようなことが、やや抽象的で恐縮でございますが、前提になってのことでございますが、さて具体的にどの程度の影響かということでございますが、これは数量的にはちょっと説明は困難でございますが、定性的と申しますか、一、二のことを例示的に御説明申し上げたいと思いますが、たとえば予備のと申しますか、貯蔵しております用紙の類がたくさんあるわけでございまして、そこには、先ほどのように「昭和 年 月日」というふうな不動文字の刷り込みもあるものがたくさんあろうと思いますが、そのような用紙につきましては、やはりできるだけむだにしないという意味におきまして、多少の手数はそれは否定できないと思いますけれども、そう大した手数ではないと思うわけでございますが、「昭和」というところをやはり書き直してお使いいただくということにできるだけお考えいただけないものかというふうに考えているわけでございますし、あるいはまた判こと申しますか、つまりたとえば受け付け日付印のようなものは役所においてもたくさんございますし、各企業等においてもあると思いますが、そのようなものにつきましては、これは大体回転式のように数年間にわたっては年月日のところがずっと動いて出てくるようになっているものが普通多いと思いますけれども、そのようなものは恐らくある種の工夫によりまして何か対応ができるのではないかというふうにも思うわけでございます。しかし、もちろんそのように申しましても実際の問題になりますればかなりのいろいろまあ影響というものは多いと思います。その辺につきましては、考え方としてはできるだけそういう影響なりが少なくなるようなこともやはり念頭に入れながら物事を判断していくということが必要ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
  210. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いま審議室長の方から改元の時期等について答弁の中でお話かありましたが、この時期については私たちは翌年の一月一日をということを主張しておるわけで、国民感情からもその方がいいんじゃないかと、こういうように思っておるわけでございますが、過去をさかのぼってみますと、大正十五年の十二月の二十五日大正天皇が亡くなられて、昭和元年は十二月二十五日から始まっておるわけで、昭和の元年は約一週間でございます。衆議院内閣委員会で話題になったわけでございますが、追って調査するということでございましたけれども、この一週間のうちに生まれた方、亡くなった方が大体幾らぐらいおるかということはできましたでしょうか。
  211. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その点につきまして、どうも必ずしも御意向に沿えるだけの答えができなくて大変申しわけないと思いますが、人口統計によりましてごく概略的なことを御説明させていただきますと、大正十五年、それから昭和元年というのは七日間でございますが、この一年間に出生した人口というのは二百十万四千四百五人と、こういうことになっております、これは一年間の総数でございますが。この総数が現在、と申しましても人口統計昭和五十年十月一日現在の国勢調査でございますが、その昭和五十年十月一日現在において生存しておりますのは百四十一万三百四十人ということでございまして、約七割というようなことを示しております。  で、これから先、十二月二十五日前と二十五日から後の七日間とでどういう割り振りになるかということにつきましては、実は行き届いた調査ができませんので、三百六十五日分の三百五十八日と、もう一つは三百六十五日分の七日ということで比例配分的に案分計算をさせていただきますと、当然のことながら、いわゆる大正生まれ、これは十二月二十四日までということでございますが、大正生まれは出生数が二百六万四千人余でございましてその現在数は百三十八万三千人余ということでございますし、昭和元年という七日間の出生数はこの統計的な計算からいたしますと四万三百五十九人が出生しその生存者は二万七千四十八人ということに数字的な計算としてはなるわけでございます。
  212. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 大正十五年の、大正年代は十二月の二十五日まででしょう。そうすると昭和は十二月の二十五日から始まったわけですね。そうなると国民は非常に自分はどっちに入るのか判定に困ったと思うんですが、この判定は、昭和か大正かというのはどういうような――詔書か出て渙発されたときなのか御崩御になった時間帯なのか、それは政府はどういうふうに決めたのか、そこらあたりをお知らせ願いたいと思います。
  213. 清水汪

    政府委員(清水汪君) その点につきましては、当時のまず事実関係でございますが、これは大正天皇の崩御は午前一時二十五分か七分だったかと記憶いたしておりますが、そのような時刻でございます。そういたしまして、昭和元年という詔書――当時でごさいますから詔書か出て、そしてそれに同時に付随しまして内閣から告示が出まして、読み方を「セウワ」とかなを振ったものが出ておるわけですが、そのようなことが出ましたのが大体お昼に近い時刻であったというふうに記録からうかがえるわけでございます。そうしてそれまでの、その昭和改元するという詔書が出るまでにも、たとえば崩御のことを知らせる公示とかあるいは践祚の儀が行われたというような公示とか、そういうような幾つかのものがその都度官報の号外の形で出されておりますけれども、そのような幾つかの告示とか公示の行為というものは、その日付は全部大正十五年十二月二十五日ということで表示をされております。で、そのような旧元号によります表示の最後のものがその改元の詔書自身でございます。  そういたしまして、同時に内閣の方から、読み方は「セウワ」であるというふうにかなを振って「称呼左ノ如シ」という告示が出ておるわけですが、これが昭和元年十二月二十五日という日付で出た最初の官報号外、こういうことになっております。これが事実関係でございますが、世の中一般といたしましては、ラジオは多少あったというものの、まだ当時でございますから余り広報手段は豊かではなかったと思います。そのようなことから実際に行動がどういうふうになったかということが気になったわけでございますが、どうも結果といたしましては、その二十五日という日につきまして、大正十五年の十二月二十五日というふうにたとえば届け出をした方もおれば、昭和元年十二月二十五日生まれというふうに届け出をした方もあったようでございます。それはしかしながら、いずれに表示いたしましても、それがそのある特定の一日の表示であるということについてはきわめて明瞭で全く疑義がありませんので、役所側においてもそのようなものはそれぞれの届け出のあったとおりに処理をいたしておりまして、たとえばそれを職権によってどちらかに直すというようなことは実際にもしていなかったようでございます。  それから、後日歴史の教科書におきまして、たとえば大正天皇の崩御はいつであるかということを記述するということになりますと、これは当然に大正十五年十二月二十五日と、今上陛下の践祚は昭和元年十二月二十五日というふうに歴史の教科書では記述をするということに統一されておりまして、このときの理論的な考え方は崩御の時刻によって分けるという見解がとられておったわけでございます。しかし、世の中の実際の実務はそれに合わせて動いたというわけではございません。ただいま申しましたようなことになっておったわけでございます。
  214. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 いま御答弁があったとおり、国民の側にとっては非常に迷うわけでございますので、改元の時期というのはよっぽど慎重に考えて、特に国民中心にした日本国憲法からすれば、国民感情とか生活の利便さということを考えると、私たちが主張しておる踰年方式というのが非常に、また過去の実績からしてもそういうことが多かったということからしますと、検討していただくことがいいのではないかと思うんですが、さきの総務長官答弁でも検討をしてみようという御答弁があったようでありますが、何か具体的に検討されておることかございますか。
  215. 清水汪

    政府委員(清水汪君) ただいまの段階で具体的にお答えを申し上げることは、これはきわめてむずかしい問題でございますので、その点は御容赦をいただきたいと思いますが、貴重な御意見でございますので、十分参考にさせていただきまして総合的に検討をさせていただきたいということでございます。
  216. 和泉照雄

    ○和泉照雄君 終わります。
  217. 桧垣徳太郎

    委員長桧垣徳太郎君) 本案に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時二十一分散会      ―――――・―――――