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参考人(
北野弘久君) それじゃ、佐藤先生の二点についてお答えします。
第一点は、租税の収入面だけではなくて
歳出面の問題も考慮して大
企業優遇
措置を論ずべきであるということでありまして、私もそういうこと年来主張しておりまして、私は幾つかのつまらない書物を出しておりますんですが、一貫してそういうことを強調しておるのでありまして、単に従来
税法学者が言ってきましたような税金の徴収面だけの
税法分析では、
現代資本主義下における法理論の構築では不完全になると、こういうことを言っておるわけです。
そこで、最近では新しい
財政法学、租税概念というものを歳入
歳出を統合しまして、新しい租税概念のもとにタックスペイヤーの権利をいかにして擁護すべきであるかという、そういう
観点から、国と地方を通ずる税
財政全体についての法的研究を行うべき学問として新
財政法学——従来の
財政法の研究だけでは不十分であるということで、新しい
財政法学ということを提唱しておるのでありますけれ
ども、そのことの一環として
財政基本法の制定ということも提唱しております。これは租税の徴収面と使い道の両方の面でのタックスペイヤーのコントロールを保障する
基本法をつくるという、まあそういうことまで考えておるわけです。ですから、
不公平税制の問題もそういう
現代的な
歳出面での不公正との連関で考えなければ、きわめて片面的な、
部分的な観察になる危険性があるということでありまして、その点はおっしゃるとおりでありまして、私もそういう
意見をかねてから述べております。
これは非常にむつかしい問題がありまして、税金の使い道の問題では補助金の問題、あるいは
利子補給の問題、
財政投融資の問題、その他さまざまの有形無形の国または自治体の政策によって大
企業が優遇を受けておるということは事実でありまして、そういったものをいかにして客観的に評価するかということが非常にむつかしい問題になってくるのでありまして、従来の
所得課税を
中心とした
企業課税の理論ではそういったものを十分にキャッチできない。せめて
財産課税を行うことによってその不完全性を少しでもカバーしようじゃないかというのが私の
企業課税理論であります。
こういった大
企業の税金問題というものが憲法にどういう
関係になるかという、これは
税制というのはやっぱり憲法を頂点とした法秩序の一部として本来論ずべき問題でありまして、その
範囲内で
経済理論が
導入されるというのが私の主張であります。憲法を頂点とした国家の
基本法が何を
税制に要求しているかと、あるいは
財政に要求しているかということを考えるべき問題があるわけでありまして、そういう
観点から申しますと、さまざまな憲法上の問題が考えられます。
たとえば不合理な租税優遇
措置というのは憲法十四条の問題につながります。それから国の法律で、
法人税法であろうと
措置法であろうとあるいは
地方税法という形であろうと、国の法律が不合理な租税優遇
措置というものを規定しましてそれを自治体に押しつけるという、そのことは場合によっては憲法九十二条の問題、自治体に保障された憲法上の
課税権を侵害するという、そういう問題にもなってきますし、それからこれはアメリカでも最近話題になっております問題でありますけれ
ども、租税優遇
措置の問題を
大蔵委員会だけで論ずるのは本当はおかしいのでありまして、租税優遇
措置の問題はまさに隠れた補助金、隠れた
歳出でありまして、予算
委員会で真正面から取り上げるべき問題でありまして、たとえばある大
企業に対して幾らの隠れた補助金を出したかということは、国会及び
国民はそれを知らないのであります。なぜかと申しますと、そういう問題は
税法案の
審議という形で行っておりますので、抽象的にですね。本来これは予算に計上すべきでありまして、
歳出と歳入、アメリカでもそれじゃいけないというので、租税
歳出概念という、タックスエクスペンディチャーという法概念を最近ではつくっておるのでありまして、まさに
現代的な問題として本来
大蔵委員会で論ずべき性質の問題ではないんです、租税優遇
措置という問題は。大蔵省で申しますと大蔵省主計局の問題であるべきはずの問題が主税局の問題として出てきておるという面がある。ですから
大蔵委員会でも——もっとも
大蔵委員会でも予算を
審議いたしますけれ
ども、予算とか
歳出の問題も大蔵省全体の問題として論じますが、本来としましてはこれは
税法案の
審議という形での
大蔵委員会の機能の問題ではなくて、まさに
歳出の問題、その
意味で予算の問題として本来租税優遇
措置の問題は論ずべきなんですね。
憲法は
財政民主主義を非常に強調しております。
納税者が自分の税金の徴収と使い道の問題についてコントロールを加えるべきことを憲法は要求しておるのでありまして、それを
財政民主主義と申します。
財政民主主義というのは
納税者が議会の場を通じて自分の権利を擁護するための手続上の手段でありまして、憲法上のときにはですね、それを規定したのが憲法八十三条でありますけれ
ども、そして八十四条はそれを収入面で具体化する、八十五条はそれを
歳出面で具体化しているにすぎないわけでありまするけれ
ども、租税優遇
措置の問題はまさに憲法八十三条、八十五条の問題であるべきなんです。ところが、日本の
税法学者は、国会でもそうですが、八十四条の問題として論じております。狭義の
税法の問題として論じておるという、ここに問題の間違いの原因があるのでありまして、法的に、まさに租税優遇
措置の問題は八十三条、八十五条の問題として論ずべきである。そういうことで——私の話はもう簡単に終わりますが、そういうことで実は国会に隠れた補助金を提示をしまして
国民のコントロールを受けていないということが、憲法で最も重要な
財政民主主義の空洞化をもたらしておる。ですから、そういう
意味でこの問題は憲法八十三条、八十五条の問題でもある。
それから古典的な営業の自由、憲法二十二条の問題にもつながってきまして、営業の自由の問題というのは権力からの自由という
意味でありまして、古典的には、ところが租税優遇
措置というのは国家権力が積極的に租税優遇
措置を規定する
税法をつくるという形で、特定の
企業の資本市場あるいは
経済市場における地位を権力が作為的に優遇するといいますか、そういう形で営業の自由に介入しておるのでありまして、そういう
意味ではまさに形を変えた
企業の寡占化、独占化というものを
税法が行っておるという、まさにそういう
意味でこれは古興的な
意味での営業の自由、憲法二十二条の問題でもある。こういうことでありまして、私のこの
税法理論というのは、ただ単に
部分的な形で出てくるんじゃなくて、国家の
基本法である憲法理論がどういうことを要求しているかというので構造的な形で出てきているのでありまして、詳しくは私のつまらない書物を御
検討いただければありがたいと思っております。
で、
一般消費税の問題に移りますが、私は
一般消費税問題は単に赤字
財政の問題だと思っておりません。単に
財政の問題、税金の問題だと思っておりません。その証拠に、
一般消費税問題は、
一般的には
昭和三十一年ごろから
政府の
税調筋で論議されてきた問題でありますし、具体的にも
昭和四十三年からの
税調で論議されてきたのでありまして、いまから十年以上前——もう十一年になりますね。
答申が出たのは四十六年ですから、いまからもう八年になるわけですけれ
ども、その時点はまだ赤字
財政の問題が表面化してなかったのでありますけれ
ども、
政府の
税調におきましては、当時付加価値税という形で具体的な示唆を行っております。当時私はある専門誌に、一体あの当時の予算規模で四、五兆円の
税収がなぜ必要なのか、こういったことを論文に書いた記憶がありますんですけれ
ども、ですから、
一般消費税問題というのは赤字
財政問題ではない。赤字
財政の問題はある
意味では
一つの
理由づけに過ぎないという側面があるということ、この点に御注意願いたいと思います。
フランスは
一般消費税の王国と言われておりますのですけれ
ども、最近入手しました情報によりますと、日商岩井の島田常務は「会社の皆様へ」という遺書を書きましたが、フランスの青年実業家たちは「税務署へ」という遺書を書いて自殺をする人が絶えないのでありまして、そのニュースによりますと、日本の
昭和二十三年ないし二十四年のあの状態に非常によく似た状態があるというふうに聞いておりますんですが、それほどフランスにおきましても
一般消費税の徴税拘束が非常に厳しくなりまして、中小
企業は続々倒産する、あるいは自殺を行うというニュースが報道されておるのでありまして、これはよほどわれわれ慎重にやらなきゃいけない。ですから
一般消費税という形ではなくて、
国民に
増税を求めるとするならば、少なくとも私は
所得税、
法人税の
増税の方がはるかによろしい。どうせ
国民が納めるのでしたら、
物価高によって納めるより、きちっと自分の税金を意識した上で
所得税、
法人税として納めた方がはるかに弊害が少ないんでありまして、いずれにしましても、よほどわれわれは
一般消費税導入については慎重でなくてはいけない。これは非常に恐ろしい問題でありまして、私はちょっと言葉を強く申しますと、
一般消費税問題は形を変えた大東亜戦争突入に匹敵する問題であると考えております。決して思いつきの議論じゃありません。私の二十数年間の
税法学研究の研究成果としてそのことを皆様に申し上げたいと思っております。
以上です。