○初
村滝一郎君 もう時間が十二時を過ぎておるわけでありますけれ
ども、私はこの原子
爆弾被爆地域の拡大について、ただ一本にしぼって
厚生省側の見解をただしたい。
その前に、私はまず
大臣として、従来自由民主党の社会部会長、あるいはまた
原爆特別
対策委員として非常に
被爆者に対して温かい御
意見等をいただいて感謝いたしておるわけでありますが、何さま
被爆の国の国民とし、さらにまた
被爆県の県民として、一応県民の代表として
厚生省側にこういうことを
考えておるんだということを申し上げなければならないということできょうは質問に立ったわけでありますので、ひとつ寛大なる
大臣の御見解を賜りたい。
御
承知のとおりに、
昭和三十二年に
医療に関する
法律をつくっていただきました。さらにまた、四十三年には
被爆者に対する
特別措置というものを
法律でつくっていただいて、二つの
法律で
被爆者の健康管理及び
福祉等の諸施策を積極的に推進していただいておりますことをまず私は衷心からお礼を申し上げたい。しかしながら、
原爆の特異性から、
被爆後三十
有余年の長い間、社会的医学的後遺症に苦しむ、さらにまた今後も終生悩み続けねばならないという宿命を持っておる
被爆者一あるいはまた遺族の心情を
考えますときに、私はやっぱり画期的な
援護対策の確立が強く要請されなければならない、かように
考えておるものであります。
そこで私は、
被爆者対策の重要な問題でありながら、ここ数年来
被爆地域の拡大が思うようにならないというようなことで、早期的解決を期待いたしまして私の所見を申し上げてみたいと思います。
〔
委員長退席、理事小平芳平君着席〕
この拡大の問題につきましては、すでに御
承知のとおりに、長崎県の要望はお手元に地図を差し上げておるわけでありますが、
爆心地から十二キロの線上にかかる地域を
健康診断の特例地域に指定していただきたいということであります。それから一方、広島県側は当時
被爆を受けて黒い雨が降ったんですね。そこでこの黒い雨の降雨地域を
被爆地域に指定していただきたいというのがそれぞれの立場でございます。
そこで、おかげをもちまして長崎県側の要望に対しては、
昭和四十九年の六月に、長崎市に隣接する旧時津村、旧長与村、この地図の一番北の方にある青い色で書いたところがございます。ここが
健康診断の特例地域に指定いただいたわけであります。それからさらに五十一年の九月に、
爆心地からおおむね六キロの線上にかかる地域が
健康診断の特例地域に指定されておるのであります。それから広島の方は大体黒い雨の降雨地域の中心部、横を十一キロ、縦を十九キロ、これが
健康診断の特例地域に指定されておるのであります。それぞれの地域の住民は、
健康診断に限り
原爆医療法に基づく
被爆者とみなされ、年二回の定期
健康診断、それから年二回の希望による
健康診断が行われて、しかも
健康診断の結果、
厚生大臣が指定する特定
疾病、これにかかっておる者には
被爆者健康手帳が交付される、また
各種手当が支給され、
被爆者としての処遇を受けるなど、これら住民の健康の保持と
福祉の向上が図られておるのであります。これはひとえに
政府の関係者の深い御
理解と格別の御
努力のたまものであり、これまた一応深く感謝を申し上げる次第であります。
本日は、以上申し上げましたような経緯を踏まえて、特に長崎の関係住民を初め、県民ひとしく多年にわたって念願しております
爆心地から十二キロメートルの線上にかかる地域までの
健康診断の特例地域に指定していただきたいという問題に触れてみたいと思います。
被爆地域の拡大を要望している根拠の第一は、
原爆医療法に基づく現行の
爆心地域並びに
健康診断特例区域は、
爆心地から南北、この地図の一番下と一番上の方に約十二キロ、こうあるわけですね。十二キロの線の中にはこれは完全に入っておるわけなんです。ところが、東西は六キロの線上にかかる地域が指定されておる関係から、地域の相対的関係から、現行の
爆心地域及び
健康診断特例区域と
周辺の未指定地域との間に指定格差が生じているのであります。これをこういうふうに私は
考えておるものであります。原子
爆弾というのは上からぽんと落ちておるのですから、南から北に長くはいっておらぬわけですから、やっぱり南も西も丸く落ちておるのですから、それはやっぱり十二キロの線上に指定するのが妥当ではなかろうか、かように
考えるわけであります。これが第一。
〔理事小平芳平君退席、
委員長着席〕
第二は、
周辺十二キロ線上までの未指定地域は、
原爆被爆当時かなりの人的物的被害を受けておるのであります。ちなみに
被爆当時の人的物的被害の状況を、
昭和四十九年四月に関係住民を対象に実施した
健康診断の結果、概略について簡単に
説明してみますと、当時の在住者が六万七千四百八十一人おったということなんです。その中の一万七千九百五十八人、すなわち全体の二六・六%の
方々が何らかの身体的被害を受けているということであります。当時の戸数で一万三百七十八戸そのうちの四四%、四千五百七十二月が何らかの形でこの
原爆の被害を受けておるという事実であります。それから第二番目は、関係住民の健康
状態でございますけれ
ども、住民の
健康診断の結果では、
健康診断を受けた七千百一名のうちに、
精密検査の受診者が二千八百六十五人、この
精密検査受診者のうちの千七百六十九人というもの、
健康診断受診者総数の二四・九%の人が何らかの
疾病にかかっておるという事実であります。こんなに
疾病の発現率が高いということでありますから、以上申し上げましたように、現に拡大を要望しております地域と、四十九年と五十一年にみなし地域に指定をしていただいた地域は全く同一条件下に置かれておると確信をしておるのであります。
それで、さらに御
承知のとおりに、この長崎に落とされた原子
爆弾の威力は広島に落とされた原子
爆弾の威力の一・八倍、約二倍の強い威力のものが落とされておるんですよ。この点はあらゆる資料によって御
承知のとおりでありますけれ
ども、中でも
日本学術
会議編さんの
原爆災害調査
報告集、あるいはまた長崎
原爆戦災誌によれば、十キロ、あるいはそれ以上も高いところから落とされたわけですね、そこに落ちた煙があったと。あるいはまた、上の方は西風に送られてずっと離れております島原方面の上空に流れていったという事実なんですね。あるいはまた、地上五百メートルの空中で炸裂をした
原爆は直径が三千メートルに及んでおると、それで巨大なたつまきをあらわしたということなんです。この黒い灰や微量物が、地図でありますこの矢上、あるいは古賀、田結、江の浦、こういうふうに長崎市の東北部の各村に飛び散って、そのためにサツマイモの葉っぱの上が薄うく白くなっちゃって、そして字が書けるような
状態がはっきりしたということもここにあらわれておるわけであります。
さらに、すでに御
承知のとおりに、ラジオゾンデ、これはもう
爆心地から第一、第二、第三と東北の方にありますでしょう、戸石村、田結村、江の浦等に落ちているわけですね。だからして、
原爆の偉大な威力が限りなく広範囲に及んだことはいままで私が申し上げましたことによって
大臣は想像ができるであろうと解釈をするものでありますが、当該地域住民の証言によりますと、
爆心地から八・五キロの地点で川の中で泳いでおったと、
被爆の熱線によって体全体に水ぶくれができたということですね。そしてその後内臓が悪くなり、原因不明のまま
昭和四十二年に死んだということなんです。あるいはまた、
爆心地から十キロないし十二キロの地点で、出血して毛が抜けてしまった
状態がある。これは南西の伊王島、これはもう十二キロに入りますね、ここでもそういう証言がなされておる。これは単に私は一部の証言を申し上げたのでございますが、これらもろもろの事実から拡大要望の根拠なり、指定の
必要性に十分に御
認識が、御
理解ができたと思いますが、私は早急に指定をしてはいかがなものだろうかということをお聞きするわけであります。
そこで、簡単にお聞きいたしますが、先般残留
放射能の試験をした結果、いまなお
放射能は残る、しかし人体に
影響はない、こういう報道をされておりますが、その中で、その調査結果について、
厚生省は西山地区以外では残留
放射能が検出されなかったために指定地域を広げる必要はないとの態度だと、こう新聞には報道されておるわけでありますが、これが事実なのかどうか、これをお聞きしたい。で、事実であるならば結局指定する意思がないと解釈をせざるを得ないわけでありますが、これに対する
大臣のまずお
考えをお聞きしたいと思います。