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穐山篤君 そうしますと、照らし合わせが不十分ですから、ある意味でいうと私の問題の指摘の一方通行になろうかと思いますけれ
ども、しかし大事な問題ですから十分に聞いておいていただきたいと思うのです。
昭和十二年十二月一日付の関東軍司令官が発しましたそれぞれの規定の整備その他を受けまして、次のようなことが
法律の上で明らかにされているわけです。それは満州国の規定になるわけですけれ
ども、満州国の法権に服する者に対し、満州国の法令を
適用し、軍事警察権、司法警察権及び行政警察権を行使することを得ると、こう書いてありまして、その地域が具体的に指定がされております。で、その地域というのは、第一が国境接壌地帯、これは国境地帯法の施行区域というふうに示されております。それから二つ目には、治安不良地区ということで三江省、牡丹江など幾つかの省を特別に指定がしてあります。したがって、治安不良地域にいる日本人、満州人、それから国境接壌地域におきます満州人、日本人、これは全部満州国の
法律を実は受けるわけでありますが、軍人以外は全部満州国の
法律の
適用を受けるんですよというふうに前提条件が変わったわけですから、そういう目でこの
法律、規定を見る必要があると思うんです。で、たまたま国境接壌地域あるいは治安不良地区といいますのは、義勇隊の訓練所あるいは特別訓練所が設置をされていたところと同時に、もう一つは、義勇隊
開拓団として新たに入植する地域がほとんど
対象になっているというのが特殊であります。この点はまず第一に十分に御理解をいただきたいと思うんです。
それから二つ目に、康徳五年ですから
昭和十三年の二月二十三日の日に、満州国の治安部から治安部令第八号というものが出ておりまして、軍機保護法の施行規則が新たに制定をされております。これは関東軍が持っております軍事施設あるいは関東軍と満州国との共同軍事施設など機密に属する問題でありますが、この軍機保護法の第八条を読んでみますと、軍事機密物件あるいは軍事機密地域は次のようなものだというふうに指定がしてあるわけです。これは後のことで非常に大事な関係でありますのでその文章を読んでみましょう。
第一が「機密兵器、軍用庁舎、軍用艦船、軍事航空機、軍用列車その他軍事上機密に属する物件及び軍事の用に供する鉄道水路に関する施設」、第二は「塗るい、砲台、防衛々所その他国防の為建設したる防ぎょ営造物」、第三が「軍用港湾、軍用駅、軍用飛行場、軍需品工場、軍需品貯蔵所その他軍事施設」というふうに、この軍事機密に関する物件というものを、全部こういうものでありますよというふうに
法律の上で明確にしておるわけです。それから、その次が第三条で、その地域というのはこういうものだと、この地域だというふうに、第一種、第二種、第三種地域、三
種類、法的に指定がしてあるわけです。これは義勇隊
開拓団が入植した地域にほとんどその
対象物件――
対象地域が、実はたまたま第一、第二、第三種の地域であったということが、非常に重要な事実関係といいますか、証拠になっているということを申し上げておきたいと思うんです。そういう実は理解にいますぐ立ってくれと言ってみても、皆さんの方が勉強をまだしてないわけですから無理だと思いますけれ
ども、一応私が指摘をしたようなことの前提条件に立って物を考えたとすると、次のような問題があるということもひとつ認識をしていただきたいと思うんです。
御案内のとおり、
昭和十六年十二月八日の日に日米開戦、太平洋
戦争が行われた。その前後の関係をあえて申し上げることはないと思いますけれ
ども、御案内のとおり、その前の年の
昭和十五年九月二十七日に日独伊三国同盟が調印をされた。太平洋
戦争が始まりましたその同じ年の四月十三日、
昭和十六年の四月十三日に日ソ中立条約が調印をされた。実はその後も大切なんですが、
昭和十六年の七月二日の日に、御前
会議で、
情勢の推移に伴う帝国国策要綱というものが決定をされまして、南部仏印に進駐するという具体的な
計画がその場で決まったわけですね。それと同時に、日ソ中立条約は結びましたけれ
ども、仏印に軍隊をずうっと集結をしますと旧満州地域の警備が薄くなるという意味で、対ソ
戦争のための関東軍の特別演習ということがその御前
会議で決まっているわけです。それから
昭和十六年の七月十九日にいよいよ南部仏印に進駐をしなさいという天皇陛下の命令が出されまして、具体的に関東軍が移動を始めましたのは、その前から少しずつありましたけれ
ども、組織的に動いたのは
昭和十六年の十二月から具体的に大移動が南の方に行われて、先ほ
ども申し上げましたように、十二月八日日米開戦というつながりになっているわけです。このことは別に私が申し上げなくても、軍の経験のある方はほとんどおわかりだと思うのです。何百万といました関東軍が大移動を始めて、それぞれのところに進駐したわけですけれ
ども、進駐先を具体的に調べてみますと、フィリピン、パラオ、サイパン、テニアン、グアム、沖繩、台湾というふうに軍隊が移動しているわけです。
そこで、もう一つの認識、理解として十分に受けとめていただきたいと思いますのは、その
昭和十六年、言いかえてみれば青少年義勇隊の第一期卒業生がいよいよ義勇隊
開拓団として入植をする、その時期に、関東軍の移動が南の方に行われたという認識を十分持っていただきたいというふうに思うわけです。
そこで、私が調べましたものによりますと、関東軍が南の方に、まあ日米開戦、それから南の方に軍隊の移動ということがありましたので、義勇隊
開拓団の入植地についてどこの官庁が具体的に主導権を持って配置
計画をつくったかということを調べてみました。これは皆さん方もおおむねわかっていられると思いますけれ
ども、
開拓公社であるとか、あるいは訓練所の本部であるとか、全部
関係者は入りましたけれ
ども、その
計画は関東軍の
計画に基づいてそれぞれの訓練本部なり
開拓総局なり
開拓公社なり、そういうものが協力をしたという因果関係になっているわけですが、以上申し上げました三つの問題意識については、いまの時点で厚生省側はどういうふうにお考えですか。