○沓脱タケ子君 それでは、私は大臣
所信に関連をいたしまして、三月五日に大分地裁から判決が出ました大分新産都第二期計画の問題についてお尋ねをしていきたいと思います。短かい時間でございますので端的にお伺いをしていきたいと思います。
まず、大分新産都第一期計画の一号地から四号地までの進出企業が操業を開始した
昭和四十年代の中ごろから一号地、二号地の後背地であります三佐地区、それから家島地区の
環境破壊が急テンポに進行いたしました。三月五日の大分地裁の判決は、第一期計画の結果発生した
公害のひどい状態について明確な事実認定を行っているわけでございます。
そのポイントを時間がありませんから簡単に申し上げますと、お読みいただいていると思いますが、三点にしぼられると思うのです。その第一点は一期計画による
公害の実情、しかもその
公害の実情のうち三つに分けて海の汚染と漁業被害、それから三佐地区住民の
公害被害、それから三佐地区住民の集団移転問題それが
一つの問題点ですね。二つ目の問題点というのは、
行政当局における
公害防止対策の著しいおくれ、それから三つ目の
指摘は、大企業の都合ばっかり考えて
公害に苦しむ住民の声に真摯に耳を傾けなかった県当局の姿勢、これに関連する
行政側と地元住民との間の対立の激しさということが
指摘をされているわけでございます。
一つずつ申し上げたらいいわけですけれども、時間の都合がありますから、たとえば第一期計画における
公害の実情というものについて判決の理由書ではこういうふうに端的に言われているのですね。
これは理由書の一の二四二ですが、これによりますと「大分県の臨海部の工業開発に伴って同三八年代から
公害の方も目立ち始め、同四一年一月には大在海岸に黒い油が
流れてのりに被害が生じたのを初め、同四五年九月には大分市沖合で大量のハマチが死亡するなどの漁業被害が、又同四四年一一月には
昭和電工の電気系統の故障で悪臭が
流れ、同四五年七月には家島地区で小夏、大豆等が黒く枯死するなどの農作物被害等が発生するに至ったこと。特に佐賀関町とは大野川をへだてて隣りあっている三佐家島地区は一期計画の一号地埋立地の背後地に当っている
関係上周囲を住友化学工業大分製造所、鶴崎パルプ九州石油大分製油所、九電大分発電所、昭電コンビナートに取り囲まれ悪臭ばい煙の被害を受けて、住民らは気管支炎等で苦しむ者が多く
公害の吹きだまりの観を呈する状態となっていた」。
それから一の二四四のところでは「この間県も住民の反対運動に動かされて三佐地区の全員五〇〇〇余人につき健康
調査に着手し、同
調査結果は
昭和四八年五月九日医師会から正式に発表されたが、同結果を四〇歳以上の者を被
調査者とした場合に修正して同地区の慢性気管支炎有症率を算出すると大阪、神戸、徳山を超え四日市に次いで、約九パーセントに及んでいることが判明した」。
またこれは一の二四八です。ここでは「前記三佐地区は二号埋立地の昭電グループの背後に当り地区内には臨海産業道路と昭電直通の県道が東西南北に走り地区は四つに分断され、この道路建設で地区内を一巡する排水路はしゃ断され雨期には毎年水害を受けると言った開発と
環境整備とが跛行状態をきたしている有様で、しかも気管支炎等の発生状況は前記のとおりであるところから、
昭和四九年九月二八日、同地区の三一八世帯一、三七〇人が鶴崎の別保地区に集団移転することを決意し、県、市と交渉の結果、住民において
昭和五三年度末までに宅地一五万六、〇〇〇平方メートルと農地とを手放し、交換に別保地区の宅地一一万五、〇〇〇平方メートルを取得する旨の協議が成立したこと、しかし現在に至るも右移転は実現しておらず依然
公害に苦しんでいること。」というふうに書かれておるわけでございます。
そこで、この大分地裁判決の事実認定というのは、大分新産都第一期計画に対する強い
批判になっておると思うわけです。この判決の
指摘を受けてまずお聞きをしたいのは、
環境庁長官、国土庁、通産省はそれぞれどのように今度の大分の新産都判決を受けとめておいでになるか、まず
最初にそのことをお聞きしたい。