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戸叶武君 私は
アメリカのことだけを非難するのは無理だが、
アメリカと
日本の大
企業、軍需産業、それから石油を扱うところの大資本、皆どうかしちゃっている。土建屋もそうです。いまの大
企業のあのさまを見ると、国に対しての忠誠心などというものは一片もなく、会社のための鬼となって死んでいかなけりゃ出世ができないというような一個の人生観を持ってしまったと思うんです。恐ろしいことです。保元平治の乱を導いた源平の末期を彩るような心の退廃です。
私は、西欧と
日本を比較するときに、西欧自身を美化するわけにはいかないけれども、やはり人格というものは個人人格を中心としてヒューマニズムが発展したと思います。いかなる権力にも、いかなる権威にも屈しないで、人間を
尊重し、自由を愛し、創意に満ちた自由濶達な
社会をわれわれは築き上げようという
考え方がルネッサンスを生み、宗教革命を生んだと思います。
日本にもそういう人があったのに相違ありませんが、しかし、今日が昭和元禄と言われるゆえんは、元禄と同じように、金のある者が権力を握れば賄賂は幾ら取っても差し支えない、片手五億円、こういうような風潮というものは
日本歴史に必ず残っていきます。恥ずかしい時代です。人間は神様じゃない、常識的な限界がある。しかし、
先ほどの
答弁のやりとりを見ていると、一個の法理論のむなしさを私は感じました。フランス革命のあらしがドイツを襲う前に、シルレルは、当時の歴史家は政治学者でしたが、後ろ向きの予言者であり、
法律家は横ばいのカニのようなへ理屈言いだと言って、その人々の論理の中から新しいものは生まれてこないという痛烈な言葉を吐いております。
二回も
世界戦争へ突入して無理をしたドイツでも、ブラントさんが
アメリカに行ったときに、あなたの
考え方はデモクラティックなソシャリズムかと言ったら、彼はもっと自由濶達な態度でフリーなソシャリズムだと。
社会主義はいま硬直したものから全部音を立てて崩壊していきます。プロレタリア独裁だとか、あるいは偶像的なボスをいただいて秘密結社的な性格から離脱できないもの、宗教やイデオロギーを過大評価するもの。政治は常識です。
国民の
生活と結びついた具体的な回答ができないでへ理屈だけを言っている間に、
国民にしりに火をつけられるときが来るから見てごらんなさい。この一年、二年が
世界の転換のターニングポイントです。
サッチャーのような人が勝ったのは、イギリス
労働党の
政治家よりもすぐれているという選択じゃない。やっぱり
労働組合はストライキをやらざるを得ないであろう、政党と
労働組合は違う。しかし、その苦労を乗り越えて、矛盾の中に、国のいま問題として具体的に処理をしなけりゃならないのは何かというものに対して、見通しと具体的回答を持つだけの発想の転換ができなければ、
労働党といえども
国民大衆からはあのような反撃を受けるんです。五十年前の
労働党が勝たないであろうと予想されたときの選挙の大勝利の時代には、
労働党には未来があった、ビジョンがあった。長期的な見通しと具体的な対策、それが間違っていたとしても、そういう意欲があった。何とかなるだろうというやつは皆自滅していく、滅びていく。
特に、私
たちは、われわれ
社会党も気をつけなくちゃならないし、保守党のことは余り言いたくありませんが、保守党の中にも本物は一人や二人はいるんだと私は思うんで、少し今度遠くまで見える望遠鏡か顕微鏡を買ってきてながめてみたいと思いますか、このようなときにこそ本当の政治が暗い政治のどん底の谷間から燃え上がらなければ、
日本は腐れただれて崩壊していくんです。本当に
日本を愛する者は、人を殺したり、暴力革命を幻想したりするんじゃなくて、大衆とともに苦悩し、大衆とともに模索し、そうして真実を語り合う。外国とだけ腹を割って真実を語っても、
国民には何も真実を伝えない、すべて
国民を盲唖学校か何かへ入れてしまうような仕組みではどっかで爆発点が、どこからか発火点が起きると思うのであります。私は、これからは
政治家よりもやっぱり貧乏しても予言者になって野をさすらい歩きながら民衆に訴えていく以外に
——民衆か奴隷根性を持っているから、このように
政府権力にあたかも国家は
自分たちが支配しているようなのさばり方をされているので、とてもかなわぬ。私は、そういう
意味において、どこからか、テロリストでなく、志士仁人が、やはり原野にしかばねをさらすような草莽の志士が起きてくる基盤が、いま悲しいかな、できてきたと思うんです。もっと真剣で、もっと気違いじみたやつが
政治家の中からも出てこなけりゃ、こんなしらばっくれた論議で、
政府の翼賛議会にも等しいような論議をやっていること自身が
国民に対して私は相済まないというむせぶような思いで胸を引き裂くものがあるのであります。
右翼の人でも、純粋であったがゆえに、テロもしないでみずからを影山正治君は腹切って鉄砲で死んでいきました。楠木正成の死生観について彼と汽車の中で語ったことがあるが、そのときにも彼にもっと淡々たる心境で人世の苦難の道を歩まなければいかぬということを私は言ったのですが、楠木正成は、進退両難、生と死の絶体絶命の境地に追い詰められたときに、両頭を裁断すれば一剣天にかかって寒しと、これは園田さんはわかると思うが、やっぱり進むとか退くとか、成功するとか成功しないとか、そんなことは問題じゃない。おのれをむなしゅうして生死を離れれば天が迎えてくれる。
これで終わります。
園田さん、自民党だからうっかり親しく口をきくと、今度は園田さんがねらわれるからな。ゆらりゆらりと揺すられながら、できるだけ外交の線では真っすぐの道を歩いてください。