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戸叶武君 私は、まず農林
大臣にお尋ねし
ます。
詳細なことは
川村君から質問が出されましたけれ
ども、私の問わんとするところは、やはり食糧問題とエネルギーの問題並びに平和
条約をめぐっての領土の問題、これをごっちゃにして変な小商人的駆け引きをされては困るということであり
ます。
日本自身の長い間の習慣から、小商人的にこれをやればギブ・アンド・テークという形で何か得られるんじゃないかと思うのは、そういう時代は過ぎ去ったのであり
ます。やはり平和
条約の前提
条件というものは、領土問題という形だけにしぼるわけではありませんけれ
ども、領土は民族にとって血肉と同じであり
ます。これを譲歩して何かプラスになるというようないやしい考えを持つと民族は崩壊し
ます。第一次世界戦争における発端もそこから起きたのであって、領土問題をなめて通ると、私はどの政党でも必ず後で悔いを残すと思い
ます。われわれはやはり
日本が祖国であり、この国をショービニズムの排他的な戦争への道を歩むような国家にしないで、平和共存体制の上に立って国際的な平和共存の
実績を上げたいというのが
日本外交の基本であり、
日本の憲法の基本であり
ます。しかし、いまはどうも憲法に対する理念が
大臣諸君においても欠如しており
ます。
日本の憲法は、理屈はいろいろ言い
ますけれ
ども、人民主権の憲法です、
国民主権の憲法です。国会が国の最高機関です。最高機関において内閣総理
大臣は選ばれていくのであり
ます。各省
大臣はそれによって任命されるのであり
ます。
ところが、私の恩師ハロルド・ラスキの説によると、一九〇六年以来、これはイギリスでそうした問題を提示したときに、彼は言っているんでしょうが、いつの間にやら議会政治というものの本当の精神というものが崩れてしまって、行政の拡大によって公務員というか官僚組織というものが、内閣は行
政府の最高機関にすぎないのであるが、主権者と直結している
国民の意思を乗り越え無視して、そうして内閣という行政機関が非常に越権行為を行って暴走しているのが現実である、議会政治は消滅したとまで言う論者もあるけれ
ども、まさに議会政治の危機はそこに来ていると言ってい
ます。これは彼が
最後に、死ぬ前に、マンチェスターにおける労働党の応援をやったときの講演が書物になっているのにもそれが載っており
ます。
たまたま昨日でしたか、サンケイの論壇に珍しくも上智大学の渡部昇一君がコンスチチューション、憲法の解釈をめぐって、イギリス憲法なり
アメリカ憲法なり
日本憲法は、その発展
段階並びに国家
性格において異なるということを認識しなければならないということを言い、ついでに大平さんの誤訳といい
ますか、ガバナビリティという、ガマのたわ言じゃありませんが、統治能力という形が一国の基本法の根底のように思っているのは思い上がりであり
ます、これは辞書を引用して誤訳であると言ってい
ますから、後で大平さんにも注意しておこうと思い
ますが、観念的な解釈ではどうにもつかないんです。
ところが、なし崩しという方法で、このごろは
日本の
国民主権の憲法、平和憲法を、どうも武力が必要だからどろぼうには用心が必要だし、他から侵入するものには武力的な防衛が必要だからという形からごねて、ついには元号の問題、靖国神社の参拝の問題――私は、靖国神社へ参拝するのに大平さん個人の資格でどうというんじゃないですが、
一つの宗教やイデオロギー、それから民族的な情緒、そういうものだけで、この
日本の国家基本法というものを混乱していくことはやがて禍乱を招くということを警告しておきたいんです。
議会民主政治というのは、相互に話し合って、そうして責任をとって政権の移動というのが前提
条件です。これは戦後私は吉田茂さんとも緒方さんとも本会議の代表質問の席で論争しましたが、官僚というものはしょせんこの統治能力というものに重点を置いて物を言っている風向きがあるんです。それも必要です。しかしながら、いまこういうふうな
日本の苦悩の中から戦争をもうしまい、世界は米ソが対立しても
最終的な戦争をやれば米ソとも滅びるんだからできないという認識のもとに、戦争の片棒を担ぐのはやめようというのが
国民の中には浸透しており
ます。懐古的な情緒的な趣味から元号もいいじゃないかというのがあるが、法規で決めてするようなことは御免だというのが八〇%もあるんです。ここに
日本人の常識が内在しているのに、それを
マスコミの操作やあるいは総裁選挙に名をかりて、自民党のファッショ的な
一つの風潮に仰合するために、いろいろな決議をやって、そうして自民党百五十万の党員か何か、一個の地方のボスです、それによって
国民の意思というものを振りかえてしまって、こういうことをぐんぐんやっていくというようなことはきわめて陰湿な私はファシズムの展開だと思うのです。
この問題に対して、
園田さんも非常に慎重に、外交文書においてはやはり西暦を使わざるを得ないんだという慣習的なあれで慣例によって答えており
ますが、渡辺さんは大分激しい人ですが、どうも言うと必ずそれを実行に移す恐ろしい人でもあるんで、若干思慮の足りない点もあると思い
ますから、ひとつそこいらを私は承っておきたい。これは国の大事で、農林
大臣というよりは
国務大臣として、
一つの行動派の代表としてひとつ答えてもらいたい。それぐらいは心得ておかなければ
国務大臣の資格はないので、片々たる行政の親玉にすぎない。これは悪たれじゃないんですよ、本当に私はこの問題は平和憲法を守るためには命がけでやるんですから。田中正造は天皇に直訴し、
戸叶武は人民に直訴して、そうして直接行動に訴え
ますから。