○戸
叶武君 この
日ソ国交調整と取り組むのには、与
野党とも慎重な態度が必要だと私は考えております。
外交、防衛の問題は国の
運命を決定し、国の安危を決する問題でありますから、
責任ある
政党は軽率に言動はできないのはあたりまえのことであります。しかしながら、
外交権を持つ
政府と
国民世論を
背景にして
相互理解を深めていかなけりゃならないと考えている
野党との間には、物の
考え方に若干の相違があるのはやむを得ないのであります。
しかしながら、この日
ソ平和条約締結への道は
領土問題をまたいでは問題が片づかないことは明らかな問題でありまして、
領土問題に対する
外交上の
見解というものは、第一次
世界大戦における
ベルサイユ講和会議と、この第二次
世界戦争後における
平和条約の
あり方においては、共通な流れもあるが、大きな質的な
変化を来しておると思うのであります。
一九一五年、
連合国の
軍事謀略によってイタリアをドイツ、オーストリアと同盟から切り離して
連合国に加担させようとしたときの
ロンドン軍事秘密協定も、
ベルサイユ講和会議においては、
民主主義を守るためにあえていままで外国のトラブルに関与しなかった
アメリカの青年を率いて海を渡ったものとして、このような不明朗な
他国の
主権を侵して
領土を奪い去るというような
秘密協定には応ずることができないと言ってウッドロー・ウィルソンがこれを否認したのであります。あすこに新しい時代の
国際法の理念というものが躍動しておる。だからこそ第二次
世界戦争に当たっても、
世界の
世論を
背景としなければ
戦争終結への道を歩むことは困難だという
考え方から、
米英はアトランチック・チャーターにおいて、あれほどかたく
他国の
領土を侵略しない、奪わないということを
声明としておるのであります。
にもかかわらず、この
戦争が非常にむずかしい段階になったとき、一九四五年二月十一日に、
ソ連を抱き込むために、
ヤルタにおいてルーズベルト、チャーチル、スターリン三巨頭の
秘密会談が行われ、
戦時中の
軍事謀略的な
秘密協定が
ヤルタ協定の名によってなされたのであります。
戦時中にはこのような出来事は間々あるのであります。しかしながら、次の
平和条約の
条件にはならないのであります。
これをこの
締結国が
責任を持って解消し、新たなる
世界秩序を目指して、次の平和を保障し得る
条件を具備して
平和条約を結ぶのが
道理であります。
道理引っ込んで無理が通っておったのでは
世界の
秩序というものはできないのであります。
サンフランシスコにおける
平和条約にわれわれが
野党として反対したのも、一方的な形における
条約においては不完全である、
敗戦国なるがゆえに主張すべきことも主張できないような場にわれわれは連なるべきでなく、
不平等条約をやがて
世界の理性を取り戻したときに変えてもらわなきゃならないという悲願がそこに秘められておったからであります。
アメリカも
イギリスも
ソ連もこのことは百も
承知だと思います。しかし、理想はそうであっても、現実はゆがんでおって、なかなか簡単にいかない。
アメリカ、
イギリスは過去のこととして当たりさわりがあるから黙して語らず。
吉田全権にも圧力を加えて、
日本の
北方領土の放棄を促したようなてんまつもあるのであります。
吉田さんは
敗戦国の
全権としてこれに屈したかもしれませんが、
日本の
主権者である
国民はこのような
不平等条約、不
道理には屈しておらないのであります。
そこに問題のわれわれの基点があるのでありまして、一九六四年四月七日に
社会党使節団として
ソ連に招かれたときも、私は、
社会党自体としては
早期平和条約を結んで、それによって
北方領土の
返還というものを求めようというような、
早期平和条約にウエートを置いたような
説明をされる方もあるけれども、それは誤解を招いてはいけないと思いまして、
ソ連と
日本との
国家性格は違うんだ。
ソ連は
プロレタリア独裁の国であって、
共産党が
ソ連の
運命を決することができるが、
日本の
主権者は人民である、
国民である。
国民の
合意を得られないで、
民主的国家における
政党が
ソ連共産党と
共同声明を発しても、それによって何らの権威も生まれてこない。やはり
国民は、最終的には、最悪の場合でも歯舞、色丹だけでなく、国後、択捉までの
返還なしには
平和条約へは一歩も足を踏み出さないであろう、出せないであろう。
社会党は全
千島返還というものの上に立っているのだという点を力説して、当時、
ミコヤンさんから「
ニエ」と言ってどやしつけられたが、
ニエなら帰ると言って、私は、
日本の
国民の声を直に伝達するのが
野党の
責任である、そういう
意味において
ミコヤンさんと取っ組んだのであります。
その間に
調整に入ったのが今回飛鳥田さんとお話ししたスースロフ氏です。スースロフ氏は二位とか三位とか
新聞は伝えておりますが、
ソ連の
共産党の中に生き残った最高の知性人であり思慮の深い人だと思います。
政府の人を、今度、要人は出さずに自分が
日本に言うべきことは言い、飛鳥田さんもまた
日本の
国民の訴えんとすることは訴えて、いろいろ若干勇み足もあったようですが、そんなことは私は問わない、やはり率直に問題をぶっつけたと思うんです。
お互いにぶっつけ合ってその上に立って
理解を深めていくのが
外交でございまして、その点は、
園田君は自民党の中でも感心な人で、ことしの一月には行って言いづらいことをずばっと言って、
日中平和友好条約をこのような精神でやるんだ、返事はお聞きいたしませんというだけの伝言を伝えてさっさと帰ってきたあのやり方なんかやはり剣道の極意に達していないとなかなかやれないことだと思いますが、その土性骨を持っている
園田さんですが、かたいだけが能ではない。やはり
園田さんはかたいところもあれば、やわらかいところもあるようですが、硬軟両様を縦横に使って、
ソ連には
ソ連の
立場がある、
領土問題は
ソ連ほどいろいろな、罪深いと言っちゃあれですが、無理に無理を重ねた国はないので、
日本を立てればこちらが立たぬ、こちら立てればあちらが立たぬという非常にむずかしい一つの中に巻き込まれていると思います。
別に
ソ連のことを配慮する必要はありませんから、われわれの主張はやる。しかし、それでもって
日ソ関係を全部黒に塗ってしまってはいけない、どこかに光を見出さなきゃならない。それが今度の
漁業関係の
交渉においても
ソ連が
日本のごきげんをとるというのでなくて、十分
日本人の漁民の苦悩、食糧問題、
漁業問題に対しての苦悩をくみ取って、イシコフさんのような人は
日本人がサンマやイワシを粗末にしてフィッシュミールにしたりほかの魚のえさにしてしまうが、
ソ連では各人がこれを大切に大衆魚を食べていますというようなことの配慮まで行って、
日本の欲するスケトウダラに便宜を図ったり、なかなかデリカシーを持った
外交がそこにほのめいております。険しい面は険しいけれども、やはり
お互いの
立場を
理解し合って
お互いの心の交流というものをもっと進めないと、とげとげしい中に硬直していくとシベリアの氷の中に閉ざされて死んでいったマンモスのように化石になってしまう危険性があります。これは
ソ連に対する皮肉でなく、
日本に対しても言い得る一つの言葉じゃないかと思います。
この
漁業問題をきっかけとして、これと
日ソ平和条約とは
別個な問題であり、善隣
関係の
条約とも
別個な問題でありますが、これらのけじめをどのように
園田さんは受けとめておりますか。