○
政府委員(
松本操君) まず、私の方から御
返事申し上げますが、五月二十六日、以下すべて日本時間で申し上げますが、午前五時にこの事故が起こりました直後におきましては、私
どもニュース等で承知はいたしましたけれ
ども、
原因がどこにあるかという点については、やはり海の向こうのことでもございますし、必ずしもよくわからないままでございました。ただこれをとらえまして、大臣の方から今後の各航空
会社の
整備についての心構えをこの際ひとつ他山の石としておこうということで、たまたま土曜日でもございましたので、翌月曜日に、大臣のところに三社の社長に集まってもらって、口頭で大臣から注意を喚起したわけでございます。
それは別といたしまして、具体的事実を以下順序を追って申し上げますと、五月二十八日、月曜日の昼ごろになりまして、ダグラス本社が緊急サービスブレティンというものを出しております。これはFAAの承認を得たものではないけれ
ども、ダグラス社としてはこの点について問題があるのではなかろうかと、よってこういうふうなやり方で
整備をしていくことをダグラス社としては推奨したい、こういう趣旨のものと理解してよろしいかと思います。これが同じく二十八日の午後、昼過ぎでございますが、日本航空には入手されたわけでございます。日本航空といたしましてはそれを前提に、追ってFAAの方から何らかの指示があるだろう、それをオーソライズする形で指示があるだろうということを念頭に、ダグラス社の出しましたサービスブレティンA54—68というのに従って点検を開始したわけでございます。準備的な作業を開始したわけでございます。
連邦航空局の方は、明けて五月二十九日の真夜中、これ日本時間ですから真夜中になるわけでございますが、耐空性改善命令というものを発出いたしました。これはダグラス社がさきに出しましたサービスブレティンというものを承認する、追認する、あるいはオーソライズするというふうな形で出てまいったものでございますが、内容はいろいろございますが、一番大事な点としてとらえておりましたのは、スラスト・リンク・ボルトの点検、つまりエンジンの推力を羽に伝えるためにボルトが二本あるわけでございますが、このボルトの折損されたものが墜落現場近辺から発見されたということに基づいたのだろうと思いますけれ
ども、このボルトを点検しろという命令が出てまいりました。これを受けまして、五月二十九日の夕方に私
どもの方は耐空性改善通報を出したわけでございます。
何でここにこれだけのおくれが出たかということでございますが、日本時間の二十九日午前零時五十八分という時間では、わが方としては役所としての活動が全然ございませんので、この時点では受け取りようがなかったわけです。しかし、日航に対しては諸般の情報が入っておりましたので、私
どもの方は先ほど第一問について御
説明申し上げましたいろんな方法でFAAに対してコンファームを迫ったわけでございますが、結局FAAの通常の電報、KDDを通す電報という形で連邦航空局の改善命令が入手され、それを受けて五月二十九日の夕刻にわが方が通報を出した。ここに多少のおくれがあったことは事実でございます。しかし、作業は日航の方において別途進んでおったわけで、したがいまして、二十九日の夜十時ごろにはほとんどすべての点検を完了した、こういう
状態でございました。
ところが、明けて五月三十日の日本時間午前二時、連邦航空局は、追って耐空性改善命令の訂正を出すまでの間とりあえず飛行を禁止せよと、これはアメリカ国籍機に対する指示でございますけれ
ども、そういう指令を出した。この条項は同じく五月三十日の早朝に私
どもの方にいろんな方法で連絡が入ってまいりました。先ほ
どもちょっと御
報告しましたように、私の自宅にもそういう電話連絡が入ってまいりました。
そこでわれわれとしては、まず口頭で日本航空に対しDC10型機の全面的な飛行禁止を指示するとともに、文書でこれを後から追認するという形をとったわけでございます。同じく五月三十日の午前九時ごろ、ダグラス社は緊急サービスブレティンA54−69というものを出しまして、点検する場所を変えて、より大事なところはここだということを指摘して、点検の場所と方法を指示してまいりました。これは受けて連邦航空局は、同じく三十日の十時ごろ耐空性改善命令の改訂版を出したわけでございます。で、日本航空は、三十日の午前中にこれらのサービスブレティンを入手いたしましたので、直ちに点検の準備作業に入る。私
どもの方はやはり同様、多少のタイムラグがございまして、五月三十日の夕刻に耐空性改善通報を出しました。日航としては早目に手をつけてございましたので、五月三十日の夜までに八機のうち一機を除いて全機の点検と
整備を完了した。したがって、この八機につきましては、五月三十一日の午前一時に向こうの責任者の専務からその旨の
報告がありましたので、それを受けてわが方は飛行禁止の解除を指示したわけでございます。残っておりました一機につきましては、五月三十一日の夜に完了をいたしました。私
どもの方は六月一日の夕刻、すべての飛行機、最後に残っておりました一機についてさらにチェックの上飛行禁止を解除した。
これが大体順序を追って、メーカーと連邦航空局、私
ども及び日本航空、この間でどういうふうな時間差で作業が進んでいったかということの御
説明でございますが、お気づきいただきましたように、メーカーであるダグラスはわりあい早目に緊急サービスブレティンというものを出し、先ほど冒頭の御質問に御
返事しましたメーカーとユーザーとの間のダイレクトルートというものによって、日本航空はわりあい早い時期にこれらを入手しております。ただ、FAAがこれを追認するのに多少時間がかかった、あるいは追認したものを各国
政府に流してくるのに時間がかかったというふうな点が今回いささか気になってまいったものでございますから、冒頭お答えしましたような形で、今後こういう点をもう少しきちっとしようではないかということをFAAの方に申し入れようと、こういうふうに
考えているわけでございます。