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中村正雄君 このたび、
院議をもって永年
在職議員として
表彰されましたことは、私の生涯を通ずる光栄として、まことに感激にたえません。(
拍手)
ここに謹んで、
議員諸君の御
厚情に対し、謝意を表する次第でございます。(
拍手)
また、今日まで御
指導をいただきました西尾末
廣先生を初め、いまは亡き
片山哲、
水谷長三郎、
西村榮一、
伊藤卯四郎の諸
先生の霊に対し、心より御礼を申し上げます。(
拍手)
顧みますれば、
昭和二十二年四月、新
憲法のもと第一回の各
級選挙が施行されました際、
参議院議員に当選いたしました私は三十代の前半の青年でありましたが、今日、六十代の半ばに達しました。
この戦後三十
有余年の歳月は、
日本にとっても、
わが国の
議会政治にとっても、さらにまた私自身にとりましても、まことに激しい転変の時期でございました。
占領下という
特殊情勢のもとにおいて、
片山内閣、
芦田内閣を組閣し、
政権担当の苦労をなめたこと、新しい
日本の諸
制度を確立するための
法律体系の
整備に情熱を傾けて、夜遅くまで
法案の
審議に熱中した
委員会の
思い出等、私の
脳裏によみがえってまいります。
特に、
占領下における
議会政治としては、当然のことではありますが、若い私にとって、ときには屈辱的とさえ感じられる総
司令部の命令にたびたび涙をのんだこともありました。
いまなお私の頭に焼きついておりますことは、第一回
国会の
最終日であります
昭和二十二年十二月九日夜半の、
参議院本
会議における
審議であります。
衆議院より送付される
農林省関係の四つの
法案を今
国会中に成立させよという、総
司令部の
国会担当の一課長よりの厳命でございました。
衆議院より送付されました
時刻が夜半十二時の数分前、
委員会は
質疑、討論を省略して可決後、本
会議に上程されました。
松平参議院議長の「過半数と認めます。よって四
法案は可決せられました。これにて散会いたします。」と宣言されました
時刻は、私の
時計ではすでに十二月十日に入っていたと思いますが、本
会議場の
時計の針は十一時五十七分を示しておりました。この十一時五十七分という
時計の針は、
占領下の
政治を象徴するように私の
脳裏に深く刻み込まれております。
以来三十
有余年、
わが国の
議会政治も、
各種の
先例、慣行の積み重ねによって定着いたしました。
日本民族の英知は焦土から立ち上がり、
経済大国としての今日を迎えることができました。
これらの
思い出を通じ、私は、
政治に対する信念というものをいつも大切にして歩んできたつもりであります。
しかし、その反面、生来の未熟のゆえに、足らざるところが多かったことを反省もいたしております。今日の栄誉を契機に、心を新たにし、今後、微力ながら最善を尽くしたいと決意をいたしておる次第でございます。(
拍手)
申すまでもなく、
わが国を取り巻く
国際情勢の前途は容易に楽観を許さぬものがあります。転換期を迎えた
国内情勢もまた懸案が山積みいたしております。
わが国の
議会政治は、一層重要な段階に立ち至っていると考えます。
私は、今後一段の努力を払い、もって微力を、
日本の
民主政治の確立を通じて、世界の平和と
日本の繁栄に尽くしたいと考えておる次第でございます。
終わりに臨み、長期にわたる
国民各位の御支持と
議員諸君の御
厚情に重ねて深く感謝申し上げるとともに、今後とも変わらざる御支援と御
指導を賜りますようお願い申し上げて謝辞にかえたいと存じます。
まことにありがとうございました。(
拍手)
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北陸地方開発審議会委員の
選挙