○横山
委員 わかりました。いまのその方針を堅持して、私が心配いたしましたようなことのないようにお願いをいたしたいと思います。どうぞお帰りください。
刑事
局長にお伺いしたいことがございますが、航特があるそうでございますから、途中で御退席願っても、かわりの方にお願いします。
東本願寺の問題であります。先般、本
委員会で少し取り上げたことがございますけれ
ども、きょうは時間も余りありませんから、お聞きするよりも、
問題点が整理されておりますから一応朗読をいたしまして、この事実
関係に間違いがないかどうかを確かめます。
私が提起いたしますのは、真宗大谷派宗務所発行の「宗門問題について」であります。
前文を省略いたします。
一、管長職譲渡の開申と吹原氏等の介入
管長職は、戦後の宗憲で明らかに民意による公選制をとっております。ところが
昭和四四年四月二四日、内局には何の相談もなく突如として管長職を新門に譲るから、
長男でございます。
新門に譲るから、その手続きを行うようとの趣旨の「開申」が出されたのであります。しかもこの開申の記者会見には吹原弘宜氏が同席していたと新聞が報じたのであります。なお、吹原弘宜氏は私設秘書としての
立場だそうであります。
内局には何の話もなく、しかも宗門としては全く第三者的
立場の吹原氏がかかる重大な宗政上の問題に介入していることは正に異常そのものであり、宗門の将来が深く気遣われたことであります。
なお、この年一二月に実施された宗議
会議員総選挙では大谷家の猛列な選挙運動により、与党「直道会」は僅少差で過半数を失ない、この後四年間にわたり、いわゆる内事尊重「法主派」と称する人達が政権を担当することになったのであります。
また、前記の宗議
会議員選挙の頃、児玉誉士夫氏が、東本願寺門跡顧問と称して一部宗議
会議員に強圧的な内容の書翰を送り、そのため宗門人の間に急激に危機感がみなぎるのであります。
二、東山浄苑建設・白紙委任状
昭和四六年三月、三森内局が宗議
会議員総会の席上、六条山浄苑建設工事の実状を公表、吹原氏等宗門第三者の宗政介入以来多くの宗門人が危惧していたことが事実となって現れたのであります。この
事件も吹原氏及びその知人の六車武信氏の
関係する事業であり、京都府知事の
行政指導及び宗議会、門徒評議員会の中止決議も無視し、事業主体を本願寺から財団法人真宗大谷派本廟維持財団に移すことによって強行し、現在に至っていますが、当時の三森内局は、内事尊重、法主派を自他共に認める内局であります。その法主派たる三森内局にすら無断で、法主と共に浄苑建設の計画をした人達に白紙委任状を出すような無暴な行為をなぜしなければならなかったのか、正に常軌を逸した
事件としか云いようがないのであります。当時既にこの行為に対し背任容疑の告発をすべきであると一部宗門人の間で論議されていましたが、法主、管長の翻意、反省を願う気持の方が強く、告発にはいたらなかったのであります。
さらに途中からこの事業を請負った伊藤万商事株式会社から八億円余の金が六車氏へ支払われたそうでありますが、この金員の明細については、今日にいたるも疑惑が残るのであります。そしてこの頃より、内事(大谷家)に多額の負債があるということが公然の噂となりだしたのであります。
因みに、現在の東山浄苑の事業内容を申しますと、予定の納骨壇の半分ぐらいしか売れず、この事業の受託会社伊藤万商事は、投資金のうち約四〇億円にのぼる資金の回収ができず、現存経営的に非常な苦境に立ちいたっております。
もし、経営主体が変更されることなく、本願寺の事業としてこれを行っていたら宗門は莫大な債務を負うことになっているのであり、慄然とするものを感ずるのであります。因みに、
昭和五三年度の宗門の予算は、約三七億円であります。
三、宗教法人「本願寺」
規則変更認証申請と嶺藤宗務総長の任命拒否
昭和四八年一二月一二日宗議
会議員総選挙が実施されましたが、法主並びに大谷家の専横、殊に六条山浄苑建設にかかる白紙委任状の行為は、宗門人から強い非難を受け、この選挙は、いわゆる法主派といわれる人達の惨敗に終わるのであります。
このように政権の交替が確定するや、新しい宗務総長を選出する臨時宗議会の前日に当時の末広内局は、まるで火事場泥棒のようなやり方で、宗教法人「本願寺」
規則の一部変更を行おうとするのであります。即ち、任期切れ直前の参与会の議決を経て、同
規則の変更認証申請書を京都府庁へ提出したのであります。この変更の要点は、宗教法人「本願寺」の事務を決定する責任役員について、内局則ち宗務総長及び参務が責任役員に当るという規定等を変更し、法主並びにその取り巻きが自由に責任役員を選ぶことができるように
規則を改めようというものであります。即ち、宗門の民意を全く無視し、法主並びに一握りの人達によって本願寺の運営を行おうという意図をもった変更であります。
この
規則変更の内容がいかに無暴かつ法規上不当なものであるかは、同
規則変更認証申請書が提出以来四年有余を経た今日、未だに府知事の認証が得られないことをもってみても明らかであります。
更に、前記総選挙後の特別議会(
昭和四九年二月六日)で宗議会から嶺藤氏が宗務総長に
指名され、それを直ちに任命しなければならぬ大谷管長は、嶺藤氏が
自分の意に副わないという全く個人的な理由で、宗憲に基いて宗議会が選んだ宗務総長の任命を七〇日余も拒否しつづけ、そのために宗務
行政は大混乱におちいり、一時は宗務所の事務の殆が停止するという事態を招いたのであります。
〔
委員長退席、沖本
委員長代理着席〕
四、本廟維持財団
理事長職をめぐる争い
宗派から何時でも離脱できる
可能性を含み、かつ、莫大な本願寺財産を法主並びに一部の取り巻きによって自由にできる内容の宗教法人「本願寺」
規則の変更が、嶺藤宗務総長の同申請書取り下げによって実現不可能となると、次には財団法人真宗大谷派本廟維持財団の
理事長の役職をめぐって熾烈な争奪が始るのであります。
昭和五〇年六月頃より、法主の大谷光暢氏と四男暢道氏は、
理事長職にある大谷暢順氏(法主の次男)に対し、同財団
理事長職を明け渡すように迫り、いわゆる「骨肉の争い」として新聞紙上を賑わせたのであります。
これほどまでに親子が対立せねばならないのは、宗政上の問題でもなければ暢順氏と教義上の問題があるわけでもなく、明らかに同財団に浄苑建設の永代管理金として入ってきた十六億円といわれる資産やその他の財産を
目的とするものとしか
考えられないのであります。今にして思えば、
昭和四九年一一月に大谷暢道氏が、福田費氏から一億五千万円の借金をしておりますが、この債務返済のため同財団
理事長の職を利用しようとしたものであることは、当時の状況から見ても想像に難くないのであります。
ここに言う福田費というのは福田前総理大臣のおいごさんですか……。
五、「大谷の里」
事件、五億円の手形乱発
財団法人真宗大谷派本廟維持財団の
理事長
就任が挫折を来すや、遂に翌年二月「大谷の里」
事件の表面化となるのであります。「大谷の里」とは、滋賀県に老人及び青少年のための福祉施設の建設をめぐり、本願寺
代表役員大谷光暢氏、大谷智子裏方及び大谷暢道氏の三人連名で、五億円の手形が乱発された
事件であります。その後、笹川了平氏によって四億円の手形は回収されましたが、
この笹川了平氏は笹川良一氏の弟であります。額面五千万円の手形二枚が不渡りとなり、以後二人の債権者より厳重な手形金の請求がなされ、大切な宗宝である重要文化財の「御伝鉛」康永本、弘願本が差し押えられたり、本山飛地境内の枳殻邸や宗務所職員の役宅の土地建物の競売開始決定がなされるという事態を招いたのであります。
この一億円の手形債務は、昨年末九千万円でもって二人の債権者との間に話し合いが成立したと伝えられていますが、その債務の弁済金は、新たに枳殻邸譲渡担保の債務として依然として残っていることは明らかであり、借財の利息がふえこそすれ、なんら問題の解決になっていないことは明らかであります。
このように宗門の機関にはかることなく手形発行の行為がなされたことを重視した嶺藤内局は、緊急事態対策
委員会に諮り、本願寺
代表役員大谷光暢氏に対し、「宗門に無断で債務負担及び財産処分の行為をしてはならない」との仮処分命令の申請を京都地裁に求め、
昭和五一年五月二五日同地裁より、前記仮処分命令が出されたのであります。
六、嶺藤内局の解任と管長代務者の設置
まさに虚業としかいいようのない「大谷の里」の手形による資金計画が失敗に終わると、法主及び側近の人達は、まるで自暴自棄としかいえないような行動に出られるのであります。
まず、四月一一日突如として宗憲、諸
規則を無視し、民法によって嶺藤内局を解任したと通告されたのであります。しかし、宗円の議決機関である宗議会及び門徒評議員会は、このような大谷管長の専横独断を認めるはずもなく、むしろ大谷管長がその職務を自ら放棄したと認定し、嶺藤宗務総長を管長代務者に選出することになり、以来宗円では、いろんな民事訴訟があいついで起ってくるのであります。
次に五月二八日及び同三〇日には、先の京都地裁の「債務負担並びに処分禁止の仮処分」を無視し、本願寺町産である聖護院別邸(約千坪、時価五億円程度)、専修学院の寮(時価八千万円程度)を独断で所有権移転及び抵当権設定の処分行為を行ったのであります。さらに相ついで山科別院の隣接地及び宗務総長役宅も不当に処分し、このことが明るみに出ると、今まで耐えてきた宗門世論も一度に昂まり、また
事件の背後
関係の複雑さに手を焼いた内局は、遂に京都府警へ告発するの止むなきにいたったのであります。
七、大谷管長解任と新管長推戴
昭和五二年一二月、宗議
会議員選挙が行われたが、その結果宗門世論は法主の行為をいよいよ非難し、嶺藤内局の支持は一層の昂りをみせたのであります。即ち、改選前の嶺藤内局支持の与党議員数四八名対野党議員数一七名の対比が、改選後は五〇名対一五名と変動したのであります。この数字は、宗議
会議員六五名の四分の三を超えるもので、管長推戴条例に定める管長推戴の法定数に相当するものであります。
翌
昭和五三年一月、宗議
会議員総選挙後の特別議会が招集され、再び嶺藤亮氏が宗務総長に
指名されたのでありますが、大谷管長は、この嶺藤内局の任命行為を拒否する態度に出られたのであります。
このような事態に対し、宗川の世論は急激に大谷管長を解任し、新管長推戴という声が宗門全体にみなぎり、遂に同年三月二六日大谷骨長解任並びに新管長推戴のための宗議会及び門徒評議員会が開催され、宗議会及び門徒評議員会ともに四分の三以上の
出席の四分の三以上の多数で大谷管長の解任を議決し、新管長に竹内良恵氏を推戴したのであります。
八、本山本願寺の離脱声明と枳殻邸の不当処分
宗門人にとって大谷管長の解任は、まさに苦衷に満ちたものであったが、管長自身の反省を促すため、敢えて宗議会及び門徒評議員会は、この挙に踏みきったのであります。
しかし、これらの宗門人の正常化を願う切なる思いをよそに、法主・管長はいささかも反省の気配を示されず、遂に
昭和五三年七月六日、京都府警は、先に告訴のあった
事件について法主並びに大谷暢道氏を背任の容疑で京都地検に書類を送検いたしたのであります。
このような事態を宗門人は、暗港たる思いで受けとめていたところ、宗祖親鸞聖人の御正忌報恩講を目前にした二月六日、法主は記者会見をして、本山本願寺を宗派から離脱させる、即ち、「宗教法人本願寺は、宗教法人真宗大谷派との被包括
関係を廃止する」という声明をされたのであります。これは、まさに晴天のへきれきともいうべきで、宗門人にとっては予想だにし得ないできごとであったのであります。
殊にその声明文の中に、「改革派の源流は、明治期の哲学者清沢満之であり、本願寺の伝統の教義・信仰とは全く異質のものであります。」と述べておられますが、あまりにも無茶なこじつけとしかいいようがありません。しかも、その声明の二日後には、既に一
〇月二四日付で、国が指定する名勝「渉成園」通称枳殻邸(本願寺飛地境内約一万坪)が、譲渡担保として所有権移転の手続きが密かに行われていたことが判明し、今度は多額な国庫補助まで受けて改修が成ったばかりの枳殻邸までもということで、みな唖然としたことであります。
いまにも京都地検の処分がなされようかとしているとき、またまた背任に相当する枳殻邸の不当処分をされるということは、いかにたくみに言葉を取繕ってみても、本山離脱の問題が教義や信仰によるものでなく、大谷家の借財によるものであることが明らかであります。
九は「宗門世論の動向」でありますが、これは省略をいたします。
いま読み上げましたのは、真宗大谷派宗務所発行の「宗門問題について」であります。もちろん、この人たちの主張が列挙されたのでありますから、大谷光暢法主を取り巻く人々の言い分がここに入っていないことは言うまでもありません。
私が本日文部省と刑事局においでを願いましたのは、この種の問題は新聞に本当にたくさん出ておるわけでありますが、結局昨年の七月に、京都府警がいま申し上げましたように京都地検に書類送検をした。背任の疑いがあるとして書類送検をしたものを、今日まで京都地検は一体どういう
調査をし、どういう結果を得ておるかということが第一の
質問であります。