○正
森委員 ところが、もう一枚紙をめくりました二十四ページを見ていただきますと、一つの
事件の
平均審理期間、一件を処理するのにどれだけかかったかという
平均が書かれておるのです。
それを見ますと、第一審の
地方裁判所では、
昭和五十年に
民事では十六・一カ月かかった。五十一年はそれが十五・八カ月、五十二年は十四・七カ月に減っておるのですね。
刑事事件について言いますと、
昭和五十年は六・三カ月、五十一年は五・七カ月、五十二年は五・一カ月に大幅に減っております。
一方では、
裁判官が非常に少ないというのが、私がごく簡単に述べました数字でも出ておりますのに、
事件処理の
平均月数は大幅に縮まっている。つまり、縮めなければふえた件数を処理できないから、縮めざるを得ないわけであります。
ここに、五十四年一月一日の「
裁判所時報」で岡原昌男最高
裁判所長官の「新年のことば」がありますが、その中では「迅速な裁判が望まれることは多言を要しない。」ということで、裁判の促進を非常に強調しておられるわけですね。ここから明らかに出てくることは、
裁判官は足りないのに裁判は迅速にやれ、こういうことになる。だから、
事件がふえておるのですから、前と同じ月数で処理をしておるというだけでも非常な能率アップだのに、ところが
事件はふえておる、
裁判官は余りふえないのに、処理月数は逆に縮まっておる。いかに審理促進という名で裁判が早められておるかということがわかると思うのですね。
私は、このことを一概に全部悪いと言うのではありません。私は
弁護士として裁判に携わったこともございますけれ
ども、
事件によっては、早く片づけるのは当然だ、片づけるということは悪うございますが、処理するのが当然だと思われる
事件もあるわけです。しかし、非常な難
事件もあります。これは三年、五年、七年とかかるのは、ある
意味では当然だと思われるような
事件もあるわけですね。それを一概に迅速、迅速ということから、どういうようなひずみが来ておるかということを、現場の
裁判官の声を読み上げますから、それを
最高裁並びに法務
委員長も聞いていただきたいと思うのです。もちろん
大臣も聞いていただきたいと思います。
これは日本
弁護士連合会が編集いたしました「
裁判官」という本でございまして、日本評論社から出ております。この本の中の二ページないし三ページに「判例時報」七百三十九号に載りました全国
裁判官懇話会の報告というのがあります。つまり、
裁判官が集まって懇話会を開いた。そこで
裁判官が言ったことを収録しているわけですね。その中でこう言っているのです。これは
刑事ですね。
本庁の単独
事件が約一二〇件あり、週一開廷半で処理する体制をとっているが、時には午前中四、五件を審理するときもある。このような場合、事実上書証の証拠調を極めて簡略にしなければならないことが多い……訴訟法に照らしても、また被告人の立場に立ってみても、さらに広く法廷審理のあり方という点からみても、望ましいことではないと思って悔やんでいる。……証人、特に被告人側の証人の
証言、そして、被告人の弁解、あるいは言い分を充分聞いたであろうかと反省することもある。……要点に入ることに急なあまり、あるいは別の
事件が次々と控えている、時間の余裕がないというような場合に、本来の訴訟指揮のあり方をこえて職権的、糾問的な態度をとる、被告人に納得できない審理の仕方をして、ひいては重要な事実を逃しているのではないかというようなおそれも
感じる。……しかし、ことの根本にさかのぼって物事を探究し、抱いた疑問を追求するには、単に心がけではなく、それ相応の研究、あるいは幅広い勉強が当然前提とされる。それが思うにまかされないという事情がある……現在、
裁判官の
増員の必要性が、極めて焦眉の問題になっているというように
感じられる。多忙ということから、ややもすれば、あるべき裁判の姿がゆがめられてくるところに一つの問題がある
これが現場の
裁判官の声であります。また、別の
裁判官であろうと思いますが、こういうように言うておられるのですね。
期日簿が月曜から金曜まで真黒になるほど
事件がつまり、また毎日のように何件も落ちていく時期もある。そういう時期になると、遊びを犠牲にするのはやむを得ないとしても、まず家庭を犠牲にすることになる。
特に
委員長にはお聞きいただきたいと思いますが、
家庭を犠牲にしてなおかつ足りなくなると、今度は
事件を犠牲にするようになる。……実刑か執行猶予かということを悩み始めるときりがない。……ところが、前科の
関係で
法律上執行猶予にできない
事件であることが判明すると、被告本人には非常に不幸なことなんだけれ
どもこちらの方は心の余裕が生まれる。審理で非常にくたびれて法廷から四時半頃出て来ると勾留請求書が記録と共に机の上においてある。このごろはまず一番
最初に請求書の
被疑者の住居という欄をみる。住居不定というのは悩む必要がないのが大
部分であるから
つまり、勾留できるというわけですね。
それだけでほっとする。……破産寸前という状態に追い込まれてくると
これは財産のことを言っているのではないのです。自分の心境のことを言っているのです。
品性が非常に卑しくなって、こういうことではおそらく良心に従った裁判には程遠いのではなかろうかと思う。……非常に忙しい
状況の下で
裁判官は悪魔に魂を奪われないで良心を守って裁判をするにはどうしたらいいのかという問題は、私にとって依然として深刻な問題である
こう言っております。こういう訴えを聞きますと、私
どもは、こういう状態の
裁判官に裁判をされるということは、基本的人権にとって非常に問題があるというように思わざるを得ないわけであります。
それで、
最高裁は毎年
裁判官の
増員を言っておられるようで、その御努力には敬意を表明しますが、必ずしもそれが予算上全部認められているわけではなくて、大幅にカットされております。現場のこういう声を心にとどめて、今後ともこれで十分とせずに努力を強めていただきたい、そして正しい
意味での基本的人権を守るようにしていただきたい、こう思いますが、いかがでしょうか。御
答弁を承って、
質問を終わります。