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西宮委員 見通しを誤ったり、あるいはまた充員ができないというような実情があってやむを得ないのだということなら、いわばこれはそういう意味では、最高裁総務局として大変な手落ちだと思うのですね。必要な
裁判官を補充していかなければ、当然第一線は非常に困るわけですから、私はそういう点で、現実にとにかく第一線の
裁判官は非常に困難になっていると思うのですね。
ところが、私は、いろいろ
裁判官の意見を述べているものを若干拾い読みしたのでありますけれども、大変に困っているということを述べているわけですね。これは
昭和四十九年二月十日に日本都市センターで行われた全国
裁判官懇話会というものの記録でして、東京高裁の三井明
裁判官が報告をして、それに対してみんなが意見を述べているわけですね。それを読むと、一々朗読をしませんけれども、数が足らなくて大変困るということをこもごも訴えているわけですね。訴えているのだけれども、ただし、その訴えている
人たちは
自分の名前を出してないわけですよ。A、B、Cというので名前を表示をしている。これは「判例時報」に載っているのですから、決してインチキなものではない。そのA
裁判官、B
裁判官というのは明らかに実在する
裁判官だと思うのだけれども、その名前を載せない。
ここに、この間もちょっと申し上げた「ある
裁判官の回想記」というのを見ると、これは浦辺衛さんですが、「いま、
裁判官の数を見ると、戦前には一五四八名であったものが、戦後二六九六名に増加した。しかし
裁判官の仕事の量と質の増大とを
考えると、
裁判官の数は決して多いとはいえない。これを外国の
裁判官の数と比較してみると、明らかである。」ということで、
裁判官一人当たりの
国民の人口が、わが国は実に四万四百二十一名ということで、フランスの二分の一、英国の五分の一、米国及び西ドイツの八分の一、こういうことを言って、「右のような
裁判官数の現状と
事件の増加とを対比すると、わが国の
裁判官がいかに負担過重であるかが分ると思う。」というようなことを書いているわけですね。この書物が出たのは一年ちょっと前ですから、決して古いことを言っているのではないと思う。
しかし、こういうふうにやめたら発言するとか、あるいは現職の場合には、発言するときにはA、B、Cで言うとか、こういうのはどういう
裁判官の気持ちなんでしょうね。何かそういうことを言うと覚えがめでたくなくなるというようなことを懸念するのでしょうかね。どういうわけでしょう。